西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

タグ:この女優必見! ( 81 ) タグの人気記事


2010年 08月 23日

クレイジー・ハート(2009) ☆☆

f0009381_7582334.jpg監督:スコット・クーパー
脚本:スコット・クーパー
撮影:バリー・マーコウィッツ
音楽:T=ボーン・バーネット/スティーヴン・ブルトン

出演:
ジェフ・ブリッジス (バッド・ブレイク)
マギー・ギレンホール (ジーン・クラドック)
ロバート・デュヴァル (バッドの旧友・ウェイン)
コリン・ファレル (人気歌手トミー・スウィート)

       *        *        *

マギー・ギレンホールの<居心地のいい女>オーラが絶品。

『セクレタリー』以来マギー・ギレンホールのファンなのですが、この映画でも彼女の持つまろやかさが存分に発揮されてます。
この映画の彼女の演じる役どころは、主人公の落ちぶれてカントリー歌手バッド・ブレイクに忌んだビューする地方紙の記者。離婚経験があり、一人で子供をやしなっているお母さん。バッドとの接点は、彼がサンタフェに地方巡業に来たときにインタビューさせてもらった時。それまではさんざんぐーたらなジェフ・ブリッジズをみせられていてけっこう退屈だった映画が一気に楽しくなる。彼女をみたくてしょうがなくなる。彼女のもつ居心地のいい雰囲気が画面から噴出してくる。あんな女が現れたらそらあ誰だって癒されたいと思ってしまうだろう。

しかし不思議なもので、圧倒的な居心地の良さのなかでも、「ここに長くとどまっていはいけない」と思う、ブレーキシグナルが男の脳内のどこかから出てくるようになっているらしい。これは好きな女にフェラチオをしてもらっている時の感覚に似ている。男はその時間が永遠に続けばいいと思う。しかし、それがしばらく続いていると次第に罪悪感に囚われてくる。「自分だけが気持ちよくなっていいのか」「男には男の仕事があるだろう」っと、脳内から人間の本能に基づいた、しかも説明できそうもない本能の叫びだ。そして男は遺伝子を残す作業へ取り掛かることになる。

この映画もその流れで構成されている。落ちぶれたカントリー歌手が、居心地のいい女に出会う。彼はそこに長く留まりたいと思ったに違いない。それはこの物語をつくった監督スコット・クーパーの想いも同じなのだろう。しかし、スコット・クーパーは彼をそのまま居心地の良さの中に留まらせることに罪悪感を覚える。そして彼を強制的に追いたて、彼がもつ文化的な遺伝子を蒔く作業へ従事させていく・・・。

映画の方向性としてはきわめて理性のきいた作りである。なので地味でありきたりといわれても仕方がないだろう。もし、この映画で、<居心地の良さに対する罪悪感>を突き抜けることが出来たら、そしたパトリス・スコントの『髪結いの亭主』みたいなガツンなインパクトをもった映画になっていたのかもしれない。ただ、この映画がそうなるべき映画だとは思わないが・・。

・・・しかし、ドラマの作り手たる者は、<罪悪感を突き抜ける>才能を有してないといかんのだろうな。でないと、お行儀のいいだけの映画になってしまう・・・。

<あらすじ>
落ちぶれたカントリー歌手のバッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジズ)は、巡業の一環としてサンタフェを訪れる。そこのバンドのピアニストから、地方紙の記者をやっている姪のインタビューをうけてくれないかと申し出があった。彼女はジーン・クラドック(マギー・ギレンホール)といい、離婚経験があり、女手一つで4歳の子供を養っていた。彼女の居心地の良さが、いこじになっていたバッドの心を癒していく。
そんなおり、いまや人気カントリー歌手となったトミー・スウィート(コリン・ファレル)のコンサートの前座をやらないかという話が来る。彼は、バッドの教え子にあたる存在だったので、彼の前座をやることにはプライドが傷つけられる。トミーはとてもいい人で、バッドのプライドを傷つけずに、なんとか彼に仕事をまわそうとしている大人の配慮を感じるバッド。「若い者に保護されている自分」・・それは受け入れるしかない現実だった。
悔しさを忘れるためにいつも飲んでいる酒。その酒のおかげで失態を犯したバッドからジーンは離れて行く。彼女を失って初めてアルコールを断つ決意をするバッド。施設に入りアルコール依存症を克服して再びジーンを訪れるが、既に彼女には男がいる様子だった。
そして時がたち、ジーンへの思いをつづったバッドの思いを歌にしたその歌が、トミーによって歌われていく。


