主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

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f0009381_1144283.jpg原題:CERTIFIED COPY

監督:アッバス・キアロスタミ
脚本:アッバス・キアロスタミ
脚色:マスメ・ラヒジ
撮影:ルカ・ビガッツィ

出演:
ジュリエット・ビノシュ (彼女)
ウィリアム・シメル (ジェームズ)

       *        *        *

なにを撮ってもたいくつなキアロスタミのいらつく映画。。。。

ただ、キアロスタミの映画が、心は「つまんない」と感じているのだけど、言葉では「よかったね」と言わなければいけないような強迫観念をもたせるある種の毒はある。なのでまるっきり見る価値がないわけではない。しかし、退屈なことだけは確かだ(苦笑)。

この映画のモチーフ鳴っているのは、擬似夫婦シチュエーション。2人の男女が、夫婦と間違えられたことから、とりあえずそのシチュエーションでその場を過ごしていくという物語。なかなか魅力的なシチュエーションである。
『男はつらいよ・寅次郎物語』(第39作目、マドンナ:秋吉久美子)がやはりこのようなシチュエーションだった。寅次郎の旧友が亡くなり、残された子供と一緒に家を出ていた母を探すという物語。その旅先でその旅先で子供が熱を出した時に、隣の部屋にとまっていた秋吉久美子の世話になり、そのとき夫婦と間違われてから、しばしの間夫婦を装うという展開になる。
その話では、秋吉久美子は、その旅館で不倫相手を待っていたのだが来なかったという設定。秋吉久美子にしてみれば、心が宙ぶらりんの状態のときに、『夫婦』という女性にしてみればソリッドなシチュエーションを体感することになる。一方寅次郎と子供にとっては、彼女がつかの間の「おかあさん」を感じられる存在となる。
そんな突発的な補完状態のなかで、徐々に情が芽生えていく・・というシチュエーション。
心をときめかせるストーリー構成における雛形の一つである。
このキアロスタミの映画もこれにあてはめて作られている。

本作のテーマとなっているのは、「贋作とはなんぞや?本物とはなんぞや?」という古からのテーマ。「この世の中にオリジナルなどない!」というのが基本の概念となっている。総てのものはなにかのコピー+アレンジであって、オリジナルなんて概念はない。ここでは一組の男女が、夫婦と間違われたことから夫婦を演じていくが、それが本物ではないとどうしていえる? ・・というのがキアロスタミの主張らしい。
実際その主張は正しい。なので、振り出しに戻るのだが、この映画がたとえ面白くなくても、言葉では「よかったね」と言わなければいけないような強迫観念をもたせることになる。

・・・・でも、だからといって退屈であることは否定できない(苦笑)。

ああ~~あ、『風が吹くまま』(1999)は良かったのになあ。
あれを期待すると裏切られるばかりで、でてくるのは退屈ないつものキアロスタミばっかりだ。

本作は、物語の冒頭で失敗してる。
どうやら主人公のジュリエット・ビノシュは、彼女の町を訪れた小説家のジェームスにある種の興味をもっているのだろうが、それがどれほどのものなのか、どのような想いなのかがはっきり判らない。モチベーションの設定があいまいなのだ。どうやら物語りは、彼女がジェームスを好きらしいという設定で進んでいるのだけど、それを冒頭から感じることが全く出来なかった私にとっては、総てが空々しく思えてしまった。憧れ(の対象のはずの)の小説家の講演会で、彼の話を聞こうともしない彼女。にもかかわらず、自分のとこの電話番号を翻訳家さんに渡して、彼に渡すように頼んだりする。その程度の興味しか示さないのに、なんでそんな展開になるんだ???って理解不能。
冒頭の入りで失敗してたので、あとにつづく会話もなんだかそらぞらしい。何のためにそうしているのかがわからないまま、物語が進行していくのでいらいらが募っていくのであった・・・。

この映画がいらつくのは、キアロスタミのいやらしさが臭いたってるところだろう。
「ぼくはこんなに高尚な映画を撮ってるのだが、君達にはわかるかい?」みたいな・・・。しかし、見ている我々割れとしては、もうあきるほどそんな映画をみてるので、正直うんざりしている。これが映画をいっぱい見てる世界の監督さんだったら、「もういっぱいこんな映画は見てるとは思うんですけどねえ・・、私もこんなの作ってみたんですけど、ちょっと見てくれませんか」みたいなディーセントな態度で映画を撮ってるものなのだが、このキアロスタミは、映画マイナー国のイラン人監督。どうも、そのへんの見ている人心理がわかってないらしい。
by ssm2438 | 2011-09-25 11:45
f0009381_7515236.jpg原題:PROPHECY

監督:ジョン・フランケンハイマー
脚本:デヴィッド・セルツァー
撮影:ハリー・ストラドリング・Jr
音楽:レナード・ローゼンマン

出演:
タリア・シャイア (マギー)
ロバート・フォックスワース (ロブ)
アーマンド・アサンテ (インディアンのリーダー)

       *        *        *

フランケンハイマーにガキ向けの要素があるものを撮らせてはいけない!

