西澤 晋 の 映画日記

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2012年 02月 27日

やかまし村の子どもたち(1986) ☆☆

f0009381_124178.jpg原題:ALL A VI BARN I BULLERBYN
    THE CHILDREN OF BULLERBY VILLAGE

監督:ラッセ・ハルストレム
原作:アストリッド・リンドグレーン
脚本:アストリッド・リンドグレーン
撮影:イェンス・フィッシェル/ロルナ・リンドストレム
音楽:イェオルグ・リーデル

出演:
リンダ・ベリーストレム (リサ)
アンナ・サリーン (アンナ)
エレン・デメルス (ブリッタ)

     ×   ×   ×

あ、おれ、アンナと結婚する!
ちょっと三上に似てるかも(笑)。


子供心を描かせたら天下一品のアストリッド・リンドグレーン原作を『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』ラッセ・ハルストレムが監督したこの『やかまし村の子どもたち』。スウェーデンの田舎のひと夏の風景をスケッチしただけの映画なのだけど、子供のみずみずしい感性にあふれていて、なおかつあまり危険がない牧歌的な映画である。
しかし、スウェーデン映画って、なんであんなに映画のレベルが高いんでしょうねえ。こんなファミリー向け映画も、どろどろの『ドラゴンタトゥーの女』でも、どちらも手を抜かずにがっちり撮ってる。人気取りてきな作り手の不パフォーマンスではなく、その物語と伝えるのにどう撮ったら一番効果的かという撮り方をゆるぎなく実践しているっていう感じがする。画角の選択がすばらしく、とても見やすい画面である。

ただ、物語としては総てが平和すぎるのでちょっと刺激がない感じ。その数年前に作られた同じリンドグレーンの『川のほとりのおもしろ荘』では、子供のもつプライドとか意地の張り合いとか、主人と使用人の身分の違いからくる心の摩擦とか・・、心にぴりりと来るところを突いてきていたのに比べると、ややぬるい気がした。

ただ、この映画の楽しいのはその後を想像するときのわくわく感だろうな。このやかまし村には3世帯しかなくて、その3世帯の子供達6人がいつも仲良くいっしょになって遊んでる。さらにおませな所は、すでに彼ら(男の子3人、女の子3人)の中では、誰が誰と結婚するってところまで決めているらしい。そうすれば彼らは大人になってもこの村からでていかなくていいからだという。こういう子供の時間を過ごした彼らが大人になってからどうなるのか・・・、できるならこの映画の5年後がみてみたいですね。
その6人の間で暗黙の了解して出来てるこの協定が、何かの拍子で崩れた時・・・、なんかとんでもなく楽しいドラマが待っていそうな気がする。

あと、夜が素敵!
本編の中では、夜になると水の妖精を見に行くというエピソードがある。しかし画面がいつまでたっても夕暮れなみの明るさで、真っ暗にならない。あの感覚はスウェーデン独特のものだ。北極点に近いので夏は昼がながいのである。時計の針が夜になっていたとしても、あたりは夕暮れモード。子供達にとっては楽しい時間だろう。しかし彼らも大人になると冬のほうが好きになるに違いない。

ちなみに、アンナを演じたアンナ・サリーン(↓)は、いまでは歌手として活躍しているそうな。上の写真の左から3番目の女の子である。
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by ssm2438 | 2012-02-27 01:04
2012年 02月 25日

TIME/タイム(2011) ☆☆

f0009381_2204420.jpg原題:IN TIME

監督:アンドリュー・ニコル
脚本:アンドリュー・ニコル
撮影:ロジャー・ディーキンス
音楽:クレイグ・アームストロング

出演:
ジャスティン・ティンバーレイク (ウィル・サラス)
アマンダ・サイフリッド (シルビア・ワイス)
ヴィンセント・カーシーザー (シルビアの父フィリップ)
キリアン・マーフィ (時間警察:レイモンド・レオン)

     ×   ×   ×

それでもハイヒールを脱がないアマンダ・サイフリッド!

かなりチビなことにコンプレックスあるのでしょうか・・・。
この物語の中では、貧乏人しか走らないことになっているのだけど、彼女は主人公と同行するはめになってしまったばっかりに走ることを経験する。しかし、ハイヒールは意地で脱がない。

『ガタカ』『トゥルーマン・ショー』でスマッシュヒットをかましてくれたアンドリュー・ニコル。そのご没落の一途をたどっているのだけど、なかなかその没落はとまらないならしい。あんまり評判がよくないのでどうしたものかと思ったが、それでもアンドリュー・ニコルなので仕方がない、見るしかないだろう。
で、みた。

・・・・思ったより面白かった。

アンドリュー・ニコルなので、がちがちのSFになるはずがないし、そんなものをアンドリュー・ニコルに期待するほうがおかしい。彼はレトロフューチャーの領域であるテーマを語る人なので、このようなテイストになるのは予想できたし、特に前半部はみていて悪くはない。レイアウトもシンプルだし、照明もシンプルだし、一言で言ったら、ジャック・ベットリアーノ(Jack Vettriano)や、エドワード・ホッパー(Edward Hopper)の絵のような感じがすごいくいい。とにかくごちゃごちゃしすぎる最近のうざい画面が見飽きてる私にとってはこういう画面は大好きである。

