西澤 晋 の 映画日記

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2012年 01月 21日

メガ・シャークVSクロコザウルス(2010) ☆

f0009381_10583522.jpg原題:MEGA SHARK VS CROCOSAURUS

監督:クリストファー・レイ
脚本:ナオミ・セルフマン
撮影:アレクサンダー・イェレン
音楽:クリス・ライデンハウア

出演:
ジェイリール・ホワイト (テリー・マコーミック博士)
ゲイリー・ストレッチ (ワニ博士、ニール・パットマン)
サラ・リーヴィング (エージェント・ハッチンソン)

       *        *        *

これらの作品って、パッケージを作ることだけに楽しみを見出してるのではないだろうか・・・。


男との子って、糞映画だと判っていてもついつい見てしまうのが、大きなものとエロもの・・。
しかし、このメガシャークはでかいぞ。その背びれはアメリカの戦艦のブリッジほどもある。その背びれだけみるとおそらく戦艦の5~6倍はあるだろうと思われる。しかし、海からジャンプし、戦艦の上を跳び越しながら尾びれでかわいらしくブリッジをはたいていったりするところは戦艦の1/3~1/4くらいの大きさにしか描かれないあさはかさ・・、「背びれさっきより小さいんですけど~~~」っていいたくもなるがそんなことはお構いなし・・・、統一性がまるでない・・・、あまりにもお子様レベルのCGにびっくりしてしまう。
それに対抗するのが巨大ワニ。いちおうタイトルにも「クロコサウルス」と書かれているので、ただのワニではないのだろうけど、またこれが小さいくなったり大きくなったり・・・。

f0009381_1141325.jpg最後は核ミサイルを搭載した潜水艦を飲み込んだ、メガシャークとクロコサウルスが戦うのだけど、なんで戦うのか良くわからなかった。あまりにくだらないのでチャンネルをかなり廻してたのでその間になにかあったのかもしれないが、この監督らに「この2体の生物がなぜ戦うのか?」などとちうモチベーションを設定しようなんて頭が回るのかは疑問。さらにその戦い方がすごい。お互いの尻尾を噛んで、ネズミ花火のようにくるくるまわりだけ・・・たはははははは・・・。最後は海底火山におびき出されてまとめてドカン・・・。

・・・おい、メガシャークのなかには核ミサイルつんだ潜水艦あったんじゃなかったっけ???


ちなみにこれ(→)はアメリカで販売されてるDVDのパッケージ。
こちらも描いてるひとはかなり愉しんで描いてると思う(笑)。

by ssm2438 | 2012-01-21 10:58
2012年 01月 19日

魔の刻(とき)(1985) ☆☆☆

f0009381_1358843.jpg監督:降旗康男
脚本:田中陽造
撮影:木村大作
音楽:甲斐正人

出演:
岩下志麻 (水尾涼子)
坂上忍 (水尾深)
岡田裕介 (花井)
岡本かおり (葉子)
伊武雅刀 (片貝刑事)

       *        *        *

母と子の距離感を感じさせない芝居づけが、この物語の成功の鍵だな・・・。

ルイ・マル『好奇心』も母とエッチにいたる話だけど、こちらはエッチをしてっしまったあとの話。実はこれは原作のエピソードではなく、降旗康男監督はあえて原作では描かれなかった二人の後日談を作り上げてしまったわけである。

私個人は、ホモ物とか母とエッチする近親相姦物ってのは嫌悪感を感じてしまうのだけど、これは思った以上に見られた。これをそれほど嫌悪感を感じさせないものにしてくれたのは、母と息子の距離感がそこはかとなる在るのである。
たとえば、これが別の物語で、幼い頃は親子が離れて過ごしていて、ある程度の年齢になってから再会し、最初は親子とも思わなかった・・みたいなシチュエーションならそれほど気持ち悪さは感じないのだろう。この映画の二人は、まさにそのような言葉のやりとりや、その芝居付けがされており、どこかさらりとしているのである。

ただ、不思議なのがこの距離感はどこからくるのか?という問題だ。なので原作をしらべてみた。
ところが、原作を調べてみると、そのような展開ではなかったようだ。
原作では父親の圧力から家庭内暴力に走る息子とそれを必死になって受け止めようとする母、そのあたりから結局母と息子が親密な関係になったという展開である。これはある種の必然的な展開だったのかもしれない。映画でも、一応それまで何があったかということは回想する言葉として語られている。社会的にも地位のある父親は、その家系お利巧さんが多くほとんどが東大にはいるという設定。そんな環境下で息子がプレッシャーにまけ、2度の受験失敗、てぐれて結果「もう二人で死のう」的な展開になりその結果、お母ちゃんとエッチするようになるというもの。意外とさらりと語られてしまった。

なので、一般的な人が考えるような息子と母がエッチにいたる映画ではなくなっている。たしかに原作で語られている話なら「よくある話」ということになってしまうのだろが、それを原点にして、その物語からしばし時間をおき、どこか距離感の離れた二人が再びであって求め合うというような映画になっている。
この距離感が、この映画ならでは人工的な要素であり、それが映画としてすこぶる見やすくしてくれている。技術論で観るならすこぶる面白い。

しかし・・・、なににつけても木村大作の望遠画面はいい。
港町と望遠レンズ。なによりすばらしいのが、その港の中に船がひとつ沈みかけてる船があって、そのマストが水面から斜めに突き出ているのがいい。普通に浮かんでいる港のなかで、あれがあるだけで意味もなくときめいてしまう。
海の色もいい。ネストール・アルメンドロスがいうマジックアワーちょっとまえの時間帯を使っており、まだ水平線のうえに太陽は見えるのだけど、光線はかなり弱まり、人間が建てた人工物は逆光で鈍い色におちている。でも水面はサーモンピンクと、オレンジ色の間のような色合いで渋いです。
最近糞画面ばっかりみてたので、時としてこういう映画的なしっかりした画面をみると、それだけできもちよくなってしまう。物語は私好みの話では決してないのだけど、それでも木村大作の画面をみているだけで、ついつい最後まで、気持ちよく見せられてしまった。