『グリズリー』(1976)に<『ゴジラ対ヘドラ』(1971)をかけあわせてゴジラを引いたような映画。
トホホ・・なフランケンハイマーが続いております(苦笑)。

しかし・・・・ほんとに『ブラックサンデー』以降のフランケンハイマーはどうしちゃったんでしょうねえ。悲しいまでに崩壊してます。その『ブラックサンデー』の次にフランケンハイマーが撮ったのがこの映画。というわけで、フランケンハイマーの低空飛行はこの映画を境に始まったという、ある意味、ターニングポイント的作品(苦笑・・、こんなターニングポイント、誰も期待してないよ!)。
プロデューサーはロバート・L・ローゼン。実はこの人、フランケンハイマーとよく一緒に仕事をしている人で、『ブラック・サンデー』も『フレンチ・コネクション2』もこの人のプロデュースによるもの。その次回作がなんで『プロフェシー/どろどろ熊の着ぐるみ』なん?? 理解不能。

とくに前半がかなりたるい。
この手の映画は、モンスターを見せずにいかにもったいぶらせながらも、観客を魅了するかというのがポイントなのだが、その部分がただただたるいだけという、困ったものだ。本来こういうのは得意なはずなのに・・。
フランケンハイマーはその物語を世界観をリアルに描くことが真骨頂なのだが、この映画ではファンタジーが入り込んでしまい本来もってるフランケンハイマーの良さをころしてしまった。これがモンスターを登場させずに、ある企業の化学物質の不法投棄とあばく主人公のポリティカル・サスペンスだったらかなり面白かったはずなのに・・・。
フランケンハイマーにガキ向けの要素があるものを撮らせてはいけない! この人はひたすら大人の世界を撮るべき人である。監督の描きたい世界観と物語の世界観が相容れなかった時に起きる、作り手のオーラ欠乏症が観てててわくわくしない原因だな。こんなのはスピルバーグにやらせときゃいいんだ。
・・・ったく、シナリオにある言葉をそのまま撮っただけ・・というような悲しい映画であった。

<あらすじ>
首都ワシントンのERドクター、ロブ(ロバート・フォックスワース)は、メイン州の山奥で起っている、製紙工場と先住のインディアン間の森林の権利をめぐるいざこざを解決するための調査を依頼され、妻マギー(タリア・シャイア)とともに現地に飛ぶ。
一方、その山では、製紙工場のパルプ材伐採作業員が2人行方不明になり、その捜索に出かけたレンジャー部隊の隊員も遭難、彼らの死体が発見されるが、すたぼろにされていた。
製紙工場の責任者イズリー(リチャード・ダイサート)は、二重遭難事故はインディアンの仕業に違いないと訴えた。しかし現地では奇妙はことがいおきはじめてたい。湖の魚は巨大なものが多く、インディアンに病気や機能障害を訴える者が多く、死産や奇型児の出産が増えているという。インディアンのリーダー、ホークス(アーマンド・アサンテ)と会ったロブは、彼から、それらの原因がすべて製紙工場にあるのだということを聞かされる。製紙工場を見学に出かけたロブは、向上で使われているメチル水銀が原因であると確信する。
それからやっとどろどろクマさん登場。登場人物がひとりひとり殺されていき、主人公が最後にクマさんを倒して森を去るが、そこから新たな熊野咆哮が聞こえてくる・・・。
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by ssm2438 | 2011-09-23 07:59 | J・フランケンハイマー(1930)

対決(1989) ☆

f0009381_13192739.jpg原題:THE FOURTH WAR

監督:ジョン・フランケンハイマー
脚本:スティーヴン・ピータース/ケネス・ロス
撮影:ジェリー・フィッシャー
音楽:ビル・コンティ

出演:
ロイ・シャイダー (米軍ノールズ大佐)
ユルゲン・プロフノウ (ソ連軍バラチェフ大佐)

       *        *        *

男ですいません。。。。

あまりにくだらない映画なのだけど、愛すべき映画というのはある。この映画はそんな映画。でも、じっくり観るとかなりあほな映画なので、やっぱりダメ映画だとは思うのだけど・・・(苦笑)。