特にやられたなと思ったのは、アマンダ嬢と主役の誰やれさんが海にはいっているところ。あの画面はいい。腕にはりついているト-カ光の緑色のライトが水面下にゆらゆらしている。あの画面だけで「やられたあああああ」と思ってしまった。

通貨が時間であるという物語の設定は面白いのだけど、この人の場合は、リアルな世界観は描けないひとなので、こんなものなのだろう。実はみているとそれほど新鮮さを感じなかった。というか、アンドリュー・ニコルに新しいものなど描けない。
これは、私が思うことなのだが、一般的に人々が「新しい」と感じるものとは、競争原理のもっとも先取りをしたところにあるような気がする。しかし、アンドリュー・ニコルの場合は、価値観がかなり旧いのである。ほとんどニュー・アメリカンシネマ時代の遺物といっていいだろう。権威に逆らい、正統な方法で裕福になることが出来ない人間達が銀行強盗をした映画がやたらと反乱した時代だった。『俺達に明日はない』、『明日に向かって撃て』、『華麗なる賭け』・・・など。
結局あの時代の精神は、正当に戦い抜くことのあきらめと、もてるものへの嫉妬心と、無責任の賛歌でしかない。これが顔をだすと、アンドリュー・ニコルの作品は気持ちよくないものになってしまう。。。

・・・しかし、風呂敷を広げただけで、まとめきれなかったところが数々あるシナリオだった。
ちがう人に一度読ませて問題点を明確にしてから今一度更正しなおすべきところがかなりあった。ひとりよがりシナリオというのはそれはそれでかなり魅力的ではあるのだが、これくらいいい加減になってしまうとちょっとうんざりである。

<あらすじ>
時間が通貨であり、裕福層は膨大な時間をもち、ワーキングプアーは明日の命も知れぬ中で生きている世界。ウィル・サラス(ジャスティン・ティンバーレイク)は、明日の命も分らぬ中で生きている労働者。仕事の帰りにある裕福層の男を救ったことから、彼の寿命をもらう。母の死がトリガーとなり、この社会に復讐することを誓ったウィルは裕福層が住む〇〇地区へと乗り込んでいく。
そこのカジノでフィリップ・ワイス相手に一儲けしたウィルは、彼の娘のシルビア(アマンダ・サイフリッド)と知り合う。いいムードになった2人だったが、不当に手に入れた時間だとして時間警察のレイモンド・レオン(キリアン・マーフィ)に時間を取り上げられてしまうウィル。シルビアを人質に逃げるウィルだが、強盗団に襲われてシルビアも時間をほとんど失ってしまう。
かくして、明日の時間を気にすることなく生きていたシルビアは、ウィルとともに、寿命に追われながら命をつないでいく。。。

by ssm2438 | 2012-02-25 02:22
2012年 02月 20日

たそがれ清兵衛(2002) ☆☆☆

f0009381_012334.jpg監督:山田洋次
原作:藤沢周平
    『たそがれ清兵衛』『竹光始末』『祝い人助八』
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:長沼六男
編集:石井巌
音楽:冨田勲

出演:
真田広之 (井口清兵衛)
宮沢りえ (飯沼朋江)

     ×   ×   ×

藤沢周平モノは、『必死剣・鳥刺し』『隠し剣・鬼の爪』、『花のあと』とつづいて『たそがれ清兵衛』。本来一番最初にみておくべきこの映画が最初でないので冷静にみられたかな。既に前の作品で、サラリーマン・サムライ道をみせられていたので、これを一番初めに似た人たちよりはインパクトがなかったのだと思う。しかし、既存のチャンバラ時代劇が時代劇だと思っている人たちには、この藤沢周平の時代劇というのはある種のカルチャーショックがある時代劇である。江戸時代でも経済がありサラリーマンとしてはたらく武士たちの生活が克明に描かれている。それまでの経済観念が記号的でしかなかった時代劇とは全然質のちがうリアルな感覚なものを魅せられるシリーズである。この概念を作り上げたということではこの『たそがれ清兵衛』の作品価値は高い。

ただ、リアリティを追求するのは良いが、東北弁をつかうのはいかがなものかと・・・。
『必死剣・鳥刺し』や『花のあと』は標準語でつくってあるのだが、私としてはこちらのほうが見やすかった。
同じ山田洋次が撮った『隠し剣・鬼の爪』との類似性を指摘されているが、というかコチラのほうが先なので非難されているのは『隠し剣・鬼の爪』のほうなのだが、物語の面白さは後発の『隠し剣・鬼の爪』のほうがなにかと面白く感じるように作られていると思う。
いままでみた4本のなかでは、『必死剣・鳥刺し』が一番良かった。