そして物語的には隠し味がぴりりと効いている。岡田裕介演じるインテリ崩れの薬局屋のやもめ亭主の哀愁が最後でガツン。この一発がいい感じでドラマ全体を引き締めてくれる。これはあとで語ろう。

<あらすじ>
一流企業に勤める夫・敬一郎に離婚を申し出、1年前に家を出た息子・深(「ふかし」と読む・坂上忍)を探してこの港町にたどり着いた水尾涼子(岩下志麻)は、その日のうちにアパートを探し落ち着くことにする。そんな彼女に声をかけたのが、アパートの向かいの花井薬局の主人・花井(岡田裕介)だった。花井は二年ほど前に妻を心臓マヒでなくし、その1ヵ月後、母親を脳出血で亡くしている。住民もこの相次ぐ死を不審に感じていた。それは警察も同じで、墓を掘りかえして骨壷の骨を鑑識にまわしたこという。
深は直吉丸の娘・葉子(岡本かおり)と一度、寝たことがあり、その事が直吉丸の従業員仲間に知れて、包丁で腹を刺された。涼子は深を花井薬局にかつぎこみ、表沙汰を嫌う深の頼みで、花井は知人の医者・西方に治療を依頼しことなきを得る。それをきっかけに花井薬局で3人の生活がはじまる。
息子の看病に充足感をかんじる涼子。3人の生活は穏やかだった。やがて傷もいえ、葉子が深をつれだし、自分のアパートにもどったことを知った葉子は抑えがたい衝動を覚えて息子を求めて追っていった。近づきすぎると離れたくなる二人。しかし離れるとまた求めてしまう。また二人はお互いをむさぼりあった。
しかし、花井を追っていたカ片貝刑事が、二人の情事をみてしまったことから、二人の話は港町中に知れわたった。

そのあと深はアパートを去るのだが、最後には今一度都合よく現れてくれる(苦笑)。ま、それはいいだろう。
この後の展開ですばらしいのは、あまり関係のなさそうだった花井の秘密が語られることだ。
実は、花井の積まば死んだ時、彼女は医者の西片を情事を重ねていた時だったという。ことが世間にばれるのをおそれて、西片の存在はこのイベントからは消されてしまった。しかし、妻が他の女とエッチしてるときに死んだと聞かされれば心中穏やかではないのだろうが、そこにはもうひとつ秘密があった。
花井は、妻の母と肉体関係があったという。

結局、男と女の関係というのは、理屈では説明のつかないテリトリーであり、なんでもありなのだな・・というエピソードをもうひとつ紹介することで、岩下志麻と坂上忍の親子のエッチ関係も、それほど違和感のあるものとしての印象は沈められ、もうすこし純粋な男女間の営みのように解釈されるようにおちつかせているのである。

by ssm2438 | 2012-01-19 13:58 | 木村大作(1939)
2012年 01月 17日

サンキュー・スモーキング(2006) ☆☆☆☆

f0009381_12181964.jpg原題:THANK YOU FOR SMOKING

監督:ジェイソン・ライトマン
脚本:ジェイソン・ライトマン
撮影:ジェームズ・ウィテカー
音楽:ロルフ・ケント

出演:
アーロン・エッカート (ニック・ネイラー)
キャメロン・ブライト (ニックの息子・ジョーイ)
マリア・ベロ (ポリー・ベイリー)
ロブ・ロウ (ジェフ・マゴール)
ケイティ・ホームズ (ヘザー・ホロウェイ)
ウィリアム・H・メイシー (フィニスター上院議員)
J・K・シモンズ (BR)
ロバート・デュヴァル (ザ・キャプテン)

       *        *        *

そうだ! 多数の意見に属してて何が楽しいんだ!?

タバコ天国の日本ではかなりうといことだが、海外でのタバコ事情は、かなり厳しいものでだ。公共の場でタバコを一本なんてのはかなり顰蹙な行為だし、F1だってタバコの広告をだせないのでマルボロのロゴをバーコードにしないと走らせてもらえない国がある。タバコの健康被害を危惧する国際世論の高まり、バッシングの対象となる。クリーンが心情の政府は馬鹿高い税金をかけ、タバコ1箱(20本)の値段は日本と比べ物にならないくらいべらぼうに高い。イギリスでは一箱1000円近いといわれていた。もっともこれは今みたいに超円高になるまえの相場なのだけど。ドイツ、フランスあたりで600~700円。アメリカでは800円ちかかったはず。
そんなタバコ業界のロビーイストがこの映画の主人公。アーロン・エッカートが扮するこの男は口は達者で、ディベート力はきわめて高く、全国からバッシングされるタバコ業界の宣伝マンとしてマスコミに登場し、相手のコメンテイターたちをなぎ倒していく。アメリカ映画でよくあるコミュニケーションの達人である。
シナリオライターとしてみれば、うふぁうふぁな題材だろう。
かっこいい説得力のある言葉がいっぱい書ける!

そんな主人公に、「なんでそんな仕事をしてるんだ?」という問いがなされる。彼は、「モルゲージのためだ」と答える。「モルゲージ: Mortgage」とは「不動産を担保にした貸付」・・くらいの意味だろう。平たく言えば、マンションや家を購入した時の「住宅ローン」である。

「活きる為に稼がないといけないから自分の得意なことをやっているのであって、ポリシーではない。・・・だから、正義やら道徳心やらをかかげて俺をバッシングしないでくれよ」の意味だろう。

・・・・でも、それってホントなのだろうか?
映画の議論とはまったく別のところに踏み込むのだが、たぶん彼は、それが面白いからやってるのだと思う。大多数を相手に、彼らがベースにしている理性の奥にある、本音を刺激するのが楽しいのだと思う。何かしらの力がある人にとっては少数派に属するほうが何かと楽しいでのある。

ビジュアルリーダーやドラマづくりをしている人は、多数の意見に属することは致命的である。自分の意見が多数派だなって思ったときはもう時代に遅れであり致命的だ。それよりも、純粋に面白くない。最近のドラマがどれも面白くないのは、多数の意見に属した馬鹿プロデューサーがドラマの方向性をきめているからだろう。