『ブラックサンデー』(1977)までは輝いていたジョン・フランケンハイマーなれど、この作品のあとはがたがたになってしまう。この映画はそのなかにおいてはまだまともだと、一部のフランケンハイマーファンには支持されてはいるが、私にはそうは思えない。あまりに話が無責任というか、なんというか・・・、ガキのケンカをそこまで拡大してっていいのかって私でも思ってしまう。つまり、理性が入ってくるとこの映画はただのアホ映画になってしまうのだ。ということは、理性よりも感情先行で見せていかないといけないのだけど、それが出てないからただの子供のあそび映画になってしまったのではないだろうか・・・。

ちなみに私もジョン・フランケンハイマー、大好きである。

<あらすじ>
チェコと西ドイツとの国境。ある日、駐屯米軍の指揮官、ノールズ大佐(ロイ・シャイダー)の前で、チェコ側からの亡命者がソ連軍に射殺される。ことは外交的手段によってことは穏便に解決されることになったが、それでは気がすまないノールズは、独断で単身国境を越え、個人的復讐にむかう。しかし、そんな対した復習ではなく、警戒中のソ連兵を銃でおどかし、自分のためにハッピーバースデイ~と歌わせて、一発手りゅう弾を爆発させる程度のやんちゃな復習だった。翌朝その知らせを知った駐屯地のソ連軍の指揮官、バラチェフ大佐(ユルゲン・ブロフノウ)もこれに報復、深夜に米軍のテリトリーにしのびこみノールズのジープを破壊するという報復に出た。こうして巻き起こった2人の指揮官同士の個人的戦いは、争いを好まない上層部や部下の意向などお構いなしにどんどんエスカレートしてゆく・・・。
個人的なうらみつらいと意地の張り合いに付き合わされる形で陣営の報復合戦はどんどん戦争状態になっていく。そんな対決も、最後は国境付近の雪原でノールズとバラチェフは武器を棄て、素手で殴り合いのケンカになる。いつしか集まった米ソ両軍の兵士が音も無く見守る中、2人はやがて息も絶えだえになって力尽きた頃、2人は互いを理解しあったのか、健闘を讃え合うかのように雪玉を投げるのだった。

・・・という戦争さわやかスポ根ものでしたとさ・・・。
by ssm2438 | 2011-09-22 13:20 | J・フランケンハイマー(1930)
f0009381_23223018.jpg監督:ジョン・フランケンハイマー
脚本:エルモア・レナード/ジョン・ステップリング
撮影:ヨスト・ヴァカーノ
音楽:ゲイリー・チャン

出演:
ロイ・シャイダー (実業家ハロー・ミッチェル)
アン=マーグレット (ハリーの妻・バーバラ)
ケリー・プレストン (ハリーの愛人・シニ)

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『ブラックサンダー』の輝きはどこに・・・

<あらすじ>
鉄鋼会社を経営ハリー・ミッチェル(ロイ・シャイダー)は、浮気現場をビデオに撮られて犯人グループから恐喝されルことになる。隠し切れなくなったハリーは妻のバーバラ(アン=マーグレット)に告白。困惑するが、そこは夫をサポートするしかないバーバラ。浮気相手の友人から得た情報で、犯人はポルノ映画館支配人のアランら3人だということがわかった。ハリーは年間5万2000ドル(1週間に1000ドル払うと申し出てる。その金をめぐり仲間割れがおき、その中の一人が殺される。しかし、アランは人質にバーバラをとり、金を要求。待ち合わせ場所にむかうハリーは、車に爆弾をしかけ、バーバラ救出に成功、犯人を絶滅させたのだった。

正直なところか~な~り~退屈な作品。嘗てのフランケンハイマーの輝きをしっているものにとってはなんとも消化不良になる映画である。ま、見ててよかったものといえばケリー・プレストンのオッパイくらいだ(苦笑)。

不思議なのが一週間で1000ドルというお金。ま、今のレートだと1週間に8万円、月32~40万円である。それをさらに3人で山分けするとなると、週に3万円の小遣い程度というわけだ。そういえば宇野元総理の愛人が月30万円もらっていたという話だから、会社経営者にしてみるとさしてすっごい大金というわけではないように思える。そのお金をめぐって犯人達が仲間割れというのもどうなんでしょうねえ? 実に貧乏くさい犯人である。

ロイ・シャイダー『ブルーサンダー』のパトロールヘリのパイロット。そして『2010年』のヘイウッド・フロイド博士。一番有名なのは『ジョーズ』『ジョーズ2』の警察署長である。バート・レイノルズあたりだとまだピンとくるのだが、ロイ・シャイダーだとどうしてもインテリ系のイメージがあり、あんまりタフガイな感じではない・・。ミスキャストだったんじゃないだろうか・・・。
by ssm2438 | 2011-09-20 23:23 | J・フランケンハイマー(1930)
f0009381_1453551.jpg監督:増村保造
原作:有吉佐和子
脚本:新藤兼人
撮影:小林節雄
音楽:林光

出演:
若尾文子 (妻・加恵)
高峰秀子 (於継)
市川雷蔵 (雲平=華岡青洲)

       *        *        *

猫が・・・・猫が・・・・。
その猫・・・、どこまで本当なのですか?


