西澤 晋 の 映画日記

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2012年 03月 31日

ストレンジャーズ/戦慄の訪問者(2008) ☆

f0009381_12291480.jpg監督:ブライアン・ベルティノ
脚本:ブライアン・ベルティノ
撮影:ピーター・ソーヴァ
音楽:トムアンドアンディ

出演:リヴ・タイラー (クリスティン・マッケイ)

     ×   ×   ×

音響だけは燃える!

この映画はなんなんですかねえ・・・。
映画というよりもたんなる再現フィルムで、それを映画的な音響処理を施しているような感じの作品。ほんと音響の使い方はかなり気合はいってます。音の使い方の参考としてなら使えるでしょう。ただお恐怖描写・イジメ演出のデモンストレイトだけで、映画と呼べるものではないかも・・・。

<あらすじ>
友人の結婚式に出席したクリスティン・マッケイ(リヴ・タイラー)とジェームズ・ホイト(スコット・スピードマン)別荘に戻ってきて二人だけの夜をすごしていた。明け方の4時にノック音が響く。ドアを開けると、暗がりに髪の長い少女が立っていた。“タマラはいますか?”と尋ねる少女。そんな子はいないと告げ、2人はドアを閉める。やがてタバコを切らしたことに気付いたジェームズが、買い物に出掛けると、再びノックが。それは、前回とは比べ物にならない荒々しさだった。 1人家に残ったクリスティンは恐る恐る返事をする。“タマラいる?”先ほどの少女だった。ドアを叩く音はどんどん激しさを増していく。

物語にすこし不可解なゆがみを入れてあるとしたら、物語の冒頭にクリスティン・マッケイはジェームズ・ホイトからのプロポーズを断ってしまい、気まずい雰囲気であるというシチュエーション。これが2人の行動にぎくしゃくした感じを発生させている。
総てが記号になってしまうと、物語の面白さは死んでしまう。物語の楽しさの一つは、決定してない要素が、一つの結果に落ち着いていくことであり、このコンセプトがあったから、この作品がぎりぎり映画になっていたかなってきがした。

ただ、最後は結局2人とも殺されちゃって、ころした犯人はさっさと逃走していくという・・・、物語の結果的には全く意味のない展開で、最後は物語的には死んでいるべきリブ・タイラーがキャリーのごとくギャインと目をあけるところで終わるという、本編から切り離されたおまけだけで終わるというよくわからあい映画。
演出的には及第点だが、映画としての存在意味がよくわからない映画であった・・・。

by ssm2438 | 2012-03-31 12:34
2012年 03月 30日

刑事ニコ/法の死角(1988) ☆☆

f0009381_11275174.jpg原題:ABOVE THE LAW

監督:アンドリュー・デイヴィス
脚本:スティーヴン・プレスフィールド
    ロナルド・シャセット
    アンドリュー・デイヴィス
撮影:ロバート・ステッドマン
音楽:デヴィッド・フランク

出演:
スティーヴン・セガール (ニコ・トスカーニ刑事)
パーム・ゲレア (ニコの相棒女性刑事・デロレス)
シャロン・ストーン (二コの妻・サラ)

     ×   ×   ×

セガ爺、細い!!
まるでバレーボールの選手のようだ!!


最近のバレーボールのボールのようなセガ爺しかみてなかったので、これをみると妙に違和感を感じてしまう。とにかく首がほそい。長身ですらっとしてるので、男性モデルだって出来そう。でも、髪の毛ははやや後退ぎみ(苦笑)。
ほとんど自分のキャリアをそのまま映画の主人公にしたような話で、冒頭は日本を解雇する写真や合気道をやってこたころのセガ爺が若々しい。よくもわるくも、のちの無敵セガ爺映画の原点がこれであり、自身でプロデュースとストーリー原案もやっている。

監督はアンドリュー・デーヴィス。実は私この人すきです。ほかにやった有名な作品としては同じくセガ爺の『沈黙の戦艦』ハリスン・フォード『逃亡者』ケヴィン・コスナー『守護神』など。職人的に仕事をこなす人手、少ない予算の中で出来る範囲の一番よさげな見せ方を提供してくれる人・・という印象。ただ、この映画に関してはぬるいところも多々ある。もうちょっとカメラよってバシバシバシっとやってから、結果こうでしたよってカメラ引いて全体をみせたほうが迫力でそうなところを、まともに全部入れ込んで画面にしてるので、チンピラがどうしてもショッカーの戦闘員のごとく、仮面ライダーにたかっていく順番をまってるようにみえる(苦笑)。
雑魚キャラアクションなのでとっとと撮っちまおう、で、次々っていうなんだか、あまりこだわりなく撮ってしまっているカットが気になるかな・・(苦笑)。
あとシャロン・ストーンでてます。サービスシーンはありませんが綺麗です。

<あらすじ>
日本で合気道の修行をしていたニコ・トスカーニ(スティーブン・セィーガル)はCIAからスカウトされ、ベトナム戦争の時には特殊任務についていた。しかし、現地ではベトナム人を拷問するカート・ゼイゴン(ヘンリー・シルヴァ)の態度に嫌気をさしCIAを抜け、サラ(シャロン・ストーン)と結婚、シカゴで刑事としてはたらいていた。
身内の家出少女の詮索から、ある麻薬の取引の情報をつかんだニコらシカゴ警察は、その現場を押さえ、容疑者とC4爆弾を押収する。しかしFBIの捜査官が現れ、容疑者が翌日開放され、押収した爆弾もCIAがもっていったという。やがてその爆弾で、中米の麻薬ルートの調査に積極的だった上院議員の秘書が殺される。
やがてこの事件の裏にはCIAのゼイゴンの存在が見えてくる。彼は、麻薬の取引と、軍事介入をちらつかせながら至福を肥やしていたのだった。上院議員暗殺をたくらむゼイゴン。
ゼイゴンはFBIの力もかりて、二コの調査を妨害しようとするが、それでも止めないニコ。
行き過ぎ捜査をとがめられたニコは停職処分をうけ、さらに家族への脅迫も受ける。しかし屈しないニコ。やがてゼイゴンに捕まり拷問もうけるのだがそこはそれ、不屈の精神で耐え抜き、何もなかったように戦い、ゼイゴンをやっつけるのだった。。。

f0009381_1129366.jpgま、セガ爺の話なのでよくある話ばかりなのだが、この話はもう少し情報整理したほうがよかったと思う。いろいろな要素がありすぎて、物語の本筋が捉えづらくなっている。
爺の話はシンプルなほうがいい(苦笑)。