だからといって、少数派のアイデアがすべて面白いかといわれればそんなことはない。そのほとんどはトラディショナルな法則にさからって一時のパフォーマンスをしているだけである。大切なのは、今は少数派でも、50年後には多数派になるであろう価値観を今のうちから提示することなのだ。すぐ古くなる新しいものではなく、<古くならない新しいもの>を目指すこと、それが大切なのだ。

では古くならない新しいものとは何か? そもそもそれはどこにあるのか?
それは、実はすでに存在している。ただ、より深いところに存在しているので、まだほとんどの人は気づかないだけだ。
「新しいものを作る」ということは、「珍しいものを作る」ということではなく、「まだ発見されてない真実に基づくものを作る」ということなのだ。

「真実」を発見すれば、新しいものは出来る!
たとえば、車のフォルムにしてそうだ。まだ発見されてない、完全なる空力を具現化するものを作れば新しい車のデザインが生まれる。珍しいだけではすぐ滅んでしまう。
これは物理的なことだけではない。精神世界にもいえることだろう。「世間ではこういわれているけど、なにかへんだ」っていうものに出会うときがある。でもその理由はわからない。だから、世間でそういわれているように解釈しておく・・という結果になる。そんなとき、しばし足をとめてその理由を真剣に考えてみる。その時なにか見えてくるかもしれない。

この映画が素敵なのは、世間ではタバコはけしからんって言われてますけど、それに従うことがどこかうさんくさくないですか???っていう問いかけなのだと思う。

「真実」は多数の意見の中にはない。
多数の意見というのは所詮、「真実がわからないから、とりえずこういうことにしておこう」という、世間と個人が折衝したその妥協案にすぎない。ましてや多数の意見というのは、弱者の都合でしかない。それは一時的な人気取りにはなっても、継続的につづくものではない。なぜなら弱者は滅びるようにできているのだから。
自分を弱者とみなすのは、だれでもそうだ。私もそうだ。しかし、弱者にとって都合のいいことを正当化することが正しいことにはならない。


ものづくり業界に居る人は、多数に属さないスピリットをいつも持っていてほしいものだ。
この映画をみて、そのことを言葉にして言いたくなった。
そういう意味で、とてもいい映画だった!

ほんとは☆3つくらいでいいかと思ったのだが、勢いがついたのでもう1つおまけ(笑)。

<あらすじ>
ニック・テイラー(アーロン・エッカート)はタバコ業界を代表する凄腕のロビーイスト。同じ悪評高いロビーイスト仲間であるアルコール業界のポリー・ベイリー(マリア・ベロ)と、銃製造業界のボビー・ジェイ・ブリス(デヴィッド・コークナー)とはいつも3人で飲んでは日ごろの鬱憤を解放している。
そんな彼をうっとおしいと思っているのが、フィニスター上院議員(ウィリアム・H・メイシー)。彼はアメリカ国民の健康を守るために、タバコのパッケージにドクロ・マークを付けようともくろんでいる。しかし、なかなかテイラーを倒すことは出来ない。しかしそんなテイラーも過激派の嫌煙団体に拉致され、体中にニコチンパッドをhられて中毒死寸前までおちいったりする。さらにスクープを狙う女性新聞記者、ヘザー・ホロウェイ(ケイト・ホームズ)の罠にハマってしまい、ベッドであらいざらいしゃべって慕ったことを記事にされ仕事を失う。順風漫歩だった人生はドトボに陥ってしまった。
そんな彼だが、別れた妻との間の息子ジョーイ(キャメロン・ブライト)だけはそれでもニックを尊敬していた。やる気を取り戻したニックは、タバコにドクロマークを張ろうキャンペーンの是非を問う公聴会に出席、上院議員との最後の対決に挑んでいく・・・。


・・・・しかし、輪が麗しのマリア・ベロ嬢、しばらくみない間に、かなり老け込んじゃいました。うううう。

by ssm2438 | 2012-01-17 12:19
2012年 01月 16日

危険な斜面(2000) ☆☆

f0009381_10204876.jpg演出:大岡進
プロデューサー:中川善晴
原作:松本清張
脚本:金子成人

出演:
田中美佐子 (野崎利江)
風間杜夫 (秋場文作)
大滝秀治 (西島卓平)
袴田吉彦 (沼田仁一)
粟田麗 (木島京子)

    *      *      *

1982年の土曜ワイド劇場で放映された『危険な斜面』が見たかった・・・。

今回私がみたのは、2000年に制作されたTBSが制作した松本清張傑作選のなかのひとつ。過去にも何回か制作されていて、82年に土曜ワイド劇場(テレビ朝日)で、90年に火曜サスペンス劇場(日テレ)で制作されている。80年代の土曜ワイド劇場のレベルは恐ろしく高く、絵作りの基本がしっかり出来ていた。
あの頃の2時間ドラマにくらべると、さすがに2000年に制作されたこのドラマは画面的に完全にテレビ仕様。このころになると、テレビの現場の人ばかりなので、まともに映画として画面が作れる人がいなくなっているのだろう。というよりも、その違い(カメラ位置がもたらす画面の違い、レンズの違いがもたらす画面の意味‥など)すら彼らは理解していないのだろう。絵作りの劣化が急速にすすんでいる現状は嘆かわしいばかりだ・・・。
しかし、撮影は最低でもドラマはしっかりしている。
松本清張の精神的な追いつめ方は素晴らしいの一言に尽きる。


物語はこのようにはじまる。
ある夏の日、山口県の山中で白骨死体が見つかった。歯形の調査や所持品から、遺体は半年前に失踪した野崎利江(田中美佐子)と判明。彼女は西島グループの会長・西島卓平(大滝秀治)の愛人であり、捜索願はその西島が出したものだった。数年前から利江は西島の愛人になり、西麻布に豪邸を与えられ、週に一度情事をかさねていた。山口県警からきた2人の刑事は、そのあたりの事情を詳しくしらべていった。

見ている人は、この西島卓平が犯人ではないか・・?と最初に思うところだ。一応私もかんぐってみた。しかしどうやらこの男ではないことが最初の10分くらいのところで判って来る。
刑事と西島の会話のなかで、西麻布の一軒家を用意し彼女を招いたころの話をしていたときに西島がこのような台詞をはく。

