西澤 晋 の 映画日記

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2011年 08月 27日

ミーアキャット(2008) ☆☆

f0009381_974146.jpg監督:ジェームズ・ハニーボーン
ナレーション脚本:アレキサンダー・マッコール・スミス
撮影:バリー・ブリットン
編集:ジャスティン・クリシュ
音楽:サラ・クラス
ナレーション:ポール・ニューマン

      *       *       *

ドキュメンタリーとは作為的なものである!

「ドキュメンタリー」というのは、「真実をつたえるメディア」という印象を持つ人もいるかもしれないが、実際は作り手の作為的な行為の集大成でしかない。それが良いとは悪いとか言う問題ではなく、そういうものだってことを見ながら感じていた。

大筋は、カラハリ砂漠で生息するミーアキャットの家族の記録映画なのだが、それを見やすく感情移入させるために人為的な物語として構成されている。結果として記録されたフィルムだけは物語っぽくならないので、必要な映像は人為的が必要になってくる。たとえばライオンに追われて穴に逃げ込んだミーアキャットからの目線で、「穴からみたライオン」とか・・。
それを撮っているシーンを想像するとこうなる。
穴をほってカメラを埋め込み、餌でおびき寄せたライオンをちょろちょろちょろっとおちょくって穴に興味をもたせ「穴の中の獲物をもとめて穴の入り口を掘るライオン」の画面を内側と外側から撮る・・。
全部望遠で撮ってくれればそんなことは思わないのだろうけど、どうしても広角レンズでとられた画面を見ると、「作為性」を感じてしまうんだな、これが。

ま、そういうものだと思ってみてるからいいのだけど・・・。

by ssm2438 | 2011-08-27 09:08
2011年 08月 22日

サンシャイン・クリーニング(2008) ☆☆

f0009381_20563769.jpg監督:クリスティン・ジェフズ
脚本:ミーガン・ホリー
撮影:ジョン・トゥーン

出演:
エイミー・アダムス (ローズ・ローコウスキ)
エミリー・ブラント (ノラ・ローコウスキ)
アラン・アーキン (ジョー・ローコウスキ)

       *        *        *

負け組み人生の奮闘記ふたたび!

『リトル・ミス・サンシャイン』の制作スタッフが2匹目のドジョウをねらってつくった映画がこれ。2006年アカデミー賞で、 作品賞、脚本賞(マイケル・アーント)、助演男優賞(アラン・アーキン)、助演女優賞(アビゲイル・ブレスリン)にノミネートされ、脚本賞と助演男優賞ととってしまったのがかつての栄光。あの栄光を再びと2年の月日を経てだしてきたのがこの『サンシャイン・クリーニング』。
先のアカデミー賞受賞者のアラン・アーキンを再び起用し、美人姉妹のお姉さんには『魔法にかけられて』でキュートなプリンセスを演じたエイミー・アダムスを主演に抜擢。彼女の役どころは、かつてはチアリーダーとして人気者だったが、今はダメダメ人生をもがいてる子もちのお母さん。おまけにかつての恋人ともまだ不倫がつづいてるという厄介な環境で、妹はやっぱりなにをやってもやり遂げられないクソキャラクター。父親は時代錯誤で空回りばかりしてる。そんな劣悪な負け組人生のなかで、起死回生一発逆転をめざしてはじめたのは殺人事件とか自殺現場のハウス・クリーニングを始めることにした。

結果的には全部ダメダメで終わってしまう。妹のノーラは、自殺したある人の家をクリーニング中に、その人の娘らしい写真を発見、せめて娘にそのことを知らせてあげようとおもって接近するも、そのことがわかるとその娘からは写真を着き返され、二度と私の前に現れないで!と厳しくしっぺ返し。彼女にもいろいろあったのだろう。
なんだかんだと頑張りながらこの仕事が順調にこなせはじめた矢先、嘗ての見栄のためにチアガールたちの同窓会に強引に出てしまう。その間ノラはひとりである自殺者の部屋を掃除しなければならくなったのだが、ベッドのしたから飛び出してきた猫を追っていってる間に、ロウソク倒してしまい、依頼人の家を全焼させしまう。
最初は妹を責めるローズだが、とどのつまり、見栄のために自分がいかなかったから起きた事故でもありやりきれない。多額な賠償金を抱え込むことになるのだが、それまでダメオヤジだった父親が自分のうちを売ってなんとかお金をつくってくれて、のこったお金で再び父と一緒にハウスクリーニングビジネスを始めるところで物語りは終わる。
そんな話なのですが、この映画の基本は総てこの一言で集約される。
「大切なことは、その人は何を成し遂げたかではなく、どういう人なのかだ」・・という『アリーmy Love』のなかのあの言葉。

f0009381_2103719.jpg結果的には全部裏目にでたことだけど、
だからどうだというの? 

