西澤 晋 の 映画日記

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2011年 10月 24日

プライベート・ライアン(1998) ☆☆☆☆

f0009381_12472829.jpg原題:SAVING PRIVATE RYAN

監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:ロバート・ロダット/フランク・ダラボン
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
トム・ハンクス (ジョン・H・ミラー大尉)
バリー・ペッパー (ダニエル・ジャクソン狙撃兵)
マット・デイモン (ライアン一等兵)

       *        *        *

『プライベート・ライアン』とは「ライアン一等兵」のこと。「個人的なライアン」という意味ではない。。。

そのむかし、ゴールディ・ホーンが新兵卒になる『プライベート・ベンジャミン』とう映画があったが、この「プライベート」もも「兵卒」のこと。もっとも「プライベート」というのは一等兵、二等兵両方につかわれる言葉だそうな

映画界には表現のターニングポイントとなる映画がいくつかある。
たてば『スターウォーズ』。それまでのSF映画というは、『2300年未来への旅』みたいなに、「こういう風つくっておけば世間はSFとして解釈してくれる」という次元のものだったが、この『スターウォーズ』から一変した。現実にそれがほんとに存在するなこういう風にみえるはずだ!という本物感を真剣にビジュアルかするようになってきた。ま、映画の内容は古典的な西部劇だが、ビジュアルは革新的な変化を遂げた。
この『プライベート・ライアン』もそういった面をもっている。この映画の前とあとでは、戦争映画のリアリティの表現がまったく変わった。「こういう風に描いとけば、そういったことと理解してくれるんだよ」じゃなくて、「本との戦闘はこういうもんなんだ。それを再現しよう」ということに変わったのである。たとえば腕がもげたシーンがあると、それまでの映画では「こう描いておけば、観ている人は腕がもげたのだと解釈してくれる」というものを提示していたのだが、この映画では「腕がもげたらこうなるだろう」という表現に変わった。
つまり、この映画以前は、「腕がもげた」という記号的表現だったのが、この映画から「腕がもげた」という現実的表現をすることにかわってきたのである。
この映画は、戦争映画における、記号的表現からの脱却がなされた記念すべき映画である。
大絶賛!!!

ただ、物語自体はなんともいえない不条理さが残る話で、どう解釈していいのか悩ましい。軍という組織がそこまで一人に肩入れして肯定されるのかどうか・・・、見ている私たちはどうしてもその命令を受けて命を懸けていうトム・ハンクスのほうに感情移入してしまうので、どうにもやりきれない任務だなって思いながら、それが払拭されることもなく物語が進行し、さらに助けに部隊のほとんどが死んでしまう展開は、心のおくに拒否反応を覚えてしまう。。。
プロローグとエピローグをカットして、純粋に技術力だけの映画にしてくれたら、☆5つにしたのだけど・・・。

撮影はここ最近スピルバーグものを担当することのおおいヤヌス・カミンスキー
『マイノリティ・リポート』みたいにカメラが寄りすぎるのはいまひとつ気に入らないときもあるのだが、画調とか彩度に関してはかなり渋めでまとめてくれるので、色的には好きなほうの撮影監督さんである。

<あらすじ>
第2次世界大戦のヨーロッパ戦線。地獄絵図のようなノルマンディー上陸作戦を生き抜いたミラー大尉(トム・ハンクス)に、軍の最高首脳から「ジェームズ・ライアン一等兵を探し出し、故郷の母親の元へ帰国させよ」という命令が下った。ライアン一等兵は落下傘の誤降下で行方不明になっているという。
ミラー大尉は7人の部下を選出する。

「なぜライアン1人のために8人が命をかけなければならないのか? 」
それが誰もが感じた不条理だった。

前線へ進むうちミラーたちは空挺部隊に救われるが、その中にライアン二等兵がいたのだ。「戦友を残して自分だけ帰国することはできない」と言うライアン。ライアンが戻らないというのなら、共に踏みとどまりドイツ軍と一戦を交えるしかない。重火器にまさるドイツ軍にたいして乏しい兵力、装備という悪条件の中での戦いで、仲間たちは次々と銃弾に倒れていく・・・。

by ssm2438 | 2011-10-24 12:48 | S・スピルバーグ(1946)
2011年 10月 20日

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(1984) ☆☆☆☆

f0009381_14331565.jpg原題:ONCE UPON A TIME IN AMERICA

監督:セルジオ・レオーネ
脚本:レオナルド・ベンヴェヌーチ
    ピエロ・デ・ベルナルディ
    エンリコ・メディオーリ
    フランコ・アルカッリ
    セルジオ・レオーネ
    フランコ・フェリーニ
撮影:トニーノ・デリ・コリ
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:
ロバート・デ・ニーロ (ヌードルス)
ジェームズ・ウッズ (マックス)
ジェニファー・コネリー (子供の頃のデイジー)
エリザベス・マクガヴァン (デイジー)

