主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。


by ssm2438

S.W.A.T.(2003) ☆

f0009381_2058185.jpg監督:クラーク・ジョンソン
脚本:デヴィッド・エアー/デヴィッド・マッケンナ
撮影:ガブリエル・ベリスタイン
音楽:エリオット・ゴールデンサール

出演:
コリン・ファレル (ジム・ストリート)
サミュエル・L・ジャクソン (ホンド巡査部長)
ミシェル・ロドリゲス (クリス・サンチェス)

     ×   ×   ×

こういうのをがさつに作っても魅力でないだろう・・・。

特殊部隊モノってのは、緻密な計画を寸分くるいなく実行していくところが味なのであって、そこを『アルマゲドン』の連中のように大雑把にやっても魅力もへったくれもない。題材の活かし方を根本的に間違えてる。
『特攻野郎Aチーム』やるならSWATじゃない設定でどうぞ・・・。

コンセプトは、何人かの荒くれ者が集まって一つのチームを形成するという『七人の侍』形式。物語的には面白くなりそうなものが料理の仕方が下手すぎた。物語の設定も、『ニューヨーク1997』みたいな感じだし、喰い合わせが悪すぎる。才能ない人間がきちんと作れないので悪ふざけしました・・ってな具合の映画でした。

<あらすじ>
ホンド巡査部長(サミュエル・L・ジャクソン)はS.W.A.T.精鋭部隊をつくることになる。選ばれたのは、前回のミスでしばらくほされていたストリート(コリン・ファレル)に加え、女性のサンチェス(ミシェル・ロドリゲス)、ディーク(LL・クール・J)、マイケル(ブライアン・ヴァン・ホルト)、マッケイブ(ジョッシュ・チャールズ)の5 人。彼らは麻薬王アレックス(オリヴィエ・マルティネス)の護送任務につく。しかしアレックスが、報道陣に宣言する。「俺を逃がした奴に、1億ドル払う」と。この逃亡宣言はトップニュースとして放送され、報酬を狙う者たちで、街は溢れかえる。混乱の中、6人は護送ミッションを決行する・・・。
# by ssm2438 | 2012-08-02 21:00

サロゲート(2009) ☆☆

f0009381_1361357.jpg監督:ジョナサン・モストウ
脚本:マイケル・フェリス/ジョン・ブランカトー
撮影:オリヴァー・ウッド
音楽:リチャード・マーヴィン

出演:
ブルース・ウィリス (トム・グリアー)
ラダ・ミッチェル (ジェニファー・ピータース)
ジェームズ・クロムウェル (キャンター博士)

     ×   ×   ×

引き篭り心をくすぶる映画・・といえるか。

昨今、自分の名前で意見が言えない人間がやたらと増えている。それもインターネットの恩恵というものだ。「あの政治家はけしからん!」とぼろくそにいっても、言ってる本人は顔もみせず、ハンドルネームでの発言。自分は決して批難させることのない位置から他人を批難する。臆病者の糞人間の典型である。そんな糞人間にくらべたらまだ矢面に立って「尖閣諸島はうちのもんだ!」といいはる中国人政治家のほうがまだ糞程度が低いのかもしれない。
そんななかで私は、実名で投稿し、意見をのべてるわけで、それが出来ない人間は臆病者だとののしってるわけだ。この映画のブルース・ウィリスも、そんなオジサンのひとりである。

この映画はそのレベルをもう少し現実世界に押し広げている。
ネットでアバターとハンドルネームを使い、別人格をたちあげ、自分が傷つかないところから無責任発言をする臆病者の願望をさらに実質世界に広げたこの世界は、本人は家に引き篭り、自分の代わりのコピーロボット・サロゲートという3次元アバターを現実世界で活動させるという世界。本人は家のソファのうえで、サロゲートと通信できるような装置をみにまとい座っているだけで、サロゲートが社会活動をしてくれるのを体感するというもの。自分の分身がいくら交通事故にあっても、自分が傷つくことはない。

「そんなんじゃ“H”もできないじゃないか!」などとおもう普通の人の意見など、彼らには通用しない。彼らは劣等感のかたまりで、“H”への憧れよりも、それを行った時の恐怖感、自分の劣等感のほううが先行する人間で、“H”などしたいとも思わないのだろう・・・。この世界の人間もどうやってそれを処理しているのか不思議である。

余談だが、現実逃避+引き篭り映画といえば、『惑星ソラリス』だろう。しかし、今回のこの映画は、それよりもっとありがちは形で映像化しているといっていいだろう。

<あらすじ>
時は近未来。「サロゲート」と呼ばれる身代わりロボットが人間の社会生活のすべてを代行する世界。このサロゲートを使った生活においては、外の世界でサロゲートになにが起こっても、オペレーターは無事であるはずだった。しかし、ある日、2体のサロゲートが何者かに破壊され、安全であるはずのオペレーターも、それぞれ大学の寮と自宅で死亡しているのが発見された。これはサロゲートの安全性にかかわる重大な問題であり、FBI捜査官のトム・グリアー(ブルース・ウィリス)とジェニファー・ピータース(ラダ・ミッチェル)が極秘でこの事件の捜査に着手した。
やがて真犯人が見えてくる。それはサロゲートを開発したキャンター博士(ジェームズ・クロムウェル)であった。彼は、サロゲートに依存した世界は生命としてなにか本質的なものを失っていると悟り、サロゲートシステムそのものを破壊することを考えていた・・・。
一方トムもサロゲートには嫌悪感をもっていた。トムの妻もサロゲートの常習者でありサロゲートを介してしか彼女と話すことは出来なくなっていた。そんな妻も、キャンター博士の全サロゲート破壊計画が実行されれば、それに連結しているオペレーターも死ぬ。トムはキャンター博士の計画を阻止しようとするのだが・・・。
# by ssm2438 | 2012-08-01 13:06
f0009381_22181329.jpg監督:三池崇史
原作:池宮彰一郎
    「十三人の刺客」(1963年東映映画脚本)
脚本:天願大介
撮影:北信康
音楽:遠藤浩二

出演:
役所広司 (島田新左衛門)
茂手木桜子 (手足を斬られた女)
稲垣吾郎 (明石藩主・松平左兵衛督斉韶)

     ×   ×   ×

突き抜けてるところは良い・・・。

御下劣趣味をかなり全面にだして作ってる。良くも悪くも突き抜けてるけど、良くも悪くもジャンプ的である。
ジャンプ的な物語と、ゲームしか知らない人にはいい作品かも。ということ、今後ある種の受け線狙いの作品作りの模範になるかもしれない。今の業界、創る人以前に、見る人と、企画する人の映画の価値観が劣化してきてるのでそういう人たちには丁度良い作品だといえる。

とにかくありきたいなのが吾郎ちゃんのキャラクター。ジャンプの悪党特有の余裕ぶっこきキャラクター。で、表面的にはかっこいいリアクションをするので魅了されてしまう。やはりファンタジーの世界でしか物語を観られない人にとっては、こういう悪役キャラがみたいのだろうな・・というツボを突いている。
結局この「悪」の概念が、ジャンプ/ファンタジー世界の悪のキャラクターなので、普通にドラマを楽しいもうとする試みはもはや出来ない。

やはり、「余裕ぶっこきキャラ」というのは、弱者にとって憧れのヒーローなのです。自分もなにひとつ心配しないで生きてい期待、負けることを意識しないで生きていけたらいいな・・という弱者だけが憧れるキャラクター。
これがアメリカなんかだとちがってくる。どんなに軍事力をもっていても、兵士が戦場で死ぬことは批難のまとになる。たとえ強者といえども、やはり安住の地ではない。それは弱者でも強者でも、「まだ不十分だ」っていつでも不安でたまらないものです。そして、その不安を受け入れて克服してこそ進化が生まれる。
弱者というのは、その不安と戦えないので、宗教やらオタクアニメやらに逃避して、そこでなにも負けることを心配してないキャラクターのなかに安心を求める・・・。悲しいサガですな・・・。
こういう「余裕ぶっこきキャラ」を楽しめない人がいっぱい出てくることを望みます。不安を直視して、自己努力でそれをねじ伏せられるように自分自身を進化させられる人を・・・。