細いセガ爺(→)

by ssm2438 | 2012-03-30 11:30
2012年 03月 29日

鑓の権三(1986) ☆☆☆☆☆

f0009381_12503788.jpg監督:篠田正浩
原作:近松門左衛門・『鑓の権三重帷子』
脚色:富岡多恵子
撮影:宮川一夫
音楽:武満徹

出演:
岩下志麻 (市之進女房・おさゐ)
郷ひろみ (笹野権三)
火野正平 (川側伴之丞)
田中美佐子 (伴之丞妹・お雪)
津村隆 (浅香市之進)
水島かおり (市之進娘・お菊)
嶋英二 (市之進伜・虎次郎)
大滝秀治 (おさゐの父・岩木忠太兵衛)
河原崎長一郎 (おさゐの弟・甚平)

     ×   ×   ×

恐るべし、近松門左衛門。

この物語は、不義密通の疑いをかけられた権三とおさゐが逃避行の末、女仇討ちの末命を落とすというもの。1986年のベルリン映画祭銀熊賞を獲得している。

近松門左衛門の原作作品は増村保造『曽根崎心中』につづいて2本目。ひとことで言うなら全てが「潔い」のである。そこには「武士の面子」、堅持しなければならない武士のプライドという基本コンセプトがある。そして感情がどう訴えかけようが、決められたルールは守らねばならないという、武家社会の制約がある。この物語の「潔さ」というのは、感情よりも理性を重んじる美学だといっていい。
しかし、だからといって感情を否定しているものでもない。
物語というのは、「作者が訴えかけたいものを犠牲者とする」というのは基本法則である。このドラマのなかでの犠牲者は「感情」のほうである。理性に縛られている感情があばれだしたくて仕方がないのに、それを意地で封印している人間の哀れさがとても切ないのである。

監督は『瀬戸内少年野球団』『少年時代』『スパイ・ゾルゲ』篠田正浩。嘗ては大島渚吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれたが、先の二人ほどわけの分からない映画を撮る人ではなかった。世間的には評価されているのかもしれないが、個人的にはカッティングや画面構成の感性が合わない監督さんの一人である。魅せたい画面なのに説明的に撮ったり、説明でいい画面なのに、意味なくカッコいい画面になってたり・・と、気持ちのズレを感じてしまう。「なにか・・、もっといい画面が出来そうなのにその画面でいっちゃったの???」という感じがする撮り方なのだ。しかし、それをまあまあ見られる画面にしてあるので、どこかごまかされたようなきになってしまう。

撮影監督は往年の巨匠・宮川一夫。良くも悪くもスタンダード。見せるべきことをきちんと説明する画面を基本にしている。今だからこういう言い方が出来るのだろうが、「誰が見ても誤解のないような絵作り」を提供してくれる人である。しかし我々の世代からみると、映画の画面というよりも、テレビの時代劇の画面、色使いだな・・という印象がつよい。
ただ、この人が開発した「銀残し」という撮影スタイルは今でも使われている、デビット・フィンチャーの『セブン』ではこの方法が使われている。再度を落とし、白と黒のコントラストをする撮影方法である。残念ながら『鑓の権三』では使われていなかったのだが、この「銀残し」の画面はかっこいいのは確かである。

この映画をみて最初に思い浮かんだ映画は、デビット・リンチ『マルホランド・ドライブ』だった。その映画のなかでは、主人公のナオミ・ワッツの妄想が前半部で描かれ、後半で現実が描かれる構成になっている。そこの映画がすごいのは妄想部のリアリティだった。妄想というのは、自分の全部都合のいいモノにするのではなく、それなりに自虐的な設定にしながらも、自分の都合のいい展開を思い描くものなのである。
この妄想=「自虐的な設定にしながらも、自分に都合のいい展開」を現実の進行にして、見事のドラマの中に落とし込んでいるのがこの『鑓の権三』なのだ。

おそらく近松門左衛門はホモである。出なければ性同一障害者であろう。普通男がドラマを作る時には、ドラマの中に登場する男が「人間」だが、女性は「記号」になるものだ。反対に女性が書くドラマというのは、女性が「人間」になり、男性は「記号」になりがちである。感情移入がそういうように出来ているのだがそれは仕方がない。
この物語では、権三はあくまで記号なのである。そして「人間」なのは、権三と逃避行をすることになる浅香市之進の妻おさゐ(岩下志麻)であり、権三の婚約者であったお雪(田中美佐子)であり、母に旦那を奪われた娘のお菊(水島かおり)だろう。この構成をみると、間違いなく近松門左衛門はホモだ。
そしてこの物語は、ホモである近松門左衛門が切に妄想したその結果なのだだろう。

ジャニーズのようにまぶしく輝く美青年の権三。そして、彼のことを想いながらも、既に結婚している身のおさゐ。いくら妄想してもそれ以上にはならない権三とのなれあい。そかし、ささやかな誤解から不義モノの汚名をきせられ逃避行の旅に出る。
それは、傍目には理不尽で不幸な出来事だったかもしれない。しかし、おさゐにとっては至福の時間だったにちがいない。近松門左衛門は、この自虐的なシチュエーションを構築しそのなかで、自分の妄想をあますところなく愉しんみ、酔いしれたのだろう。

