西澤 晋 の 映画日記

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2013年 02月 13日

そんな彼なら捨てちゃえば?(2009) ☆☆

f0009381_23343372.jpg原題:HE'S JUST NOT THAT INTO YOU

監督:ケン・クワピス
脚本:アビー・コーン/マーク・シルヴァースタイン
撮影:ジョン・ベイリー
音楽:クリフ・エデルマン

出演:
ジニファー・グッドウィン (ジジ)
ジャスティン・ロング (アレックス)
ベン・アフレック (ニール)
ジェニファー・アニストン (ベス)
クリス・クリストファーソン (ケン)
ジェニファー・コネリー (ジャニーン)
ブラッドリー・クーパー (ベン)
スカーレット・ヨハンソン (アンナ)
ケヴィン・コナリー (コナー)
ドリュー・バリモア (メアリー)

     ×   ×   ×

ちょこちょこ痛い恋愛絵巻、
しかし、そんな本線はおいといてスカーレット・ヨハンソンのむっちり感がすばらしい!!


想いが少し筒すれ違ってる恋人達の恋愛群像劇。
基本ベースは3つの恋愛模様。それを縦線にさりげなくそこに登場する人物が別のストーリーの友達役になってたりする構成で、だったらそれぞれの話を一本にまとめてやれよ!って思うのだが、ま、そこはごった煮の面白さもないわけではなくそこそこ楽しめた。

一つ目の話は、ジニファー・グッドウィンが痛いダメ女ジジを演じる話。「恋人なのに電話がかかってこないのはなぜ?」 「それはあんたが彼を恋人だと思い込もうとしてるが、彼はまったくそう思ってないからさ!」 ・・という、本来はもてない男がよくはまる恋愛パターンである(苦笑)。それを今回は彼女がやっている。ま、高尚にえがけばドストエフスキー『白夜』になるのだろうがそこはアメリカのティーンエイジャーの恋愛ごっこみたいな感じでジジの演技はつづいていく。でもその痛々しい感じがじつにさまになってていい(苦笑)。
とにかく、自分は求められているんだ!と自己肯定するために強制的にいいふうにいいふうに考えようとする。もちろん求められてないことは本人も分かっているのだけど、意地でそう思い込もうとしない健気さがすてき。『アリーmy Love』のイレインより痛い。そのたびにバーの店長アレックス(ジャスティン・ロング)に容赦なくつきつけられる。
このアレックスは恋愛にはまったく興味ないやからで、どちらかというと自分にほれてくる女に冷たくすることで人生を愉しんでいるようなやつ。ジジに対しても、「お前に電話がかかってこないのは、お前がもとめられてないからだ!」って辛らつに言ってのける。
展開的に似はよくあるパターンで、ジジにとってアレックスは辛らつな恋の分析官だが、相手してくれるのも彼だけであり、だんだんと彼を好きになっていく。というか彼が自分のことを好きになってるんだと思い込もうとする。でも現実派「勘違いするな!」とあしらわれ、でも最後はどうやらアレックスも彼女が好きになったみたいで彼女をもとめてドアのベルをならす・・という話。

そのジジの会社の同僚が嘗ての美少女ジェニファー・コネリー演じるベス。またこれが痛いんだ。
ベスは、大学時代で一緒だったベンという男と結婚しているのだが、息が詰まるほどの正論だけを押し付けるタイプ。融通性が全くないタイプ。自分が批難されることがもっとも嫌いで、社会的な倫理・モラルは必ず守り、そのことで自己防衛してるタイプ。そして同様にそれを相手の男にも強制する。なので2人のせいかつはイバラのような時雰囲気。ついにベンもフラッと他の女に安らぎをもとめてしまう。その相手がスカーレット・ヨハンソン。そらスカーレット・ムチムチ・ヨハンソンと“H”できたら世界中のほとんどの男はそれだけで幸せですよ。
いやああ、彼女ほど魅力的な女はそういない。顔はぽっチャりけいなんだけどどこかツンツン系、身体は幼児体形で短足、スタイルがいいとはとてもいえない。あえて言うなら『ゴルゴ13』を描いてるさいとうたかおが描く昭和の女のような体形である。んが、そのアンバランスがいいんだ。彼女ほど全部の要素がアンバランスで捉えようのない人ってのはなかなかいないんじゃないかな。
結局は、やっぱり奥さんを捨てられないベンに嫌気をさして彼の元をさることになるヨハンソン。
一方ベンもいろいろあったが、ジェニファー・コネリーが自分をイヤになって判れることに。ここの解釈は分かれるかもしれないが、私はソウ思った。タバコは吸わないっていってたベンがタバコを吸ってることが分かりそれを気に逆上するのだが、おそらくそんな自分にうんざりしたのだろう。いつも、「私は正しい、間違っているのは私じゃない誰かよ!」理論なのだが、それが自分の自信のなさから来る臆病さであるあることに気づいて一人でやり直すきになったのだと思いたい。

三番目の話はベン・アフレックジェニファー・アニストンの話。スカーレット・ヨハンソンの友達なのがドリュー・バリモアで、その会社の同僚なのがジェニファー・アニストン。
ジェニファー・アニストンは7年間同棲してる彼=ベン・アフレックがいるが、彼はどうしても結婚したがらない。彼女は結婚したい。誠実だ結婚したがらない彼にたいして怒り爆発、ついに別居状態になってしまう。ただ、ここで出てくるなかでベン・アフレックはまともすぎるくらい誠実で彼女だけを想っているという理想の男。ただ、結婚はしたくない・・。この2人の関係は、まあ、まともすぎてあまり語ることはないのだが、最後はジェニファー・アニストンが「結婚できなくても、やっぱりあなたが一番いいわ」ということでよりを戻す決心をすると、ベン・アフレックもプロポーズする・・という流れ。
個人的にはこれだと出来すぎてるので、ここは結婚しないままいって欲しかった気がする・・・。

で、もうひとつささやかなつながりとしては、スカーレット・ヨハンソンの心の友となってるのがケヴィン・コナリーで、でも、最後まで「あたなは良い人よ」で終わってしまう。彼はスカーレット・ヨハンソンにとって居心地のいい相手だけど、決して恋愛の対象にはなってないという可愛そうな男である。
そんな彼が、ネットで知り合ってやり取りをつづけてたのが実はドリュー・バリモアだった。そして最後にはじめあって、なんだか幸せな予感・・でおしまい。

どんなに好きでも他人は他人なので、自分の想うような存在ではない!というのを受け入れつつ恋愛するしかないよね・・って話でした。

by ssm2438 | 2013-02-13 23:35
2012年 12月 16日

砂漠でサーモン・フィッシング(2011) ☆☆☆

f0009381_1863866.jpg原題:SALMON FISHING IN THE YEMEN

監督:ラッセ・ハルストレム
脚本:サイモン・ボーフォイ
撮影:テリー・ステイシー
音楽:ダリオ・マリアネッリ

出演:
ユアン・マクレガー (アルフレッド・ジョーンズ博士)
エミリー・ブラント (ハリエット・チェトウォド=タルボット)
クリスティン・スコット・トーマス (パトリシア・マクスウェル)
アムール・ワケド (シャイフ・ムハンマド)

     ×   ×   ×

脚本がすばらしい!

