主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

<   2012年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧

声をかくす人(2011) ☆☆

f0009381_6395474.jpg原題:THE CONSPIRATOR

監督:ロバート・レッドフォード
脚本:ジェームズ・ソロモン
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
音楽:マーク・アイシャム

出演:
ジェームズ・マカヴォイ (フレデリック・エイキン)
ロビン・ライト (メアリー・サラット)
ケヴィン・クライン (エドウィン・M・スタントン陸軍長官)

     ×   ×   ×

さて・・・どう語ろう。
大好きなロバート・レッドフォード監督作品なれど、『大いなる陰謀』といいこの『声をかくす人』といい、政治色がだんだんと出てきているような気がしてあまり楽しめない。レッドフォード自身がもっている弱者擁護の徹底した姿勢はそれでいいとしても、「強者批判」に傾いてくるとちょっといやあ~~~~なきがしてくるのです。

で、自己分析したのですが、レッドフォードの作品がどうのこうのというよりも、私の趣味として、<感情>が正義と同調する話は好きなのですが、<理性>が正義と同調する話には嫌悪感を感じるように出来ているらしいのです。
『普通の人々』は大好きな映画ですが、そのなかでひとつどうしても気持ち悪くて仕方がないシーンがあります。それは心が健全化してきたコンラッドが、クリスマス休暇から帰ってきたおかあさんにハグハグするところ。あそこはきもい! あれはレッドフォードの映画の中でも、どうしても受け入れがたいシーンでした。この映画は全体をとおしてそれを感じてしまうというか・・・。

<あらすじ>
新しいアメリカの象徴だったリンカーンが南部の残党によって暗殺される事件がおきた。主犯のブースは逃亡中に射殺され、共犯の8人は捕らえられた。彼らのために下宿を提供したとして共謀の罪によりメアリー・サラット(ロビン・ライト)も捕らえられた。
フレデリック・エイキン (ジェームズ・マカヴォイ)は、元司法長官のジョンソン上院議員(トム・ウィルキンソン)から彼女の弁護を頼まれる。被告たちは民間人でありながら、陸軍省が仕切る軍法会議にかけられた。スタントン陸軍長官(ケヴィン・クライン)は、、国を建て直すために、暗殺に関わった全員を容赦なく裁くつもりなのだ。審理が進むにつれ検察側の強引な手法が目立ち、弁護士として憤りを感じ始めていたフレデリックだが、判決は死刑が決まる。刑が執行されるまであと12時間。フレデリックは最後の手段として最高裁判事に会いに行く。

「偏見の中で被告を弁護するはめになった弁護士モノ」というジャンルの映画の一本。映画としては丁寧につくられているが、それ以上ではないというところに物足りなさを感じる。レッドフォード監督作品の気持ちよさがどんどん失われていく気がしてなんだか悲しい。それ以前の作品というのは、「自然の調和と人間」というテーマで描かれているものがおおく、それはすこぶる気持ちがいい。
しかし、近年の2本をみると『人間のつくった真理』について語り始められるような気がする。これだとなにか胡散臭いものを感じてしまう。それななんだろう?で考えてみた。その結果は・・・、自然原理より、人間原理を優先させ始めた・・ということなのかもしれない。
では自然原理とはなにか? 「弱肉強食」の原理である。これに対する人間原理とは「弱者を助ける」である。
おそらくそれまでの作品では、自然原理のなかで、「弱者を助ける」行いが機能してたからきもちよかったのだと思う。ところが、ここ数作品においては自然原理を批難してるような気がする。