<あらすじ>
江戸時代末期、東北は庄内平野に位置する海坂藩(うなさかはん)の下級藩士・井口清兵衛(真田広之)は、妻に先立たれた後、幼いふたりの娘と年老いた母の世話に明け暮れていた。お蔵役の仕事が終わるたそがれ時になると、仲間からの飲みの誘いにも断りそそくさと返って行くため、「たそがれ清兵衛」と呼ばれていた。着ているものはぼろばかり、湯銭にも通えず汗臭いにおいをさせていた。
そんなある日、甲田の家にとついだ友人の妹の朋江(宮沢りえ)が離縁し戻ってきたという。その朋江が、清兵衛の家を訪れる。幼い時から朋江を想っていた清兵衛ははにかむ。彼女を送っていくと、離縁したはずの甲田が彼女の家におしかけてきており、その場をなんとか治めた清兵衛だが果し合いをすることになる。その時清兵衛の隠された剣さばきが知れ渡る。清兵衛は戸田先生に剣を学び、戸田道場では師範代までいった男だった。
時代は幕末、新政権にむけて新しい時代を迎えようとしていた。海坂藩でも、先の殿が亡くなり世継ぎ争いから、失脚したり腹を切らさせるものも出ていた。その中の一人剣豪の剣客・余吾は切腹を拒否する。老中は清兵衛に余吾を討つように命じる。
サラリーマンのしがらみ、受けるしかない清兵衛は、出陣の日、子供達を見送った後朋江を呼び、仕度を手伝ってもらう。いざ出発というとき、清兵衛は想いを朋江に打ち明けるが、既に朋江は婚約したあとだった。
「私はここで待てないが、ご無事をお祈りしております」という朋江。無念の想いで出て行く清兵衛。
死闘を繰り広げた末なんとか相手を倒した清兵衛は、血みどろで帰ってくる。そこにはもういないとおもっていた朋江が待っていた・・・。
その後、朋江と再婚した清兵衛。だが仕合わせも束の間、彼は戊辰戦争で命を落とすのだった。

by ssm2438 | 2012-02-20 00:12
2012年 02月 19日

半落ち(2003) ☆☆☆

f0009381_2063997.jpg監督:佐々部清
脚本:田部俊行/佐々部清
撮影:長沼六男
音楽:寺嶋民哉

出演:
寺尾聰 (元県警警部・梶聡一郎)
鶴田真由 (新聞記者・中尾洋子)
伊原剛志 (検事・佐瀬銛男)
國村隼 (梶の弁護士・植村学)
柴田恭兵 (志木和正)
原田美枝子 (梶の妻・啓子)
吉岡秀隆 (裁判官特例判事補・藤林圭吾)

     ×   ×   ×

骨髄移植のドナーになる場合は、死ぬ必要はない!
・・・・知りませんでした。私が無学でした。。。。。


冒頭からカメラが非常にしょぼい。途中まで我慢していたが、とになく演出・撮影はテレビなみの無神経さなのでそこでがっくり、いきなり見る気をなくしてしまう。やはり映画である以上は映画の雰囲気で撮って欲しい。この画面ではまるで下手な作りに2時間ドラマだ。
それでも、権威のかけらもないとはいえ、一応日本アカデミー賞の作品賞をとった作品なのだし、原作はかなり絶賛されていたはずなので、・・・・とりあえず一回挫折。気持ちを切り替えてもう一回見ることにした。今度はあまり映画的なハードルをあげず、2時間ドラマをみるつもりで望んだ。
祝! なんとか最後までたどり着けた。
料理人は下手だが、素材の美味さでなんとか☆ひとつおまけした。

物語はこのように始まる。
ある朝、警部である梶聡一郎(寺尾聰)が妻を殺したと川城中央警察署(群馬県の架空の土地)出頭してくる。彼の妻はアルツハイマー病をわずらい、その苦悩から殺してくれと妻に頼まれたという。カテゴリーとしては嘱託殺人(しょくたくさつじん)に分類されるこの事件だが、殺してから出頭するまでに2日間という空白の時間があった。そして梶のポケットからは歌舞伎町で配られているデート喫茶(?)のティッシュが出てくる。もし、歌舞伎町に梶の女でもいたら、嘱託殺人でななくなる。川城中央警察は、この事実を隠蔽しようとするのだが・・・。

松本清張的展開である。作品のパッケージ的には法廷サスペンスというジャンルに入るのだろうが、殺人事件の謎を追いながら、その事件のうらにある、その人たちの心のドラマを展開していくというスタイル。ただ、本作の場合は、無理やりサスペンスの味付けをしてあるのがやや不自然。
「殺人犯の歌舞伎町行きの謎」というのが、カモフラージュ・ストーリーなのだが、もし、仮に女がいるのなら、それは嘱託殺人ではなく、殺人の可能性だったある。普通ならたとえそれが刑事であっても、きちんと調べるところだろうが、これを隠蔽しようとする川城中央警察の幹部連中の方向性が妙にうさんくさい。
隠そうするから、暴いてみたくなる。たとえそれがしょうもないことでも・・。そんなわけで、暴きたいグループは佐瀬検事(伊原剛志)と新聞記者の中尾(鶴田まゆ)、隠したいグループは痴呆警察幹部や検事正(西田敏行)など。

その2日間のかくされた事実は、「昔梶が骨髄のドナー登録したことがあり、その相手に会いに行った」という話。かくす必要性を感じないことなので、その後の一連の大げさなサスペンス部が「空騒ぎ」にみえてしまうのだ。前半部でその空騒ぎが終わるとあとは<泣かせパート>が展開される。この<泣かせパート>にはいってくると、ドラマのインフレーションを感じることもなく、素直にみられました。
しかし、見ている間みると一つの疑問点があり、結局その答えが把握できないまま物語が終わってしまいました。これは私の勉強不足のせいなのだが、他にも勉強不足の人がいるかもしれないので、ここに記しておこう。