       *        *        *

ギャング世界での家族愛をテーマにした映画が『ゴッドファーザー』がであるとするなら、こちら友情をテーマにした映画といえるだろう。ただ、それを賛美するのではなく、それを踏みにじらなければならない状況下におかれた人間のドラマだといえる。

<あらすじ>
1923年、17歳のユダヤ移民の子、ヌードルスはマックス出会う。
折りからの禁酒法施行を利用して稼ぐことを覚え、その金を共同のものとして駅のロッカーに常置しておくことを誓い合った。地元のやくざバグジーたちの抗争のなか、仲間の一人が殺される。怒ったヌードルスはバグジーを刺し殺してしまう。
6年の刑期を終え、刑務所から出てきたヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)をマックス(ジェームズ・ウッズ)ば迎えに来た。ギャングとして成長していたマックスはヌードルスを新しい「仕事」にひき入れる。
マックスが全米一の警備を誇る連邦準備銀行を襲撃する計画を打ち明けるが、ヌードルスは頑強に反対。
マックスの愛人になっているキャロルは、彼の命を助ける方法は警察に密告してマックスの計画を潰す以外にないとヌードルスに懇願する。ヌードルスはキャロルの願いを聞き入れ、ダイヤルを回した。
しかし、マックスはヌードルスの前で警察の銃弾に倒れる。仲間たちは、裏切り者となったヌードルスを追う・・・。

映画は、逃亡したヌードルスを追うマックスの手下・・とういうシチュエーションから始まる。
さらに60歳を越えたヌードルスが登場する。
この物語は時間軸を解体してあるので、全貌を把握するに時間がかかってしまう。

1928年、60歳を越したヌードルスは、マックスと仲間が眠るニューヨークの墓地で1個の鍵を発見した。それはあの駅のロッカーの鍵だった。ロッカーの中には鞄が置いてあった中にあるはずの金はなかった。マックスは生きていた。彼はベイリー財団の理事長として政財界に君臨していた。マックスの死は、警察まで巻き込んだ大芝居であり、他の仲間はその場で死に、ヌードルスは裏切り者として追われ、彼らがためていた金はすべてマクックすが独り占めしたていたのだ。
そんなマックスにも法の手が伸びる。自分が手に入れたものをすべて失うのは時間の問題だった。そんなときマックスはヌードルスは自宅のパーティに呼び、「これでカリはなしだ」と自分を撃ち殺すようにと拳銃を差し出す・・・。


そもそも、私はギャング映画とかヤクザ映画とかは生理的に好きではない。なので、この映画が1984年のキネマ旬報ベストテンの1位になった時もほとんど観たい気持ちにはなれず、長い間放置してた。そんな映画を見る気にさせてのは、ジェニファー・コネリーの若き日の後姿の全裸映像があるということと、『普通の人々』でヒロインを演じたエリザベス・マクガヴァンのエッチシーンがあるというどうしようもない突破って衝動・・・今から20年まえくらいでした(苦笑)。

はじめてみた感想は、時間軸があっちこっち飛ぶので良くわからない・・という印象だった。そしてデイジーを演じた子供の頃がジェニファー・コネリーなのにたいして、大人になった彼女がエリザベス・マクガヴァンというのがどうにも違和感を感じてしまった。なのでそこでどうにも物語りにはいれなかった。個人的にはエリザベス・マクガヴァンも好きな役者さんのひとりなのだけど、この映画には似合わなかった。だいたい、あのうりざね顔のジェニファー・コネリーが大人になったらぽっちゃり顔のエリザベス・マクガヴァンというのはキャスティングの不自然さを呪った。

しかし、全体を通してみると、悪くはない。好きではないが、悪くはないのである。
友情というのを絶対不可侵の心の軸として考えていたヌードルス。その彼が、友情という名の下に友人を裏切り、その結果、彼らは警察の銃弾に倒れてしまった。そして彼が最後にみせる「にやり」。どんなに理性で友情を大事におもっていたとしても、心のどこかで自分が生き残り、その富を独り占めにしたことへのダークサイドの満足感はあったのだろう。
これはもう、男としての「業」なのだろう。ライオンの世界では、一番強いオスだけが群れのメスを支配し、残りのオスは路頭に迷って生きることになる。男の世界では、どんなにつらくても、「自分だけが勝ち残らなければならない」という動物的本能が潜在的に在る。それが表面化した瞬間だったのだろう。

ふたをあけてみると、ヌードルスが欲したものはすべてマックスが奪っていた。金もデイジーも。マックスは、友情よりもオスとしての「業」を優先した。60歳にしてヌードルスが出会ったマックスは、自分が「友情」よりも「業」を優先したときにもう一人の自分だったのだろう。

ヌードルスは、マックスを撃たずにそのまま去っていく。
そんなマックスは、ゴミ収集車のディスポーザーの中に身を投じこの世から消滅する。

by ssm2438 | 2011-10-20 14:33
2011年 10月 19日

パンデミック・アメリカ(2006) ☆☆

f0009381_1084740.jpg原題:COVERT ONE: THE HADES FACTOR

監督:ミック・ジャクソン
原作:ロバート・ラドラム
脚本:エルウッド・リード
撮影:アイヴァン・ストラスバーグ
音楽:J・ピーター・ロビンソン

出演:
スティーヴン・ドーフ (ジョン・スミス)
ミラ・ソルヴィノ (ランディ・ラッセル)

       *        *        *

おお、ミック・ジャクソン再び!

