西澤 晋 の 映画日記

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2008年 12月 30日

アパートの鍵貸します(1960) ☆☆☆☆

f0009381_0232340.jpg監督:ビリー・ワイルダー
脚本:ビリー・ワイルダー、I・A・L・ダイアモンド
撮影:ジョセフ・ラシェル
音楽:アドルフ・ドイッチ

出演:
ジャック・レモン (C・C・バクスター)
シャーリー・マクレーン (フラン)

        *        *        *

原題は「アパートメント」だけですが、これを『アパートの鍵貸します』にするこの時代の邦題のつける人たちのオシャレセンスはいいですなあ。最近のしょうもないタイトル連発する連中に爪を垢を煎じて飲ませたい。

この映画で扱われているドラマ作りの基本セオリーは「好きな人の不幸は私の幸せ」。好きな人が不幸になり、自分だけが彼女をたすけてやれるシチュエーションほどすばらしいものはない。この映画では上司にふられて自殺未遂する憧れのヒロインを自分のアパートで介抱できるという、男にとってはかなり幸せなシチュエーション。
デビット・リンチ『マルホランド・ドライブ』でも、主演のナオミ・ワッツが妄想パートのなかで、憧れの女性が記憶喪失になり、自分だけは彼女の見方に名って上げられる人間というシチュエーションを思いえがくが、あれは実にリアルであった。またロマン・ポランスキー『赤い航路』のなかでも、最終的に下半身不随になり車椅子生活になってしまったピーター・コヨーテを、「これであなたは私だけのものよ」と満足げに世話するエマニュエル・セニエはまたまた幸せそうだ。「好きな人の不幸は私の幸せ」理論は、映画においてはとっても美味しいシチュエーションなのだ。

アカデミー賞に関して言えば、1960年のアカデミー作品賞、監督賞、脚本賞ビリーワイルダーが獲得。1本の映画でひとりの人物が3つのオスカーを受賞したのは、この時が最初で最後らしい(いまのところは)。本作の脚本のもう一人は、1957年に『昼下がりの情事』で初めて組んだI・A・L・ダイアモンド。実はこのI・A・L・ダイアモンドがかなりのキーマンであり、この人と組んでる作品は面白い。1958年にはアガサ・クリスティー原作の法廷映画『情婦』を監督、その誰もが予想つかないトリッキーな展開から本作は大ヒットし、クリスティーも自分の原作で映画化された作品の中で本作が一番のお気に入りだったという。

主演のジャック・レモンに関して言えば、ビリー・ワイルダー作品においては常連さんだろう。人のよさげなキャラクターは、ワイルダーの作品には不可欠だ。ヒロインのシャーリー・マクレーンは、顔もでかく(たぶんジャックレモンよりも顔がでかい)、目も離れていて、よくよくみるとへんな顔でもあるのだけど、この『アパートの鍵貸します』のフラン役は妙に可愛い。しかし顔のでかさを言えば、昔の女優さんは比較的顔がでかい人がおおかったかもしれない。モニカ・ヴェティも顔がでかい美人だろう。

<あらすじ>
ニューヨークのさる某保険会社社員バクスター、通称バド(ジャック・レモン)は、何人かの上司に、浮気の場所として自分のアパートを貸すという姑息な手段でコネクションをひろげていた。
その日は酔人事部長のシェルドレイク氏(フレッド・マクマレイ)に部屋の鍵貸したのだが、部屋に帰ってみると、バドの憧れのエレベーターガール、フラン(シャーリー・マクレーン)が睡眠薬を全部呑み自殺をはかっていた。「妻と離婚した暁には・・」といい続けるが決して離婚しようとはしないシェルドレイクの態度に絶望したのだった。必死に看病するバドの心はフランを想う気持ちで一杯だった。
バドは、部長にフランへの気持ちを打ち明けようとするが、シェルドレイクも離婚が成立し、フランと結婚する旨をバドに宣告する。人の気も知らないシェルドレイクは、またもアパートの鍵の借用を申しこんできた。我慢できずに辞表を叩きつけて会社を飛び出すバド。
その夜、フランはシェルドレイクとレストランへ。そこで今夜はアパートは使えない、と聞いたフランはバドの優しい想いと、自分を本当に愛しているのは誰か、ということを認識する。部長を置き去りに、フランはバドのアパートの階段をかけ上がったそのとき、ズドーンという銃声が・・。もしや自殺!? そこには他の町で再出発を決意したバドがシャンペンの栓を抜いた姿があった。

