西澤 晋 の 映画日記

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2011年 10月 13日

レッド・ドラゴン(2002) ☆☆

f0009381_12202894.jpg原題:RED DRAGON

監督:ブレット・ラトナー
原作:トマス・ハリス
脚本:テッド・タリー
撮影:ダンテ・スピノッティ
音楽:ダニー・エルフマン

出演:
エドワード・ノート (ウィル・グレアム)
レイフ・ファインズ (フランシス・ダラハイド)
エミリー・ワトソン (リーバ・マクレーン)
アンソニー・ホプキンス (ハンニバル・レクター博士)

       *        *        *

このシリーズの中では話は一番面白いかもしれないが・・・、華がない!

「犯人の心情に同化して犯人の行動や思考を特定する捜査官の話」ということで、『刑事グラハム/凍りついた欲望』という映画があり、わざわざ劇場にまで足を運んだ。多分『羊たちの沈黙』が出る前にこの映画を観た人はほとんどいなかったと思うが、『羊たちの沈黙』をきっかけにVHSが再販された。そのtきは『レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙』とタイトルは差し替えられていた(苦笑)。
それから20年以上のつきひがたち、ここにもどってきた。もっとも、劇場公開は2002年なので、15年くらいのブランクなのだけど、私がこの『レッドドラゴン』を見たのは公開されてからかなりの月日がたってからだった。

正直なところ、トマス・ハリス『ブラックサンデー』で大好きになって、その彼の原作が映画化されるというのでわくわくしてみたのが『羊たちの沈黙』。しかし・・・正直がっかりだった。なんで世間この映画はそれほどもてはやされてるのかわからない。難事件にぶつかると、牢獄に閉じ込められてる精神科医にお伺いをたてるだけの話しにで、物語と精神科医とはまったくつながらない話。個人的には構成的にかなりの大失敗話だとおもているのだけど、何を勘違いしたのかこれがアカデミー賞なんかとってしまったので、さらに勘違いする人間が増えたのだろう。
その『羊たちの沈黙』につづき、レクターの美学を描いたのがリドリー・スコット『ハンニバル』。すっごく期待してみにいったわりには今ひとつときめかなかった・・という印象。
そんなわけで、この3作目、それもすでに作られていた『刑事グラハム・・・』のリメイクという『レッドドラゴン』をあえて見ようという気にはなれなかったのだ。

で、観てみると・・・、お話はこのなかでは悪くない。いや、一番作り応えがある内容だったように思える。
正直なところ『刑事グラハム・・・』を見たときは、よくわからなかった。なんで地下牢にとじこめられてるような精神異常のオヤジにいちいちお伺いをたてるのか、それが物語のなかでどういう意味をもっているのか・・、というか、この構成自体にまったく面白さを感じなかったというのが正直なところで、そのコンセプトが存在してること自体不自然に感じていた。で、今回は先の2作が存在し、レクターというキャラクターがしっかりと出来上がった上でこの映画をみることができたので、すこしは納得しやすかった(苦笑)。

物語りも、小さいときに親から虐待をうけ、それが原因で精神分裂症状をもっているダラハイド。そんな彼に好意をよせてくれる盲目の女性の存在、自分が唯一受け入れられたと思ってると、実は彼女は体がほしかったという事実と直面、裏切られた気持ちになるが、殺したいのにに殺せない・・・。愛のドラマである。
そしてこのドラマを、てもう一つの戦い(レクターvsグラハムの心理戦)とどうからめていくかいということが物語作りの妙技というものなのだけど、殺人犯を遠隔操作し、彼を逮捕したグレアム捜査官を襲撃させるというこちらの流れもまずまず良いです。
なので、殺人犯を追うストーリーと、レクターと捜査官の話が遊離してしまった『羊たちの沈黙』よりも物語構成的にはかなりしっかりしている。もっとも、物語の出生としてはこちらのほうが先だったので、トマス・ハリスのやりたいことはこちらにぶち込んであったのでしょう。

しかし・・この映画の問題はキャスティングだな。
犯人のダラハイドはもうちょっと世間から忌み嫌われてそうな醜い男がいいなあ。顔が崩れかけてる今のミッキー・ロークあたりがよかったのに・・・。
そんな彼が唯一受け入れられた思った盲目の女性は、こちらはもっとベッピンさんがよかったな。純朴そうで清楚な感じの人。それこそ『ハンニバル』の時のジュリアン・ムーアみたいな人がいなかったのだろうか? 彼女はフェチオをしてあげるときに「えええええ、こんな清純そうなひとがこんなことしてくれるのおおおおおお」みたいな衝撃を与えられるような人。実際この映画でもそういう意外性のインパクトはあったのだけど、やっぱりもうちょっと見栄えの綺麗な華のある人にしてほしかった。このさいエマ・ワトソンでもいいのだけど・・。
ハーヴェイ・カイテルのクロフォードは嫌い。
グラハムももう少し神経質なほうがいいな。ティモシー・ハットンとかレイフ・ファインズとか・・・。

