主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

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マークスの山(1995) ☆

f0009381_10393423.jpg監督:崔洋一
原作:高村薫
脚本:丸山昇一
崔洋一
撮影:浜田毅
音楽:ティム・ドナヒュー

出演:
中井貴一 (合田刑事)
萩原聖人 (犯人・水沢裕之)
名取裕子 (高木真知子)
小林稔侍 (林原雄三)

     ×   ×   ×

はっきり言って、よう判らんぞ!

原作の『マークスの山』高村薫の小説で直木賞を受賞している。しかし原作自体も単行本から文庫本になる間に改稿されており、どれが原作なんだか・・・(苦笑)。。。
話としてははっきり言って面白くないんだ。賞をとったのは高村薫の浪々とした筆力のたまものだろう。

その原作を2時間半にまとめるには土台無理な話なのだが、その原作を無理してなんとかまとめて、失敗した作品。WOWOWでやったやつを先にみていたのでなんとかお話の概略はわかったが、これをいきなり見せられても「なにかようわからん」という印象しかもたないだろう。
そんなわけで、この映画の話は原作とも多少ちがい、WOWOWで放送したもののほうが原作らしいものに近いだろう。

この映画の物語の背景をまとめると・・・

修学院大学は国家の根幹に主要人物を数多く送り出している大学である。その山岳部に所属していた5人(木原郁夫、松井浩司、林原雄三 、浅野剛、佐伯正一)は、左翼の野村という学生とともに運動に参加していたが、仲間内紛争の時に一人の男を撲殺してしまった。彼ら6人はその記憶を忘れることにした。卒業しそれぞれが各分野で大物になっていこうとしていたある日、左翼運動に没頭していた野村が再び5人の前に姿を現した。5人は秘密を知る野村を山に誘い雪山で殺した。
マークス(MARKS)とはその5人のイニシャルである。Rは林原であり「りんばら」と読む。

映画ではこの5人がある男に命を奪われていく。
その犯人が水沢という男(萩原聖人)。彼は子供の頃、その殺人が行われた同じ山のなかをさまよっていた。両親が車のなかで排気ガスをゴム管で引き込み一家心中しようとしていたが、一人だけ生き残ったのだ。しかし一酸化炭素障害により精神に異常きたしてた。

でも、なぜ連続殺人事件がおきたのか? 実はそこのところが今ひとつ説明不足なのだ(苦笑)。これ見た人は判ったのだろうか? このあたりも尺を短くするために原作の内容を変えているのだが・・・、一応この映画のストーリーにそって話を進めると・・・、

水沢が精神障害をもってい入院していたと病棟に、精神を病んだマークスの一人浅野(原作では、医者になっていたが癌をわずらい罪の意識から、嘗ての事件を日記にしており、それを水沢が奪ったという普通の展開)が、毎晩水沢のカマを掘っていた仲であり、浅野の残した日記を拝借してマークス5人の悪行をしっていたという基本設定。(おい、いつからBL物に変わった??)
過去を封印したい林葉らが、退院した水沢をヤクザを雇って殺そうとしたら、そのヤクザのほうが返り討ちにあってしまう。それを機に、水沢が林原にことをばらされたくなかったら金をよこせと脅し、またひとり、またひとりと殺されていく・・という流れだったようだ(正直なところ、この映画だけで理解しようとすると無理がある)。


私が思うに、崔洋一ってホモだと思う。作品のそこはかにホモパルスがでまくってる。
ホモ監督が撮る映画ってとにかく生産性がないんだ。こればっかりは全世界共通だね。やたらと血が出る、それもゴシックホラー的な血。男と男がもみ合っているシーンがやたらと多い。打突系の戦いではなく、ぐにょぐにょ絡み合うのである。痛みに耐えられないといより悶えるシーンにしてしまう。意味なく男の裸とかおおい。タランティーノもホモだと思う。同質のホモパルスを感じるんだよなあ。本作でも、なんで中井貴一が上半身裸でスニーカーを風呂場で洗ってるのだろう??って思う。
一番のネックは期待させる見せ方が出来ない。その状況をグロく、ねちっこく描く。普通の人が見たいシーンとホモ洋一が描きたいシーンとは違うのである。ホモは未来に期待することなく、今を消費する。これってホモ監督がもつ共通項だね。
メグ・ライアンが絶好調のとき『キスへのプレリュード』という映画がある。現実逃避で変身願望があり、いつも現実から逃げ出したいとおもっている。主人公の男と結婚しようしたとき、彼女の魂がそこに迷い込んだ老人の男と入れ替わってしまうという話し。彼女の魂をもった老人を探し出して結婚生活をするという話。主人公はアレック・ボールドウィンだったが、爺さん役の男とキスなんてよくしたものだ・・・ああ、キモい。
その脚本家、絶対ホモだなって思ったらあんのじょう『ロングタイム・コンパニオン』ってホモ映画の脚本も書いてる。