『スラムドッグ$ミリオネア』でアカデミー脚本賞とったサイモン・ボーフォイの脚本。近年まれに見る気持ちの良いシナリオで話術の巧みさには感動させられましした。
狙ってカッコイイ言葉を連打してそれで良い脚本だと勘違いしてる大ばか者がおおいなかで、サイモン・ボーフォイの言葉は自然な感じなのだけど気持ちをその気にさせていく語り口が上手い! 脚本家の真骨頂をみせていただきました。
「イエメンの川で鮭を釣りたい」という中東の富豪の戯言をきかされた主人公の水産学者が、やってるうちにそれが戯言ではなく本気の話で、そして彼自身も、それがやれるんだと信じるようになっていく。そのプレセスの言葉が素晴らしい。

監督は『マイライフ・アズ・ドッグ』ラッセ・ハルストレム。いい脚本にめぐりあって久々のヒットです。ただ、欲を言うなら、もうちょっとアピールするところは見せてくれてもよかったのに・・とは思うかな。鮭がその川を大挙して上っていく高揚感あふれるシーンはもうちょっと見せて欲しかったなあ。このシーンで感動をもってきそこねたのはやや残念。
観てる人にきちんと「放流した鮭は川上に向かっていくべきものだ」という概念をもうちょっときちんと埋め込んでほしかったかな。さらに、上流にもうすこし村とか人々の社会空間を設定して、川をのぼる鮭をみて驚く・感動するなどのリアクションをもっと積んで欲しかったかな。それをみて感動するひとがそのプロジェクトに携わった人だけだと今ひとつもりあがらない。主人公のまわりだけじゃなくって、イエメンの社会も巻き込んで感動してほしかったかな。悦びをみんなでシェアする技はハリウッドでつくったほうが上手いかもって思った。。。

もひとつ、個人的にはユアン・マクレガー側の夫婦問題は物語から省いたほうがシンプルでよかったような気がしたが、どうだろう。どうもあそこだけ物語に意味なく暗い影をおとしたような・・・。普通に独身の生物学者って設定で気持ちよく物語をまとめて上映時間をもうすこし削りつつ、鮭の描写をもうちょっと時間つかったほうがよかったと思うが・・・。

<あらすじ>
英国の水産学者ジョーンズ博士(ユアン・マクレガー)のもとに、砂漠の国イエメンの富豪シェイフ(アムール・ワケド)の運営する企業の投資コンサルタント・チェトウォド=タルボット(エミリー・ブラント)から、突拍子もない仕事の以来のメールをうけとる。イエメンで鮭釣りができるようにしてほしいというのだ。あまりに荒唐無稽な話に、鮭の産卵・生息環境としては温度が低く、酸素をふんだんに含んだ川が必要であることをあげ、イエメンにはそんな川はありえないと突っぱねる。
一方、英国政府は中東との関係が怪しくなっており、なにか友好的なイベントはないかと探していると、この話にでくわしこのプロジェクトを強行に推し進めていくことになる。クビかこのプロジェクトを引き受けるか迫られたジョーンズはしぶしぶこの仕事を了承、シェイフにたいして法外な予算と鮭の輸送手段、そして巨大なダムをつくった中国の技師たちとの謁見を要求する。しかしいとも簡単にそれを実行してしまうシェイフ。どんなやつだとあってみれば、これが人徳豊かな誠実な人。最初はナンセンスだとおもっていたこのプロジェクトも、彼の言葉を聴いていると「もしかしたら出来るかもしれない」と思えるようになってくるジョーンズ。
シャイフは鮭を放流する川の上流に巨大なダムを建設、雨季に蓄えられた水で川にはつねに綺麗な水を供給できるようにしていた。
しかし、総ての環境はととのえられたとして、イエメンに空輸する鮭1万匹はどうする? 英国の環境団体は、そんな途方もない話に英国の鮭1万匹など提供できないという。あえなく、養殖の鮭でそれをまかなうことにする。しかし、養殖の鮭がを放流しててもその鮭が川の流れに逆らって川を上り、ほんとに産卵するのだろうか? そして1年後にまたもその川にもどってくるのだろうか? 一抹の不安を抱えながらもジョーンズは養殖の鮭をイエメンの川に放流する・・・。

最後はもうちょっと上手くまとめられたのでは?とも思うが、でも気持ちよく、爽やかに泣かせていただきました。

by ssm2438 | 2012-12-16 18:06 | ラッセ・ハルストレム(1946)
2012年 07月 16日

恋はデジャ・ブ(1993) ☆☆☆

f0009381_22184470.jpg監督:ハロルド・ライミス
原案:ダニー・ルービン
脚本:ハロルド・ライミス/ダニー・ルービン
撮影:ジョン・ベイリー
音楽:ジョージ・フェントン

出演:
ビル・マーレイ (フィル)
アンディ・マクドウェル (リタ)

     ×   ×   ×

『素晴らしき哉、人生!』の派生系の物語になるのかもしれないが、料理の仕方が実に上手い。

全然関係ないのだが、この映画にでてくるウッドチャック(学名モーマット)という動物、しらべてみると、なんと!!!子供の頃みた『山ねずみロッキーチャック』の主人公はロッキーはこのウッドチャックと呼ばれる動物だったとか。世の中には知らなかったことが多いなあ(笑)。

とにかく話の基本設定がユニークだ。
テレビの人気天気予報官フィル(ビル・マーレイ)は、番組プロデューサーのリタ(アンディ・マクドウェル)、キャメラマンのラリー(クリス・エリオット)と共にとパンクスタウニーという田舎町を訪れる。この町では、毎年2月2日に冬眠からさめたウッドチャックが春の到来を占うという儀式がおこなわれており、各局のテレビ局がこの地に取材班を派遣していた。とりあえず取材をすませたフィルたち一行は地元局のあるピッツバーグに帰ろうとするが、雪に阻まれてもう一泊することになった。しかし・・・、フィルが6時に目を覚ますと、その日はまたしても2月2日の繰り返しだった・・・。
都合のいいトリックは、周りの世界は同じ日を繰り返しているが、主人公のフィルだけは経験値が貯蓄されていくというもの。

これは「待った」が永遠につかえるという条件で、ド素人が羽生名人に挑む名人戦のようなものだ。
初日が終わって、二日目、気づいてみると、主人公にとっては再び1日目なのである。1日目の大局で妙手を打とうが、握手を打とうが、翌日はやっぱり1日目の朝から繰り返し。これだと負けることはないが、2日目がない以上勝つこともない。明日がないことに絶望して自殺もしてみるが、やっぱり次の日は1日目の繰り返し。

2日目がないのなら、1日で勝ちきるしかない。
この物語においては、それまで好きだったリタの心を1日でものにすることなのだ。

「前日はあの2五銀から悪くなった、じゃあ、今日はそこを3一飛車でいってみよう」・・という具合に、前日不利になった手を回避し、別の手を選択できる(映画では朝からその手間の時間は省略してあるので、同じシーンを何度もみせられることはない)。しかし、それを繰り返している間に相手の思考、趣味、何を「よし」とするのかなどの価値観が判って来る。
しかし相手は羽生名人、なかなか勝たせてくれない。なので今度は一気に戦法を変えてみる。一から振り飛車を勉強し始める。端のほうで死にそうになってる「歩」の命もすくってみる。戦場に参加してないで使い古された「と」も大事にあつかってみる。そんな日々、そんな対局を毎日繰り返していると、次第に「美しい将棋」がさせるようになり、最後は羽生名人に勝ってしまう・・というお話。
めでたし、めでたし。

物語構成的には実におもしろい。ぼおおおおおおおおおおと見るには面白い。
難を言うなら、善の価値観がかなり記号的であり、主人公がおいつめられることのない状況で戦っているところか・・・。永遠に「待った」が使える将棋ゲームをやっているようなプレッシャーのなさが、現実世界で戦うことを避けている人にはうけるかもしれない。しかし私自身は「余裕のある人のゲーム」にはそれほど価値観を見出さないので☆3つにとどめておくことにした。

by ssm2438 | 2012-07-16 22:19
2012年 06月 27日

兄貴の恋人(1968) ☆☆☆☆

f0009381_1203589.jpg監督:森谷司郎
脚本:井手俊郎
撮影:斎藤孝雄
音楽:佐藤勝

出演:
加山雄三 (北川鉄平)
内藤洋子 (北川節子)
酒井和歌子 (野村和子)
白川由美 (バーのママ・玲子)
岡田可愛 (小畑久美)
中山麻理 (中井緑)
ロミ山田 (ピアノの先生・藍子)

     ×   ×   ×

でこすけ! でこすけ!でこすけ!