「彼女はここが気にいっとった。
 旧い家なんだがね・・・、
 隣を気にしなくていいから落ち着くわ・・と言っとったよ」

この一言で、一気に物語の終着点を予感させてしまった。
そこには昔に、誰かと性交渉があったことがにおわされており、おそらくその人物が愛憎の果てに彼女を殺すしかなかったのではないか・・という想像がうまれる。物語は見事にその流れにそって展開されていく。

物語を構築する時に重要なのは、そうなるにせよ、ならないにせよ、漠然とした方向性を見ている人に提示しておくことが重要になってくる。見ている人は方向性が見えないまま、ドラマを見せられると飽きてきてしまう。「もしかしたら、こうなるのかな?」という感じるか感じないかくらいのヒントを提示しておけば、とりあえずそを求心力として見てもらえるのである。
その昔TBSで人気を博した鎌田敏夫脚本の『男女7人夏物語』の1話を見ると、誰が誰とひっつくのかな・・というヒントは、そこで既に提示されているのである。

犯人と思しき人物は、西島機械に勤める秋場文作(風間杜夫)という男だった。彼は10年前、池袋でホステスをしていた利江と知り合い交際していた。しかし、秋場には既に結婚する相手がきまっており、利江もその時は静かに身を引いた。その2人が再開したのは西島グループの創立60周年を起点するパーティーの会場だった。2人の関係は再び始まった。それからというもの、ほとんどリストラ寸前の立場だった秋場は、会社に残されることが決定され、西島グループの中核である西島電気に転属となった。利江が会長の愛人であることから、秋場への便宜をはたらいてくれたのだった。
秋場は利江を愛しいと思う反面、不安でならなかった。利江は自分を純粋に求めてくれているが、会長と自分以外にもまだ男の影を感じることがあったのだ。

この後の展開は、松本清張ものではよくある展開で、妻と離婚し自分と再婚することをもとめてくるようになる利江が、重たくなり、追いつめられた秋場は利江を殺ししかなくなる・・というもの。

その殺人にいたる謎解き部分は、刑事が担当するのではなく、利江のもう一人の愛人、沼田仁一(袴田吉彦)が調べていくという展開。
警察は、利江の愛人がおそらく犯人だろうと捜査をはじめている。このままでは自分が犯人になってしまうと危機感を覚えた沼田は友人に相談、もう一人いるはずの愛人の男を捜し始める。ある夜ベッドで彼女を抱いていると、彼女は「吉野さん」と間違えて口にしてしまったという。
やがてその吉野というのは秋場の旧姓であることが判明、西村京太郎的な殺人事件当日のアリバイくずしの推理がはじまる。

by ssm2438 | 2012-01-16 10:22 | 松本清張(1909)
2012年 01月 14日

アフロディーテの吐息(1997) ☆

f0009381_2135392.jpg原題:VIVID/LUSCIOUS

監督:イヴァン・ジョルジアデス
製作:ニコラス・スティラディス
脚本:イヴァン・ジョルジアデス
撮影:ルデック・ボグナー

出演:カリ・ウーラー (ビリー・レイノルズ)

       *        *        *

こんなのエイドリアン・ラインに撮らせろ!!

この写真もまったく雰囲気がちがう(→)。
舞台は貧乏アーティストのアトリエなので、こんなゴージャスな部屋はでてこない。

スランプのアーティストと同居してるのだけど、まったく筆が進みそうもない。ヌードのモデルもやってあげてるのに、筆はすすまない。そんななりゆきから、彼女の身体にボディペインティングをほどこして、カンバスのうえで“H”してたらなんとなくアートな模様ができあがってしまい、それからというもの、ペンキをお互いの身体にぬってカンバスの上でセックスをするという話。


たまたま昨日『アナコンダ』をやってるのを見てしまったので、なんとなく思い出してこれも書いてみる。

『アナコンダ』の主役はジェニファー・ロペスですが、そのほかにもアンジェリーナ・ジョリーのとーちゃんジョン・ボイドとか、フィギュアースケーターの青いほうとときどき間違えるオーウェン・ウィルソンとか、けっこいう有名人が出てるのです。そしてこのカリ・ウーラーもその一人。
実は昨日までまったく意識したことがなかったのですが、“あれ、このお姉ーちゃん可愛いじゃん”って調べてみたら、知ってました(苦笑)。そうです、むかしみた、ソフト“H”系の映画に出てました。その映画がこれ。

ま、アーティストのはなしだったのでもしかしたら面白かもと思い借りてきたのですが、いかんせん、本物よりも絵がばっちい。それ以上に身体にぬったペイントがばっちい。そのばっちさといったら兵庫県知事さんがもんくをいったという『平清盛』の比ではありません。せっかくぬぎっぷりのいいカリ・ウーラーのボディも台無しにするだけのただただきたなない色。単色だけならいいのだけど、赤や緑や青や黄色を節操なくまぜるものだからひたすらばっちいドブネズミ色にしかならない。

アートのセンスがない人ってどうしてこんな馬鹿なことするんでしょうね。出来ることが全部アートなら誰にでも出来る。実はアートって、その水面下に<法則>があるもの。もっともそれが理屈なのか、感性なのか、あるいは本人が解っているか、いないかはおいといて・・なのだけど。
この監督はただ、珍しいアバンギャルドなことをしただけで、だからといってそれがアートになるわけがない。ただのアホです。出来上がったものもアートと呼ぶにはほどとおいもの。最近この手のバカがおおすぎる。CGのアフターイフェクトなりなんなりでフィルター使えば適当に目新しいものができるけど、どういう意図なのかを理解してやってるわけではなく、ただ、そこにあるボタンを押した結果目新しかったからそれでいいや・・というのと同じ。バカってのは、珍しさだけにとらわれて、意図するものがないのですよ。最近糞映画がおおいのも、撮影方法や画像処理がおおいので、なんだかんだとクリックしてて無作為にできあがったものを使ってる感じで、まったく意図してそれをやってる感じがしない。おかげで糞画面ばかりが反乱する・・。

アートがアートでないのだがら、全然物語として成立せず、カリ・ウーラーのヌードも台無しにするという、どこもほめるところがないという代物でした・・・・。

しかしカリ・ウーラーは良いです。
彼女のヌード(上)と、ドブネズミ色の糞演出(下)。
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by ssm2438 | 2012-01-14 21:36
2012年 01月 14日

グラン・プリ(1966) ☆☆

原題:GRAND PRIXf0009381_14514736.jpg

監督:ジョン・フランケンハイマー
脚本:ロバート・アラン・アーサー
    ウィリアム・ハンリー
撮影:ライオネル・リンドン
音楽:モーリス・ジャール

出演:
ジェームズ・ガーナー (ピート・アーロン)
イヴ・モンタン (ジャン・ピエール・サルティ)
三船敏郎 (ヤムラ)

       *        *        *

HONDAカラーはやっぱり白でしょう!

