西澤 晋 の 映画日記

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2012年 01月 31日

女のみづうみ(1966) ☆☆☆

f0009381_0505598.jpg監督:吉田喜重
原作:川端康成
脚本:石堂淑朗/大野靖子/吉田喜重
撮影:鈴木達夫
音楽:池野成

出演:
岡田茉莉子 (水木宮子)
芦田伸介 (夫・水木有造)
早川保 (宮子の愛人・北野)
露口茂 (桜井銀平)

     ×   ×   ×

露口茂って絶対モロボシ・ダンに似てると思う。

『太陽に吠えろ!』のヤマさん以外にほとんど知らない露口茂の若かりし頃の映画。『ウルトラセブン』のモロボシダンを演じた森次浩司をもうちょっと図太くした感じ。良い役者だとおもうのだけど。個人的にはかなり好きな日本人の役者さんの一人である。

石堂淑朗がシナリオを書いている以上、たとえ原作が川端康成でも、観念論的なものになるのは仕方がない。本人は面白いつもりで書いているが、実は傍から見ると面白くないという典型的な作品。ただ、どうも我々からすこしい上の世代だと、こういう作品が好きらしい(苦笑)。
ただ、「何をもって良しとするのか」・・というビジョンが実は見えてこないので、見終わった後に「だから何?」といいたくなる。ま、これは石堂さんの場合はほとんどそうだといえるのだけど。
おそらく、これは私の勝手な推測なのだが、時代的には左派的話がおおい時期で、どこか作品のコアなる部分がそうなっているのだけど、石堂さん自身が保守派だったこともあり、作品で描かれそうになっている左派的観念をどこか否定して書いてしまうがゆえに、「結局なに?」になってしまうのではないだろうか?

吉田喜重の画面もあいかわらずシュールなのにしっかりしているのでここちよい。この人の画面をみるだけでも、みる価値はある。とくに後半の浜辺での難破船(壊れて放棄された船)のあたりの望遠画面はそれだけで絵になる。しかし、物語は生産性というものがない。ま、これはヌーベルバーグや、アメリカン・ニューシネマの特徴のひとつで、この時代の病気みたいなものなので仕方がないともいえる。なので一般的に楽しめるかといえば疑問である。しかし、映像業界に入る人にとっては、見ておかなければならない人の一人だと思う。

<あらすじ>
某一流デパートの営業課長・水木有造(芦田伸介)と結婚して8年になる妻・宮子(岡田茉莉子)は、彼女の家のリフォーム担当のデザイナーの北野(早川保)と不倫関係にある。しかし、何かにつけて感情を投資しようとしない宮子とのセックスに情熱を感じない北野は、「せめてあなたとの思い出がほしい」という。宮子のヌードを撮らせて欲しいというのだ。特に拒否するわけでもなく、「いいわよ」と答える宮子。
しかしネガが出来ると、自分の裸は最初は自分で見たいとと言い、そのフィルムをバックにしまって返って行く。事件が起きたのはその帰り道だった。何者かにつけられた宮子は、迫ってくる男にそのハンドバッグをたたきつけてなんとか逃げて返った。しかし、そのバックは男の手に渡った。やがて男から電話があった。
宮子は、ネガを取り戻すために、その男と会うことにする。彼は桜井(露口茂)という男だった。
宮子はすでに、男に身体を与えるつもりで来ていた。しかし、厄介なことに、愛人の北野が愛なのか正義感なのかわからないが、追いかけてきてしまった。このあたりから物語がこじれてくる。

物語のポイントは、意外と簡単なのである。
開き直ってしまえば、総てはどうでもいいこと。感情を投資しなければ、どうでもいいこと。それに徹しようとする宮子だが、ぎりぎりのところでその決心はいつも出来ない。それが出来なければ弱みをにぎられてしまう。そうすれば、自分はその男(運命といったほうがいいかもしれない)に支配されてしまう。
そのせめぎあいが何度が物語のなかで繰り返される。

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その後、浜辺を歩いていると、映画を撮影している一団のシーンが入る。でも、あれはないほうが良かったなあ。絵もよくなかったし、ちと押し付けがましかったかも。
どこぞの映画スタッフが恋人同士が浜辺で戯れるシーンを撮っているのだけど、主演の女優さんが裸になるシーンでは吹き替え役の人がいて、その人が裸になって海へはいっていく。「あなたは所詮誰かの、何かの代役なのよ」ってことなのだろう。
自分がいなくなれば、世間は困るのではなく、ほとんどの場合は他の代役がいつでもいるものだ。自分がそこにいるのは、そこにいて、自分が居たいからなのだ。しかし、自分をそこに存在させれば、感情も伴う。痛みも屈辱感も伴うことになる。それでもあなたは存在することを選びますか?

あそこの映画撮影スタッフのシーンがなくても、もう一つか二つあとのシーンで、露口茂の台詞にこういうのがある。
「結局、ボクが惚れてたのは、この写真の中の女だった。あなたじゃない」
男が愛するの女というのは、代用可能なのだ。理想の女は常に男の中に在り、実在する女は、その理想の女を投影するための題材でしかない。彼にとって実存する女であることを選ぶなら、彼の求める女になるしかない。代用品の女になるなら、今までのように感情を投資なければいい。
物語のなかで、彼女の旦那にとっても、愛人の北野にとっても、宮子は代用可能な女だったのでしょう。おそらく、代用不可能な女になるために、彼女は桜井に抱かれたのでしょう。

でも最後は断崖から落っことしてしまう。結局総てを捨てるということは出来なかったらしい。そのために殺人を犯してしまった。ホテルに帰ってみると、東京から夫が迎えに来ている。結局ばれちゃったのに・・・。そして帰りの列車にのると・・・、あらら、あんたは生きてたのね・・・ちゃんちゃん。

