西澤 晋 の 映画日記

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2012年 09月 29日

緯度0大作戦(1969) ☆

f0009381_1261337.jpg監督:本多猪四郎
脚本:関沢新一/テッド・シャードマン
撮影:完倉泰一
音楽:伊福部昭
特技監督:円谷英二

出演:
ジョセフ・コットン (クレイグ・マッケンジー)
宝田明 (田代健)
岡田眞澄 (ジュール・マッソン)
リチャード・ジャッケル (ペリー・ロートン)
大前均 (甲保)
リンダ・ヘインズ (アン・バートン)
中村哲 (岡田博士)
中山麻理 (岡田鶴子)
平田昭彦 (姿博士)
シーザー・ロメロ (マリク)
パトリシア・メディナ (ルクレチア)
黒木ひかる (黒い蛾)

     ×   ×   ×

なんと、キャプラ映画もどきでしたか、これは!?

フランク・キャプラ
の映画に『失はれた地平線』という映画がある。このモチーフそれだったのですね。ただ、それに『ドクター・モローの島』『海底二万マイル』が合わさってる。

戦争のない理想郷、シャングリラ。それを緯度0に置き換えてつくったのがこの映画。キャプラなのなかでも理想主義にはしりすぎてかなり温い映画ではあるのだが、そこになお一掃のおトボケ着ぐるみモンスターの話が加味されてるからかなりたるい。物語りも、恐ろしいほどカートゥーンな世界だった。
原作が1940年代にNNBCラジオで放送された、テッド・シャーマン原作の"Tales of Latitude Zero"(緯度0の物語)でだそうな。当時ドン・シャープがこの物語の企画をすすめており、東宝のスタッフが日米合作というスタンスでこの物語を映画化することを持ち込んだという。
なので、コスチュームのデザインやその色は思いっきりカートゥーンのデザインや色なのである。そして物語りもかなりのステレオタイプで、深みもなんにもない。かなりファミリー向けなテイストである。

唯一燃える要素が、万能スーツの万能手袋。マシンガンや火炎放射、レーザービームを指先から放射できるすぐれもの。実は、若き日の西澤少年は、この映画を劇場で親と一緒にみた覚えがあります。あの万能手袋には魅了されたものです。
あともうひとつ、強いてあげるならアン・バートン演じるリンダ・ヘインズの後ろがざっくりあいてるコスチューム。彼女の後姿だけにはときめくものがあった。ちなみに彼女は知る人ぞ知る『ローリング・サンダー』のヒロインでもあのです。

<あらすじ>
緯度0付近の海流調査の為に潜水球でしばしの海底滞在をこころみた物理学者田代健(宝田明)、海洋地質学者ジュール・マッソン(岡田眞澄 )と記者ペリー・ロートン(リチャード・ジャッケル)の三人は、突然の海底火山の噴火に遭遇、不思議な潜水艦アルファー号に救われた。そして連れて行かれたのが緯度0にくつられた海底都市。そこは海底二万メートル、人工太陽の下のパラダイスだった。彼らの寿命は恐ろしいほど長く、アルファー号の艦長であるクレイグ・マッケンジー(ジョセフ・コットン)は200歳を越えるという。
その宿命のライバルがブラット・ロック島に基地を持つ悪の天才マリク(シーザー・ロメロ)。彼らは、「緯度0」を粉砕し、人類を征服する野望をもっている。彼らが狙ったのは、放射能免疫血清の方程式でノーベル賞受賞の科学者岡田博士とその娘鶴子。その血清を注射しておけば核兵器が使われても放射能におかされることがないという。マリクに捕らえられた岡田博士とその娘を救出するためにクレイグ・マッケンジーたちは、ブラッド・ロック島にむけて出撃する。

そして、デザイン的に言えば、今回登場するアルファー号とムーンライトSY-3は、東宝特撮モノのなかではやたらとカッコイイ印象をのこしてくれていた。今見ると、アルファー号はもうちょっと船体が長くてもいいのだけど・・・。せめて轟天くらいあったらカッコよかったのに・・・。

by ssm2438 | 2012-09-29 01:26
2012年 09月 27日

あ・うん(1989) ☆☆☆

f0009381_0155126.jpg監督:降旗康男
原作:向田邦子
脚本:中村努
撮影:木村大作
音楽:朝川朋之

出演:
高倉健 (門倉修造)
富司純子 (水田たみ)
板東英二 (水田仙吉)
富田靖子 (水田さと子)
山口美江 (まり奴)
真木蔵人 (石川義彦)
宮本信子 (門倉君子)