いやあああああああ燃えました。すげええええええ面白い。いちいち提供されるシーンが燃える。いままでこんなに愉しんで日本の恋愛映画をみたことがない。増村保造『くちづけ』も相等面白いとおもったが、久々にそれ以上にわくわく、にやにやして映画を見られた。感動しまた。すばらしいです!! 大傑作です。

お話は、各方面のお姉ーちゃんから愛される加山雄三が、結局一番平凡そうな酒井和歌子を選ぶという、まあ、ある意味シンデレラストーリーの王道なのですが、いやいやいやいや、これがなかなかどうして大傑作なのである。
最初は、総てにおいて感情移入に乏しい主人公に、もうちょっとなんとかならんのかって思ってたのですが、とにかく彼を取り巻く女性陣がみなさん素敵。酒井和歌子の薄幸そうな可憐さが図抜けてますが、内藤洋子の直線的な愛情表現もすばらしいです。あとバーのママさんの白川由美さん。みんながみんな良い味だしてます。

監督は『日本沈没』『復活の日』『八甲田山』『海峡』森谷司郎。フィルムのテイストの趣味があうのか基本的に好きな監督さんなのですが、若い頃の青春モノはじつはこれが初めて。以前から「良い」とは聞いていたのですが、どちらかというと社会性のあるものを撮ってもらったほうよいかなと思ってたので、青春モノ系は食わず嫌いしておりました。
映画的な趣味が近いのでしょうね、どんなにハズレな映画でもみてて気持ちがよいのです。『海峡』なんてはっきりいってかなりシナリオ段階でぼろぼろで、出来上がった映画もかっこつけたけど空回りしてるような部分があるのですが、この人の描きたいものがなにか趣味が合うのです。ダメなんだけど好きなのです。
この映画は、主人公のそっけなさ以外は総て素晴らしいです!!!! 加山雄三が「結婚してくれ」って言う時に内藤洋子のピアノを弾いているシーンをOLするのはちょっとハズした感があったけど、それ以外はすばらしいです。あと唐突にレズシーンが入るのも「ええ、なにこのチェンジ・オブ・ペースは!?」と思っちゃいましたが、それ以外はすばらしいです。

その面白い物語を撮っているのが斎藤孝雄。いわずと知れた黒澤組の撮影監督さんです。なのでもちろん望遠でがしがし撮ってくれます。でも、『乱』とかのような仰々しいものじゃなくって、都会の中の望遠の風景画また素晴らしいのです。なにからなにまで素晴らしい画面です。
国鉄の中央線がオレンジで、山手線が黄緑です! またこれを望遠で撮ってくれるから嬉しくなります。
内藤洋子のバックにはいってくる船のカットは傑作です。すばらしい!!! この人のカメラがあったからこその、この映画はこれだけの傑作になったのでしょう。正直なところ、黒澤明作品の作品でこの人が撮影監督やったものは、実はそれほどときめいてなかったのです。どっか押し付けがましいいやらしさがあって、参考画面にはなるのですが、好きになれなかった。ところが、森谷司郎の監督作品での斉藤さんのカメラはすばらしい。どの画面も燃えます!

ヒロインの酒井和歌子さんがまた可憐でいいんだ。兄貴はチンピラで、なにかと親に金をせびりにくる。母はかなりくたびれモードで、重病人というわけではないが、世話しなければいけない・・という雰囲気をもっている。うちは貧乏そうで、6畳くらいのアパートに2人で住んでいる。物語の初めに、主人公のいる銀座の会社を辞めるのだけど、その後は叔父のやってる川崎のパブで働いている。実に不幸な状況を甘んじて受けて絶えてる可憐なヒロインなのです。

そしてもう一人のヒロインが、加山雄三の妹役の内藤洋子。『赤ひげ』の最後で結婚することになった彼女です。兄のことが好きで、兄に必要とされてる状況が至福の時・・みたいな女の子。兄にお見合いの話がもちあがると、なにかと相手に人に難癖つけてる姿が可愛い。お見合いの日にはピアノのレッスンにも気持ちがはいらない。

物語の構造はしっかりしているのも見易い。刺激ポイントが分かりきってるのがとても素敵。
加山雄三にしてみれば、妹は可愛いけれど、所詮は妹。でも、その妹に彼氏が出来るかもしれないとうシチュエーションにはやや気分がよろしくない。
加山雄三の本命になるのが酒井和歌子で、お互い両想いなのだけど、酒井和歌子は家庭環境に劣等感を感じていて加山雄三のプロポーズを受けえられない。さらに、自分のことをずっと大事に思っていてくれている同じアパートに住む男もいる。見ているわれわれからすると気が気ではない。
このまだ現実には起こっていないが、起こりそうで「気が気ではない」シチュエーションの挟みかたが非常に物語を楽しくさせてくれるのである。

<あらすじ>
銀座の商社につとめる北川鉄平(加山雄三)は、両親と妹節子(内藤洋子)となに不自由なく普通にくらしているサラリーマン。しかし、やたらと某会社の娘さんからの縁談があるといううらやましい環境。しかし女子大生の節子は、鉄平に縁談がおきると、本人よりも目の色を変え、相手に散々ケチをつけまくる反面、兄の精神的な部分を世話している自負も持ち合わせている。以前会ったことのある鉄平の会社の女子社員の野村和子(酒井和歌子)が会社を辞めることになと、仕事を引き継ぐ小畑久美(岡田可愛)と鉄平と自分とで、ささやかなお別れ界などをセッティング、ちゃんとプレゼントも買わせる世話女房ぶり。しかし、鉄平はその時仕事仲間に麻雀をさそわれ、お別れ会をすっぽかしてしまう。
和子はひそかに鉄平のことを想っていたが、家庭環境に劣等感をもっており、自分はふさわしくないと思い込もうとしていた。和子が働いているパブに飲みに来た鉄平にも、自分のいる環境はあまり見られたくない様子。
そんなおり、取引会社の社長の娘・中井緑(中山麻理)との縁談が持ち上がる。結婚相手としては申し分のない相手であり、同時にアメリカ行きの話しももちあがる。しかし、緑との結婚のことを考えると和子のことが想われてならない鉄平は、その旨、緑に伝え、和子に結婚を申し込む。断られる鉄平。しかし彼女の働くパブを訪れ再び求婚するが、和子の兄のケンカに巻き込まれ入院するはめに。アメリカ行きもパーになってしまう。
やがてアメリカ行きの変わりに九州支社に転勤がきまる鉄平。
出発の日、節子は節子は和子に会いに行き、自分の心に対して素直な結論を出すように説得するのだった・・・。

最後の和子と節子の話の内容もなんか素敵なんだ。
相手のためを想って・・とかいう偽善的なものではなく、自分が納得したいからそう語っているところがいいんだ。
自分はいつか兄をあきらめなければならない時が来る。でも、そのとき育ちが良さげな相手だからという結婚ではなく、お互いが好きで結婚するのでなければ、自分が納得できない・・・。自分が納得したい・・・。そうしないと、兄も不幸になるし、私も不幸になる。
そんな、エゴが入ってるところがすっても素敵!