by ssm2438 | 2008-12-30 00:23 | ビリー・ワイルダー(1906)
2008年 12月 27日

愛と哀しみの旅路(1990) ☆☆☆☆

f0009381_13443327.jpg監督:アラン・パーカー
脚本:アラン・パーカー
撮影:マイケル・セレシン
音楽:ランディ・エデルマン

出演:
デニス・クエイド (ジャック・マクガーン)
タムリン・トミタ (リリー・カワムラ)

        *        *        *

原題は「カム・シー・ザ・パラダイス」。夢を描いてアメリカにわたった移民の中には日本人もいた。しかし、彼らは第二次世界大戦がはじまると強制収容所に入れられた。そんな日系人の家族の娘とアメリカ人男性との恋愛を描きながら、当時の日系人にたいするアメリカ社会のあり方を描いている映画。ただ、露骨な批判精神で描いているのではなく、冷静に描いているのがとても好感がもてる。

なにを隠そうこの映画、監督はアラン・パーカー。アラン・パーカーは『小さな恋のメロディ』で脚本をかき、『ダウンタウン物語』『ミッドナイト・エクスプレス』『フェーム』『バーディ』『エンゼル・ハート』『ミシシッピー・バーニング』などをてがけてきた監督さんで近年の流れをみると映像派のサスペンス系監督さんという印象があったのだが、ああ、この作品もそうだったのか・・と少々驚いた。

この映画、第二次世界大戦の、日系アメリカ人は敵とみなされマンザナール収容所に入れられた。そんな日系の家族に属するタムリン・トミタと、デニス・クエイドのラブロマンス。この映画を見た当時は英会話の勉強に励んでいたことだったので、彼らが話す英語と日本語がが混じった感じが実にリアルに感じられた。
その頃はイーオンの目白校に通っており、担任教師だったエイリーンという日系のアメリカ人の女性教師だったのだが、彼女がイーオンを辞めたあとも、手紙のやり取りは続いていて、電話で話す時もあった。彼女と話すと、日本語と英語がごちゃごちゃになってくる。英語の文法で話していてもときどき単語は日本語が出てきたり、その反対に日本語の文法で反しているのに単語は英語になったり、それが法則性もなく、日本語と英語がいれかわりたちかわり交錯する。この映画のなかで、タムリン・トミタとその子供の会話でも、その日本語と英語の交錯する会話が表現されていて、かなり嬉しかった。

<あらすじ>
第二次世界大戦が始まるまえのアメリカ、ロサンゼルス。日系一世のヒロシ・カワムラ(サブ・シモノ)は映画館を営んでいた。そこで働く元労働活動家のジャック・マクガーン(デニス・クエイド)はカワムラの娘リリー(タムリン・トミタ)と恋に落ち、彼女の両親の猛反対にもかかわらず、シアトルに駆け落ちして式を挙げた。娘ミニも生まれ幸福な生活を営んでいた2人だったが、ジャックが再び組合運動に感心をしめすとリリーはそれに反対、その結果リリーはミニを連れて実家へ戻ってしまう。そして日米開戦・・・。
ジャックは徴兵され、日系人は収容所に強制移住となった。日系人ではあるが、アメリカ人のつもりだった彼らは、自分たちの立場が理解できなくなっていく。そんななかカワムラ家の長男チャーリー(スタン・エギ)は日本人として生きることを主張、日本に強制送還される。次男のハリー(ロナルド・ヤマモト)は米軍に志願し出兵していく。リリーは母と残された家族の面倒を見るので精いっぱいだった。
軍隊を無断で抜け出したジャックがリリーとミニに会いきてつかの間の抱擁をかわす二人だが、リリーの父の説得で軍にもどっていくジャック。しかしジャックは逃亡の罪を問われ軍刑務所送られる。アイダホの農場に行っていたリリーの妹は妊娠して収容所に戻ってくるが、その子の父親は不明。資産を没収され総てを失った父は自殺。アメリカ兵として出兵していたハリーは戦死。
44年やっと収容所から解放されたリリーは、いとこのいるカリフォルニアのいちご農園に身を寄せ、そこで終戦を迎える。それからさらに4年、軍刑務所での刑期を終えたジャックがリリーとミニーのもとへ帰ってきた。