ジェイソン・バトンルーベンス・バリチェロがドライブしてたホンダRA107は、なにを勘違いしたかアースカラーだとかいって、地球をプリントしたようなカラーリングもってきた。やっぱりホンダは白でないといかんでしょう。

ホンダがF1に参戦したのは1964年のシーズンからである。当時のマシンはホンダRA271で、葉巻の上にコックピットをのせて、その風防のまえに赤い日の丸を配しただけのシンプルな白いマシンだった。『ルパン三世』の1話にF1レースが描かれているが、ちょうどあのころのレーシングカーだと思っていただければよいだろう。このシーズンの最後のレースでホンダは優勝してしまう。じつはタナボタ的な勝利であはあったが、F1デビュー11戦目で優勝してしまったことは特筆するべきことだっただろう。
右も左もわからないF1の世界に突然白いマシンで参加してきたアジアのチーム。欧米人も未知数な力の少なからず興味をもったのかもしれない。
その翌年に制作され、66年に公開されたのがこの『グラン・プリ』という映画。主人公のジェームズ・ガーナーが乗るマシンは、三船敏郎扮するヤムラという日本人オーナーのチーム。明らかにHONDAをイメージしていた。

映画の中では、イブ・モンタンの恋愛事情や、事故から復帰するジョーダンのドライバーの正統な頑張りなどが語られており、ほとんどこれはメロドラマである。しかしレースシーンはしっかり撮られており迫力充分。さすがフランケンハイマー。そしてサーキットの特徴でもあるベルギーのスパサーキットの変わり易い天候やら、けっこうレースのツボは押さえ込んでいる。
ただ・・・、映画が楽しめるレベルの物語ではない。チームの経済事情や、ドライバーの移籍事情など、もっとF1ビジネスのインフラを描いてくれると面白いものになったのに、全体的に大雑把な仕上がりになってしまった。ジョン・フランケンハイマー大好き人間の私だが、申し訳ないが、物語は「つまらなかった」と言わざるを得ない。
音楽は『アラビアのロレンス』モーリス・ジャール、あいかわらずうるさい(笑)。

f0009381_1453119.jpgちなみに、この映画の最後でイブ・モンタンが死ぬイタリアGPのコースは、バンクのあるオーバルコースも使われている。ジョーダンチームがこのころからあるのは嬉しい。

<あらすじ>
そのシーズンの最初のF1はモナコGPだった。アグレッシブな走りをするブラバムのアメリカ人ドライバー・ピート(ジェームズ・ガーナー)は事故を起こし、地中海に投げ出された。優勝したのは赤いマシンにのるサルティ(イヴ・モンタン)だった。
この事故のためにシートを失い、さらにピートの妻も彼の元を去った。傷心の彼に救いの手をさしのべたのは、日本のマニファクチャ、ヤムラ(三船敏郎)だった。彼はピートのファイトを買い、日本チームへの参加を勧めた。ヤムラのおかげでピートはよみがえり、つぎつぎとレースに優勝していった。
そしてフォーミュラー・ワンの最後のレースであるモンツアのイタリアGPを迎えることになった。レースは白熱化し、異常な興奮をまき起こした。レースではサルティの車はオーバルコースを失踪するマシンがコントロールを失い、宙に待った。チェッカーを受けたのはピートの乗る白いマシンだった。

by ssm2438 | 2012-01-14 14:54 | J・フランケンハイマー(1930)
2012年 01月 13日

幸福の黄色いハンカチ(1977) ☆☆

f0009381_14401222.jpg監督:山田洋次
原作:ピート・ハミル
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:佐藤勝

出演:
高倉健 (島勇作)
倍賞千恵子 (島光枝)
武田鉄矢 (花田欽也)
桃井かおり (小川朱実)

       *        *        *

柱のき~ず~はキリギリス~
5月5日のキリギリス~


1977年の日本アカデミー賞をほとんどとってしまったこの映画、世間ではけっこう褒め称えられているのですが・・・、どうも、私はいまひとつ空振ってしまったようでした。。。

山田洋次といえば誰もが『男はつらいよ』を思い浮かべるものです。そういう私も山田洋次ものは嫌いではなく、なんだかんだといいながらコンプリートしてしまいました(苦笑)。
寅さん映画は1969年封切られたのを最初に、当初は年に3本が制作されています。さすがにマンネリ化を感じたのか、1973から年に2本づつ製作されるようになり、3本目は山田洋次も別の作品に時間をさいていたようです。1977年には3本の映画を監督し、そのうち2本は『男はつらいよ』で、もうひとつがこの『幸福の黄色いハンカチ』でした。ちなみにこの年公開されて2本の寅さん映画は、『男はつらいよ、寅次郎と殿様』『男はつらいよ、寅次郎頑張れ!』でした。
残念ながらこの2本はどちらもパンチにかける作品でした。特に『男はつらいよ、寅次郎頑張れ!』は当時人気の中村雅俊大竹しのぶという、若手人気の俳優人を要したにもかかわらず、今ひとつありきたいの出来になってました。意外と山田洋次にしてみればスランプの年だったのかもしれません。
・・・というか、絶対そうなのだと思います。
最後にはたしかにウルウル来るのはいつものことなのだけど、どうもいまひとつハマらなかったのです。
そのおおいなる原因は、やっぱり高倉健が演じた島勇作という男のキャラクターにあるのでしょう。