     ×   ×   ×

今回の健さんはめずらしくけっこう浮気者。。。

ぱっとみ地味そうで、観たい役者さんも富田靖子以外いないのでかなりお間放置プレーしてた映画ですが、えいやーと見てみました。以外や以外、そこそこ面白かった。

『ノルウェーの森』のなかで、三角関係だからバランスがとてる関係があることについて書かれていたが、まさにそんな感じ。仲のいい男同士が、一人の女を好きになり、女はそのうちの一人を選ぶのだが、選ばれなかった男にとってはマドンナとして永遠の憧れになる。今回の健さんは、その選ばれなかったほうである。

そんな健さんも、結婚してとある中小企業の社長になっているのだが、本来の憧れの君を手に入れてないがゆえに、あっちこっちの色恋沙汰が耐えない。一途なんだけど、一途さゆえにその反動がでて表面的浮気モノを演じてるような人。奥さんとは、特に波風もたてるわけでもなく、家の中は穏やかに過ぎているのだが、時折外で女を作っては、それがばれて妻を悲しませている。しかし、親友と親友の奥さんだけには誠実に向き合っている・・・という、現実世界でもたまにある人物設定である。

一途なんだけど浮気モノ。
・・・私の知る範囲でも、そういう人が一人います。

そんな、ちょっと得意なキャラクターが今回の主人公。ま、いつもの健さん映画なら在り得ないタイプの主人公だが、今回の原作は向田邦子なのだ。暗くもならず、渋くもならず、しかしきわめて繊細に爽やかにそんな人物が描かれている。みていて気持ちがいいのである。

本編のなかでも

「人生には絶対手に入らないものがあって、それは我慢しなくちゃいけないんだ」ってある。

それを、それほど絶望するわけでもなくさらりと言ってしまうようなテイストがこの映画の魅力なのだろう。しかし、波風がたたなかればドラマにはならず、やはり心の中の欲望と理性と罪悪感から、2人の友情に日々が入る。あらららら・・・このまま痛いままおわるってことはないだろうなあって見てると、これまた爽やかに仲直りしてしまう。

<あらすじ>
昭和12年。戦友として知り合い、20年来の友人である水田仙吉(坂東・83奪三振・英二)が家族をつれて仙台の赴任先から東京にもどってくる。門倉修造(高倉健)の心はときめいた。水田の妻、たみ(富司純子)は、門倉にとって永遠に手が届かないマドンナであったが、その想いを封じ込め、誠実に付き合う門倉と水田、そしてたみは3人で一つの完成されたユニットのようであった。
ある日、水田の娘・さと子(富田靖子)は門倉の妻・君子(宮本信子)の紹介で帝大生・石川義彦(真木蔵人)と見合いをしたが、仙吉は身分不相応と断わった。しかし、さと子と石川は互いに惹かれ合い、デートを重ねるのだった。
傾きかけていた門倉の会社もなんとか持ち直し、水田を夜の街に連れて行く余裕がでてきた。女に真面目だった水田も門倉の紹介で知り合った芸者まり奴(山口美江)に執心。給料をまえがりしてまでもまり奴のところに通いつめる水田。しかしある日、まり奴は店をやめたことをきっかけに、トラブルの芽はたたれたようだった。
しかし、ある日君子が、水田の家を訪れる。門倉がまた女を囲ったらしいというのだ。一人ではいけないから水田さん、一緒に来てほしいと頼まれ、相手の女の家を訪れると、そこにはまり奴がいた。男としてのプライドが傷付けられた水田は憤慨する。一方門倉もたみえの想いが噴出しそうになるのを君子に指摘され、終止符を打とうと、あえて水田を怒らせ絶交することになる。
しかし、水田がジャワ支店長として転勤することが決まった時、門倉は最後の別れを言いに水田家を訪ねた。その時義彦も召集令状を受け取りさと子に別れを告げにやって来た。門倉は雪の中を去っていく義彦をさと子に追わせ、自分は水田家で久しぶりに仙吉、たみと酒をくみ交わしたのだった。