<あらすじ>
殺人鬼レクター(アンソニー・ホプキンス)逮捕で精根尽き果ててFBIを退職したウィル・グレアム(エドワード・ノートン)に、かつての上司ジャック・クロフォード(ハーヴェイ・カイテル)は、新たな連続殺人事件の捜査への協力を求める。しぶしぶながら、結局依頼を承諾したグレアムは現場のアトランタへ飛ぶ。証拠写真をもってボルティモア州立病院精神科へ飛び、・幽閉されているレクター博士と対面。レクターは犯人像と犠牲者選択のヒントを口にする。やがて殺人鬼の正体が、ホームビデオの製作やダビングを業とする会社に勤めるDことフランシス・ダラハイド(レイフ・ファインズ)だと判明する。レクターと交信し、自ら神のように振る舞うダラハイドだったが、盲目の同僚の女性リーバ・マクレーン(エミリー・ワトソン)に愛を感じ、混乱が生じる。そしてダラハイドは、リーバの目の前でショットガンで自殺。だが死んだはずの彼は、グレアムの自宅に現れる・・・。

by ssm2438 | 2011-10-13 12:21
2011年 10月 12日

ミレニアム/1000年紀(1989) ☆☆

f0009381_23385055.jpg原題:MILLENNIUM

監督:マイケル・アンダーソン
脚本:ジョン・ヴァーリイ
撮影:ルネ・オオハシ
音楽:エリック・N・ロバートソン

出演:
クリス・クリストファーソン (ビル・スミス)
シェリル・ラッド (ルイーズ・バルティモア)

       *        *        *

ジョン・カーペンターが撮ると、けっこう折り合いの良い映画になってたんじゃないだろうか(笑)。

航空機同士が衝突するという大惨事がおきる。乗客は全員が死亡。その事故の調査にあたったビル・スミス(クリス・クリストファーソン) は、謎めいた美女ルイーズ・バルティモア(シェリル・ラッド)と出会う。彼女は1000年先からタイム・トラヴェルしてきた女性だった。
その世界では生殖能力がうしなわれており、地球上で大規模な航空機の墜落事故が発生しそうになると、彼らはこれから犠牲者になりうる人を未来に飛ばし、未来社会の崩壊をなんとか食い止めていた。墜落していた乗客は彼らのクローンに置き換えられていた。
しかし1963年に存在するはずのない衝撃銃がマイヤー博士(ダニエル・J・トラヴァンティ)の手に渡る事態となった。タイム・パラドックスが生じはじめる・・・。

監督は私の大好きな『オルカ』マイケル・アンダーソン。それ以前に『2300年未来への旅』というしょぼいながらもむっちゃ愛される映画をとっている彼が、80年代の終わりに作ったSF映画。内容的にはマイケル・アンダーソンらしくB級なのだが、この人のB級さはほんとに愛すべき一生懸命さがある。
とにかく、未来世界の出てくるロボットのデザインのB級さが素敵。すでに『スターウォーズ』などのエスエフが存在してるなかで、60~70年代前半のロボットのデザインをまだやってるんですか???って感じ。もっとも、『2300年未来への旅』をみるとマイケル・アンダーソンにそんなデザインワークを期待するわけでもなく、彼が作るというよりも、多分どんなデザインでも「ああ、それでいいよ」って言ってしまうひとなんでしょうね。多分物語りを撮りたい人で、デザインワークスにあまり関心が無いのでしょう。
なので、『オルカ』じゃない話になるとそこそこの物語と作ってしまうのかもしれない。

ちなみに未来から来た女性ルイーズには、当時『チャーリーズエンジェル』で人気を博していた(?)たシェエリル・ラッド。しかし、あれから10年以上。いやいや・・・悲しいまでに老けてました。
彼女はファラ・フォーセット・メジャーズの降板をうけてエンジェルに参加したのだが、ファラほどのインパクトは残せなかった。もうちょっと個性のあるキャラクターにしてあげれば、ビジュアル的には問題なかっただけにちょっと残念だった。そのシェリル・ラッドが主演だったので、ついつい見てあげた映画だったが・・・、そのシェリル・ラッドは、彼女はあのシェリルか???と思うくらいに老けてました。物語りも面白そうな展開で始まったのに、だんだんとB級さが露呈してしまい、未来世界の描写は実に現代のどこぞのガレージみたい。今ひとつパンチがなかったというか、どこか突き抜けたものが足りなかった。

勝手なイメージで申し訳ないが、どうもこの映画の主人公の捜査官はジェフ・ブリッジズで、ヒロインのルイーズはカレン・アレンにやって欲しいと思うのは私だけだろうか・・・。
ああ、『スターマン/愛宇宙はるかに』を想う・・・・。

by ssm2438 | 2011-10-12 23:41
2011年 10月 12日

舞妓 Haaaan!!!(2007) ☆☆☆

f0009381_17471734.jpg監督:水田伸生
脚本:宮藤官九郎
撮影:藤石修
音楽:岩代太郎

出演:
阿部サダヲ (鬼塚公彦)
堤真一 (内藤貴一郎)
柴咲コウ (大沢富士子/駒富士)
小出早織 (駒子)

       *        *        *

高校の修学旅行で京都を訪れ舞子にはまってしまった鬼塚公彦(阿部サダヲ)の夢は、いつか舞子はんと野球拳をすること。そんな公彦に京都支社への転勤の指令が下る。彼はあっさりと同僚の恋人・大沢富士子(柴咲コウ)を捨てて京都入り。「仕事で結果を出せばお茶屋に連れて行ってやる」というい社長・鈴木大海(伊東四朗)の言葉に猛烈に奮起する鬼塚はオリジナルカップ麺を開発し、これが大ヒット、かくして初の舞子遊びが現実する・・。