そもそも男というのは、女を愛する時に、その女自身を愛しているわけではありません。男が愛しているのは、自分のなかの理想の女性像であり、それだけです。男というのは、それをオーバーラップできる対象に、「ああ、この人こそそういう人なんだ」って思い込むとき、それを愛してると勘違いする生き物なのです。なので、その点においてこの島勇作というキャラクターはかなり男の本性を露呈しているキャラクターだといえるでしょう。しかし、現実ではそんな人はいるはずもなく、現実と妥協してはじめて恋愛というのが成立します。

本作では、島勇作にとって光枝が理想の女性だと思えていた間は、それが機能します。あたかも幸せな恋愛のようにもみえます。しかし、流産を境に、光枝の過去があるていど見えてきて「自分が好きになるはずの女にはこんなことが起きるはずがない」と絶望します。
そんなエピソードをみていると、高倉健が演じるこの男は、終始自分の理想の幻影しか愛していないように思えるのです。
この映画をみて、島勇作は光枝を真っ正直なまでに不器用なまでに愛しているのだ・・と思えたなら、この映画をみて感動できるとは思うのですが、どうも、私にはそう思えなかったのです。。。結局最初から最後まで、光枝自身が確かに愛されてるとはまったく感じられなかったので、この物語にのめりこめなかったのです。
ただ、ある程度ドラマの見方は心得ているので、「一応これでそういう<一途な想い>ということになっているんだな」と理性的に考えて、なんとか物語りについて行ったというのが正直な私の感想でした。ま、それを化膿してくれる山田洋次の上手さもあるのですが・・・。

あとひとつ、やっぱりこの映画は好きになれないのはキャスティングにあるのでしょう。
私はどうも、画面のなかに武田鉄也が出てくるのが生理的にきらいみたいです。さらに桃井かもりもキライみたい。どうも、あのだらしのないしゃべり方がキライで、なおかつ、あの結局は自分に都合のいいことしかよしとしない傲慢なさがキライ。さらに言えば、本音を語っているように聞こえるが、自分の優位性を勝ち取るために相手の弱さを攻撃しているような態度がキライ。

<あらすじ>
失恋してヤケになった花田欽也(武田鉄矢)は、有り金ははたいて真っ赤なファミリアを購入、フェリーに乗り釧路をに上陸する。網走の駅で、一人旅らしい女の子に声をかけ、なんだかんだと誘い文句をならべ、同行してもらうことに成功する。彼女は朱美(桃井かおり)といい、やはり職場で嫌なことがあり、衝動的に北海道に飛び出してきた一人だった。海岸にやってきた2人は、そこで海を眺めていた島勇作(高倉健)に写真を撮ってもらった縁で一緒に旅を始めることになる。
ことのなりゆきで勇作がハンドルを握っていたとき、一斉検問に引っかかり、勇作が無免許運転であったことが判明、無免許の理由を問われ刑務所に入っていたことを話す。最寄の警察署に連行されるが、昔勇作の事件を担当した渡辺係長(渥美清)の温情で事無きを得る。刑務所帰りがばれた勇作は汽車で行くと言うが、結局は3人旅は続いていく。
車の中で勇作は自分の過去を語り出す。スーパーのレジ係だった光枝(倍賞千恵子)との出会い、結婚、そして幸せな新婚生活。しかし光枝は流産をきっかけに光枝の過去を知る。絶望した勇作はヤケになり夜の繁華街に繰り出し、絡んできたチンピラとの喧嘩で相手を死なせてしまう。
それから6年、刑務所から出来てたのが、今の勇作だった。
勇作は網走で葉書きを出したことを告白する。「もし、まだ1人暮らしで待っててくれるなら…黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ、もしそれがなかったら俺はそのまま引き返して、二度と夕張には現れない」・・・と。
それを聞いた欽也達は一緒に夕張に行くことを決心する。


・・・・・しかし、最後の再会のシーンはやっぱりよかった。
アップで撮ることなく、横からのアオリ気味のロングで捉え、なにを語ったのかもわからない。

ハンカチを見上げる高倉健。しばしして、うちのほうに向かう。
そのままの状態で顔をおさえる倍賞千恵子。
やがてもどってきて、そっとかたをだいてやる高倉健・・・。

この賠償千恵子の、高倉健の移動下方向をフォローすることなく、そのままの状態でうなだれるところが実に素敵だ。。。。

by ssm2438 | 2012-01-13 14:42
2012年 01月 12日

暖流(1957) ☆☆☆

f0009381_12345926.jpg監督:増村保造
原作:岸田國士
脚本:白坂依志夫
撮影:村井博
音楽:塚原哲夫

出演:
根上淳 (日匹祐三)
野添ひとみ (志摩啓子)
左幸子 (石渡ぎん)

       *        *        *

愛ってすべっからしになることなの・・・。

原作は岸田國士の同名小説で、とある私立病院における人間のどろどろを描いた作品の、何度目かの映画。世界観的には『白い巨塔』山本薩夫で撮ってほしいところだ。

増村保造は、私の大好きな監督で、ヘビーな作品としては『清作の妻』『赤い天使』<がある。その一方で、それまでドロドロで陰湿になりがちだった日本映画を、からっとあっけらっかあーーーんと描いてしまうような作品もある。野添ひとみ川口ひろしで撮った『くちづけ』などは大成功作品だろう。ほかにも『巨人と玩具』『青空娘』のように、早口・棒読み・あっけらかん路線の映画はある。増村保造はこの映画をこの路線でとってしまった。もしかしたらこの映画以前に、吉村公三郎が撮っているものとの差別化を意識したのかもしれない。ただ・・・、やっぱりこれはダークなグログロ路線撮ってほしい素材である。
今回の映画の増村保造起用はちょっと残念だったが、原作そのものの魅力で☆ひとつおまけ。
後に野村芳太郎岩下志摩で撮られた1966年のほうが見たいところだ。