この物語のひとつのネタになっているのが骨髄移植のドナー登録。
ドナー登録といえば、「その人が死んだ時に、臓器の移植を承認するというものだ」と私は考えていた。実はこの解釈は正しくない。もし、同じように解釈している人がいるとしたら、この映画は、私と同じようによく物語を理解しないまま終わることになる。

骨髄移植のドナーになる場合は、死ぬ必要はない。

しかし、この概念を知らない人にとってはこの物語は・・・・????なのだ。
まず、この物語の中では「梶さんがドナーとなった骨髄移植」ということになっている。物語の中には梶さんは3人いる。妻を殺した梶警部と、殺された妻の梶啓子と、白血病で7年前に死んだ息子の梶俊哉である。
この中で以前に死んだのは息子の俊也だけだったので、てっきりこの子が骨髄のドナーになったのだとばかり思っていた。骨髄移植が必要だった少年が死んで、別の患者がその人の骨髄をもらってもなんの解決にも並んだろうという疑問が常に存在していた。さらにドナーになれるのは20~50歳まで。彼はそれより若くして死んだように見えた。きのせいかもしれないが・・・。

この物語のその少年に骨髄を提供したのは、梶総一郎(寺尾聡)であり、死ななくても提供できる手術なのだ。このことはきちんと把握してからみよう!

・・しかし、これはやっぱり物語を展開するうえで誤解と招かないために、どこかできちんと説明しておくべきことだったと思うな。そしたら私みたいに、終わってからネットで骨髄移植に関する記事を読みあさらなくても、よかったのに・・・。
妻を殺して、自殺しようとした時に妻の日記から、その子が歌舞伎町の一番小さいラーメン屋で働いている新聞の切抜きをみつけ、死ぬ前に一度見に行こうって歌舞伎町まででていったというのがその空白の2日間の出来事。

<あらすじ>
アルツハイマー病の妻を殺したとして出頭してきた梶警部(寺尾聡)。取調べを担当したのは志木刑事(柴田恭平)。梶は素直に犯行を認めるが、妻を殺してから出頭するまでの2日間のことを話そうとはしない。しかし、梶のポケットの中から歌舞伎町で配られているティッシュがみつかりる。地方警察は、そのことは詮索せず、嘱託殺人として捜査資料を提出するが、検事の佐瀬(伊原剛志)は、それがねつ造であることを見抜いてしまう。また東陽日報の新聞記者・中尾(鶴田まゆ)も、その件に関して調査を始める。
実は、梶はその2日の間に、ひとりの少年に会いに行っていた。ドナー登録していた梶からの骨髄移植によって命を救われた少年。啓子は、その少年に会いたいと思っていた。彼女の心の中では、その少年はまるで息子の俊哉のような存在になっていた。偶然見つけた彼女の日記の中にそのことを発見した梶は自殺を諦め、啓子に代わって彼に会いに行くことを決意。そして、少年が活き活きと働く姿を目の当たりにした彼は、ドナー登録の有効期限である51歳の誕生日まで生きる決心をした・・。
梶に4年の実刑判決が下った。


もうひとつ、気になった点がある。物語を語る視点が、部分的に判決を下す側の吉岡秀隆の視点で描かれているところが挿入される。これがどうも気持ち悪い。
彼の父親がアルツハイマー病で、家族は大変な思いをしているという描写があり、“そんな大変な父親を彼の妻が健気に明るく世話しているのに、お前は「殺して」といわれたら殺すのか?”・・というアンチテーゼの描写なのだ。
このシーンを描くのであれば、主人公を吉岡秀隆にして、裁判における供述書から回想シーンという形で物語を展開するべきではなかったか・・・??あるいはプランBとして、世話が大変なアルツハイマーのオヤジを、健気に世話してる人がいるよというのを、他の鶴田まゆに姉とかに設定するのもアリだったのでは? ドラマを語る上では視点の多重化は避けてほしいものだ。

by ssm2438 | 2012-02-19 20:07
2012年 02月 15日

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士(2009) ☆☆

f0009381_13151427.jpg原題:LUFTSLOTTET SOM SPRANGDES

監督:ダニエル・アルフレッドソン
脚本:ウルフ・リューベリ
撮影:ペーテル・モクロシンスキー
音楽:ヤコブ・グロート

出演:
ミカエル・ニクヴィスト (ミカエル・ブルムクヴィスト)
ノオミ・ラパス (リスベット・サランデル)

     ×   ×   ×

なんとか風呂敷をたたんだな・・・。

監督は#2と同様にダニエル・アルフレッドソン
今回は物語を収束させないといけなかったので章だったのですが、ここまでくると国家権力の中枢に居た人たちの犯罪になってくるのでちょっとややこしくなってます。正直なところあんまり顔が覚えられないので、誰がどう悪さをしてるのはいまひとつg把握できなかった(苦笑)。
それに、当時悪さをしていた連中はもうおいぼれてほとんどみなさん65過ぎてるじいさんばかり。それも一番親玉的だった人も腎臓透析をやっていかないといきていけない状態で、ほっといても死ぬだろうという感じ。なので物語の最後に彼らが一網打尽に逮捕されても、「いいきみだ」「彼らにも同等の不幸を与えたい!」と思ってもそれはほとんど不可能な状態になっていました。とりあえずそれで物語りは幕を閉じたのですが、結局彼らには失うものはもうほとんどなく、刑務所の中で健全に健康管理をして死をむかえるのだろうな・・という感じです。
とりあえず物語の知っておくべき適役だけ整理しておく。

