西澤 晋 の 映画日記

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2009年 06月 05日

影武者(1980) ☆☆☆

f0009381_2356869.jpg監督:黒澤明
製作総指揮:フランシス・F・コッポラ、
        ジョージ・ルーカス
脚本:黒澤明、井手雅人
撮影:斎藤孝雄、上田正治
美術:村木与四郎
音楽:池辺晋一郎

出演:仲代達矢、山崎努、萩原健一

        *        *        *

黒澤明のカラー作品のなかでは一番面白いと思う。黒澤作品は良くも悪くも<記号性>ということがポイントになるのだが、今回の『影武者』ではその記号性とドラマ性の融合が一番バランスよく出来上がっているように感じた。

<あらすじ>
武田軍は、三河の家康の砦、野田城を落城寸前まで追いこみながら、急に和議を結んで甲斐に帰えってしまう。武田の御大信玄(仲代達矢)が鉄砲で狙撃されて重態になってしまったのだ。信玄は「われ死すとも、三年は喪を秘し、領国の備えを固め、ゆめゆめ動くな」との遺言を残し世を去った。
信廉(山崎努)はかねてから、信玄と瓜二つの男を用意していた。その男(仲代達矢)は口のきき方も馬の御し方もしらない盗人だった。敵をあざむくためには、まず味方をあざむかねばならない。側近のものが胆を冷やすことも幾度となくあったが、“影”は次第に威厳のようなものをそなえるようになっていく。
すっかり影になりきった彼に不慮の事態が起ったのは、遺言の三年が過ぎようとする頃だった。信玄だけが御し得た荒馬「黒髪」からふり落とされたとき、川中島での刀傷がないのを側室たちに発見されてしまった。信玄の死は公表され、“影”はただの男に戻った。
天正三年春、勝頼(萩原健一)は武田の全軍を率いて長篠に向っていくその傍、あの“影”が身をかくしながらついてゆく。信長、家康の連合軍と武田軍との戦いの火ぶたが切られたが、鉄砲という新兵器に、伝統を誇る武田ははかなく崩れていく。戦いの中を、思いあまって叫びをあげてとびだしてしまう“影”、万雷のような銃声とともに彼は大地に倒れた。

by ssm2438 | 2009-06-05 23:35 | 黒澤 明(1910)
2009年 04月 12日

復活の日(1980) ☆☆☆

f0009381_5391654.jpg監督:深作欣二
原作:小松左京
脚本:高田宏治、グレゴリー・ナップ、深作欣二
撮影:木村大作
音楽:羽田健太郎

出演:草刈正雄、渡瀬恒彦、オリヴィア・ハッセー

        *        *        *

シーンシーンをみるとダサイところは一杯あるのだが、しかし、これは名作だと思う。原作は『日本沈没』小松左京。細菌兵器のために人類はほとんど絶滅、潜水艦でくらしていたクルーと南極基地のわずかの隊員だけが残された、そんな環境化での人類再生への営みを描いた映画。そこでは女性の数があまりにすくなく、一夫一婦制は精神衛生上無理だと判断され、女性とのセックスは順番制がしかれる。確かに男性何百人に対して女性はたった8人、子供が必要な状況はわかるが、なんという判断!!と当時この映画を見たときはカルチャーショックを受けた。

今では想像できないくらい本物を使った映画。本物の潜水艦をチリ政府から借り入れて撮ったとか・・。当時の角川映画は予算が一杯あったのだ。
そして、南極基地のシーンは北海道でとることになっていたらしいのだが、木村大作が「南極に行かないなら俺はおりる!」とごねたらしく、南極にいったとか。すごいなあ。それができてしまえる当時の角川はやっぱりお金があったのだ。

この映画の最後は、草刈正雄がワシントンから南米チリの南の端まで歩いてくることによってすべてのすべての細菌が消滅したことを照明し、人類がまた大陸へ進出していく可能性を示して終わる。
この映画を見なかったら、私も東京から岡山まで歩いて帰ろうとは思わなかっただろう。はは、若気の至りでそんなことをしてみたこともあったのさ・・・。