突然物理の話に飛ぶのだが、量子論が生まれたとき、人はその特異性に拒否感をあらわした。あのアインシュタインまでも、信じようとはしなかった。しかし、今では量子論こそが物理学の根幹にあるようにも解釈され始めた。今回のレッドフォードは、量子論を拒んでいるように見えるのだ。つまり、時代おくれに見えてしまうのだ。
物理学の歴史をひもとくと、それは個の絶対性の否定、あるいは個の特殊性の否定といっていいのかもしれない。古代のギリシャ人たちは、地球が宇宙の中心だと考えた。しかし、コペルニクスがその特殊性を打ち破る。地球が宇宙の中心ではなく、地球が太陽の周りを回っているのだ!と。これによって、神によって作られたと解釈されていた人間の世界が絶対的に特殊なものではない、その他大勢のなかの一つに過ぎないことがわかった。絶対性の崩壊はさらに続く。
ニュートンは、絶対的位置の概念を破壊した。総ては相対的な位置関係にあり、絶対的な位置グリッドなど宇宙には存在しないというのだ。絶対性の破壊はまだまだ続く。アインシュタインは、絶対的時間の概念を破壊する。全宇宙が共有できる時間などはなく、時間はそれぞれの固体がもっている概念である。それはその重力場に依存する。誰もがそれで絶対性の破壊は終わったと考えた。しかしまだ先があった。
量子論の登場により、粒子の基本概念「一個であること」とうい、個体性がが破壊された。1個の固体を、1個の固体として考えることはもはや無用で、それは総合的にいう量子のなかに一部だと考える思考である。
判り易く言ってしまえば、土星の輪をズームアップすれば岩や氷の塊で出来ているが、エアブラシで描いた土星の輪の描写のように、びやあああああああっとした実態のあやふやな霞のようなもので、その動きは、波動の流れとして理解しようと・・というものだ。

量子論における [Sum over histories] の概念(粒子は考えられる総てのパースをとるという概念)。仮にその一部をズームアップしたとしても「たまたまその部分を特定したら、その位置に居た」というだけのことだ。じつは、人間の歴史もまた量子として解釈するのが正しいと思っている。個々のイベントはその人に起きた特殊事情だと考えるのは私の中では終わっている。過去において起こったことの総ては人類のだれもが経験しうることで、それを特定して「誰が悪い」ということ事態が古臭い。いまだに「固体」の絶対性を信じているのか?と思ってしまう。

思い立ったことを文章にしてるとこんな風になった。さて・・・私はなにを言いたいのだろう??
要は・・・「加害者否定をする人間が嫌いだ」ってことかもしれない。
ははは・・・・まったく説明になってないな。
しかし・・・・、こう書けば、判る人には判るだろうって文章の書き方は、いい加減やめないといけないな・・・。
もちろんそんなつもりは全くないが・・・。

あ、それでも、ロバート・レッドフォードは好きです。この人の映画をみると、自分の中で理解しておきたいいろんな感情のよどみが具現化され、自分なりの答えを見出したくなってしまう。いつも自分をみつめるきっかけを与えてくれる。それだけで素晴らしい。
次になにかを作ってくれたらやっぱり見に行きます。
by ssm2438 | 2012-10-29 06:44 | R・レッドフォード(1936)

狼男アメリカン(1981) ☆

f0009381_9592299.jpg監督:ジョン・ランディス
脚本:ジョン・ランディス
撮影:ロバート・ペインター
音楽:エルマー・バーンスタイン

出演:
デヴィッド・ノートン (デビッド)
ジェニー・アガター (看護婦さん・アレックス)

     ×   ×   ×

ジェニー・アガダーたけはいいのだけど・・。

まあ、ジョン・ランディスが好きか嫌いかだろうな。私は嫌い。なんでこういう風にしかつくれないんでしょうねえ??

ジョン・ランディといえば、マイケル・整形手術大好き・ジャクソンの『スリラー』の映像監督さん。結局この人のやりたいのはああいうことで、オカルト着ぐるみコスチュームごっこが好きな人なのです。きっとホモですね(苦笑)。
でも、部分部分の見せ方は実にしっかりしてる。
ただこの人に足りないのは、演出家として自分を暴くこと。ほんとの恐怖とか悔しさとか悲しさとか、そういうものを描くことにテレを感じる人で、そういうドラマ作りのホントに重要な部分が描けない。メンタル的に突き抜けることが出来ない。そういう部分になるとホラーに逃げるか、記号的表現に逃げるかパロディに逃げるしか出来ないひと。演出としてはチキンな部類の監督さん。監督がそうなので、見る側も、真剣に映画を観る人には向かないでしょう。自分と向き合うことのない凡人ユーザー向け監督です。
でも、演出家としてシリアスな部分を要求されないなら、演出技法だけできちんと撮れる人。
ひとつ上手い演出をあげておくと、お恐怖シーンの見せ方。
くるぞくるぞとそのシーンをみせないままひぱって、最後にそれを見せるのは1秒もないくらいの短いカット。で次のカットにすぐ切り替えてゴオオオオオオオオオオオと地下鉄の音を脅しとして聞かせたり、電話のベルの音を脅しとしてジリリリリリリリリリリリんと聞かせたり、お恐怖ものの王道の演出表現はしっかりしてるのです。