それはさておき、この物語のなかで強烈なインパクトを引き出してくれてるのが、茂手木桜子さん演じる手足を斬られた女。ガリガリ手足切断、舌抜かれてるのでよだれ垂れ流しヌードは強烈です。このビジュアルと提示してくれただけでこの映画の価値はあると思える。なんでも、明石藩の庄屋かなんかの娘で、父親が百姓一揆を扇動したとかで、首謀者の一家は彼女以外皆殺し、彼女は手足を切断され、自殺しないように舌を抜かれて、ダッチワイフとして使われてたとか・・・。怨念の象徴として描かれているのだけど、なかなか強烈です。

<あらすじ>
江戸時代末期。将軍・家慶の弟で明石藩主・松平斉韶(稲垣吾郎)の暴君ぶりは常軌を逸していた。家臣の嫁は手篭めにするは、罪人を弓の的にしてスパスパ射抜くは、百姓一揆の首謀者の娘(茂手木桜子)は手足を切断して慰み者にするは欲をあますところなく展開させる。しかしそんな斉韶(なりつぐ)の老中就任が決まる。幕府の存亡に危機感を募らせる老中・土井利位(平幹二朗)は、御目付・島田新左衛門(役所広司)に斉韶暗殺の密命を下す・・・。


きっとこういうのって弱者のためのエンタメなんでしょうね・・・。商売的にはツボをついているが・・・、映画の基本コンセプトが私の支持するものではないのでそこそこの評価以上にはならなかった。
現実の世界で、自分自身を強くすることを放棄した人を愉しませるための映画なのだろう。
# by ssm2438 | 2012-07-30 22:18
f0009381_23224233.jpg原題:FLIRTING WITH FORTY

監督:ミカエル・サロモン
脚本:ジュリア・ダール/ジェーン・ポーター
撮影:ジョン・ジョフィン
音楽:ジェフ・ビール

出演:
ヘザー・ロックリア (ジャッキー・ローレンス)
ロバート・バックリー (カイル・ハミルトン)
キャメロン・バンクロフト (ダニエル・ローレンス)
ヴァネッサ・ウィリアムズ (クリスティーン)
チェラー・ホースダル (アン)
ステファニー・フォン・フェッテン (ニコール)

     ×   ×   ×

すげええええええ、へザー・ロックリアがビキニでサーフィンやっとる!!!

ヘザー・ロックリアは、知る人ぞ知る『メルローズ・プレイス』のアマンダである。1961年生まれなので私よりも一つ上。メグ・ライアンの同い年。その彼女が5年前(当時46歳)にと撮ったTVMなのだけど、これがすごく健全でよいのである。劇中やってることはメグ・ライアンがやればはまりそうなことなのだけど、いやいやどうして、へザー・ロックリアで充分行けててます。あまりにほほえましくて愛してしまいますよ。

この物語の中でへザー・ロックリアが演じているのは39歳のジャッキーはバツイチ、コブ付きの女性。同じように子供をもつクリスティーン、ニコール、アンとジャッキーとつるんでいる。しかし、ジャッキーだけは先ごろ離婚したので男性関係はない。クリスマスは、子供達が元旦那とその新しい彼女と一緒にスキーに行くので、一人寂しいクリスマスを過ごすことになる。

この寂しさの描写がとても自然でよいのです。
他の人たちは一緒に過ごす人がいるのにジャッキーだけはいない。周りの人も気をつかってたりするのが、さらに寂しさを増す。普通の描写なのだけど実に切実にクリスマスの寂しさを描写してます。

そんな彼女が40歳になるのはあと5日後。12月30日が誕生日なのである。女友達の一人、クリスティーンがかなり気をきかしてくれて、2人でハワイにいって休暇をすごすという計画をたててくれた。感動するジャッキー。しかし当日クリスティーンの母親が骨折、病院に運ばれるという事態が勃発、クリスティーンは病院にいかなければならないという。もちろんハワイに一人で行って楽しいわけがない。本心ではいきたくないのだけど、それだと旅行をプレゼントしてくれたクリスティーンにも申し訳がない。結局沈んだ気分で一人ハワイへ飛ぶジャッキー。

冒頭から寂しさ描写オンパレードなわけです。で、これがすごくしみじみ染み込んでくる。大げさな寂しさ描写じゃないのだけど、親しい人からの壊れ物に触るように気をつかわれている感じ。でも、結局肝心な時はひとりぼっち・・の連打。素晴らしい脚本です。

ところが、クリスティーンがプランしてたアクティビティのなかにサーフィンがあって、そのインストラクターにであってみるとこれがいい男。なんだか、彼も気がある様子。もっとも、どうせ本土に帰れば終わってしまう話、だったら・・とひと時に情事にひたってみるジャッキー。ところがこれがとっても良かったりする。歳をきいてみると彼は27だとか。自分よりも12歳も年下の男と過ごしたハワイの3日間。

それっきりだと思っていた二人の関係だが、彼から電話がかかってきたことをきっかけに遠距離恋愛に発展していく・・・。

暇さえあればハワイに飛ぶジャッキーをみて、お友達連中もきがきではない。そんな可能性がなさそうな恋愛にいまさら溺れるの・・??みたいに。しかし、ジャッキーがハワイに行っている時に娘が交通事故に遭い、腕を骨折するしまつ。そんな時自分だけが幸せに浸っていたことに罪悪感を覚えたジャッキーはもうハワイには行かないことを決意する。

その後は、ジャッキーのうきうきモードは葬式のあとのようなげっそりとした日々に戻り、回りのお友達も彼女の遠距離恋愛に反対してたことに後悔しはじめる。とりあえず、だれか身近でデートする相手を探してみると、娘の交通事故の時に世話になった外科医とデートすることに。しかし・・・合わない。ひとり取り残されたレストランで、彼女は過去の人生のなかで、やりたいと思ったが出来なかったことをリストアップしていった。

その時からジャッキーは変わった。
言いたいと思ったことは言う。やりたいと思ったことはやる。その年のクリスマスには、子供達をつれてハワイに行くことにした。前回彼に電話をかけたときは、女の人が出た。でも気にしない。行かないと気がすまないからいく。そこで彼に彼女がいたのなら、子供達の一緒に遊んで返ってくれば良い。
吹っ切れたように潔くなったジャッキーの家でクリスマスパーティをしているときに、お客さん現る。
そう、彼であった。
一気に幸せになってしまうジャッキー。

恐ろしいまでに健全なアラフォー遠距離恋愛ものがたりでした。
久しぶりに気持ちのいい映画をみました。
このジュリア・ダールって脚本家の人、あなどれないですね。他にも『アップタウン・ガールズ』という作品のシナリオを書いているようなので、これもちょっとチェックしてみようかとおもってます。

余談ではあるが、キャスティングがとってもいいです。
憎まれ役の元旦那のキャメロン・バンクロフトもかなりイケメンだし、ヘザー・ロックリアのアラフォー友達のヴァネッサ・ウィリアムズステファニー・フォン・フェッテンもかなり美人です。主役のヘザー・ロックリアだけがちょっと年齢いってしまってるのですが、ほかのアラフォー世代の人たちはかなりいいところを集めてきてます。
まったく期待してなかったので、ちょっと得した気分になれました。

『メルローズプレイス』のころのへザー・ロックリア。美しかった。。
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# by ssm2438 | 2012-07-22 23:31
f0009381_10402499.jpg原題:IRON MAN 2

監督:ジョン・ファヴロー
脚本:ジャスティン・セロー
撮影:マシュー・リバティーク
音楽:ジョン・デブニー

出演:
ロバート・ダウニー・Jr (トニー・スターク)
グウィネス・パルトロー (ペッパー・ポッツ)
スカーレット・ヨハンソン (ブラック・ウィドー)
ミッキー・ローク (ウィップラッシュ)

     ×   ×   ×

しかし・・・、ミッキー・ロークは沢尻エリカのようにどんどん不細工になっていくなあ・・(苦笑)。

足し算映画に面白いものナシ!の法則を地でいくような映画になってますね。
前回は「おお、これはなかなかおもしろいぞ」ってわくわくしたのだけど、今回は・・・・。

安易にアイアンマン2号が戦友になっちゃうし、敵はドローンつくって数の勝負にでるし、トニー・スタークの体がパラジウムに犯されてるとそれを克服する新物質をつくっちゃうし・・・、コンセプトが全部<足し算>。才能ない人が一般的に面白くないものを作ろうとするとどうしても足し算で物語をつくってしまうものだけど、この映画はその際たるもの。作り手にとって<足し算>っていうのは<ご都合主義>という言葉におきかわりますからね。反対に<引き算>は・・・・<真実追求>かな?