ちなみに変身願望というのもホモ要素の一つである。現実の中で生きていかなければならないことを悟った男は、どうあがいたって自分を鍛えて強くするしか生き延びる方法はないのである。しかし、ホモは自分を強くすることをあきらめ他人になることを望む。中性的である子供の頃の男の子にはその願望は確かにあり、それがウルトラマンやら仮面ライダーを夢見る根源でもあるのだが、大人になるとそんなことはどうでもよくなる。男は現実のなかで生き残るために他にやらなければならないことがいっぱいあるからだ。
本作でも変身願望というのはささやかに息づいている。一酸化炭素中毒になった少年水沢は、統合失調症になっており、ときおり自信のなかに凶暴な人格が生まれる。水沢はその人格を『マークス』と呼んでいた。

・・・・ほかにもいろいろあるのだけど、ホモテイストがあまりにも多くて、おそらく一般人がみたいと思うようなシーンはほとんどないと思う。不思議なのが、「なぜこのシーンはこのように撮られたのか?」って疑問がけっこう多いのだが、「崔洋一がホモである」と定義すればそのなぞがすべて解ける。
一般人がみてうわああああ~~っと思うのは、名取裕子の数少ない“H”シーンだろうが、それとてホモ洋一にしてみれば、自分がホモであることのカモフラージュだと思う。

ホモ、嫌い。

きっとこの映画が面白いと思ってる人はホモだけだね。
by ssm2438 | 2013-12-15 10:42
f0009381_8543288.jpg監督:堀切園健太郎
原案:麻生幾
『外事警察 CODE:ジャスミン』(NHK出版刊)
脚本:古沢良太
撮影:相馬和典
音楽:梅林茂

出演:
渡部篤郎 (住本健司)
尾野真千子 (松澤陽菜)
真木よう子 (奥田果織)
イム・ヒョンジュン(工作員・奥田正秀)

     ×   ×   ×

韓国では濃縮ウランの流出という事件がおき、日本では東日本大震災の混乱の中で、被災地の大学の一室から原子力関係の部品データが盗まれる。核によるテロが起きるかもしれない。それは日本なのか、韓国なのか・・・?? その危機に立ち向かう外事4課の<公安の魔物>と呼ばれる主人公・・・。

NHKで作られたTVドラマ『外事警察』からの映画化で、基になっているのは『外事警察 CODE:ジャスミン』。ただオリジナル要素がかなり強い。
原作は『宣戦布告』などの著者である麻生幾。まるで公安にいたんじゃないかと思うくらいやりとりはいい感じ。とりあえずNHKでやってたTVシリーズ、レンタルしてみてみようかと思ってしまった。
ウィキペディアによると、もともと週刊文春の事件記者だった著者は、それまでの経験をもとにノンフィクションの『情報、官邸に達せず』を発表、その後フィクションのほうにも手を出し、『宣戦布告』を執筆し映画化もされたそうな。そのときの映画はけっこうたたかれたようだが、今回の『外事警察 その男に騙されるな』はけっこう映画的にみられるレベルのものになっている。このくらいのレベルで日本映画のポリティカルサスペンスもやってくれれば及第点だなあと思わせてくれるレベル。

どうでもいいことだけど、原作のタイトルのままだったらもう1億円くらいは興行収益がふえたかもしれないのに・・(苦笑)。日本映画のタイトルつけかたって超下手だと思う。 作品の質はおいといて『海猿』とかも、内容を知らない人にとってはタイトルだけで見る気にならないとおもうのだけど・・・。