<あらすじ>
摂氏マイナス10度で自己増殖をはじめ、零度を越えると猛烈な毒性を発揮するM-88というウイルスが、東ドイツの細菌兵器研究所から盗まれた。そして彼らをのせた小型飛行機が吹雪のためにアルプスで遭難、細菌が飛散してしまう。
夏の終り、南極に残る十一ヵ国八六三人を除いて世界は死滅した。八人の女性を含む残された人々の生活が始まった。そして蔓延前に出航していた原子力潜水艦の乗組員たちがこれに合流した。その中には日本人の地震学者吉住(草刈正雄)もいた。そこは人類の種を絶やさないために、のこされた8人の女性は多くの男性との性交渉を義務づけられるという異常な環境だった。

ある日、地震学者の吉住が人類滅亡の第二の危機が迫っていることを伝える。地穀変動調査でアメリカを垂直型地震が襲うことを探知した。ホワイトハウス地下には自動報復システムはまだ生きており、自身の衝撃波をソ連の攻撃と感知すれば作動すると言う。ミサイルが発射されれば、ソ連の報復システムも作動するはずだ。そのうちの一つが南極の米軍基地に降ることがわかった。
原子力潜水艦は地震の専門家の吉住とシステムのことを熟知しているカーター少佐を乗せワシントンをめざした。ふたりは上陸しなんとかシステムを解除しようとするが・・大地震がおき、カーターは死に、ミサイルはそれを感知した核ミサイルは発射されてしまう。ソ連の報復システムも核ミサイルを発射。・・・こうして世界は二度死んだ。

それから〇年後、だれもいない地球をひとりとぼとぼ歩いて南へむかう男がいた。吉住である。かれは歩く、夢も希望ももうないかもしれない、しかし南へ向けて歩く。どこでのたれ死のうがかまわない。歩ける限り南にむけてあるく。そしてチリの南端まで来たとき再び人類とである。それは生き残りの人々がチリの南端まで南下してきたいたのだ。かれが歩いてこられるのなら、人類を滅亡に導いたウイルスは核に焼かれて死んだということだ・・・。人々はふたたび文明を築くことができるかもしれない。

by ssm2438 | 2009-04-12 04:46 | 木村大作(1939)
2009年 03月 18日

かもめのジョナサン(1973) ☆

f0009381_20383023.jpg監督:ホール・バートレット
原作:リチャード・バック
脚本:ホール・バートレット/リチャード・バック
撮影:ジャック・コーファー
音楽:ニール・ダイアモンド/リー・ホルドリッジ

声の出演:ドロシー・マクガイア/ジュリエット・ミルズ

      *       *       *

リチャード・バック大好き人間の私なのだけど、この映画はいただけなかったかな。やっぱりこういうものはあまり映画として具現化しないほうがいいなあ。だいたい原作のスピリットを映画にしよういうよりも、カモメを飛ばしてそれに歌と音楽のせて、原作にあったようなナレーションをながしとけばいいな・・くらいの映画。

しかし、あえて言おう。原作は素晴らしい! まだ読んでない人は一生に一度は必ず読むべし!

ジョナサン・リビングストン・シーガルというのは飛ぶことを極めようとするカモメ。誰よりも高く飛びたい。誰よりも速く飛びたい。他のカモメにとって飛ぶことは餌をとることの手段でしかない。しかし、ジョナサン・リビングストン・シーガルにとっては、飛ぶということ自体が人生の目的であり、飛ぶことを極めるために生きている。そんなカモメ。
最速で飛びたいと思ったジョナサン・リビングストン・シーガルは、可能なかぎり高くまで上昇し、そこから急降下。翼を体に出来る限りぴたっとくっつけで、はるか下方の海にむかってダイブする。気絶しそうになりながら空気圧に耐えて落下していく。そんなカモメ。

そして最後は神の域にたどり着く。誰よりも速く飛ぶというのは、それを念じたとき、もうそこに存在することだ。
こうなると量子拡散~収束を一瞬でなしとげるグレッグ・イーガン『宇宙消失』レベルまで到達してしまうカモメ、それがジョナサン・リビングストン・シーガル。

そう、『カモメのジョナサン』は精神SF小説なのだ!