※この映画の劇中歌われる歌詞の字幕制作は最低である。

この映画、ジェフ・ブリッジズやコリン・ファレル、そしてロバート・デュバルが口ずさむ歌詞に多大な意味があるのにもかかわらず、それをきちんと画面に出さない。超不満である。それがなされていたらこの映画の感動は少し違ったものになっていたに違いないのだが。
劇中、傷ついたバッド・ブレイクと一緒に釣りをするシーンがあるが、そのなかでロバート・デュバルがくちずさむように歌う詩があるのだが、これが実に素晴らしい。そしてこれがエンディングの一番最後に流れるのだが、ここは歌詞に字幕をつけてほしかった。たぶんあれがこの映画の総てだったと思うのだが・・。

映画の構成をまったく理解してないアホ字幕制作者に天誅を下したい。DVDが発売されるときには、もうすこしきちんと字幕をつけてほしいものだ。

by ssm2438 | 2010-08-23 08:47
2010年 08月 20日

リップスティック(1976) ☆☆☆☆

f0009381_18402033.jpg監督:ラモント・ジョンソン
脚本:デヴィッド・レイフィール
撮影:ビル・バトラー
音楽:ミッシェル・ポルナレフ

出演:
マーゴ・ヘミングウェイ (クリス・マコーミック)
アン・バンクロフト (女性検事カーラ)
マリエル・ヘミングウェイ (クリスの妹・キャシー)

       *        *        *

この頃のマーゴ・ヘミングウェイは美しかった・・・。

最近になるまで晩年の彼女をみてなかったのだけど、自殺する前の数年の彼女はすごい崩れてる。美しくない。このころの彼女はあんなに綺麗で見るものをひきつけていたのに・・・どうしてそんなことになってしまったのか・・・残念で仕方がない。あの痛みかたをみてると自殺にいたるほどの心労があったのだろう。

しかし、この映画のころの彼女は美しかった。映画自体はそれほど評価もされなかったが、でも、かなり頑張ってたと思う。画面的にもそこそこお洒落に撮ろうとしてる節があるった。ただ、そのお洒落さが、当時、「レイプをテーマにしてるのに、このお洒落感覚はなんだ!?」みたな印象を世間に与えたのだろう・・・、あくまで私の予想だけど。当時はこの映画はすこしは話題になっており、私は中学3年か高校生くらいだったと思う。

お話のとっかかりはなかなかいいのである。
世間でいかに評価されなくても、私個人はかなりのお気に入り映画である。

その日はトップモデルのクリス・マコーミック(マーゴ・ヘミングウェイ)の水着の撮影の日。妹のキャッシー(マリエル・ヘミングウェイ)は、姉に自分の学校の音楽教師スチュアート(クリス・サランドン)を紹介しようとして彼をロケ現場に招待していた。クリス自身がスチュアートの曲に興味を示していたのだが、その日は忙しくて彼の曲を聞く暇のなかった。さりげなく男が大事にしていたものを踏みにじるマーゴ。悪気はなくても、対象に対して真剣に取り組まない姿勢は相手には伝わるものだ。これが総ての原因でもないだろうが、このあいまいで、でも、たしかにある一つの起爆剤としては素晴らしい設定だったと思う。

結局、そこでは相手する時間がないと判断したクリスはあとで、自分の部屋を訪ねてくるように言ってしまうそこで彼女は犯される。
しかし、妹キャッシーのスチュアートに対する想いもかなり複雑なのだ。妹にしてみれば、大好きな音楽教師なので、姉を紹介することで、すこしお近づきになりたいな・・みたいな感じなのだろう。そして、姉が犯されているところを見ても、どう解釈していいのかあいまいなのだ。それ以上にスチュアートに対しては悪意を持ちたくないという基本ラインがあるようで、そのあたりも今後の行動判断にいろいろ作用してくるように出来ている。

レイプをしてしまう男にしても、彼女を犯したいから犯したという、性的衝動からではないところが実に切実でいい。自分自身が音楽を愛し、美しいと思っているものを、さりげなく無残に彼女がないがしろにしてしまった。ゆえに彼も、彼女が美しいともっている彼女の美貌や容姿をないがしろにしてしまう行動にでる。
妹に対してもかなり複雑だ。自分のことをずっと慕ってくれていたはずの彼女。そんなこんなで彼女の姉を犯してしまったが、裁判では無罪を勝ち取る。そして普通の生活に戻ったが、やはり妹にも慕われていたかった。それを確かめてみたかった。でも、確かめてみたら彼女は自分を恐れ逃げていった。なので追ってしまった。そして犯してしまう。
ナイーブな男心がかなり赤裸々に描かれていると思った。

いろんなあいまいさのなかで物語を展開させたこの映画、個人的にはとても大好きなのだけど・・、どうも世間的にはうけなかったらしい。私だけがけっこう好きな映画のひとつである。

