西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

タグ:ダイナミック望遠映画 ( 37 ) タグの人気記事


2013年 07月 21日

津軽じょんがら節(1973) ☆☆☆☆

f0009381_22375062.jpg監督:斎藤耕一
脚本:中島丈博/斎藤耕一
撮影:坂本典隆
音楽:白川軍八郎・他

出演:
江波杏子 (中里イサ子)
織田あきら (岩城徹男)
中川三穂子 (ユキ)
西村晃 (塚本為造)

    ×     ×     ×

おおおおお、津軽の海がうなっとる!!

久々に映画らしい画面をみせてもらいました。津軽の海に、その沿岸部の村。放置された廃船。ビジュアル的にはすばらしいのひとことです。撮影監督は坂本典隆さん。『約束』で撮影監督デビューみたいですが、あれもビジュアルが良かった。ただ、この人の不幸は物語がいうつもあんまり面白くないことだな・・(苦笑)。

監督は斎藤耕一さん。絵作りはとっても共感もてる人です。ただこの人の特徴は、ことの次第が判明するまでにけっこう時間をかけるのでそれが分かるまでがけっこう退屈・・・。今回も「なんでこんなことになっとん???」というスタートで、始まって20分くらいしてやっと物語の設定がみえてくるのです。それまではけっこうじれったい。いつものこととはいえ、今時の人には見てもらえない映画のつくりですな・・・。
とはいえ、この年のキネマ旬報ベストテン邦画部門第1位はこの作品、あなどりがたし。
実は監督さんがこの人なので永きにわたり放置プレーでしたが、今日たまたま見ることができたのでした。お話は面白いとはいえないけど、画面の力で最後までなんとかたどりつけました。

物語の基本構成は・・・、異文化交流モノということになるのかな・・・。
東京から津軽の寂れた漁村におりたつ男と女。女にとってはそこは故郷だけど男が東京を出たことがないチンピラ。この男、東京でどこやらの組の親分を指したとかで逃亡してて、結局つきあっていた女の故郷にながれついてきた・・という設定。

東京しかしらない岩城徹男(織田あきら)にとっては漁村の暮らしは無に等しい状態。自分になにも価値観がみいだせない。自分が何をやっていいのかも分からない。なにもやれそうなことすらない。とにかくやりきれない。でも、他に行く場所がない。
中里イサ子(江波杏子)はこの村で生まれたので、ここでの不便さもみすぼらしいトタン屋根のあばら家でもぜんぜん平気。「あんたはぶらぶらしてなさい。私が面倒みてあげるから」とバスでしばらくいったところの港町にある飲み屋で波たら働き始める。
なんにもやることのない徹男は目的もなくぶらぶらしてると、盲目の娘ユキ(中川三穂子)と出会う。何事に関しても積極的でない彼女をみてるとついつい虐めてしまいたくなるのだが、その哀れさがたまらなくなりついついやさしくしてしまう。ユキを虐めるけど、結局はほっとけなくて面倒みてしまう徹男はいつしか男と女の関係になってしまう。
またぶらぶらしてると頑固そうな漁師と知り合いになる徹男。この漁師、塚本為造(西村晃)の息子はかつてイサ子と村を捨てて東京に出て行き、今はどこでどうしているのか? そのイサ子が今度は別の男をつれて帰ってきた。そら塚本はあまり友好的には接することが出来ない。・・・が、いつしか徹男の人懐っこさに心をひらき、2人で漁にでるようになる。
しかし、どうやら東京からヤクザの追手がきてるようだと感じた鉄男はこの漁村をでる決心をする。
イサ子が勤めていた飲み屋のもう一人の従業員の女がアリ金を持ち逃げしてしまう。そのなかにはイサ子のためた貯金もあった。漁村をでようにも資金がない。
鉄男は盲目のユキを男に抱かせることで逃走資金を得る。
2人でここを出ようとバス停にむかうが・・・、鉄男の良心がはじけてユキを取り戻しに走る。

塚本と共に漁にでる生活と妻としてユキを抱く生活。徹男にとってはそれはやっとであえた家族であった。
ここちよい労働の疲れで眠っている徹をよそに、出て行くイサ子。

「あんた・・・、故郷が見つかってよかったね」といって出て行くイサ子。

しかし・・・追手は徹男の居場所を突き止めていた。
充実した疲労感とともにユキのもとに帰る徹男。そんな徹男をユキが出迎えにきている。
「あんた・・・、東京からお友達がきてるよ・・・」

by ssm2438 | 2013-07-21 22:40
2012年 08月 19日

居酒屋兆治(1983) ☆☆☆

f0009381_23581144.jpg監督:降旗康男
脚本:大野靖子
撮影:木村大作
音楽:井上堯之

出演:
高倉健 (兆治こと藤野伝吉)
加藤登紀子 (藤野茂子)
大原麗子 (神谷さよ)
田中邦衛 (岩下義治)
伊丹十三 (河原)

     ×   ×   ×

夢見る時代が終わっても、現実は残酷にも続もの・・・・。

健さんが出てくるからといって、この映画は任侠ものであはありません。サラリーマンを辞めた焼き鳥屋のオヤジの経営する居酒屋「兆治」を営む男と、その男に関係のある人たちと、その居酒屋にたむろしてくる人たちの人生模様を綴ったお話で、一点集中的なエンタメ系の映画ではありません。そのシーンシーンを情緒豊かに描いた映画ということになるのでしょう。