降旗康男ものの中では、かなりほんわかムードの爽やかな映画であった。

by ssm2438 | 2012-09-27 00:16 | 木村大作(1939)
2012年 09月 26日

ザ・レイプ(1982) ☆☆☆

f0009381_2254369.jpg監督:東陽一
原作:落合恵子「ザ・レイプ」
脚本:東陽一/篠崎好
撮影:川上皓市
音楽:田中未知

出演:
田中裕子 (矢萩路子)
風間杜夫 (恋人・植田章吾)
伊藤敏八 (レイプ犯・谷口明)
津川雅彦 (高木三郎)
後藤孝典 (弁護人・黒瀬勇一郎)

     ×   ×   ×

そのむかし文化放送で「セイ!ヤング」というラジオ番組がありました。落合恵子はそのパーソナリティの一人でときおり聴いておりました。そのラジオ番組だったかどうかは覚えてないのですが、自分の小説が映画になるって話を聞いた覚えがあります。しゃべり方も穏やかな人で、雑誌なんかにのっていた写真も拝見したことがあるのですが、とっても綺麗なひとでした。ただ・・・、不思議と価値観を共有できる言葉がなかったな・・という印象がある人でした。

この映画は当時一度見たことがあって、その時の印象は「まあまあよく出来てたな」というものでした。今見返してみると・・・・、実に女性の感性でつくられたお話だという印象でした。レイプとその裁判というイベントを果実にして客を惹き、種の部分は「女って男が夢見ているような生きものじゃないのよ」という、決して男と女が相容れない部分を提示していっているような話。
物語の構成的には、裁判モノというのは本性暴きモノにしやすいのですが、まさにそんな感じ。で、男が観ていてみていて気持ちの良いものではないのです。それもかなり意図的ですね。「ほおおおら、男がみたいのはこうなんでしょ、でも、気持ちよくみせてあげないもんね~~~」っていう、ある種の敵対心すら感じます。

田中裕子演じる主人公・路子は、会社のあと彼氏のところで“H”をして、終電(かそのあたりの電車)で返ってきて駅からアパートまでの帰り道でレイプされてしまいます。今時のお下劣なバイオレンスもののようなガシガシのレイプシーンではなくかなりおとなしい感じです。が、ま、それはよいのです。
そのあと憔悴した彼女が家に帰ってくると、彼氏からの電話(当時携帯はない)。ずっとかけてたのに何故でないんだ??と質問責め。とにかく今はほっといてよって時の男からの電話が超ウザい。それでも男にしてみれば、電話の向こうの様子が明らかに変なので心配でしようがない。女の心配ではなく、自分の幸せな時間が崩壊するかもしれない危機感。もしかしたら別の男と・・・いう不安。それを払拭したいがための質問責め。
男という生きモノの精神的虚弱体質な部分をぐさりと突き刺してきます。

やがて裁判になり、路子の男性関係が暴かれていきます。
「自分だけの女」だと思って女には、過去において複数の男性関係があり、そこには娼婦性がかいまみえたりします。それは既に過去のことなのか・・・、それとも自分と付き合っていた時も平行しておこなわれていたものなのか・・・。男にとっては事実がどうかということよりも、そう想像できてしまう次点でもう大問題なのです。男の弱点をグサリとグサリと突いてくるのです。
だいたい、男という生きものは、実際に在る物がどうのこうのではなく、その上にどれだけ夢を投影できるか否かが重要な生きものなのです。女にとって、夢が破れて妄想することができなかうなった男ほど使い物にならないものはないのでしょう。もっとも、妄想しかしてない男も使い物にはならないのですが・・・。

とどのつまり、落合恵子という人は、男に対して醒めた感情しかもってないのだなあ・・と改めて認識したのでした。
そういう意味では東陽一の演出は、物語と波調があってたのかもしれません。個人的にはこの人の演出は、気持ちよく観ていたいシーンなのにあえて興醒めするようなカットをいれこんでくるので、どうも好きになれない・・・。