<あらすじ>
先の水着撮影の時にクリス(マーゴ・ヘミングウェイ)をたずねたスチュアート(クリス・サランドン)だが、そのときはあわただしく、後日、彼女のマンションを訪ねて来るようにいいわたされた。翌日、スチュアートはクリスのマンションを訪ねた。やがて部屋中に彼がテープに録音して持参した電子音楽が異様な音を響かせはじめると、タイミング悪くクリスの恋人から電話が入ってきてしまう。
彼女が聴きたいというから持参した自分の電子音楽、なのに二度も集中しない態度をとられてしまったスチュアートは別室に退き、さりげなくこみ上げてくる怒りを抑えるていた。けべの向こうではまだ彼氏となにやら話している。自分の存在を無視されているのがいたたまれないスチュアートは音楽のボリュームをあげた。顔をだし、無神経に「音を下げて」というクリス。
彼はクリスの髪をつかむと狂ったように引きづりまわし、真赤な口紅をクリスに塗りたくった。そしてベッドの上に裸のクリスをうつ伏せにして手足を縛りつけ、彼女を犯した。その時学校から戻ったキャシーは、ベッドの上でもつれあっている男と女を見てしまう。愕然としてその場から離れるキャシー。

クリスは女性検事カーラ(アン・バンクロフト)の事務所を訪ねた。事件は裁判に持ちこまれだが、カーラの予測どおりスチュアート側の弁護士は、不当ともいえる手段でクリスに罪を被せようとし、重要参考人としての幼ないキャシーを巧みに利用して、見事、スチュアートを無罪にしてしまった。

裁判にまけたクリスは、自分を納得させるためにコロラドの山奥に引きこもるつもりで、猟銃を車に積み込んで最後の仕事にでかけた。やがてキャッシーもスチュアートに犯されてしまう。怒りに燃えたクリスは、車に積んであったライフルを取り出すとスチュアートに発砲した。車は横転し、血だらけのスチュアートがはい出して来た。クリスはなおも激しく撃ち続けた。ふたたびクリスは法廷に立っていた。だが今度は無罪を宣告されるのだった。

美しかりしマーゴ・ヘミングウェイ(↓)
f0009381_18513047.jpg


by ssm2438 | 2010-08-20 18:59
2010年 08月 13日

アンドリューNDR114(1999) ☆☆☆☆

f0009381_13502721.jpg監督:クリス・コロンバス
原作:アイザック・アシモフ
脚本:ニコラス・カザン
撮影:フィル・メヒュー
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:
ロビン・ウィリアムズ (アンドリュー)
エンベス・デイヴィッツ (アマンダ/ポーシャ)
サム・ニール (リチャード)
オリヴァー・プラット (発明家ルパート)
キルステン・ウォーレン (ガラティア)

       *        *        *

屁がこけること、それが人間の幸せかも・・・

ベタな大河ドラマなんだけど、これが意外といいんだ。『グレムリン』の脚本でデビューしたクリス・コロンバス。その後もスティーブン・スピルバーグが総指揮をつとめる映画の監督などをやっていたが、個人的にはほとんど魅力を感じずにいた。そんなわけで、この映画もしばらくほっておいたのだが、公開から10年くらいたってたまたまテレビでやっているのをみたら、ついつい惹きこまれてしまった。

さすがにロボットの大河ドラマで、原題『バイセンティニアル・マン(200歳男)』があらわすように人間の人生の数倍いきてしまう。未来という設定で人間の寿命がのびたとはいえ、それでも人間の3~4世代分を生きてしまうので、初めに登場した時のロボットをかったリチャード(サム・ニール)も死んでしまうし、その時アンドリューに心開いてくれたアマンダも、死んでしまう。その娘という設定のポーシャを同じエンベス・デイヴィッツが演じていて、彼女が物語のヒロインとなるのだが、途切れそうになる感情移入をなんとかつなぎとめたかたちになっている。物語構成的にはかなり単調なものであることは認めざるを得ないが、それでも、アンドリューの憧れが切れないように工夫をして作られているのが実に好ましい。

しかし、最後はアンドリューが人間として認めてほしいと、人類の評議会の審判をうけるのだが、あれで人間だと認めてしまうのはどうなのかな?って思った。人間の感情というものはもっと複雑なもので、たとえば、好きなのに好きだといえなくって、でも好きだと気づいてほしい・・みたいなものである。好きな人の不幸は、自分がそれで役に立てるいい訳として、けっこう幸せなものであったりもする。そういった複雑な心理がないアンドリューに人権を認めるというのはどうにも「人の軽さ」を感じてしまった。たぶん、もしこれが「人」と呼べるものなら、人間につくられて、そういった複雑な感情も持たないにもかかわらず、人権をもとめててしまう単純さに「やっぱり自分は人間ではないんだ」と判断し、その素直すぎる欲求はロボットの証だとして申請を取り下げるだろう。