ちなみにこの映画、『2001年・宇宙の旅』と同じ臭いがする。なんか・・・その映画の出来方というか・・、内容というか・・、似てるんだよね。おまけにコケ方まで似てる。

by ssm2438 | 2009-03-18 20:39
2009年 02月 03日

駅/STATION(1981) ☆☆☆

f0009381_8491631.jpg監督:降旗康男
脚本:倉本聰
撮影:木村大作
音楽:宇崎竜童

出演:高倉健
    倍賞千恵子
    いしだあゆみ
    烏丸せつこ
    古手川祐子

        *        *        *

やはり木村大作の画面がすばらしい!! 雪をバックに、あるいは冬の海をバックにした健さんを望遠で撮るとそれだけで絵になってしまう。

この映画、1981年日本アカデミー賞作品賞、主演男優賞、脚本賞をとっているそうな。悪くはないのだが・・、エピソードがいろいろあってひとつに収束する物語ではないのでいまひとつ求心力がないかな。ただ、そうはいっても倉本聡の書き出す人間像はとてもじわっとくるものがあり、一つ一つのエピソードは心うったえかけるものがある。

<あらすじ>
その日、警察官の三上英次(高倉健)は雪の降り続く銭函駅ホームで、妻の直子(いしだあゆみ)と、四歳になる息子義高に別れを告げた。苛酷な仕事と、オリンピックの射撃選手に選ばれ合宿生活が続いていたあいだ、孤独にたえられなくなった直子は浮気にはしった。離婚を承諾した直子は、動き出した汽車の中で、英次に笑って敬礼するが、その目には涙が溢れていた。

f0009381_183252.jpgそれから10年がたった1976、英次たちは赤いミニスカートの女だけを狙う通り魔を追っていた。増毛駅前の風侍食堂につとめる吉松すず子(烏丸せつこ)の兄、五郎が犯人として浮かんだ。すず子はチンピラの雪夫の子を堕すが、彼を好きだった。雪夫は結婚を口実にすず子を口説いた。すず子は、愛する雪夫を兄に会わせたくて駅に案内した。刑事たちが五郎めがけていっせいに走り寄った。すず子の悲鳴がこだました。

4年後、 英次のもとに旭川刑務所の吉松五郎から、刑の執行を知らせる手紙が届いた。四年の間、差し入れを続けていた英次への感謝の手紙でもあった。英次は故郷の雄冬に帰ろうと、連絡船の出る増毛駅に降りた。風待食堂では相変らず、すず子が働いていた。雪夫は結婚したらしく、妻と子を連れてすず子の前を通り過ぎて行く。
舟の欠航で所在無い英次は、赤提灯「桐子」に入った。テレビでは八代亜紀の「舟唄」が流れている。大晦日、二人は留萌で映画を観た。初詣の道陰で桐子(倍賞千恵子)を見つめる一人の男に気づく英次。雄冬に帰った英次に十三年ぶりに直子が電話をかけてきた。池袋のバーでホステスをしているという。“指名22号"のタレ込みがあり、英次は増毛に戻った。手配写真と、桐子を見つめていた男の顔が英次の頭の中でダブル。桐子のアパートいってみると22号がいた。「にげて」という桐子。しかし22号は英次の拳銃で撃ち殺された。警察に通報しながら22号をかくまっていた桐子。筋がとおらんじゃないか・・と問い詰められ

「とおりませんね。でも、男と女ってそういうもんじゃないんですか」と桐子。

・・・・まったくである。

札幌に戻る前、英次は桐子を訪ねた。英次に背を向け「舟唄」を聞き入る彼女の顔に涙が流れていた。

by ssm2438 | 2009-02-03 08:12 | 木村大作(1939)
2009年 02月 01日

日本沈没(1973) ☆☆☆

f0009381_1701436.jpg監督:森谷司郎
原作:小松左京
脚本:橋本忍
撮影:村井博
    木村大作
音楽:佐藤勝
特技監督:中野昭慶

出演:藤岡弘
    小林桂樹
    丹波哲郎
    二谷英明
    中丸忠雄
    いしだあゆみ

     ×     ×     ×

先頃TVシリーズの『日本沈没』をボックス買いし、TVシリーズのこの作品をみてみた。作りはチープでも、やはりこの作品は一度キチンと語っておかなければいけない作品だなあと思い取り上げることにした。
しかし、語ろうにも原作を知らないとどうにもその本質がわからないようで、しかたなくまず原作を読むことにした。

まず思ったのが、この劇場版の『日本沈没』(1973)はかなり正確に原作のスピリットとストーリーをカバーしているということがわかった。どちらかひとつ見るのだったらやはり昭和『日本沈没』のほうが正解だろう。
平成『日本沈没』は、イベントだけをその題材にしているが、物語は全然性質が違うものだし、その中で描かれているのはCGフルに使ったその他大勢のトレンディ・ドラマの一つであり、これはこれでほんとにこういうもんだと思って観るなら、全然受け入れられるものだとも思うのだけど、さすがに前の『日本沈没』を知っているものにしてみると、本質的な部分がまるで排除されてるので、どうも『日本沈没』というタイトルには値しないような気がする。