本作のヒロインはあの美しかりし大原麗子です。しかし、彼女の存在は物語の一部であって、全体を支えるものではないのが実態みたいですが、ま、映画として成立されるためには彼女の存在をメインにもってきて、物語り全体を構成しているようです。そんなわけで・・・・、個人的には大原麗子と高倉健の話で見たかった気がします。
この物語のツボは、大原麗子の「想い」、これが素晴らしい。求めるものが与えられないから、あとは壊れるしかないという薄幸は生き様。この切なさだけで物語りはかなり成り立ってます。ただ、なんでこんなになちゃったのか・・・、これって、ほっといていいの??? それが道義というものかもしれませんが、この話だと高倉健が一番根性ナシにみえてしまってます。お前がきちんと自分の感情を向かい合わなかったらこんなになってるんだろう!!!ってけっこう怒り心頭。それでも想い続けるしかない大原麗子が切なくて・・・・、ま、この切なさ描写を出すために総ての段取りというのならそれも理解出来るのですが、どうも物語的にはそこは一部にされてるのがなんか気に入らないといういか・・・、生き様的にはあんまり肯定できる主人公の生き方ではなかったですね。

なので、私の中ではこの映画はひたすら大原麗子の映画として解釈しました。
決して取り戻せないものにひたすら憧れて、いつまでもそれだけを求めて、手に入らないなら別の男で昇華して、キャバレーのホステスをし、酒に溺れて自分をいじめて、最後はダレもいない小さな一室でその男の写真を胸に血を吐いて死んじゃう・・・。
さらに、そんな女性がいたら、そら普通はほっとけないですよ。で、そんな彼女の美貌と哀れさにほれた男がまた手に入らないものを求めることになる・・・。

この路線だけでいけば超メロドラマになってたのに・・・、なんか、エピソードがもったいなさ過ぎたというか・・・。あんまり納得いくような映画ではありませんでしたね。

しかし、それでも大原麗子だけは圧倒的に美しいです。
昭和史上、もっと美しい女優さんは大原麗子さんだと私は思っています。


<あらすじ>
北海道は函館で居酒屋『兆治』をいとなむ「兆治」こと、藤野伝吉(高倉健)。彼はその昔とある造船所で働いていたが、オイルショックで経営が傾きかけた会社を立て直すためにリストラを行う立場に抜擢されるが、同僚を裏切れない彼はドックをやめ、もつ鍋屋の松川(東野英治郎)に弟子入り、居酒屋を持つことになった。
子供を送り出した後は、妻の茂子(加藤登紀子)とともに店に出て鍋に火をいれ、自転車にのって市場に買出しに出るのが毎日変わらぬ朝の風景だった。居酒屋『兆治』の常連客には、かつてともに甲子園を目指した親友岩下(田中邦衛)をはじめ、元の会社の同僚有田やその部下の越智、近所の一年先輩で酒癖の悪いタクシー会社経営者河原(伊丹十三)たちおり、毎晩のように足を運んで賑わっていた。
そんな兆治に想いをよせる女がいた。肩を壊して野球をあきらめた頃、地元青年会で知り合った年下の恋人さよ(大原麗子)である。しかし旧家の牧場主神谷久太郎(左とん平)との縁談が彼女に持ち上がったとき、自分の未来に自信をもてなかったか兆治はさよの幸せを願って黙って身を引いたのであった。

・・・・・これ、今想うと、おそらく藤野ほうほうは彼女をそれほどまでに好きだったわけではないんでしょうね。すくなくとも、この映画の中では、そういった感性はまったく見当たらなかった。
・・・・そうか、だからつまらないんだ。ここで描かれているのは、一方的に、盲目的に想うさよの想いだけであり、兆治のほうが常に冷静がゆえに、おもしろくもなんともないのである。これが、今の妻を裏切っても彼女を求めたい!!って想いがあれば物語はさらにドラマチックになっていたのだろうが、そうはなってない。ある意味冷静な物語の設定だとおもいえるが、物語にそんな冷静さは見たくない気もする・・・。

求めるものがなくなってしまったさよは、神谷と結婚したものの精神をいため、なんどか蒸発することがあった。そして牧場が火事になった翌日、また失踪した。
一番の盛り上がりは、さよは札幌のすすき野でキャバレーではたらきつつ、ときどき兆治のもとに電話をかけてくるというくだり。そしてついに、ある日、開店前の『兆治』に現れてしまう。結局義理人情でと理性でなにもしない兆治。そしていなくなるさよ・・・。
でも、何もしない罪悪感からなのか、串焼き二本持ったまま雨の中に飛び出しさよを探す兆治・・・。その気配を感じてるさよだが姿はあらわさないまま去ってしまう。

以下、夢が終わった人たちの物語はちまちま展開されるなか、すすきのでさよを観たという情報がはいり探しにいく兆治。しかし、彼女をみつけたときには、、嘗ての自分とさよが映った写真をにぎりしめて彼女は死んでいた・・という悲しいいエンディング。