この映画は、どこか教育映画的な要素があって、さしあたり非難をうけない映画の作りになっている。そのあたりがかなり物足りなさを感じるのだが、このアンドリューがここまでやって、なおかつなぜか人間だとは認めたくない部分がやっぱり見ている我々の中には存在するはずだ。それこそが人間の人間たるものであり、ロボットのような素直な部分だけではない、人間のもっとも素晴らしいところなのだろう。それを再認識させてくれから好きなんだなあ。
しかし、ここに提示したアンドリューの努力だけでも、単純には感動できると思う。なんだかんだいってもこの映画は嫌いにはなれない。

余談だが、ガタティアはキュートでいい。最後に進化したガラティア(ほとんど人間)をキルステン・ウォーレンが演じているのだが、この人、なかなか素敵だ。最後の看護婦さんとなった彼女はめちゃめちゃ素敵だった。

原作は『ミクロの決死圏』アイザック・アシモフ。1900年代のSFの3人の巨匠といえば、アイザック・アシモフアーサー・C/クラークロバート・A・ハインラインとよく言われたものだが、そのうちにひとりである。

<あらすじ>
近未来。マーティン(サム・ニール)は家事用ロボット、NDR114号(ロビン・ウィリアムス)を購入した。「アンドリュー」と名付けられた彼は、幼いリトル・ミスと友達になり、彼女から人間について学んだ。やがてリトル・ミス(エンベス・デイヴィディッツ)は成長し、結婚していった。アンドリューのほのかな恋心は痛んだ。
娘をおくりだすマーティンとアンドリューが一緒に飲むシーンは実にすてきだ。

いつしか時間がたち、リトルミスも亡くなった。しかしアンドリューはその子供(孫でしたっけ?)ポーシャと知り合う。ポーシャ(エンベス・デイヴィディッツ)はアンドリューがずっとあこがれていたリトルミスそっくりだったのだ。彼女を愛したい、彼女に愛されたいと願うアンドリューは人間になりたい欲求をおさえられなくなっていた。友人となった発明家のルパート(オリヴァー・プラット)からロボットが人間に近づける可能性を知らされると、具体的にそれを現実にしていく。肌を獲得し、味をしる舌を獲得し、生殖器も獲得する。ついにポーシャ(エンベス・デイヴィディッツ=二役)のこころをいとめたアンドリューは彼女と結婚するが、ロボットとの結婚は認められないため、非公式である。どうしても人間と認めてほしいアンドリューはルパートに寿命を与えてくれるように要求する。いつ、どこで命が絶えるかわからない寿命というもの。それを獲得したアンドリューはなんども却下された人間として認めてもらえる申請を再び提出する。
そしてその結論が人類大評議会で出されるその日、その評決をまたずにアンドリューは静に息をひきとっていくのだった。

by ssm2438 | 2010-08-13 13:48
2010年 07月 16日

パラダイス(1982) ☆☆

f0009381_21342031.jpg監督:スチュアート・ジラード
脚本:スチュアート・ジラード
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:ポール・ホファート

出演:フィービー・ケイツ

       *        *        *

今日はフィービー・ケイツの誕生日(7月16日)!

フィービー・ケイツもついに47歳(1963年生まれ)になてしまわれました。そんな彼女のデビュー作がこれ。いやああああああああ、チャーミングでした。スレンダーなヌードはみずみずしくてまぶしくて・・。これほどまでに健康的で美しいヌードだと、モザイクやぼかしをかけることも犯罪のような気がする。彼女を堪能するだけの映画でしかないのですが、それだけの価値で充分満足という映画。

物語は『青い珊瑚礁』みたいなものです。男のことと女の子があまずっぱいふたりっきりの青春ラブラブ生活。しかし舞台は中東。中東と聴くとどうしても砂漠をイメージしてしまうが、彼らがたどり着いたのはその砂漠のまんなかにあるオアシスで、水もたっぷりあるパラダイス。
砂漠の部族に襲われてみんなが殺されたりするが、それは物語の段取り上しかたないことと思って血なまぐさいところはさくっと飛ばし、気持ちの良いところだけみよう。