この映画はダメな人には徹底的にダメだと思う。芝居付けは吉本テイストのどたばたギャグの連打なのでうんざりしてしまう。そういう私もこのての映画とくか、語り口には嫌悪感を感じるほうで、前半はかなり我慢してみてた。ところが、ある程度この世界観になれてくるとなんとか見られるようになり、ついついほろりとさせられるシーンもある。シナリオ構成的にテクニカルな宝庫みたいなお話である。この映画でOKな人はこれでいいが、ダメ人でも勉強になるところはかなりある作品だと思う。おそらく、度を越えたギャグは排除して、『天国から来たチャンピオン』ウォーレン・ベイティのノリとテイストで作ってくれたらハリウッドでも通用するかもって思った。主演は若かりしころのマイケル・J・フォックスだろう(笑)。

とにかく前半部がなかなか入っていけない。舞子にあこがれるという感覚を共有できないので物語が遠いものになっている感じなのだ。それを、「ま、この話の求心力はこういうことなのだから・・」と理解すれば見られるのだが、なかなかそういうった大人になれないものである。
しかし、そこを乗り越えていくとけっこう楽しめる作品であることが判ってくる。

社長につれられて初めてお茶屋デビューを果たした鬼塚だったが、その席で泥酔したプロ野球のスター選手・内藤貴一郎(堤真一)に乱入され、さらにお気に入りになりかけていた駒子(小出早織)という舞子さんのスポンサーになるという。

「駒子のスポンサーにはオレがなる!」と、この時から鬼塚のなかで<内藤越え>というテーマが確立される。鬼塚は、毎日バッティングセンターに通い、手に血豆がくさるほどできるまで打ち込んでいた。そして社長に球団を買うことを進言。社長もこの話を悪いことではないと考え、球団を購入、京都をフランチャイズに球団経営を始めた。このプロジェクトを先導していた鬼塚はあっさり辞表を提出、選手としてフィールドに立った。そして球団は鬼塚の活躍でリーグ制覇に驀進する。

いやはや、この辺の展開はまさに『天国からきたチャンピオン』なのである。それまでこの映画のギャグテイストが嫌だったのだが、この『天国から来たチャンピン』スピリットが展開され始めると一気に見る気になってしまった。ただ、ここでやめといてほしかった。
そのあとは、の本シリーズで内藤と鬼塚の対決が実現するかと言うときに、ひじの故障をもっていた内藤はあっさり引退、芸能界に入って『山猿』なる映画の主演をつとめ大ブレイク。鬼塚も芸能界に転進。しかし内藤は格闘家→有名ラーメン店のオーナー→京都の市長と転々と職を変えていく。内藤にライバル心むき出しの鬼塚だが、さすがに京都の市長選挙にはまけてしまい席を同じくすることが出来ない。

さすがにここまでくると『天国からきたチャンピン』の不屈の闘志ものはギャグと化し、見る気を失いかけるのだが、内藤と駒子、鬼塚と駒富士(実は昔の恋人富士子)との人情劇もあり話にあきさせない。

もう一回観ようとは思わないし、映画スタイルとして好きじゃないけど、面白い作品であった。

by ssm2438 | 2011-10-12 17:47
2011年 10月 12日

ブルックリン最終出口(1989) ☆☆

f0009381_10335743.jpg原題:LAST EXIT TO BROOKLYN

監督:ウーリー・エデル
脚本:デズモンド・ナカノ
撮影:シュテファン・チャプスキー
音楽:マーク・ノップラー

出演:
ジェニファー・ジェイソン・リー (トララ)
スティーブン・ラング (ハリー・ブラック)
キャメロン・ジョアン (スプーク)

       *        *        *

生けるゾンビの街=ブルックリン。
てめーら勝手に腐って映画の代表作の一つ!


この映画は、私の中ではゾンビ映画なのです。ただ、そこにいるのが死人ではなく、生きてる人間なだけ。
映画においての「ゾンビ」というのは、死人なんだけど、動いてて、それを継続するためにもっとも純粋な欲望(食欲)だけがのこってるというコンセプトになっているのだが、この『ブルックリン最終出口』においては、掃き溜めの労働者階級の人々が、本能のままに生きている状態に陥ってしまう、社会的ホラー映画。・・・と私は理解している。

舞台になっているのは、不況の続く1952年のニューヨーク州ブルックリン85番街。街の住民に労働を提供する鉄鋼所はストライキで町には労働者と浮浪者があふれている。そんな状況下で、誰が主人公なのかもあんまり定かではないまま、どろどろの集団社会崩壊崩壊が地道に進行していく。