今となっては、当時の日本人強制収容所内での生活を再現した貴重な映画かもしれない。日系アメリカ人の複雑な想いがあざといアピールをすることなく、実に淡々と描かれている。歴史の勉強としてかなり貴重な映画だ。

by ssm2438 | 2008-12-27 13:54
2008年 12月 21日

群衆(1941) ☆☆☆☆

f0009381_19533883.jpg監督:フランク・キャプラ
脚本:ロバート・リスキン
撮影:ジョージ・バーンズ
音楽:ディミトリ・ティオムキン

出演:ゲイリー・クーパー
    バーバラ・スタンウィック
    ウォルター・ブレナン

        *        *        *

キャプラのなかではこの映画は一番好き。最後ハッピーエンドにしないところも好きだし、バーバラ・スタンウィックはかなり好み。ジーン・アーサーがキャプラのヒロインとしては多いのだろうけど・・私の好みとしてはこちらです(笑)。でもこれらは表面てきなもので、根幹的なところは普遍のテーマに至ってしまってるところが好き。
ちなみに原題は『ミート・ジョン・ドウ』であり、この「JOHN DOE」というのは「名無しのごんべ」さんのこと。匿名希望で文章を投降するときなど使うアイテム。

不況がつづくなか、某新聞社の女性記者アン(バーバラ・スタンウィック)そのあおりをくってリストラの対象になった。憤慨した彼女は、ジョン・ドウの署名で「この嫌悪すべき世界に抗議するため、自分はクリスマス・イヴの真夜中、市公会堂の塔上から飛下りて自殺してみせる」という記事を書いて社を飛び出した。ところがこの記事が反響をよんだため、新編集長コネル(ジェームズ・グリースン)は考える。ジョン・ドウなる人物を実際に仕立て上げ、そいつに怒りをぶちまけさせ、彼女が毎その記事を書かせたらどうか・・と。
募集記事を出すとジョン・ドウ志願者はフロアいっぱいに集まった。彼女はジョン・ウィロービー(ゲイリー・クーパー)という田舎リーグの投手を彼に選んだ。不満を表現する自殺志願者としてラジオに出演するジョンは国中の人気者になってしまう。しかしウィロービーは約束(自殺すること)を遵守する必要はない。大晦日の期限が迫る前に何処かへ消えてしまえばいい・・というものだった。目先の華やかな仕事がおわるとふたたび彼はオレゴンへと帰っていった。
しかしそこでもジョン・ドウは民衆の偶像になっていることを知ると、かえって彼はジョン・ドウとして立ち上がらなければならぬと思いはじめ。彼が言葉を発すると今の社会に不満をもった群衆が彼の言葉をフォローする。正しい政治のありかたを説くと群衆はわきたつ。いつのまにかジョン・ドウはおおきな政治運動へと変化をつげていたのだ。
やがて民衆の力は結集、ジョン・ドウ全国大会が開かれる直前、この運動が社長ノートン(エドワード・アーノルド)の選挙運動の手段であることを聞いかされる。大会で一切の真相を暴露するといいはなつジョンは会場にのりこみ事の次第を暴露する。そしてこう続けようとする。ジョンドウは偽者だ。しかし彼が話した言葉や思想は本物でありその言葉にみんながついてきてくれたのではないか! ジョンドウ運動はみんがその気になれば続けられる、社会を変えられるんだ!と。しかし肝心なところはマイクの音声を切断され、ジョンはただのイカサマ男として舞台から引き摺り下ろさせる。
彼が築き上げてきた民衆の運動を真実にするには彼の言葉を真実にするしかない。かれはクリスマスの夜、雪降る摩天楼の最上階へ上っていく・・・。
摩天楼で飛び降りようとするジョンの後ろに止めてというアン、そしてほっといてもどうせ飛び降りりゃあせんという悪徳政治家たちがいる。どうするジョン・・・。