しかし、最後の判決が出た後の描写は素晴らしかった。
自分のことを執拗にせめたてた相手の弁護士に「いろいろ勉強させてもらいました」とクールに言葉をかけ、立ち去っていく田中裕子。このシーンのカッコよさが絶大である。

<あらすじ>
恋人・植田(風間杜夫)と情事の後、家路についた路子(田中裕子)は、駅からの帰り道に中古車販売店の店員・谷口(伊藤敏八)にレイプされてしまう。裁判になるとかつての男性関係も明らかにされていくと、恋人の植田がショボく見えてくる。かつての不倫相手だった高木(津川雅彦)に再会してみる。<女の現実>と<男の夢>、<女の夢>と<男の現実>がつねにネジレの位置にしかないことに気づいた路子は・・・・おそらく、期待する振りをするのを辞めた・・・・・のだろう。

・・・そんな話でした。。。

悪くはないけど・・・、楽しめる映画ではないな・・・。

見て損はない映画だと思うけど・・・・、なんでだろう、
やっぱり「期待するのをやめた人」が作る話には魅力を感じないのでした。

そりゃあ、期待したら裏切られるのは判ってるけどさ、それでも期待してしまうのが人生ってもんでしょう。
裏切られて傷つくのが怖いから期待しなくなり、期待する能力がのこってるひとをアザけるのはあまり感心しないなあ。それってラース(・フォン・トリア)な精神だと思うが。
この映画も、そこに向かいつつある要素が内在してるきがする。

by ssm2438 | 2012-09-26 22:55
2012年 09月 16日

告白(2010) ☆☆

f0009381_12101063.jpg監督:中島哲也
原作:湊かなえ『告白』(双葉社刊)
脚本:中島哲也
撮影:阿藤正一/尾澤篤史
音楽プロデューサー:金橋豊彦

出演:
松たか子 (森口悠子)
西井幸人(渡辺修哉)
橋本愛 (北原美月)
藤原薫 (下村直樹)
木村佳乃(直樹の母・優子)
岡田将生(寺田良輝)

     ×   ×   ×

「翔丸組にはいるのだ」・・・な~んてね。

2010年の日本アカデミー賞作品賞受賞作品。

物語は一人の教師の独白的な告白で始まる。その内容は、彼女が担任したそのクラスに、自分の娘を殺した生徒がいるというもの。彼らは少年法で守られているため、刑事責任はとわれない。なので、その2人の生徒に飲ませた牛乳の中にエイズ感染者の血を混入させておいた・・と告白する。
物語は表面的なストーリー展開一般描写とし、その人だけが知っている自分の価値観を語ったシーンを、主要キャラクターの告白というような形で表現されている。表面的にはおちゃらけた世界にみえるそのうらにはこういうリビドーがあるんだよ・・みたいな表現なので、本来私の好きなタイプの作品なのだけど・・・なぜかはまれない。物語は、結局最後まで見させるような惹きの強さをもっているので、《どうなるのか知りたい欲求》にかられて最後までみてしまうのだから、つまらないとはいえないのだけど、なぜか好きになれない・・・・。なぜなのか? それが監督の中島哲也がもつ演出スタイルの問題点なのだろう・・・。

<あらすじ>
シングルマザーの教師・森口悠子(松たか子)には3歳になる娘がいた。父となるはずの男はエイズだと判り結婚を断念、しかし幸い生まれた子にも悠子にも感染はなかった。そんな娘が学校のプールで水死体となって発見される。そして学期末の最後の日に、「娘を殺した犯人がこのクラスにいる。彼ら2人には昔の婚約者の血液を混ぜた牛乳を飲ませた」と告発する。
新学期が始まるがクラスの顔ぶれは一緒。犯人の一人渡辺修哉(西井幸人)はずけずけと登校してき、みんなからのイジメにあう。もう一人の犯人・下村直樹(藤原薫)は登校拒否に陥る。
クールに状況を傍観していた学級委員長の北原美月(橋本愛)は、修哉のイジメに加わらないことから制裁をうけ、彼と無理やりキスさせられてしまう。そんな美月は修哉に呼び出されて、HIVに関して陰性である診断書をみせ、「君はエイズにはかかってないから安心しろ」といわれる。これを機に2人の仲は急速に進展していく。
それぞれの人には心に闇が設定されている。
修哉は、自分を捨てていった大学教授の母に認められたい願望。
直樹は、だれでもいい、自分をみとめてほしい願望。
美月は、私だけは貴方を理解してるのよ。だから大切にして願望。