アメリカの3箇所で、3人がエボラ出血熱とにたような症状で死亡する事件がおきる。同じウイルスによって死亡したとみられるが3人の関連性はみあたらない。合衆国陸軍伝染病研究所の主任科学者ジョン・スミスにその調査が依頼される。彼は嘗てアメリカ大統領のテロ対策直属機関であるカヴァート・ワンに所属していた。4番目の被害者がでた。現地調査をしていた彼の婚約者のソフィーがウィルス感染によって死亡する・・・。

原題は『COVERT ONE: THE HADES FACTOR』。「カヴァート・ワン」とは、テロに対抗するためにつくられた秘密組織の名称。原作者は『ジェイソン・ボーン』シリーズのロバート・ラドラム。当初は6部構成で作られる予定だったが、ラドラムが一人で書ききれなかったのか、小説はラドラムともう一人の作家の共作という形をとっている。ラドラムが初稿を書いて、もう一人の人がそのあと手直しをして完成させたのだろう。結局シリーズは8作目まで進んだが、ラドラムの急死によって完結しないまま終了してしまったそうな。
この映画は『ボーン・アイデンティティ』(シリーズ1作目)と『ボーン・スプレマシー』(シリーズ2作目)の間に撮られたTVMであり、『カヴァート・ワン』シリーズの1作目。おそらく前後編(各90分)で放映されたものを、一つにまとめ、『パンデミック・アメリカ』というタイトルでDVD販売されたのだろう。あわせて3時間という長尺なのだが、そのあたりを理解してみればそれなりに耐えられる展開である。

監督は知る人ぞ知るミック・ジャクソン。アメリカでの仕事はケビン・コスナー『ボディガード』が一番認知されてるだろうが、もとはイギリスのテレビ番組製作者であり『SF核戦争後の未来・スレッズ』(1984)の監督さんである。安い予算のなかできちんと作ることはかなり出来る職人さんで、語り口は硬派ピーター・ハイアムズに似てる。しっかり、きちんとかっちり作る。出来上がった映画の人気はおいといて、こういう低予算を駆使してきちんと作る人は大好きなのだ(苦笑)。
最後の対決シーン、橋の上の渋滞シーンなんか、とっても素敵であった。悪玉君が逃走するのだが渋滞に巻き込まれて端の上で立ち往生。車が橋の上にだらららららっと並んでいるのだが、車はエンジンをかけているので排気ガスがでてる。寒いのでこれが白くみえる、そこに車のヘッドライトがあたっている。足元は、スモーク焚いてリドリー効果(スモーク焚いて、それにライトを当ててカッコいい画面を無理やりつくるリドリー・スコットの常套手段)を出している。低予算ながらこういう見せ方をしっかりやってくれるというのは素晴らしい。

ラドラムの物語というのは、いつも着地点の見えない(苦笑)。
『ジェイソン・ボーン』シリーズにしても、「この話って、いったい何処におちつくんだ??」って終わりがみえないまま見ているのだが、一つ一つのエピソードの語り口が上手いのだろう、ついつい緊張感をきらずにみさせてくれる。そしてミディアムサイズの山がいくつも連打される感じで、「ここが最大のヤマ場だ」というのがないのも特徴だ(苦笑)。

この話はさらに続く話の第一作目であり、終わり方はあまりにも納得いかなというか、全然すっきりしない。
エボラ出血熱のような症状をみせるウィルスに感染してしまった悪玉君が逃走、その橋の上での攻防になるのだが、主人公との撃ち合いのすえお互いが傷ついてしまう。さらに血まみれの状態で取っ組み合い、最後は橋から落ちる(考えてみるとラドラムの話ではよく河に落ちるな・・はは)。なんとか岸に這い上がった主人公に「きっと彼は死んだのよ」と声をかけるミラ・ソルヴィーノ嬢。おい、そんなの誰も信じてないだろうと思うのだけど、それから2週間後とテロップがはいり、傷の癒えた主人公が死んでしまったフィアンセの墓の前にいるというもの。
ウィルス感染した人が血をながしながら河におちて、そのまんまでいいんですか???って心配になってしまう。というか、そんな終わり方されたら全然終わった気がしない・・・。
ま、テレビシリーズでこの『カヴァート・ワン』のシリーズを続けるつもりだったのだろうが、ちょっとエンディングにしてみると納得いかないかな。もうすこし、この一作の終わりとして安心できる終わり方はなかったものか・・。