「群衆は個人よりも扱い易い。みたかあのざまを・・。そしておまえもどうせ飛び降りやせん。変わらんのだ、世の中は・・」

by ssm2438 | 2008-12-21 18:54 | フランク・キャプラ(1897)
2008年 12月 14日

カミーユ・クローデル(1988) ☆☆☆☆

f0009381_23341643.jpg監督:ブルーノ・ニュイッテン
脚本:ブルーノ・ニュイッテン
    マリリン・ゴールディン
撮影:ピエール・ロム
音楽:ガブリエル・ヤーレ

出演:イザベル・アジャーニ
    ジェラール・ドパルデュー
    マドレーヌ・ロバンソン

        *        *        *

おもったよりかなり良かった。私がロダンファンだからか、有名な彫刻がいっぱいでてきて、それをつくってる風景をカメラがスケッチしてくれるだけで、かなり幸せな気分になれた。映画として演出的にもきわめてスタンダードだしとりとめてどうのこうのという映画でもないのだけど、このロダンとカミーユの物語を映像化してくれたということが私にとってはとても価値あるものになった。

実はカミーユの彫刻に関して言えば、個人的にはそれほど燃えない。どっかつきぬけてないといか・・・、魂ではらわたで造形してないというか、頭で造形している感じ。同じひとつの概念を形にしたとしても、カミーユの形は三島由紀夫的で、ロダンのかたちはイングマル・べルイマン的・・はは。そんな感じがする。そうはいってもカミーユの彫刻は形が正確であるなとは思う。
しかしなにより、男って、好きな女に自分をみとめさせたい願望があるもので、ロダンにおってその対象になってたのはカミール・クローデルだったのだろう。物質的に幸せとは縁遠いかったかもしれないが、ロダンのなかで一番の女であったことは素晴らしいことだと思うが・・、当の本人は実物が得られないのなら意味がなかったのかも・・。男と女の解釈の完全にちがうところだろうな。
ちなみにカミーユってロダンの愛人として描かれていたが、そのあとは音楽家のドビューシーとつきあったきかんもある。

f0009381_23364192.jpg<カミーユ・クローデルの生い立ち/ウィキペディア>
1864年、エーヌ県ヴェルヌーヴにて父ルイ=プロスペル・クローデルと母ルイーズの間に生まれる。三人兄弟の長女。弟はポール。妹ルイーズには母と同じ名前が与えられた。子供の頃から彫刻に親しみ、卓越した技術と才能を発揮していく。そしてまた類まれなる美貌をも持っていた。19歳の時に彫刻家オーギュスト・ロダンの女弟子となる。時にロダン42歳。二人は次第に愛し合うようになるが、ロダンには内妻ローズがいたため三角関係となる。その関係はその後15年に渡って続いていく。

ロダンは二人の女性のどちらかを選ぶことはできなかった。というのも妻は大きな心の安らぎの存在であり、カミーユは若さと美貌と才能に満ち溢れた刺激的な存在であった。また創作に活力の源を与えるいわばミューズのような存在であった。その中で20代後半にはロダンの子を妊娠・中絶、多大なショックを受ける。ついにはうまくいかず破綻をむかえ、ロダンは妻のもとへ帰っていく。徐々に精神が蝕まれ、不幸にも40代後半には発狂する。恋愛の挫折と芸術家としての挫折が重なりあった結果である。