一応物語のポイントはあるのだ、結局どっちつかずの展開に、波の間でゆらゆらゆらめいただけ・・みたいな話でした。

by ssm2438 | 2012-01-31 01:04
2012年 01月 30日

水で書かれた物語 (1965) ☆☆☆

f0009381_0275051.jpg監督:吉田喜重
脚本:石堂淑郎/吉田喜重/高良留美子
撮影:鈴木達夫
音楽:一柳慧

出演:
入川保則 (松谷静雄)
岡田茉莉子 (母・松谷静香)
山形勲 (橋本伝蔵)
浅丘ルリ子 (娘・橋本ゆみ子)
弓恵子 (芸者・花絵)

       *        *        *

男はみんな、女の息子である。

大島渚篠田正浩らとともに松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手と呼ばれたのがっこの吉田喜重。個人的にはこの3人の中では一番好きかもしれない。とはいっても、見始めたのはつい最近だけど(苦笑)。ヌーヴェルヴァーグとかアメリカン・ニューシネマとかが嫌いな私にとっては、ちょっと食わず嫌いのところがあったのですが、『秋津温泉』を境にみはじめてみるとけっこう面白い。ただ、60年代の、それまでの保守的なものにやたらと対抗して変なものだけどに走った感のある時代だけに、諸手をあげて「これは素晴らしい!」と言える物ではないことも重々承知の上で見てるつもりである。

本作のポイントのひとつは脚本家の石堂淑郎さん。作品的には左派的な思想の作品におおくかかわっているので、個人的にはあんまり近づきたくはないなという印象があったのだが、調べてみると、本人は保守派らしい。ただ、時代が左派的映画の脚本を要求してた時代と言えるだろう。
なのでひとつわだかまりがとけた。
石堂淑郎の脚本は、どこかあたまでっかちで、理屈だけをやたらとこねるきらいがある。実相寺昭雄の『無常』『曼陀羅』もこの人の脚本だ。さらにその流れで、フリーの脚本家となってからはテレビでの活動が増え、『マグマ大使』『シルバー仮面』『怪奇大作戦』『帰ってきたウルトラマン』などの特撮ヒーローもの、『必殺仕掛人』『子連れ狼』といった時代劇、SFドラマ『七瀬ふたたび』、銀河テレビ小説の第1回作品『楡家の人びと』などさまざまなジャンルの作品を手がけている。
左派的な流れの作品を描きながら、それに流されないスタンスがあったのだろう。
しかし、考えてみれば、このような人が子供向けの番組をしっかり書いていてくれたことは素晴らしいことだ。その内容も、私もうっすらとしか覚えていないが、子供を子ども扱いしないスタンスで物語を作っていたと思う。そして我々が子供の頃にはそれをみて、「こういう物語はおもしろいんだ!」とどこか納得していたものなのだ。そんな石堂淑郎スピリットが、知らず知らずのうちに心に刻み付けられているのだろう、どこかこういう映画をみると、子供の頃の特撮ものの出来が良かった回を何気に思い出してしまう・・・。

監督は吉田喜重、主演はこの時すでに吉田と結婚をしていた岡田茉莉子。岡田茉莉子には「丸顔のでぶなおばさん」というイメージがあり(申し訳ない!)、それが原因で避けていたこともあったのだが、このころの岡田茉莉子はかなりきれいである。食わず嫌いはするものではないなと思ってしまった。

この物語は、主人公の父親は身体が弱く、早くに他界した。そんな父に付き添う母は、美しい人に見えたが、実はそのころからすでに別の男がいて、その愛人であった。そのことに徐々に気づいていく息子の話。
母回帰ものといっていいのだろうか、「所詮男は、女の子供なのよ」という話かもしれない。母と息子の近親相姦へ転びいそうなにおいは全編にあるのだが、そこにはいかな・・・こともないか、いや、あれはやっぱりそこまでいってるつもりで撮ってるのかもしれない。どっちにせよ母親を「女」とはみとめなくわない、男にとっては壊されると心に痛い概念を描いている根源的なところを描いている映画である。
おそらくアンドレイ・タルコフスキー『鏡』と同じ精神構造の話なのだろう。

画面はすこぶるカッコイイ。
初期の実相寺昭雄みたいな画面と言って良いかもしれない。『曼陀羅』移行は広角レンズの表面的なチャラチャラ感だけに汚染されると見る気がしなくなるのだが、吉田喜重の画面はあの頃のアバンギャルドではあるが、きちんと望遠で、映画の画面として構築されている。
レイアウトで映画を見たい人は、一度はチェックするべき監督さんだと思う。

<あらすじ>
幼い頃、父を心臓病でなくした松谷静雄(入川保則)は美しい母静香(岡田茉莉子)と二人暮しの平凡な銀行マンだった。しかし静雄は、大企業の実業家・橋本伝蔵(山形勲)の娘・ゆみ子(浅丘ルリ子)との結婚がきまっていた。橋本伝蔵は、若い頃から女にことかかないやり手の男だった。自分の娘と結婚しよういう静雄に芸者の花絵(弓恵子)を紹介して抱かせたりもする。
ある日、静雄が机の引き出しをあけると、怪しい封書があった。それには、橋本伝蔵と母の静香が出来ているといういのだ。嫌がらせの手紙をかいた男はすぐに見つかったが、静雄の婚約をねたんだものだった。しかし、過去の記憶をひもといていくおもいあたる筋がある。
成り行きに逆らわぬまま伝蔵の娘と結婚した静雄だが、彼女を心の底から愛する気にはなれない。もしかしたら、自分は父の息子ではなく、橋本伝蔵の息子かもしれない。そうすれば、ゆみ子は、自分の妹かもしれない・・・。しかしそれは差ほど問題ではない。心からにくいのは、自分の人生が橋本伝蔵に所有されていることなのだ。そして伝蔵と母の関係は一次途絶えていたものの、いまだに続いている事を知る静雄。
総てを放棄し、ゆみ子とも別れ、会社も、昇進も捨てた静雄は、母の家を訪ねた・・・。