関係ないけどミッキー・ロークはばっちいーし。。。

ただ、それでも、この映画画面白いのはやっぱり主人公の性格設定だろう。頭は良いが、品行法制ではない。いつまでたってもガキで、独善的で、ナルシストで、自己顕示欲のかたまり。「おれは賢いんだからいいだろう、なぜ謙虚に振舞わなければ成らない? あん??」みたいな思想である。
いかん・・・、まるで自分のことを書いてみるみたいだ・・・(苦笑)。。
しかし、男の子にとってはスーパーマンみたいなのが理想ではなく、おそらくこのようなのが本質的な理想なのだろう。それを描ききってるのがこのキャラクター設定のすばらしいところなのだろう。

それから、これは私の好みだが、スカーレット・ヨハンソンの髪は黒いほうが良い。金髪のヨハンソンにはまったく魅力を感じない。やはり私にとってのファースト・インパクトだった『モンタナの風に抱かれて』の時のヨハンソンが一番素敵だ。今回はウェーブをかけてはいたが、髪がダーク・ブラウン/レッドにもどっていたので気持ちよかった。いい女ですな、まったく。。。
しかし、ヨハンソンって基本的にはそんなにスタイル良くないほうなのだけど、お尻の曲線は昭和の女性みたいでなんかいいですね・・(苦笑)。そしてカメラが、彼女の足の短さをわからせないように撮ってる心遣いがいい。才能ないカメラマんだとヒールを履いてないときに接地面まで入れ撮る人がいる。どんなに魅力的に見える人でも、足の短さが露骨にわかってしまうと悲しいもので、フレームはひざ下で斬って欲しいものだ。

<あらすじ>
前回の最後でアイアンマンであることを公言しトニー・スターク(ロバート・ダウニーJr)は世間に人気者。なるシーなトニーは世界の平和は自分が担っていると公言することもはばからない。そんな彼に挑戦してくるものが現れた。今は亡きトニーの父親に恨みを持つ〇〇がシベリアで死ぬのだが、彼はアーク・リアクターの設計図をもっていた。その設計図をもとに息子ウィップラッシュ(ミッキー・ローク)がアイアンマンに対抗するためのアーマードギアを開発し、モナコのレースに出場中のスタークを襲う。
なんとかこれを撃退するも、スタークはすでにアーク・リアクターのパラジウム中毒で余命あと1年はもたないだろう・・というところまで来ていた。一方政府も、アメリカの安全保障を一企業のナルシストに負かしておくわけにはいかないと、鉄仮面スーツをよこせとプレッシャーをかけてくる。そしていくつかあるスーツのなかの1体を安易にお友達のジム・ローディ中佐(ドン・チードル)に持ち逃げされてしまう(かなり安易・・はは)。
そのころウィップラッシュはスタークのライバル企業のボス、ハマーに囲われて、アイアンマンを凌駕する新兵器を作っていた・・・。

しかし・・・デザイン的には胸のリアクターは ○ のほうが美しいと思うのだけど・・・。
▽ はあんまりセンスを感じないなあ。
# by ssm2438 | 2012-07-22 10:43
f0009381_149494.jpg原題:SIDE EFFECTS

制作総指揮:キャサリン・ハイグル
監督:キャスリーン・スラタリー=モシュカウ
脚本:キャスリーン・スラタリー=モシュカウ
音楽:ラルフ・ブルーナー

出演:
キャサリン・ハイグル (カーリー・ハート)
ルシアン・マカフィー (恋人のザック)
ドリアン・デミッシェル (上司のジャクリーン)

     ×   ×   ×

脚本はいいけど、演出と撮影はぼろぼろ・・・、
・・・しかし、キャサリン・ハイグルは素晴らしい。役者としても素晴らしいけど、それ以上にプロデューサーとして大変素晴らしい仕事をしたと思う。大絶賛に値する。


撮影が並みのレベルなら☆3つはあげられたのに・・・。実にもったいない作品。
とにかく喰い合わせが実に悪い。
ドラマのカテゴリーは、どちらかというと『プラダを着た悪魔』で、あののりで作ってくれたらこの映画はかなり傑作になっていたかもしれない。しかし・・・・、演出にかなり不備が目立つので興ざめする。もうすこしシーンのつなぎをしっかりしてほしいなあ。このしーん、あと2~3カットつんでから終わって欲しいとか思うことろがけっこうある。ラブシーンでハンディカメラを使うのはやめてほしい。ハンディカメラってのは、手ブレがどうしても生じ、そのシーンにカメラがあることをわからせてしまう。カメラの存在を見ている人に感知させたらそれは映画の画面ではなくなる。低予算なので、レールを敷くことすら出来ないのかもしれないが、そこは演出でカバーしてほしいものだ。いちいち、歩いてムードをたかめている会話をハンディで、歩きの上下動のあるなかで撮られる興覚めもいいところえある。せめて撮影だけでもまともな人を使ってたらかなりすくわれた映画になっていたのに・・・。

物語の冒頭はロマンチック・コメディ系のノリではいっていくのだけど、だんだん社会問題を取り扱う物語になってくる。トータルすると、DVDの表紙からうける印象ではなく、かなりシリアスは医療機関の告発社会派サスペンス(?)もので、まさに『プラダを着た悪魔』をフェルナンド・メイレレス『ナイロビの蜂』テイストで料理しているのである。おそらく監督は、表面にはでてないけど、『ナイロビの蜂』をかなり意識したと思う。ただ、融合のさせ方があまりに素人的で悲しくなる。
しかし、この人のシナリオは素晴らしいと思う。
プロデューサーはキャサリン・ハイグルなのだが、彼女は実に素晴らしい仕事をしたと思った。おそらく、誰も目をつけない名もなき脚本家の脚本を読んで「この人にこの映画を作らせてあげたい!」って思ったのだろう。演出的な才能なないにしろ、それでも作らせてあげたかったのだろう。それはあたかも、ブルース・ウィリスが無名だったM・ナイト・シャマラン『シックスセンス』をつくらせてあげたいと思ったのおなじ衝動だったにちがいない。

この映画で彼女は私にディーバになりました。
今のハリウッドでもっとも見るに値する作品をつくるプロデューサーはキャサイン・ハイグルです!
もちろん彼女の下着姿が素晴らしいのはいうまでもないことですが・・・。

<あらすじ>
MRとは、メディカル・リプレゼンタティブ(劇中では「ファーマスーティカル・レプリゼンタティブ」と呼ばれている)の略で、製薬会社のロビーイストである。製薬会社が大金を投じて開発した薬を医者と病院に売り込むのが彼女の仕事。ワーキング・プアーだったカーリー(キャサリン・ハイグル)は、見てくれのよさだけで、この蝕につくことが出来た。さらに会社からは新車も貸し与えられた。しかし、やっていることといえば、ドクターへのゴマスリばかりで、売上成績もひとりだけ足を引っ張っている始末。そんなときにザック(ルシアン・マカフィー)と出会う。彼もMRの仕事についていたが、こんなおべんちゃらだけの世界では生きていけないと、1週間でやめることを決意したという。その話を聞いたカーリーもあと半年間だけこの仕事をつづけ、それできっぱりやめることを決意した。すると心が軽くなる。
いままでおべんちゃらだけを言っていたのを止め、、ほんとのことを話しはじめる。薬に関しては、良いことも悪いことも全部包み隠さず話す。会社の利益やなんやかや・・・。するといままでほとんど相手にしてくれなかったドクターたちがカーリーの話を聞き、彼女のうる薬を買うようになり、売上は急上昇、上司のジャクリーン(ドリアン・デミッシェル)にも認められていく。

そこからは、『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイのようにどんどん服装がキャリア・ウーマンしていく。しかし、ザックとの間には隙間風が吹くようになる。さらに、自分が売り込む薬には副作用があり、臨床実験では死者もでていことを知ってしまう・・・。
# by ssm2438 | 2012-07-21 01:53
f0009381_8165993.jpg原題:SERIOUS MOONLIGHT

監督:シェリル・ハインズ
脚本:エイドリアン・シェリー
撮影:ナンシー・シュライバー
音楽:アンドリュー・ホランダー

出演:
メグ・ライアン (ルイーズ)
ティモシー・ハットン (イアン)
クリステン・ベル (サラ)

     ×   ×   ×

役者の名前が入っている映画タイトルに名作ナシ!