f0009381_9585434.jpgジェニー・アガターは私の憧れた女優さんのひとり。かといってあんまり大した映画にでてるわけではないのだけど『2300年未来への旅』の彼女(←)はとても素晴らしい。あの映画だけで彼女のファンになってしまいました。ニコラス・ローグ『ウォーク・アバウト』の女子高生(中学生かも)の姿もすてきです。この映画も、彼女がでてるというだけで観たかった映画なのだけど、監督が私の大嫌いなジョン・ランディスなのでかなり長い間放置プレーにしてました。
仕方がないのでみてしまいましたが・・・。

<あらすじ>
アメリカ人の若者デイビッド(デイヴィッド・ノートン)と親友のジャック(グリフィン・ダン)はイングランドの北の湿地帯にまぎれ込んでしまい、何者かに襲われる。満月の夜の出来事だった。
気がつくと、デイビッドはロンドンの病院のベッドに横たわっていた。ジャックは死に、目撃者の証言では、2人を襲ったのは凶暴な精神異常者だということだった。自分を襲ったのは人間などではなく動物だったと訴えるデイビッドを、医者のハーシュ(ジョン・ウッドヴァイン)も看護婦のアレックス(ジェニー・アガター)も信じなかった。アレックスと恋仲になってしまったデイビッドは退院すると彼女のアパートに住み込むことになる。
しかしある夜、血まみれのジャックが現れ、
「自分たちを襲ったのは狼人間で、満月の夜には、デイビッドも狼人間に変身して人間を殺すだろう。だから人間を殺す前に自殺しなくてはいけない」とアドバイスを残して去る。
満月の夜、アレックスは当直で居ない。ジャックは予言どおり狼男に変身する。その朝アレックスは動物園の狼のおりのなかで目をさます。新聞にはロンドンで6人惨殺したいが発見されたという記事が踊っていた。
きっと自分がやったんだとさとったデイビットは自首するが本気にしてもらえない。映画館のなかで再びモンスターに変身してしまったデイビッドは街中をパニックにおとしいれるが、袋小路においつめられ、駆けつけたアレックスの呼びかけも空しく警官隊に撃たれて死ぬ。
・・・おしまい。

物語にさして重要性はなく、血まみれ着ぐるみシーンを描きたいだけで、でもホラーにするんじゃなくって、どんなにシリアスが画面でもポップな音楽をかけて真剣に怖がらないように演出してある。
個人的にはこういう演出スタイルは大嫌いなので、好きな人だけどうぞ・・という感じの映画だ。
by ssm2438 | 2012-10-27 10:23
f0009381_23525514.jpg監督:ベン・アフレック
原作:デニス・レヘイン『愛しき者はすべて去りゆく』
脚本:ベン・アフレック/アーロン・ストッカード
撮影:ジョン・トール
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

出演:
ケイシー・アフレック (パトリック・ケンジー)
ミシェル・モナハン (アンジー・ジェナーロ)
モーガン・フリーマン (ジャック・ドイル刑事)
エド・ハリス (レミー・ブレサント刑事)
ジョン・アシュトン (ニック・プール刑事)
エイミー・ライアン (ヘリーン・マックリーディ)
エイミー・マディガン (ビー・マックリーディ)
マデリーン・オブライエン (アマンダ・マックリーディ)

     ×   ×   ×

なかなかやるじゃん、ベン・アフレック!

『グッド・ウィル・ハンティング』でアカデミー脚本賞をとったベン・アフレック。その第一回監督作品。原作は『ミスティック・リバー』デニス・レヘインがかいた人気シリーズ『私立探偵パトリック&アンジー』の4作目『愛しき者はすべて去り行く』。ボストンを舞台にした探偵小説で、刑務所暮らしも経験したことのあるパトリックが闇のコネクションをてがかりに事件を解決していくハードボイルド小説。ただ、今回の主人公はケイシー・アフレック(ベン・アフレックの弟)が演じてることも在りうやや、青二才の感じはいなめない。出来れば、40前後の渋めのオヤジにやって欲しかった。