19世紀社会は女性の芸術家を評価せず、困窮し不幸な道のりを歩んだ。女性芸術家としての成功は叶わなかった。1913年3月10日、48歳の時家族によってパリ郊外のヴィル・エヴラール精神病院に入れられた。また、後に第一次世界大戦の影響で南仏のモントヴェルク精神病院に移動させられ、そこが臨終の地になった。母は娘の芸術に理解を示さなかったため、二人の間には生涯確執が消えることはなく、母と妹は精神病院に見舞いに行くことは一度もなかった。弟ポールが数年に一度見舞うのみであった。しかし弟も結婚をし、任地の上海へ向かった後は姉と会う回数が激減した。晩年は毎朝決まって病院構内の礼拝堂に向かい祈った。誰とも口を聞こうとせず、一人自己の世界に閉じこもった。また、ロダンへの憎しみと周囲の患者を見下すことでかろうじて自己の精神の孤高を保った。見すぼらしい身なりで痩せこけ精彩を欠いたその姿に弟は愕然とした。1943年、家族に看取られることなく亡くなった。享年80歳。終生願ったのは故郷ヴェルヌーヴに帰ることであったが、叶うことはなかった。

by ssm2438 | 2008-12-14 23:02
2008年 11月 22日

空の大怪獣 ラドン(1956) ☆☆☆☆

f0009381_2575765.jpg監督:本多猪四郎
原作:黒沼健
脚本:村田武雄、木村武
撮影:芦田勇
音楽:伊福部昭
特技監督:円谷英二

出演
佐原健二 (河村繁)
白川由美  (キヨ・坑夫五郎の妹)
平田昭彦 (柏木久一郎・古生物学者)
田島義文 (井関・西部新聞記者)
松尾文人(葉山)
草間璋夫(須田)

        *        *        *

東宝特撮怪獣映画の最高傑作。

原作者の黒沼健は日本におけるオカルト・ライターの草分けでもあり『大怪獣バラン』も彼によるもの。彼の物語の構成力、助走から滑走し、飛び立っていく物語展開がすばらしい。
本作もラドンを直接見せるのではなく、まず、メガヌロンと呼ばれるヤゴのような古代昆虫から物語を展開。阿蘇山の麓にある炭鉱に出現し、鉱内で炭鉱夫や警察官をハサミで殺害。当初は鉱夫仲間の諍いが原因かと思われていたが実は・・・という冒頭。なので話の冒頭は人間対メガヌロンの攻防だったりする。メガヌロンに襲われる炭鉱の話から、その調査に乗り出して地底に潜っていくと、実はそれはラドンの餌となる古代昆虫であったというところから、やっとラドンのお目見え。

しかし飛び立ったラドンはほとんどカメラが捕らえることが出来ない。カメラが捕らえることができないものを撮らないすばらさいさ。それは、遭遇した航空機のパイロットの無線でしか伝わらないもの。このへんの見せない演出も見事。自衛隊機が国籍不明機を追跡する場面では米国の有名なUFO事件がヒントにされているようだ。福岡のまちを破壊するラドンのミニチュアワークも素晴らしい。いまみても作り手のこだわりがひしひしとつたわってくる。
ラストシーンの阿蘇山噴火では、溶かした鉄を溶岩に見立てたため撮影現場は高熱に包まれ、その熱は本番中にラドンを吊っていたピアノ線を焼き切ってしまい、操演不能になった。しかし特技監督の円谷英二は操演スタッフのアドリブだと思ったため、撮影の有川貞昌らに「まだキャメラを止めるな!」と叫んで撮影を続けさせた(撮影終了後に操演スタッフから事情を聞いたが撮り直しはしない事に決定した)。結果的に、本当に力尽きたかのように見えるラストシーンとなり、ファンからの評価は非常に高い。
あの落下は実にすばらしい。実にはかなく落ちていく。私もあとづけてこの話をきいたのだが、東宝特撮史上、偶然が生み出した最高のラドンの芝居だろう。