この物語はそう語りかけてる。これを肯定的にとれるかどうかが問題。
私なんかは、それでは甘いなって思ってしまう。やっぱり結果を出さないと人間はダメだ。でも、コレは多分男の原理だ。なのでこの映画は女性がみてナンボ・・の映画のような気がする。

ちなみに一瞬の輝きをみせる彼女等ふたりのお母さんの若かりし日々。彼女の美しさはこの映画においてはとても重要な意味をもっている。その母を演じた女優さんの写真はこちら(→)。美しい。

by ssm2438 | 2011-08-22 20:57
2011年 08月 21日

ジャーヘッド(2005) ☆☆

f0009381_11341175.jpg監督:サム・メンデス
脚本:ウィリアム・D・ブロイルズ・Jr
撮影:ロジャー・ディーキンス
音楽:トーマス・ニューマン
音楽スーパーバイ

出演:ジェイク・ギレンホール(アンソニー・スオフォード)

       *        *        *

「ジャーヘッド」とは、海兵隊員の刈り上げた頭がジャー(蓋のついたガラス瓶)のように見える事からつけられた蔑称。

原作は、90年の湾岸戦争に兵士として参加した一人のアメリカ人青年のノンフィクション『ジャーヘッド アメリカ海兵隊員の告白』。反戦映画とかいうのではなく、普通の海兵隊にはいったアメリカ人青年の体験談を映画にしたもので、確かに『フルメタルジャケット』の湾岸戦争版といえなくもないが、精神的には『ブルースが聞こえる』に近いのかな。
『ブルースが聞こえる』は、ニール・サイモンの自伝的小説を映画にしたもので、第二次世界大戦の末期に入隊した主人公が兵士としての訓練をうけながら過ごした何ヶ月かの話で、彼が戦争に出て行く前に日本に原爆がおとされ戦争は終結する。結局主人公は一発も戦場で銃を撃つことも無く物語はおわる。目の前にある「戦争」という巨大な潜在的恐怖に対して国家が整備した、そこに入っていけそうな人間のメンタリティをつくる人間はどう対処するのか・・というイベントを一般庶民の目でみた映画だった。
この映画『ジャーヘッド』もそんな感じ。

この映画を見て思うのは、アメリカ人のイメージする戦争というのは、「相手は殺すけど、自分は死なない」というのは基本概念になるんだな・・ということ。敗戦を経験し、その歴史をしっている我々日本人にしてみると、およそほど遠い価値観なのだなと思う。先の『ハンバーガー・ヒル』(ひとつ前にレビュー↓)が、ベトナム戦争のなかでも熾烈をきわめた戦闘といえども、北ベトナムの死者の数は630人にたいして、アメリカ兵の死者70人。それで「悲惨な戦争だった」と語られるが、北ベトナムにしてみれば「冗談じゃない!」の世界である。
その数字はこの湾岸戦争ではさらに飛躍する。イラク人の死者およそ15万人、アメリカ兵の死者149人。イラク人にしてみれば「さらに冗談ではない!!!」の世界である。

だからといって「アメリカがけしからん」と言いたいわけではなく、「相手は殺すけど、自分は死なない」という根本思想がない限り、戦争をしかけてはいけないってことなのだろう。それを究極的に求め続けたから、アメリカというのは今のような軍事大国になったのだと思う。これは<戦争>というフィールドで進化するためには重要なコンセプトがそれなのだろう。第二次世界大戦で日本が負けたのは、「自分も死んでもいいけど、相手も殺す」ってメンタルを基本にしていた時点で既に敗戦国だった。

<あらすじ>
代々海兵隊員を輩出してきた家系に生まれ、自身も父と同じ道を歩むべく、1988年に18歳で海兵隊に志願した青年、アンソニー・スオフォード(ジェイク・ギレンホール)は、過酷な訓練を耐え抜き、第7海兵連隊第2大隊司令部中隊付きSTAの前哨狙撃兵として1990年の夏、湾岸戦争の為サウジアラビアへと派遣される。使命感に燃える若き海兵隊員たちとアンソニーだったが、派遣先で待っていたのは果てしない砂漠と訓練、そしてひたすら待機する日々。そして4日と4時間と1分後に、戦争は終わる。