以下、小松左京の原作のストーリーを追いながら思うことを書いていこう。

ドラマは、日本の遥か南の海上の小さな島が一晩にして沈没した事件をうけて、その原因を探るという形で始まっていく。小松左京の深海に潜るわだつみのゴンドラのなかの描写はとってもすてきだ。バチスカーフタイプの深海潜水艇はガソリンをフロートに使うそうな。おお~~そうだったのかと関心してしまう。誰が考えつたのかしらないが、人間というのはすごい頭をもっているものだと関心してしまう。
潜水するためのバラスト、船底からのびたガイドチェーン。
沈んでいくわだつみの下にはガイドチェーン(200メートルくらい?)が伸びていて、水中にある時はそれもバラストの役目をしているが、海底にチェーンがつくと徐々に空間にあるチェーンの長さは短くなるのでトータル質量が減るしくみになっており、降下速度が減っていくとか‥‥なんだかこういう人間が考えたこそくな仕組みというのはとってもわくわくする。
浮上するときはバラストを切り離す。これは平成『日本沈没』できちんと描かれていて、ここだけはとっても好感がもてた。しかし、浮上のさいに切り離すバラストはなんでもあとでもう一度船上のクレーンで引き上げるのだとか‥‥、なんだかそのせこさがとってもすてきだった。

やがて東京にもどった小野寺は吉村部長につれられて銀座の飲み屋にむかう。そこで阿部玲子とお見合いしてみなかという話をきかされる。
映画でも、TVでも小野寺とひっつくのは阿部玲子なのだが、原作では実はここで出てくるホステスのマコ(摩耶子)と最終的にひっつくことになっている。男子たるもの、つねに進化するために憧れる女性と、安らぐための劣等感を感じない女性を必要とするものだが、小松左京はこの二つのタイプの女性を小野寺に用意している。
そうはいっても、平成『日本沈没』みたいなベタなトレンディな恋愛ではなく、もっとからっとした、恋愛かどうかもわからない男と女の関係としてえがかれているのだけれど。

阿部玲子に関していえば、いしだあゆみが正解だろう。由美かおるでも十分納得はできる。
小野寺は、原作の雰囲気ではTVの村野武則のほうが近そう。あの時代の大人からみたある意味軽い‥‥、そしてじとっとした怨念をもたないような、それでいて誠実さのある肯定的にとらえた未来の日本人を小松左京は小野寺というキャラクターで描こうとしていたようだ。藤岡弘ではちょっと濃すぎる。が、原作を離れてみた場合は、彼で正解だと思える。
トータルで昭和『日本沈没』の配役はとっても妥当な配役をしている。D計画の田中(黒沢年男)、幸長助教授(細川俊之)はTVシリーズの二人も十分素敵だ。とくに幸長にかんしてはTVの彼の方が私的にはお気に入りである。
残念だが、平成『日本沈没』の配役は最悪だ。ドラマの本質を離れて、人気商売ネタとして設定されたとしか思えない。


やがておこる京都地震。これは原作でもちょろっと書かれただけのエピソードだが、山根優一郎のモディファイドしたTVシリーズの11話~13話はすごく出来がいい。ほとんど日本人の心のふるさとの崩壊を見事に描いてくれた。
政府や渡老人が国宝級の仏像や絵画など膨大な財産をなげうって(私利私欲のためではなく、純粋にその文化財を残すために)買い取り国外に持ち出したり、それらをオークションで海外にうりさばいたりする作業が実にせつない。
原作の最後に、田所博士がこんなことを云っている。

  「日本人は‥‥、人間それだけで日本人というわけではない。
   この4つの島、この自然、この山や河、富士山や日本アルプス、利根川や足摺岬、
   先人たちが残した遺跡、それらが一体となって「日本人」なのだ。
   もしそれらが失われた、もはや日本人というものはなくなるのだ‥‥」

この想いを具現化するように、日本人から、日本人の心のふるさと=京都を奪っていくこの一連のエピソードの情緒性はTVのなかでも際立って切ないものに仕上がっている。


やがて小野寺と阿部玲子が海外に旅立とうとするその日に富士山大爆発、真鶴道路で阿部玲子は死ぬのである‥‥原作では。小野寺にとって阿部玲子は、死んだかどうかもわからないまま、突然消えた永遠の夢人に昇華されるのである。その残酷なまでに完全になくなってしまわない0.001%の希望が、小野寺を絶望的な救助活動へと駆り立てていくことになる。そしてその救助活動のなかで摩耶子と再開する。