一応主人公らしいのが鉄鋼所の労働組合の現場責任者であるハリー・ブラック(スティーブン・ラング)。毎日の生活に精神をすり減らしているのだが、組合ではそれなりに地位があり、スト期間中である現在、自分が無制限に経費を使えるというある種のステイタスをもっている。しかし、後に経費の使いこみが発覚し、ハリーは要職を失うことになる。
ヒロインらしき人物がトララ(ジェニファー・ジェイソン・リー)。彼女は色仕掛けで男を拾い、金を巻きあげる毎日を送っている。いわゆるまちの娼婦ではあるが、彼女が視界にはいるとみんなが彼女を見る。トララはカモにスティーヴ中尉を選ぶ。やがてトララは彼に惚れていることに気づくが、中尉は朝鮮に旅立ってゆく。酒に溺れるトララは自暴自棄になり、自分を抱きたいなら好きにすればと自らのブラウスの前を開き、自分の胸をさらけだす。酒場の男たちは憧れの娼婦がただで抱けるとばかりに、彼女にたかってくる。廃車になった車のバックシートで何人もの男達が代わる代わるトララのなかで射精していく。
他にも、恋に破れたゲイが車にはねれらて死んでしまうやら、なにやら生産性も脈絡もない混沌とした状態が延々描かれる。最後は突拍子も無くストがおわり、妥結した鉄鋼所に労働者が出社してゆき、ブルックリンの街に再び活気が戻るのだった。

ドラマ自体に確固たる方向性があるわけではないので、みているときでも話がどうなるのか全く予測がつかない。ひたすらドツボの精神状態をみせられるだけで、精神衛生上よくない映画である(苦笑)。
そんなネガティブ要素充満の映画なのだが、せめてもの光明は、そんなどうしようもない娼婦のトララだが、彼女に憧れ、彼女の痛みに涙をながしてくれるスプークという男の子がいること。・・・にしてもドツボな人間=ゾンビ映画である。

後にマドンナが、『BODY/ボディ』という映画をつくることになるのだが、『ブルックリン最終出口』をみて、このウリ・エデルをを監督に抜擢したらしい。高尚なものをつくれる人だとは思わないが、クソをクソとして描くことだけは出来る監督さんである。
・・・しかし、ドイツの監督ってみんな腐ってるなあ。まともな映画を撮れる監督さんなんていないんじゃないかな・・・。みんながみんな健全でない。
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by ssm2438 | 2011-10-12 10:42
2011年 10月 10日

レボリューション・めぐり逢い(1985) ☆☆

f0009381_1225859.jpg原題:REVOLUTION

監督:ヒュー・ハドソン
脚本:ロバート・ディロン
撮影:バーナード・ルティック
音楽:ジョン・コリリアーノ

出演:
アル・パチーノ (トム・ドッブ)
ナスターシャ・キンスキー (デイジー)
ドナルド・サザーランド (イギリス軍軍曹ピーシー)

       *        *        *

あれ、ナスターシャ・キンスキー死んじゃうの?
あれ、生きてたの?


<あらすじ>
1700年代のアメリカ独立戦争に参加した父と息子の物語。
家族第一主義で、独立戦争など他人事でしかなかったトム・ドッブ(アル・パチーノ)だったが、14歳の息子ネッド(シド・オウエン)が理想に燃え、トムの反対を押し切ってもて独立軍に入隊するという。息子を近場で守るためにトム自身も戦争に参加する道を選ぶトム。ブルックリン郊外の戦闘のさ中、トムは、豊福な商人の娘デイジー(ナスターシャ・キンスキー)と出会う。二人はいつしか愛し合うようになった。しかし、戦場で息子のネッドは、イギリス帝国軍のピーシー軍曹(ドナルド・サザーランド)率いる連帯に捕らえられてしまう。デイジーのもとを離れ、ピーシー軍を追うトムは、隙をみてネッドを救する。
それから5年、独立が時間の問題となった頃、フォージュの谷で、ネッド(デクスター・フレッチャー)は偶然デイジーと再会、トムもデイジーと会い、二人は再び愛を交わす。


英国軍の軍の進撃シーンはなかなかびっくりした。有象無象のように攻撃してくるアメリカの独立軍にたいして、隊列を組んで進撃する英国軍。撃たれて倒れたってお構いなし。絶対に隊列をくずさない。発砲が終わると前列の人は後ろにまわりまた弾を込める。その動作を繰りかえしながら、止まることなく進んでいく。
帝国陸軍だってこんな非人道的な戦い方はしなかったぞ。まるで、マシンの操り人形のように進んでいく英国軍の描写はななかなかショッキングでした。ほんとにこんな戦い方してたんでしょうかね?
昔の合戦を映画にしたもので、印象にのこっているのはこの映画と『クレヨンしんちゃん/あっぱり戦国大合戦』くらいだ。

この映画の監督のヒュー・ハドソンは、『炎のランナー』アカデミー賞を獲得し、その後『グレイストーク/ターザンの伝説』を撮り、名声を得ていた監督さん。そ格調高いドラマ作りをするヒュー・ハドソンの次なる作品は・・?って思ってたらこれでした。

当時、双葉十三郎さんは雑誌『スクリーン』に掲載する『ボクの採点表』のコラムのなかで☆☆☆★★★(☆=20点、★=5点)、つけてたと思う(まちがってたらごめん)。映画の見方を教わったのはこの双葉さんといっていい。
本来アル・パチーノがあまり好きではなく、大河ドラマの嫌いな双葉さんがそのくらいの評価しているのなら見てみようかと思ってみたのがこの映画なれど、かなり退屈なのである(苦笑)。