これを機に、森谷司郎初期作品漁りに励みたいと思います。

by ssm2438 | 2012-06-27 12:02
2012年 06月 04日

ミッドナイト・イン・パリ(2011) ☆☆☆☆

f0009381_2247380.jpg原題:MIDNIGHT IN PARIS

監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:ダリウス・コンジ

出演:
オーウェン・ウィルソン (ギル・ペンダー)
レイチェル・マクアダムス (婚約者イネズ)
カーラ・ブルーニ (美術館ガイド)
レア・セドゥー (懐メロレコード屋のガブリエル)
マリオン・コティヤール (アドリアナ)
トム・ヒドルストン (F・スコット・フィッツジェラルド)
コリー・ストール (アーネスト・ヘミングウェイ)
キャシー・ベイツ (ガートルード・スタイン)

     ×   ×   ×

カートルード・スタインは、ジーナ・ローランズ希望なんですけど・・・。
ジェラルディン・ペイジでもいいですけど。デブになったダイアン・ウィーストでもいいなあ。フィッツジェラルドの奥さんは、若き日のミア・ファーローにやって欲しかったぞ!!!


いやあああああ、よかった。21世紀のいまのところウディ・アレンの最高傑作だろう。
そういう私も実はパリ大好き人間で、TOEICは900点オーバーとってもアメリカには行ったことがなく、ひたすらパリビ贔屓なのである。パリはいいやね。実存主義あり、印象派あり、ロダニズム在り、私に文化的遺伝子を活性化させてくれる要素つまってる。

この映画のなかでは、映画のシナリオライターやってるギル・ペンダー(オーウェン・ウィルソン)が、婚約者と訪れたパリを訪れる。しかし婚約者とも、その親ともイマイチ波長が合わず、さらに婚約者の彼女のまえに大学時代の昔の彼が登場。そんななかで精神的に蚊帳の外の彼が、パリの夜中をぶらついてると嘗てにビッグネームの文豪や画家に会うというというファンタジー。ただ、それだけの話なのだけど、話の盛り上げ方が上手い。

物語の構成からいうと、起承転結ストーリー。
映画の物語構成は2種類ある。ひとつはハリウッドご用達の第一、第二ターニングポイント方式。これは、はじまってから30分間で主人公がドラマに巻き込まれる。『ロッキー』でいうなら、アポロからの挑戦を受け入れる羽目になるところか。物語の後半にもう一つターニングポイントが用意され、そこでは、主人公がそれを成し遂げないと本人の存在意義が消滅してしまうという、それを解決しないと自分が滅びるという生きるか死ぬかの戦いに突入する。
もう一つが日本古来の起承転結方式。一度目のマジックやってみました。2度目のマジックやってみました。調子にのって3度目のマジックやってみたらとんでもないことになってしまった。そして最後は命がけでそれをやっつけないと・・という構成。スティーブン・キングなどは起承転結方式を採用している。
この『ミッドナイト・イン・パリ』もどちらかというと、起承転結方式を採用しているといっていいだろう。
やっぱりこの展開は味わい深い。

彼女や彼女の両親や彼女の友人などとそりが合わず、疎外感を感じている主人公。そんな彼がパリの夜の街をさまよい歩いてると満ちに迷ってしまい、そんなところに、1900年代にはしっているようなクラシックカーが現れる。乗っている人間はなんだがのりがよく、「いいから乗れ乗れ」という感じで拉致られてしまう主人公。いった矢先のバーには、コール・ポーターや、『グレート・ギャッツビー』の原作者フィッツジェラルドに会う。最初は半信半疑だがどうやら時空を越えて1920~1930年あたりにトリップしているらしい。そこには主人公が憧れるアーネスト・ヘミングウェイもいる。彼がパリにいたのは1921~1928年までの間なのでその間のどこかの時間であろう。
小説を書いている主人公君はヘミングウェイに自分の今書いている小説を読んで欲しいという。明日持ってくるといって店を出るが、約束をコンファームしようともどってみると、そこはコインランドリーである。

トキメキの夜の出来事を婚約者の彼女に伝えたいと思い、夜中まで彼女をその場所で待たせるが、あのクラシックカーは来ない。ぐれて帰ってしまう彼女。しかし真夜中の鐘がなると昨日と同様に嘗ての異人達をのせた旧式のルノーが通りかかる。そして起承転結の「承」のパートに展開する。
この語り口の上手さが問答無用に上手い。

やがて主人公は後期印象派の画家たちやパブロ・ピカソやその愛人・アドリアナ(マリオン・コティヤール)と出会う。彼女が夢想の世界でのヒロインとなる。彼女のドラマ上の役割は懐古主義の認識。
主人公が、「この時代はすばらしい」と思っていた1930年代のパリにいってみると、その世界板アドリアナは、それ以前の世界ゴーギャンロートレックの時代が素晴らしいといい、その時代にトリップすると、そこから帰りたくないという。
今の世界で「自分は競争力がない」と自覚したものは懐古主義に走りがちであるが、それは本来も求めるべきものはないよ!っと言ってのけてしまうウディ・アレン。すばらしい!!!!!!!

結果的には、主人公はパリの街で出会った、過去のアートに美しさを見出すガブリエルという女の子と同じ価値観をシェアし、彼女と現代で生きる流れを選択するという方向性におちつく。
きわめて美しい終わり方だろう。ウディ・アレンの完成されて作風が見事に展開された映画であった。

しかし、私にとってのウディ・アレンのベスト’ブ・ザ・ベストはやはり『インテリア』であり、あの画面の素晴らしさ、物語の切実さにくらべると、やはり穏やかになったなと思えてしまう。『カイロの紫のバラ』的なムードを感じる。
当時、世間ではこの『カイロの紫のバラ』とか『ハンナの三姉妹』とか、けっこう評価されてたのだけど、個人的には『インテリア』ほどのインパクトはなく、技術的な安定期に入ってしまったかなという感じであり、その後のウディ・アレンはやや低迷してたのだけど、この映画で浮上し、技術的な安定期初期の時代までもどったかなという気がした。でも、『インテリア』ほどのとげとげしさはないなあ。
チェッカーズの唄ではないが、

♪ナイフみたいにとがっては、触るもの皆、傷付けた~♪

っていうあの切実な劣等感の爆裂を見てしまうと、穏やかさがいまひとつ物足りない。。。。

・・・・しかし、ウディ・アレンっていい娘をみつけてくる。
今回敵役のヒロインとなってるいレイチェル・マクアダムスは素晴らしい。ガイ・リッチーの『シャーロック・ホームズ』のアイリーン役の彼女なのだけど、美貌ははちきれている。レコード屋のお姉ーちゃん、ガブリエルを演じたレア・セドゥーもいい。彼女にはマリエル・ヘミングウェイを見たね。『マンハッタン』の時のマリエル・ヘミングウェイ(アーネスト・ヘミングウェイの実孫である)の純朴さがいい。
フィッツジェラルドの奥さんは、若き日のミア・ファーローにやって欲しかったぞ。パブロ・ピカソの愛人は若き日のダイアン・キートンにやって欲しかった・・ということで整理した。

時空をこえた私の希望の配役

ギル・ペンダー=ウディ・アレン
あっちの世界の恋人アドリアナ=ダイアン・キートン@『アニーホール』/『マンハッタン』
こっちの世界の恋人ガブリエル=マリエル・ヘミングウェイ@『マンハッタン』
婚約者イネズ=シャロン・ストーン@『スターダスト・メモリー』
美術館ガイド=シャーロット・ランプリング@『スターダス・トメモリー』
F・スコット・フィッツジェラルド=ロバート・レッドフォード@『華麗なるギャッツビー』
ゼルダ・フィッツジェラルド=ミア・ファーロー@『華麗なるギャッツビー』
アーネスト・ヘミングウェイ=ウォーレン・ビューティ@『レッズ』、このころダイアン・キートンと付き合っていた。
ガートルード・スタイン=ジェラルディン・ペイジ@『インテリア』/ジーナ・ローランズ@『私の中のもう一人の私』

・・・で,
ぜひやって欲しかった。
というか、ウディ・アレンはこの配役を絶対意識してると思う。
もっとも、イネズに関しては、レイチェル・マクアダムスでもすばらしいけど、心の中のホントはスカーレット・ヨハンソンだったと思うが・・・。




ああ・・・、男って、なんで認められたいんでしょうね・・・・・。
それを「恋」っていうのでしょうか?