<あらすじ>
19世紀末、バグダッドで医師をしていた父が死んだため、故郷のイギリスに帰ることになった15歳の少女サラ(フィービー・ケイツ)しかし、途中、サラたちのキャラバンは、砂漠の部族に襲われ、生き残ったのはサラと従者のジェフリー、そして16歳のアメリカ人、デビッド(ウィリー・エイムス)の3人だけだった。しかもジェフリーも殺されてしまう。途方にくれた二人は砂漠を歩いていると清水が滝となって噴き出しているオアシスにたどりつく。歓声をあげて二人は水に飛び込んだ。水の洞穴を抜けると、向こうは海だった。その夜、デビッドが弓矢で取った肉を、サラはキャンプ・ファイアでむさぼり食べた。空には星、地上には静かな波の星。二人にとって正にパラダイスだった。家を作り、魚もとった。デビッドがサソリに刺された。サラは一晩中、介抱した。彼が意識を取り戻した時、サラは涙ぐんだ。二人ははじめてキスした。横になり、もつれあい、互いを感じあう。幼くも、情熱的なセックス。来る日も来る日も二人は愛しあった。
再びあの部族が襲ってきた。今や男となったデビッドは勇敢に戦い彼らを撃退した。再び旅に出た二人は再び文明社会にもどっていった。

f0009381_21344835.jpg
f0009381_2135457.jpg


by ssm2438 | 2010-07-16 21:36
2010年 07月 16日

初体験/リッジモント・ハイ(1982) ☆

f0009381_21515216.jpg監督:エイミー・ヘッカリング
脚本:キャメロン・クロウ
撮影:マシュー・F・レオネッティ
音楽:アーヴィング・エイゾフ

出演:
ショーン・ペン
ジェニファー・ジェイソン・リー
フィービー・ケイツ

       *        *        *

これこそ、フィービー・ケイツのオッパイだけしか見るところなし。

脚本は私とテイストがまったく合わない(絶対こいつはホモだ)キャメロン・クロウ。ストーリーも最悪。まったく面白みも何もない。おまけにどうも好きになれないショーン・ペンが主役。なんでこんな映画に私の天使が出たんだ?

しかしそれも妄想シーン。
不思議なもので、妄想シーンというだけで、なんだか存在感がうしなわれるから悲しい。

f0009381_21471180.jpg
f0009381_21471840.jpg
f0009381_21472626.jpg
f0009381_21473563.jpg
f0009381_21474156.jpg
f0009381_21474977.jpg


by ssm2438 | 2010-07-16 20:44
2010年 07月 12日

栗色のマッドレー(1970) ☆☆

f0009381_21354473.jpg監督:ロジェ・カーヌ
脚本:パスカル・ジャルダン/ロジェ・カーヌ
撮影:ジョルジュ・バルスキー
音楽:フランシス・レイ

出演:
アラン・ドロン (ジュリアン)
ミレーユ・ダルク (アガート)
ジェーン・ダヴェンポート (栗色のマッドレー)

       *        *        *

ミレーユ・ダルク、綺麗!

ナタリー・ドロンと離婚したあとにアラン・ドロンが付き合いはじめたのがこのミレーユ・ダルク。当時j、ナタリー・ドロンと別れてどんな女とひっついたんだ??って思っていたが、ミレーユ・ダルクの美しさをみると納得させられた。実はこの映画しか彼女はみたことがなかったのですが、綺麗だった印象がやたらとのこっている。
映画のなかでは、アラン・ドロンと、ミレーユ・ダルクの関係のなかに黒人女性のマッドレーがはいってきて、その関係が崩れていく。私生活でのアラン・ドロンとナタリー・ドロンの私生活に割って入った自分をマッドレーに投影し、ナタリー・ドロンの立場を演じているミレーユ・ダルク。
実はこの作品の原案はミレーユ・ダルクであり、ミレーユ・エグローズのペンネームで書いた彼女の原作をロジェ・カーヌパスカル・ジャルダンが脚本としてまとめ上げたのはこの作品。
作品の性質上、ミレーユ・ダルクの自己肯定がかいまみられるような気がした。

画面も美しく、フランシス・レイの音楽も素敵だった。しかし余談だがモンサンミッシェルをこの映画ではじめて知った。とおい昔、まだ水野晴郎さんの水曜ロードショーであった。
今一度みてみたい映画のひとつである。

f0009381_21361528.jpg<あらすじ>
古美術品の収集家でバイヤーもあるジュリアン(アラン・ドロン)とアガート(ミレーユ・ダルク)は、歴史をしのばせる邸宅からは想像出来ない現代的な愛で固く結ばれていた。ジュリアンは彼女との生活に満足しながらも、夜毎、キャデラックを乗り廻し、ナイトクラブに出没していた。アガートは、そんな彼を責めるるどころか、逆に浮気をすすめるのである。たとえ、どんな女と遊んでも、最後には必ず、彼が自分のところに戻ってくると信じていたからである。
しかし、マッドレー(ジェーン・ダヴェンポート)の場合は違っていた。カモシカのように美しい黒人女性にジュリアンもアガートも魅せられた。やがて、マットレーと肉体関係を打ったジュリアンを見てアガートは彼のいままでの浮気とは違うと直感した。敗北感を感じるアガートは耐えきれずついに姿を消した。
しかし残されたジュリアンもアガートを忘れることが出来ない。そんなジュリアンでは満足できないマッドレーもまた彼の前から姿を消した。
再び再会したジュリアンとアガート。元通りの二人だけの生活を取り戻し、幸福なはずのに、なぜかもう一つ何かが欠けてしまっていた。それはマッドレーのいない空虚感だった。そして、いつしかまたマッドレーが、二人の生活に入り込んできた。3人は仲良く暮らしさとさ・・・。