<あらすじ>
出雲の国、松江藩。笹野権三(郷ひろみ)は器量はよく、槍さばさのみごとさでは右に出る者もなく、「鑓の権三」と呼ばれていた。藩の女たちはみな権三に憧れをいだいていた。しかし権三には既に契りをかわした女性がいた。権三の茶道仲間の川側伴之丞の妹・お雪(田中美佐子)である。彼女は権三に契り証として、権三の家の紋章と自分の家の紋章を縫い付けた帯をプレゼントする。
そんなある日、御世継が誕生したと吉報が出雲に届けられる。国許では近隣の諸国一門を招き、茶の湯がひらかれることになった。しかし、藩を茶道を預かる浅香市之進(津村隆)は1年の江戸詰めに出ており、弟子の川側伴之丞(火野正平)、笹野権三のうち一人がその大役をつとめることになった。
権三は、茶道の師匠・浅香市之進の妻・おさゐ(岩下志麻)をたずね、師匠がもつ茶道の巻物を見せて欲しいと申し出る。その巻物は一子相伝、見せることは出来ないと断るおさゐだったが、娘のお菊(水島かおり)を嫁としてもらってもらえるのであれば息子同然、巻物をお見せしようと言う。同意する権三。

おい! そんなにあっさり合意するのかい???
そう、この物語のなかで権三は、武士のたしなみをしっかりしているものの、女性関係には執着心が乏しいキャラクターなのである。男にはこんな男は描けない!!

おさゐはかねてから権三に想いをよせていたが、すでに浅香と結婚したみ、せめて娘の婿に権三をと願っていた。しかし、そんなおさゐをお雪の母がたずねてくる。なんでも権三とお雪は既に婚約をしており、その仲人を師匠である浅香にして欲しいというのだ。なにもかもが悔しいおさゐ。
その夜お忍びで浅香の家を訪ねる権三だが、権三の節操のない態度に怒りを覚えたおさいは感情を爆発させる。そして権三の帯に権三とお雪の家の紋章が縫い付けてあるのをみると、その帯を強引にほどいてポイと庭にすててしまうおさい。「なにをする」という権三に、そんなに帯が必要ななら私のものをお使いくださいと、自分の帯をといて権三に渡すおさゐ。「女の帯が使えるか!」と権三もポイとそれを庭に捨ててしまう。
しかしそこに、お雪の兄川側伴之丞が登場。彼はかねてからおさゐに恋心を抱き、夜這いの隙をうかがっていたのであった。嫉妬に狂った伴之丞は二人を帯を証拠として持ち去り、二人の不義密通を越えたからかに、深夜の街にふれまわって歩くのだった。
もはやこれまで、と切腹しようとする権三に泣きすがるおさゐ。このままでは夫に申し訳わけがない、せめて夫に討たれてくれと懇願するおさゐ。ともかくも二人はあてもなく逃れていくのだった。

二人の旅は、不義モノとして市之進に討たれるためしばらくの間、世間の目から逃れるためのものであった。市之進の面子を考えると、権三はそうするしかないと考えていた。しかしその逃亡の旅の間に、おさゐの感情があふれ出してくる。出来るならこのまま二人で生き延びたい。しかし頑として市之進に討たれることをゆずらない権三。どうせ死ぬ身なら、せめて自分のことを妻と呼んで欲しいと懇願するおさゐ。そして二人は肌をかさねる・・・・。

一方、事件を知ったおさゐの弟・甚平(河原崎長一郎)は、自分の家の名誉を汚した伴之丞を追い、その首を討つ。帰国した浅香市之進は、義弟の甚平をともない、女仇討ちの旅に出る。。宇治の川岸にかかる橋の上で、市之進は権三とおさゐに出会う。既に刀を売り竹光しか持ち合わせていない権三は短刀で戦うも、市之進に討たれて壮絶な最後をとげる。その一部始終をみていたおさゐも市之進に討たれて息絶える。

最後のカットがなかなかにくい。
事件が一件落着したあと、おさゐの息子・虎次郎が母の父・岩木忠太兵衛(大滝秀治)と、姐のお菊にお茶をたてている。最後はそのお茶を飲むお菊のアップ。
女仇討ちに出て行く父に「せめてかか様はつれて帰ってきて欲しい」というお菊だが、真意はどこにあったのだろうか? 自分が結婚するはずだった、藩内きっての美青年を、トンビにあぶらげを盗まれるように母に盗まれてしまったお菊。彼女の最後のすました表情の中に、なにか満足げなものを感じるたのは私だけだろうか・・・。

by ssm2438 | 2012-03-29 12:51
2012年 03月 26日

シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム(2011) ☆☆

f0009381_1261244.jpg原題:SHERLOCK HOLMES: A GAME OF SHADOWS

監督:ガイ・リッチー
脚本:マイケル・マローニー/キーラン・マローニー
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:ハンス・ジマー

出演:
ロバート・ダウニー・Jr (シャーロック・ホームズ)
ジュード・ロウ (ジョン・ワトソン)
ノオミ・ラパス (シム)
ジャレッド・ハリス (ジェームズ・モリアーティ教授)
レイチェル・マクアダムス (アイリーン・アドラー)
スティーヴン・フライ (ホームズの兄)
ケリー・ライリー (メアリー)

     ×   ×   ×

どこかで見たことあるぞと思ったら、おお、リスベット!