余談だが、このタイトルって考えてみると変ですね。
「pandemic」というのは、「世界中に流行していく」という意味の形容詞で、

pandemic disease (世界的流行病)
pandemic influenza (世界的に流行するインフルエンザ)

・・・みたいな使い方が普通。つまり、世界的に広がっていくのはディジーズなわけです。で、「パンデミック・アメリカ」だと、世界中に流行していってるのがアメリカであるって意味になってしまう。多分このタイトルをつけた人は、「ウィルス感染に犯されたアメリカ」という意味でこのタイトルをつけたのだろうけど・・・。
しかし「ウィリスのように感染していくアメリカ」。これはこれで、ある種、深読みすべき意味がありげだけど・・・。

by ssm2438 | 2011-10-19 10:43
2011年 10月 18日

ディテクティヴ(2006) ☆

f0009381_954586.jpg原題:UNTIL DEATH

監督:サイモン・フェローズ
脚本:ダン・ハリス/ジェームズ・ポートルース
撮影:ダグ・ミルサム
音楽:マーク・セイフリッツ

出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム (アンソニー)

       *        *        *

こんな役、ニコラス・ケイジにやらせとけばいいのに・・・。

麻薬に溺れるダーティーな刑事が再起を賭けてマフィアと闘うアクション・ドラマ。

潜入麻薬捜査官のアンソニー・ストウ(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)は、かつては正義感にあふれた刑事だったが今では自らも麻薬に溺れ、職場でも孤立しつつあった。
大物ドラッグ・マフィアとして頭角を現しているキャラハン(スティーヴン・レイ)を追っていたアンソニーだが、銃撃戦になり部下の女性捜査官が殉職、キャラハンも捕り逃がしてしまう。妻ヴァレリーは妊娠したことを告げるが、喜ぶ余裕もない彼からヴァレリーは他の男に走りってしまう。仕事も家庭もドツボにおちいったアンソニー。さらにキャラハン逮の罠にはまり、頭に銃弾をうける。意識不明の状態になるアンソニー。

おっとおおおお、というような展開なのだが、ここから半年が過ぎる。

いやいや、この前半のジャン=クロード・ヴァン・ダムはかなり悲惨である。見ている人は誰も彼に好意をしめさないだろう。愛されるキャラとして登場していないのである。見ているこちらとしては、あれれれ、ヴァン・ダムのこの役どころをどう捉えたらいいんだ???って戸惑うのである。
で、半年おいてから再スタート。ここからは前半の屈辱を胸にしまいこんで、徐々に正義感あふれるキャラに復活していくという流れ。

ただ・・・撮り方が下手。この映画はヴァン・ダムの肉弾戦は影をひそめ銃撃戦メインの映画なのだが、意味のないスローとアングルの撮り方の下手さ、テンポのわる音楽など、アクションシーンにあまりセンスを感じない。今流行のやたらちゃらちゃらした短いカットをつかい、手ブレいれて見難くしてセンスの悪さをカバーしてるよりはいいかもしれないが、でも、下手な人がそうしないと、このような説明的な撮り方になってしまい、盛り上がりにかける物しか出来ないというのが現実なのだな・・と判った。。。

今のアニメ業界の下手な演出がたむるする世の中になっているのだが、それは映画業界も同じで、下手な監督や演出家が、上手い演出のビジョンがないまま、下手さをごまかすためのチャラチャラした技法だけを覚え、そこだけが発展してる現状に危惧してしまう。。。
なんだか・・・総てが嘆かわしい。。。

by ssm2438 | 2011-10-18 09:59
2011年 10月 18日

ゴーストライター(2010) ☆☆☆

f0009381_1103589.jpg原題:THE GHOST WRITER

監督:ロマン・ポランスキー
脚本:ロバート・ハリス/ロマン・ポランスキー
撮影:パヴェル・エデルマン
音楽:アレクサンドル・デスプラ

出演:
ユアン・マクレガー (ゴースト・ライター)
ピアース・ブロスナン (元英国首相アダム・ラング)
オリヴィア・ウィリアムズ (その妻ルース・ラング)
キム・キャトラル (アダムの秘書、アメリア・ブライ)

       *        *        *

前任者の謎の死によって、元英国首相の回顧録のゴーストライターを引き継ぐことになった主人公(ユアン・マクレガー)。当初事故に思われていたがどうも殺人の臭いをかぎつけてしまう。そして見えない誰かに狙われている恐怖。前任者が殺されたのなら、誰によって殺されたのか? なぜ殺されたのか? 命の危険を感じとりながら主人公がその謎にせまっていくサスペンス。

まるでアラン・J・パクラゴードン・ウィリスで撮ると、じつにはまりそうな映画である。しかしロマン・ポランスキーだからといってダメなわけではなく、近年にはめずらしくサスペンスの王道をいく映画であり、みていて気持ちがいい。アレクサンドル・デスプラの音楽がまたいい。

ベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀監督賞)をはじめ、ヨーロッパ映画賞、フランスのるセザール賞など、作品賞のグランプリは撮れないながらもそこそこいろんなカテゴリーの賞を獲ったこの映画。一番正統な評価はLA批評家協会賞かな。音楽賞だけ受賞! えらい! このくらいが妥当だと思う。ちなみにLA批評家協会賞のこの年の作品賞は『ソーシャル・ネットワーク』でした。

大傑作とは言わないが、近年のポリティカル・サスペンスのなかではかなり上出来の映画だろう。ネタ晴らしよりも語り口が上手い。そして音楽がいい。個人的にポランスキーは『水の中のナイフ』より、実はあまり認めてない監督さんなんだけど、上手いものを作る時はすこぶる上出来である。『テス』は大好きである。

<あらすじ>
元英国首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)の自叙伝執筆を依頼されたゴーストライターが謎の死をとべる。その仕事を引き継ぐことになった次のゴーストライター(ユアン・マクレガー)。原稿をあげるまでの時間は1ヶ月。そのころラングは米国での講演のためにアメリカ東海岸のとある島に滞在していた。

--物語は全く関係ないのだが、彼が出版の仕事をうけるラインハルト者の面子がおもしろい。ニューヨーク支部のマドックス(ジェームズ・ベルーシ)、ラングの弁護士クロール(ティモシー・ハットン)だったりする。ジェームス・ベルーシといえば私にとっては『昨日の夜は・・・』のロブ・ロウのよき友達である。ティモシー・ハットンは『普通の人々』のコンラッドである。この2人は私が若い多感な時に、私に影響を与えた役者さんであった。。。

ラングが滞在する東海岸の邸宅は厳重な警備が敷かれていた。一応近くのホテルに滞在はしていたのだが、ラングの邸宅に泊まるようになる。与えられた部屋は前任者が使っていた部屋。遺品を整理していると彼がのこした秘密文書がみつかる。そしてある電話番号。それに電話してみると、ラングの政敵のライカートに繋がってしまう。

物語の進展はなにかが怪しいのだけど、なにがどう怪しいのかよくわからないまま進行する。疑惑はラング元首相の決断はどこからきたのか?という問題になってくる。ラングの大学時代のことを調べていくと、いくつかの矛盾がみつかり、さらにCIAとの繋がりも見え隠れする。英国元首相は、実はCIAに操られていたのではないか??? だとしたらイギリスの政治的最高責任者が、自国民の利害よりもアメリカの利害のために働いていたのではないか・・という疑念がうまれてくる。ラングに問いただすと否定する。しかしそのラングも、息子を戦争でなくした男の凶弾に倒れる。ラングのアメリカよりの判断が息子をイラク戦争に向かわせ、その結果として命を落とした、それはラングがアメリカに操られていたせいだというのが彼の行為のモチベーションだった。

しかし、ラングは「自分がアメリカに操られたことはない。自分は自分の信じる正義のために選択した」と言っていた。話してその真実は・・・。多分その言葉は正しかったのだろう。そして映画の最後にCIAの手先が誰であったのがが明確にされる。それを解き明かしたときゴーストライターの命もはかなく消える。。。

by ssm2438 | 2011-10-18 01:15
2011年 10月 17日

南極物語(1983) ☆☆

f0009381_2153127.jpg監督:蔵原惟繕
脚本:蔵原惟繕/野上龍雄/佐治乾/石堂淑朗
撮影:椎塚影
音楽:ヴァンゲリス
ナレーション:小池朝雄

出演:
高倉健 (潮田暁)
渡瀬恒彦 (越智健二郎)
夏目雅子 (北沢慶子)
荻野目慶子 (志村麻子)

       *        *        *

そこを描いちゃうと実話にならんでしょう・・・。

昭和32年2月、南極の昭和基地ですごした第一次越冬隊員が第二次隊員が交替する時が来た。観測船「宗谷」から昭和基地へ第二次越冬隊をヘリで空輸する計画だったが、天候があれ第二次越冬隊の計画はキャンセルされることが決定。15匹の犬たちは鎖につながれたまま置き去りにされ、第一次越冬隊員たちだけが宗谷に戻り日本へ還ってくる。犬係の潮田(高倉健)と越智(渡瀬恒彦)は第三次越冬隊が組織されることをニュースを知ると、進んでその隊員に加えて貰うよう志願し、再び南極に降り立つ。ヘリで昭和基地に着いた二人は、鎖につながれたまま死んでいる犬たちを見つけるが、タロとジロだけは生き延びていた。

このロケをしたエネルギーに☆ひとつおまけするけど、どうにもバランスが悪い。確かに実話をもとにしてるらしいが、人間が南極を離れた後はフィクションの部分なので、あそこカットしてくれないかなあ。つまり、隊員たちの話にするのか、犬の話にするのか、そこを明確にしてほしかった。スタンスをきめたらブレない。人間のドラマにするのだがった、南極に置き去りにした犬の話はなしにすべきだ。それをとるなら、犬達を擬人化したようなナレーションで物語を作るのもありだが、人間にはスポットをあてないでほしい。