○ニルス・ビュルマン弁護士(リスベットの後見人)
後見人の立場をいいことに、リスベットに対して性的欲求をみたすように教養。リスベットをベットに縛り、アナルを犯したが、その時の映像がDVDに撮影されており最後の最後まであだとなった。
#2で殺される。

○ザラチェンコ(リスベットの父)
元ロシアのスパイで、ウェーデンに亡命、裏の世界では政治的に寄与するもの、東欧の売春組織とつうじていてたりと、なにかと悪事をはたらいている。
サディストであり、リスベットの母親に事あるごとに暴力を働いており、そのためリスベットの母親は脳障害をおこしてしまった。12才のリスベットは、この男にガソリンを浴びせ火をつけたが、死ぬことは無かった。
#3の冒頭でクリントンの死者によりあっけなく殺される。

○フレドリック・クリントン(ラスボス)
ザラチェンコをスウェーデンに引き込み飼いならしていた。

○ペーテル・テレボリアン(医師)
12歳の時に父親に火をつけたリスベットを鑑定した医師。リスベットを精神障害と診断し、リスベットを長らく社会から排斥していた張本人。やはりサディストの系である。

○ロナルド・ニーダーマン(リスベットの腹違いの兄)
ザラチェンコの手下として働いている。無痛症でリスベットが愛用するスタンガンなどは効果ない。

<あらすじ>
#2の最後でザラチェンコを殺しにいったリスベット(ノオミ・ラパス)だが、重症をおい病院に収容される。同様にザラチェンコも同じ病院に収容されるが、本件の悪役クリントンの死者によって口封じに殺される。リスベットはザラチェンコの殺人未遂で起訴されるが、事の次第をあばかれたくないクリントンは、嘗てリスベットの主治医だったテレボリアン医師を擁して「リスベットは精神障害である」ということでことを収めようとたくらむ。ミカエル・ブルムクヴィスト(ミカエル・ニクヴィスト)は彼の妹をリスベットの弁護士にたてリスベットの社会的地位を復活させるために戦う。


三部作を全部みてみると、物語の本線は2作目3作目で、1作目はリスベットとミカエルの接点を作るためのゲスト話数的な扱い。ただ、できばえは1本目が図抜けており、あとは普通のテレビ映画です。

by ssm2438 | 2012-02-15 13:15
2012年 02月 13日

ミレニアム2 火と戯れる女(2009) ☆☆

f0009381_23401737.jpg原題:FLICKAN SOM LEKTE MED ELDEN

監督:ダニエル・アルフレッドソン
脚本:ヨナス・フリュクベリ
撮影:ペーテル・モクロシンスキー
音楽:ヤコブ・グロート

出演:
ミカエル・ニクヴィスト (ミカエル・ブルムクヴィスト)
ノオミ・ラパス (リスベット・サランデル)

     ×   ×   ×

テレビ映画に格下げ・・・・。

やはり、映画とテレビではなにか気合の入り方がちがいますね・・・。情報調べたわけではないですが、一本目は映画として作られた感じですが、2本目以降はTVMなのでしょう。かなり穏やかです。もうこうなると普通の刑事ドラマです。

<あらすじ>
一作目の最後で大富豪になったリスベット・サランデル(ノオミ・ラパス)だったが、どうもその暮らしは面白くないらしい。そんなわけで、口座に入金だけしてくれればいいということで、ストックホルムに帰ってくる。
一方ミカエル(ミカエル・ブルムクヴィスト)のミレニアムは、東欧諸国の女の子の人身売買組織を追っていたが、そのジャーナリストと恋人が殺される。しかもその銃にはリスベットの指紋がついている。警察はリスベットを犯人としておうがミカエルは信じない。人身売買組織を追うミカエルはその頃幕がザラという男であることを突き止める。しかしこの男こそ、数年前にリスベットにガソリンをかけられ火をつけられたリスベットの父であった。
リスベットは総てを精算するために、ザラを殺しに単身のりこんでいく。

by ssm2438 | 2012-02-13 23:40
2012年 02月 13日

ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女(2009) ☆☆☆

f0009381_0195662.jpg原題:MAN SOM HATAR KVINNOR

監督:ニールス・アルデン・オプレヴ
脚本:ニコライ・アーセル
    ラスマス・ヘイスターバング
撮影:エリック・クレス/イェンス・フィッシェル
音楽:ヤコブ・グロート

出演:
ミカエル・ニクヴィスト (ミカエル・ブルムクヴィスト)
ノオミ・ラパス (リスベット・サランデル)