後半、やたらとイメージ映像つかうようになってからは、今ひとつ退屈なのだけど、前半はけっこう面白い。

余談だが、『男はつらいよ』のりりーさんしかイメージがなかった浅丘ルリ子が、みょうに健全にみえた。あんなにがりがりではなく、この映画の浅丘ルリ子はとても健康的に綺麗である。

by ssm2438 | 2012-01-30 00:28
2012年 01月 29日

花のあと(2009) ☆☆

f0009381_18222226.jpg監督:中西健二
原作:藤沢周平
脚本:長谷川康夫/飯田健三郎
撮影:喜久村徳章
音楽:武部聡志

出演:
北川景子 (以登)
甲本雅裕 (片桐才助)
宮尾俊太郎 (江口孫四郎)

     *      *      *

障子の開け閉めは、部屋の出入り、お辞儀の仕方、みんなこれ見て勉強しよう。

いつもの、藤沢周平ものよりは、画面が綺麗です。「画面が綺麗」というのはちょっと語弊があるかもしれませんが、おそらく、北川景子を綺麗に見せようというのが基本にあり、美術のセットなどを必要以上に汚さないというか、かなり綺麗につくってあるな・・という印象です。兵庫県知事さんには好かれるでしょう(苦笑)。
女性人もかなり現代的なビジュアルの人が集められている印象で、寒さに耐えうるどこかずんぐり系の体形という人はほとんど見られないような気がしました(苦笑)。
そんなわけで、他の藤沢作品より、若者ウケを狙った感はあり、空気感に重さがないかな・・という感じはいなめません。しかし、最後の殺陣に至るまではけっこう楽しめます。
もうひとつ、空気感が弱いのは、方言を使ってないところでしょう。ただ、これは使わないで正解だったとは思います。リアルにしすぎるのがいいってわけではないし、舞台となっている海坂藩の場所が厳密には設定されていないので、強引に方言をしゃべらせる必要もないでしょう。
あとになって思うことだけど、『必死剣・鳥刺し』くらいが良かったな。あれは、言葉は方言をつかわず、美術などは適当にきちんと汚してあって見易さとリアリティのバランスが一番良かった。

最後の殺陣は・・・うむむむ、北川景子はこの作品のなかでけっこう頑張ってるとは思いますが、やっぱりちとキビキビ感が弱かったかな。しかし、それは彼女の責任ではなくカメラが悪かった。
全体を写しすぎてて、殺陣の弱さがごまかしきれなかった。あれを、望遠で部分の描写を多用して撮ってやれば、画面内でのBGの移動も早くなり、カッティング次第で、もうちょっとキビキビ感が出せたのに・・・。
しかし、それをさしおいても、本作の北川景子は充分にきれいです。女性剣士姿も凛々しい。
彼女をみているだけで、充分満足できる映画であることは間違いないです。

ただ・・・・、時代劇に合っているかどうかは微妙。
これは私の勝手な時代劇の空気感を出せるか出せないかのイメージの基準なのだけど、
時代劇にでる女優さんのメイクさんは、「あ、この人はワキ毛をそってるな」って空気感を出さないで欲しい。眉か髪型で、必要以上に無駄毛の処理をされてるようにみえると、時代劇の雰囲気が崩れてしまう。

<あらすじ>
寺井甚左衛門(國村隼)の娘・以登(北川景子)は幼い頃から剣術の修行に励んでいた。そんな彼女は、藩随一の剣士・江口孫四郎(宮尾俊太郎)と試合がしたいと父に頼み込む。以前桜の木の下のであったことのあるその男と、竹刀をまじえる以登。たった一度の勝負であったが、以登は自分の中に湧き上がる熱い恋心を感じた。
しかし、父の甚左衛門は以登に孫四郎と会うことを禁じる。以登には家の定めた片桐才助(甲本雅裕)という婚約者がいた。一方孫四郎にも既にきまった相手がいるらしい。以登は静かに孫四郎への想いを断ち切ろうとしていた。
やがて、数ヵ月後、孫四郎が自ら命を絶ったとの報が舞い込んでくる。孫四郎の妻となった女は、藩の重鎮・藤井勘解由の愛人であったことを知る以登は真相を知りたいと思い、才助に調べをつけるように頼み込む。やがて藤井の策略で孫四郎が自害に追い込まれたことをしった以登は、藤井に果し合いを申し込む・・・。

by ssm2438 | 2012-01-29 18:27
2012年 01月 28日

隠し剣 鬼の爪(2004) ☆☆☆

f0009381_1325668.jpg監督:山田洋次
原作:藤沢周平:『隠し剣鬼ノ爪』『雪明かり』
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:長沼六男
音楽:冨田勲

出演:
永瀬正敏 (片桐宗蔵)
松たか子 (きえ)
吉岡秀隆 (島田左門)
田畑智子 (島田志乃)
小澤征悦 (狭間弥市郎)
高島礼子 (狭間桂)
田中泯 (剣術の師・戸田寛斎)
小林稔侍 (大目付・甲田)
緒形拳 (家老・堀将監)

       *        *        *

松たか子が綺麗でがんす・・。
高島礼子も綺麗でがんす・・・。


舞台はとなるのは、藤沢周平が作り上げた架空の藩、海坂藩(うなさかはん)。
藤沢の出身地を治めた庄内藩とその城下町鶴岡がモチーフになっていると考えられている。
時代は江戸時代の後期。東北の海坂藩といえども、江戸から軍術の指導者がおくられてきてイギリス式の鉄砲取り扱いを足軽たちに教えているようは時代。

江戸時代のサラリーマンの哀愁を描く藤沢周平、その短編集秘剣シリーズのなかの『鬼の爪』を基本に、同作者の『雪明かり』をブレンドしてつくられた時代劇。同短編集の中の『必死剣・鳥刺し』もそうであったが、藤沢周平のドラマというのは、武家社会における上司からの命令と、己の正義の相克がテーマである。
不条理な命令なれど、主人からの命令とあっては逆らえない下級武士の悲しい定め。さんざん自分を殺して忠義をまっとうしてきたが「もう許せん」と思った時にプスってやってしまう。
<ストレス溜めるだけ溜めて最後に発散>型の話である。