ミレーユ・ダルク、彼女の一番有名な写真がこれだろう(↓)。
f0009381_2139045.jpg


by ssm2438 | 2010-07-12 21:41
2010年 07月 07日

強制尋問(2004) ☆☆

f0009381_22184794.jpg監督:シドニー・ルメット
脚本:トム・フォンタナ
撮影:ロン・フォーチュナト
音楽:ポール・チハラ

出演:
マギー・ギレンホール (女子大生リンダ)
ブルーノ・ラストラ (アラブ系男性)

     *      *      *

TVMだけど、最近のルメットの中ではちょっと注目作!

まるっきり舞台劇なシチュエーションなので、映画的なエンタテーメントなストーリー展開ではない。その辺が今ひとつ図式的過ぎてあざとさを感じる部分はあるのだが、しかし、怒涛の会話劇である。でも、舞台では、マギー・ギレンホールを素っ裸にして、肛門検査などというシーンは到底つくれないだろう。フィルムだからできるしろものである。

ドラマのなかでは、北京でアメリカの女子大生リンダ(マギー・ギレンホール)が、突然理由も告げられず中国東京に逮捕され、石造りの取調室につれてこられる。一方、ニューヨークでは、アラブ系男性(ブルーノ・ラストラ)がアメリカ当局に逮捕され、とあるビるの一室で女性取調官(グレン・クロース)に執拗な尋問をうける。

シチュエーションは違えど、台詞回しはほとんど一緒という図式でドラマは展開される。

弁護士もつけられないまま、執拗に取調べをうけるリンダ。そして身体検査だと証して「服を脱ぐように命令される」。抵抗しても仕方がないリンダは服を脱ぎ、その状態で再び尋問はつづいていく。人権は無視され、全裸にされ、屈辱と悔しさにまみれ、わけもわからない尋問をうけ、最後は肛門検査と称してゴム手袋をはめた取調官がリンダの肛門に指をいれる。何を調査してるのやら???

同じ展開がニューヨークでも行われている。

とりあえず尋問が終わり、取調官がさった部屋の中で全裸のままたちつくす憔悴しきったリンダ。悔しさにまかせて椅子を蹴りとばす。


ただ、個人的にはこの物語構成は好きになれないなあ。二つの場所で同じシチュエーション、同じ会話というのは図式化されすぎていて、頭の中がこの映画をどう解釈して良いのかわからない状態だった。いまもあまり判っていはいない。
しかし、この映画のマギー・ギレンホールは怒涛の屈辱感をいかんなく表現してくれた。マギーの頑張りに☆ひとつおまけしたかったが、やっぱりそれほど面白いかといわれれば、ルメットびいき過ぎるだろう。

by ssm2438 | 2010-07-07 22:14 | シドニー・ルメット(1924)
2010年 06月 21日

神田川(1974) ☆☆

f0009381_272153.jpg監督:出目昌伸
脚本:中西隆三
撮影:原一民
音楽:佐藤允彦

出演:関根恵子(ミチコ)/草刈正雄(マコト)

       *        *        *

なんでこういうラストになる? 登場人物や作者の人間力のひ弱さを感じてしまう。

70年代の大学生を描いたかなりあまあまなストーリー。しかし・・・、これをみているとやり抜く力を感じないのが悲しい。なんでも、ヒット曲「神田川」を作詞した喜多条忠が、自らの愛と焦燥の学生生活を綴って書き下した同名小説が原作らしいが、「僕たちは頑張ったけど、どうせだめなんだ」が基本にあるような気がする。こういうラストに持っていくこと自体が理解しがたいし、こういうエンディングにすること自体、作り手の生命力のひ弱さを感じずにはいられない。
自分の力不足を嘆いて酔っているだけ・・というか、間接的に「俺たちを不幸にしたのはお前らだ」と大人たちの無理解さを批判しているというほうが正しいかも。でも、じゃあ自分たちでしぶとく生き延びようというエナジーはない。まあ、成人してもだだこねて、大人たちにあまえていたんですね。この時代の作品というのはそういうのが多いことは確かだけど・・。やっぱりこれも、一足遅れてやって来てアメリカンニューシネマの負の影響力のような気がした。あるいは・・・ベルトルッチ・テイストとでもいいましょうか・・、体制に反発しながらも結局は抵抗出来ないやるせなさを感じた。