そんあこんなの物語の後、兆治の妻の一言がつきささる。
「人の想いは止められないもの・・・」

そしてまた同じ日常が繰り返されるのであった・・・・。


最後に、木村大作が撮影監督をつとめているのだが、彼が映し出す函館の町は素晴らしい!!
降旗康男さんの映画は、木村大作が撮るというだけで燃えてしまう。。。さらにその被写体が大原麗子だとなおさらである。
こうなったら評判のわるい『ホタル』もみてしまいたくなる。

by ssm2438 | 2012-08-19 23:58 | 木村大作(1939)
2012年 06月 27日

兄貴の恋人(1968) ☆☆☆☆

f0009381_1203589.jpg監督:森谷司郎
脚本:井手俊郎
撮影:斎藤孝雄
音楽:佐藤勝

出演:
加山雄三 (北川鉄平)
内藤洋子 (北川節子)
酒井和歌子 (野村和子)
白川由美 (バーのママ・玲子)
岡田可愛 (小畑久美)
中山麻理 (中井緑)
ロミ山田 (ピアノの先生・藍子)

     ×   ×   ×

でこすけ! でこすけ!でこすけ!

いやあああああああ燃えました。すげええええええ面白い。いちいち提供されるシーンが燃える。いままでこんなに愉しんで日本の恋愛映画をみたことがない。増村保造『くちづけ』も相等面白いとおもったが、久々にそれ以上にわくわく、にやにやして映画を見られた。感動しまた。すばらしいです!! 大傑作です。

お話は、各方面のお姉ーちゃんから愛される加山雄三が、結局一番平凡そうな酒井和歌子を選ぶという、まあ、ある意味シンデレラストーリーの王道なのですが、いやいやいやいや、これがなかなかどうして大傑作なのである。
最初は、総てにおいて感情移入に乏しい主人公に、もうちょっとなんとかならんのかって思ってたのですが、とにかく彼を取り巻く女性陣がみなさん素敵。酒井和歌子の薄幸そうな可憐さが図抜けてますが、内藤洋子の直線的な愛情表現もすばらしいです。あとバーのママさんの白川由美さん。みんながみんな良い味だしてます。

監督は『日本沈没』『復活の日』『八甲田山』『海峡』森谷司郎。フィルムのテイストの趣味があうのか基本的に好きな監督さんなのですが、若い頃の青春モノはじつはこれが初めて。以前から「良い」とは聞いていたのですが、どちらかというと社会性のあるものを撮ってもらったほうよいかなと思ってたので、青春モノ系は食わず嫌いしておりました。
映画的な趣味が近いのでしょうね、どんなにハズレな映画でもみてて気持ちがよいのです。『海峡』なんてはっきりいってかなりシナリオ段階でぼろぼろで、出来上がった映画もかっこつけたけど空回りしてるような部分があるのですが、この人の描きたいものがなにか趣味が合うのです。ダメなんだけど好きなのです。
この映画は、主人公のそっけなさ以外は総て素晴らしいです!!!! 加山雄三が「結婚してくれ」って言う時に内藤洋子のピアノを弾いているシーンをOLするのはちょっとハズした感があったけど、それ以外はすばらしいです。あと唐突にレズシーンが入るのも「ええ、なにこのチェンジ・オブ・ペースは!?」と思っちゃいましたが、それ以外はすばらしいです。

その面白い物語を撮っているのが斎藤孝雄。いわずと知れた黒澤組の撮影監督さんです。なのでもちろん望遠でがしがし撮ってくれます。でも、『乱』とかのような仰々しいものじゃなくって、都会の中の望遠の風景画また素晴らしいのです。なにからなにまで素晴らしい画面です。
国鉄の中央線がオレンジで、山手線が黄緑です! またこれを望遠で撮ってくれるから嬉しくなります。
内藤洋子のバックにはいってくる船のカットは傑作です。すばらしい!!! この人のカメラがあったからこその、この映画はこれだけの傑作になったのでしょう。正直なところ、黒澤明作品の作品でこの人が撮影監督やったものは、実はそれほどときめいてなかったのです。どっか押し付けがましいいやらしさがあって、参考画面にはなるのですが、好きになれなかった。ところが、森谷司郎の監督作品での斉藤さんのカメラはすばらしい。どの画面も燃えます!

ヒロインの酒井和歌子さんがまた可憐でいいんだ。兄貴はチンピラで、なにかと親に金をせびりにくる。母はかなりくたびれモードで、重病人というわけではないが、世話しなければいけない・・という雰囲気をもっている。うちは貧乏そうで、6畳くらいのアパートに2人で住んでいる。物語の初めに、主人公のいる銀座の会社を辞めるのだけど、その後は叔父のやってる川崎のパブで働いている。実に不幸な状況を甘んじて受けて絶えてる可憐なヒロインなのです。

そしてもう一人のヒロインが、加山雄三の妹役の内藤洋子。『赤ひげ』の最後で結婚することになった彼女です。兄のことが好きで、兄に必要とされてる状況が至福の時・・みたいな女の子。兄にお見合いの話がもちあがると、なにかと相手に人に難癖つけてる姿が可愛い。お見合いの日にはピアノのレッスンにも気持ちがはいらない。