ああ、劣等感を感じよう。
勉強しよう。
恋をしよう。

by ssm2438 | 2012-06-04 22:45
2012年 03月 18日

教授と美女(1941) ☆☆☆

f0009381_1145894.jpg原題:BALL OF FIRE

監督:ハワード・ホークス
原案:ビリー・ワイルダー
    トーマス・モンロー
脚本:チャールズ・ブラケット
    ビリー・ワイルダー
撮影:グレッグ・トーランド

出演:
ゲイリー・クーパー (バートラム・ポッツ言語学博士)
バーバラ・スタンウィック (シュガーパス・オーシィエ)

     ×   ×   ×

ヤムヤム・・・素敵!

しかし、物語の基本設定だけですでに素晴らしい。
モノネタは『白雪姫と7人の小人』。それを大人の世界にアレンジしているロマンチック・コメディ。

ある財団が、新しい百貨辞典を作るために8人の学者をあつめる。ゲイリー・クーパー扮する主人公のポッツ博士は言語学者。他にも、数学者、生物学者、歴史学者、植物学者、法律学者‥など、それぞれの専門分野をカバーする7人のご老人学者たちがあつめられている。しかし、あまりにも長い間世間から隔離された環境で仕事に従事してたため、世間知らず状態に陥ってる。
そこに登場するのがゴミ回収業者の男。彼の話すスラングをきいていると、ポッツは今自分が取り組んでいる言葉が既に流行おくれの言葉になりかけていることに気づく。これではいけない!と街にととびだすホップ。
街角で働く人々や若者の言葉をメモしてあるくうちに、あるミュージック・ホールに入り込む。そこの歌姫バーブラ・スタインウィックの言葉使いに魅了される。ポッツは彼女の楽屋をたずね、現代のスラングに関して研究しているので、一度屋敷にきてくれと頼む。しかし、そんなことに興味のないオーシィエは名刺だけうけとって返してしまう。

ゲイリー・クーパーとバーバラ・スタンウィックはフランク・キャプラ『群衆』でも共演していた。この映画のバーバラ・スタンウィックはかなり勢いのある新聞記者で好感度が高かったのだが今回はショーダンサー。おっとおおおお!!なんだか当時としてはかなり色っぽいぞ! 
実は戦前~戦中のハリウッドの女優さんの中では彼女が好きなのである。すっごい華やかさや気品があるわけではないのだが、親しみ易い素直さがあると感じる。そんな彼女が今回はショーダンサーなんぞやって、やたらと肌の露出もおおい服をきているので年甲斐もなくどきどきしてしまった(笑)。
しかし『ブレードランナー』のようなショーンヤングの髪型はいただけない。ま、当時はそれがお洒落だったのかも知れないが・・・、今見るとかなりはずしてた(苦笑)。ただ、中盤からは普通にみられる髪型なのでしょっと安心。。

オリジナル脚本と脚本はビリー・ワイルダールビッチ譲りの軽妙なトークが約束されている。この作品の素晴らしいところは、下世話なトークというのではなく、洗練された構成と上品な言葉で展開されるシチュエーションコメディのきもちよさ。
監督のハワード・ホークスは、ハードボイルド系からスクリューボール・コメディまでこなす職人肌の監督さん。どの話もきわめてまじめにきちんとつくるという印象である。ただ、この人のスクリューボール・コメディはまじめというか、誠実というか・・、悪く言えばちょっと退屈なのである。『ヒズ・ガール・フライデー』などは彼の代表作と言われるスクリューボール・コメディのひとつだが、個人的には、後々製作される『フロント・ページ』『スイッチング・チャンネル』とくらべると今ひとのりが良くないと感じてしまう。
おそらくそれは、ホークスが感情移入を引き出す能力にやや欠けているからだと思う。ホークス自身も「自分を職人監督だと割り切っており、ストーリーを語っているに過ぎない」と述べているそうだが、その登場人物になりきって感情をひきだそうという見せ方ではなく、シナリオで提示されている状況をフィルムに置き換えていくだけの監督さんという印象なのだ。
本作は、ビリー・ワイルダーのシナリオが素晴らしいのだけど、ゲイリー・クーパーがバーバラ・スタンウィックに惚れていく過程が感情移入できないまま、そうなってしまったので「あれれれ・・」とちょっと感情がおいけぼり状態。物語自体の面白さで愉しく見られるが、フランク・キャプラだったらもうちょっと感情移入を引き起こした状態で物語を面白くできたんじゃないかと思ってしまった。

<あらすじ>
言語学者のポッツ博士(ゲイリークーパー)は、百科事典をつくるためにある財団に雇われ、他の7人の博士たちとその制作に携わっていた。もう何年もそれぞれの専門分野に没頭し、俗世間とは距離をおいた彼等は純正培養の「いい人」たちだった。そんな環境の中にミュージックホールで、ブギ(boogie)を歌う俗人オーシィエ(バーバラ・スタンウィック)が居候することになる。

しかし彼女は、ある殺人事件の容疑者であるギャングのボス、ライラックの婚約者だった。その殺人事件の偽装工作に彼女のガウンが使われていたため警察も彼女は、ライラックの言割れるままにしばらく身をかくさなければならなり、選んだ潜伏先がポッツたちの屋敷だった。
長年女性との付き合いなどなかった7人の初老学者たちはささやかに色めきたつ。それはポッツとて同様であり、彼女の自由奔放な態度にどぎまぎしてしまう。規律正しい生活が彼女のために狂わされていく。このままでいけないと感じたポッツは、理性をはたからせて彼女に出て行ってもらうことにするが、事情がそれを許さないオーシィエはヤムヤム攻撃でポッツの理性を撃沈。舞い上がったポッツは彼女にプロポーズしてしまう。
オーシィエは重要参考人であり、各方面に指名手配されているのだが、ギャングのボス・ライラックはこのシチュエーションを利用して、オーシィエを隣の州に脱出させる。「病気で動けない母のもとでの結婚式をあげようとしている女性、それも夫になるのは学者先生、その友人たちは世間知らずのおじいちゃん学者たち」なら州境のガードマンも甘くなるだろうというのだ。作戦は成功した。
やがてライラック登場・オーシィエは彼とともに去っていく。総ては偽装工作だと知らされたポッツと7人の学者たちは現実に引きもどされる。絶望したポッツたちはふたたび百科事典の制作に取り掛かろうとしたときライラックの部下の2人が彼等の銃をもって乱入してくる。
すでにポッツの誠実さに心を動かされていたオーシィエは、ライラックとの婚姻を拒絶しているらしい。ライラックは、もし結婚しないならポッツたちを殺すと脅しているようだ。
銃でおどされて身動きとれない教授たちだが、彼等には分らない専門用語を巧みに使い、意思疎通を図り、逆襲の計画を準備し実行していく。このプロセスが実に楽しい。ライラックの部下2人を倒したポッツと7人の学者達はオーシィエの結婚式の会場に乱入、警察もかけつけ一件落着となる。