増村保造の映画の中では『清作の妻』『赤い天使』『陸軍中野学校』が好きなのですが、その次といえばこの『華岡青洲の妻』でしょう。嫁と姑の水面下の壮絶な争いの話なのでが、正直なところ男はあまり見たいという感情がわかない、というか見たくないという部類の映画です。なので「良い」とは聞いていたのですがずっと放置してあった映画。ついに見てしまいました。
・・・・しかし、あいかわらずこの2人(増村保造&新藤兼人)が組むと壮絶ですな。

華岡青洲は江戸時代後期に実際に存在したお医者さん。文化元年10月13日(1804年11月14日)、全身麻酔手術に成功している。西洋での全身麻酔手術は、1846年にアメリカで行われた、ウィリアム・T・G・モートンによるジエチルエーテルを用いた麻酔の手術であるが、これよりも40年も早いことになる。
前身麻酔にいたるまでは、犬や猫の動物実験をおこない、その後この映画のなかにあるような人体実験をしたのち、実際に全身麻酔の手術がおこなわれる。この映画のなかでは、母と妻がその人体実験の被験者として申し出るが、本人自身も自分に投与していたようである。また、文献によれば、近親者も被験者として申し出た人がいたという。

物語の中核をなすのが、この嫁と姑との水面下の争いなのだが、この描写がなかなかスゴイ。2人とも対外的な面子をたもちつつ、自分の存在意義のために熾烈な心理戦を繰り広げている。
これはほとんど星一徹星飛雄馬との対決のようでもある。なんでも星一徹の背番号84の意味は、星飛雄馬の背番号16と足すと100になる。父が息子を飲み込み100になるか、それとも息子が父を飲み込み100になるか・・・、それがゆえに星一徹が望んでもらった背番号だという。この物語もまさにそのような感じである。

物語は冒頭からなかなかぎょお!!である。
加恵(若尾文子)を嫁に欲しいといって彼女の実家をたずねたのは雲平(華岡青洲のこと)の母、於継(高峰秀子)であった。しかし本人は京に修行にでており、本人不在のまま結婚式が行わる。白無垢の加恵の隣には華岡家の医学書がつんでる。そのなかで、雲平の父が家族の構成を説明したり、「華岡家がいかにすごい」かということをえんえんと語る。加恵が雲平(市川雷蔵)と会うのはそれから1~2年してからなのだ。しかし、だからといって加恵が不幸だったかといえばそうではない。むしろ一番幸せだった時間がこの次期だったかもしれない。実は雲平の母、於継こそが、加恵の幼き頃からの憧れであり、姑と一緒にいられることが加恵の幸せでもあった。しかし、雲平が還って来て、加恵が息子と床を一緒にするようになってからは於継の精神状態が変化してくる。

そしてぎょぎょおおお!!とするのが猫。麻酔薬をつくるために猫があっちこっちからもらわれてきては、無理やらに試薬を飲まされ、二度と起きないまま土に埋められていく。死んでいる猫の描写は、投薬されてらりってる猫の様子などけっこう痛々しい。さらに投薬され、眠っている猫のはらにメスを突きさせしてみる。ぎゃあっと暴れだす猫。「まだ効いてなかったか・・・」と残念がる雲平。このあたりもちょっと目をおおいたくなる。ホントにやっちゃってるかもしれない・・と思えてしまうシーンなので、けっこう肌寒いものを感じる。どこまでリアルなのかは不明だが、演出ならスゴイ。本当ならかなり嫌悪感を感じる。

良くも悪くも増村保造であった。
by ssm2438 | 2011-09-20 14:56 | 増村保造(1924)

泥の河(1981) ☆☆☆☆☆

f0009381_319460.jpg監督:小栗康平
原作:宮本輝 『泥の河』
脚本:重森孝子
撮影:安藤庄平
音楽:毛利蔵人

出演:
朝原靖貴 (板倉信雄)
田村高廣 (板倉晋平)
藤田弓子 (板倉貞子)
桜井稔 (松本喜一)
柴田真生子 (松本銀子)
加賀まりこ (松本笙子)