ま、映画というのは、過去の産物を「自分ならこうする」という意識のもとに焼きまわしていくのが常であり、アクションシーンを期待してみたわけではないし、このような映画が出来上がったことには珍しくはないのだが、それにしても新鮮さを感じない映画だった(苦笑)。

・・・しかし、サム・メンデスの評価がどんどんおちてくぞ・・・。『アメリカン・ビューティ』の時は「おお!」って思ったのになあ。やっぱりホモっけのある人の映画はいかんな・・・。

by ssm2438 | 2011-08-21 11:35
2011年 08月 21日

ハンバーガー・ヒル(1987) ☆☆

f0009381_059563.jpg監督:ジョン・アーヴィン
脚本:ジム・カラバトソス
撮影:ピーター・マクドナルド
音楽:フィリップ・グラス

出演:
テリー・フランツ(ディラン・マクダーモット)
アンソニー・バリル (ヴィンセント・ラングィリー)
マイケル・トリック・ボートマン (モータウン)

       *        *        *

ベツナム兵の死者630人:アメリカ兵の死者70人

オリバー・ストーン『プラトーン』のあと、やたらとベトナム戦争モノがもてはやされた。この『ハンバーガー・ヒル』もその中の一つ。
『プラトーン』が、主人公のチャーリー・シーンに視点を置き、ウィレム・デフォートム・べレンジャーの対比で構成されているのにたいし、この『ハンバーガー・ヒル』はもっとストイックに作られている。作風もドキュメンタリー風な作りで(でも所詮はフィクションなのだけど)、感情移入もしずらいし、正直なところ主人公の顔すら覚えていない(苦笑)。映画のなかも、後半はいつまでつづくんだ・・?っていうくらい最後の戦闘がだらだらつづき、戦争の悲惨をを提示してるのだけど、その悲惨なシーンだけがだらだら続くことだけは覚えているのだけど、内容はほとんど覚えられない。構成的には決して見易い映画とはいえないだろう。

この映画がやたらと印象にのこらないのは、メリハリの無さが原因なのだろう。やたらともういいよってくらい戦闘シーンが続く。なので見慣れてしまう。そのシーンを見やすくするためなのか、売りにしたかったのか知らないが、ほとんど昼なのである。
これが『プラトーン』だったら夜戦をいれて、画面的なコントラストをつけている。夜の真っ暗ななかで、弾だけが飛びかい、爆発のときだけその箇所だけが明るくなる。その時だけシルエットでジャングルの中にせまりくる敵兵がちらっとみえる・・。しかしこの『ハンバー・ヒル』ではそういった映画的な演出がないまま、ひたすら見える状況かで見えることを提示し、見えることだけで恐怖とおぞましさを描いている。その辺が演出的にものたりなさを感じたかな。「見せないで魅せる」技がない映画だった・・という印象。

この映画で導入されている「戦争の悲惨さを描くポイント」としては、自軍のヘリが自軍の兵士を撃ち殺していく・・というシーンがある。やりきれなさの漂うシーンだが、作り手としては確かにアクセントとして入れたのだろうが、全体的に抑揚がないので制作意図だけが感じとれてしまい、ちと残念(苦笑)。

役者さんもそれほどメジャーな人は出ていない。今有名な人だと、『ザ・プラクティス』ディラン・マクダーモットが部隊の隊長さんとして出ている。あとちょっと嬉しかったのが、『リッスン・トゥ・ミー』に出てたティム・クイルがちらっと顔をだしていた。

<作戦の背景>
当時北ベトナムは、南部の部隊に武器などを補給するルートとしてベトナムの隣国ラオスをとおるホーチミン・ルートを確立していた。その補給路を断つための作戦がアパッチスノー作戦であり、その一部がハンバーガー・ヒルでの戦いだった。
ここでの戦いが熾烈だったのにはいくつか理由がある。1つは937高地にいたのが、少数のベトコンのような非正規軍ではなく、ラオス国境から進入した北ベトナム正規軍であり、ベトコンより装備も補給も充実していたこと。そしてもう一つの理由は、北ベトナム軍は、空からの攻撃や砲撃をを想定して、バンカーと呼ばれる塹壕で待ち受けていた。ゆえに米軍お得意のヘリボーン攻撃が機能しなかった。
さらに深いジャングルのため、米軍の攻撃ヘリ、ヒューイ・コブラは誤って、ブラボー中隊および187連隊司令部に攻撃して、2名の戦死者、35名の負傷者を出しす事件も起きる。
ハンバーガーヒルの戦いでは、10日間の戦いで、戦死70、戦傷372もの損害を出した。空からの支援はのべ272回、合計450トンの爆弾と69トンのナパーム弾が消費された。北ベトナム軍の第29連隊の第7および第8大隊は、937高地に約630人の遺棄死体があった。