画面はポール・糞手ブレ・グリーングラス『ボーン・スプレマシー』とかのあの感じ。まあ、そこまで手ブレは気にならなかったが、手ぶれというのはそこにカメラがあることを見てる人に認識させてしまうので、意味をわかってないと<映画を撮ってる撮影現場>を撮ってるような画面になる。ただこの映画はそれの手ブレのあざおさを最低限度に抑えて、ぎりぎり我慢できる範囲におさめてある。
色合いも地味~~~に彩度を落とし黒にザラつきを出してる。嘗ての栄光<銀残し>と呼ばれる手法である。昔の映画を見てる人にとっては<銀残し>画面みせられるととうれしい。
ただ、これに関しては撮影でそれをやっているというよりも、アフターエフェクトかなにかで、あとから画面処理してる感じはいなめない。CGでの画像加工がどこか画面的にチャラく感じてしまう。『300』みたいになっちゃうともう見る気も起きないからあんなのはやめてほしい・・・(苦笑)。この映画はその点でも節度が効いていて、我慢できる範囲におさまっている。

お話の展開は「公安のダークな感じ」がけっこう雰囲気あります。いろいろネットに転がっているコメントみると、テレビシリーズのほうがよかったという意見が多いようですが、ま、物語のスケールを広げすぎると描写が大雑把になることがほとんどなので、ある程度の狭い範囲の出来事にまとめて物語をつくったほうが無難なのだろうが、映画ということもあってちょっと風呂敷ひろげちゃったのかなって気がします。とりあえずそのあたりはテレビシリーズをみてみないことにはなんとも言えない。

主人公は渡辺篤郎扮する住本健司で、警視庁警備部に属する公安外事外第4課の班長。テロリストを逮捕するためならどんな冷酷な手段でも行うことから「公安が生んだ魔物」と畏怖されている。どうやらこれはテレビシリーズをみないことにはぴんと来ないらしいが、でも、いい感じの役どころをもらったな・・という感じである。
ちなみに公安の外事は、中国・北朝鮮などのアジア圏の事案を担当する外事2課、それ以外を管轄する外事1課、国際テロに関する事案を処理する外事3課がある。本作で出てくる<外事4課>は架空の部所である。

<あらすじ>
朝鮮半島で濃縮ウランの流出という事件がおきた。日本では、東日本大震災の中、被災地の某大学からの原子力技術に関するデータが盗まれていた。どうやら核爆弾がつかれているようである。そのターゲットはソウルなのか日本なのか・・???
一方、住本健司(渡辺篤郎は、ソウルで物理学者・徐昌義(田中泯)を捕獲した。彼は在日朝鮮人で日本で原子力を学んだ権威だった。20年前、祖国に原発の日を灯すことを夢見て家族を捨て北朝鮮に渡っていたのだ。その環境は劣悪なもので、彼の体はすでに癌に侵されていた。彼こそが核爆弾の製造者だったのだ。しかし、それだけでは爆発しない。起爆装置が必要なのだ。その起爆装置は日本の技術がつかわれていた。外事四課は奥田という男を工作員ではないかと睨み、その妻・果織(真木よう子)を協力者という名のスパイにするべく近づく。
果織は家族がなく施設で育てられた女で、一度結婚をし娘を出産したが夫とはすぐに死にわかれ、そのショックで言葉が話せなくなった娘を一人でやしなっていかねばならなかった。多額の借金ももかかえていた。工作員の奥田はそんな果織と偽装結婚するかわりに金銭的援助をおこなっていた。
そんな果織に女性の友達ができた。公園で子供が遊んでいるとき知り合った女性で、彼女もシングルマザーだった。シンパシーを感じる果織。彼女の招きに彼女のマンションにいってみるとそこには住本がいた。

このシチュエーションが公安らしいのです。同じ境遇を装いそれとなく親しくなる・・・。
同じように公安経験者の濱義之が書いた『ハニー・トラップ』のなかに同じ手法が書かれていた。そのときは中国人の女スパイが、自分の息子を病気で失った捜査官に近づくときに、「実は私も息子を失ったの・・・」といって近づき、親しい関係になっていく・・・という流れがあった。
こんな共通項を見出すと、「あ、らしいぞ!」って思えるのである。

住本は、果織をなんとか協力者にしたて自分の夫を調べさせる。どうやら原爆の起爆装置らしいものを持っているらしい。
その一方で徐昌義には、捨てていった家族に合わせるといい、爆弾のありかをしゃべらせようとする。しかし彼の妻はすでに自殺し、娘は幼い頃に施設に預けられてから消息を絶っていた。見つかるはずがない・・・。必ず娘に合わせると約束するという住本のブラフを見抜いた徐昌義はがんとしてしゃべろうとしない。住本は自白剤の投与を医者たちに指示する。
しかし・・・そんな矢先、徐昌義はテロリストたちに取り返されてしまう。