       *        *        *

この映画の銀子ちゃん以上に憧れを抱ける女性キャラなんてそういないでしょう。

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のサガちゃん(メリンダ・キンナマン)と双璧をなす美少女キャラといえばこの『泥の河』の銀子ちゃん(柴田真生子)しかいないでしょう。
こんな女の子がいたらそりゃもう、一生のマドンナになってしまいますよ。この物語の主人公の信雄は、一生彼女以上の女性にはめぐり合えないでしょう。彼は銀子ちゃんを理想の女性として心のそこに定着させ、この物語のあとに続く人生のなかでも、彼女を投影できる女性を追い求めることでしょう。しかし、「この子はあの銀子ちゃんじゃない!」って現実を認識すると、その時点で恋はさめちゃうのでしょう。まさに少年の日の憧れどこまでも・・て感じです。

この映画をみたのは20年前で、当時はその昭和30年初頭という世界をよくこれだけ再現できたものだと感心できないくらい感動しました。それは昭和30年を再現した画面ではなく、昭和30年に撮ったような世界観、空気感そのまんまなのです。この空気を再現しただけでもこの映画はスゴイ。
しかし、そんなことをスゴイっていうのはチキンでしょう。それ以上にすごいのがこの映画が描き出す少年時代のみずみずしいメンタリティ。そして大人の世界の片鱗を垣間見る時のトキメキと嫌悪感。そして自分の無力さと、甘ったれ具合に対する罪悪感。

結局「人生」というのは麻雀のようなものであり、自分のどんな牌が回ってくるかなんてのは選べないのである。そしてそのまわってきた牌で戦うしかないのである。そこにはラッキーな奴もいればドツボの牌が回って来た奴もいるだろう。そして残念なことに、麻雀のように何回も繰り返されるわけではない。ドツボな牌がまわってきても人生は1回しかないのだ。

<あらすじ>
この物語の信雄は小学3年生、家は川辺でうどん屋をやっていた。時代は戦後復興まっさかりで、どんどん経済成長が加速していくなか、取り残されたような環境だといっていい。ある日のこと、信雄が気づくと、反対側の岸に一隻の舟がいつからか停泊ている。
ある雨の日、信雄は喜一という少年と知り合う。喜一の家はその舟らしい。その舟に遊びにいき、喜一の姉の銀子(柴田真生子)とであう。岸でころんで泥だらけんなった足を、銀子は丁寧に洗ってくれる。

--いきなりの色気にトキメイてしまう。と同時に、ある種のいかがわしさを感じてしまう。銀子は11歳なのだが、すでに「女」の立ち振る舞いが身についているのである。
信雄がうちに帰り、「今度キっちゃんを家に呼んでもいいか」と父親(田村高廣)にたずねると、1秒間をおいてから「ああ、いいよ」と答える。しかしその後「夜はあの舟に遊びにいったらいかんぞ」と理不尽な言葉が付け加えられる。やがて彼女の母(加賀まりこ)は、その舟で男に抱かれ生活をしていることが判って来る。この物語は、まだオネショもやまない小学生が、大人の世界を徐々に垣間見始める物語なのだ。

f0009381_3154863.jpg食事にまねかられキッちゃんと銀子は信雄の両親に手厚いもてなしをうけるのだが、信雄の母(藤田弓子)に「べっぴんさんやなあ」と言われると、一瞬表情をこわばらせる。きっと母を抱きにきた男達に同じ言葉をなんども言われているのだろうと推測する。
食事のあと母が、自分のお古を銀子に着せてみる。あまりの可愛さに、弟の喜一も、信雄もまともに見ることが出来ない。きっと一緒にくらしている喜一でさえ、姉に対してあまずっぱい性の香りを感じてしまうのだろう。11歳という年齢ながら、あまりにも「女」としてその立ち振る舞いが完成されすぎているが、2~3つ年上で子供として接することもできる女の子。
のちに、店が忙しい時に銀子が手伝ってくれるようなエピソードがある。仕事のあとなのだろう、銀子が信雄の母とお風呂にはいっているシーンがある。そこで藤田弓子の背中を流しながら「内風呂にはいったのはこれが2回目だ」という話をする。船上をオシッコをするときどうやってするのか・・ということをなんのくったくもなく話す銀子ちゃん。外で信雄の父親の手品にみとれていたキッちゃんが「姉ちゃんが笑ろてる」ってぼそと言う。