f0009381_384659.jpg<あらすじ>
阿蘇山の麓の炭鉱で出水事件が起った。技師の河村繁(佐原健二)が現場に急行すると、由造という鉱夫の死体を発見した。警察が捜査に乗出したが、由造と一緒に入坑して姿を見せぬ五郎が犯人と目された。ところが捜査に入坑した警官が更に惨殺された。その晩炭鉱の村を、巨大な目をした体長8メートルの怪獣が鋏を振りあげ警官隊に迫ってきた。拳銃を射っても手応えがなく怪獣は坑内に逃込んだ。
繁は機関銃を構えた警官と坑内に入る。そこに五郎を鋏で押えつける怪獣がいた。機関銃で怪獣を倒した繁だが、落盤と共に穴へ落ちた。洞窟の中には無数の怪獣がうごめき、更にそれをついばみ今しも孵化しようとする巨大な生物がいた。
数日後、繁は火山研究所の所員に救われた。しかし記憶喪失症にかかっていた。鉱山では古生物学者の柏木博士(平田昭彦)らを招き怪獣について研究した。博士は、前世紀にメガヌロンと呼ぶ巨大なトンボがいて、石炭の中に埋れていたその卵が水爆実験による地核の変動で孵化したのではないかと結論した。

一方福岡の自衛隊ではジェット機の一倍半の超音速で飛ぶ怪物体を確認、外電はマニラ市の全壊、奄見大島に津波襲来などの被害を報じた。繁は漸く記憶を回復、彼の証言と洞窟内の卵の殻から、柏木博士は空飛ぶ物体をプテラノドンと断定した。プテラノドン略称ラドンはこれが地底で孵化し全長270フィート、体重100トンを超える巨大さに異常生長したものと推定された。ラドンの飛ぶ速さは音速を超え、衝撃波を起し、そのため東南アジア一帯に被害を生じたのである。ラドンは辛くも舞上り西海橋を真二つにして博多市に現われた。地上すれすれに飛ぶ断末魔のラドンの羽ばたきで高層ビルが倒れ市内は阿鼻叫喚の巷と化した。その時、もう一羽のラドンが現れ、手負いのラドンを救出して去った。
対策本部は再びラドンの襲来を予想し阿蘇山火口の巣を攻撃。ロケット砲とジェット機の猛攻で火口底は火の海。さすがのラドンも、大噴火のもと、遂に熔岩の奔流に押し流されていった。

by ssm2438 | 2008-11-22 17:14
2008年 11月 08日

マルホランド・ドライブ(2001) ☆☆☆☆

f0009381_21464399.jpg監督:デヴィッド・リンチ
脚本:デヴィッド・リンチ
撮影:ピーター・デミング
音楽:アンジェロ・バダラメンティ

出演:ナオミ・ワッツ、ローラ・エレナ・ハリング
      *        *        *

さて、これはどう書くべきか・・・、結局きちんとした応えはリンチの中にしかない映画なので、それぞれが勝手な解釈で考えるしかない・・・というまあ、タルコフスキーの『ストーカー』みたいな映画だ。でもそれでは話にならないので私なりの解釈を一応書いておこうか・・。