ドラマはかなり気持ち悪いエンディングになっている。
しかし、出来が悪いわけではない。むしろいい。
先にあらすじを書いてしまおう。

<あらすじ>
そのころボストンではアマンダという女の子が失踪/誘拐されたというニュースがとびかっていた。警察も既に公開捜査に踏み切っている。そんななかパトリック&アンジーの探偵事務所に、そのアマンダの叔母がやってきて調査を依頼した。
アマンダの母親ヘリーンは麻薬におぼれ、自堕落な生活をおくっていた。娘のことはさほど心配している様子もなく、しかしマスコミへのパフォーマンスだけは熱心なようだった。そんな母親の姿をみていると気が乗らないパトリックだがしぶしぶ依頼をうけることになった。
やがて彼女と彼女の旦那が麻薬の運び屋をやっており、打ち上げ金の一部をくすめたことが判って来る。頭にきたバイヤーのボスが彼女の娘を人質に取り、金を返すように促しているというわけだ。
やがてその旦那の惨殺死体がみつかる。椅子に縛られ拷問を受けたあと殺されていた。このことを知っているのは捜査にあたっていたブレサント刑事(エド・ハリス)とプール刑事、そしてパトリック(ケイシー・アフレック)とアンジー(ミシェル・モナハン)だけだった。ブレサントとプールは、見つかれば首だが、彼女の安全を考え、くすねた金を返し子供を取り戻すことを考える。交渉はパトリックとアンジーが担当することになる。しかしこのことはブレサント刑事の上司であるドイル刑事(モーガン・フリーマン)にも知られてしまう。4人はお咎めをうけるかと覚悟するも、オフレコでの犯罪者との交渉でアマンダを奪回することに合意し、5人で麻薬組織のボスたちと合間見えることにる。
人質の解放と現金の受け渡しは湖畔の別の場所でおこなわれることになり、パトリックたちが配置につこうとしたとき、闇夜に銃声がこだまする。銃撃戦になったらしい。何かが湖に落ちる音がする。アマンダは、目隠しをされたまま恐怖にかられ走り出し崖から湖におちたらしい。死体は上がらなかった。

ここまではややタイクツな展開だったのだがしかし・・・、ここから盛り上がってくる。

パトリックは、事件の流れの中になにか腑に落ちない点がある。そして再び警察官に聞き込みをしていく。ブレサント刑事と一緒にいた刑事は殺されたヘリーンの旦那のいとこであり、アマンダの不憫さを知っていた。ブレサント刑事は男気のある警官だった。上司のドイル刑事は、以前似たようなケースで娘を失っていた。
アマンダは生きていた。ドイルの妻に世話をされながら別荘で幸せに暮らしていた。あの母親のもとに返せば娘は不幸になると思った3人の刑事は、アマンダの死を偽装し、アマンダに別の人生を与えていたのだ。何が正しいことなのか考えろというドイル。アンジーもこのままにしておこうという。しかしパトリックは通報してしまう。

なにをもって正しい行いというのか?という問が永遠にのこる映画である。なのでかなり気持ち悪い。ベン・アフレックもその答えを出してはいない。原作者もそうなのだろう。
後日アマンダの家を訪ねると、母のヘリーンは厚化粧をしてデートにでかける仕度をしている。マスコミからの問いかけには、世の母たちに「決して子供は他人にまかしちゃだめよ。自分でみまもるの」とメッセージを送り娘を取り返した悲劇のヒロインとしてマスコミに祭り上げられてはいるが、実生活では娘への感心などほとんどない。
「この娘をおいていくのか?」とパトリックが彼女に尋ねると、バツが悪そうに「あと5分でベビーシターがくることになってるわ・・、でも、貴方が居てくれるとたすかるわ」といって出て行く。ひとことふたこと言葉を交した後、アマンダとパトリックはソファの両端にすわりテレビで放映されているカートゥーンをだまってみているだけだった。

物語が、まるっきり答えを出せないまま終わっているのである。せめて作り手ならどちらかの自分なりの思想を提示して欲しいと思うのだが、それがない。なおかつ物語りもどちらに触れても正論のように語られている。
これは『アリーmy Love』シーズン1の最終話に匹敵するやっかいな問題だ。
<肩代わりしてよい不幸>と<それをすべきでない不幸>がこの物語の問題提示であり、それは物質的な便利さではなく心のなかにある、その人がもっているモラルの存在、「理屈ではそうなのだけど、なぜかそれはいかんと思う」という部分に切り込んだ話であった。
『アリーmy Love』のデヴィッド・E・ケリーは、<肩代わりできない不幸は存在する>のほうで答えをだしていたが、本作はほんとに宙ぶらりんのままおわってしまう。