普通に楽しいけど普通にしか楽しくない・・。困ったもんだ。
トータルしたら前作のほうが面白かったとおもう。前回の話は、犯人の〇〇君が魔術にみせかけてイベントを、現実の理屈で説明していくのが大まかな構成だったのだけど、今回の映画は普通にちゃらちゃらした演出の集合体だけで、それ以上の何者でもない感じ。

面白い/面白くないの基準を何処に置くかは見る人のスタンスによってかわってくる。この映画は、受身の観客には面白いかもしれないけど、考えてみる人には面白くもなんともないだろう。つまり、見ている人が想像する予知がない。これは先頃の映画の特徴のひとつなのだけど、頭の悪い人向けを最大限い意識してつくられていて、矢継ぎ早に情報を与えていくスタイル。いつの時代にも頭の悪い人のほうが頭の良い人より多いので、確かに頭の悪い人を基本ターゲットに設定するほうが商売的にはいいので、それ自体はどうのこうの言うつもりはなのだけど・・・・、なのできっと頭の良い人はあんまりときめかない映画になってると思う。
おそらく、『シャーロック・ホームズ』という物語は、そのポイントになるのが「推理」。断片的な証拠から全体系をいかに推測するか・・ということが面白い作品なのだとおもう。10人中2~3人が分ればいいくらいのトリックが用意されていれば、見ている人がたどりつかなくてもそれはそれでたのしいものなのである。
ただ、このシリーズは、推理をゆだねる映画ではなく、ホームズが予測する言い訳としてそのヒントが速攻早回しでえがかれたりスローで描かれたりするのだけど、こそれは映画の展開のための良いわけで、誰が見ても分らないヒントでしかない。要するに推理ものではなく、アクションもので、物語の言い訳にホームズの推理力というものが使われているというスタイルになってしまってる。

それでも、意外性でがしがし押してくる情報提示は楽しいので、受身型映画鑑賞人間の方は充分に楽しめると思う。そういう私もけっこう愉しんでみることが出来た。それはこの新しいスタイルの『シャーロック・ホームズ』という映画のよさであり、きちんと認めなければいけないところでもある。

<あらすじ>
ヨーロッパ全土で起きる爆破事件。そして来るべき世界大戦にむけて、武器の調達と薬の調達を完了、商売の準備はすでに出来ているモリアーティ教授(ジャレッド・ハリス)。あとはその戦争を起こすトリガーをどこで引くかだけのスタンバイ状態。不穏な情勢のなかでスイスの某滝(原作では、ホームズとモリアーティがとっくみあって落下するのは「ライヘンバッハの滝」ということになってます)の上の屋敷に集められたヨーロッパ各国の大使たち。この平和会議が失敗に終わればヨーロッパ全土は世界大戦に突入する。しかしホームズは、モリアーティが仕組んだ大使達暗殺のトリックを見抜いていく・・・。

原作は、このシリーズを終わらせるために、最強の敵としてモリアーティ教授を登場させ、ラインバッハの滝から2人とも落ちて共倒れで終了することになっていたそうです。が、その後「ホームズを殺すな」という読者からの熱い要望により、ホームズは生きていた・・ということになったそうです。

by ssm2438 | 2012-03-26 01:33
2012年 03月 24日

戦場のレクイエム(2007) ☆☆☆

f0009381_10365330.jpg原題:『集結号』/ASSEMBLY

監督:フォン・シャオガン
脚本:リュウ・ホン
撮影:リュイ・ユエ

出演:
チャン・ハンユー (グー・ズーティ)
ドン・チャオ (チャオ・アルドウ)
ユエン・ウェンカン (ワン・ジンツン)

     ×   ×   ×

ボクも『プライベート・ライアン』やってみました。

『プライベート・ライアン』以降、戦闘シーンはあのレベルでないと当たり前にみえなくなってしまった今日この頃。そのくらいならうちでもできるよって、やってる感じのある前半のドンパチ、これが長いんだ。充分かっこよく、壮絶に続く戦闘シーンなれど、さすがにこういうイメージがもうあふれすぎてるので、いかんせん食傷ぎみ。ただ、物語はそのあとから面白くなってくる。というか、本来それが物語りの大筋なのだから・・・。
この映画はなんといいましょうか、部分部分の描写はすっごくインパクトがあるのだけど、それをまとめる全体の構成がいまひとつギクシャクしてて、編集の時にもうちょっとすっきり出来たんじゃないかと思う。ただ・・・、その場にいると、できなかったかもしれない。1シーン1シーンがかなり渾身の撮影なので、少々バランスがわるくても、全部入れてしまえ!って気になるのもわからなくもない。そのくらい、魂入ってる感じのカットがつづくのです。

物語の本筋は、中国映画によくある話で(・・・あんまりこればっかりなのであまり感動がなくなってきているのあだけど・・・)、どんな苦難にたいしても真っ正直で生きてるが、理不尽がふりかかり、それでも真っ正直に生きてると、党が名誉回復してくれるよ・・って話。

時代背景は第二次世界大戦後の中国。その頃の中国はまだ「中華民国」でその元首・蒋介石の国民党軍と、毛沢東率いる中国共産党の人民解放軍とが各地激しい戦いを繰り広げていた。近代兵器をもつ中華民国の国民党軍だが、虐げられた余るほど中国人を率いた毛沢東は数の力で徐々に国民党軍を圧倒し、結果的に蒋介石を台湾に追いやってしまう。この人民大革命により「中華人民共和国」が誕生する。

<あらすじ>
グー・ズーティ(チャン・ハンユー)率いる軍第9連隊は旧炭鉱防衛の任務を与えられる。しかし国民党軍の圧倒的な戦力差があり、部下たちは次々と命を落としていく。「集合ラッパを合図に撤収せよ」という命令だったが、戦闘中に戦車による至近弾をあびたグーはほとんど聴覚を失っていた。英雄的突撃で戦車を爆破した兵士の一人が、瀕死の状態で担架に運ばれて帰ってくると、息も絶え絶えに「集合ラッパを聴いた」と伝えて息を引き取る。しかし確信がもてないグーは他の兵士にたずねるが、誰も聞いたとは言わない。結果、撤退することなく戦闘は続行され、グーを残して他の兵士は総て戦死してしまう。
やがて朝鮮戦争を経験し、片目を失ったグーが本国に帰ってみると、第9連隊の兵士たちは失踪者扱いを受けていることを知る。その時の兵士のひとりの妻と出会が、第9連隊の人たちは逃亡者だという汚名さえきせられていた。怒りにもえたグーは仲間の名誉を守るためにさらに、命がけで遺体の捜索を開始。やがてあのとき集合ラッパは吹かれず、第9連隊は他の部隊が撤退するまでの時間稼ぎに利用された事実が明らかになる・・・。