そして、この物語に色づけしてあるのが、松たか子との恋愛模様。
きよは農家の娘で、主人公の片桐のうちに、子供の頃から奉公にきていたという彼女。武士と農民という身分の違いで、結婚は許されない間柄。しかし彼女も年ごろになると、ある商人の家に嫁いでいくことになる。3年ぶりにあったきよはやつれていた。しかしその商人の家では、ほとんど奴隷扱いでしかなく、きよは病に倒れてしまう。その話をききつけた主人公の片桐はその商人の家にのりこみ、強引にきよを連れ戻しに行く。
本人たちは健全な主人と奉公人の関係だが、周りから見ると、どこかの商い屋の嫁を奪い取った武士ということになる。世間の噂がたつなか、将来のあるきよを自分のもとに留まらせておくわけにもいかない片桐は、きよに、実家に帰るよう話すのだった・・・。

こちらのエピソードを平行させることで、主人公の誠実は人となりを描き込んでいけたのだろう。おそらく、『鬼の爪』だけのエピソードでは、主人公に感情移入をおこさせるまでの描きこみが乏しく、このエピソードが書き加えられたのではないかと思う。確かに松たか子からみの話がなければ、主人公の男は忠義にたけた寡黙な男ってだけになってしまう。そこに人間をつけたのがこちらのエピソードだったのだろう。
ただ・・・、本線のストーリーラインとはからんでないので、どこかで絡められなかったものか・・という若干の不満ものこったりする。そうはいっても、結果として松たか子の存在が、主人公が還る最後の場所になるので物語の後味は良いです。

・・・しかし、松たか子は良いです。ピュアな感じがとっても素敵です。彼女が嬉しそうにしろ、悲しそうにしろ涙をながすと、ついついもらい泣きしてしまう。この映画の松たか子の涙は、ま、科学的には塩水なんでしょうけど、なんだか・・・とっても澄んだ清水のようにみえます。美しいです。
世間では『たそがれ清兵衛』の焼き直しといわれているこの作品ですが、個人的には松たか子が美しいだけで充分もととれてます(笑)。

<あらすじ>
幕末の東北、庄内平野に位置する海坂藩では、江戸に送った狭間弥市郎(小澤征悦)が謀反を働いた罪で藩へ送還されてくる。彼の思い描いた理想主義は旧体制には謀反と映ったのである。薄暗い牢におしこめられ、1日一膳の食事しかあたえられない弥市郎は衰弱していった。一方、この狭間弥市郎と共に剣客・戸田寛斎のもとで剣をならった片桐宗蔵(永瀬正敏)は、家老・堀将監(緒形拳)に呼び出され、狭間との関係や、彼の交友関係を問いただされる。たとえ上からの明でも、友を売ることは出来ないと証言を拒否する片桐。
そのころ弥市郎は、藤沢周平伝家の宝刀「死んだ振り」奇襲をかけ、膳を運んできた男の腕を牢内に引き込み締め上げ、牢の鍵を奪う。脱獄に成功した弥市郎は百姓の家に立てこもる。大目付の甲田は片桐宗蔵に討手を命じた・・・。

もちろん、これだけでは、主人公が上司を殺すまでに展開にはならない。そこでもう一つ非道のエピソードを付け加えられる。

明日は嘗ての剣友・弥市郎との果し合い。その夜、弥市郎の妻・桂(高島礼子)が宗蔵の屋敷を訪れる。弥市郎と戦うことになった時は、彼を逃がしてくれというのだ。もし、願いがかなえられるなら、自分の身体は好きにしていい・・と。たとえ彼が勝ったとしても、彼は自害するだろうと答える宗蔵は、聞かなかったことにするという。桂はそのあと家老の家にも行くと言い残し出て行った。
果し合いは宗蔵が勝った。決闘のあと、桂は宗蔵に「なぜ斬ったのか。昨日ご家老が、弥市郎を許すことを約束してくれたのに」と問いただす。

結果がこうなることは解っていても、彼女にとって出来ることは、家老に身体を与えて、なんとか弥市郎の命をつなぎとめておく努力をし尽くすことだった。やがて桂は自害する。

桂の無念を晴らすために、戸田寛斎から受け継いだ秘剣・鬼の爪が家老・堀将監の心臓を貫く。

by ssm2438 | 2012-01-28 13:07
2012年 01月 27日

野蛮人のように(1985) ☆

f0009381_13243448.jpg監督:川島透
脚本:川島透
撮影:前田米造
音楽:加藤和彦

出演:
薬師丸ひろ子 (有楢川珠子)
柴田恭兵 (中井英二)

       *        *        *

角川映画じゃないのに、角川映画だと思ってた・・(苦笑)。

そんな映画です。
やっぱり薬師丸ひろ子の扱いが、角川映画と変わらないってのが問題かなあ。ま、それで売り出してたのだからそれでいってもいいのだけど、別の環境で作るならもうちょっと差別化してくれたらよかったのに。

この映画で薬師丸ひろ子が演じるには、二十歳の小説家・有栖川珠子。
10代でデビューし、天才少女作家と騒がれ、湘南のコテージで仕事をするといううらやましい生活スタイル。そんな彼女が、六本木でひょんなことから暴力団に追われるチンピラ中井(柴田恭兵)と知り合いになり、突然身に覚えのないヤクザ同士の抗争の渦に巻き込まれていく。
チンピラ風の男にプスと刺される中井。彼は、組長を殺ったのはお前だ言う。珠子は傷ついた中井を車に乗せると、コテージに帰った。警察に知らせないでくれという中井に従い、珠子は医学書を読み、自分で治療した。
夜の街を漂うはぐれ者とインテリ女という奇妙な取り合せの二人は、次第に惹かれていく。
二人が夕食を摂っていると、銃弾が窓を砕いた。組長を殺して二代目になろうとたくらんでいた滝口という男とその仲間だった。中井と珠子は、花火で浜を明るくし、滝口の子分たちを倒していく・・・。滝口はのこった仲間と夜明けとともに、コテージを攻めようとした。そして夜が明ける・・・。

個人的には柴田恭平がNG俳優で、なおかつ映画自体もかなりゆるいつくりのサスペンスなのでほとんど楽しめない。しかし、時折おしゃれそうなシチュエーションを提示してくれる。ただ、ここでも夜のシーンはいい感じで撮られている。
ドラマのとしてのシリアスさはないのだが、画面的にはお洒落な最後の花火大会(↓)。
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by ssm2438 | 2012-01-27 13:27
2012年 01月 26日

CHECKERS in TANTAN たぬき(1985) ☆

f0009381_18143015.jpg監督:川島透
脚本:川島透
撮影:前田米造
音楽:芹澤廣明
主題歌:チェッカーズ

出演:チェッカーズ

       *        *        *

夜の撮り方だけは参考になるぞ!