・・・しかし、画面は良い。きもちょい望遠でつづられた関根恵子草刈正雄のショット、その背景となる70年代の東京を切り取った原一民の画面はとってもいい。そして雪山のなかで関根恵子の肢体はまぶしいばかりに美しい。

<あらすじ>
大学の人形劇サークルに所属している上条真(草刈正雄)は、司法試験に受かって既に一人前になっている兄の高圧的支配と、親からの仕送りのなかで、自立力の乏しい学生生活をしていた。そんな彼が、印刷場に勤める池間みち子(関根恵子)と付き合い始める。
やがて妊娠するみち子。しかし二人の関係に反対の兄は、そんなみち子を産婦人科医に連れて行き、麻酔の間に堕胎手術をうけさせてしまう。兄と決別した真はサークルをやめ、二人の生活を守るために働きながら学生生活を送ることになるが、疲れ果ててかえってくる真をみるのがたえられなくみち子。そんな二人の家計を助けるためにバーのホステスとして働くというみち子だが、それこそ真には耐えられない。理想と現実のハザマで二人はぎすぎすしてくる。
そんなときサークルのチーフとマキシは雪山で自殺する。マキシが真への愛に敗れて自暴自棄になり、チーフの備前がそれに付き合うことになってしまった。二人の遺体を見ながら、みち子はいつか真と離れなければならない自分の運命を悟り、真の「二人で生きよう」との言葉にも、涙にぬれる顔を横にふり続けるだけであった。

こういうエンディングしか描けない原作者の精神にはまったく共感がもてない。超しらけエンディングであった。

by ssm2438 | 2010-06-21 02:07
2010年 06月 15日

遊び(1971) ☆☆☆

f0009381_23333780.jpg監督:増村保造
原作:野坂昭如
脚本:今子正義/伊藤昌洋、潤色:増村保造
撮影:小林節雄
音楽:渡辺岳夫

出演:関根恵子/大門正明

       *        *        *

前半から中盤までを抜けると怒涛の感動が押し寄せる。しかしそれまでがしんどい。

前半はなんとも主役の男(大門正明)が嫌で嫌で、総てにおいて痛々しく、とっととやめようかと思ったが、物語は後半からは驚くほど輝き始める。仰々しい潔さ演出の増村保造の台詞回しが、この作品に関しては違和感があるが、後半はこの言い回しあっての感動なのだろうなあ。

しかし、関根恵子は良い。これみると若尾文子だけじゃなくって、関根恵子でも増村保造作品もっと見たかったなあ。うむむむむむ、惜しい。実にもう少し時代がずれていたら・・って思えてならない。
とにかく二人でホテルに泊まるところからがとてもいい。はじめて好きな女とホテルに泊まった時のあまずっぱい思い出ふつふつと湧き上がってきてなんだかとても気恥ずかしくなってしまう。「風呂に一緒にはいるか?」といわれて断る関根恵子。そのあとひとりではいる風呂。そこでさりげなく隠しぎみに演出しているので、“ああ、こんなものか・・”って思ってたらそのあと寝床での怒涛の決意と覚悟表明、「あなたの好きにして、あなたのものにして」って、そのあとは彼女の肢体は全開、惜しげもなく披露してくれる。

たしかに前半から中盤にかけては痛い映画だったが、このホテルのシーンから最後までは傑作な映画だ。怒涛の増村保造演出と、関根恵子の素晴らしさを堪能させてもらった。70年代崩壊間近の大映にしてみれば傑作にはいるだろう。

<あらすじ>
ダンプの運転手をしていた父は、人身事故を起こして以来飲んだくれ、借金を残して死んでしまった。姉はカリエスで寝たっきり。母の内職だけでは借金の返済もままならず、中学を卒業した彼女(関根恵子)は町工場で働きはじめた。少ない給料を家に送り続けていたが、そんな娘に母はお金をたかりにくる。最後の手段とばかりにキャバレーのホステスになろうと決意し、元工員で今はホステスとして働いているヨシ子に電話を掛けようと電話帳をめくっているとチンピラっぽい男が声をかけてきた。

彼(大門正明)の父親は蒸発し、母親はおでんの屋台をひき、寂しくなると男をくわえこむ。彼も結局かたぎの仕事をやめてしまい、今ではヤクザの子分としてせいいっぱいいきがって生きていた。彼が「兄貴」と呼ぶ男は若い女を連れ込み宿に連れ込んでは犯し、写真をとり、それを売りさばき、逃げられないようにしてはキャバレーかホストで働かせていた。そしてその彼もその手伝いをびびりながらやらされていた。