モーガン・フリーマンは言った。
あの母親のもとに返したあとの彼女を想像してみろ。彼女もヤクに溺れ、自分の子供にあたりちらす母親になっているだろう・・と。
一方パトリックはこう反論している。
ボクが恐れるのは、十数年後の彼女に会ったときに、「なんであの時親の元にもどしてくれなかったの? たとえそんな母親であっても」と責められることだ・・と。

私は・・・・ややパトリックの意見に賛成だ。
おそらく、人は不幸に接して、自分を作り上げていくのであって、やっぱりその人の人生はその人が決めていくもので、モーガン・フリーマンの行動は正論に見えるが、人の人生に介入しすぎだと思う。

さすがに原作者もちょっと不完全燃焼だったのだろう。後にこのシリーズの最終話(『ムーンライト・マイル』)としてに12年後のアマンダを登場させているらしい。気になるので先ほどアマゾンで中古を取り寄せてしまった。

f0009381_23564095.jpgあと、この作品、さりげなく撮影監督はジョン・トール『レジェンド・オブ・フォール』『ラストサムライ』『シン・レッド・ライン』の名匠撮影監督である。贅沢な撮影監督さんをつれてきたものだ。

キャスト的にはもうひとつふたつ。自堕落な母親を演じたエイミー・ライアンは各方面でいろいろ賞を獲ったり、ノミネートされたりしているようだ。そしてアマンダ嬢を演じたマデリーン・オブライエン(→)は・・・・かわいい。ゆくゆくどんな女優さんになるのかかなり期待である。
by ssm2438 | 2012-10-24 23:53

グリマーマン(1996) ☆☆

f0009381_19583786.jpg監督:ジョン・グレイ
脚本:ケヴィン・ブロドビン
撮影:リック・ボータ
音楽:トレヴァー・ラビン

出演:
スティーヴン・セガール
キーネン・アイヴォリー・ウェイアンズ

     ×   ×   ×

これ、悪くない!

スティーブン・セィーガルの映画というのは、近年は「とりあえず作ってます!」みたいなのりであんまりトキメキがないのだけど、このころまではよかった。というか、個人的に一番好きなのはケイシー・ライバックシリーズ(といっても2本しかないのだけど)、そのうちに『沈黙シリーズ第3弾/暴走特急 』(1995)はけっこう好きである。この『グリマーマン』はその翌年つくられた作品。なの、というかこれを最後にしてもいいかもしれないが、彼の映画にパッションを感じたのはこの『グリマーマン』までです。この後の作品はどこかありきたい感しかない作品群になっていくいようなきがする。

今回は、ちょっと物語りにサスペンス・テイストを加味してる感じです。頑張ってる感じはするのですが、物語構成的にはサスペンステイストをもうちょっと上手く生かしてあげてもよいのでは?という感じはしたかな。
ま、セガ爺の映画なので主人公の名前が変われで、生い立ちが変われど、どれをとってもセガ爺なので、そういう意味では「代わり映えないじゃん」と言う人も多いでしょう。実際その通りだと思います。んが、セガ爺映画をみるほとはそれでいいのです。セガ爺にエイリアンと戦ってくれとかバンパイアと戦って暮れとか、そんなことは望んでません。その、いつもの水戸黄門テイストのなかで愉しくお話を展開させてもらえればそれで充分なのです。
で、この映画もけっこうそれはできてたと思う。
演出的に「おお!」と思ったのは、室内のアイテムを縦横無尽に壊すところ。ほとどミニチュアのビルを壊すゴジラのように、室内のいろんなものを壊しながら戦ってます。
監督はジョン・グレン。映画通の方なら「あれ、007の監督さん??」って思われるかもしれませんが、どうやら違う監督さんみたいです。でも、見せ方はしっかりしてる。レンズ選択も、見せ方も、かなりしかりしてます。
お話の構成は、バディムービーの部類に入り、セガ爺と相棒の刑事が丁々発止のやりとりを重ねながら事件を解決するというもの。