Aパート(妄想)+接続詞パート+Bパート(現実)
・・・で最後は現実の世界に妄想が入り込んできて自殺・・・ってことだと思う。

<妄想パート>
このリアリティがとてもいい。普通の人が好きな人を思うときというのは、決してスーパーマンみたいになるんじゃなくて、実に現実的な妄想を思い描くもの。ナオミ・ワッツは、憧れの女優ローラ・エレナ・ハリングに愛されたいんですよね。で、それを完璧にするシチュエーションで妄想を展開している。記憶を喪失したローラ・エレナ・ハリング。彼女を世話するのは自分だけ。ローラ・エレナ・ハリングが頼れるのは自分のみ。自分だけが絶対的に必要とされてるシチュエーション。そんな赤子のように向くな彼女を守って上げられるのは自分だけど・・。そして懸命に彼女の為に世話をしてている自分の陶酔。そしてセックス。これこそ好きな人を妄想するときにもっとも素敵なシチュエーション。
反面、親戚のおじちゃん、おばちゃんは、心のそこでは自分が都会に出て女優として成功するなどとはちっとも思っていない。いや、失敗こそ望んでいる・・、そんな妄想。
妄想としてのリアリティがすごく上手に表現されてたなあって感心した。

<接続詞パート>
こんな手段使っていいのか? なんか卑怯!って思ったが、露骨にどちらのストーリーにも絡まないパートを入れ込んできたなあ。本来このパートはなしで作る手法を考えるべきだったのでは?っておもうけど、まあこれもありか・・・。

<現実パート>
ここは現実の惨めな自分が描かれている。そして最後は自暴自棄になって妄想パートまでが現実に侵入してきて精神的混乱状態。

・・妄想パートをああいう風に描いたリンチがえらい!

by ssm2438 | 2008-11-08 21:48
2008年 11月 07日

囚われの女(1968) ☆☆☆☆

f0009381_20533132.jpg監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
撮影:アンドレア・ウィンディング、ジャック・ソールニエ

出演:
ローラン・テルジェフ (スタン)
エリザベート・ウィネル (ジョゼ)
ベルナール・フレッソン (ジルベール)

        *        *        *
アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの遺作となってしまったこの作品、今ではDVDも販売されず、中古でVHSをさがすしかないのだが、幸いなことに私はこのビデオをまだ持っている。今となっては宝物のひとつとなっていて手放せない映画の一つだ。

エイドリアン・ライン『ナインハーフ』がSMチックなラブストーリーをつくったが、その20年前にアンリ=ジョルジュ・クルーゾーはそれを既にやっていたのだ。ただ、メンタルはこちらのほうがかなり深いと思う。サディスティックになってしまうものの劣等感の表現がいいんだ。やはりこの劣等感なくしてサディズムには傾倒しないし、これがないサディズムなんてのはそれこそただの遊びだ。この映画では、SMチックな遊戯をたのしんでいた二人がだんだんとほんとに愛し合うようになり、しかし、本気になればなほど、男のほうが劣等感を感じずにはいられなくなり女から逃避しようとする。そんな男をなんとか、劣等感を持ちながらも、勇気を持って求めるることが出来る男になってほしいと成長を望む女の話・・という感じか。
露出度はほとんどないのですが、ムードはとってもエロい映画。しかしやっている内容はかなりデリケート、支配願望、被支配願望、劣等感・・などフロイト的な内容をこなしてる。前半は男が女をSM遊戯のなかで刺激してるけど、中盤は女が男を、劣等感からひっぱりだそうとしてる。このせめぎあいが実にアンリ=ジョルジュ・クルーゾーのいつもの追い詰める演出になっている。
やはりすごいぞアンリ=ジョルジュ・クルーゾー!!!

<あらすじ>
近代アートの芸術家ジルベール(ベルナール・フレッソン)の妻ジョゼ(エリザベート・ウィネル)は、展示会の会場でスタン(ローラン・テルジェフ)に出会う。スタンにひかれたジョゼは彼のアトリエを訪れる。そして彼の言葉のままに被写体となる。まるで両手を縛られてつるされたようなポーズをとらされるジョゼ、そして後ろで二縛られたようなポーズ・・、そんな自分の姿を鏡でみせられる。ジョゼは普段は心に秘めていた被支配願望がすこしづつ目覚めていく。そして再び彼の部屋を訪れた時、スタンはモデルを呼んでいた。ジョゼの前でポーズをとらされるモデル。その撮影風景を何かを感じながら見ているジョゼ・・。
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主演のエリザベート・ウィネルがあからさまなヌードを披露することはなかったのだが、ムードだけでとてもエロチックな映画にしあがっている。アイテムとしても透明感のあるもの、鏡面効果のあるものなど、当時としてはかなりお洒落な画面づくりをめざしてた前衛的な絵作りの映画だった。