物語の構造はしっかりしているのも見易い。刺激ポイントが分かりきってるのがとても素敵。
加山雄三にしてみれば、妹は可愛いけれど、所詮は妹。でも、その妹に彼氏が出来るかもしれないとうシチュエーションにはやや気分がよろしくない。
加山雄三の本命になるのが酒井和歌子で、お互い両想いなのだけど、酒井和歌子は家庭環境に劣等感を感じていて加山雄三のプロポーズを受けえられない。さらに、自分のことをずっと大事に思っていてくれている同じアパートに住む男もいる。見ているわれわれからすると気が気ではない。
このまだ現実には起こっていないが、起こりそうで「気が気ではない」シチュエーションの挟みかたが非常に物語を楽しくさせてくれるのである。

<あらすじ>
銀座の商社につとめる北川鉄平(加山雄三)は、両親と妹節子(内藤洋子)となに不自由なく普通にくらしているサラリーマン。しかし、やたらと某会社の娘さんからの縁談があるといううらやましい環境。しかし女子大生の節子は、鉄平に縁談がおきると、本人よりも目の色を変え、相手に散々ケチをつけまくる反面、兄の精神的な部分を世話している自負も持ち合わせている。以前会ったことのある鉄平の会社の女子社員の野村和子(酒井和歌子)が会社を辞めることになと、仕事を引き継ぐ小畑久美(岡田可愛)と鉄平と自分とで、ささやかなお別れ界などをセッティング、ちゃんとプレゼントも買わせる世話女房ぶり。しかし、鉄平はその時仕事仲間に麻雀をさそわれ、お別れ会をすっぽかしてしまう。
和子はひそかに鉄平のことを想っていたが、家庭環境に劣等感をもっており、自分はふさわしくないと思い込もうとしていた。和子が働いているパブに飲みに来た鉄平にも、自分のいる環境はあまり見られたくない様子。
そんなおり、取引会社の社長の娘・中井緑(中山麻理)との縁談が持ち上がる。結婚相手としては申し分のない相手であり、同時にアメリカ行きの話しももちあがる。しかし、緑との結婚のことを考えると和子のことが想われてならない鉄平は、その旨、緑に伝え、和子に結婚を申し込む。断られる鉄平。しかし彼女の働くパブを訪れ再び求婚するが、和子の兄のケンカに巻き込まれ入院するはめに。アメリカ行きもパーになってしまう。
やがてアメリカ行きの変わりに九州支社に転勤がきまる鉄平。
出発の日、節子は節子は和子に会いに行き、自分の心に対して素直な結論を出すように説得するのだった・・・。

最後の和子と節子の話の内容もなんか素敵なんだ。
相手のためを想って・・とかいう偽善的なものではなく、自分が納得したいからそう語っているところがいいんだ。
自分はいつか兄をあきらめなければならない時が来る。でも、そのとき育ちが良さげな相手だからという結婚ではなく、お互いが好きで結婚するのでなければ、自分が納得できない・・・。自分が納得したい・・・。そうしないと、兄も不幸になるし、私も不幸になる。
そんな、エゴが入ってるところがすっても素敵!

これを機に、森谷司郎初期作品漁りに励みたいと思います。

by ssm2438 | 2012-06-27 12:02
2012年 01月 19日

魔の刻(とき)(1985) ☆☆☆

f0009381_1358843.jpg監督:降旗康男
脚本:田中陽造
撮影:木村大作
音楽:甲斐正人

出演:
岩下志麻 (水尾涼子)
坂上忍 (水尾深)
岡田裕介 (花井)
岡本かおり (葉子)
伊武雅刀 (片貝刑事)

       *        *        *

母と子の距離感を感じさせない芝居づけが、この物語の成功の鍵だな・・・。

ルイ・マル『好奇心』も母とエッチにいたる話だけど、こちらはエッチをしてっしまったあとの話。実はこれは原作のエピソードではなく、降旗康男監督はあえて原作では描かれなかった二人の後日談を作り上げてしまったわけである。

私個人は、ホモ物とか母とエッチする近親相姦物ってのは嫌悪感を感じてしまうのだけど、これは思った以上に見られた。これをそれほど嫌悪感を感じさせないものにしてくれたのは、母と息子の距離感がそこはかとなる在るのである。
たとえば、これが別の物語で、幼い頃は親子が離れて過ごしていて、ある程度の年齢になってから再会し、最初は親子とも思わなかった・・みたいなシチュエーションならそれほど気持ち悪さは感じないのだろう。この映画の二人は、まさにそのような言葉のやりとりや、その芝居付けがされており、どこかさらりとしているのである。

ただ、不思議なのがこの距離感はどこからくるのか?という問題だ。なので原作をしらべてみた。
ところが、原作を調べてみると、そのような展開ではなかったようだ。
原作では父親の圧力から家庭内暴力に走る息子とそれを必死になって受け止めようとする母、そのあたりから結局母と息子が親密な関係になったという展開である。これはある種の必然的な展開だったのかもしれない。映画でも、一応それまで何があったかということは回想する言葉として語られている。社会的にも地位のある父親は、その家系お利巧さんが多くほとんどが東大にはいるという設定。そんな環境下で息子がプレッシャーにまけ、2度の受験失敗、てぐれて結果「もう二人で死のう」的な展開になりその結果、お母ちゃんとエッチするようになるというもの。意外とさらりと語られてしまった。