原作では阿部玲子はメインの登場人物ではないのだ。そしてたぶん、富士の大爆発で死んでいるのだろう。その後の小野寺とひっつくことになる女性はこの摩耶子という人物で、物語の前半でキャバレーの女としてちょっと登場するだけなのだ。この次点ではどうしようもない根性なしのあまったれた小娘。しかし最終章で小松左京は、彼女の中に恐ろしいまでの生命力を描き出していく。日本民族が大地はなくとも、個人としてしぶとく、雑草のように生きていけるであろう可能性を彼女に投影して描くのである。
(ここは原作を読んでください)

そして、孫娘が渡老人のところを去るシーン。
床に眠る老人が「みせてくれんか?」と頼む。
娘は白いのどを動かすようにのどを息を引いた。ひと呼吸おくと娘はつんと立ち上がり、帯がなり、着物が型をすべり、かすかな機ずれの音がすした。「日本の‥‥女子じゃなあ‥‥。丈夫なや赤子(やや)を生め‥‥」
服をもってきた男が彼女の裸身をみてためらっているのに気付くと老人は目で合図した「連れて行け」。

ここは映像で欲しかったなあ。
残念。。。

そして決め台詞、映画では田所博士の言葉として、原作では渡老人の言葉としてこう語られる。

日本人はまだ若い国民じゃ。外に出て行って痛いめにあっても、
  またこの4つの島に逃げ込んで、母親の懐に鼻を突っ込んでりゃあ良かった。
  じゃがもう帰るべき日本という国はない。
これは日本民族がいやおうなしに大人にならなければいけないチャンスかもしれん。
帰る家を失った日本民族が、世界中で海千山千の他の民族と立ち会っていかねばならん。
  外の世界に呑込まれて、実質的にはなくなってしまうかもしれん。
  あるいは真の意味での大人の民族に育っていけるか‥‥。
  日本民族の言葉や風俗や習慣はどっかに残っており、どこかに小さな国くらいつくるかもしれん。
  そして辛辣に打ちのめされ、過去の栄光にしがみつき、郷愁に溺れ、
  我が身の不幸を嘆いたり、世界の冷たさにたいして愚痴を残すつまらん民族になりさがるか
  ‥‥これからが賭けじゃな。

昭和の『日本沈没』では全部は描けないにしても、小松左京のもつ原作のメッセージが確実につめこまれている。自分をしっかり考えてみる人は、見て損はない映画だ。

これは小松左京が一人一人に
「あなたならそんな状況で生きていけるのか?
 もしそれだけ強くないなら、これからどうするか?」と問うている物語なのだ。
見ている人一人一人が、己の弱さとその対応策を己自身に問うための、そのきっかけにするべきドラマなのだ。

     ×     ×     ×

テレビ『日本沈没』のテーマソング

「明日の愛」
作詩:山口洋子 作曲:筒美京平

さようならと泣かないで 今は微笑みを
いつかまた めぐり逢える 光と風のように
人はみな遠ざかり 夢は褪せようと
花は咲く 春がくれば 地の果て 続くかぎり

あおい海の彼方の 静かな岩かげ
ひとつぶの 真珠になり 想い出遠くねむる
眼を閉じればいつでも 側にいるあなた
あの星と 同じように またたく愛のひかり

あの星と 同じように 消えない愛のひかり

by ssm2438 | 2009-02-01 12:56 | 木村大作(1939)
2008年 12月 23日

蜘蛛巣城(1957) ☆☆☆

f0009381_1259216.jpg監督:黒澤明
原作:ウィリアム・シェイクスピア、『マクベス』
脚本:小国英雄、橋本忍、菊島隆、三黒澤明
撮影:中井朝一
音楽:佐藤勝

出演:
三船敏郎 (鷲津武時)
山田五十鈴 (妻・浅茅)
千秋実 (三木義明)

        *        *        *

黒澤明の時代劇のなかではけっこう好きな映画。時間も1時間50分ときれいにまとまっており、ここちよいテンポでみられる。しかしこの映画のよさはやっぱり原作の『マクベス』だろう。3つの予言ががやっぱり物語の展開に効いて来るのだが「森が動く」をどう表現するのだろうって思ってみてたら・・・、そこはしょぼかった。兵士たちがクリスマスツリーのもみの木かなにかをもってわっさわっさと歩いてくるだけで、あそこはもっと巨大なスケールで実際にそれを大人数でやってみせってほしかったなあ。それをロングで撮って、「おおお、ほんとに山がせまってきている!!」って見せてほしかった。今の時代ならCGでそれくらいは朝飯前なのだろうが、あの時代にいっぱつ気合入れて出来なかったものか・・・。