直樹の気持ちも、美月の気持ちも、修哉に向かっている。しかし修哉は彼らのことはたんなる人生のなかのアイテムであり、彼の想いはつねに母にむかっている。母にその存在を認めてもらえない修哉は、卒業式の日、学校を爆破することで自己アピールしようと試みるが、その爆弾は森口悠子によって別の場所に移動されていた。修哉が携帯から信号を送った時、その爆弾は、修哉の母のいる教授室を、彼女もろとも吹き飛ばした。
さめざめと泣き崩れる修哉。そこに悠子が登場。

ほら、命が軽いなんていってるあんたも、そうじゃないってわかるったでしょ。これが貴方の更正のはじまりなのよ・・・な~んてね・・・で終わる。


気分はラース・フォン・トリアー的であり、みていて気持ちのいいものではない。演出も『エヴァンゲリオン』っぽくってけっこううんざりするのだが、「実はこうだったんだ、実はこうだったんだ構成」で、最後まで観させる構成になっている。
そのくらい惹きつける構成なのに、なぜう・ん・ざ・りさせるのか・・・これが問題なのだ。

それは、若い世代の価値観の構造が根本的に変わってきているきがする。それにあわせて物語を作れる人がつくるとこういうことになる・・ということなのだろう。
では、どう価値観の構造がかわってきたのか・・・??
それはインターネットにより、自分の感じた痛みなどの感覚を、即効的に客観的な感覚に移し変えてしまう技を覚えてしまったことだ。映画やドラマなのでの痛いシーンを見たとしても、その反応をネットでチェックし、あ、みんなもこんな風に感じてるんだ、ふ~~~んで、自分の受けたショックを軽減化してしまう。
以前は、ネットなどの情報検索環境がなかったので、ドラマなどからうける痛みなどのショックは、自己のモノとして自分の細胞のなかに吸収されてそれが人格として形成されていったのだろうが、最近の場合は、その痛みを自分の中に吸収する以前に、ネットで客観的な捕らえ方に変換してしまい、ドラマで使われる記号として貯蓄してしまう。

中島哲也の演出というのは、物語をなかの痛みを真実として受け入れてもらうことをめざさず、今の世代が受け入れ易い記号化した情報として提示するのである。同人誌漫画ののりを映画にもってきているのである。彼が作る世界観というのは、シチュエーション・コメディ、シチュエーション・サスペンス、シチュエーション・ホラーと呼ばれる世界なのだ。
別の例として、『ソウ』にしても、やっていることは残酷なことなのだが、既に記号化して提示されたシチュエーションなのだ。なので、それを観て楽しめる人は、記号化された情報だとしてうけとる。もう、こういう映画は、見る側と作る側で、お互いの了解で出来ているようなきがする。
それが好かん。そういう風に描かれると、提示された総てが見たことのある情報で、うんざりしてしまう。

物語を作る人は、物語の中で展開するものを「真実」のものとして受け止めてほしいという願望がある。すくなくとも、昔は観る人もそうだった。そういうものを作りたいと思うし、そういうものを観たいと思ったし、そういうものでないと感動を残せないと考えた。ただ、今時の人には、それを「真実」として受け止めるには重過ぎるのである。それを記号として提示してあげないと食傷気味になってしまう傾向にある。どんなに残酷なショッキングな画面をみても、痛みを記号化し情報化して拡散してショックを和らげるようになれてしまった。痛みを自分のものとして受け止める能力を失いつつある。
そんなんでいいのか????って思う。

ヤな時代になったものだ・・・・。

by ssm2438 | 2012-09-16 12:10
2012年 09月 06日

シティヒート(1984) ☆☆

f0009381_18473046.jpg監督:リチャード・ベンジャミン
脚本:サム・O・ブラウン/ジョセフ・C・スティンソン
撮影:ニック・マクリーン
音楽:レニー・ニーハウス