それでも、志摩啓子・・・いいなああ。『明日のジョー2』白木葉子を重ねて観てしまう・・・。
志摩啓子というのは野添ひとみ演じるこのものがたりのお嬢様ヒロイン。大病院の娘で、何不自由なく暮らしていた。インテリな傲慢なキャラではあるのだが、これが極めて清楚で清らかで、たくましい。しかし感情の表現が苦手で、いつも自分の感情を抑えて生きている。この清らかさとたくましさと、不具合さがきわめて私の好きなタイプである(笑)。
その対角におかれているのが、左幸子演じる石渡ぎん。志摩啓子とは高校の時の同級生らしい。しかし、こちらは、感情をどあああああああっと出すタイプで、幸せな時は「私幸せええええええ」、不幸なときは「私不幸うううううう」、主人公の日匹(ひびき)にかまってほしいときには「かまってえええええええ」とうざいくらいに感情を放出していく。
このふたりの間に根上淳扮する主人公の日匹が存在し、志摩啓子にあこがれながらも、最後は石渡ぎんとひっつくという話。この物語が抜群に面白いのは、この<人並み以上に感情を押し殺す女>と<人並みに感情を制御する男>と<人並み以上に感情を表現する女>の絡み合いが面白いのだ。

日匹祐三に一目ぼれした志摩啓子だが、日匹祐三のあまりに自身のある態度が鼻につき、彼を直接求めることが出来ない。そんな啓子は、志摩病院の若手で有望な医師・笹島と接近、する。しかし、これら全ての行為はどこか日匹祐三への“かまってかまって信号”だったのだろう。笹島から結婚を申し込まれても、どこかうけいれられない啓子。
志摩病院の業務改革を任されいる日匹祐三は、啓子の高潔さに惹かれながらも、内部情報に詳しい看護婦の石渡ぎんとの接点をもつようになる。ぎんは日匹祐三に頼まれて、彼のために働くことに幸せを感じている。

憧れの女性に心奪われながら、一緒にいて居心地のいい女性と行動をともにする。

恋愛ドラマの王道である。
日匹祐三はぎんの存在がうざくなり、さらに笹島に愛人があることが発覚、啓子が彼との婚約を解消すると、自分の心をおさえられなくなり、啓子に結婚を申し込む。しかし啓子はこれを拒否。日匹祐三のあたかも保護者のようにふるまうその態度がどうにも鼻につくのだ。
それからひともんちゃくあり、結局日匹祐三と石渡ぎんがおさまるところにおさまる。物語の最後で、啓子が祐三に自分の心を伝えたときには、すでに祐三の心はそこにはなかった・・・。


しかーし!
このドラマのカッコいいのは、このあとの啓子なのである。
祐三にぶつけた自分の愛情を拒否されてからの去っていく彼女の後姿、そしてそのあと母とかわす一連のやりとり。この啓子をみせるためにいままでの全てがあったといっても過言ではない。それはまさに『風と共に去りぬ』ヴィヴィアン・リーのような気高さである。このシークエンスだけで、この映画は私のなかではとても大事に映画になってしまった!!!!
おおおおおおお、美しい。潔い。志摩啓子、まさに私の大好きなヒロイン像である。

この高潔さを選ばずに左幸子にいってしまう主人公ってアホとしか思えん。
野添さん好きです~~~~~。


<あらすじ>
志摩病院は都内でも屈指の私立病院であるが、莫大な借金を抱えていた。病院を手放せばその借金は返せるのだが、創立者の志摩泰英には耐え難い選択だった。そんな病院の建て直しを任されたのが日疋祐三(根上淳)だった。祐三は孤児であり、志摩家の援助を受けて大学を卒業し、事業家として頭角をあらわしていたのである。
さらに泰英は自分の余命がいくばくもないことを知っていた。そんな彼が気にかけているのが娘の啓子(野添ひとみ)のことである。せめて命のあるうちに啓子に結婚相手がみつかることを願っていた。そしてまもなく院内でも秀才で通る青年医師・笹島と付き合うようになり笹島からプロポーズを受ける。
しかし、啓子にはきになる男がいた。父の泰英から志摩病院と志摩家の資産の正常化と管理を任された日疋祐三である。祐三の強引なまでの経済管理は、院内だけでなく志摩家の生活にも容赦はなかった。しかし、与えられた仕事を無慈悲に成し遂げていく祐三に啓子もすくなからず魅了されていった。
やがて志摩泰英は急逝した。っそれでも病院は祐三によって経営の一新がすすめられいく。泰英の一人息子だが、無能な医師・志摩泰彦(船越英二)も病院から追放され、彼をかついでひそかに病院ののっとりを狙っていた派閥も解体されていく。
周りは敵ばかりの祐三に協力的だったのは看護婦の石渡ぎん(左幸子)だった。しかし祐三は彼女の好意を押し付けがましく感じ始めていた。
一方祐三は、志摩家の財産を守るための一環として、啓子の婚約者・笹島の素行調査を行うが、笹島には女性関係があった。祐三はそれを啓子にありのまま伝えたが、かえって軽蔑されてしまう。笹島の愛人宅をたずねる啓子。そこにはおくすることもない愛人が啓子を迎え入れ、笹島もそこに現れる。しかし、彼もまた、おくすることなく、「自分には愛人がいるが、それでも啓子と結婚したい」と言う。
啓子は笹島との婚約を解消した。
祐三は関西の資本家を動かすことに成功、新院長も決定し、彼の仕事もそろそろ終局に近づいていた。
そしてそれぞれの恋愛事情も結末に向かっていた・・・。

by ssm2438 | 2012-01-12 12:42 | 増村保造(1924)
2012年 01月 09日

AVP2 エイリアンズVS. プレデター(2007) ☆

f0009381_21483071.jpg原題:ALIENS VS. PREDATOR: REQUIEM

監督:コリン・ストラウス/グレッグ・ストラウス
脚本:シェーン・サレルノ
撮影:ダニエル・C・パール
音楽:ブライアン・タイラー

出演:
レイコ・エイルスワース (ケリー・オブライエン)
クリステン・ヘイガー (ジェシー)

       *        *        *

うむむむむ、シナリオ段階で崩壊してるかも・・・。

AVPというコンセプトになってからは、もう正統は恐怖映画としての価値はなく、ひたすらエンタメ映画になってしまったのは、まあ、そういうことなので仕方がないとしても、今回のこれはひどいなあ・・。面白く作ろうとおもったらいくらでも面白く作れる要素があったのに、最悪な映画として出来上がってしまった。