糞映画をなんとか売ろうという敗売店の策略なのだろうが、役者名のはいっている映画はかならずといっていいくらい糞である。この映画も正式なタイトルは『メグ・ライアンの 男と女の取扱説明書』となってるが、「メグ・ライアンの」は小さな字でかかれているのでタイトルにはいれないことにしてるのだけど・・・。
ほかにも、「名作ナシ」の項目に「ブラックユーモアの作品に名作ナシ」のことわざもあるのだけど、実はこの映画、そのカテゴリーにも入っている。

主役の2人は、嘗てラブコメの女王と呼ばれたメグ・ライアン。私は今でもそうだと思っているのだが、『イン・ザ・カット』でこけて以来日本ではビデオ発売だけになっている。この映画もそのひとつ。
ティモシー・ハットンも若い頃は『タップス』『ロングウェイ・ホーム』『普通の人々』といいところをこなしていたがさすがに最近は歳にはかてず、かなりくたびれた顔になってる。歳をとってもいい顔と悪い顔があるのだが、彼の場合はあまりしあわせそうではない顔なのだ・・・。

しっかし、役者的にはインパクトあるところをもってきてるのに、映画は・・・糞。とにかくシナリオが最低。

<あらすじ>
弁護士として成功をおさめたルイーズ(メグ・ライアン)は夫のイアン(ティモシー・ハットン)と別荘で休暇を過ごす約束をしていたが、ふたを開けてみると離婚宣告がまっていた。イアンは、1年以上も会社の受付嬢サラ(クリスティン・ベル)と付き合っていたことを告白、翌日パリに2人で飛ぶというのだ。口論の末、ルイーズの投げた鉢植えがイアンにヒットし気絶、その間にイアンはテープでぐるぐる巻きにされてしまう。「トイレに行きたい」と一度は脱出をこころみるも失敗、今度はパンツをぬがされ便座に座らされた状態でぐるぐる巻きに・・。そんなイアンに、クッキーやらギターの演奏やら昔の写真やらでなんとか嘗ての愛情を呼び戻そうとするルイーズ。

最後はウルトラCの策略で再び仲良くなるのだが、すべてがちっとも健全じゃない。メグ・ライアンの魅力はこの「健全さ」なのにそれがないので、演技だけいつものメグ・ライアンで、彼女が演じている女は沢尻えりかのようなビッチである。ティモシー・ハットンも、あれだけ「もう君のことは愛していない」と言ってるのにまた感情がもどるのは超不自然。もっともシナリオライターが才能あれば、どんな不条理な展開もそこそこ納得のいくものにしそうなものだが、この話は心がついて来ない。イベントだけは元に戻っただけで、感情はまったくそうなる流れになっていないのである。
メグ・ライアンの健気な演技だけは空回りしてるかなり空しい映画であった。。。
# by ssm2438 | 2012-07-20 08:17
f0009381_22184470.jpg監督:ハロルド・ライミス
原案:ダニー・ルービン
脚本:ハロルド・ライミス/ダニー・ルービン
撮影:ジョン・ベイリー
音楽:ジョージ・フェントン

出演:
ビル・マーレイ (フィル)
アンディ・マクドウェル (リタ)

     ×   ×   ×

『素晴らしき哉、人生!』の派生系の物語になるのかもしれないが、料理の仕方が実に上手い。

全然関係ないのだが、この映画にでてくるウッドチャック(学名モーマット)という動物、しらべてみると、なんと!!!子供の頃みた『山ねずみロッキーチャック』の主人公はロッキーはこのウッドチャックと呼ばれる動物だったとか。世の中には知らなかったことが多いなあ(笑)。

とにかく話の基本設定がユニークだ。
テレビの人気天気予報官フィル(ビル・マーレイ)は、番組プロデューサーのリタ(アンディ・マクドウェル)、キャメラマンのラリー(クリス・エリオット)と共にとパンクスタウニーという田舎町を訪れる。この町では、毎年2月2日に冬眠からさめたウッドチャックが春の到来を占うという儀式がおこなわれており、各局のテレビ局がこの地に取材班を派遣していた。とりあえず取材をすませたフィルたち一行は地元局のあるピッツバーグに帰ろうとするが、雪に阻まれてもう一泊することになった。しかし・・・、フィルが6時に目を覚ますと、その日はまたしても2月2日の繰り返しだった・・・。
都合のいいトリックは、周りの世界は同じ日を繰り返しているが、主人公のフィルだけは経験値が貯蓄されていくというもの。

これは「待った」が永遠につかえるという条件で、ド素人が羽生名人に挑む名人戦のようなものだ。
初日が終わって、二日目、気づいてみると、主人公にとっては再び1日目なのである。1日目の大局で妙手を打とうが、握手を打とうが、翌日はやっぱり1日目の朝から繰り返し。これだと負けることはないが、2日目がない以上勝つこともない。明日がないことに絶望して自殺もしてみるが、やっぱり次の日は1日目の繰り返し。

2日目がないのなら、1日で勝ちきるしかない。
この物語においては、それまで好きだったリタの心を1日でものにすることなのだ。

「前日はあの2五銀から悪くなった、じゃあ、今日はそこを3一飛車でいってみよう」・・という具合に、前日不利になった手を回避し、別の手を選択できる(映画では朝からその手間の時間は省略してあるので、同じシーンを何度もみせられることはない)。しかし、それを繰り返している間に相手の思考、趣味、何を「よし」とするのかなどの価値観が判って来る。
しかし相手は羽生名人、なかなか勝たせてくれない。なので今度は一気に戦法を変えてみる。一から振り飛車を勉強し始める。端のほうで死にそうになってる「歩」の命もすくってみる。戦場に参加してないで使い古された「と」も大事にあつかってみる。そんな日々、そんな対局を毎日繰り返していると、次第に「美しい将棋」がさせるようになり、最後は羽生名人に勝ってしまう・・というお話。
めでたし、めでたし。

物語構成的には実におもしろい。ぼおおおおおおおおおおと見るには面白い。
難を言うなら、善の価値観がかなり記号的であり、主人公がおいつめられることのない状況で戦っているところか・・・。永遠に「待った」が使える将棋ゲームをやっているようなプレッシャーのなさが、現実世界で戦うことを避けている人にはうけるかもしれない。しかし私自身は「余裕のある人のゲーム」にはそれほど価値観を見出さないので☆3つにとどめておくことにした。
# by ssm2438 | 2012-07-16 22:19
f0009381_9273887.jpg監督:ジョエル・シューマカー
脚本:エブ・ロー・スミス
撮影:アンジェイ・バートコウィアク
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:
マイケル・ダグラス (Dフェンス)
ロバート・デュヴァル (プレンダーガスト刑事)

     ×   ×   ×

ある瞬間にぶち切れたら・・・。

当時は『危険な情事』とか『ウォール街』とかあってマイケル・ダグラスが一番うれてた次期じゃないでしょうか。
そんなマイケル・ダグラスを主役にすえた理不尽映画。

誰しもストレスがたまりまくって、ぶち切れたいと思うことがある。普通はそれでも理性が働いてその衝動をおさえてくれるのだが、この映画の主人公は、その瞬間の理性がたりなくて、ブチって切れちゃった状態。一度そこを越えてしまうとあとはあとは非社会性の滝を転げ落ちていく。そんな正常と異常のボーラーラインを歩いているのがこの主人公。