by ssm2438 | 2008-11-07 21:16
2008年 11月 07日

天国と地獄(1963) ☆☆☆☆

f0009381_615345.jpg監督:黒澤明
原作:エド・マクベイン、『キングの身代金』
脚本:小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明
撮影:中井朝一、斎藤孝雄
音楽:佐藤勝

出演:
三船敏郎 (権藤金吾)
香川京子 (権藤の妻・伶子)
佐田豊 (運転手・青木)
仲代達矢 (戸倉警部)
石山健二郎 (ボーズン=田口部長刑事)
山崎努 (犯人・竹内)

        *        *        *

黒澤映画のなかではめずらしく面白い。というか物語としては一番面白いのではなかろうか。マクベインの原作の良さがが根底にあるだろうが、それを日本の風土に土着させて一級品のサスペンスに作り上げている。本来サスペンスと言うジャンルはトリックのこねくりだけになってしまうと実につまらない映画になりかねない。アガサ・クリスティ『オリエント急行殺人事件』『ナイル殺人事件』のようななってしまうとおもしろくもなんともない。しかしこれが松本清張のドラマみたいに、そこに生きる人間性をうきぼりにしていくドラマの場合は実におもしろい。
この映画で三船敏郎演じる権藤という男は、一見傲慢な人間に見えるが、実は生粋の職人かたぎであり、その努力を積み重ねていった結果が会社上級管理職という地位にあることがだんだんと判って来る。これがバブリーなインターネットのホームページを作る会社とかで、たまたまその需要と重なった時に大もうけして会社をつくったそんな社長さんではないので、彼が作ったその財産というのはやはり価値を認めるに値するものなのだ。それを身代金として持っていかれる。それも犯人は自分の子とまちがえてお抱え運転手の子どもを人質にとり、その子の為に財産を持っていかれるのである。

犯人に渡った後はきっと処分(燃やされるだろう)と予想される革のカバンに、燃えたら赤い煙を出すか科学物質をいれるところがある。「かせ、おれがやる」とばかりに、そのカバンを斬り、薬品をいれ、それを縫い合わせていくのだが、「こんなときに見習い工の腕が役に立つとは思わなかった。まったく、最初から出直しだ」といいつつも、さばさばとその作業をこなしていく権藤がかっこいい! 男たるもの、こうでなくてはいかん!って思ってしまった。

<あらすじ>
某シューズ会社の上級管理職の権藤(三船敏郎)は、その努力と根性で一財産を気付き、丘の上に大邸宅を構えていた。そんな彼の元に「息子を人質に取った、3千万円よこせ、警察に知らせたら息子の命はない」という犯人からのメッセージがとどけられる。しかし、彼の息子は何食わぬ顔で帰宅した。犯人が連れ去ったのはお抱え運転手青木の息子だった。即座に「警察に連絡だ!」といいきる権藤には笑えた。権藤のまえにひれ伏す運転手の青木、苦境に立った権藤は結局金を出すことを決意する・・・。

ここまでは面白い。で、身代金を奪われ、子供が帰ってくる。
しかし、ここまで観るとなんだかもうお話は終わったような気になってしまった。そのあと犯人逮捕までの警察と犯人の間で展開されるサスペンスは、ほんとのただのサスペンスであり、ドラマとしては抜け殻なのでもあまり記憶にない(苦笑)。赤い煙のあとは(白黒だけどそこだけ着色されている)、とっとと犯人がつかまる展開でよかったのに・・。

by ssm2438 | 2008-11-07 06:15 | 黒澤 明(1910)