なので、一般的な人が考えるような息子と母がエッチにいたる映画ではなくなっている。たしかに原作で語られている話なら「よくある話」ということになってしまうのだろが、それを原点にして、その物語からしばし時間をおき、どこか距離感の離れた二人が再びであって求め合うというような映画になっている。
この距離感が、この映画ならでは人工的な要素であり、それが映画としてすこぶる見やすくしてくれている。技術論で観るならすこぶる面白い。

しかし・・・、なににつけても木村大作の望遠画面はいい。
港町と望遠レンズ。なによりすばらしいのが、その港の中に船がひとつ沈みかけてる船があって、そのマストが水面から斜めに突き出ているのがいい。普通に浮かんでいる港のなかで、あれがあるだけで意味もなくときめいてしまう。
海の色もいい。ネストール・アルメンドロスがいうマジックアワーちょっとまえの時間帯を使っており、まだ水平線のうえに太陽は見えるのだけど、光線はかなり弱まり、人間が建てた人工物は逆光で鈍い色におちている。でも水面はサーモンピンクと、オレンジ色の間のような色合いで渋いです。
最近糞画面ばっかりみてたので、時としてこういう映画的なしっかりした画面をみると、それだけできもちよくなってしまう。物語は私好みの話では決してないのだけど、それでも木村大作の画面をみているだけで、ついつい最後まで、気持ちよく見せられてしまった。

そして物語的には隠し味がぴりりと効いている。岡田裕介演じるインテリ崩れの薬局屋のやもめ亭主の哀愁が最後でガツン。この一発がいい感じでドラマ全体を引き締めてくれる。これはあとで語ろう。

<あらすじ>
一流企業に勤める夫・敬一郎に離婚を申し出、1年前に家を出た息子・深(「ふかし」と読む・坂上忍)を探してこの港町にたどり着いた水尾涼子(岩下志麻)は、その日のうちにアパートを探し落ち着くことにする。そんな彼女に声をかけたのが、アパートの向かいの花井薬局の主人・花井(岡田裕介)だった。花井は二年ほど前に妻を心臓マヒでなくし、その1ヵ月後、母親を脳出血で亡くしている。住民もこの相次ぐ死を不審に感じていた。それは警察も同じで、墓を掘りかえして骨壷の骨を鑑識にまわしたこという。
深は直吉丸の娘・葉子(岡本かおり)と一度、寝たことがあり、その事が直吉丸の従業員仲間に知れて、包丁で腹を刺された。涼子は深を花井薬局にかつぎこみ、表沙汰を嫌う深の頼みで、花井は知人の医者・西方に治療を依頼しことなきを得る。それをきっかけに花井薬局で3人の生活がはじまる。
息子の看病に充足感をかんじる涼子。3人の生活は穏やかだった。やがて傷もいえ、葉子が深をつれだし、自分のアパートにもどったことを知った葉子は抑えがたい衝動を覚えて息子を求めて追っていった。近づきすぎると離れたくなる二人。しかし離れるとまた求めてしまう。また二人はお互いをむさぼりあった。
しかし、花井を追っていたカ片貝刑事が、二人の情事をみてしまったことから、二人の話は港町中に知れわたった。

そのあと深はアパートを去るのだが、最後には今一度都合よく現れてくれる(苦笑)。ま、それはいいだろう。
この後の展開ですばらしいのは、あまり関係のなさそうだった花井の秘密が語られることだ。
実は、花井の積まば死んだ時、彼女は医者の西片を情事を重ねていた時だったという。ことが世間にばれるのをおそれて、西片の存在はこのイベントからは消されてしまった。しかし、妻が他の女とエッチしてるときに死んだと聞かされれば心中穏やかではないのだろうが、そこにはもうひとつ秘密があった。
花井は、妻の母と肉体関係があったという。

結局、男と女の関係というのは、理屈では説明のつかないテリトリーであり、なんでもありなのだな・・というエピソードをもうひとつ紹介することで、岩下志麻と坂上忍の親子のエッチ関係も、それほど違和感のあるものとしての印象は沈められ、もうすこし純粋な男女間の営みのように解釈されるようにおちつかせているのである。

by ssm2438 | 2012-01-19 13:58 | 木村大作(1939)
2011年 07月 20日

東京オリンピック (1965) ☆☆

f0009381_273913.jpg総監督:市川崑
脚本:市川崑/和田夏十/白坂依志夫/谷川俊太郎
撮影:林田重男/宮川一夫/中村謹司/田中正
音楽監督:黛敏郎

        *        *        *

市川崑が総監督を務めて制作された『東京オリンピック』。日本国内での配給収入は12億2321万円を記録・・というかなりびっくりな数字。いまほと宣伝もなかっただろうに、記録映画にそれだけの人ははいるというのは今ではかんがえられないこと。今、オリンピックの記録映画をとったとしても、興行収入はほとんど期待できないだろう。

しかし、この映画、かなり陰気なのだ。音楽とくに陰気。なんでそこまでダークな音楽にしなければいけないのは意味不明。ただ、見せる絵は、競技記録映画というよりも、この大会を運営する人々、選手も、観客も、裏方さんももふくめて、人間みのあるシーンを積み重ねてつくられた映画で、人間を感じる記録映画ではあった。