監督は『セント・エルモス・ファイアー』ジョエル・シューマカー
技術力はしっかりしてて、与えられたものをしっかりつくるタイプの監督さん。ただ、映画そのものを抜本的なコンセプトを処理してさらに面白いものを作るタイプのひとではないので、はずれたものものもハズレたなりに、きちんとつくってしまうような人。
ストレス描写はとってもよく、一般庶民のストレスを臨場感たっぷりに演出してくれる。ゆえに主人公へ充分感情移入できるし、ぶちきれて強引にやってしまうのもストレス解放になるのだけど、全体の流れがあまり気持ちよくない。もうちょっと練りこめばもっと納得がいく映画になりそうなのに、出来上がったものはあまり見心地がよくないのである。

ブチ切れた主人公を追うのがロバート・デュバル演じる退職間近の刑事。そんな彼に想いをよせているのが同僚のサンドラ(レイチェル・ティコティン)刑事。この感情もさりげなく、しかし確かに描かれているのだけど・・・全体の流れの中になぜこれが入り込んでこなきゃいけなかったのか・・・今ひとつ判るようで判らないような・・・。
ま、愛されてる人に描くと、それも、今日で退職という刑事をを描くと、その人が死にそう担ったときに、「死んで欲しくない」って思う感情の増幅効果はありますが・・・、それはお話作りの技術的な技法の一つだけど、それが物語にあまりからんでないというか・・・。

作り手の気持ちはわかるけど、みてて気持ちのいい作品ではないのです。。。

<あらすじ>
猛暑のロサンゼルス。ハイウェイの大渋滞の列の中に閉じ込められたDフェンスと呼ばれる男(マイケル・ダグラス)は、業を煮やし車を乗り捨て歩き出す。別れた妻に電話をするためなのだが、あいにく小銭がなく(この時代は携帯がそれほど普及してなかった時代なのです)、コンビニエンス・ストアで両替を頼む。しかしそれを断られたDフェンスは、しかたなくコーラを買おうとするが、アジア系の店主は85セントを要求され、「なんでそんなに高いんだ。コーラは50セントだろう」と怒り狂い、店主から奪ったバットで理不尽な価格の品物を破壊し、コーラ代の50セントを置いて去っていく。
その後、やっと電話をかけられたと思ったら話中だったり、チンピラに襲われたりしてるうちに鬱憤晴らしがエスカレートしていく・・。
# by ssm2438 | 2012-07-12 09:37

さまよう刃(2009) ☆☆

f0009381_23411854.jpg督:益子昌一
原作:東野圭吾『さまよう刃』(角川書店刊)
脚本:益子昌一
撮影監督:ワン・ミン
音楽:川井憲次

出演:
伊東 遥 (長峰絵摩)
寺尾聰 (長峰重樹)
竹野内豊 (織部孝史)
伊東四朗 (真野信一)

     ×   ×   ×

伊東遥嬢は知る人ぞ知るAV女優。カメラの前ではきちんと“H”もこなし、なおかつ与えられた役になりきれるかなり愛すべき貴重なAV嬢である。その伊東遥が一般映画に出たというので世間ではすこし話題になった作品。

ただ、うむむむ、どうなんでしょう。監督の絵作りのセンスが今ひとつプロ的でないのが作品の質をがくんと2流のものに落としてる感じがする。ときどきは、どこかで見たような映画的な画面をつくるのだけど、肝心なところで、どうもカメラの位置もカット割りもド素人的になってしまう。
最後の最後、娘を殺した犯人が、前方に猟銃をもった寺尾聡を見止める時・・・、なんで斜め45度からのアングルなん?? そこは普通犯人目線でしょう。あるいは犯人目線の想いでとったアングルか・・・。
最後、犯人を殺そうとして(?)して撃たれる寺尾聡のシーンも、寺尾聡と、警官の面々、伊東四郎竹之内豊との位置関係見せる画面ないし・・・。他にもスローを使っているカットもあるのだけど、本人がその効果を意識して使ってるのかかなり疑問。どっかの誰かがやってたので僕もやってみました・・程度の使い方のような気がする。とにかく、演出においてはかなり素人っぽさを感じる映画であった。

なお、物語的には、娘を強姦されて、その犯人を追いつめていくオヤジの話だけど、とどのつまりはやっぱり最後は撃てずに終わり・・というのは見えてる話なのですが、それをどうやっていじらしく見せるかが映画としての醍醐味でしょう。映画制作的な理性を外して、完全に復讐モノにしてしまうのもありだと思うのだけど、その場合は『ダーティー・ハリー4』みたいになるのでしょうね。

ハリウッド的な話ならこんな話になっていたかも。
娘が少年グループに輪姦され殺される。復讐をちかったそのオヤジが猟銃を手に犯人グループを追いつめていく。しかし、最後の最後で良心がとがめて殺せない。そんな隙をついて返り討ちにされる。怒った主人公(たとえば『狼よさらば』ポール・カージー)が犯人グループを一掃する・・・。
ビバ、エンタテイメント!!
しかし、日本で作るとそうはならない。
ただ・・・そうしないで苦虫噛み潰して終わるのがそんなに言い終わらせ方だとはまったく思わないのだけど・・・。

<あらすじ>
長年半導体メーカーでICの設計に携わってきた長峰重樹(寺尾聡)の15歳の娘・絵摩(伊東遥)が少年グループに輪姦されに殺される。妻を亡くして以来、父娘の生活だった長峰は失意のどん底におちいる。そんな長峰のもとに、謎の密告電話がはいり、犯人を知ることになる。「我が国の法律では未成年者に極刑は望めない!」
父親は自ら犯人を追う…。

参考までに伊東遥の写真(↓) なかなか可愛いのです。
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# by ssm2438 | 2012-07-11 23:45

動乱(1980) ☆☆☆☆

f0009381_3152691.jpg監督:森谷司郎
脚本:山田信夫
撮影:仲沢半次郎
音楽:多賀英典

出演:
高倉健 (宮城啓介)
吉永小百合 (溝口薫)
米倉斉加年 (島憲兵曹長)
田村高廣 (神崎中佐)
志村喬 (宮城広介)
永島敏行 (溝口英雄)
にしきのあきら (野上光晴)
桜田淳子 (高見葉子)

     ×   ×   ×

吉永小百合が猛烈に可愛い。
この可憐さは驚異的です!!!


・・・といっても『キューポラのある街』の時のような、高校生的可愛さではないのです。大人の女の可愛さがに満ち溢れているのです。同じ森谷司郎『海峡』をみたときは、ちょっと添え物的な扱いでいまひとつだったのですが、この吉永小百合は存在感ありあり、絶対無敵の可憐さです。彼女のしぐさ、息づかい、涙、全部に感動いたしました。素晴らしいの一言です!

本作は二・二六事件を題材にした映画ですが、この映画を見るまでことの背景を理解してませでした。こういうわけで事件が起きたのですね。ニュアンス的には「大塩平八郎の乱」が近いようなきがします。
天保7年(1836年)の天保の大飢饉により、各地で百姓一揆が多発し、大坂でも米不足が起こっていた。このような情勢の下、利を求めて更に米の買い占めを図っていた豪商に対して平八郎らの怒りも募り、武装蜂起に備えて家財を売却し、家族を離縁した上で、大砲などの火器や焙烙玉(爆薬)を整え、江戸幕府に対して反乱を起こした・・というもの。
この二・二六事件も、それとにたシチュエーションで起こったといえるでしょう。急激な富国強兵政策の中、政治家と財界人の癒着が激しくなり、一部の人間だけの私腹を肥やすなか、庶民の暮らしは苦しかった。本編の中でも、冒頭のエピソードは、借金の為に遊郭に売られる吉永小百合・・というところから始まり、大陸に送られた高倉健の連隊の負傷兵からは日本陸軍の弾が摘出されるというもの。軍上層部も腐敗し、朝鮮人に陸軍の物資を横流ししているというようなエピソードでそれが語られてます。
高倉健が演じる本作の主人公・宮城啓介は、二・二六事件に関与した皇道派の人物の一人安藤 輝三(あんどう てるぞう)をモデルにしたのでしょう。ウィキペディアによると、どうやらこの人物はかなりの人格者だったらしく、まさに健さんキャラのようです。

気になる撮影監督ですが、今回は付き合いの長い黒澤組の斎藤孝雄木村大作ではなく、東映系の仲沢半次郎。もう少し引いて撮って欲しい部分はかずかずあれど、しかし、充分な質を提供してくれました。降旗康男『冬の華』も実はこの人なのですが、望遠系が好きな監督さんの気持ちは判っている人だと感じました。
そう、今回のこの映画は、東宝系ではなく東映の映画なのです。

脚本の山田信夫は、山本薩夫『不毛地帯』『華麗なる一族』『戦争と人間』など、重厚系のドラマを書ける人なので、この物語も充分存在感のある物語にしあがってます。『皇帝のいない八月』なんかもやっているようで、クーデーターものは意外と好きなのでしょうか??