     ×   ×   ×

この話って、理性が先行したスウェーデンのゆがみに溜まった精神的な膿なのかもしれない。

基本構造は、ちょっとお利口さんな人と、チョーお利口さんだけど社会的不具合者のペアで、猟奇殺人事件を解決する話。『羊たちの沈黙』的なジャンルです。今回はそのちょっとお利口さんなのがジャーナリストの男で、サイキーなハッカー少女がリスベット。
先ごとアメリカ版も公開されたようですが、キャスティングはきわめてよいんじゃないでしょうか。主人公のミカエルはダニエル・クレイグってけっこうはまってると思う。監督のデヴィット・フィンチャー『セブン』みないなのが好きそうなので、このタイトルにはあってそう。

この作品のもつ雰囲気はかなり素晴らしいのですが、基本になっているのはサディズム。今時こんなテーマで物語書くか??って思うのですが、他の人が書いてただけで、自分ではやってない!ってものなのでしょう。作者は気持ちよくサディズムベースの猟奇殺人をとその謎解きを展開しています。ま、劣等感がトリガーになって、弱者虐待に精神的安心を求めるというかなり根源的なネタなのでしょう、やはり自分のなかにあるお下劣な感性の一部はわくわくしながら見ることが出来ました(苦笑)。

今回の物語の特異性は、名探偵の相棒になるのは情報分析官が猟奇的ってところ。アスペルガー症候群なのでしょう。人間のメカニズム的には、情報分析能力と、断片化された情報から全体系を把握する能力が高くなれば社会性=コミュニケーション能力が乏しくなる。そしてその反対。これは男性脳と女性脳という違いで明らかにちがってきます。あるいは理系能と文系能と言い換えることも出来るでしょう。今回の主人公のサイキーな相棒は、情報分析能力やその脳内管理能力に飛びぬけて優れているのですが、反面コミュニケーション能力に問題がある、アスペルガー症候群、自閉症一歩手前のアタリに設定されています。

そんな主人公を演じたノオミ・ラパスは、かなり筋トレしてきてますね。乳房もほとんどわからないくらい、上半身の筋肉はすごいです。女性のボディビルダーだったのでしょうか??みためもボーイッシュでほんとに女性なのかどうかわからないくらい。そんな彼女がときたま女性性をポロっと出すと、見てる人はときめいたりするのです。考えてみればスウェーデンってこういうのが好きなのでしょうか? 『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のサガちゃんもボーイッシュで攻めて、時折出す女性性で魅力だしてました。
これは物語全体のもつ特性というか、作者の常套手段だったのかもしれません。
猟奇殺人を繰り返してきた犯人が、最後で主人公のミカエルを殺そうとする前に、水を与えるシーンがあります。そこでの彼の言葉はなかなか上手い。

「女達は、オレに期待している。オレが優しくするのだと。しかし、それが得られないと分ると絶望にかわる」

後天的な性格付けがなされたとしても、その人本来がもつ本性を期待する気持ちを上手いことくすぐるのです。もしかしたら、スウェーデンという国では、女性の社会進出がかなり進んでいて、女性の男性化がかなり深刻な状態なので、男が女性のなかに女性を見たがってるのかもしれないですね・・・。

物語全体に、社会派理性で無理やりそうしてるけど、本性のはけ口をもとめてるスウェーデンの精神的ゆがみみたいなものを感じるのは私だけでしょうか・・・。

<あらすじ>
ジャーナリストとして社会の悪を暴くことを身上にしていた、ミカエル・ブルムクヴィスト(マイケル・ニグヴィスト)は、ある裁判で名誉毀損を訴えられ懲役3ヶ月の刑が言い渡される。
その刑が施行されるまでの半年、彼は自由の身なのだが、その間に大企業ヴァンゲルグループの元会長ヘンリック・ヴァンゲル(スヴェン=ベルティル・タウベ)からあつ調査を依頼させる。それは40年前に突然と姿を消した姪のハリエットの失踪の謎を解き明かして欲しいというものだった。
調査が行き詰まった時、ミカエルは正体不明の人物からそのヒントを貰う。そのメールを送ったのは鼻ピアスの天才ハッカー、リスベット・サランデル(ノオミ・ラパス)だった。ミカエルはリスベットをアシスタントにやとい問題を解決していく・・・。

by ssm2438 | 2012-02-13 00:22
2012年 02月 11日

エスケープ・フロム・L.A.(1996) ☆

f0009381_131781.jpg原題:ESCAPE FROM L.A.

監督:ジョン・カーペンター
脚本:ジョン・カーペンター/デブラ・ヒル
    カート・ラッセル
撮影:ゲイリー・B・キッブ
音楽:シャーリー・ウォーカー/ジョン・カーペンター

出演:カート・ラッセル (スネーク・プリスキン)

     ×   ×   ×

ダメなカーペンターの玩具箱。

ジョン・カーペンターはアタリハズレがあるけど、これはかなりはずれたほう。一言でいうなら、史上最低監督といわれるエド・ウッドが乗り移ったかのような映画。

なにかのTV企画で、スポーツ音痴ばかりを集めていろいろな競技をやらせ、そのどうしょうもない彼らの音痴ぶりを笑う企画があったが、まさにそんな感じ。演出音痴、CG音痴、音楽音痴、デザイナー音痴だけを集めて映画とつくるとこうなる・・というような映画。