たしかに、すでに新鮮さはないのですが、セガ爺主演の映画のなかではきちんと映画として成立してるなという感じの映画でした。

<あらすじ>
90年代のロスアンゼルス。十字架にかけられたキリストを模して犠牲者を壁に磔刑にするという連続猟奇殺人事件が頻発していた。ロサンゼルス市警の殺人課刑事ジム・キャンベル(キーナン・アイヴォリー・ウェイアンズ)は、ニューヨークから赴任してきたコール(スティーヴン・セィーガル)と捜査にあたることになる。コールという刑事はやたらと東洋かぶれした哲学の持ち主で洞察力もするどい。その行動には新鮮さを覚えたキャンベルがコールの素性をしらべると、かつては「グリマーマン」と呼ばれ、ベトナムをはじめ各地で活動していた特殊工作員だったことがわかってくる。
やがて、コールの元上司ミスター・スミス(ブライアン・コックス)が街の顔役ドナルド(ジョン・M・ジャクソン)と組んで、ロシアから流出した核兵器を密輸していた事実が明らかになっていく。先の十字架連続殺人犯の仕業と思われる犯行のなかに、ドナルドの暗殺者の仕事も含まれていた。彼らは連続殺人犯の犯行を隠れ蓑に暗殺活動をおこなっていたのである。その暗殺者の名前はフランク(ボブ・ガントン)。
コールは、ドナルドとフランクが仲間割れするよう仕向けた。ドナルドを殺したフランクと対峙したコールは、壮絶な肉弾戦の末に相手を倒すのだった。
by ssm2438 | 2012-10-23 19:59

ホタル(2001) ☆

f0009381_23122749.jpg監督:降旗康男
脚本:竹山洋/降旗康男
撮影:木村大作
音楽:国吉良一

出演:
高倉健 (山岡秀治)
田中裕子 (山岡知子)

みてて気持ちよくないかも・・・。

2001年の日本アカデミー賞で、主演男優賞に健さんがノミネートされたが辞退した作品。
なんとなく判るかも・・・。

とにかく観てて気持ちが良くない。
いや、前半の40分くらいは悪くないのですよ。それはそれでけっこう泣けるシーンもあるし。でも、後半にいたっては企画コンセプトから嫌悪感を感じて興ざめ。なんでこんな話にしなければならなかったのでしょうか? というかなんでこんな映画を降旗康男さんや健さんは田中裕子木村大作がつくらなければならなかったのでしょうか??? 

物語は特攻隊で死んでいった人をその生き残りの人たちが忘れない・・という映画。
そういえば大雑把に説明できるかもしれないのだけど、コンセプト事態を思想的に使われた気がしてかなり不快感を感じますね。
物語は、特攻隊に志願した中に在日朝鮮人がいて、その人の形見の品を故郷の親御さんのもとに返しに行こうって話。一応特攻隊は「志願者」で構成されてるようですが(こればっかりは私がみてないのでなんともいえませんが)、当時の空気では国家全体が集団洗脳状態みたいなものですら、いやだと言い切れずに行ってしまった人もいたでしょうね。一方韓国でも、「朝鮮民族なのに、日本のために志願して特攻するとはなにごとか!」ということで、ほとんどとりあげられることもないそうです。
そんな戦時下のなかで(すっごくかっこよく書くと)、知子という日本人の女性を愛した一人の在日朝鮮人の人が、その人の未来を守るために、その人を愛した朝鮮人として特攻隊に志願し死んでいった・・。その遺品をせめて家族のもとに返したい・・って話。
かなりデリケートな内容を、かなり頑張ってさしあたりのなさそうなおとしどころに落としてはいるが・・・、作品や作品を作っている人がどうというよりも、なんか・・・・、すっごく観てて外堀に嫌悪感を感じる内容だった。

ちなみに木村大作が撮影監督ではあるのだけど、絵はなぜか良くない。
とくにゼロ戦などの特撮(?)が悲惨。質感ぼろぼろ。さらに、ホタルが・・・・なにそれ?? お前、ホタルが光るところみたことないだろう!みたいなかなりしょぼ過ぎる画面加工なので興ざめもいいところ。
シーン、シーンでは泣けるとも(前半部に限っては)あったのだけど、スタッフやキャストさんの能力を無駄遣いしたような映画でした。観終わったあとの後味が悪すぎる。というか、後半のほうとんどが、なんでこんな話にせにゃならんかったのかわからん。ただただ生理的に嫌悪感だけを残してくれた映画でした。
by ssm2438 | 2012-10-15 23:13 | 木村大作(1939)