<あらすじ>
昭和7年4月、仙台。宮城啓介(高倉健)が隊長をつとめる中隊の初年兵、溝口(永島敏行)が脱走した。溝口の家では生活が困窮し、遊郭に売られる姉の薫(吉永小百合)に一目会いたいという想いからだった。溝口は捜索隊の上司を殺してしまい、宮城が弁護に立つも、死刑が確定し銃殺される。無念の宮城は、せめて香るだけは助けたいと、父から千円(当時の価値だと200~300万はあったのだろう)を借り、薫に渡す。それが宮城と薫の出会いだった。
それから時がたち、宮城は大陸に赴任する。その殺伐のした軍隊生活の中、陸軍上層部が呼び寄せた慰安婦の中に薫がいた。あの千円で、遊郭に売られるのは避けられたが、その後死んだ父の借金のために結局こうなったという。無念の宮城は、薫を抱かずに立ち去るが、その後薫は悔しさのあまり自殺をはかる。
一方、連隊本部にもどった宮城は、地元業者が陸軍の物資を運び出そうとしている現場に遭遇、これを取り押さえるが、軍上層部の判断でその業者は放免される。そこでは朝鮮ゲリラへ軍需物資の横流しが平然と行なわれるほど腐敗し、戦場で敵が使っている銃弾は日本製だった。そのためで死んでいく兵士達の無念は計りがたいものだであり、本国にもどった宮城は軍上層部にモラルの浄化をもとめる嘆願書を書く。

昭和10年10月、東京。宮城は第一連隊に配属になり、薫と共に居をかまえた。しかし、二人の間にはまだ男と女の関係はなかった。官城の家には多くの青年将校が訪れ、昭和維新を熱っぽく語り合っていく。そんな彼等を憲兵隊の島謙太郎(米倉斉加年)が見張っている。
宮城は薫と伴に鳥取に向かった。恩師であり皇道派の長老格でもある神崎中佐(田村高廣)を訪れ、決意を語るためだった。神崎の家庭の幸せをまのあたりにみた薫は、その帰り、「私の体は汚れているから抱けないんですか」と痛々しく宮城につめよる。
数日後、軍務局長暗殺を神崎が単身で陸軍省におもむき果してしまった。この事件のために宮城は憲兵隊に連行され、取調べの最中に毒をもられる。返された宮城だが3日3晩静止の間をさまよい、薫が必死に看病した。決行の日が決まり、宮城は実家に帰り父(志村喬)に薫のことを頼むと、はじめて彼女を抱くのだった。
そして昭和11年2月26日、早朝。降り積もった雪の中を兵士達を乗せたトラックが軍寄宿舎を出て行く。

最後の味付けがまた素晴らしいんだ。
クーデターに失敗した宮城たちは裁判にかけられ、死刑が確定する。そして近親者による面会が許されることになるが・・・、薫には妻としての籍はなかった。入れてもらえない薫。
その後、役所に行き、宮城の父に同伴してもらい、婚姻届を提出し、妻としての籍を得る薫。
そして獄中で「私は、貴方の妻になりました」と報告する。


森谷司郎+山田信夫の組み合わせだと、どうしても社会性の強い実録的映画になるのかなっておもっていたのですが、メロドラマ性のほうがつよいですね。しかし、森谷司郎の見せ方は、どこかさらっとしてて、どろどろにならない清潔さ(悪く言えば「業の薄さ」)があります。私の中ではこれはコレコテのクーデターの映画でもなく、戦争の映画でもなく、ただひたすら吉永小百合の映画です。高倉健はいつもの高倉健なのですが、吉永小百合はぶっとんで素敵です。彼女の仕草が全部素敵。これは吉永小百合が作り出す、あの可憐な空気感を感じる映画なのです。それはもう『カリオストロの城』のクラリスなんかの比ではありません。はるかにこえて凌駕してます。
初めて高倉健に抱かれるときに目の涙が絶妙。すごいです、あのカットは。音楽とあいまって、強烈は感動カットになってしまった。
『天国の大罪』でぼろぼろだった吉永小百合ですが、あれはキャスティングミスでしょう。彼女の良さが輝くところにきちんと配置してあげれば、シリウスのように輝きます。
ベスト・オブ・吉永小百合はこの映画で決定でしょう!!!
# by ssm2438 | 2012-07-08 03:17

彩り河(1984) ☆

f0009381_10155229.jpg監督:三村晴彦
原作:松本清張「彩り河」
脚本:三村晴彦
    仲倉重郎
    加藤泰
    野村芳太郎
撮影:花田三史
音楽:鏑木創

出演:
真田広之 (田中譲二)
名取裕子 (増田ふみ子)
平幹二朗 (井川正治郎)
夏八木勲 (高柳秀夫)
吉行和子 (山口和子)
沖直美 (梅野ヤス子)
渡瀬恒彦 (山越貞一)
三國連太郎 (下田忠雄)

     ×   ×   ×

名取裕子だけきれい。

松本清張作品のなかで失敗作の烙印をおされているこの映画、あまりに噂がひどいのでずっとみないままにしておいたのだが・・・・たしかにひどい。演出が超下手。何でこんなになってしまったのか・・・???? なにからなにまでとにかくチープなのである。他の松本清張作品にくらべて、おもいっきり見せ方が直接的で、清張作品の味である状況証拠と限られた現実描写だけでにおわせるような演出がまったくできてない。そのかわりに、すでに判っているところだけをやたらと子供だましの魅せ方で強調する。あたかも演出が判ってない人間が、とりあえず演出しているように見せてるために、どうでもいいところだけをかっこつけた演出をしているような、まるでおこさま演出である。
三村晴彦がこの前に撮った『天城越え』はけっこうみえたのである。なのに・・・、この『彩り河』になると演出のひどさが露骨になり、さらりその次の『愛の陽炎』になるとぼろぼろ・・・。

だいたい脚本の欄に名前が4人もある。ということは、時間がなくて寄ってたかって脚本を書いたか、あるいはなんどもリライトをしてる間に物語がぼろぼろになっていったかどちらかである。この場合は後者なのかな?
演出があまりにひどいので、脚本の出来は計り知れないが、実はマトモだった脚本を三村晴彦のダメ演出がぼろぼろにしたとも考えられる。

しかし解せんな・・・・。制作も霧プロ(松本清張と野村芳太郎の会社)がからんでるにもかかわらずこの緩い映画というのは・・・、どういうことでしょう???予想されるのは、最初の『天城越え』は霧プロのバインディングがしっかりしていたので、きちんと松本清張の作品になったのだけど、今回は2本目なのでゆるんでて三村晴彦のダメ演出が全面にでてしまったってことなのかな・・・・。
ただ、物語自体は、マトモに作れば面白いものになるはずのものだったので、この映画化が失敗だったということだろう。

で、他の松本清張作品にくらべてなぜここまでつまらないのか・・をちと検証。

1、松本清張独特の、暴かれてはこまる秘密への執着心が描けていない。
普通の話ではこれがあり、ばれそうに成ることで殺人などに発展していく。おそらく原作では昭明相互銀行社長・三國連太郎が大いなる秘密を持っていればいいのだが、それが暴かれてこまるようなみせかたがされてないので、危機感がない。

2、最初にころされる銀座のクラブのママ・吉行和子が美しくない。この人が殺されるので、以前の愛人だった平幹二朗がうごきだし、最後は三國連太郎殺しに手を貸すことになるのだが、そこをきれいなものとして描いておかないと適役に対して憎しみがわいてこない。