出演:
クリント・イーストウッド (スピア警部)
バート・レイノルズ (マイク・マーフィー)

     ×   ×   ×

シャーキーズ・マシーンとハリー・キャラハンだが・・・。

70年代に刑事ドラマの人気俳優といったらこの2人だったのだろうが、この映画ではその2人の共演しているという・・・、それだけが珍しい映画。内容的にはかなり眠かったかも。ひとつほめるとしたら、画調がシックでけっこう素敵だった。

というわけで、撮影監督のニック・マクリーンをチェックしてみると、作品数はけっこう少ない人でした。私がみたなかでは・・・、『ショートサーキット』『オーバー・ザ・トップ』『ステイン・アライブ』・・・、ほかにもちょこちょこあるんですが・・・トータル的にはウィリアム・A・フレイカー的な画面ですね。コントラストは適切です。ハードボイルドもハート・ウォーミング系もしっかりこなして観易い画面を提供してくれる人という感じ。印象わるくないです。

監督はリチャード・ベンジャミンは、まあ、穏やかに撮る人。『月を追いかけて』を撮ってくれてるのであんまり悪くいいたくないのですが、一言で言うと普通な映画ばかりでスゴイ映画、突き抜けてる映画をとるという感じではないですね。

物語の基本構成は、嘗て警察で同僚だったバート・レイノルズとクリント・イーストウッド。そのうちバート・レイノルズのほうが警察をやめて探偵事務所をはじめているという設定。でも、昔からの腐れ縁で反目しながらもなんとか2人で一緒に街のギャングを一掃していくという話。レイノルズのほうがチャラチャラした感じの愛キョの良い探偵で、イーストウッドがいつもはブスっとしてほとんど戦いに参加しないのだけど、自分に被害が飛び火すると怒りが急変して暴れまくるというキャラ。
ただ、その暴れっぷりが、いまとなってはおとなしいのでメリハリがないのがちとタイクツ。ま、昔はこれでもたのしめたのでしょうか????
でも、80年代の映画ですからねえ・・・、80年代でも、この程度の映画では観てる人は退屈だったと思うな。

<あらすじ>
禁酒法があけたころのカンサスシティ。街は2人のギャングのボス、レオン・コル (トニー・ロー・ビアンコ)とプリモ・ピット(リップ・トーン)がお互い反目しながら街をg牛耳っていた。私立探偵のマイク・マーフィー(バート・レイノルズ)は、コルの隠し帳簿を手に入れた。その帳簿が公表されればレオン・コルの失脚は明らかなだ。一方プリモも、ライバルを叩き潰すねたにはもってこいであり、二組のギャングが入り乱れてドンパチをやらかす。
当然、警察もうごきだす。スピア警部(クリント・イーストウッド)もこれを機に暗黒街のボスどもの排除にのりだす。かくしてスピアとマーフィーの喧嘩コンビが復活した。2人の手荒な暗黒街壊滅作戦によつて、両組織はあえなくカンサスから排除されたのだった。。。

by ssm2438 | 2012-09-06 18:47
2012年 09月 03日

愛とセックスとセレブリティ(2009) ☆☆

f0009381_2133579.jpg原題:SPREAD

監督:デヴィッド・マッケンジー
脚本:ジェイソン・ディーン・ホール
撮影:スティーヴン・ポスター
音楽:ジョン・スウィハート

出演:
アシュトン・カッチャー (ニッキ)
マルガリータ・レヴィエヴァ (ヘザー)
アン・ヘッシュ (サマンサ)