・・・で、個人的には罪悪感に感じる人間の話だけでよかったと思う。構成を変えればもっとしっくりきたものになってたんじゃないのかな・・・。
私だったらこのようにする。

悪天候のために、鎖でつながれた犬を置き去りにして南極を離れる悲劇のシーン。
日本にもどっても非難をあびる隊員たち。
その樺太犬を供出してくれた人々を訪ね謝罪の旅をする潮田。
「どうしてリキを連れて帰って来なかったの!」と激しく怒りをぶつけてくる少女・麻子。
第三次越冬隊が組織されることをニュースで知った潮田と越智は隊員に志願する。
麻子との和解。そこで物語前半にあった、観測旅行にでかけ遭難しかけた時、タロとジロの鎖を解き、基地に救助をもとめたエピソードを回想シーンとして入れてやる。
最後、昭和基地に着いた二人は、鎖につながれたまま死んでいる犬たちを見つけ慟哭する。しかしタロとジロだけは生き延びていた! 喜ぶ二人!

この流れで充分感動できるとおもうのだけど・・・。

by ssm2438 | 2011-10-17 21:53
2011年 10月 14日

M:I-2 ミッション:インポッシブル2 (2000) ☆☆

f0009381_22484073.jpg原題:MISSION: IMPOSSIBLE 2

監督:ジョン・ウー
脚本:ロバート・タウン
撮影:ジェフリー・L・キンボール
音楽:BT/ハンス・ジマー
テーマ音楽:ラロ・シフリン

出演:
トム・クルーズ (イーサン・ハント)
タンディ・ニュートン (ナイア・ホール)

       *        *        *

この映画は珍しく、私が劇場で見たジョン・ウーが監督した唯一の作品。最初で最後だろうなあ。ま、劇場でみたから寝なかったけど、基本的にジョン・ウーの映画はアクション量は多いけどかなり退屈になる映画でこの映画も例外ではなかった。この人も「観ている人に期待をさせる」ということが出来ない人で、延々と観客に情報を提示するだけのスタイルなのだ。おかげで、私の場合はリタイア率がかなりたかい人である。ほとんどの場合はDVDで借りてなんどかリタイアしながらなんとか終わりまでたどり着くというパターンである。

考えてみれば、私が香港アクション映画が嫌いなのはこの「期待させる」能力をもった映画はほとんどないことだろうな。ただただ情報を提示するだけ。・・・そうか、だから嫌いなんだ。表面的にはなにかとたのしませてくれるので一応☆2つはつけてるけど、本来ジョン・ウーの映画は☆ひとつで充分だ。

<あらすじ>
イーサン・ハント(トム・クルーズ)に与えられた今回の指令は、殺人ウィルス「キマイラ」とその解毒剤「ベレロフォン」を奪還すること。このウイルスは30時間以内に解毒剤をうたなければ感染した者は命をおとすという。奪ったのは元IMFのテロリスト、ショーン・アンブローズ(ダグレイ・スコット)。
ミッションのために女泥棒ナイア(タンディ・ニュートン)をメンバーに引き込む指令をうけたハントは、彼女に接触、仲間に引き入れることに成功する。彼女はアンブローズの元恋人だったのだ。アンブローズに近づくことのできたナイアはウィルスの情報を収録したデジタルディスクをひそかに盗み出スコトに成功。キマイラはハントに手にもどる。しかし、ナイアを人質にしてキメラを奪おうとするアンブローズだが、ナイアはハントを救うためとっさに自分自身にキメラを注射してしまう。ナイアのこの機転で脱出に成功したハントだが、彼女の命はあと30時間。その間に解毒剤の「ベロフォン」をアンブローズから取り戻さなければならない・・・。ハントはナイアと世界を救うべく、アンブローズに最後の戦いを挑む。

by ssm2438 | 2011-10-14 22:51
2011年 10月 14日

ブロークン・アロー(1996) ☆☆

f0009381_1943235.jpg原題:BROKEN ARROW

監督:ジョン・ウー
脚本:グレアム・ヨスト
撮影:ピーター・レヴィ
音楽:ハンス・ジマー

出演:
クリスチャン・スレイター (ライリー・ヘイル)
ジョン・トラヴォルタ (ヴィック・ディーキンス)
サマンサ・マシス (テリー・カーマイケル)