祭りに日、親にお小遣いをもらってキッちゃんと一緒にいく信雄だが、「一緒にもっといて」とキッちゃんにわたした50円玉ふたつは、キッちゃんのポケットにあいた穴からいつの間にか落ちてなくなっていたりする。悪いとおもったのだろうキっちゃんは「いいもの見せたるわ」と信雄を舟に招く。舟につくとキッちゃんは河につけた竹ボウキを引き上げる。そこにはカニがいっぱい張り付いていた。「これ全部おまえにやる」というキッちゃん。
やるといわれてもまったく欲しいとも思えない信雄。
「こうすると面白いで」と、そのカニをアルコールランプのアルコールに漬けて、舟の窓辺をあつせつつ、キッちゃんはそのカニにマッチで火をつける。燃えながら移動するカニ。信雄にとっては面白いどころか恐ろしいだけだった。その火のついたカニがいっぴき舟の後方に張っていく。家事になってはと思い這い出て燃えてるカニを追う信雄。そして信雄はそこで、男に抱かれている信雄の母を見る。

自分が無力で幸せなことに無性に罪悪感を覚える信雄。悲しくなって家に帰ろうとすると、橋の上で銀子に出会う。きっとうどん屋の手伝いにいっていたのだろう。そしてその銀子に「ああ、この人も大人になったらああなるのかな」と想う信雄。なんだか生き急げていない自分が悲しくなるのであった・・・。キッちゃんと銀子が生活している世界は、信雄にしてみれば、明らかに大人の世界なのである。

実は劇中もう一つ、平凡にみえていた自分の父と母にも過去に男と女の出来事があったことを知るエピソードがある。どうやら父と母の結婚は略奪愛だったようだ。なにげない一言一言、その立ち振る舞いのなかに、その背景にある不幸や劣等感、そしてそれを感じなくて良い瞬間の描写が丁寧に塗りこめられている。それがこの映画なのだ。

80年代の日本映画のなかでも傑作の一つだろう。
by ssm2438 | 2011-09-19 03:19
f0009381_15442923.jpg原題:DEAD CALM

監督:フィリップ・ノイス
脚本:テリー・ヘイズ
撮影:ディーン・セムラー
音楽:グレーム・レヴェル

出演:
ニコール・キッドマン (レイ)
サム・ニール (ジョン)
ビリー・ゼイン (ヒューイ)

       *        *        *

おおおおおおお、ディーン・セムラー、カッコいい画面!!

初めてこれを見たときは、夕方から夜のシーンだったので、けっこう黒がかっこよくて、「あれ、ゴードン・ウィリス??」って思ったら・・・ディーン・セムラーでした。今日の午後ムービープラスでやってたのでついついみてしまった。
・・・しかし、あいかわらずディーン・セムラーの画面はしっかりしてます。
ディーン・セムラーといえばどうしても『ダンス・ウィズ・フルヴス』のタタンカシーンという印象がありますが、この人の色の見栄えはすばらしいのです。明るい色と暗い色の同居のさせ方が上手いというか・・、ひとことでいうとコントラストの調節がきわめて適切だなということなのかもしれません。ゴードン・ウィリスと間違えるくらいの画面なので、画面の質は高い人なのですが、ゴードン・ウィリスとくらべてもっと動的(アクティブ)な感じ。ゴードン・ウィリスをもう少し見やすくして(苦笑)、一般人剥けのカメラワークにしたらディーン・セムラーになるんじゃないだろうか。ゴードン・ウィリスほどの研ぎ澄まされたまでの《氷のフィルター》感はないのだけど、一般的受けしそうなアクション映画をプロデュースすることになったら、私はこの人に撮影監督頼みたいですね。

お話は、ほとんど3人で構成されているシチュエーション・サスペンス。
スリラーものなのでじらしとハラハラドキドキしか見せる部分はないのですが、フィリップ・ノイスの仕事としては案外一番いいかもしれない。この映画の後にジョン・マクティアナン『レッド・オクトーバーを追え』につづくジャックライアン・シリーズの監督をやることになったフィリップ・ノイスですが、風呂敷を広げすぎるとちょっと描き方がものたりないかなって気がする。しかし、シチュエーションごとの描き方は才能を感じるので、コンパクトなつくりの本作みたいなのがあってるのかもしれない。

本作はワンちゃんが良い味だしてる。狂人男と2人だけのシチュエーションにおちいったニコール・キッドマンが旦那のサム・ニールが追いかけていることに気づき、なんとかヨットを止めようとしてエンジンの鍵を海にすてちゃうのだが、こともあろうに忠犬〇〇がそれを海に飛び込み拾ってきてしまうしまう。こんな犬殺してしまえ、ホトトギスって思ってしまいます(笑)。

ヒロインは、まだトム・クルーズとひっつくまえのニコール・キッドマン。
個人的は「怖い顔の女優さん」のカテゴリーにはいっている人で、あんまり好みではないのだけど、世間では好まれている様子・・・。一応申し訳程度にヌードシーンも提供してくれてます。初期の頃のニコール・キッドマンとえいば『デッドカーム』『冷たい月を抱く女』と印象があった。基本的には「怖い顔」なので可愛い系でいくよりも、『冷たい月を・・』系の話のほうがしっくりくると思うな。
ちなみに『冷たい月を抱く女』はゴードン・ウィリスが撮っている。