前半のドンパチが無意味に長く、本来面白くなっていくはずの本編(第9連帯が全滅するに至った、その背景にある政治的策略をあばいていくサスペンス)が本編であることに気づくまでに時間がかかってしまう。最初のドンパチの無念さがこの映画の起点であることには間違いないが・・・。
ただ映像的にはかっこいい画面をつくってます。望遠で処理するべき絵とハンディカメラで処理するべき絵の撮り方も適切で、映画の画面としては充分満足できる。どんなに食傷気味な映画だとはいえ、今の日本にこれだけの映画はつくれないだろうなあと思うと、ちと残念に思ってしまう・・・。

by ssm2438 | 2012-03-24 10:37
2012年 03月 23日

モンスター・ウルフ(2010) ☆

f0009381_2311610.jpg監督:トドール・チャプカノフ
脚本:チャールズ・ボーロン
撮影:ロレンツォ・セナトーレ
音楽:マイルズ・ハンキンズ

出演:
レオノア・バレラ (マリア)
ロバート・ピカード (スターク)
ジェイソン・ロンドン (エール)

     ×   ×   ×

糞だとわかっていても、その糞に中になにかないかとついつい糞アサリをしてしまう悲しい性・・・、やっぱり糞をつかむのでした・・・(苦笑)。。分ってるんですけどねえ、なんか、ありきたりのメジャー作品みるより、発見した時の悦びが大きそうでついつい・・。いかんな。。病んでる。
今回の脚本も、カス中のカス。『スウォンプ・シャーク』チャールズ・ボーロン。ま、ダメだろうと思いましたがやっぱりダメでした。監督はみたことないトドール・チャプカノフ、ダメだろうとおもってましたがやっぱりだめでした。ちなみに私が見たのはケーブルテレビだったのだけど、DVDも発売されているらしい。そっちのタイトルは『ヴァナルガンド/解かれた封印』、なんかタイトルだけみるとカッコイイ。

糞CGをい使ったTVMなのだけど、今回のポイントは、古代ネイティブアメリカンの遺跡にまつわる神話(?)を絡めたところ。やばい薬をもられて動物が強大化するわけじゃなくてて神秘パワーでそうなってるってことろこがちょっとちがうところ。だからといって出来が良いわけではない。というか、このほうが出来はダメそうな予感。あいかわらずモンスター・ウルフのCGが壊滅的にぼろぼろ。ここをカットして、全部、森の中に響く咆哮と銃声だけで処理したら少しはまともにみられるものになったんじゃないだろうか? 最近糞CGが反乱するので、本来あるべきストーリーラインの問題点がみえてないまま終わってしまうことがおおい。あまりにつまらないので、脳みそが考えるのを拒否してしまうわけだ。

f0009381_2316473.jpg正直この映画、ほとんど見るつもりはなかったのだけど、それでも一つ引っ掛かりがあると見てしまうのが映像業界に住む人間の性。でもそれはきわめてパーソナルなこと。ヒロインのレオノア・バレラの笑ったときに口元の形というか、シワの入り方というか、その形が昔好きだった女の子に似てたんだ(笑)。バカですねー、男って・・・。

<あらすじ>
ルイジアナの田舎町クロウリーで石油の掘削を行いたいホルター石油会社の社長スターク(ロバート・ピカード)に雇われたニューヨークの新米弁護士マリア(レオノア・バレラ)は、数年ぶりに地元に戻ってくる。地元民はその石油の掘削作業に反対しているのだが、その説得にあたらせるには地元出身のマリアが適任であるとの判断されたからだ。
おりしもその掘削現場から先住民の移籍らしいものがでてきてしまう。強行爆破を命じるスターク。しかーし、そこから強大なモンスター登場。一応狼ということにななってるけど、CGがしょぼく、例によって大きさもいい加減。で作業員達はあわれ、やられちゃう。
マリアに昔から恋心を抱いていた地元のエール(ジェイソン・ロンドン)は帰って憧れに再びアタック。あえなく玉砕。人間関係もやや複雑にしてあって、マリアのとーちゃんは地元を護る保安官。

そんななかでいろいろあるのですが基本路線としては『ディープブルー』的ストーリーライン。主人公(?)のおネーちゃんが名声をもとめていたが、この事件に絡むうちに正しい人に代わっていく。出、実はその昔その狼を封印した部族の生き残りが実はマリアだってことになり、最後は自己犠牲で怪物を倒しました・・・って、心臓停止しても電気ショックであえなく復活。おい!

by ssm2438 | 2012-03-23 23:18
2012年 03月 20日

彼女のアリバイ(1985) ☆

f0009381_8342933.jpg原題:HER ALIBI

監督:ブルース・ベレスフォード
製作:キース・バリッシュ
脚本:チャーリー・ピータース
撮影:フレディ・フランシス

出演:
トム・セレック (フィル・ブラックウッド)
ポーリーナ・ポリスコワ (ニーナ)

     ×   ×   ×

ぷ・・・ぷ・・・プレディクタブル

話の導入部はこんな感じ。
フィル・ブラックウッド(トム・セレック)は小説家だったが、結婚が破局を迎えて以来、もう4年もスランプが続いていた。新しいイメージも出て来ないフィルは、編集長にも促されて、ネタ探しに裁判所の傍聴席に足をはこんぶ。そこで見つけたルーマニア移民のニーナ(ポーリーナ・ポリスコワ)。英語もたどたどしい彼女は、なんでもある男をハサミで殺した容疑で裁判にかけられている。
彼女の儚げな魅力に魅了されたフィルは、翌日神父に化けて(このへんからすで在り得ないのだが)拘置所に潜入、彼女と会ってしまう。フィルは彼女に「アリバイを提供する」と申し出る。ニーナはなにがどうなったのか分らないが、とりあえず出られるのならと、その申し出を受ける。フィルは、「ニーナは自分の彼女であり、その時間帯は彼女と“H”をしていた」と証言、結果彼女は拘置所から解放されることになる。