チェッカーズがもっとも勢いのあったころのアイドル映画。狸の国から来た狸が人間の姿に化けてアイドルしてるって話。その秘密を暴こうとするひとがいて、最後は狸に帰っていくって話です。

監督は『チ・ン・ピ・ラ』『竜二』川島透。お話の内容は、チェッカーズのファンの人にしか楽しめない内容だとは思いますが、川島透の夜の撮り方はとっても良いのです。

夜のシーンでは、そのまんま撮ると光量が足りないのでコントラストがつけづらいく、それだけではメリハリの利いたが画面にはなりません。そこで、ライティングを使うわけですが、この使い方がとても参考になるわけです。とくに森の中の夜のシーンの撮り方。
都会のシーンでは適当に光源の言い訳として使えるライトがいくらでもあるのですが、深夜の森というシチュエーションではそれがありません。そのとき、どうやったらわざとらしさをださずに、夜なのに明るさを確保するのか・・というのが問題です。
そんな時、画面の奥にスモークを炊いて、そのスモークにライトを当てて明るさを確保しています。もちろんそこには人工の照明が設置されているわけですが、見ている人には、深夜にたちこめる霧のように見えます。この画面を知っていれば、夜のシーンはばっちりです!

この年作られたもうひとつの映画『野蛮人のように』でも、夜の明るさをどう確保するのか・・ということをテーマにした画面がみられます。内容はともかく、最後の花火の画面はきもちよいです。あれも、花火がよいのではなくて、花火が、そこから発生する煙を照らしているから素敵なのです。

今後、映像業界に進もうという人は、この「煙に光をあてる」という発想を持っておきましょう。
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by ssm2438 | 2012-01-26 18:19
2012年 01月 24日

黒い画集 あるサラリーマンの証言(1960) ☆

f0009381_22375144.jpg監督:堀川弘通
原作:松本清張
脚本:橋本忍
撮影:中井朝一
音楽:池野成

出演:
小林桂樹 (石野貞一郎)
原知佐子 (梅谷千恵子)

       *        *        *

美しいものがない松本清張作品なんて・・・

1960年のキネマ旬報ベストテン邦画部門2位の作品である。
しかし・・・、これはサスペンスというより不条理モノのジャンルだね。技術的にはまったく素晴らしい出来だとは思うが、不条理ものの大嫌いは私は、☆ひとつしかあげない。私にはまったく面白くないのである。

要するに、物語がなんのために転がされているのは、ワケが解らない。他の松本清張作品というのは、卑屈な圧迫感の中に「美しいもの」がある。どろどろしたサスペンスのなかで、その純粋さが輝くのである。だからこそ、物語が陰惨なイメージだけでなく、ある種の輝きをもってその受け手に伝わるものだ。
しかし、この映画は、技術的にはかなり精度の高いものだと思うが、「美しいもの」がないので、ただただ物語を不条理にこねくり回しだけでおわってしまったという印象だ。もっとも、こねくっただけの話が好きな人には、とってもいい映画かもしれないが、少なくとも私はその一人ではない。

<あらすじ>
きわめて普通のまじめなサラリーマン・石野貞一郎(小林桂樹)は、同じ課の事務員・梅谷千恵子(原知佐子)と新大久保の彼女のアパートの一室で情事を愉しんでいた。その帰り道、近所の杉山さんと鉢合わせする。軽く挨拶をしてしまったが、そのことが発端になる不倫がばれないかと不安になり、なかったことにする。その杉山が、とある殺人事件の容疑者として逮捕されてしまう。彼は、夜の9時半ごろ、新大久保で石野貞一郎に会ったと証言する。しかし、貞一郎は不倫の事実を暴かれたくない一心で、「会った事実はない、そのころ渋谷の映画館で映画を見ていた」証言してしまう。杉山の「どうして嘘を言うのですか」という絶叫を聞き流すしかなかった。
やがて、千恵子も部長の甥の小松と結婚することになる。貞一郎はすべてを清算する機会だと考えた。しかし、智恵子は同じアパートの学生・松崎と肉体関係をもつようになっていた。柄の悪い連中に借金をしていた松崎は石野と彼女の間柄をタネに脅迫する。石野は三万円で手をうつことにした。約束の日、約束の時間には間があるので、映画を見てそのあと、松崎のアパートへ行ったが、そこには松崎の死体があった。逮捕された石野は、自分の無実を晴らすために、あの夜、杉山に会ったことから話し始める。杉山も釈放された。石野も釈放された。しかし、彼は彼が護ろうとしたもの総て失ってしまった。

by ssm2438 | 2012-01-24 22:40 | 松本清張(1909)
2012年 01月 24日

事故/国道20号線殺人トリック(1982) ☆☆

f0009381_173225.jpg監督: 富本壮吉
原作: 松本清張
脚本: 猪又憲吾
撮影:浅井宏彦
音楽: 津島利章

出演 :
松原智恵子 (山西勝子)
山口崇 (興信所所長・田中幸雄)
宮下順子 (フリーの調査員・浜田久子)
植木等 (彩田刑事)

       *        *        *

東京都杉並区の住宅街のある邸宅に深夜トラックが突っ込む。その数週間後、そのトラックを運転していたドライバーが山梨県のとあるドライブインの崖下で死体となって発見される。同じ頃、ある興信所の女性調査員の死体も川から引き上げられる。山梨県警の彩田刑事(植木等)は同署の管轄で起きた二つの事件を調査することになる。

テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」で放映された2時間ドラマ。
松本清張作品というよりも普通の土曜ワイド劇場でした。

しかし、相変わらず不倫してる者が、秘密保持のために殺人をするという展開なのだけど、この話はちょっとひねりがきいていた。ただ、主演の山口崇の設定にまじめさがないので、松本清張ものの、真剣な追いつめられ感はない。ただ、土曜ワイド劇場としては、アベレージなさ苦品ではないだろうか。
しかし、きちんと作ればトリッキーなストーリーとして成立しそうな話だったので、ややもったいなかったな。

<あらすじ>
東京都杉並区の住宅街に住む小西勝子(松原智恵子)は、夫の浮気調査を田中幸雄(山口崇)が所長をつとめる興信所に依頼する。彼の会社はそれほど大きいわけではなく、社内で調査員を雇っておらず、普段はフリーの調査員に依頼して調査を行っていた。しかし勝子の純粋な美しさに引かれた田中はこの件は自分で調査にあたることにした。
勝子はお嬢様育ちで、夫以外には男を知らなかった。親身になって調査してくれる田中に次第に信頼をよせるようになる。田中も20年の経験を活かして早々と彼女の夫が明美という女と出来ていることを知る。彼は大酒への出張を言い訳に、彼女と2人で箱根のホテルに宿泊している。
現場をおさえた田中は勝子をホテルまで呼寄せる。
「部屋に踏み込みますか?」という田中だが、気が動転してなにも決断できない勝子は、翌朝2人をそのまま発たせてしまう。しかし、その夜勝子は田中に抱かれたのであった。夫以外では、初めての男だった。

それからというもの、勝子は田中との情事に溺れていく。田中の事務所の資金繰りが厳しいときくと、お金を工面することもいとわない。勝子にとっては初めての恋愛だった。
しかし、妻の様子に不信感をもった夫が妻の素行調査を依頼する。それがよりにもよって田中の事務所だった。一瞬驚く田中だが、事の次第は本当に偶然だった。最初は断るつもりだったが、よその会社にこの仕事をまわされると、自分と勝子の浮気が調べられる。だったら・・・いっそうのこと。
田中は、自分の事務所で時々仕事を依頼している浜田久子(宮下順子)にこの調査を依頼する。田中は彼女を見くびっていた。しかし、浜田久子は強靭な忍耐力と執着心の持ち主だった。
浜田久子から調査報告を聞くたびに、確実に男の存在を捕らえていることに恐怖を覚える田中。そして勝子の夫が外国に出張中のある夜、一台のトラックが、小西宅に突っ込む。外での逢瀬に不安を感じた田中を、勝子は自宅に呼寄せていたのである。下着姿で玄関に下りてくる田中の目に、そとでたむろする近所の野次馬と浜田久子の顔が見えた。

・・・・というわけで、2人の不倫を隠蔽するために田中と勝子は、浜田久子とトラック運転手(実は同郷の友人だった)を殺す計画実行していく。

ここで松本清張の<女の健気さ>が本来なら発揮されるところなのだろう。
2人の殺人計画をきかされて、田中を止めようとする勝子だが、
「君はボクのことを愛していなかったんだ。所詮僕らは他人だ」と言われ、傷ついた勝子は、他人ではないことを証明するために、自らも殺人計画に手を染めていく・・という展開でした。

松原智恵子さん、いやあ、びっくりしました。綺麗です。まるで黒木瞳みたい。物語としては、この人をいかに美しく描くかが総てだったのだけど、その点においてはやっぱりちょっと物足りなかったかな。松本清張のドラマは、愛するがゆえに、あるいは愛されたがゆえに死に行く女をいかに純粋に綺麗に描けるかが総てといっていいので、もうちょっと普通の人妻がなんで殺人にまで手を貸してしまったのか・・という初めて覚えた恋の味感を出して欲しかった。

by ssm2438 | 2012-01-24 01:08 | 松本清張(1909)
2012年 01月 22日

内海の輪(1971) ☆☆

f0009381_513832.jpg監督:斎藤耕一
原作:松本清張
脚本:山田信夫/宮内婦貴子
撮影:竹村博
音楽:服部克久

出演:
岩下志麻 (西田美奈子)
中尾彬 (江村宗三)
三国連太郎 (西田慶太郎)

       *        *        *

蓬莱峡の撮り方に無理がある。その撮り方では見てる人は誰も納得しないぞ・・・。

しかしまずい・・・、松本清張のパターンが見えてきてしまった・・・。パターンが見えてくると神通力が失われ来る・・・。

基本的には『危険な斜面』と同じ構造である。立場のある男が、不義密通をしている間に、女性の側の求めが強くなり、子供が出来てしまい、男は社会的な立場をとるか女を殺すか・・という選択をせまられる。しかし、殺される女は運命をもう悟っていて、「殺されてもいいわよ」って覚悟が出来てるっていうことで感動を呼ぶ・・というパターン。

パターンが見えすぎているのでちとつらい。

逆にこの物語で新鮮なところは、女を殺すつもりで蓬莱峡の昇ったが、出来ないままそこを去った男。しかし、高所恐怖症の彼女はそこから転落してしまい死体として発見された。結果として殺してない男が犯人として警察におわれ、身を滅ぼしていく・・という流れ。不憫だ・・・(苦笑)。

実は、この映画では描かれていないのだが、そこから犯人は誰だったかという犯人探しの展開もある。この物語の場合は、助教授になった江村宗三を愛する女子学生がいて、彼女が江村宗三を愛しているがゆえに行った好意が、犯人が誰であるかというヒントに繋がっていく。
さらに、財産目当てで嫁いだのかどうなのかは不明だが、西田美奈子がと嫁いだ四国松山の呉服の老舗伊予屋の当主慶太郎の、愛の深さもドラマになっている。残念ながらこの部分もこの映画では割愛されてしまっている。
なので、物語は、不倫旅行でた2人が、その旅行の日程を延ばしているうちにどんどんほころびがでてきてしまい、残してきた人たちにバレたり、ばれる可能性におちいったりした結果、殺人を計画してしまう・・というところまで追いつめられる過程の話に終始してしまった。

f0009381_11282972.jpg斎藤耕一の撮り方はすっごく安定しててよかった。さすがに「映画」という画面を提供してくれている。ほんとに最後のクライマックスに至るまでの出来は素晴らしい。
ただ、クライマックスになるはずの蓬莱峡(→)でのやりとりはかなりマヌケに見える。