今回の『AVP2』はシリーズ通して最高に楽しめるシチュエーションだった。つまり、エイリアンが、人間社会に登場したということ。実はこれだけでも、大変面白い映画になるはず。一番スタンダードな最初のやった『エイリアン』とのスタイルで映画を作ってもほとんど大成功になる可能性充分にあった。
なのに才能のない作り手が<足し算の法則>を擁してどうにもとらえようのないものにしてしまった。映画というのは<引き算>で作られれば面白いのだが、<足し算>で作られるとおバカになってくるという法則がある。<引き算>で作られる映画というのは、一番大切なもののために、二番目に大切なものを犠牲にしていく話になる。犠牲にしていく要素が重ければ重いほど、最後の勝利は価値があがるというメカニズムである。
この映画にも、もちろん犠牲になる人のシーンは多数でてくるのだが、引き算ではなく足し算。とりあえずこういう人がいて、またエイリアンにやられました・・ってイベントだけが積み重ねられていく。

物語の法則的なことで言えばそういうことなのだが、それ以上に、話に節操がない。それぞれの存在の行動意識のなかに美学がない。なのでひたすらばたばたやってるだけ。登場人物の生き方に美学がないなら、それは死人も同じ。
いや、それでもよかったのですよ、それに徹することが出来れば。
地球に繁殖し始めたエイリアンと、その繁殖を食い止めるために送り込まれたプレデターの戦い、彼らにとっては人類がどうなろうとかまわない・・ってシチュエーションに徹することができるなら、それはそれで面白かったかも・・・。ま、これはほとんど、ギャオスと戦うガメラみたいなものですな・・・。

<あらすじ>
エイリアンとの戦いで戦死したプレデターの戦士の中にはエイリアンが巣食っていた。そして飛び出したニュータイプのエイリアン。それは、彼らの宇宙船のプレデターたちを抹殺してしまう。コントロールをうしなったその宇宙船は再び地球軌道に戻り、コロラドの森林に墜落した。この事態を憂慮したプレデターたちは、地球上でのエイリアンを撲滅するために一人の戦士を地球に送る。
しかし、すでにエイリアンは地上に繁殖しはじめていた。彼は宇宙船を爆破し、エイリアンを撲滅すると共に、自らの存在の証拠になりそうなものの消滅させていく。

PS,全然関係ないが、主人公らしい女性を演じたのがレイコ・エイルスワース
名前が「Reiko」ってだけでちょっとときめいた(苦笑)。

by ssm2438 | 2012-01-09 21:48
2012年 01月 07日

リストラ凌辱銀行・キャリアへの復讐(2000) ☆☆☆

f0009381_12272285.jpg監督:坂本太
製作:海津昭彦
企画:望月健二
脚本:佐々木乃武良
撮影:佐藤文男

出演:井上尚子(麻木真由子)

       *        *        *

ゲテモノのなかに咲いた一輪の花。

数あるザコビデオのなかに何か良いものはないかとあさっていたらヒットしました(笑)。話は、リストラされたサ銀行員が、その判断を下した女性上司への復讐するというもので、その話自体はよくある話です。ジャンル的に成人映画のOVAで、アダルトビデオと違って、“H”をしているものではなく、全部芝居です。
しかし、その芝居が余りにしっかりしているのでみていて心地が良いのです。

そもそも、映画というのは嘘で本物を感じさせるものを作るものです。たとえば、映画の主役の人が、適役を殴るカットがあるします。しかし、主役の人は適役の人をほんとに殴っているわけではありません。もし、その撮影中に、間違ってその拳が相手の肌をかすめようものなら、それは人権問題として大問題になります。彼らはそれを芝居としてやるのが仕事で、決して実際に殴っている事実があってはいけないのです。そしてプロの役者なら実際に殴らなくても、出来上がったものでは、実際になぐっているようにみせられるのが当たり前なのです。

f0009381_1239884.jpgそしてこの主役の井上尚子さんの芝居が圧倒的に素敵です。撮影がスゴイ!とか、シナリオが良いとかには敏感は私ですが、芝居が良い!っていうので感動したのは久しぶり。
彼女は、どっちかというとおっとり系の顔で、実は写真集をもっているのですが、それほどカメラ映えする人だとは思ってなかったのです。さらにキャルアウーマン的なのはあまり似合わないようなきもしてたのですが、コレ見る限り、バリバリのキャリアウーマンのきびきびした仕草をきちんと演じてます。顔も、メイクのちからで、おっとり顔がきりり顔に変身。
バスとはかなり大きく、プロポーションも素晴らしい。ただ重力にまけているのがちょっと悲しい。でも外見からは考えられないくらいなにからなにまで真剣そのもの。“H”シーンでの芝居がすごくしっかり出来てる。人工的な物語の展開に、彼女の芝居がリアリティを与えている。物語の作りはかなり大雑把な話なのですが、どんなシーンでも真剣に演じてしまう彼女の潔さにスタッフもキャストも引きずられたような空気感。
ひさびさにまじめの取り組まれた“H”ものOVAというのを見たという想いがしました。すばらしい!!

<あらすじ>
菱友銀行の麻木真由子(井上尚子)は、上司の杉山と不倫関係を結び、着実に地位を固め、新しいプロジェクトの指導的立場を手に入れた。菱友銀行は、多額の不良債権を抱えてた東西銀行吸収合併し、ITバンクとして立ち上げるようとしていたのだ。そのためには、大幅にリストラする必要があった。東西銀行に乗り込んだ真由子と杉山は、辣腕を振るって続々と中堅行員たちに引導を渡していく。
ITバンクへの改装に向けて、連日ハードな業務をこなす真由子。しかし、彼女は常に何者かの視線を感じていた。リニューアルされた東西銀行の開店当日がやってきた。その朝、なぜかコンピューターの梱包が届けられる。その中には全裸のままビニールに包まれ失神した窓口係の仁美(南あみ)がいた。
その事件は真由子に振りかかる忌まわしい復讐の予告に過ぎなかった…。

たまに、こういうの見つけると嬉しいものです。
普通にみたら☆ふたつが妥当でしょうが、井上尚子が素晴らしかったので☆一つおまけしました。

by ssm2438 | 2012-01-07 12:28