ヒュー・ハドソンが得意とする人間くささの出し方は相変わらず上手いのだけど、アル・パチーノを主演にすえて、こういう風に描かれると親子の親密さがいきすぎてて気持ち悪い。そう、これがアル・パチーノじゃなかったらもっと見られたかもしれないのだが、どうも・・・、なんというか、彼ももっているホモくささが、息子に向けたれた家族愛として描かれると嫌な感じなのだ。。。たぶん、私がもとめているものと、ヒュー・ハドソンのものはなにか違うものなのでしょう。

・・・・・ああ、なんかこの映画嫌なところが、これを書いていてわかってきた。
やっぱり潜在的な<ホモ臭さ>だ。それがこの映画のなかにあるんだ。だから生理的にイやなんだ。
アル・パチーノだけならまだしももう一人、その匂いをもって人がいる。ドナルド・サザーランド。この人はアメリカ独立軍が敵とするイギリス軍の将校さんなのだが、この人の描き方の残忍性がどうもはなにつく。このホモがもつ残忍性というのは、私にとっては悪臭以外のなにものでもなく、それがこの映画にはあるんだ・・。

なあ~~んだ、そういうことか。なぞが解けた。

by ssm2438 | 2011-10-10 12:05
2011年 10月 10日

サハラ 死の砂漠を脱出せよ(2005) ☆

f0009381_8241237.jpg原題:SAHARA

監督:ブレック・アイズナー
脚本:トーマス・ディーン・ドネリー
    ジョシュア・オッペンハイマー
    ジョン・C・リチャーズ
    ジェームズ・V・ハート
撮影:シーマス・マッガーヴェイ
音楽:クリント・マンセル

出演:
マシュー・マコノヒー (ダーク・ピット)
ペネロペ・クルス (エヴァ・ロハス)

       *        *        *

シナリオライターが多数クレジットされている作品は画面白いわけがない!

<あらすじ>
ナイジェリアとマリ共和国の国境付近で発見された一枚の金貨は、南北戦争時に莫大な財宝とともに姿を消した甲鉄艦テキサスの存在を確信させる。冒険家のダーク・ピット(マシュー・マコノヒー)の心に火がともった。その頃ナイジェリアでは奇妙な疫病が流行っていた。感染した者は助かる術はなく、ただ訪れる死を受け入れるしかなかった。WHO(世界保健機関)のエヴァ・ロハス(ペネロペ・クルス)は、その感染源がマリにあると判断する。しかしマリでは内紛が勃発、国境が封鎖される。毬への入国が不可能な彼女を助けたのはピットだった。ピットとエヴァは、他の仲間とともにニジェール川をボートで進んでいく。エヴァと小さな町アヨロウで別れるが、ピットもまた疫病の脅威を感じ取り、また何者かがエヴァの命を狙っていることを知る。そこには人類の未来さえも脅かす恐ろしい陰謀があった・・・。

物語のシリアスさをきめるのは、悪役の知能指数だろう。
この映画の悪役の知能指数はきわめて低い。

お話のコンセプトは、『インディージョーンズ』を現代にもってきたような話なのだが、正直なところ2時間もこれをみさせられるのは勘弁して欲しい。ありきたりのドンパチを、当たらない多弾の着弾の多さと、カット割りの多さでごまかしてるだけなので演出的にはかなり底があさい。それに演出の基本スピリットが、情報提示だけなので、つまらないのである。
情報提示だけの演出というのは『トランスフォーマー』などを作ってるマイケル・ベイの演出と似ている。見ている人に「これからああなるのかな?」「こんなふうになったらいいな」という期待や想像を与えないまま、作り手が「このシーンはかっこよくなるはずだ」と独りよがりに思い込んでるシーンをひたすら連打する。実際その画面はけっこうかっこよかったりするのだけど、見ている人の思考・感情を物語りに参加させないまま、延々ドンパチだけを提示するので、見ている側としてはまったく心がときめいてないのである。

by ssm2438 | 2011-10-10 08:27
2011年 10月 09日

真昼の死闘(1970) ☆☆

f0009381_12544823.jpg原題:TWO MULES FOR SISTER SARA

監督:ドン・シーゲル
脚本:アルバート・マルツ
撮影:ガブリエル・フィゲロア
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:
クリント・イーストウッド (ホーガン)
シャーリー・マクレーン (シスター・サラ)

       *        *        *

最後の大決戦は夜なのに、『真昼の・・』とはこれいかに?

舞台となるのはメキシコのある町。そこはフランス軍に支配されていて植民地化されていた。メキシコ人たちはフランス軍の圧制に苦しみながらも、その一部はレジスタンスを組織し、フランス軍と戦っていた。そんな状況下で、クリント・イーストウッド演じるアウトローのホーガンは、成功報酬を求めて、レジスタンスに肩入れし、フランス軍の殲滅とメキシコの村の解放をめざすという筋書き。
映画はほとんど『スター・ウォーズ』をみているような感覚におちいる。なんというか、ハン・ソロとレイア姫が西部劇をやってるようなイメージ。・・・というか、『スター・ウォーズ』がこのテイストをSFの舞台に移植したというほうが正しいのだろう。なので、お気軽にみられる西部劇だった。