下からザイルもなしに適当な高さまで(地上から20~30メートルくらい)上がれるところまで上がってきていて、結局ビビって殺人をあきらめて、すべるように下っていく中尾彬。そのあと高さに目がくらんで落ちる岩下志麻の人形。・・・でも、30メートルかそこらの高さの斜面をずりおちたからといって死ぬかい?って思ってしまう。
一番高いところまで別のルートで行ったことにして、最後の摂政はその頂でやってもらって、「やっぱりボク殺せません。返ります」って返って行く中尾彬、でめまいで落ちる岩下志麻の人形・・ならまだことの成り行きを納得できたのに・・・。

他にも何回かドラマ化されたこのシーンだけど、どれもこのシーンを説得できる演出にできないままにおわってしまっているので、しいて言うなら、松本清張サスペンスの『内海の輪/大学助教授の不倫の決算・蓬莱峡に消えた死体』のほうがこのシーンの描写もよかったし、物語構成としても全部こみこみで原作の全体構成に近いと思われる。
しかし、岩下志麻の色っぽさはやっぱり見るに足る妖艶さである。
全体のカメラや演出は良いのだがクライマックスが最低なの☆ひとつでもいいかと思ったのだけど、志麻姐さんの色気に免じて☆ひとつおまけ。

<あらすじ>
四国松山の呉服の老舗伊予屋の当主慶太郎の西田美奈子(岩下志麻)は29歳。親子ほどもはなれた西田の家に嫁いだのは財産目当てだろうと地元の人たちはみていた。そんな彼女は、東京3ヶ月に一度反物の買い付けにきていた。しかし彼女には男がいた。大学で考古学を専攻し、まもなく助教授の椅子につく江村宗三(中尾彬)である。
やがて宗三は岡山大学との共同調査のために、瀬戸内海に来ることになる。美奈子は姫路で同窓会があるといって2人の時間を愉しむ。そんな2人の姿を伊予屋の家政婦の政代に見られて西田慶太郎に報告されてしまう。さらに2人は共通の知人である長谷川とばったり伊丹空港で鉢合わせしまい、江村側の人たちにもことの次第が知られそうになる。
既に美奈子は離婚の覚悟をきめていた。西田と分かれて江村宗三の子供を生もう。
しかし宗三の心はそこまでのものではなかった。この不倫が暴露されたら、宗三の輝ける将来も崩れ去るにちがいなかった。しかし、彼女から逃れることも出来そうになかった。宗三は、蓬莱峡にのぼり、事故にみせかけて美奈子を殺そう心に決めた・・・。そして運命の朝が来る・・・。一度は断ったものの、宗三の意図を悟った美奈子は愛した男に殺されるために蓬莱峡に昇っていく。

by ssm2438 | 2012-01-22 05:14 | 松本清張(1909)
2012年 01月 21日

秋津温泉(1962) ☆☆☆☆☆

f0009381_17133070.jpg監督:吉田喜重
脚本:吉田喜重
撮影:成島東一郎
音楽:林光

出演:
岡田茉莉子 (新子)
長門裕之 (河本周作)
日高澄子 (お民)

       *        *        *

おおおおおお、岡田茉莉子が異様に美しい。

この映画が公開されたのが1962年6月15日、私が生まれる25日まえのことだった。

監督の吉田喜重は、後の『煉獄エロイカ』をちらと見たことがあったのですが、やたらと気をてらった画面作りばかりだったので、実相寺昭雄みたいにつまらないものだと思い込んで、そのまま放置プレーしておりました。ヒロインもやたらと奥さんの岡田茉莉子ばかりなので、あえてこの人の映画をみようという気はなかったのですが、このたびみてみたら・・・・・、大変失礼しました。とてつもなく面白かった。
『秋津温泉』・・・、傑作ですね。

この舞台になったのは、岡山県の奥津温泉。映画では「秋津温泉」ということになっているが、このネーミングの響きが素晴らしい。奥津は小学校のバス旅行で人形峠に行った時に通過したことだけは覚えているのだけど、風景がなぜか懐かしい。山の尾根のリズムなのかな・・・。これが不思議と中国地方の山々だと、「自分は思っているヤマの尾根のラインの凸凹はこういうものだ」というのが知らず知らずに根付いていて、その波長が合うのだろう。これは『男はつらいよ・寅次郎恋やつれ』を見たとき、なぜか懐かしい気がした。舞台になったのは島根県の津和野あたりだったのだけど、なぜか風景が懐かしいのである。

そんな奥津を舞台にしたこの映画なのだが、とにかく風景がいい。渓谷の間に立てられた温泉旅館は階段や坂があり、それだけで絵になってしまう。吉井川にかかる橋もまたいい。これらの自然の風景をキレイに切り取ってくれる画面がいい。そしてコントラストもいい。これはでしゃばらないけど、きちんと意図して演出してるライティングのおかげだろう。なにからなにまで好みである。
と同時に不思議なきもした、後の撮ることになる『煉獄エロイカ』などはなんであんなカッコつけただけの画面になってしまったのか・・・。60年後半から70年初頭はアメリカン・ニューシネマだとかヌーヴェルバーグだとか、すぐ旧くなる表面的な奇天烈さに走った糞映画がやたらと多い時代だったが、その影響をはやりうけたのだろう。