この『ハンバーガーヒル』での戦いが、熾烈を極めたといわれても、硫黄島の玉砕なんかに比べれば最小限の戦死者で終了させたという気がする。相手のベトナム兵の死者630人に対して、米軍は70人なのだから・・・。確かに、戦死した人たちに命は尊いのだが、この価値観が米軍の「力」ということか・・と再認識されられた。

by ssm2438 | 2011-08-21 01:00
2011年 08月 19日

紳士協定(1947) ☆

f0009381_21555331.jpg監督:エリア・カザン
脚本:モス・ハート
撮影:アーサー・C・ミラー
音楽:アルフレッド・ニューマン

出演:グレゴリー・ペック (フィリップ)

       *        *        *

教育映画は劇場にかけんでもいいだろうに。。。。

一人のジャーナリストが、反ユダヤ主義を調査するため、自らを「ユダヤ人」と偽って取材をしていくというもの。そこでであるユダヤ人差別の実態・・・。物語的にはありそうな構図なので、というか、『水戸黄門』だって構成的には同じである。地位のあるものが、虐げられたものの振りをして、世間の現状を見る。そして最後に「ここにおわすお方をどなたと心得る」で終了。ただ、『水戸黄門』は普通にエンタメなんでみてて楽しいのだけど、この『紳士協定』はどうにもうさんくさい。
しかし、考えてみるとエリア・カザンは全部教育映画っぽい。うむむむ、なにかが面白くない。理性で説教されると、見る気がしなくなる。ドラマにおいては感情こそが重要なのに、こんな描き方をされるとなんかしゃくにさわるな。

世間では「良い」と評価される映画だが、気持ちはそんなふうには感じない映画の典型例。
物語は<理性>で語られてはならない。<感情>で語るべし!

<あらすじ>
人気ライターのフィリップ(グレゴリー・ペック)は、週刊スミスの編集長ミニフィ(アルバート・デカー)依頼で、反ユダヤ主義の記事を依頼された。フィルは自分自身でユダヤ人だと偽って取材することにする。そして体感するユダヤ人差別の数々。フィルがユダヤ人と知ると、人々は急によそよそしくなる。フィルの秘書も実はユダヤ人だが、それが知れると雇ってもらえなかったとフィルに告白する。ホテルがユダヤ人を理由にキャンセルしてしまう。
これらの体験取材の結果、フィルの記事が発表される。内容の素晴らしさが評価されると共に、実はユダヤ人でなかったとフィルに対する見方も変わっていく。


ああ、説教映画なんてクソくらえ!

by ssm2438 | 2011-08-19 21:56
2011年 08月 19日

パルプ・フィクション(1994) ☆

f0009381_20591662.jpg監督:クエンティン・タランティーノ
脚本:クエンティン・タランティーノ
撮影:アンジェイ・セクラ
編集:サリー・メンケ

出演:
ジョン・トラヴォルタ (ビンセント・ベガ)
サミュエル・L・ジャクソン (ジュールス・ウィンフィールド)
ユマ・サーマン (ミア・ウォレス)

       *        *        *

私の嫌いな<ホモ・マゾ・バイオレンス>の映画。とにかく生産性のない、ただいたぶるだけのバイオレンスが大嫌いなわたしにとっては、もう受け付けない世界。こんな映画のどこがいいんだ? 当時『レザボアドッグス』で名をはせたクエンティン・タランティーノなので、好かんのは判ってるけど、一度は見ておこうかと思って劇場に足を運んだが、むかむかして途中で出てきた映画。そのあと何回かテレビで断片的にみてしまったので一応観たことにはなってしまうが・・・、ああ、こんなのなんで全部見てしまったんだ??? だいたい3つの話がなんで一つの映画にいれこまれなきゃならんのだ??? 意味不明。

しかし、なんでホモマゾバイオレンス系の人間っているんでしょうねえ。いつもファンタジーの世界でお下劣な妄想して、それを現実でやってみたいと思う欲求はあるけど実際にはできなくて、でもやってしまって人間は犯罪者になる。そのくせい現実世界では決して生産的な思想はもてない。ああ、好かん、好かん。