       *        *        *

「ブロークンアロー」とは<核紛失>を意味するエマージェンシー・コードの名称である。

ジョン・ウーの映画というのはまさに「漫画映画」で、その物語展開は少年ジャンプと同じだと言っていい。物語のリアリティよりも、そういうシーンでアクションシーンが撮れればいいのであって、シチュエーションの設定はほとんどご都合主義であり、あえてそれを隠そうともせず、ひたすらご都合主義のなかでアクションを展開される。あまりにご都合主義の状況設定なので、物語自体にリアリティがなくなってきて、いつ終わるのか判らない『ドラゴン・ボール』を延々見させられている感になる。だらだら引き伸ばされるのだけど、とりあえず最後まで見ないと・・というまさにジャンプ麻薬みたいなものだ。しかし、きれちゃうともうどうでもいいや・・って気持ちになるのも事実だ(苦笑)。
この映画も実にそのまんまのジョン・ウーテイストで、私にしてみれば最後まで見るのがかりしんどい。ほとんどの場合、一回では挫折し、何回かに別けれ見終わる(苦笑)。ジョン・ウーの映画も、『バクダットカフェ』同様、最後までみるにはかなりの忍耐力が必要な映画だ(苦笑)。運動量はあるのだが、見る気を持続させられないのがジョン・ウー演出である。

キャスティング的には、サマンサ・マシスが再びクリスチャン・スレーターと共演している。『今夜はトークハード』で共演し、一応“H”シーンなども演じたことのある2人だが、デビュー当時のカラミっていうのは、何かしらの因縁めいたものがあるのだろうか?
しかし、恋愛関係を語り始めると、このサマンサ・マシスは嘗てリヴァー・フェニックスとつきあっていたことがあるそうだ。で、リヴァー・フェニックスの彼女というと思い出されるのがマーサ・プリンプトン。女の趣味なのでなんともいえないのだが、リヴァー・フェニックスってこういうのが好きだったのだろうか。マーサ・プリンプトンとサマンサ・マシスって絶対似てる。男なら誰でも好きな風貌というのはあるものだが、なぜよりにもよってこの2人なんでしょう。よくわからない趣味だなあっといつも思ってしまう。

<あらすじ>
空軍のベテラン・パイロットのディーキンス少佐(ジョン・トラヴォルタ)は訓練中の米空軍のステルス爆撃機を墜落させ、核弾頭2基を略奪する計画を実行に移す。ユタ州の国立公園の敷地内で、コパイロットのヘイル大尉(クリスチャン・スレイター)を機外に強制脱出させ、手筈通り核弾頭を投下する。落ちた核弾頭はディーキンスの一味が手際よく持ち去っていいく。
地上に落下したヘイルは、公園の女性監視員テリー(サマンサ・マシス)の協力を得て、ディーキンス一味を追う。核弾頭を積んだトラック乗っ取ったヘイルとテリーは近くの廃坑に逃れるが、1基の核弾頭の起爆タイマーが作動したため、600mの地下坑道で爆発させようとする。激しい銃撃戦の末、ディーキンスは残ったもう1基の核弾頭を奪い廃坑から去る。
ディーキンスは、2億5千万ドルを寄越さなければソルトレイク・シティを爆破するが、貨物列車で移動する一味をヘイルが急襲。ヘイルはディーキンスを倒し、核弾頭は無事に回収される。めでたしめでたし。

by ssm2438 | 2011-10-14 19:05
2011年 10月 14日

(ハル) (1996) ☆☆☆☆

f0009381_14462222.jpg監督:森田芳光
脚本:森田芳光
撮影:高瀬比呂志
音楽:野力奏一/佐橋俊彦

出演:
深津絵里 (ほし/藤間美津江)
内野聖陽 (ハル/速見 昇)

       *        *        *

なつかしい「パソコン通信」なる響き・・

私が始めて買ったパソコンはパワーマック7100AV。OSは漢字Talk7.5。まだOS9とかいわれる以前のOSです。そのときはフォトショップを使うことが目的の総てで、パソコン通信なるものにはまったく興味がなかったのです。それが英会話をはじめるようになって、そこの生徒さんから刺激をうけてパソコン通信をしてみようと思い始めたのが30歳のころ。いまから20年前の話です。

当時は「パソコン通信」と呼ばれるネットワーク(=通信団体)で、私が入ったのはニフティ・サーブ。そのこのアニメのフォーラムをみながら、自分が参加しているアニメ作品で、自分が演出をやった話数の反応を見始めたのがさいしょでした。当時のニフティは実名で発言する人が多く(もちろんハンドルネームを使う人も居た)、ゆえに無責任な暴言もあまりなかったように思えます。あのころの通信形態を体験してると実名表記のフェイスブックは実に居心地がいいものです。そこでメールフレンドも募集するところがあり、こわごわながらメールを送ってみたのが始まりでした。その頃の付き合いのある人とはいまだに連絡が取れている人もいます。あの頃のメル友さんというのは、きちんと文章で自分の考えや感想を自分の名前のもとに発言できる人が多かったのだなと思ってしまいます。

その後、インターネットの普及におされ、ニフティサーブに所属してることがあまり有益ではなくなってきたので、辞めてしまいました。しかし、同じようにインターネット上でメル友さんを探してみるも、メル友の質が明らかに劣化してしまいました。そこではハンドルネームが当たり前になっており、きちんとした文章での自己主張や感情が表現できない。短い文章で「きゃああ、かわいいい」とリアクションするがほとんどで、マトモなメル友さんはみるからなくなり・・、ネットでメル友とよばれる人を探すのは辞めてしまいました。