個人的には、子の映画ではじめて円谷幸吉が最後で抜かれるところをみられた。たぶん当時の日本人はあれでかなりの落胆をしただろう。その後、メキシコでは金をめざすといっていた円谷だがオーバーワークを重ね、腰痛が再発する。病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症。手術を受け病状は回復したが、既に嘗てのような走りを出来る状態ではなかった。そして自殺。
さすがにあの歌(ピンク・ピクルスの『一人の道(ひとりのみち)』)をしってるだけに、あのシーンをみてたらうるうるきた。もし、あそこでBGMにあの歌をながされたらおお泣きしてただろう。

あとアベベのひたすらな走りの延々のフォローにも感動させられた。

同年度のカンヌ国際映画祭国際批評家賞受賞。記録映画としては異例のことかもしれないが、でもやっぱり記録映画、そんなによいしょするべき映画でもない。

by ssm2438 | 2011-07-20 02:07
2011年 07月 17日

白い恋人たち/グルノーブルの13日(1968) ☆☆

f0009381_0513189.jpg監督:クロード・ルルーシュ、フランソワ・レシャンバック
脚本:ピエール・ユイッテルヘーベン
撮影:フランソワ・レシャンバック
    ウィリー・ボグナー
    ジャン・ピエール・ジャンセン
    ジャン・コロン
    ギイ・ジル
    ジャン・ポール・ジャンセン
    ピエール・ウィルマン
音楽:フランシス・レイ

        *        *        *

1968年にフランスのグルノーブルで行われた第10回冬季オリンピックの記録映画。当時はオリンピックの記録映画はけっこう取られていた。いまでも撮られているとは思うが、映画として印象にのこっているのはこのグルノーブル冬季オリンピックと、市川崑『東京オリンピック』くらいか・・。そのむかし『民族の祭典』というドイツの戦前のオリンピックの記録映画もあったが・・。

ただ、所詮は記録映画、どこぞのイベント会場で流しておくにはいいが、わざわざテレビの前に座り、あるいはスクリーンの前に座り観るほどの映画ではない。そんなことをしたら飽きる。これは通りすがりにちらっとみて、ああ、なんだか良いムードだなって思えればそれでいいので、全部みるとその余韻もさめるだろう。

しかし・・、この映画のフランシス・レイの音楽だけは素晴らしい。この音楽を聴くだけで懐かしさをすがすがしさを感じてしまう。この映画はクロード・ルルーシュのカット割りと、それに重ねられたフランシス・レイの音楽に酔う映画だろう。

by ssm2438 | 2011-07-17 00:52
2011年 07月 01日

八甲田山(1977) ☆☆☆☆

f0009381_21463099.jpg監督:森谷司郎
原作:新田次郎「八甲田山死の彷徨」
脚本:橋本忍
撮影:木村大作
音楽:芥川也寸志

出演:
高倉健 (徳島大尉)
北大路欣也 (神田大尉)
三國連太郎 (山田少佐)

      *       *       *

やはり健さんには雪が似合う。

原作は『劔岳 点の記』新田次郎。ちなみに『鉄道員(ぽっぽや』浅田次郎。よく間違える(苦笑)。

この物語、意外ととっつきにく。「天は我々を見放したああああ」という台詞だけは有名だが、なぜ、彼らがあの雪山にいなければならなかったのか・・というその目的が希薄なため、凡人感情としてなかなか物語として実に捕らえづらいのだ。
そもそも彼らは八甲田山を越えて雪の中を歩いていたのは、雪の中を歩くためであり、どこかにたどり着くためではない。日露戦争を目前にして陸軍は中国大陸で起こりうる寒冷地での戦闘に慣れておくために、耐寒訓練として八甲田のふもとをを舞台にして雪中行軍を行った。しかし雪山の知識が乏しく、訓練に参加した兵士たち210名のうち199名が死亡した。この物語は、この事件を基にして作られたフィクションであり、戦うためではなく、訓練のために死亡した兵士たちの物語である。

なお映画では、弘前歩兵第31連隊青森歩兵第5連隊との競争意識のなかで雪中行軍がおこなわれているが、実際はそうした競争意識のなかで行われたものではないらしい。また映画に登場する人物も、それに相当する人物は存在するが、その名前の人物は存在しない。あくまで実話をもとにしたフィクションとして作られている。

雪山での撮影は困難をきわめ、それは画面からも伝わってくる。確かにつらそうな撮影だ。撮影監督は『劔岳 点の記』の監督/撮影をつとめた木村大作。この人のとる怒涛の望遠画面はいつもながら素晴らしい。木村大作は、宮川一夫斉藤孝雄の撮影助手として付いていたが、もっとも影響をうけたのは黒澤明だと述べている。黒澤作品においては撮影助手としての参加となっているが、一本立ちしてからは本作の監督、森谷司郎作品が多い。そのご東宝を退社してからは降旗康男深作欣二といった監督との付き合いが多いようだ。
私がもっとも影響を受けた映画人はこの木村大作だろう。私にとっては世界一のシネマトグラファーである。

<あらすじ>
日露戦争開戦を目前にした明治34年末。軍部は、ロシア軍と戦うためには、雪と寒さに慣れておく必要があると判断、耐寒訓練として冬の八甲田山を軍行する計画をたてた。神田大尉(北大路欣也)の青森第5連隊と徳島大尉(高倉健)の弘前第31連隊がこれに参加することに決まった。双方は青森と弘前から出発、八甲田山ですれ違うという進行が大筋で決った。翌年1月20日、徳島率いる弘前第31連隊は、雪になれている27名の編成部隊で弘前を出発した。一方の神田大尉も小数精鋭部隊の編成をもうし出たが、大隊長山田少佐(三國連太郎)に拒否され210名という大部隊で青森を出発した。