<あらすじ>
夫のジョン(サム・ニール)とヨットのクルージングに出たレイ(ニコール・キッドマン)は、前方に船を発見、その船から尋常でない様子の男(ビリー・ゼイン)が手漕ぎボートで脱出してくる。船は電源もダウンし、浸水が激しくまもなく沈没いそうだという。その男をベッドで休ませたジョンは、真偽を確かめるために男が漕いで来たボートにのり、その船に向かう。しかしジョンがヨットをはなれるとその男は豹変した。

そのあとは、危険な男と美貌の人妻との精神的・肉体的なせめぎ合い。男はメンタルにやや異常をきたしており、被害妄想で独善的。そんな男との2人だけの空間を生き残るために女の武器(嘘と媚と身体)を使ってなんとか生き延びるニコール・キッドマン・・・・という話。
by ssm2438 | 2011-09-18 15:45
f0009381_1045571.jpg原題:DEADLY FRIEND

監督:ウェス・クレイヴン
脚本:ブルース・ジョエル・ルービン
撮影:フィリップ・H・ラスロップ
音楽:チャールズ・バーンスタイン

出演:クリスティ・スワンソン (サマンサ・プリングル)

       *        *        *

なぜ、ホラーテイストに振る???

お姉ーちゃんを題材にした『フランケンシュタイン』ものの第二弾。でも、これもはずれる。
80年代にはパソコンというそれまで見たことも無かったミラクルマシンが登場し、不可能を安易に可能にしていくストーリーがつくられた。この映画は交通事故で死んでしまった彼女を、コンピュータオタクの青年が再生する。
今回のヒロインは『屋根裏部屋の花たち』で魅力的な下腹部をみせてくれたクリスティ・スワンソン。あのときのスワンソンはすっごく魅力的なのでこの映画もレンタルビデオヤで借りてみたのですが・・・・うむむむ、なんで素材が良いのにこんなにカスな内容にしかできないかなあ。それは先(ひとつしたの記事↓)に紹介した『ときめきサイエンス』にしても同じ。主演女優が魅力的なだけに作り手のへぼさが悔しい。

<あらすじ>
IQが以上にたかい15歳の天才少年ポール・コンウェイ(マシュー・ラボートー)がひっこしてきた隣の家には、可愛い少女サマンサ(クリスティ・スワンソン)という少女がいた。しかし彼女はその父日々虐待されていた。そして感謝祭の夜、サマンサは酔った父親に階段から突き落とされ、頭をしたたかに打って病院に運び込まれ脳死を宣告される。ポールはサマンサの死体を自分の研究室に運び込み、超小型コンピュータを彼女の脳に埋め込み再生する。しかし、彼女は自分の家に火を放って父親を殺してしまう。気の弱い友達のトムは残虐な事件の連続に根をあげ、サマンサを見て逃げ出す。ここでバラされたら元も子もなくなると思ったポールはトムに殴りかかった。さらにサマンサがトムに喰らいついた。このままではトムの命があぶないと思ったポールは、とっさにサマンサの頬を殴っていた。f0009381_10504381.jpg絶望と哀しみの表情を残し、サマンサは夜の町へ駆け出していく・・・。

ホラーテイストで作らなければこの映画だってもっと楽しくみられたし、クリスティ・スワンソンだってもっと美しく描けたのに・・・。
製作者のアホさ加減があたまにくる。こういうなのをロマンチック・コメディでつくったらどれだけ楽しいだろうって思うのだけど・・・。次回はジョン・バダムあたりにお願いしたいものだ。
by ssm2438 | 2011-09-17 10:55
f0009381_10124260.jpg原題:WEIRD SCIENCE

監督:ジョン・ヒューズ
脚本:ジョン・ヒューズ
撮影:マシュー・F・レオネッティ
音楽:アイラ・ニューボーン

出演:ケリー・ルブロック

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うむむむ・・・ときめかないぞエレクトリック・ビーナス。

監督は『ブレックファースト・クラブ』『フェリスはある朝突然に』ジョン・ヒューズ。この監督さん、燃える映画はむちゃくちゃ燃えるのにはずす時はからっきしハズす。今回のこの映画も題材的にはとってもときめくはずのお話なのに、内容的には全く燃えない駄作だった。VHS発売時のタイトルは『エレクトリック・ビーナス/ときめきサイエンス』