by ssm2438 | 2012-03-18 11:57 | ビリー・ワイルダー(1906)
2012年 01月 17日

サンキュー・スモーキング(2006) ☆☆☆☆

f0009381_12181964.jpg原題:THANK YOU FOR SMOKING

監督:ジェイソン・ライトマン
脚本:ジェイソン・ライトマン
撮影:ジェームズ・ウィテカー
音楽:ロルフ・ケント

出演:
アーロン・エッカート (ニック・ネイラー)
キャメロン・ブライト (ニックの息子・ジョーイ)
マリア・ベロ (ポリー・ベイリー)
ロブ・ロウ (ジェフ・マゴール)
ケイティ・ホームズ (ヘザー・ホロウェイ)
ウィリアム・H・メイシー (フィニスター上院議員)
J・K・シモンズ (BR)
ロバート・デュヴァル (ザ・キャプテン)

       *        *        *

そうだ! 多数の意見に属してて何が楽しいんだ!?

タバコ天国の日本ではかなりうといことだが、海外でのタバコ事情は、かなり厳しいものでだ。公共の場でタバコを一本なんてのはかなり顰蹙な行為だし、F1だってタバコの広告をだせないのでマルボロのロゴをバーコードにしないと走らせてもらえない国がある。タバコの健康被害を危惧する国際世論の高まり、バッシングの対象となる。クリーンが心情の政府は馬鹿高い税金をかけ、タバコ1箱(20本)の値段は日本と比べ物にならないくらいべらぼうに高い。イギリスでは一箱1000円近いといわれていた。もっともこれは今みたいに超円高になるまえの相場なのだけど。ドイツ、フランスあたりで600~700円。アメリカでは800円ちかかったはず。
そんなタバコ業界のロビーイストがこの映画の主人公。アーロン・エッカートが扮するこの男は口は達者で、ディベート力はきわめて高く、全国からバッシングされるタバコ業界の宣伝マンとしてマスコミに登場し、相手のコメンテイターたちをなぎ倒していく。アメリカ映画でよくあるコミュニケーションの達人である。
シナリオライターとしてみれば、うふぁうふぁな題材だろう。
かっこいい説得力のある言葉がいっぱい書ける!

そんな主人公に、「なんでそんな仕事をしてるんだ?」という問いがなされる。彼は、「モルゲージのためだ」と答える。「モルゲージ: Mortgage」とは「不動産を担保にした貸付」・・くらいの意味だろう。平たく言えば、マンションや家を購入した時の「住宅ローン」である。

「活きる為に稼がないといけないから自分の得意なことをやっているのであって、ポリシーではない。・・・だから、正義やら道徳心やらをかかげて俺をバッシングしないでくれよ」の意味だろう。

・・・・でも、それってホントなのだろうか?
映画の議論とはまったく別のところに踏み込むのだが、たぶん彼は、それが面白いからやってるのだと思う。大多数を相手に、彼らがベースにしている理性の奥にある、本音を刺激するのが楽しいのだと思う。何かしらの力がある人にとっては少数派に属するほうが何かと楽しいでのある。

ビジュアルリーダーやドラマづくりをしている人は、多数の意見に属することは致命的である。自分の意見が多数派だなって思ったときはもう時代に遅れであり致命的だ。それよりも、純粋に面白くない。最近のドラマがどれも面白くないのは、多数の意見に属した馬鹿プロデューサーがドラマの方向性をきめているからだろう。

だからといって、少数派のアイデアがすべて面白いかといわれればそんなことはない。そのほとんどはトラディショナルな法則にさからって一時のパフォーマンスをしているだけである。大切なのは、今は少数派でも、50年後には多数派になるであろう価値観を今のうちから提示することなのだ。すぐ古くなる新しいものではなく、<古くならない新しいもの>を目指すこと、それが大切なのだ。

では古くならない新しいものとは何か? そもそもそれはどこにあるのか?
それは、実はすでに存在している。ただ、より深いところに存在しているので、まだほとんどの人は気づかないだけだ。
「新しいものを作る」ということは、「珍しいものを作る」ということではなく、「まだ発見されてない真実に基づくものを作る」ということなのだ。

「真実」を発見すれば、新しいものは出来る!
たとえば、車のフォルムにしてそうだ。まだ発見されてない、完全なる空力を具現化するものを作れば新しい車のデザインが生まれる。珍しいだけではすぐ滅んでしまう。
これは物理的なことだけではない。精神世界にもいえることだろう。「世間ではこういわれているけど、なにかへんだ」っていうものに出会うときがある。でもその理由はわからない。だから、世間でそういわれているように解釈しておく・・という結果になる。そんなとき、しばし足をとめてその理由を真剣に考えてみる。その時なにか見えてくるかもしれない。

この映画が素敵なのは、世間ではタバコはけしからんって言われてますけど、それに従うことがどこかうさんくさくないですか???っていう問いかけなのだと思う。

「真実」は多数の意見の中にはない。
多数の意見というのは所詮、「真実がわからないから、とりえずこういうことにしておこう」という、世間と個人が折衝したその妥協案にすぎない。ましてや多数の意見というのは、弱者の都合でしかない。それは一時的な人気取りにはなっても、継続的につづくものではない。なぜなら弱者は滅びるようにできているのだから。
自分を弱者とみなすのは、だれでもそうだ。私もそうだ。しかし、弱者にとって都合のいいことを正当化することが正しいことにはならない。


ものづくり業界に居る人は、多数に属さないスピリットをいつも持っていてほしいものだ。
この映画をみて、そのことを言葉にして言いたくなった。
そういう意味で、とてもいい映画だった!

ほんとは☆3つくらいでいいかと思ったのだが、勢いがついたのでもう1つおまけ(笑)。

<あらすじ>
ニック・テイラー(アーロン・エッカート)はタバコ業界を代表する凄腕のロビーイスト。同じ悪評高いロビーイスト仲間であるアルコール業界のポリー・ベイリー(マリア・ベロ)と、銃製造業界のボビー・ジェイ・ブリス(デヴィッド・コークナー)とはいつも3人で飲んでは日ごろの鬱憤を解放している。
そんな彼をうっとおしいと思っているのが、フィニスター上院議員(ウィリアム・H・メイシー)。彼はアメリカ国民の健康を守るために、タバコのパッケージにドクロ・マークを付けようともくろんでいる。しかし、なかなかテイラーを倒すことは出来ない。しかしそんなテイラーも過激派の嫌煙団体に拉致され、体中にニコチンパッドをhられて中毒死寸前までおちいったりする。さらにスクープを狙う女性新聞記者、ヘザー・ホロウェイ(ケイト・ホームズ)の罠にハマってしまい、ベッドであらいざらいしゃべって慕ったことを記事にされ仕事を失う。順風漫歩だった人生はドトボに陥ってしまった。
そんな彼だが、別れた妻との間の息子ジョーイ(キャメロン・ブライト)だけはそれでもニックを尊敬していた。やる気を取り戻したニックは、タバコにドクロマークを張ろうキャンペーンの是非を問う公聴会に出席、上院議員との最後の対決に挑んでいく・・・。


・・・・しかし、輪が麗しのマリア・ベロ嬢、しばらくみない間に、かなり老け込んじゃいました。うううう。

by ssm2438 | 2012-01-17 12:19
2011年 11月 24日

フロント・ページ(1974) ☆☆☆

f0009381_1134444.jpg原題:THE FRONT PAGE

監督:ビリー・ワイルダー
原作:ベン・ヘクト/チャールズ・マッカーサー
脚本:ビリー・ワイルダー/I・A・L・ダイアモンド
撮影:ジョーダン・S・クローネンウェス
音楽:ビリー・メイ

出演:
ジャック・レモン (ヒルディ・ジョンソン)
ウォルター・マッソー (ウォルター・バーンズ)
スーザン・サランドン (ペギー・グラント)

       *        *        *

後発だからといって、面白くないわけではない!