神田の青森第5連隊の実権は大隊長山田少佐に移っており、神田の用意した案内人を山田がことわってしまう。神田の部隊は、低気圧に襲われ、磁石が用をなさなくなり、白い闇の中に方向を失い、次第に隊列は乱れ、狂死するものさえではじめた。一方徳島の部隊は、女案内人を先頭に風のリズムに合わせ、八甲田山に向って快調に進んでいた。体力があるうちに八甲田山へと先をいそいだ神田隊。耐寒訓練をしつつ八甲田山へ向った徳島隊。狂暴な自然を征服しようとする210名、自然と折り合いをつけながら進む27名。
出発してから1週間がたち、徳島隊はついに八甲田に入った。天と地が咆え狂う凄まじさの中で、神田大尉の従卒の遺体を発見。神田の青森第5連隊の遭難は疑う余地はなかった。そして徳島は、吹雪きの中で永遠の眠りにつく神田と再会。青森第5連隊の生存者は山田少佐以下12名。徳島の弘前第31連隊は全員生還。のちに山田少佐は拳銃自殺。そしてこの訓練に参加した全員が日露戦争戦死することになる。

by ssm2438 | 2011-07-01 20:39 | 木村大作(1939)
2011年 06月 16日

赤ひげ(1965) ☆☆☆☆☆

f0009381_6271015.jpg監督:黒澤明
脚本:井手雅人
    小国英雄
    菊島隆三
    黒澤明
撮影:中井朝一
    斎藤孝雄
美術:村木与四郎
音楽:佐藤勝

出演:三船敏郎
    加山雄三

        *        *        *

黒澤明の映画というのはきわめて記号主義的映画である。そこに登場する人物というのは何かを象徴する記号でしかない。強い人はこのように描く。臆病な人はこのように描く。悔しい時にはこのように描く・・など、すべてが記号として処理さている。これは図式的に分り易いという利点もあるが、所詮は記号なので感情移入ができなくなる。なので出来上がって映画で本当に感動するということはない。素直な人は即効で「つまらない」と言えるだろうが、人間大人になってくると心ではなく頭でものを考えだす生き物であり、ほとんどの人は頭の中では、“ここは感動すべきところなのかな”と考え、感動したのだと自己暗示をかけることになる。特に自分に自信がない人は「黒澤映画はすばらしい」と世間が評せば、“そうなのかな・・”って思えるかもしれないが、実際誰もが心のなかでは「つなんないなあ~」って感じているのだ。
とりあえず、黒澤映画を見るときは、そのことを前提にして見ていこう。

そういうわけで、心の目でみるとつまんない黒澤映画であるが、さすがに様式美の引き出しとしてみると実にバラエティに富んでいて勉強になる。この映画もオムニバス形式の話なのでストーリーもの映画として面白いかといえば面白くはない。・・が、記号的な芝居づけと、画面構成は素晴らしい。とくにダイナミックな望遠画面は<強い絵>を具現化している。世間には<上手い絵>とか<繊細な絵>とかいろいろあるが<強い絵>というのが『赤ひげ』にもっとも適した表現だと思う。特におとよと佐八の階段での別れのシーンは日本映画史上にのこる名シーンだろう。
f0009381_6263841.jpg
f0009381_6264480.jpg
f0009381_6265024.jpg
f0009381_6265676.jpg


by ssm2438 | 2011-06-16 06:27 | 黒澤 明(1910)
2011年 04月 25日

仕立て屋の恋(1989) ☆☆☆

f0009381_20594429.jpg監督:パトリス・ルコント
脚本:パトリス・ルコント/パトリック・ドゥヴォルフ
撮影:ドニ・ルノワール
音楽:マイケル・ナイマン

出演:
ミシェル・ブラン (イール氏)
サンドリーヌ・ボネール (アリス)

       *        *        *

一人の女に恋をしている自分に酔ってる主人公の映画。

前半はヒッチコックの『裏窓』を思わせるサスペンスタッチ、でも、根本は男の独りよがりの恋愛悲劇。実に男らしい(苦笑)。

思えばパトリス・ルコントが登場するまでのフランス映画はドツボだった。60年代の栄光はどこえやら。80年代のハリウッドが良質のエンタメ映画を提供してくれるのにたいして、フランス映画は冬の時代をむかえていた。やたらと哲学をしてる振りのくっだらない会話劇、見るものといえばソフィー・マルソーヴァレリー・カプリスキーのオッパイくらいだ。
そんなドツボの時代の末期に現れたフランス映画の救世主、それがパトリス・ルコント。それまでかっこつけただけでひたすらつまらないフランス映画のなかで、心のにしみる映画を提供してくれた。それも、みていて気持ちがいい。お話は悲劇になるケースがおおかもしれないが、主人公が実に自分の酔って、幸せというか、充実しているので、結果的に悲劇に終わってもさほどの暗さを感じない。自分の酔いきった、自己完結の幸せがそこにあるのだ。
この自己完結&自己陶酔こそがパトリス・ルコントのすばらしさ。彼の描く恋愛映画の主人公はほとんどヒロインの女の子に惚れない。彼女に惚れている自分の惚れているのだ。女にしてみれば失礼な話かもしれないが、結局のところ男の恋愛というのはそういうものである。男は女のために恋愛しない。男はひたすら自分のために恋愛をするのである。