はっきりって在り得ない設定なので、投げ出したくなる(苦笑)。ま、どこまで見ても映画そのものはあんまりお勧めできるものではないのだが、唯一の救いはヒロイン、ポーリーナさんの可憐さ。
彼女は『銀座じゅわいよくちゅーるマキ カメリアダイヤモンド』のCMに出ていたチェコスロヴァキア生まれのスーパーモデル。顔かたちがいかにもコテコテの東欧系テイスト、ぱっとみあまり好みではなかったのだが、映画の中でうごいてるとこれが猛烈に可愛いんだ。
これは彼女に限らず、東欧系の女優さんってこういうギャップがあると思う。日本人にとっては「いかにも」って顔立ちなので近寄りがたいイメージをあたえるのだけど、動くと普通っていう感じ。そのギャップが日本人には妙に魅力的にみえたりする。残念ながら『カメリアダイヤモンド』のCMだとコテコテの東欧美女のテイストしか全面に出てないので彼女のホントの魅力は分らないと思うが、彼女の魅力はやっぱりこの映画だろう。

トム・セレックは、旧くは『未来警察』『スリーメンアンドベイビー』『Mr.ベイスボール』などで有名ですが、最近の『警察署長 ジェッシイ・ストーン』はなかなか素敵! 
監督は『ドライビング Miss デイジー』ブルース・ベレスフォード。彼がその数年前にとったのがこの映画。世間ではほとんど知られておらず日本でもビデオ発売のみ。正直なところ、コメディとサスペンスの噛み合わせがギクシャクして楽しくないので、映画としてはあまり面白いとはいえない。

やっぱり導入部で失敗してると思うんだ。殺人事件の容疑者として裁判にまで行ってしまってる容疑者を、小説のネタと下心のために衝動的に拘置所から出してしまうのか??? コメディでいくなら殺人がらみにはすべきじゃなかったのでは? ほかにも殺人を絡ませない物語の展開がなかったものか?? 殺人となると、それもヒロインがその容疑者となると、今ひとつ楽しくない!
・・・がしかし、この物語設定でコメディ調で展開される。はあ~~。。。

彼女を釈放するために、嘘のアリバイを提供したフィルは、彼女を田舎の自宅に連れて行く。そこに刑事のフランクが現れる。彼はフィルの証言は信じていないのだが、しばらく泳がせてる感じ。フィルが生きている間は、その証言が嘘だったと覆すことは可能だが、もしフィルが殺されたら・・・、その時は嘘のアリバイは成立してしまう。「ま、あんたも気をつけなさいよ」という警告だったりする。
そこでのニーナの立ち振る舞いは可愛いだけなのだが、時折素晴らしい身体能力を発揮したり、怪しいルーマニア男に付回されているような気配も感じる。
フィルは、もしかしたらホントに殺されるかもという疑心暗鬼もありつつ、彼女の周りに起こる怪しげなシチュエーションを小説にネタにして、どういう結末になるのか分らない現状を文字におとしていく。最終的にはこの一連の出来事が小説になりベストセラーになるってありきたりの展開ですが、オチとしては彼女がルーマニアのサーカス団の一員で、ああだこうだ・・という話で、もちろん彼女が殺人事件の犯人ではないのだけど、どこまで真剣に捉えていいのかわからないまま、最後まで行ってしまった(苦笑)。

以下ポーリーナ嬢のお写真、集めてみました。
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by ssm2438 | 2012-03-20 08:37
2012年 03月 19日

シャーロック・ホームズ(2009) ☆☆☆

f0009381_0322019.jpg監督:ガイ・リッチー
キャラクター創造:アーサー・コナン・ドイル
脚本:マイケル・ロバート・ジョンソン
   アンソニー・ペッカム
   サイモン・キンバーグ
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:ハンス・ジマー

出演:
ロバート・ダウニー・Jr (シャーロック・ホームズ)
ジュード・ロウ (ジョン・ワトソン)
レイチェル・マクアダムス (アイリーン・アドラー)
マーク・ストロング (ブラックウッド卿)

     ×   ×   ×

これって、キャラクター創造:コナン・ドイルになってますけど、モンキー・パンチのまちがいじゃないんですか?

ルパンみたいな、いつも余裕ぶっこいてるリラクタントな主人公と、お人よしの相棒と、不二子みたいな昔の恋人でいつも裏切る女と、律儀な警部さんが出てるんですけど・・・。
で、次回は、五右衛門でてくるんでしょうか?
シナリオライターか、監督か、プロデューサーは絶対ホームズじゃなくて『ルパン三世』のファンだと思うな。

正直なところまったく予備知識なくて見たのですが・・・、見るまでジュード・ローがホームズだと思ってました。どうも、ワトソン君ってどうしてもでっぷりとしたイメージで、ホームズが繊細で細身なイメージだったもので・・って普通誰でもそう考えるだろうに・・・。

ガイ・リッチーってあんまり好きになれいそうにないのでほとんど見てないのだけど、すくなくとも『スウェプト・アウェイ』よりは良かったと思う。ただ、格闘シーンはいやだなあ。ああいう時間の進行をかって歪めてみせるのはがきっぽくて、あのシーン先に見せられると見る気なくなっちゃうよ。どうして才能のないひとって、ああいう小手先の見せ方したがるんでしょうねえ。きちんとドラマがおいこなわれている空間の真実味を描きたいとおもうと、ああいう演出家の作為性がでてしまう画面づくりてのは普通しないものですよ。CMなら分りますけど・・・。
まあ、このアタリはガイ・リッチーの演出の趣味がひたすら相容れないものなのだなって再認識させられました。ただ・・・、ここまでホームズのクラシカルなイメージを最近の流行りモノみたいに作られるとなんか、生理的に受け付けない部分がありまして・・・、これで「シャーロック・ホームズ」の冠つけられるとちと不愉快ですな。これだったら別のタイトルでやったほうが良かったのにって思います、やっぱり・・・。