3、いつもの追いつめられた感がない。
今回追いつめられるのは東洋商産の取締役の夏八木勲なのだが、どうやら会社の運営でどつぼにはいっているらしい。そのせいで昭明相互銀行社長・三國連太郎になきついているのだが、なきついているところしか描いてないのがへぼい。会社社長として借金におわれているストレスを他のところできちんと描きこんでおけばもっと追いつめることが出来たのに・・・。すくなくともこのラインで物語の中盤までひっぱればけっこう面白いものになっていたはず・・・。

<あらすじ>
昭明相互銀行社長・下田忠雄(三國連太郎)は、「人類信愛」をモットーとする博愛主義者でとおっているが、その陰には、寿永開発という名のトンネル会社をもち私腹を肥やしている。
その愛人山口和子(吉行和子)がなにものかに殺される事件がおきた。彼女は銀座のクラブ・ムアンのママで、以前は東洋商産社長・高柳(夏八木勲)の愛人だった。しかし下田から融資をお願いする時に愛人だった和子を差し出すしかなかったのだ・・。
その山口和子を愛していたもう一人の男が井川正治郎(平幹二朗)。東洋商産の取締役だった井川は和子と愛人関係にあったが、いまは高柳秀夫との派閥争いに敗れ、首都高速道路料金所職員になっていた。和子の死に疑問をもった井川は独自に犯人を調べ始める。やがて資金繰りにこまった高柳の首吊り死体が見つかった。しかし死ぬ前に彼は井川に手紙を書いていた。それには和子の死の原因などが書かれてあった。

下田を付けねらうものは他にもあった。夜の銀座で車の誘導係をする田中譲二(真田広之)の父親は、下田に、会社の公金横領の濡れ衣を着せられ自殺したのだった。譲二は山口和子にかわって次にママになった増田ふみ子(名取裕子)と知り合うようになった。
譲二と井川は復讐を誓い、ふみ子の手を借りて昭明相互銀行の祝賀パーティの時に、復讐計画を実行に移す・・・。
# by ssm2438 | 2012-07-06 10:16 | 松本清張(1909)

氷点 (1966) ☆☆☆☆

f0009381_223806.jpg監督:山本薩夫
脚本:水木洋子
原作:三浦綾子
撮影:中川芳久
音楽:池野成

出演:
若尾文子 (辻口夏枝)
船越英二 (辻口啓造)
安田道代 (辻口陽子)
山本圭 (辻口徹)
津川雅彦 (北原)
森光子 (辰子)
鈴木瑞穂 (高木雄二郎)
成田三樹夫 (村井)

     ×   ×   ×

イエス・キリストは、人類全ての人の罪を背負って十字架に架けられました・・。

渋谷の町を歩いていると、宣伝カーのスピーカーからこのような言葉を耳にすることがある。しかし、正直なところ、キリスト教に疎い私はこの言葉の意味すら知らなかった。それを今日、教えていただいた(苦笑)。こういうことだったのですね・・・・。勉強にまりました。
きっとキリスト教信者の方ならすっごく酔えると思います。私はどっかに宗教に関して反感がある人間なので手放しには共感できない部分があるのですが、それをさておいても、物語はすっごいです。強烈です。こんな重厚な話が書けるっていうのはすごいですね・・・。そしてそれを大映パワーが見事に短時間の映画にまとめきってる。恐れ入りました。

<物語の発端>
北海道は旭川の病院長である辻口啓造(船越英二)の愛娘・るり子が暴漢に襲われ幼い命を落とす。川原で発見された自分の娘の遺体をみてショックで気をうしなう夏枝(若尾文子)。その倒れた夏枝をうけとめたのが眼科の医師・村井(成田三樹夫)。その姿をみて、自分の娘の死すら充分に悲しめない啓造。
じつは村井医師と夏枝は不倫関係にあり、辻口啓造はそのことを知っているのだが、憎しみを打ちに秘めていた。そして、自分を裏切った妻に対して恐ろしい復讐を思いつく。
それは、自分の娘を殺した男の子を引き取り、夏江に育てさせるというものだった。陽子は、自分の出生に秘密をしらないまま、辻口家の養女となった。

この設定もスゴイなあ。
どろどろですよ。

しかし陽子の素性をしらない夏枝は我が子のように陽子を溺愛した。それがあるとき一変する。夫の日記をみた夏枝は、陽子が、自分の娘・るり子を殺した男の子供だということを知ってしまう。その時から夏枝の憎しみは急に溢れ出し、止められなくなる。このあとの若尾文子のいじめっぷりが理性が効いてていいんだ。表面的なんじゃなくって、どこか理性の聞いた中でのつめたい仕打ち。周りの人はそのことを知らないので、陽子にやさしくする。特に兄の徹(山本圭)は誰よりも陽子を愛しているのが判る。周りの人に陽子が優しくされればされるほど憎らしくなってしまう夏枝。このあたりの描写がとっても素敵。

この夏枝という今回の敵役の母親は、もとは普通に愛をもった女性だったのです。それが、なんの因果かこんな憎まれる母になってしまった。「自分が普通である」と思っていた人でもこうなるのだよ・・という実例とされてるのでしょう。

やがて、陽子(安田道代)は恐ろしいほど健全に育ち、叔母さんにあたる辰子(森光子)は、自分のもとに引き取って大学にやりたいという。兄の徹は、健全な恋人候補としてひとつ年上の北原(津川雅彦)を紹介する。しかし、それも夏枝が反対、邪魔をする・・・。北原からの手紙を、陽子には渡さずに北原に返してしまったり、それだけでなく北原を誘惑したり・・・となかなかの悪女ぶり。

そんなこんなで引き離されてしまった陽子と北原。そしてそんな陽子を愛していけるのは自分しかいないと、自らの愛を告白する兄の徹。おおおおおおおおおおおおお、メロドラマの王道です。しかしそこは陽子の健気さで健全な兄妹という設定にもどるのだが、偶然旭川の雪祭りであった陽子と北原は誤解をといて幸せな気分になってしまう。

しかーし、陽子の幸せを絶対許せない夏枝は、ついに陽子の出生の秘密を暴露してしまう・・・・。

自分は健全に生きていこうと思ってきたが、自分の健全ささえも母・夏枝にとっては不愉快以外のなにものでもなかったのだろう。自分は殺人者の娘であり、母が私を憎むのは仕方のないことだ。辻口家の不幸は私のなかにある殺人者の血のせいだ・・って、陽子は、るり子が殺された川原で、睡眠薬を飲んで自殺を図る。

正直なところ・・・だからといってなんでそこで自殺になるの???という、ある種のいかがわしさが鼻につくも、やっぱり物語のどろどろ感が素敵なので、とりあえずそのテンションで見ていけてしまう。
妻の不倫から発生した恐るべき不幸のなすりあい。本来、憎むべきではないと判っていても幸せになってほしくないと願い続けた夏枝の心。しかし、さらにお約束のどんでん返しがもう一発用意されている。
陽子は、るり子を殺した殺人者の娘ではなかった。さすがに殺人者の娘を、夏枝に育てさせるのは不憫のおもった孤児院の高木医師(鈴木瑞穂)は、大学時代の同級生が不倫した結果生まれてしまった子を素性を隠して辻口家に養子として送ったのだった。

本来なんの関係もない女の子をただ、憎んで自殺にまで追いやってしまったことに、嘔吐する夏枝。それは夏枝だけではなく、父の啓造とて同じこと。これらはすべて普通の人がもつ普通の憎しみである。それを全部ひきうけて、死を選ぶ陽子。
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おおおおおおおおおおおおお、キリスト教ってそういうことだったのか・・・ってやっと判った。

もう恐ろしいほどドラマとしては素晴らしい出来栄えです。
見事!というしかありません。

ただ・・・・、それでもなおかつ、やっぱり気持ち悪いのが、「なんで陽子は自殺しなきゃいけなかったの?」ってこと。「ほらごらんなさい、我々の邪悪な心が、なんの罪もない子を自殺においやってしまったのよ」という罪悪感を植えつけるためにそうしてるようで、なんか・・・・、すっごく押し付けがましいものを感じる。
自分で罪悪感を感じている時は健全だと思うのだけど、それを他人から指摘されて、押し付けられると、おっきなお世話だ!!って思っちゃうじゃないですか。それが本当でも、そんなこと知るかああ、いや、知らないふうに意地張りつくしてやるううううううううって。