しかーし、この映画の素晴らしさは画面の素晴らしさだけではない。そんなものは添え物すぎない。
この映画の素晴らしさは想いの出し入れのタイミングのずれ、そしてそこから発生するもどかしさだろう。恋愛経験がある人なら誰しもわかるだろう。“どうして「うん」といって欲しい時に言ってくれないの”という、あのもどかしさが全編に展開されている。求められて、ついついかわしてしまう。すると自分が求めた時にかわされてしまう。求められた時の全部に「いいよ」と言ってしまえば総てがうまく行ってたかもしれないのに・・・。
この感情のやりとりの切実さに恐ろしくリアリティを感じてしまうのである。

さらに女性原理を見事に描いた傑作だといえる。
男にとって「機能性がある、役に立つ」ということは、自らの存在意義にほかならない。しかし、女性の場合はそうではない。女性の場合は「世話してあげる=必要とされる」ということこそが存在意義になっている。

本来コテコテの恋愛ものというのは、完全無欠のヒーローと完全無欠のヒロインのラブロマンスではない。
ダメ男とそんな彼を世話して上げられる女の物語である。
しかし、この2人をくっつけると物語りは描きたい部分ではなく、経済的なところから破綻していくものだ。
ダメ男と結婚した女はさんざん世話をやくはめになる。作り手にしてみれば、ドラマとしてはもってこいの展開である。しかし、男が甲斐性なしすぎると、経済的に破綻してくるので、そっちの流れもフォローしなければならなくなる。そんなことをしていると、あれよあれよというまに貧困に呑み込まれる2人のドラマになってしまう。
この映画の上手いところは、ダメ男はそのままに、女の経済基盤をそれとは別のところに別けたところにある。その結果、ダメ男をを世話するだけという、女にとっては一番酔えるシチュエーションだけをとりだして、一本のストーリーラインに落とし込むことに成功している。

<あらすじ>
f0009381_17324916.jpg昭和20年の夏、東京の学生だった河本周作(長門裕之)は、岡山の叔母を頼ってやって来たが、空襲でやられていた。結核に冒されていた彼は、親戚のある鳥取に向かう途中病に倒れ、岡山県県北の秋津温泉の“秋津荘”担ぎ込まれる。結核のため離れに床をかりた河本を看病したのが17歳の新子(岡田茉莉子)だった。終戦の時を向かえ新子は泣いた。自暴自棄になっていた河本だったが、心が健康似反応する新子をみていると、なんとなく生きてみようかと思えるようになる。

それから3年、ふたたび河本は秋津を訪れる。作家をめざし地道に活動していた河本だったが、未来が開けない状況に身も心もすさんでいた。「一緒に死んでくれ」と頼む河本に、「私がホントに好きならいいわよ」と心中を決意する。睡眠薬を飲み、お互いの身体を一緒に縛って水に飛び込こむはずだったが、彼女を抱き寄せると、くすぐったいとけたけたと笑い始める新子の屈託のない反応に、自殺するきもさめてしまう河本だった。

そしてまた3年がたち、再び河本が秋津にやってくる。作家仲間の妻の兄・松宮(宇野重吉)が文学賞を受賞したというのだ。自分だけがおいてけぼりになった河本は傷心した心を癒すために秋津を訪れる。傷心の旅に自分を訪れ、元気になって返って行く河本をみるのが好きだった新子だが、女中のお民から河本が結婚していることを聞かされる。

翌年、ふたたび秋津を訪れる河本。2人が出会ってから10年の年月がたっていた。新子は死んだ母をついで“秋津荘”のお上となっていた。今度河本が来たのは、別れを告げるためだった。松宮の紹介で東京の出版社に勤めることになったのだ。その夜二人は初めて肉体の関係を持った。翌朝の新子は幸せに満ちていた。一人でひっそりと帰ろうとする川本に無理やりついていき、津山の鶴山公園で2人の時間をもうすこし愉しむ。しかし、川本の出発時刻が近づくと無口になっていく新子。最終の岡山行きの改札が始まると、おもわず川本を連れ出してしまう。汽車の発車音が聞こえる。「もう帰れない」という河本。2人は駅の近くのホテルに泊まることになる。たしかに引き止めたのは新子だった。しかし、河本の妻のことを考えると罪悪感に襲われ、感情を殺すしかなくなる新子。それでも、河本は新子の身体を求めてくる・・・。

昭和37年、最初の出会いから17年が過ぎていた。河本は作家として大成した松宮の取材旅行の随行員として再び岡山にもどってくる。そして秋津を訪れた。新子は魂の抜け殻のようになっていた。10年前、津山駅の4番ホームでもう戻ってくることはない河本を見送ったとき、新子の生きがいは消滅したのだろう。
新子は“秋津荘”を売り、かつて、結核の河本を介抱したあの離れに住んでいた。その離れも2日後には取り壊されるという。肌を合わせる河本に「一緒に死んで欲しい」という新子。
翌日、強引に河本の見送りについていく新子は、かみそりをとりだし、一緒に死んで欲しいと再び迫る。とりあえずその場を収めた河本は、煩わしいものにはもうかかわりたくないというようなそぶりで、ありきたりの言葉を残し去っていく。その河本の後姿をみながら、新子はかみそりで手首を切るのだった。

f0009381_17123979.jpg

PS:確かに音楽はうるさいも・・・、もうちょっと効果的に使えば良いのに。『レザレクション・復活』モーリス・ジャールを思い出した・・(苦笑)。でも、画面作りが異様に確りしているので、それほどの不快感にはならなかった。
あと「ストレプトマイシン」の名前を久々に聞いた(笑)。ああ、そういえば結核の特効薬として世に出た最初に抗生物質だった。この言葉一つで「ああ、戦後なんだ~」と思えてしまうレトロな季語である。

津山駅の待合室なんて、懐かしかったなあ。
もっとも、この映画が撮影されたころは私はまだ受精卵くらいの時で、実態は存在してなかったのですが、子供の頃みた津山駅はあんな感じでした。汽車が出る10分前くらいから改札に駅員さんがたって切符をきるのです。津山線は4番ホームで、SLとディーゼルが併用されてました。SLはC-51だったと記憶してます。

by ssm2438 | 2012-01-21 17:34