しかーし、それはさきてお、これはこれで、別物と考えればそこそこ普通に楽しかった。まあ、今時のはやりものの演出の連打なので新鮮味もなんにもないので、よくある作品のひとつってことになっちゃうのだけど、でもテレビだったら最後までみられます。
『アイアンマン』をすっごく引きずってる感じがした。

<あらすじ>
ええええっと・・・、なんかアクション映画してる・・・。

by ssm2438 | 2012-03-19 00:32
2012年 03月 18日

アマゾネス(1973) ☆

f0009381_1821685.jpg原題:THE AMAZONS
    LE GUERRIERE DAL SENO NUDO

監督:テレンス・ヤング
脚本:テレンス・ヤング
    ディノ・マイウリ
    マッシモ・デ・リタ
    シャルル・スパーク
撮影:アルド・トンティ/アレハンドロ・ウロア
音楽:リズ・オルトラーニ

出演:
アレナ・ジョンストン (アマゾネス女王・アンティオペ)
サヴィーヌ・サン (オレイティア)
アンジェロ・インファンティ (ギリシャ王・テセウス)

     ×   ×   ×

脚本家の多い作品に名作なし!

英語タイトルは『THE AMAZONS』だが、南米のアマゾンでの出来事ではない。
『アマゾネス』というのはギリシア神話に登場する女性だけの部族で、この発音はポルトガル語の発音のようである。調べてみると、黒海はかつてアマゾン海と呼ばれていたこともあるそうな。そこには女性部族が実在しており、ギリシア人が誇張したのがこの物語のもとだとか・・・。
そのギリシャ神話に登場するアマゾネスは女王ペンテシレイアによって支配されていたのだが、このものがtありで彼女の任期が終わり新しい女王を選抜するところから始まる。

監督は『007/ドクター・ノオ』『007/ロシアより愛をこめて』テレンス・ヤング。いちおうこの2本は有名だが監督としてはそれほどメジャーなものをのこしているわけではない。この映画もいまひとつ見ていてきもちよくない。あのころのイタリア人が作る話というのはどうしてもジャーロ物系なりがちでエログロ殺し合い系であり、この映画もそのような映画のうちである。ただ、当時とりあえず名前がうれてきたテレンス・ヤングを監督にたてたこともあり、やや頑張ったスケールを感じる。ただ編集がへたっぴで、すべてはだらだらしてみえる。もうちょっと短めに編集できなかったものか・・・。
やはり物語の発想がとぼしいというか、げてもの趣味的以上のものを期待するのは間違っているだろう(苦笑)。

<あらすじ>
女だけの王国アマゾネス、そこでは女王ペンテシレイアの任期が終わり、新しい女王を選抜するための運動会が行われていた。さまざまな競技がありその中を勝ち上がってきたンティオペ(アレナ・ジョンストン)とオレイティア(サヴィーヌ・スン)の二人がレスリングで戦い、勝ったものが次期女王になる。
アンティオペはオレイティアを倒した。女王の座についたアンティオペは嘗て部族が成立されたころのストイックな体質に戻すことを宣言する。兵士には戦いのための厳しい訓練をかし、男との性交渉は、年に一回の子種を貰う時だけに限るというものだった。
相手の男は、当時最強だと言われていたギリシャ軍ということになった。夜、両国の兵たちはそれぞれテントを張りセックスにはげんだ。
その中には身分を隠していたテセウス王(アンジェロ・インファンティ)も入っており、偶然アンティオペとベッドを共にすることになった。やがて月日がたちアンティオペに子供が生まれた。しかしその子は男の子であった。アマゾネスでは、男の子は子供のうちに捨てられる慣わしだった。制度に疑問をもつアンティオペ。
一方、女王決定戦で敗れたオレイティアはアンティオペ暗殺を計画をねっていた。夜、彼女の寝室を襲ったオレイティアだが、激しく取っ組み合ううちにいつしか二人は陶酔の境に陥り、唇を重ねていた(おい!)。
やがて再び年1回の子種を貰う夜が来る。テセウスとアンティオペは今年も同じテントに入り、一時を過ごした。別れの日、既にお互いを求め合っていたテセウスは彼女に一緒にギリシャに来てくれと頼むが、彼女はこれを拒否。しかしテセウスは去っていこうとする彼女を強引にギリシャに連れ帰ろうとした。残されたオレイティアたちは女王を奪われたと、ギリシャに対し宣戦を布告した。しかし戦車を持つ戦力豊富なギリシャ軍にはかなわず、女戦士は次々と倒れていった。
アンティオペは、最後まで奪戦して死んだオレイティアの亡骸を前になげくのだった。

アンティオペを演じたアレナ・ジョンストン(↓)
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方向性がよくわからない映画だった。結局男になびく自然の性を、避けがたいものと捕らえ、レズ重視の概念に悲劇をおわせつつ、そちらを賛美したということなのだろうか・・・??
見ている人がどのように解釈して盛り上がったらいいのか不明な映画だ(苦笑)。

by ssm2438 | 2012-03-18 18:21
2012年 03月 18日

教授と美女(1941) ☆☆☆

f0009381_1145894.jpg原題:BALL OF FIRE

監督:ハワード・ホークス
原案:ビリー・ワイルダー
    トーマス・モンロー
脚本:チャールズ・ブラケット
    ビリー・ワイルダー
撮影:グレッグ・トーランド

出演:
ゲイリー・クーパー (バートラム・ポッツ言語学博士)
バーバラ・スタンウィック (シュガーパス・オーシィエ)

     ×   ×   ×

ヤムヤム・・・素敵!