ちなみに原題は『TWO MULES FOR SISTER SARA』(シスターサラのための2頭のラバ)。一頭はシスターさらがいつものっているラバで、もう一頭はクリント・イーストウッドのことなのだろう(笑)。

シスター・サラを演じたのは、可愛げのある女を演じたら天下一品のシャーリー・マクレーン。小太りで顔がけっこう大きくて、目がちょっとはなれ気味で、バランスのよくないビジュアルなのだけど、この人が演じるととても愛されるキャラクターができあがってしまうという、不思議な女優さん。『アパートの鍵貸します』でもキュートなところをみせていた。『チャンス』ではすでにおばさんだったのだけどそのキュートさは健在。オナニーシーンはなかなか楽しかった。
そんなシャーリー・マクレーンが今回相手にするのがクリント・イーストウッド。我々の世代ではクリント・イーストウッド=ダーティ・ハリーなのだが、我々よりもう5歳くらい上の世代だとクリント・イーストウッド=西部劇というイメージらしい。

全体的に楽しくみられるエンタメ・西部劇なのだが、オチや最後の大決戦アクションシーンが無いほうがいいんじゃないかって思える。そのくらいシャーリー・マクレーンとクリント・イーストウッドとのやり取りが面白い。一応オチということになっている「実はシスター・サラは娼婦で、その娼婦がシスターを演じていた」という設定もないほうが面白かったような気がする。最後のアクションシーンも賑やかで、一応エンタメ映画としては不可欠なのかもしれないが、2人のロードムービーで、最後は申し訳程度にアクションいれとくくらいでよかったんじゃないだろうか?

<あらすじ>
メキシコ北部の荒地をいくホーガン(クリント・イーストウッド)は、3人の男に裸にされ、今にも犯されようかという女を助ける。彼女はサラ(シャーリー・マクレーン)と名乗り、姉が売春婦なので、その罪を償うために尼僧となったと言う。一方ホーガンは、メキシコの革命ゲリラに雇われている流れ者で、チワワという町に駐屯するフランス警備隊を撃滅する作戦に加勢し、成功報酬をもらうことになっていた。幸運なことに、サラはチワワの教会にいたことがあり現地の事情を知っていた。かくして、サラの協力のもとに、メキシコに駐屯し圧政をおこなっているフランス軍を撃破するためにホーガンはフランス軍が乗ってい来る列車爆破を企てる。
ところが2人が狭い列車の通る谷間に馬で乗り入れたとき、インディアンの襲撃をうけ、ホーガンは左肩に矢を射こまれ負傷する。左手の自由がきかないホーガンはサラの力をかりて架橋を爆破する。さらにサラは、フランス軍の駐屯する屋敷へ通じる地下道があることをホーガンに教える。実はフランス軍が駐屯している屋敷と、とある売春宿が地下の通路で繋がっており、そこから侵入できるというのだ。これを機会にサラが、実は売春婦だったことがわかってしまう。
かくしてホーガンは、レジスタンスと共にフランス軍駐屯地に侵入、これを殲滅する。

どこをどうみてもスターウォーズな西部劇であった。

by ssm2438 | 2011-10-09 12:59
2011年 10月 07日

サブウェイ・パニック (1974) ☆☆☆

f0009381_20463735.jpg原題:THE TAKING OF PELHAM ONE TWO THREE

監督:ジョセフ・サージェント
原作:ジョン・ゴーディ
脚本:ピーター・ストーン
撮影:オーウェン・ロイズマン/エンリケ・ブラボ
音楽:デヴィッド・シャイア

出演:
ウォルター・マッソー (地下鉄公安局警部補ガーバー)
ロバート・ショウ (Mr.ブルー/バーナード・ライダー)

       *        *        *

テレビ映画専門監督というなかれ!

あの傑作『地球爆破作戦』(1970)を監督しその後のこ『サブウェイ・パニック』を監督したというだけで、私のなかでは名監督の一人になってしまっているジョゼフ・サージェント。70年代にはなかなかの仕事をしてくれてます。その後はほんとにテレビ映画専門になってしまっているので悲しいのですが、地味に力のある監督さんです。

数々ある乗っ取り事件のなかで、地下鉄が乗っ取られたのはこの映画くらいでしょう。のちに制作された『サブウェイ123 激突』はこの映画のリメイク。乗っ取られた車両が「ペラム123」という名称。
地下鉄というすぐ逮捕されそうな場所での乗っ取り事件。それをどう展開していくのか・・というシンプルな疑問がありますが、これをそれほど不条理さも感じないまま物語として展開してくれているのは嬉しいところ。ま、地味といえば地味ですが、しっかりしてるといえばしっかりしてる映画です。そのむかし双葉十三郎さんがこの映画をけっこう高く評価していたので、どうしても見たかった映画の一つになっていたのですが、なかなかワイ頃は見る機会が無く、けっこうこの映画をみたのは30代の後半になってからでした。見た第一印象は地味で無骨な映画・・・。70年代の映画というのは、あんまり観客のこびてないので、退屈だろうがなんだろうが、この描写が必要なんだって部分は地味できちんと積み重ねていく。そんな印象がありました。