     ×   ×   ×

グロイ!
これほどセンセイショナルなエンディングはそうないでしょう。


ちなみにパッケージの写真はエロそうですが、全然“H”系の話ではありません。
物語は、いい加減男の青春残酷物語といった感じか。先ごろデミー・ムーアと別れたらしいアシュトン・カッチャーですが、それを予感させるような映画でした(苦笑)。コメディ路線も、アクション路線もロマンチック路線も爽やかにこなす「次世代のトム・クルーズ」といえば、このアシュトン・カッチャーでしょう。そのアシュトン・カッチャーが制作もかねた本人にとっては意欲作・・??
映画の内容は、見た目のチャーミングさでセレブのお姉ーちゃんを引っ掛け、その家に上がりこみ住み込みでピンプをやってる男が、真面目な恋愛に目覚めるのだが、それも、彼女にしっかり愛されるのだが、最後は捨てられてしまうという、男の夢をぶち壊す映画でした。

懐かしいところでは、『6デイズ/7ナイツ』『ボルケーノ』アン・ヘッシュを久々にみました。良い感じで大人になってます。今回はロスで豪邸にする女性弁護士という役柄。

しかし、なによりインパクトがあるのがラストシーン。ことが終わって、好きな女をきちんと求めた時には、その女は既に他の男と結婚していた・・・、あの時きちんと自分が応じていれば・・という男にはよくある恋愛後悔のパターンです。そのかいあって、ピンプ業あきらめ、真面目に働くことをはじめた主人公、一番最初にあいてしてくれたアン・へッシュのところから自分のアパートに帰ってくると(冒頭では自分の住む所も無かったのだから、自分でアパートを借りてるのは彼にしてみればスゴイ進歩です。そして飼っているペットがでっかいカエル。仕事から帰ると、冷蔵庫からハツカネズミを一匹とりだしてそのカエルのいる水槽に降下させる。パクとそのネズミを食べるカエル。強烈です。そのネズミは既に死んでいたので口の中で動くことはないのですが、変えるの口からはネズミの尻尾がでてて、エンディングの間中、徐々にそのネズミを胃袋に移動させてるのでしょう。最後は口からぴろんと出ていたネズミの尻尾もカエルの口に中に納まってしまうという・・・、強烈なエンディングでした。
劇場でこのエンディングを最後まで観た人は、どんな衝撃を受けたのでしょう。近年まれに見る衝撃のエンディングでした。

<あらすじ>
ほとんどヒモとしての放浪生活になじんでいるニッキ(アシュトン・カッチャー)。その夜は女性弁護士サマンサ(アン・ヘッシュ)とお近づきになり、彼女の豪邸で一晩を過ごした。カエルアパートも、朝になればでかけていく仕事ももってないニッキだが、“H”だけはおてのもので、サマンサに気に入られてしばらくそこにいつくことになる。
ところが、ニッキはダイナーで出会ったヘザー(マルガリータ・レヴィエヴァ)に一目惚れしてしまう。しかし、彼女も実は同業者であった。セレブとお近づきになり、パラサイト生活をおくっていたのである。そんな2人が惹かれあいながら、お互いを否定しながら、実は自分たち自身を否定しあっていたのだろうが、お互い同棲するようになる。
そんなヘザーがあるあさふさぎこんでいる。
どうしたの?と訊くニッキ。彼氏と別れたと伝えるヘザー。彼はアイスホッケーのチームオーナーで何不満のないセレブだった。
何故別れた?きくと、貴方を愛しているから・・と返事が返ってくる。

・・・・・素直に対応できないニッキは、外に飛び出していく。
返ってみると、ヘザーは、やはり彼のところへ行くと、置手紙をして出て行ったしまった後だった。
何度も電話をかけて彼女の帰りをまつニッキだが・・・、ついに覚悟をきめて、婚約指輪をもに、ヘザーの愛人宅に乗り込む。
相手の男はいなかった。驚いたヘザーだったが部屋には入れてもらえた。
そして指輪をだして一世一代のプロポーズ。彼女の心も確かに揺らいだ・・・。
しかし・・・、「私はもう結婚してるの」の言葉。
さらに、「2人で済むには部屋を借りなきゃならないの。貴方にはその経済力も、それを稼ぎ出す仕事もないのよ」、プータロウー・ピンプには強烈なボディーブローだった。そこに旦那が帰ってくる。
「あなた、グローサリー・ボーイにチップを渡して・・・・」
旦那からチップをもらったニッキは「女の現実」というものを認識し、感情が硬直したなかで静かに去っていくのだった・・・・。