彼女にとって彼は初めて喫茶店にいったり、映画をみにいったりした男だった。彼にとって彼女は初めて自分に好意をもってくれた女で、最初のスケコマシのターゲットだった。兄貴に指示されるままに、いつもの連れ込み宿に彼女を連れ込んだ彼だったが、彼女の初心さにいたたまれなくなり、見張りの宿のおやじを鉄びんでぶん殴り、彼女をを裏口から連れ出した。

二人は川辺の小さなホテルにたどりついた。兄貴から経費として預かっていたお金でそのホテルに泊まった二人は、生まれて初めて贅沢な食事と風呂を堪能した。彼女は、母のことも、カリエスの姉のことも貧しかった過去もみんな忘れて、彼のものになりたかった。彼は、明日からは一文無しで、ヤクザに追われることになろうとも、彼女だけは渡したくなかった。チキンハートなチンピラ男は彼女を抱くことで男になり、他人のためにしか生きてこなかった彼女は、その男のものになることで、女になった。

・・・・キラキラまぶじいぞ、この映画!

by ssm2438 | 2010-06-15 23:34 | 増村保造(1924)
2010年 06月 11日

弾突 DANTOTSU(2008) ☆☆☆

f0009381_031984.jpg監督:ロエル・レイネ
脚本:J・D・ザイク
撮影:リチャード・クルード
音楽:ジェラルド・ブランスキル

出演:
ティーヴン・セィーガル (マット)
レネー・エリス・ゴールズベリー (ドレア)
ブランチャード・ライアン (リズ)
ポール・カルデロン (ブルー)
ランス・ヘンリクセン (老人)

        *        *        *

最近のスティーブン・セィーガル物の中では、これ、意外といいんじゃないか!

このての話ではありがちなのだけど、全体的にとても高揚感を感じる映画になってる。もと特殊部隊の特殊鋼索引で、その後刑事となった男が、諸事情があり免職、その後酒とギャンブルにおぼれてる。そんなスティーブン・セィーガルのもとに怪しいご老人が接触、法では裁けない悪を闇の世界で葬る仕事を依頼するようになる。まあ、洋物の必殺仕掛人のようなものだ。
しかしセィーガル、ちょっとデブ。もうちょっとやせたほうがいんじゃないか? もうさすがに革ジャンは脱げないだろうなあ。“H”シーンも代役立てないと腹が出てて出来ないだろう。本編のなかにも一応それらしいシーンはあったが、見事に窓越しで抱き合っているだけにしてあった。ありゃあそうとうお腹がたるんでいるとみた。

しかし女性人もとてもいい。エクス・ワイフ役のブランチャード・ライアン(←)はシャーリズ・セロンキャサリン・ハイグルを足して2で割ったような風貌でもんくなく美しい。これからブレイクしてくれれば幸いである。それにパートナーの一人の女性ドレアを演じているレネー・エリス・ゴールズベリーもとても好感がもてる。主人公マット(スティーブン・セィーガル)の娘を演じるリディア・ジョーダンは、実の娘・藤谷文子『ガメラ 大怪獣空中決戦』の草薙浅黄)に似ているから、ちょっと意識して選んでるのかもしれない。

<あらすじ>
コネティカット州ブリッジポート。今は酒とギャンブルにおぼれる元刑事マシュー・コナー(スティーブン・セィーガル)はギャンブルで多額の借金ってしまい、その借金をかたがわりしてくれた素性不明の老人(ランス・ヘンリクセン)と会うことになる。老人はマットがかつて特殊部隊の暗殺チームに所属した伝説の暗殺者である過去を知っており、彼に法で裁けぬ犯罪者の暗殺の仕事を持ちかける。
マットはその老人からの依頼をうけ、北朝鮮の工作員と組んで偽ドル札製造で荒稼ぎするイタリアン・マフィアのブルーノと、その取引相手であるチャイニーズ・マフィアのリンを首尾よく抹殺する。だが、3人目の標的は別れた妻リズ(ブランチャード・ライアン↓)の再婚相手であり、娘(リディア・ジョーダン)の新しい父親で、マットのかつての同僚で親友でもあるスティーヴだった。
マットは、親友であり、娘の育ての親であるスティーブは殺せないと組織を抜けようとするが、スティーブの正体ははやり犯罪者だった。娘を人質にとったスティーブだが、組織の仲間、ドレア(レネー・エリス・ゴールズベリー)や、ブルー(ポール・カルデロン)のサポートもある、彼を始末する。
f0009381_0164626.jpg
f0009381_0165598.jpg


by ssm2438 | 2010-06-11 00:09