ただ、困った問題がひとつ。見てるときにドッちについていいのかよくわからないまま物語が進行してしまうのです。一応正義の味方は地下鉄公安局のガーバー警部補なんですが、みてるとどうしても犯人側のロバート・ショーよりでみている自分がいたりす。でも、シーンがかわるとガーバー警部補目線でみている。このへんを、どっちかにしたほうが良かったのかなって思ったする。
多分原作自体は、どっちつかずのニュートラルな目線で書いた、サスペンスなのだと思うのだけど、映画にする時にはやっぱりドッチかに感情移入するように作って欲しいな。

<あらすじ>
ニューヨーク地下鉄構内でペラム123号が4人組の男に乗っ取られ17人の乗客と車掌一人が人質にされるという事件がおきる。犯人は自らをコードネームで呼びあっていた。ブルー、グリーン、グレイ、ブラン。
リーダーのブルー(ロバート・ショー)は「少額紙幣で100万ドル。期限は1時間で、それを過ぎた時は1分に1人ずつ人質を射殺する」と、ニューヨーク市に要求する。これに対するのは地下鉄公安局警部補ガーバー(ウォルター・マッソー)。ニューヨーク市々長は犯人の要求に従い、100万ドルの支払いを承知した。

この映画が意外なのは、犯人が人質を結構殺害してしまうところなのです。そのくせ、物語は犯人側の目線で描かれる事がおおい。ただ、やっぱり犯人が車掌をなどを殺害してしまうと、「あれれ、この感情移入でみてていいのかな?」って思ってしまう。
多分目線的にはMr.グリーン目線で見るようにできているのだろう。
その後は犯人側とガーバーとのスリリングなやり取りが続き追いつめられたブルーは、グリーンだけを脱出させて自らの命をたつ。なんとか逃げおおせたグリーンも最後はクシャミ一発、ばれてしまうのであった。
あれはクシャミというより、アレルギー性鼻炎だと思う。
ま、仕方ないやね・・・、鼻炎はクシャミでちゃうんだから・・・。

by ssm2438 | 2011-10-07 20:48
2011年 10月 07日

墨東綺譚(1992) ☆☆

f0009381_12163011.jpg監督:新藤兼人
原作:永井荷風
脚本:新藤兼人
撮影:三宅義行
音楽:林光

出演:
津川雅彦 (小説家・荷風)
墨田ユキ (お雪)

       *        *        *

雨宮時空子おおおおおおおおお!!

VHSが世間に広まりレンタルビデオ屋発展にともなってアダルトビデオが繁盛しはじめた頃、一見のアダルトビデオ屋で雨宮時空子なる人のビデオをみつけました。名前がいい。「時空」と書いて「とき」と読ませる。

いやあああ、雰囲気がいいんだ。借りてみると内容は動くビニ本程度のもので、そんなに擬似エッチばかりで、フェラチオなんてないようなもの。内容は需要にぜんぜんおいついてなかったのですが、この女優さんだけは輝いてました。この人は、きちんとした映画にでてくれないかなとずううううううううううっと思ってたのだけど、しばらくすると彼女のビデオもほとんどみなくなってしまい多分出演したのも10本もないと思う。素材的にはとても魅力的なのに、「惜しい・・、実に惜しい」と思わせる人でした。それから10年くたいして実現したのがこの映画。
あれ・・・、どこかで見た人・・・????って思ったらあの雨宮時空子さんではないですか!!!
当時は感動でした。ただ、この時はすでにかなりやせていて・・・、個人的に時空子時代のちょっとぽちゃっとしてるくらいのほうが良かったかな。あのときの清楚な新鮮さを知っていると、この映画の時にやせ細った墨田ユキ嬢にはちょっと残念な想いがしたのでした。。。
そうはいっても、映画の中で彼女が演じるお雪という女郎さんはなかなか純朴で素敵です。
しかし名前がよくない。なんで「墨田ユキ」なんですか? どうみたった「雨宮時空子」のほうが素敵じゃないですか!!!! そんなわけで、実はネガティブなイメージがつよかったこの映画ですが、ま、この映画がきっかけになって雨宮時空子時代の掘出しモノのVHSが世に出回り、私も懐かしさで中古のVHSと、当時発売された墨田ユキの写真集を買ったものです(苦笑)。

f0009381_739561.jpg監督は『しとやかな獣』『清作の妻』の脚本をてがけた新藤兼人増村保造の影響なのか、突き抜けてる感のあるライターあがりの監督さんです。個人的には増村保造作品の脚本をかいていたときのほうがなんとなく好きですが、古きよき時代の大映の面影を感じられるので嫌いではないです。ただ・・・好きかといわれるとそうでもない。突き抜けたようなパフォーマンスをしてる・・という印象かな。はずしたときはかなりイタい(苦笑)『地震列島』はかなり辛かった・・・。

今回のこの『墨東綺譚』は原作ありきの作品なので、あまり暴れようがなかったという感じ。原作の主人公を、原作者本人に置き換えて作ったあたりにある種の「ちがい」をかもし出しているのがひとつのミソ。
これってけっこう珍しいアレンジの仕方。ただ、健全なアレンジだとは思わない。しかし、妙な感覚である。
物語に登場する主人公は、なんだかんだいってもそれを書いた人の人格の切り売りみたいなものなのだけど、一応違う人物として描かれているもの。それを、この物語では、主人公を原作者・永井荷風にしているので、「じゃあ、原作者はだれなんだ?」という不思議な感覚におちいる。その<不思議な感覚>というのは・・・、つまり、「原作者不在の物語」みたいな感覚なのである。
だからどうだ?って言われると、「イや別に・・それがどうしたというわけではないのだけど」・・ってことになるのだけど、実に妙な感覚がのこることは確かである。