しかし、物語の基本設定だけですでに素晴らしい。
モノネタは『白雪姫と7人の小人』。それを大人の世界にアレンジしているロマンチック・コメディ。

ある財団が、新しい百貨辞典を作るために8人の学者をあつめる。ゲイリー・クーパー扮する主人公のポッツ博士は言語学者。他にも、数学者、生物学者、歴史学者、植物学者、法律学者‥など、それぞれの専門分野をカバーする7人のご老人学者たちがあつめられている。しかし、あまりにも長い間世間から隔離された環境で仕事に従事してたため、世間知らず状態に陥ってる。
そこに登場するのがゴミ回収業者の男。彼の話すスラングをきいていると、ポッツは今自分が取り組んでいる言葉が既に流行おくれの言葉になりかけていることに気づく。これではいけない!と街にととびだすホップ。
街角で働く人々や若者の言葉をメモしてあるくうちに、あるミュージック・ホールに入り込む。そこの歌姫バーブラ・スタインウィックの言葉使いに魅了される。ポッツは彼女の楽屋をたずね、現代のスラングに関して研究しているので、一度屋敷にきてくれと頼む。しかし、そんなことに興味のないオーシィエは名刺だけうけとって返してしまう。

ゲイリー・クーパーとバーバラ・スタンウィックはフランク・キャプラ『群衆』でも共演していた。この映画のバーバラ・スタンウィックはかなり勢いのある新聞記者で好感度が高かったのだが今回はショーダンサー。おっとおおおお!!なんだか当時としてはかなり色っぽいぞ! 
実は戦前~戦中のハリウッドの女優さんの中では彼女が好きなのである。すっごい華やかさや気品があるわけではないのだが、親しみ易い素直さがあると感じる。そんな彼女が今回はショーダンサーなんぞやって、やたらと肌の露出もおおい服をきているので年甲斐もなくどきどきしてしまった(笑)。
しかし『ブレードランナー』のようなショーンヤングの髪型はいただけない。ま、当時はそれがお洒落だったのかも知れないが・・・、今見るとかなりはずしてた(苦笑)。ただ、中盤からは普通にみられる髪型なのでしょっと安心。。

オリジナル脚本と脚本はビリー・ワイルダールビッチ譲りの軽妙なトークが約束されている。この作品の素晴らしいところは、下世話なトークというのではなく、洗練された構成と上品な言葉で展開されるシチュエーションコメディのきもちよさ。
監督のハワード・ホークスは、ハードボイルド系からスクリューボール・コメディまでこなす職人肌の監督さん。どの話もきわめてまじめにきちんとつくるという印象である。ただ、この人のスクリューボール・コメディはまじめというか、誠実というか・・、悪く言えばちょっと退屈なのである。『ヒズ・ガール・フライデー』などは彼の代表作と言われるスクリューボール・コメディのひとつだが、個人的には、後々製作される『フロント・ページ』『スイッチング・チャンネル』とくらべると今ひとのりが良くないと感じてしまう。
おそらくそれは、ホークスが感情移入を引き出す能力にやや欠けているからだと思う。ホークス自身も「自分を職人監督だと割り切っており、ストーリーを語っているに過ぎない」と述べているそうだが、その登場人物になりきって感情をひきだそうという見せ方ではなく、シナリオで提示されている状況をフィルムに置き換えていくだけの監督さんという印象なのだ。
本作は、ビリー・ワイルダーのシナリオが素晴らしいのだけど、ゲイリー・クーパーがバーバラ・スタンウィックに惚れていく過程が感情移入できないまま、そうなってしまったので「あれれれ・・」とちょっと感情がおいけぼり状態。物語自体の面白さで愉しく見られるが、フランク・キャプラだったらもうちょっと感情移入を引き起こした状態で物語を面白くできたんじゃないかと思ってしまった。

<あらすじ>
言語学者のポッツ博士(ゲイリークーパー)は、百科事典をつくるためにある財団に雇われ、他の7人の博士たちとその制作に携わっていた。もう何年もそれぞれの専門分野に没頭し、俗世間とは距離をおいた彼等は純正培養の「いい人」たちだった。そんな環境の中にミュージックホールで、ブギ(boogie)を歌う俗人オーシィエ(バーバラ・スタンウィック)が居候することになる。

しかし彼女は、ある殺人事件の容疑者であるギャングのボス、ライラックの婚約者だった。その殺人事件の偽装工作に彼女のガウンが使われていたため警察も彼女は、ライラックの言割れるままにしばらく身をかくさなければならなり、選んだ潜伏先がポッツたちの屋敷だった。
長年女性との付き合いなどなかった7人の初老学者たちはささやかに色めきたつ。それはポッツとて同様であり、彼女の自由奔放な態度にどぎまぎしてしまう。規律正しい生活が彼女のために狂わされていく。このままでいけないと感じたポッツは、理性をはたからせて彼女に出て行ってもらうことにするが、事情がそれを許さないオーシィエはヤムヤム攻撃でポッツの理性を撃沈。舞い上がったポッツは彼女にプロポーズしてしまう。
オーシィエは重要参考人であり、各方面に指名手配されているのだが、ギャングのボス・ライラックはこのシチュエーションを利用して、オーシィエを隣の州に脱出させる。「病気で動けない母のもとでの結婚式をあげようとしている女性、それも夫になるのは学者先生、その友人たちは世間知らずのおじいちゃん学者たち」なら州境のガードマンも甘くなるだろうというのだ。作戦は成功した。
やがてライラック登場・オーシィエは彼とともに去っていく。総ては偽装工作だと知らされたポッツと7人の学者たちは現実に引きもどされる。絶望したポッツたちはふたたび百科事典の制作に取り掛かろうとしたときライラックの部下の2人が彼等の銃をもって乱入してくる。
すでにポッツの誠実さに心を動かされていたオーシィエは、ライラックとの婚姻を拒絶しているらしい。ライラックは、もし結婚しないならポッツたちを殺すと脅しているようだ。
銃でおどされて身動きとれない教授たちだが、彼等には分らない専門用語を巧みに使い、意思疎通を図り、逆襲の計画を準備し実行していく。このプロセスが実に楽しい。ライラックの部下2人を倒したポッツと7人の学者達はオーシィエの結婚式の会場に乱入、警察もかけつけ一件落着となる。

by ssm2438 | 2012-03-18 11:57 | ビリー・ワイルダー(1906)