<あらすじ>
ロサンゼルスの朝、コーヒーショップで不良カップルのパンプキン(ティム・ロス)とハニー・バニー(アマンダ・プラマー)が突然立ち上がり強盗を始めるところから物語りは始まる。しかし、これは実は中盤の出来事であり、物語はその場に居合わせた2人の殺し屋ヴィンセント(ジョン・トラボルタ)とジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)の回想が先である。

この2人はギャングのボス、マーセル・ウォレス(ビング・ライムス)の集金係をやっていたて、盗まれたスーツケースを取り戻しにいって、盗んだ男を撃ち殺して買ってきてたところだった。
このファミレル強盗の結末は最後に語られるだのが、なんとか切り抜けたのだろう。
一方そのボスは、ボクサーのブッチ・クリッジ(ブルース・ウィリス)に負けることを命じていたが、こともあろうにブッチは勝ってしまう。八百長の依頼金を受け取っていたブッチは恋人ファビアン(マリア・ディ・メディルシュ)と逃げようとするのだが、父の大切な形見である金時計を忘れていることを知り、危険を覚悟で再び自分のアパートに戻る。そこにはヴィンセントが待機していたが銃を置きっぱなしにしてトイレに入っていたヴィンセントは逆にブッチに撃たれて死んでしまう。そのごごたごたあるが、結局ブッチはそファビアンとともに街を離れることに成功する。
物語の最終章は一応ここにあるようだ。

ああ、クソ映画クソ映画。

by ssm2438 | 2011-08-19 20:59
2011年 08月 18日

サヨナライツカ(2009) ☆☆

f0009381_21233718.jpg監督:イ・ジェハン
原作:辻仁成
脚本:イ・ジェハン
    イ・シンホ/イ・マニ
撮影: キム・チョンソク
美術: チェ・ギホ
音楽: ソ・ジェヒョク

出演:
中山美穂 (真中沓子)
西島秀俊 (東垣内豊)
石田ゆり子 (尋末光子)

    *      *      *

中山美穂と石田ゆり子は、キャスト入れ替えてやってほしかったかな。

中山美穂って基本的には怖い顔なので、どぎついメメイクをするとドンビキしてしまう。その点石田ゆり子は、どこか幼さが残る顔立ちなので、こういう人にどぎついメイクをすると、いかにも意地張ってそうで素敵な雰囲気になる。

物語は『スウィート・ノベンバー』みたいな感じ。赴任先のタイで知り合った沓子オリエンタルホテルのスイートルームで暮らす謎の女。その女に魅了されてしまった主人公。そして情事。自分だけが彼女にとって特別なj人間なんだと思っていたら、どうやらそれは順ぐりにやってくるめぐり合わせのようなものだった。その実態をしると萎える主人公。でも、やめられない。でもなんとか別れることにするのだが、どうやら彼女のほうも「これはいままでの遊びとは違う何かだ・・」と思い始めたらしい。

その他大勢のなかに一つだと思ってたら、ひつは特別な一つだった・・ってよくあるストーリー。もちろん、良くあるストーリーで悪いことはない。奇をてらったストーリーのほうが悪いことのほうが多い。なので、良くあるストーリーはいいのだけど・・・、うむむむ。それでもちょっと喰い足りないのは、それぞれが選ばれる理由が今ひとつはっきりしないのがダメなのかな。その結果、「べたべたしてくれる女のべたべたしてたけど、時期が来て別れ、25年の月日を経てあってみたらまた懐かしくなった」ってことで終わりそうな話になってしまった。
もうすこし、それぞれが特別だったことを印象付けて欲しかったなあ。根本的にムードだけでおしてるので、「タコ焼きにはいってるタコが小さいぞ!もっと大きくしろ!」って言いたくなる。

でも画面はけっこうしっかりしてる。望遠でとるところは望遠でとってるし、ハンディでしかとれないところは、そうとる理由付けをしてあるし(たとえば本人目線であるとか)、レンズの使い分けもしっかり出来てて、画面だけで最後までみさせてもらえる映画です。特に突出する点をあげるとしたら、カメラ前の<ブック>の使い方が以上に上手い! みてソンはない映画である。
最近の日本の監督さんにこんなレンズワークが使える人がいなくなっているので、以前からすると当たり前のことでも、今の時代だとすごいことのようにもみえる。しかし・・・ほんとに今の日本の監督さんってレンズの意味や視点の意味をまったく理解してない素人がおおい。このままいくと日本映画は崩壊するんじゃないかと思ってしまう。