<あらすじ>
時は戦国時代。蜘蛛巣城城主・都築国春に召喚されて嵐の中を急ぐ鷲津武時(三船敏郎)と三木義明(千秋実)は、霧深い蜘蛛手の森で迷ってしまう。そこで老婆と出会い、やがて武時は蜘蛛巣城の城主になることを、義明は一の砦の大将となり、やがて子が蜘蛛巣城の城主になることを告げられる。
老婆の予言通り、武時は、領主国春殺し蜘蛛巣城の城主となった。
しかし、内乱ののち三木の子供、三木義照らに一の砦、二の砦を包囲される。戦意を喪失し、無策の武将達に苛立った武時だが、あの老婆は「蜘蛛手の森が動かぬ限り、武時は戦に敗れることはない」と予言する。
武時は老婆の予言を語って聞かせ、士気を高める。その夜、森から斧の音が響きわたり、次いで野鳥の群れが城に飛び込む。それは敵の軍が森の木を切りそれを盾にしながら前進する姿があった。

・・・森は動いた。

by ssm2438 | 2008-12-23 00:22 | 黒澤 明(1910)
2008年 11月 03日

鉄道員(ぽっぽや) (1999) ☆☆

f0009381_2336246.jpg監督:降旗康男
原作:浅田次郎
脚本:岩間芳樹、降旗康男
撮影:木村大作
音楽:国吉良一

出演:
高倉健 (駅長・佐藤乙松)
大竹しのぶ (佐藤の妻・静枝)
広末涼子 (駅を訪れた少女・雪子)

        *        *        *

原作も直木賞、映画も日本アカデミー賞を数々の部門でとったこの映画なれど・・・、私はいただけなかったなあ。なんだか狙いすぎの感もあり、全然感動できなかった。
一番の問題は、この健さんのキャラに賛同出来るかどうかだったと思う。私は・・・ダメだった。過去のスタイルにこだわりすぎて新しいものに挑めないというのは、私の価値観ではNG。たしかに国鉄時代のその職業はある種のステイタスがあった。当時は親子代々国鉄って人も多く、国鉄で働く人は、みんな国鉄を愛していた。誇りがあった。『海峡』で描かれた国鉄の男たちは、日本中に鉄道を敷くことに誇りをもって生きていた。それは分るのだけど、だからこそ、想い入れあるものを捨てられるだけの勇気もほしかった。それを捨てるべきものとして描いたらどれだけ納得できたことか・・・。

しかしそれでも、木村大作の撮る雪景色バックの健さんはいい。
そして木村大作が撮る汽車の望遠はやっぱり心が躍る!

<あらすじ>
以前は炭鉱の町としてにぎわった北海道の幌舞線の終着駅幌舞。の駅長・佐藤乙松(高倉健)は、鉄道員(ぽっぽや)一筋に人生を送ってきた男だ。幼い一人娘を亡くした日も、愛する妻(大竹しのぶ)を亡くした日も、彼はずっと駅に立ち続けてきた。だが、その幌舞線も今度の春で廃線になることが決まっていた。
そんな佐藤の前に、ひとりの幼女が現れる。正月の帰省で都会からやってきた子供らしい。その少女に死んだ一人娘・雪子の面影を重ねていた。その夜、昼間の少女が忘れていった人形を取りに来たと言って中学生の姉が駅舎を訪れた。佐藤は彼女をやさしくもてなすが、、彼女もまた人形を忘れて帰ってしまう。翌日、またしてもふたりの少女の姉と名乗る高校生(広末涼子)がやってきた。17歳の彼女は鉄道が好きらしく、佐藤の話を聞いたりして楽しい時間を過ごした。だが、実は彼女は17年前に死んだ乙松の子供・雪子だったのである。彼女は、自分が成長する姿を父親に見せるために現れてくれたのだ。
翌朝、すっかり冷たくなった佐藤の亡骸が、幌舞駅のホームで発見された。国鉄と共に生きた男の一生であった。

by ssm2438 | 2008-11-03 23:36 | 木村大作(1939)