個人的には『スターマン/愛・宇宙はるかに』とか『遊星からの物体X』とか『ザ・フォッグ』とかはすきなのだけど、申し訳ないけどこれははずれたね。どこみてもつまらない。面白いところがない。最悪なのが、カート・ラッセルが本人はかっこいいつもりなのかもしれないが、これがまったくかっこよくない裸の王様状態。
CGもヒドいけど音楽もかなりヒドいB級トラッシュ・コメディ映画でした。

<あらすじ>
2000年に起きた大地震のためにロサンゼルスの周りは水没し、かつてロサンゼルスだった都市の部分だけが島として残った。やがてその島は重犯罪者を幽閉するの監獄島となった。
合衆国大統領(クリフ・ロバートソン)の娘ユートピア(A・J・ランガー)は、父に反抗、政府が秘密裏に開発した新兵器ブラックボックスを持ってこの監獄島に逃亡した。スネーク・プリスキン(カート・ラッセル)は、殺人ビールスを注入され、解毒剤と引き換えにブラックボックス奪回を命じられた。
ブラックボックスの正体は、強力なエネルギー破壊装置だった。リモコンで人工衛星を操作すれば、放射された強電磁波が、生命には無害だが、地上の電波施設を破壊する。ブラックボックスと大統領の娘を奪い返すと、ヘリで島を脱出した。
大統領とマロイは、体内に注入したのはただの風邪のビールスだった、と明かした。さらに、国家への反逆者として実の娘をも処刑しようとしていることを知ったスネークは、手にしたブラックボックスで地球全土を目標にスイッチをオンにした。次の瞬間、地上の全ての動力施設が止まり、地球は暗黒時代に逆戻りした。

by ssm2438 | 2012-02-11 13:10
2012年 02月 09日

フレンチ・キス(1995) ☆☆

f0009381_12544966.jpg原題:FRENCH KISS

監督:ローレンス・カスダン
脚本:アダム・ブルックス
撮影:オーウェン・ロイズマン
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:
メグ・ライアン (ケイト)
ケヴィン・クライン (リュック)
ティモシー・ハットン (ケイトの恋人・チャーリー)

     ×   ×   ×

何が悪い? どこが悪い??

監督は『白いドレスの女』『偶然の旅行者』ローレンス・カスダン。映画的に映画を撮る人で、個人的には好きな監督さんのひとりだ。何を撮らせてもそこそこそれらしい映画に仕上げてくれるのだが、それはあくまでこの人が今まで見てきた映画バンクが充実しているからで、そこからモチーフにするべき画面をイメージして作っているからだろう。そしてそのモチーフにするべき映画の質が高いのがこのローレンス・カスダンだと思う。
しかし弱点もある。この人の場合は、自分なりの哲学がない気がする。少なくともそれは映画の中には現れない。どの映画のジャンルをとっても、それなりに映画らしくまとめるのだがどこか芯がとおってないというか、映画としては見られるのだが、彼だからこだわる何かが見えてこないのだ。
もしそれがあったら、この映画ももうすこし面白いものになったのではないかと思えてならない。

この映画の場合は、シナリオの段階でまとまりに乏しい気がする。見ている人が、どこに行くのかが予測できない。とはいっても、おおまかには「きっとケビン・クラインメグ・ライアンがひっつくのだろうな」とは思えるのだけど、そのケビン・クラインの役どころが今ひとつ中途半端で見ている人が愛せないのである。
これが、自分なりのビジョンを押し通す監督だったら、強引にひとつの価値観にまとめていけるのだろうが、この映画におけるローレンス・カスダンは上がってきているシナリオの文字面をそのまま絵にしてしまっただけのような感じがする。
ケビン・クラインは、ひとつひとつの芝居がネガティブは方向にむいてても、最終的にはメグ・ライアンとひっつくはずなので、そこにいたる予感を感じさせてほしいのだ。しかしそれがないまま前半が進んでいく。どこをおってケビン・クラインがヒロインと観客に愛される要素が乏しいのである。
これがフランク・キャプラ『或る夜の出来事』だったら、最初はクローデット・コルベールに最初は嫌われているクラーク・ゲーブルだけど、彼は観客にあいされているのである。それがこの映画のケビン・クラインにはない。ケビン・クラインはどちらかというと、人に愛されやすい風貌にもかかわらず、それが出てない。
結局観てるがわにしてみれば「ええええ、メグ・ライアンが、こんな男とひっつくの~~、やだなああ~~」って思いながら観せられるはめになり、引っつく行程もなんだかぴんとこないままそうなってしまった。

<あらすじ>
結婚を目前にしていたケイト(メグ・ライアン)は、その恋人チャーリー(ティモシー・ハットン)から電話で突然別れを告げられる。彼はパリで新しい恋をしたから婚約は破棄してくれと言うのだ。彼女は真意を確かめるためにパリに飛ぶ。
機内で隣の席に座ったのはなにかと胡散臭そうなフランス人のリュック(ケヴィン・クライン)だった。
リュックは、カナダで盗んだダイヤのネックレスをブドウの苗木に隠して彼女のバッグに忍び込ませた。しかしそんなリュックを刑事のジャン=ポール(ジャン・レノ)がつけている。
パリに着いたケイトはある詐欺師に持ち物全部を盗まれてしまう。親身になってくれたのは、あの胡散臭いフランス人のリュックだった。やや、彼を見直したケイトだったが、リュックが大事にしていたのは、税関を抜けるためにケイトのバックに忍び込ませたネックレスとブドウの苗木だった。
リュックは、故郷のブドウ園を賭け事で取られて以来、荒れ果てたその土地を買い戻し、立派な農園にするつもりだった。そのために資金がダイヤのネックスレスであり、カナダから持ち帰って新種のブドウの苗木だった・・。
リュックの協力でバックをとりかえっしたケイトは、恋人がむかったというカンヌへ向かう。リュックは苗木を取り返すが、ネックレスはどうやらケイトが持ち去ったバッグの中らしいことにきづきケイトを追う。