その、押し付けがましい部分が気にならない人にはいいんですけど、そこが気持ち悪いので☆一つ減らした。
# by ssm2438 | 2012-07-05 22:29

放課後(1973) ☆

f0009381_21433036.jpg監督:森谷司郎
脚本:井手俊郎
撮影:村井博
音楽:星勝/多賀英典

出演:
栗田ひろみ (中西亜矢子)
沢井正延  (青木勉)
地井武男  (北沢研二)
宮本信子  (北沢夏子)
島村美輝 (小宮克彦)
宇津宮雅代 (小宮由紀)
篠ひろ子 (美保)

     ×   ×   ×

森谷司郎でも、撮影監督が木村大作や斎藤孝雄でないと燃えない。。。。

栗田ひろみ目当てで見る人にはいいかもしれないけど・・・、冒頭からの撮り方でなんだか全然はいっていけなかった・・・。いやあ、脚本も井手俊郎がやってて、『兄貴の恋人』と同じなのです。でも撮影監督さんの違いでここまで趣味の合わないものになるとは思ってもなかった。がっくりでした・・・。

宮本信子が妙にお姐さん役なのでちょっと新鮮だったが、それ以外はなんか・・・、どの女性キャラも美しく見えない、栗田ひろみもまったく魅力的には見えない・・、とにもかくにも見たいシーンがほとんどない映画でした。
全体的にキャスティングを組直したほうが良かったのでは・・・。

余談だが、先ごろ販売されているDVDの写真より、昔販売されてたVHSの写真(↑)のほうが素敵。
DVDの写真は全然ロマンチックじゃない。どういうセンスしてるんだ???

<あらすじ>
中西亜矢子(栗田ひろみ)と青木勉(沢井正延)は隣同士で、同じ高校一年生。勉は亜矢子に恋心を抱いているが、亜矢子は同じクラスの小宮克彦(島村美輝)に気持ちが向いている。
そんな勉の家に北沢研二(地井武男)と夏子(宮本信子)の夫婦が住み込むことになる。勉の父がしばらく函館に転勤することになり、1階を彼ら夫婦に貸すことにしたのだ。
ある土曜日の放課後、勉は亜矢子は、同じクラスの小宮克彦の姉・由紀(宇津宮雅代)と研二が由紀の経営しているスナックに入るところを目撃、それを写真におさめた。亜矢子は夏子にその写真を見せたが、彼女は平然としている。ちょっと期待はずれの亜矢子。シャクにさわるのでちょっといたずら、2人の間はギクシャクしてくる。亜矢子が研二の服のポケットに入れたスナックのマッチが原因で、とうとう夏子は家を飛び出してしまった。夏子が家出した直後、けっく局研二と由紀は始めて共に寝た。
一方克彦は。スナックのバイトの女の美保(篠ひろこ)と肉体関係があったことが発覚、ショックをうける亜矢子。
やがて研二が転勤することになった。亜矢子は研二の引っ越しの手伝いをしている時、「私、研二さんが好きなんだもん」と身を投げ出した。その時、夏子が戻って来た。今、何が起きていたか知らない夏子は、素直に研二に詫びを言い、荷物の整理を始めるのだった。研二と夏子の間には、既に亜矢子の入る余地はなかった。亜矢子がそとにでると雨が降り始める。
最後は青木勉と楽しげにテニスをする亜矢子に戻り終了・・・。
# by ssm2438 | 2012-07-02 21:36

腐蝕の構造(1977) ☆☆

f0009381_0245833.jpg監督:
森谷司郎(第1話)
井上昭(第2話、第3話)
蔵原惟繕(第4話、第5話)
内藤誠(第6話、第7話)
原作:森村誠一
脚本:松山善三

出演:
篠田三郎 (雨村征男)
島田陽子 (雨村久美子)
梶芽衣子 (名取冬子)
岡田裕介 (土器屋貞彦)
松田優作 (大町信一)
江原真二郎 (松尾俊介)
西村晃 (本田義和)
山形勲 (名取龍太郎)

     ×   ×   ×

主人公替えるなあああああ!!!

映画ではないのだけど、森谷司郎が監督をやってると書いてあるのでレンタルした、全部やってるわけではなく、その1話をやってたってだけでした。。。なのでそういう意味ではちょっと的外れだったのですが、テレビドラマとしては充分たのしめた。ただ、完成度は・・・イカガなモンでしょう? もうちょっとまとまりがあってもよかったかな。

1話と2話は完全に篠田三郎演じる雨宮征男が主人公だったのに、2話数の最後で彼の乗る飛行機が墜落してしまい、そこからは妻の久美子(島田陽子)が主人公となって物語が展開する。見ている側としては・・・あれれれ????という違和感がどうしてもある。3話以降そうなるのだったら、前半の展開を島田陽子視点で描いて欲しかったなあ。1話のエピソードは、どこか、謎解きの回想シーン的描いてモノがたらいの間に入れ込んでいけばそれほど問題はなかったと思うのだけど・・・。

ただ、テレビシリーズとはいえ、しっかり撮れてます。
最近の小細工のおおいたいがドラマなんかよりはるかに映画な画面つくってます。

<あらすじ>
核融合理論の権威で小宮山四郎博士の事故死から物語りがはじまる。しかし、すでにこの研究の中心は小宮博士の意志を継ぐ雨宮征男(篠田三郎)にうつっていた。彼はトリウム○○○による核融合理論を構築しており、政府は実験炉の建設を民間企業に落とす段取りをたてていた。このプロジェクトに割り当てたれる予算は膨大であり、それを受注することが出来た企業は巨額の利益をえることになる。そして水面下で大企業や政治家を巻き込んだ受注獲得のための陰謀が展開される。
彼らにとっては雨宮征男を自分の企業に取り込むことが第一課題になる。しかし、新潟から名古屋の学会に向かう雨宮ののった飛行機が自衛隊機と墜落する事故がおきる。遺体回収作業はすすんだが、雨宮の遺体だけが見つからない。しかし妻の久美子(島田陽子)はなぜか、夫が生きているような気がしていた・・・。

基本構成は、松本清張『ゼロの焦点』とにている。
結婚して幸せな家庭をもっていたはずが、突如夫が行方不明。その謎を追うという展開。そして徐々にあばかれていく真実。そして夫には、自分のほかに愛している女性がいた・・・。私はなんだったの・・・?

ただ、この問題というか、この構成の弱点は、主人公が謎解きのための受動的なキャラクターに徹しており、物語に結局参加してなかったという空しさだろう。主人公がただただ、物語を展開していくためだけの役割であり、目的をもって行動する役割ではないので、ドラマの根幹へのからみが希薄なのである。もうちょっと物語の今回に近い位置で主人公を設定できなかったものかと思ってしまった。

あと、島田陽子といえば、梶原一騎との恋愛関係の中でプライベートの“H”の緊縛写真もかなり撮られていたという噂だが・・・、うむむむ、いかん、4話のあたまに、夫の残したノートを狙う暴漢におそわれ、縛られるシーンがあると、どうしてもそっちの妄想のほうが先行してしまう。

見終わってみると、物語的にはもっと整理できたと思えるのだが、画面の良さだけに終始したなぞとき物語だったかな・・・。でも、興味を次につなげる手段としては上手いと思った。こういうテレビドラマが作られていた70年代ってよかったなあ・・・。

ちなみに松田優作と突然登場。この人一体だれ???って思ってたら、篠田三郎がのってた民間機にぶつかってしまった自衛隊のパイロット。自分の乗っていた機が旅客機に激突したことから乗員を殺してしまい、罪悪感にさいなまれている人。乗員のなかの遺体が発見されてない篠田三郎が生きているとしたら、なんとか見つけ出したいとい、死んでいるのなら死んでいるということを確認したいというのが彼のモチベーションなのですが、島田陽子と松田優作の物語にして、そのなかで過去話を展開したほうがよかったのでは・・??

あと、やっぱり私は梶芽衣子好きだ。
この人の目力は素晴らしい。島田陽子より梶芽衣子にエールを送ってしまう。
# by ssm2438 | 2012-07-02 00:26