一般的にオリジナルと、その後のリメイクされたものとの間では、どうしてもオリジナルに軍配をあげるケースが多いが、そうでないケースもある。とくに、(これは私の主観なのだが)アメリカ国内で出来たオリジナルをリメイクする場合、リメイク作品のほうがし「良い!」と思うことはけっこうあるのだ。そのひとつがこのビリー・ワイルダー版の『フロント・ページ』なのだ。

そもそもこの作品は1928~29年に舞台でおこなわれた大ヒット戯曲『フロント・ページ』の映画化である。この舞台のあとの31年に映画化され日本では『犯罪都市』というこわもてのタイトルで上映された。その後ケーリーグラントを主役にした『ヒズ・ガール・フライデー』が40年に制作され、3回目となるのはこの『フロント・ぺージ』である。そしてこのあと4度目の映画化が1988年になされる。『ランボー』『料理長殿、ご用心』の監督テッド・コッチェフによって映画化されたのが『スイッチング・チャンネル』。こちらは、それまで新聞記者たちだった舞台をテレビ業界に置き換えられてつくられているのだが、個人的にはこれが一番気に入っている。

物語は基本構成はこのようなものである。
【ウォルター・バーンズ】とある新聞社の編集長。傲慢でやり手の編集長だが、どこか憎めないところがある。
【ヒルディ・ジョンソン】バーンズのもとで働いている敏腕記者。しかし、新聞記者の仕事に疲れており、パートナーとみつけて別の人生を歩もうとする。

実はこのヒルディには男バージョンと女バージョンがある。
オリジナルの戯曲や1作目、3作目のヒルディ・ジョンソンは男で、ペギー・グラントという女性と恋に落ち、新聞記者の仕事をやめようと試みる。しかしヒルディの筆力を失いたくないバーンズがなにかと因縁つけて、彼をこの業界から逃がさないようにするというスクリューボールコメディである。
これに対して2作目、4作目はヒルディが女性に変更されている。元夫婦だったという設定に置き換えられ、それでも腐れ縁で仕事していたのだが、ヒルディが休暇の時に新しい恋人をみつけてきてしまい、ヒルディは記者の仕事をやめて旅立とうとするが、バーンズがなにかと難癖付けてひきとめようとする話。

物語的には(男)と(男+女)の1作目、3作目のほうがしっくりくるのである。男は女より戦友のほうを大事にしてしまうものなのだ。しかし、やりとりとしては1作目、3作目の(男)と(女+男)のほうが面白い。まるで離婚を経験した明石屋さんま大竹しのぶをみているようでたのしいのである(笑)。この場合はあとから登場した新しい彼氏の立場がかなり悲しいものになるのがちとかわいそうである。しかし、一度は別れた間柄ながら、腐れ縁の気持ちよさが展開されるほうがみておいて心を刺激される部分が多い。
男と男のやり取りにした場合は、立場的には上下関係があっても、心は独立している。ところが男と女のやり取りにかわると、お互いに支配されていることに対しての悔しさと安心感が入り混じってるので、心がちくちく楽しいのである。

監督のビリー・ワイルダーはこ洒落た感じのハートフル・コメディが得意に監督さん。しかしその原点はエルンスト・ルビッチであることは誰もが知っていることである。「ルビッチならどうする?」がつねにワイルダーの口癖だったとか。ルビッチイズムにみせられた人はビリー・ワイルダーだけではない。二ール・サイモンノーラ・エフロン三谷幸喜などはルビッチイズムの継承者だといえよう。

<あらすじ>
シカゴの刑事裁判所の記者クラブは裁判所と隣接しており、その眼下の広場では翌朝行われる死刑台が作られていた。警官殺しの犯人として死刑を宣告されたアール・ウィリアムズのためのものだ。
シカゴ・エグザミナー紙のデスク、ウォルター・バーンズ(ウォルター・マッソー)は、同紙のトップ記者ヒルディ・ジョンソン(ジャック・レモン)をその取材に当たらせようとするが、ヒルディは今日限りで辞職して恋人のペギー(スーザン・サランドン)と結婚してシカゴを離れると言う。あのてこの手をつかってヒルディをひきとめようとするバーンズ。
やがて隣接する裁判所から銃声が聞こえ、騒がしさがましてくる。どうやら死刑犯ウィリアムズが脱走したらしい。いっせいに記者クラブからでていく各社の記者たち。一人残されたヒルディの前に、怪我をしたウィリアムズが意識朦朧として転がり込んできた。ヒルディは大急ぎでバーンズを呼び出す。シカゴ・エグザミナーが逃亡犯を捕獲したことが記事になると考えたバーンズはフロントページをあけさせ、ヒルディに記事を書かせる。
しかしそれも束の間、ヒルディとバーンズが脱走犯をかくまっていることがばれ、公務執行妨害でブタ箱にブチ込まれてしまう。ウィリアムズも牢へ逆戻りだ。しかし、牢のなかでウィリアムズの刑執行猶予令状が出ていることを偶然知った二人は、市長にくいさがって釈放された。ヒルディはパトカーの護衛つきで、ペギーが待つ駅に駆けつける。バーンズは自分の腕時計をヒルディに贈る。汽車が動きだすと、バーンズは駅の電話室からインディアナ州ゲイリー市警察署長宛に電報を打った。電文は「ヒルディ・ジョンソンが俺の時計を盗みやがった。逮捕してくれ」。

by ssm2438 | 2011-11-24 11:35 | ビリー・ワイルダー(1906)
2011年 10月 12日

舞妓 Haaaan!!!(2007) ☆☆☆

f0009381_17471734.jpg監督:水田伸生
脚本:宮藤官九郎
撮影:藤石修
音楽:岩代太郎

出演:
阿部サダヲ (鬼塚公彦)
堤真一 (内藤貴一郎)
柴咲コウ (大沢富士子/駒富士)
小出早織 (駒子)

       *        *        *

高校の修学旅行で京都を訪れ舞子にはまってしまった鬼塚公彦(阿部サダヲ)の夢は、いつか舞子はんと野球拳をすること。そんな公彦に京都支社への転勤の指令が下る。彼はあっさりと同僚の恋人・大沢富士子(柴咲コウ)を捨てて京都入り。「仕事で結果を出せばお茶屋に連れて行ってやる」というい社長・鈴木大海(伊東四朗)の言葉に猛烈に奮起する鬼塚はオリジナルカップ麺を開発し、これが大ヒット、かくして初の舞子遊びが現実する・・。

この映画はダメな人には徹底的にダメだと思う。芝居付けは吉本テイストのどたばたギャグの連打なのでうんざりしてしまう。そういう私もこのての映画とくか、語り口には嫌悪感を感じるほうで、前半はかなり我慢してみてた。ところが、ある程度この世界観になれてくるとなんとか見られるようになり、ついついほろりとさせられるシーンもある。シナリオ構成的にテクニカルな宝庫みたいなお話である。この映画でOKな人はこれでいいが、ダメ人でも勉強になるところはかなりある作品だと思う。おそらく、度を越えたギャグは排除して、『天国から来たチャンピオン』ウォーレン・ベイティのノリとテイストで作ってくれたらハリウッドでも通用するかもって思った。主演は若かりしころのマイケル・J・フォックスだろう(笑)。