ソウルにもどった徐昌義はテロリストたちと核爆弾をセットしようとしたが、工作員の奥田から得た起爆装置が偽物であることに気づく。奥田は、ほんとに果織のことを愛し始めており、計画を実行させないために起爆装置を摩り替えていたのだ。しかしその奥田もすでに殺んでいた。起爆装置を取り返すためにテロリストたちは果織の娘を人質にとり、果織に起爆装置をソウルまで持ってこさせるよう迫る。
舞台が韓国に移った以上、日本の外事警察の手をはなれる。住本は公安の身分を剥奪されながらも、果織とともにソウルに飛ぶ。そこにはもう一つ重大な事実が判明していた。奥田は、徐昌義を裏切らせないように、彼の娘をすでに身近に置きDNA鑑定していた。その書類をみつけた住本は、徐昌義の娘が誰であるか知っていた・・・。その娘そこそが最後の住本の切り札となる・・・。

・・・・んが、しかし・・・・。
by ssm2438 | 2013-12-15 08:56
f0009381_5455395.jpg監督:山田洋次
原作:山田洋次
脚色:山田洋次/朝間義隆
撮影:長沼六男
音楽:山本直純

出演:
西田敏行 (白銀活男)
吉岡秀隆 (平山亮)
田中裕子 (十成八重子)
田中邦衛 (常さん)

     ×   ×   ×

結局男って、好きな女に認められたいから生きてるんだろうなあ・・・。で、それができなくなると、どうでもよくなっちゃうんだろうなあ・・・

そのネタを失ったとき、ジョーはそういうしかなかったんだろうなあ。

丈「…じゃあどっからか連れてこいよ…もう一度力石徹よ…!」

葉子は連れてきたけど・・・、誰も代わりがいなかったらへたるよ、男は。あそこで田中裕子がいなくなったら、なんのために映画上映しつづけるんだ? 誰かが代わりを持ってこられるならいいけど、来なかったら続けられないよ。だってかっちゃんは映画を上映したあとに「この映画よかったね」って田中裕子に言ってもらいたいためにやってたわけだから・・・、しんどいよ、あのあと続けるのは・・・。

しっかし、男心を描かせるという事に関しては、今回ほど赤裸々な映画は山田洋二のなかではなかったかも。
かなり男の願望描いてます。


本来『男はつらいよ』の49作目として作られる予定だったお話だが、渥美清の死去によりタイトルをかえて別作品として作られた映画。なの寅さんコンセプトはそこかしこにあります。これは作り手の云々かんぬんよりもきっと映画の公開予定とか営業面とかいろいろな大人の都合があってそういうことになってしまったのだろうという気はします・・が、ある意味それが味だったり、別の意味ではそれが嫌味であったり、捉え方がなにかと複雑な映画です。

物語の冒頭、就職浪人の平山亮(吉岡秀隆)は親とけんかして家を飛び出し青春○○切符ていうのかなにかしらないが、そんなんで鈍行のりつぎ旅しています。そしてたどり着いた徳島のひかり町。そこにオデオン座という古びた映画館があり、そこに住み込みで働くようになったのでした。

映画館のオーナーは白銀活男(西田敏行)。寅さんのキャラをダブらしたようなこの男・・ってことは、これが寅さんがやる役だってことなのか? ということは、49作目では、田中裕子のほうが見せのオーナーで、寅さんがころがりこんで・・って展開だったのかなと思ってみたり。ま、それはいいや。

ヒロインになるのが田中裕子演じる十成八重子。活男を友人の妹で出戻り女で父の支援で喫茶店をやってる女性。オデオン座では毎週土曜日に名画の上映会をやっており、その選考委員をやってるといういつながり。
今週の映画はなんとあの『ニューシネマパラダイス』。
一番燃えるシーン見せないようについばんで見せているのだが、それでも思い出して泣けてしまう。だいたい、この映画を映画のなかでみせてしまうことじたいがずっこい! 