時代はパソコンがすこしずつ民間に出回り始めた頃の話。当時はパソコンをやってる人などはほとんどオタク系の人くらいで一般人にはなじみの無い存在。なのでパソコンを操れる主人公を描くというのは「何でも出来る主人公」を意味する。非力なダメ男でもパソコン一つあれば万能になれることを夢見られた時代の話だ。

主人公の2人のさえない高校生ゲイリー(アンソニー・マイケル・ホール)とワイアット(イラン・ミッチェル=スミス)は、嘗てのゴシックホラー『フランケンシュタイン』を見ていて、フランケンシュタインのように人間を作ることを思い立つ。しかしそれは、パソコン上で理想の美人を作り出すことで、人造人間をつくることではなかった。ところが、そうして作り上げた理想の女性のデータが落雷のショックで具現化してしまったという話。

ま、そもそもナンセンスコメディなのでそれでもいいのだけど、ちょっと理屈がとおらなさすぎないか・・・???って思う。だいたいこの世界には質量保存の法則があるのだから、具現化したものの質量はどこからでてきたんだ??ってことになる。理屈ぬきなのファンタジーでも、最低限度の<コトの言い訳>がないファンタジーというのはひたすらつまらないものである。

f0009381_1091234.jpgそうしてあらわれたのがグラマー美人がケリー・ルブロック。スティーブン・セィーガルの奥さんである(笑)。右は彼女の美しかりしときの写真。

今日はまだ金曜日。都合のいいことに両親は月曜までいない!おお、すばらしいぞ!

しかしこのグラマーガールに描き方が無用なファンタジーてんこもりで、オンボロ車を新車に変えたり、暴走族の悪漢を奇怪な怪物に変身させたりとか・・・、もうここまで来ると幼児向けファンタジーに徹しており、<大人でも楽しめる>という、子供向け作品を作るの時の最低限度の鉄則を放棄してくれている。
せっかく主人公を高校生にしてるのだから、高校生の夢を具現化する方向でつくってほしいのに、幼稚園児の夢を、彼女で具現化させてるという最悪の展開。ジョン・ヒューズの幼児性が悪い方向にでた映画でした。
ああああああ、もう一回作り直してほしい!!
by ssm2438 | 2011-09-17 10:13

ツインズ(1988) ☆☆

f0009381_19495539.jpg原題:TWINS

監督:アイヴァン・ライトマン
脚本:ウィリアム・デイヴィス
    ウィリアム・オズボーン
    ティモシー・ハリス
    ハーシェル・ワイングロッド
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:
アーノルド・シュワルツェネッガー (ジュリアス)
ダニー・デヴィート (ヴィンセント)
ケリー・プレストン (マーニー)

       *        *        *

企画だけでけっこう人は入ったのだが、内容的にはもうちょっと頑張れ!

監督はライト感覚ながらスマッシュヒットをとばすアイヴァン・ライトマン『夜霧のマンハッタン』『デーブ』『ゴーストバスターズ』は大好きである。そんなわけで『夜霧のマンハッタン』以降はかなりの確立で劇場でみてることが多いアイヴァン・ライトマン。この人の作品は、独特のライト感覚が気持ちよくはまればとっても楽しめるのだが、はずれるとただの軽い映画になってしまう(苦笑)。

今回の宣伝的な売りは『ターミネイター』でこわもて系キャラで人気を博したアーノルド・シュワルツェネッガーが、このころからコメディ・キャラを演じるようになったこと。ただ、物語自体の面白さがあったわけではないので、全体としてはそれだけしか面白さを感じなかったというのが事実。もうすこし双子の楽しさをみせてくれてもよかったのに・・・。それに、楽しそうなお話なのに、殺し屋とかがでてくるのはあんまり楽しくなかったな。そういうなのを抜きにして話を作って欲しかった。
・・・しかし、シルベスタ・スタローンがコメディキャラをやっておおはずしするよりは面白い。

<あらすじ>
知性も肉体もたぐいまれなる6人の精液を混合、その精液から生まれた優秀遺伝子の子ジュリアス(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、世間の乱れた社会から悪影響をうけないためにある孤島で研究対象として育てられた。そんな彼は、同じ時にうまれた双子兄がいることを知り、兄を探すために島を出る。
兄のヴィンセント(ダニー・デヴィート)は車泥棒をしていた。そんなヴィンセントをなんとか探し当てたジュリアスは、母メアリー・アンが生きていることを知り、2人で母に会いにいくことにする。しかし、ヴィンセントの盗んだ車のトランクには、ある組織が売買を予定していた500万ドルもの品物がかくされていた。かくして組織に追われることになるジュリアスとヴィンセント・・・。
by ssm2438 | 2011-09-11 19:51 | アイバン・ライトマン(1946)