とにかく前半部がなかなか入っていけない。舞子にあこがれるという感覚を共有できないので物語が遠いものになっている感じなのだ。それを、「ま、この話の求心力はこういうことなのだから・・」と理解すれば見られるのだが、なかなかそういうった大人になれないものである。
しかし、そこを乗り越えていくとけっこう楽しめる作品であることが判ってくる。

社長につれられて初めてお茶屋デビューを果たした鬼塚だったが、その席で泥酔したプロ野球のスター選手・内藤貴一郎(堤真一)に乱入され、さらにお気に入りになりかけていた駒子(小出早織)という舞子さんのスポンサーになるという。

「駒子のスポンサーにはオレがなる!」と、この時から鬼塚のなかで<内藤越え>というテーマが確立される。鬼塚は、毎日バッティングセンターに通い、手に血豆がくさるほどできるまで打ち込んでいた。そして社長に球団を買うことを進言。社長もこの話を悪いことではないと考え、球団を購入、京都をフランチャイズに球団経営を始めた。このプロジェクトを先導していた鬼塚はあっさり辞表を提出、選手としてフィールドに立った。そして球団は鬼塚の活躍でリーグ制覇に驀進する。

いやはや、この辺の展開はまさに『天国からきたチャンピオン』なのである。それまでこの映画のギャグテイストが嫌だったのだが、この『天国から来たチャンピン』スピリットが展開され始めると一気に見る気になってしまった。ただ、ここでやめといてほしかった。
そのあとは、の本シリーズで内藤と鬼塚の対決が実現するかと言うときに、ひじの故障をもっていた内藤はあっさり引退、芸能界に入って『山猿』なる映画の主演をつとめ大ブレイク。鬼塚も芸能界に転進。しかし内藤は格闘家→有名ラーメン店のオーナー→京都の市長と転々と職を変えていく。内藤にライバル心むき出しの鬼塚だが、さすがに京都の市長選挙にはまけてしまい席を同じくすることが出来ない。

さすがにここまでくると『天国からきたチャンピン』の不屈の闘志ものはギャグと化し、見る気を失いかけるのだが、内藤と駒子、鬼塚と駒富士(実は昔の恋人富士子)との人情劇もあり話にあきさせない。

もう一回観ようとは思わないし、映画スタイルとして好きじゃないけど、面白い作品であった。

by ssm2438 | 2011-10-12 17:47
2011年 08月 01日

夫たち、妻たち(1992) ☆☆

f0009381_2162411.jpg監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン
撮影:カルロ・ディ・パルマ

出演:
ウディ・アレン (大学教授・ゲイブ)
ミア・ファロー (ゲイブの妻・ジュディ)
シドニー・ポラック (ゲイブの友人・ジャック)
ジュディ・デイヴィス (ジャックの妻・サリー)
ジュリエット・ルイス (女子大生・ルイス)
リーアム・ニーソン (ジュディの同僚・マイケル)

        *        *        *

ハンディカメラを使いつつ、インタビューなどを交えながらドキュメンタリーっぽくとってる映画。モキュメンタリーとかいうらしい。どうも私はこの手法が嫌いなので、☆ひとつ減点。にかくその意味が分らない。実存する室内や郊外をつかって舞台劇をやっているような感じ。
ウディ・アレンジュリエット・ルイスが公園ではなしてたりするシーンでも、そのまわりをハンディカメラをもってまわって撮っているので手ぶれがうざいし、その画面からカメラがある世界=人工的につくられた世界という概念がつたわってきてしまうので、映画として楽しめない。舞台が好きな人ならそれでもいいかもしれながあいにく私は嫌いである。私は、映画が映画として、ひとつのフィクションとして解釈したいので、そこにカメラがある現場感をだせれても困るのである。この現場感があるだけで、ドラマとしてうそ臭さが増大し、感情移入できなくなってしまう。
どーしてもそこはハンディでないと撮れないからっていうなら分るが、そうでないところをハンディカメラで撮る姿勢というのは、小手先のモキュメンタリー性で人工的にらしさを付け加えようとしてうるだけで、好きになれない。きちんと映画の画面としてとしてだましきれよ!!って思ってしまう。それが出来ないなら映画なんか撮るな!って言いたい。ポール・グリーングラスは大嫌いだ! ・・・ははは、なんだか話が別のほうにいってるが。まあ、嫌いなわけだ。

・・そんなわけで、本編以上に撮り方が気に入らなかった映画だが、お話はそこそこ良い。こういうなんは『インテリア』みたいにきちんと映画としてとってほしかったなあ。

<あらすじ>
マンハッタンに住む大学教授のゲイブ・ロス(ウディ・アレン)の妻、ジュディ(ミア・ファロー)は、離婚したくてたまらないのだがそれが出来ずにいる。そんな二人に、親友のジャック(シドニー・ポラック)とその妻サリー(ジュディ・ディヴィス)が別れることを表明する。自分たちが出来ないことを先に実行されてしまい、いてもたってもいられないジュディは表面的には「考え直したら」と二人を説得するがほとんど不可能なようである。
サリーははたから見るととても理想的な妻にみえるが、その実態は非妥協的な性格で、一緒にいてもやすらげないタイプの女性。そんなわけでジャックは外に安らげる女をつくってしまうわけだ。

一方、妻ジュディが激しく離婚したいと思っていることも知らないゲイブは、自分に関心をもってくれる女子大学生のレイン(ジュリエット・ルイス)といる時に充実感を覚えるようになる。
一方ジュディは、社の同僚で、彼女が恋心を抱いているマイケル(リーアム・ニーソン)をサリーに紹介する。このリアリティがとてもいい。ジュディにしてみれば、今のサリーはどうみても次の恋愛にいけそうにないので、誰を紹介しても拒むだろうという精神状態。そんなサリーに、自分とマイケルの親近感を演出したいという気持ちなのだろう。そしてその親近感を徐々に本物にしていけばいい・・というような感じだろう。もちろんこれは下心などがあってやってるわけではないく、無意識のうちに、そうするのがマイケルとの親近感を構築するのに一番の近道だということを本能的に知っているのだ。こいうう演出はさすがウディ・アレンと関心してしまう。

しかし、マイケルはサリーに一目ぼれしてしまう。超裏目出て超落ち込むジュディ。サリーとマイケルは一気にベッドインまで行ってしまうが、そこにサリーとケンカしてぐれて帰ってきたジャックと鉢合わせ。この事件をきっかけにジャックとサリーの間に復縁の気運が芽生える。フラれたマイケルを慰めるジュディ。そういう点かいかい! ここまでくるとドラマはジュディのもっとも理想とした展開に収束していく。
ジャックとサリーは元のサヤに収まり、ジュディはマイケルと引っ付く。レインのうつつをぬかしていたゲイブだが、彼女は他にも何人もオヤジを魅了しており、結局恋愛なんてわかってない小娘だということが判明する。結局彼女とは別れて一人淋しくなるゲイブであったとさ・・・。

ドラマ展開だけを書いていても、ウディが展開する繊細なメンタルのドラマであることが再認識される。なのになんでこの話をモキュメンタリー形式で撮らんといかんかったかな! まったく腹が立つ。

by ssm2438 | 2011-08-01 02:21 | ウディ・アレン(1935)