<あらすじ>
1975年、タイ、バンコク。イースタンエアラインズ社の若きエリート東垣内豊(西島秀俊)がバンコク支社に赴任してくる。彼は東京に残してきた美しく貞淑な婚約者、尋末光子(石田ゆり子)との結婚を控えていた。だが、彼の婚約を祝う祝宴に現れた真中沓子(中山美穂)の艶やかな美貌と官能的な魅力に支配された豊は、体を重ねるようになる。結婚式が近づき、別れなければならないと知りつつも、沓子への気持ちを抑えられない豊か。一方、恋愛を遊びと割り切ってきた沓子は、豊への気持ちが本心であることに気付く。25年後、光子と結婚し、副社長に昇進した豊は商談で再びバンコクを訪れる。かつての想いを胸に、オリエンタルホテルに足を踏み入れた彼の前に現れたのはそのホテルのVIPの接待をまかされていた沓子だった。

--このあたりから燃えてくる。
以前の沓子は感性のままに言葉をはき、しかしそこには真実はないようだった。思いつきの言葉ばかり、しかし、その言葉が、総てを理性で生きている豊かにとっては新鮮だったのかもしれない。そんな沓子との再会。そしてホテルの従業員となった沓子に案内されたあのスイートルーム。そんな沓子をそしておもわず抱きしめてしまう豊。ここからの沓子の台詞が素晴らしい。
いままですべてはぐらかしてきたような沓子の言葉はいまわなく、お客様に接する従業員のビジネストークなのだが、その口調で「ずっとずっと会いたかった」・・と彼女の心情を語るのである。上手い!!!!
一緒に食事にいくと、メニューをみるのにふたりとも老眼鏡をかけないと見えない。おもわずふきだしてしまう二人・・・。上手い!!

そのあとは一度東京に戻って、総てを捨てて、今一度タイにもどってくる豊かだが、案の定沓子は癌におかされていた・・・。
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by ssm2438 | 2011-08-18 21:24
2011年 08月 18日

昼下りの情事(1957) ☆☆☆☆☆

f0009381_17582057.jpg監督:ビリー・ワイルダー
脚本:ビリー・ワイルダー
    I・A・L・ダイアモンド
撮影:ウィリアム・C・メラー
音楽:フランツ・ワックスマン

出演:オードリー・ヘプバーン
    ゲイリー・クーパー

        *        *        *

オードリー・ヘプバーンといえば『ローマの休日』って言う人もおおいかもしれないが、私個人的にはこの『昼下りの情事』ほうが好き。なぜかって云えば、シンプルのこっちのラストシーンにつづくシークエンスはオードリーがけなげで泣けたから。実はオードリー・へプバーンの映画で泣ける映画はほとんどないんだけど、最後の汽車をけなげにおいかけるオードリー・ヘプバーン、どうするんだクープ!おいおいおいおい、まだまだおっかけてきてるぞ、クープ!って、あの健気なオードリーに泣けるんだ。この映画だけはちょっとやられたかなって感じでした。

これは別のところにも書いたのだけど、そのドラマのなかで女優さんがいかに輝くかは、その女優さんが恋している相手次第だと思うんだよね。そういう観点から好くとグレゴリー・だいこん・ペックじゃないんだなあ。どうも彼は私の中では政治くさい顔してて、ほんとの笑顔をださないというか・・、ロボットっぽいというか、弱みをみせないというか、エイハブ船長ならいいんだけど、ああいう新聞記者はちょっとだめだなあ。そのてんこの映画のフラナガン・クープのほうがなんか人間くさくていいんだよね。