<あらすじ>
社会の底辺に生きる女性達に目が向けていた小説家の荷風(津川雅彦)は紅燈に親しむことも多く、文人たちから遊蕩児とみなされていた。そんな家風が、ある雨の日に玉ノ井のお雪(墨田ユキ)と出会う。女郎という世界に生きながらも清らかな心をもったお雪の純情さに惹かれた荷風は、彼女と結婚の約束をする。だが東京大空襲の戦火に巻き込まれて、二人は別れ別れになってしまう。それから7年、お雪は新聞で荷風が文化勲章受章者の中にいるのを見て驚くが、あの人がまさかこんな偉い人ではないだろうと、人違いだときめてしまい二度と出会うことはなかった。

by ssm2438 | 2011-10-07 12:19
2011年 10月 06日

チャンス(1979) ☆☆☆☆☆

f0009381_12514340.jpg原題:BEING THERE

監督:ハル・アシュビー
原作:イエジー・コジンスキー
脚本:イエジー・コジンスキー
撮影:キャレブ・デシャネル
音楽:ジョニー・マンデル

出演:ピーター・セラーズ
    シャーリー・マクレーン
    メルヴィン・ダグラス

        *        *        *

原作はイエジー・コジンスキー『BEING THERE』、昔英語の原書を本屋でみつけて読んでみたのだが、短編で英文も難しくなく終わりまで読めた。

いつの頃から彼がそこに住んでいるのかもわからない。その屋敷の主人は彼に自分の部屋を与え、庭師としてそこに住まわせていた。彼の唯一の楽しみはテレビをみることだけで、塀の外には出たこともない。そこにはたらくメイドも詳しい素性はしらない。ただそこにいたというだけの男チャンス(ピーター・セラーズ)。

そんな屋敷の主人がある朝亡くなった。やがて管財人に屋敷を出て行くように言われたチャンスは生まれてはじめて塀の外に出る。見るもの、出合ううものが総てが珍しい彼が、彼には悪意とか不安とかという普通の人が持つ概念は存在しない。喧嘩をうられてても、からかわれててもその意味がわからない。つねに穏やかな紳士なのだ。そんなチャンスが俗世間の有様に気をとられていると、出発しようとした1台の高級車に足をはさまれてしまう。中に乗っていた婦人イブ・ランド(シャーリー・マクレーン)は手当てをしたいので家に寄って欲しいと言われた。名を問われ、庭師チャンスと名のるが、彼女はそれをチャンシー・ガードナーと聞き違えた。その後彼はチャンシー・ガードナーという人物であると勘違いされていく。

その車は経済界の大立物ベンジャミン・ランド(メルビン・ダグラス)の大邸宅にはいっていく。イブは彼の妻だった。ランドは高齢で健康状態もすぐれなかったが、チャンスの子供のような無垢さと、何事にも動じず、虚栄心のまったくないその穏やかな態度に気持ちが安らぐのを感じた。数日後、ランドを見舞いにやって来た大統領と会う時にもチャンスを同伴した。彼らは停滞するアメリカ経済をどう再生させるかという話をしていたが、ランドはチャンスにも意見を求めた。経済のことなどまったくわからないチャンス。そんな彼は、四季を通じて移り変わりながらも少しづつ成長を遂げる庭に接していた体験を穏やかに話す。
翌日大統領はTV放送のスピーチでチャンスの言葉を引用し、それをきっかけに彼の名は一躍全米に知れ渡るようになる。大統領も意見を仰ぐチャンシー・ガードナー。それから政治経済の知識人としてチャンスのTV出演などの奇妙な生活がはじまる。しかし活字もよめないチャンス。どこの新聞を読みますか?とのマスコミの問いに「私はテレビが好きです」と答えるチャンス。「著名人のなかで新聞を読まないと公言したのは彼がはじめてです!」と祭り上げられる。
あまりの影響力にCIAもチャンスの素性調査に乗り出すが彼の正体はまったくつかめない。
やがてランドが大往生を遂げる。後ろ盾を失った現大統領では選挙が戦えないと次期候補を模索する政界。
そこにチャンシー・ガードナーの名前が挙がってくる。
政治的に利用されるようになることを知ってか知らずか、チャンスは姿を消していくのだった。

庭師チャンスは多分<天使>か何かなのだろう。決して悪意を持つことのない精霊・・? しかし、本人もそのことを知らないようだ。

「育てる」ということは、庭の木々を育てるのも、人材を育成するのも、国の経済を育てるのも同じこと。この映画はコメディではなく、宇宙の真理をといた映画。

そしてこの穏やかなドラマを高品位で映像化したのがキャレブ・デシャネル『ワイルドブラック』『ライトスタッフ』『ナチュラル』『グース』など、数は多くないがきわめて気品のある画面を提供してくれるシネマトグラファー。彼の画面はほんとにすばらしい。大好きな撮影監督のひとりだ。

by ssm2438 | 2011-10-06 11:35 | C・デシャネル(1944)