そしてオデオン座以外でおこなわれる上映会。
私が小さい頃は、地域の公民館に上映屋さんがきて上映された映画をみた覚えがかろうじてありました。まだ、そんなことやってるのか??と思いますが(この映画公開されたのが1996年、ちなみに劇中の田中裕子は40歳)、懐かしく思えてしまいます。今の人はそんなことが行われてたことなんて知らないでしょう。『恋々風塵』のなかでも地域での野外上映をやってましたが、昔はああいうこともあったのです。
その公民館で上映されたのが『野菊の如き君なりき』。おおおおお、実はこの映画私もまだみてません。
ここでのエピソードは、公民館の責任者である柄本明が「規則だから9時までに終わらせろ」というがそれでは途中できりあげなければいけなくなる。結局柄本も一緒にみることになり、はまってしまい、「9時ですがおわらせますか?」と活男がいうが「あほ、ここで終わらせられるか」と自分がのめりこんでしまう・・という展開。ありきたりだがわくわくしてしまった。

その後も上映いろいろあり。『かくも長き不在』、『東京物語』、と昔の映画ファンなら誰でもみた映画が連打される。劇中「面白くて受ける映画を」って言ってたが、このラインアップでは倒産もやむなしだろう(苦笑)。。。このあたりになってくると、最後に上映される映画はなんだ??って疑問がわいてくる。

やがて地方の小学校での文化祭。生徒はひとり。この分校も今年が最後で、最後の文化祭に生徒一人のために活男が映画上映をすることになる。もっともその教室(ちいさな体育館かもしれない)には先生や父兄のや分校関係者のひとがいてけっしてさびしいわけではない。そこで上映される『禁じられた遊び』。この映画で果たして小学生が楽しんだかどうか・・・あ、でも私がこの映画を始めてみたときも中学生くらだったのでにたようなものか・・・と思った。でも、私が見たときは水曜ロードショーで吹き替えだった。ここで上映されたのは字幕スーパー。この子が読書障害でなかったことを祈ろう。

ポイントになるのはそのあとのシーン。上映が終わって学校関係者が活男に感謝して飲みの関をもうけてくれた。その席で夫婦だと間違われた八重子が挨拶することになる。夫婦に間違われるエピソードってのは妙にこそばゆく心地の良いものである。『男はつらいよ 寅次郎物語』でもこのコンセプトはやってたのだがやはりはにかんで見てしまう。
で、男の至福の時。好きな女が自分のことを「うちの主人が」といい、そんな主人を誇りに思うといってくれる。
男にとって好きな女に認められるのがなにより幸せなのである。だああああああああああああああああああああああ、あいかもかわらず泣いてしまった私。その音楽のつけ方も卑怯なのである。周りの人がのりのりで花笠音頭とかおどりだしコミカルでにぎやかしのシチュエーションを作りながら物悲しげな音楽を流すという卑怯音楽の付け片法。コミカルなシーンに切ない音楽を流すと超効果的だし、緊張感のあるシーンに牧歌的な音楽を流すとこれまた効果的という、一種のBGM付けの技のひとつなのだがここでやりやがった。
でも、だあだあ泣いてる私・・・ははは、ああ単純。

やがて八重子の父親が亡くなり葬式。あたふたしてるところに八重子をずっとおもいつづけていた男(旦那の友人)が現れる。このあたりは『続・男はつらいよ』(2作目)のでの展開と同じである。ヒロインはやっぱり、結婚するのはやっぱり他の人ね・・ということで寅さん、今回は活男のもとを去っていくのであった・・・。

「今日の映画もおもしろかったー」を言ってもらいたいがために上映していた映画。しかしその人はもういない。オデオン座を占めることを決意した活男が最後の上映に選んだものは・・・・。

ええええええええええ、そこでこれをもってくる!?
できれば第8作目を選んで欲しかった。

・・・・・しかし、男って好きな女に認められたい生き物なのです。
切ないなあ・・・男って・・・。


ちなみに、私は愛した女が結婚したとき、「おめでとう」なんていってません。「幸せになってください」なんてアホな言葉もはいててません。「いつか言うから」とはいいましたがうそです。
男ってのは好きな女が不幸なほど、幸せなのです。
ううううううむ、いい台詞だ。この映画の価値はこの台詞を言わせたことかもしれない。

・・・・というわけで、いろいろごった煮の映画でしたが、まあまあ楽しませていただきました。
うん、面白かったよ。卑怯で、ずるくて、適当で、大人の都合で作られたかもしれない映画だけど・・・。
by ssm2438 | 2013-12-02 05:46 | 男はつらいよ(1969)