f0009381_1858143.jpg<あらすじ>
パリの私立探偵クロード・シャヴァッス(モーリス・シュヴァリエ)の娘アリアーヌ(オードリー・ヘップバーン)は父の扱う事件記録を読むのを楽しみにしていた。そのなかでもっとも興味をしめしていたのがアメリカの億万長者フラナガン(ゲイリー・クーパー)に関する資料。ある依頼人から彼の妻とフラナガンの情事の証拠写真とるように要請されていた。その依頼人が写真を見ると「フラナガンを殺す」といきまく。それを聞いてしまうアリアーヌ。翌日この事件が気になってフラナガンの泊まっているホテルへ行くアリアーヌ、彼女の機転で夫人は逃れ、危ういところを助かったフラナガンは、彼女と明日の午後を約束する。
翌日、あんな浮気男とデートなどすまいと思ったものの、アリアーヌは結局ホテルを訪れる。この映画のなかではちょっと背伸びをしようとするオードリーが実にかわいいのだ。食事と美しいムードミュージック、しかしやがてフラナガンがパリを出発する時刻が来て、2人はいかにも世慣れた遊び人同士の如くあっさり別れるのだった。
f0009381_18581077.jpg数ヵ月後、再びパリを訪れたフラナガンはアリアーヌに会うことになる。皮肉にも今度はフラナガンがアリアーヌに参ってしまう。偶然出会った婦人の走行調査を依頼した男にあい、「ある女のことを調べたいのだが、誰かいないか?」と相談すると、私立探偵のクロード・シャヴァッスをすすめた。アリアーヌの父である。
シャヴァッスが調査してるとそれが自分の娘であることが判明。シャヴァッスはフラナガンに「あの婦人は箱入り娘で当人の言ったことは全部作り話、あの娘を愛しいと思ったら、パリを離れることだ」と報告する。
世慣れた風を装い、アリアーヌはリオン駅ホームまで見送るが、お互いに別れがたい。やがて発車の時、フラナガンの乗った列車をおって走るアリアーヌ。精一杯つよがっているオードリーが健気で健気で・・。
さあ、どうするんだクープ!!

by ssm2438 | 2011-08-18 17:36 | ビリー・ワイルダー(1906)
2011年 08月 14日

バブルへGO!! タイムマシンはドラム式(2006) ☆☆

f0009381_122445100.jpg監督:馬場康夫
原作:ホイチョイ・プロダクションズ
脚本:君塚良一
撮影:松島孝助
音楽:本間勇輔
VFXプロデュー

出演:
阿部寛 (下川路 功)
広末涼子 (田中真弓)

       *        *        *

『私をスキーに連れてって』からつづくホイチョイ・プロが作った話を、やっぱり馬場康夫が監督した作品。この人の作品というのは、なんというか、凡人に劣等感を抱かせず、ゆる~~~く愉しませるという作り。本人自身がそういう人なのだろう。ただ、私にしてみると、そこに描かれている人間性がゆるく、執着心が弱いキャラばかりなので、ガツンなインパクトはない。真剣にドラマにのめりこんで見るのではなく、みんなと一緒にわいわいがやがや、笑いのネタにしながら見る作品。ドラマよりバラエティ番組が好きな人向けの映画かな。なので、私としてはどうでもいい作品なれど、やっぱり君塚良一が書くとそれなりに面白い。『ナニワ金融道』を見たときは「うわ、この人面白い」って思ったが始まりで、のちに『踊る大捜査線』をみることになったのだが、この人の普通の人に見やすくい、敷居の低いドラマ作りにはなかなか感心させられる。

しかし・・・バブルの時代ってそんなによかったんですかね?
アニメ業界にいる私としては全然裕福だった感じはなかったのですが・・(苦笑)。ま、この業界はいつの時代も貧乏だとは思うけど。ま、そんな私のぼやきはおいといて、このバブル時代のデフォルメは面白かった。ジュリアナ東京みたいにディスコでワンレン・ボディコンのお姉ーちゃんが踊りまくってたじだい。やたらと女性の肩パットが張り出してたじだい。眉毛が今みたいに細くなかった時代。

<あらすじ>
経済は破綻し、国家の崩壊が目前に迫っていた2007年の日本。この危機をなんとか食い止めようと、財務省に勤める下川路功(阿部寛)は、タイムマシンの開発者の田中真理子(薬師丸ひろ子)とともに、バブル崩壊を食い止め、歴史を変えるプロジェクトを進めていた。しかしバブル時代の東京にタイムスリップした真理子は行方不明に・・・。田中の娘・真弓(広末涼子)は、母親を救うために、ドラム式の洗濯機型のタイムマシンで1990年の世界へと乗り込む。
バブル景気の絶頂に浮かれている東京で、この計画を何も知らない若き日の下川路と出会う真理子。当時の彼は、今とは別人のような軽薄な遊び人だった。真弓はなんとか下川路を納得させ、協力を得る。やがて真理子を無事発見。そして実は、真弓が下川路と真理子の間に出来た娘であることが判明する。すべてを知った彼らは、力を合わせて最悪の事態を回避させ、日本経済を救うのだった。