で、ロスにかえった彼はグローサリー・ボーイ(スーパーの配達人)の職に付き、地道に働き始めました・・というお話。めでたしめでたし・・・。

by ssm2438 | 2012-09-03 02:15
2012年 09月 02日

君よ憤怒の河を渉れ(1976) ☆☆

f0009381_2205137.jpg監督:佐藤純弥
原作:西村寿行「君よ憤怒の河を渉れ」
脚本:田坂啓/佐藤純弥
撮影:小林節雄
音楽:青山八郎

出演:
高倉健 (杜丘冬人)
原田芳雄 (矢村警部)
中野良子 (遠波真由美)

     ×   ×   ×

☆二つ以上はあげられないけど、このテンションに同調できるならけっこう面白い。

真面目一辺倒だった東京地検の健さん検事が、どういう因果かわからないが無実の罪をきせられ、自分の無実を証明するために、捜査網をかいくぐりながら、最後の敵を倒すという話。
以前一度だけ、西村寿行の小説は読んだ事のがあるのだが、これがなかなか勢いのある小説だった。潔さとバイオレンスと意志力の強さと負われながら成し遂げる物語が、ご都合主義と意志力の絶妙のバランスで綴れ折にされており、なかなかぐいぐい読ませるのである。
この映画もその片鱗はたしかにある。
ただ・・・、かなりアホなBGMをつけてる。
それでも、カルト的に愛される要素はもっている映画である。

では、この映画の何処がそれほど肯定されるのかというと、西村寿行のもってる人間の意志力は描けてると思う。そしてそれを実行するのに、人間のできる範囲のことでやってるところは賞賛に値する。さらに、中野良子がけっこう良かった(笑)。と、いいところはそれだけなのだが、でも、この物語のコアな部分でこれだけ意志力をしっかり描けてる作品はそうないきがする。70年代の良い部分と、マヌケな部分とが見事にブレンドされた映画なのだ。おそらく、これって、今の時代に、ハリウッドとかがこれをリメイクしたらそれなりに面白い作品になると思う。それが出来るだけの基本要素はあるのだ。ただ・・・、そのほかの部分でかなり「なんじゃこりゃあああああああ」度が強い作品で、ま、その部分を語りだすと尽きないという、かなりの珍作である。

<あらすじ>
東京地検検事・杜丘冬人(高倉健)は、身に覚えのない容疑で逮捕されるが、無実を証明するために逃走する。杜丘は、彼を罠にかけた女を捜しあてるが、既に彼女は殺されていた。頼みの綱は、偽証をしたもう一人の男・横路敬二である。彼を探し出して真相を素人試みる杜夫かに警察の手が伸びる。
杜丘は、横路敬二が北海道の様似に居ることを知り、北海道に飛んだ。そこで偶然熊におそわれかけた真由美という娘(中野良子)を助ける。彼女の父・遠波善紀は北海道知事選に立候補中だったので、一人娘が杜丘に好意をよせているのに困惑するが、杜丘に自家製セスナを与え逃亡の手助けをする。
東京に戻った杜丘は横路が何者かに強制収容されている事実をつきとめる。真由美の助けも在り、精神病院に患者を偽って潜入し横路と接触を企てるが、横道は新薬を投与されすでに廃人になっていた。
その病院では、代議士の長岡了介(西村晃)が院長・堂塔に命じて、精神を崩壊させる新薬を開発させていたのである。杜丘が陥れられたのは、その事実に触れかけたからだった。
しかし杜丘も強制的にその新薬を処方され、精神崩壊にいたった・・・。
が、実はそれはそういう芝居をしてただけで、本とは飲まされた薬をそのつど、喉の奥に指をつっこみ強制てきに嘔吐してはいていたのである。
長岡の悪事をあばいた杜丘は、矢村警部(原田芳雄)とともに彼の事務所にのりこみ、最後は長岡を矢村とともに射殺するのだった。

かなり偶然に支配されている映画なのだが、物語の展開がある意味現実的であり、ジョン・フランケンハイマーあたりに取り直してもらうとかなり面白い映画になったんじゃないだろうか・・・。
捨てがたい奇奇怪怪な映画である。

by ssm2438 | 2012-09-02 02:21