この映画にあるように、パソコン上で知り合った人と合ってみることも何回かありました。いやああ、どきどきしましたね。当時は、「メル友とあったらそれで終わり」という伝説があったものです。不思議とニニフティ時代に出会ったメル友さんとは会っても続いていたのですが、インターネットで知り合ったメル友さんとは不思議ときれてしまいました。パソコン通信で出会った人というのは今思うととても貴重な存在でした。この映画には、インターネットでみるけたメル友ではなく、パソコン通信で出会ったメル友が描かれているのです。

<あらすじ>
パソコン通信のある映画フォーラムで知り合った速見 昇(内野聖陽)と藤間美津江(深津絵里)。ふたりは、それをぞれ(ハル)と(ほし)と名乗り、お互いの顔も名前も知らない気安さから、悩みごとなどを相談するようになっていく。速見は(ローズ)というハンドル名の女性と知り合い、実際に会って何度かデートするようになったと云う。一方、転職を繰り返していた美津江は、仕事先で知り合った山上という男に結婚を申し込まれ戸惑っていると書く。
ある日、速見は出張で青森に行くことになり、美津江は新幹線の速見に向けてハンカチを振る約束をする。当日、線路沿いの田んぼに立つ美津江と新幹線の車中の速見は、互いにハンカチを振る相手の姿をビデオに収めながら、一瞬だけの対面を果たすのだった。
しかし、美津江は、妹が(ローズ)というハンドル名でパソコン通信をやっていることを知る。速見は、ローズと会ったその日にホテルへ行ったと、フィクションを語ったことがある。ローズが美津江の妹だと知った速見は、あわてて本当のことを伝えるが、美津江は、速見にメールを出すのをやめてしまう。
しかし、メールのやり取りで知らないうちにお互いを支えあっていたことに気づいたほしは、再びハルにメールを送り、ふたりは、もう一度最初から互いの関係をやり直すことにする。


パソコン通信のメル友というのは、相手をくどこうとか・・そういうのではなく、自分の恋愛事情を相手に語るときにとっても役立つプライベートな精神科医みたいなものなのでした。この映画でも、自分の恋愛事情を相手に話ながら、徐々に相手の存在が大事になっていくプロセスが描かれている。そう、まさに、こんな感じでした。私にとってはとても愛しい時代をきりとった映画です。なので☆ひとつおまけ!

ちなみにインターネットとパソコン通信の違いは・・・一言で言うと、「パソコン通信は、その所属しているネットワークの中でしかコミュニケーションできない」ってことでしょう。このようなネットワーク=通信団体は「ニフティサーブ」のほかに当時は「PC-VAN」や「アスキー」がありましたが、これらに所属する人たちとは通信できなかったのです。しかし、インターネットが世界的に普及していくと、一つのネットワークだけに所属することに意味がなくなり、人々が離れていき、一つの時代が終わったのでした。

by ssm2438 | 2011-10-14 14:47
2011年 10月 14日

沈黙の聖戦(2003) ☆☆

f0009381_17434.jpg原題:BELLY OF THE BEAST

監督:チン・シウトン
脚本:ジェームズ・タウンゼント
撮影:ダニー・ノワク

出演:
スティーヴン・セガール (ジェイク・ホッパー)
サラ・マルクル・レイン (ホッパーの娘・ジェシカ)

       *        *        *

おおおおおお、久しぶりに爺が動いとるうううううう!!!

2000年代に入るとセガ爺はもう動かないものだとおもってたら、この映画では動いとる。90年代にもどったのかと思いましたよ。

<あらすじ>
タイのテロリスト組織はタイを旅行中だった元CIA捜査官、ジェイク・ホッパーの最愛の娘ジェシカと上院議員の娘サラを人質に取り、アメリカ政府に対し、1週間以内に仲間全員の釈放を要求するテープを送りつける。それを知ったジェイクは、自らの手で娘たちを救い出すことを決意、タイへと向かう。かつての仲間たちの協力を得て、テロ組織に関する情報を集めていくジェイク・・・。

まあ、セガ爺映画で理屈場無用でしょう。とりあえずセガ爺が戦う理由がなんであれ、あればばいいのです。今回は娘を誘拐された父親の話。ちなみにその娘役はサラ・マルクル・レイン。映画のキャリアはほとんどないのですが、なかなkじゃチャーミングです。
監督はかつて『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』で名をはせたチン・シウトン。最近では『少林サッカー』のほうが有名になってしまったようです。やってることあまりたいしたことはないのだけど、スローとリアルスピードのコンビネーションでなんとなくはったりをかましてるような気がしないでもない。・・が、ま、それでもけっこうみてて楽しいのでであんまり文句を言うのはやめよう。
個人的にはあまり好きなスタイルの監督さんではないのだけど、近年のセガ爺もののなかではけっこう楽しめる内容でした。

by ssm2438 | 2011-10-14 01:08