最後の真理子からめたどたばたはちょっとうんざりだったのだけど、バブル時代の描写はなかなか楽しい。眉毛の太い飯島直子がみられたのは嬉しい。あのころは全く気にしてなかったが、今に比べるとたしかにあの頃は眉毛が太かった。

by ssm2438 | 2011-08-14 12:31
2011年 08月 13日

波の数だけ抱きしめて(1991) ☆

f0009381_15361199.jpg監督:馬場康夫
脚本:一色伸幸
撮影:長谷川元吉
音楽:松任谷由実

出演:
中山美穂 (田中真理子)
織田裕二 (小杉正明)
別所哲也 (吉岡卓也)
松下由樹 (高橋裕子)

       *        *        *

黒い中山美穂は・・・・・ダメだ。美しくない!
しかし・・・、不覚にも、松下由樹が可愛くみえた(苦笑)。


物語りは、なんでこの話がこうなのかよくわからない映画。当時の製作者に、なんでこんなふうに終わらせたのか聞きたいものだ。最後、中山美穂織田裕二をひっつけて終わったときの満足感と、別れさせて終わった時の満足感(本作はこうなっている)と比べてみた時、どちらが気持ちよく満足できるかということは、普通の人間なら判りそうなものなの。だけど、世の中にはそれが判らなかった人もいるってことを確認できた映画。

あのバブル時代の(アニメ業界はいつでも貧乏だったけど)、のんきな一生懸命さが全面に出た映画なのかな。物語を簡単に整理すると、結局、「2人の想い」は「偶然」に負け、それでもいっかー、あの時代はよかったよねーで終わってしまった。・・・おい! もっと志を高くもてんのか? 想いを強くもてんのか? って言いたくなる。ま、ホイチョイプロの映画ってのはこのゆる~~~~~い凡人的一生懸命さが本質だったのだろうけど、私には、たんに根性無しどもめ!て思えてしまえる。

<あらすじ>
物語は田中真理子(中山美穂)の結婚式から始まる。そこにあつまった昔の仲間。小杉正明(織田裕二)もそのなかにいた。結婚式の帰り、小杉は思い出の湘南の浜で10年前の思い出に浸る。

なので時代は80年代前半。
まだCDはなく、ラジオ局はレコードをかけていた時代。

大学4年生の小杉、芹沢、真理子、裕子(松下由樹)の4人は、真理子のバイト先のサーフショップを拠点にノンストップ・ミュージックのミニFM局Kiwiを運営していた。真理子はのDJとして人気をあつめていたが、秋から始まるロスの大学の新学期に編入しなければならなかった。
真理子に一目ぼれした吉岡という広告マン(別所哲也)は、FM放送局の計画を知り、茅ヶ崎から森戸まで湘南の海辺をカバーするFM放送局「FM湘南」の設立を会社に提案。同時に吉岡は真理子に9月までアメリカ行きを延ばすよう頼み込み、真理子もそれを了承するのだった。
7月3日、明日が試験放送開始の前日、真理子に「行くな!」という決意をした小杉だったが、真理子は吉岡に誘い出されて行ってしまう。グレて裕とビールを飲む小杉。一方吉岡は、真理子の気持ちが小杉にあることをしり、残念な自分の立場を知る。放送局に帰った真理子は、抱き合っている小杉と裕子を見てしまう。気持ちがこじれたまま試験放送開始の当日。スポンサーもその放送を聴きに湘南に向かっている。真理子は現れない。しかし既に初回放送分の声はテープに吹き込んであった。ついに放送は開始される。その放送を聴いて安心した真理子は車で湘南を離れていく。きっと真理子は聴いていると吉岡に言われた小杉は、テープからのプラグをはずしマイクに向かって「好きだー」と連呼する。しかし、真理子の乗る車は湘南を離れるトンネルのなかにあり、既に電波は届いていなかった。。。。

・・・ああ、そんなことがあったなあと、真理子以外の4人が放送局あとに集っておしまい。
うむむむむむ~~~、ゆるい。
偶然にまけて「まあいいか」と許せるあの時代のゆるゆる感がどうにもイヤだ。
ま、個人的にはホイチョイプロの映画はどれも好きになれない。きっとこの映画を作ってる人が、そんな精神だったから映画もみんなそんな映画になったのだろう。

しかし、最後は中山美穂を出せよ! 
別に彼女が他の男と結婚してもそれはそれでいいけど、物語としてみると、気持ちが完結しないだろう。昔の仲間の写真をちらとみて、「あ、そんな季節もあったな」と懐かしさに想いをはせるシーンをいれるのが普通だろう。最後の最後まで、執着心の弱いスピリットの映画だった。

by ssm2438 | 2011-08-13 15:36