その後、カンヌではケイトの彼氏の気持ち奪回作戦が展開されるわけだが、ことごとくどじを踏む。そんな彼女をみていられないリュックがフォローしてあげてる間に二人に恋が芽生えるが、どうやら彼氏とよりがもどったような感じ。一方盗んだネックスレスをお金に換えようとするリュックだが、その役はケイトが代行。ケイトは、そのネックレスを刑事のジャンに返し、結婚のためにためていた支度金をその代価としてリュックのところにもっていく。
「たったこれだけなのか」と嘆く言葉にちいさく傷めながら、リュックのもとを去っていくケイト。
その後、ジャンはリュックにことの真意を語る。
匿名でネックレスを返せば、彼を逮捕しないという約束をしたこと、
ネックレスの代金だといってお前に渡したお金は、彼女の結婚資金だったこと。

結局恋人との婚約はやはり破棄し、アメリカに戻ろうとするケイトをなんとか機内でつかまえるリュックであった。。。。


おそらく、この物語は、ケビン・クライン目線で展開させていたらもうちょっと観客にうけいれられたのではないだろうか。それをメグ・ライアン目線の話で展開したものだから、最初のころのケビン・クラインに好感がもてず、最後までそれが尾をひいているのだろう。ケビン・クライン目線で物語が始まっていれば、いやおう無しに観客は彼に感情移入して物語をみるので、そこはダイヤを盗んだ子悪党でも、セリフワークとケビン・クラインの人柄で観客の感情移入は獲得できたはずなのに・・・。
残念・・・・。

by ssm2438 | 2012-02-09 12:59
2012年 02月 05日

煉獄エロイカ(1970) ☆☆

f0009381_2126767.jpg監督:吉田喜重
脚本:山田正弘/吉田喜重
撮影:長谷川元吉
音楽:一柳慧

出演:
岡田茉莉 (夏那子)
木村菜穂 (浄子)
岩崎加根子 (温子)
筒井和美 (アユ)

     ×   ×   ×

ATG作品に当たりなし!

「今までにないようなことをやろう」といってやった誰かの真似をしたかったのね・・・。
それってカッコいいんですか??


本質を追っていたら同じところにたどり着くってことはよくあること。・・・でも、それとこの映画は根本的にちがう。本質を追わずにカッコつける形だけフォローするのはカッコ悪すぎです。

本人の中で自己解決し、「これが分らないのなら、分らなくていい」という映画。
それが高尚なことで、分らないならまだいいのだけど、ただ、当時はやりのカッコ付けだけで終始してるのであほらしい。『秋津温泉』はよかったのになあ・・・。時代の流行に流させる程度のものだったのか・・・。悲しい。

やりたかったのは、あの時代のゴダール『アルファビル』とかアラン・レネ『去年マリエンバートで』の吉田版。あの時代がもとめていたものがくらだらないので、それをもとめられてもちっとも感動しない。世間的にはカッコイイといわれる画面も、かっこつけだけなので寒い。そうする意味が某ヌーベルバーグの真似のためとか、それまでの日本でとられていた画面とちがうというだけで採用されてるレイアウト。「これが良いんだ」ってレイアウトではないので、正直みててだんだん底の浅さに飽きてくる。

才能ない人が、同じように帳面的なちゃらちゃらした画面を作る時には参考になるかもしれないけど、才能がるひとは「そこになんの意味があるの?」って思うでしょう。

<あらすじ>
よーわかりません。

よく分からないものでも、その気になれば分かるものですが、わざわざ分かってあげようという気にならないところが問題。分って欲しいとおもってないものを、無理してわかってあげる必要はないでしょう。さらに、分ってあげる価値がないって思えちゃうのがもうダメでしょう。難解な映画は嫌いじゃないが、分ってもそこに糞しかないと思うと理解したいとも思わない。
彼らの組織がやってるのはオウム真理教と同じ次元で、共闘・闘争当時の価値観と秘密組織の管理体制を散々提示しているのだけど、私にはうんざり。せめて「ここには何かある」って思わせてほしいけど、みつかってもくだらないものでしかないって思えちゃうのは最低です。オウム真理教と同じスピリットを持つ人は、意外とノスタルジーを感じるのかも。


その燃えない映画のなかでやたら萌えるのが木村菜穂さん。こういう雰囲気好きなんだなあ。
調べてみたら、現存する映画のなかで彼女をみられるのはこの映画しかないくなっているではないか!!
仕方がないので☆ひとつおまけした。
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by ssm2438 | 2012-02-05 21:29