多分女からみれば、これは根暗な男の想い込み映画でしかなく、ほとんど燃える要素はないと思う。きっとこんな男には惚れないだろうし、もし惚れたとしても、精神的に安定をあたえてくれるといういあれです「いい人」君で終わってしまう。そんな映画をロマンチックにもりあげてくれるのが、マイケル・ナイマン。この人の音楽はでしゃばりすぎず、なおかつ官能的でいいですな・・。

そしてもうひとつ、この映画けっこう望遠で撮っている。もっとも、アパートの窓から隣の1階下のフロアのお姉ーちゃんの部屋をのぞいているのだがら望遠で撮るしかないのだけど、そうでないところもきわめて望遠レンズの力が如実にでてます。というか、小さい絵を嫌っている。ボーリング場なのどの描写でもよれるところまでズームで寄って撮っている。望遠好きの私でも、もうちょっとはなれろよって思うろころが数々あるくらい、望遠レンズ映画。
その方面で勉強するにはいい題材です。

<あらすじ>
中庭をはさんだ向かいに住む美しいアリス(サンドリーヌ・ボネール)の生活を、夜毎、電気もつけずにただ眺めることに幸せを感じる仕立て屋イール(ミシェル・ブラン)。そんな彼を刑事が尋ねてくる。イールは以前強制わいせつ罪で捕まったことがあり、近所でおきた殺人事件の容疑者の一人として考えられていたからだ。
しかし真犯人はアリスだった。
アリスの部屋に時々婚約者のエミール(リュック・テュイリエ) がその男をころし、アリスが処分を手伝った。そんなアリスが在る時、自分をみているイールの存在に気づいてしまう。最初ショックを受けるアリスだが、その男は死体を処理する現場をみているかどうか確かめなければならない。
そう、イールはそれも見ていた。知っていたが警察には黙っていた。初めはエミールを守るためにイールに接近したアリスだったが、徐々に彼の愛に心が揺れていく。
イールはアリスに一緒にスイスに逃げようと持ちかけるが、逆に裏切られ、濡れ衣を着せられる。しかし、イールがアリスと国外脱出する旨を語った手紙を前もって刑事に送っていたため、真相は暴かれることになる。

まったく・・・、こんな女になぜ惚れる。惚れる価値があるのか?っと思うかもしれないが、男はそういう生き物なのである。デイジーに惚れるギャッツビーのようなものだ。

by ssm2438 | 2011-04-25 21:00 | パトリス・ルコント(1947)
2011年 02月 28日

私の教え子(2007) ☆☆

f0009381_4382051.jpg監督:オーリ・サーレラ
脚本:ミカ・リパッティ
撮影:ロベルト・ノードストローム
音楽:トゥオマス・カンテリネン

出演:
クリスタ・コソネン (サリ)
カリ・ヘイスカネン (ミッコ・グローマン助教授)

画面の質は高いが・・・話は面白くない。

表紙のクリスタ・コソネンをみて、ついつい借りてしまったが、お話の展開はきわめて退屈。困った映画だ。実際彼女自身もうごいているのをみると、水泳をやっているらしく、肩幅のがっちりとした大柄美人で、色気はない。しかし、やっぱり魅力はある。ヌードもわずかながら披露してくれる。
そしてこの映画の画面、質感、色味、画面構成、雰囲気作りなど、透明感のある、清涼とした感じが実にきもちをおちつかせてくれる。物語だけなら☆ひとつだが、この雰囲気が実に良い。タルコフスキーに耐えられる人だけに勧める。個人的にはタルコフスキーよりも画面は素敵だと思う。

大学にはいったばかりのサリ(クリスタ・コソネン)は、フランス近代詩の父・ボードレールをこよなく愛するミッコ・グローマン助教授(カリ・ヘイスカネン)の講義に魅了されていた。一方グローマンも、「『垂直方向の関係』とは、以前は神と人間との関係だったが、ボードレールは人と俗世との関係引き落とした。神を関係から排除したのだ」という彼女の鋭い指摘に感化される。そんなグローマンは夫婦関係がぎくしゃくしており、妻の不倫相手が認識されたことで家を出てホテル住まいになる。一方サリは新しい部屋に越したばかりで、ルームメイトを探しており、二人の利害が一致し一緒に住むことになる。最初はただのルームメイトだった二人だが、いつしかお互いを求め合うようになる。『垂直な関係』から『水平な関係』への移行だった。

ボードレールは若くして美術批評家として文壇にデビューを果たし、特に当時、物議を醸していたロマン主義画家のドラクロワに対する熱心な弁護と評価を行った。的確な指摘と同時に、美術批評を介して独自の詩学を打ち出すという「詩人による美術批評」の先鞭をつけた人物。彼の講義の中で、この『垂直方向の関係』と『水平方向の関係』に関してグローマンが講義している内容とさりげなくからめながら、二人の関係を描写していく。当時の美術界はロマン主義から印象派へと変わっていく過渡期だった。

やがて二人は仲たがいするが、物語の最後には再び再構築される(・・ということだったのだと思う)。

by ssm2438 | 2011-02-28 04:42