西澤 晋 の 映画日記

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2010年 09月 03日

星に願いを(1987) ☆

f0009381_857364.jpg監督:エイミー・ジョーンズ
脚本:エイミー・ジョーンズ
    ペリー・ホーズ
    ランディ・ホーズ
撮影:シェリー・ジョンソン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:アリー・シーディ (ジェシー・モンゴメリー)

       *        *        *

アリー・シーディの没落はこの映画から始まった。

こんな映画をう見るための、きうきして劇場に足を運んだ私は馬鹿だった。。。まったく面白くもクソもない。話は逆シンデレラ・ストーリー。わがままし放題のご令嬢にお灸をすえるために妖精が出現、彼女をメイドにしてしまうという話。普通につくればそんなにつまらないことにはならないはずなのに徹底的につまらない。

主演は当時飛ぶ取り落とす勢いのアリー・シーディ、その父親には『トップガン』などでいいオヤジ役をこなしてるトム・スケリット。キャスティング的にはほとんど問題がない映画なのだけどシナリオと演出センスがなさすぎる。

脚本も書いている監督のエイミー・ジョーンズ、さて他にはどんな作品にからんでいるのかっとチェックしてみると・・・、おおおお、出てくる出てくる(実は大して出てこない。才能ないから大して使われていなかったようだ・・はは)つまらない映画の嵐。『ミスティック・ピザ』、怒涛のようにつまらなかった。『幸福の条件』なんかもやっている。あれはエイドリアン・ラインが監督をやってるので話は真剣につまらなかったけど、見られる映画になっていた。しかし・・・このエイミー・ジョーンズ、哀れなほど物語を作る人として才能ないですね。

音楽だけはジョルジュ・ドルリューなので救われている。

<あらすじ>
パリス・ヒルトンのように我がまま放題に育ったお嬢さま、ジェシー(アリー・シーディー)の毎度のご乱行に腹を立てた父親のチャールズ(トム・スケリット)は、「こんな娘いなければいい」と口走ってしまう。それを聞いたおせっかいな妖精のステラ(ビヴァリー・ダンジェロ)は、チャールズの記憶からジェシーの部分だけを削除する。娘の記憶を消去されたチャールズは、家の中を闊歩している素性のしれないわがままな女を追い出してしまう。
事の成り行きが理解できぬまま、突然一文無しになってしまったジェシー。しかたなくバイトを探し、成金趣味の音楽プロモーター、スターキー家のメイドとして働くことになる。家事などやったこともないジェシーは散々な毎日を送るが、やがて料理人のオードリー(メリー・クレイトン)と親しくなり、人間的にまともになっていく。作曲家志望のニック(マイケル・オントキーン)との間に芽生えたほのかな恋。やがてステラから許しを得ることができたジェシーは、無事もとの生活に戻ることができるのだった。

「白人のメイドはすくないから、すぐ職がみつかるわよ」って言う台詞だけがやたらと印象に残ったが、それ以外は何も残らなかった(苦笑)。

by ssm2438 | 2010-09-03 09:04
2010年 08月 25日

さよならジュピター(1984) ☆

f0009381_11141798.jpg総指揮:小松左京
監督:橋本幸治
原作:小松左京
脚本:小松左京
撮影:原一民
特技監督:川北紘一

出演:三浦友和 (JS計画主任・本田英二)

       *        *        *

草原の輝き、花の栄光
再びそれは還(かえ)らずともなげくなかれ、
その奥に秘められたる力を見い出すべし。

<ウィリアム・ワーズワース>

大いなる失敗さくである。それは誰もがみとめるところだろう。だからといってこの映画を嫌いにはなれない。この映画には愛すべきパッションがある。この映画には小松左京の執念を感じる。ただ表面がぼろぼろに朽ち果てただけだ。

この映画は小松左京の想い入れつまっていた。
ウィキペディアからその制作にいたる過程を抜粋し、まとめてみた。

かねてから日本でも『2001年宇宙の旅』に匹敵する本格SF映画を作りたいと念願していた小松左京は、1977年暮れから、当時の若手SF作家を中心に集合をかけ16回に及ぶブレーン・ストーミングを行なった。参加したメンバーは、豊田有恒田中光二山田正紀野田昌宏鏡明伊藤典夫井口健二横田順彌高千穂遙といった面々で、当時の日本SF界の中核が動員された。1979年に木星に接近したNASAのボイジャー計画による最新の探索データが取り入れられ、また、ハードSFで知られるSF作家の石原藤夫にも声がかかり、映画に登場する天体の軌道計算という考証面で協力した。
1979年半ばにシナリオの初稿は完成。上映時間3時間を越え、外国人俳優数百人を要するというスケールの大きさだった。アメリカでの著作権登録も行なわれた。後に現実にアメリカの映画会社から原作を買い取りたいという申し出があったが、アメリカ人を主役とし、小松を制作には関与させないという契約条件で、合作ではなくアメリカ映画として制作するというものだったため、あくまで日本人の手で本格SF映画が作りたかった小松左京はこれを断っている。
映画化に先駆けて、映画の初稿脚本を原作としたノベライズを1980年から週刊サンケイに連載された。連載中の1981年、小松は本作制作のために、株式会社イオ(個人事務所)を設立し、本作を東宝とイオの共同制作とする。小松は脚本執筆のみでなく、総監督として現場の指揮も執ることになり、映画化の全般に責任を負う体制を敷いた。
1983年3月に撮影用台本は完成。小松の『日本沈没』(1973年)を監督した森谷司郎を再び監督に予定していたが、森谷の死去に伴いその助監督だった橋本幸治を監督に起用。特技監督は、新鋭の川北紘一が務めることになった。

この森谷司郎が死んだ時点で、映画としてのこの作品の命はついえたのかもしれない。橋本幸治ではどだい無理な話だ。ただ、森谷司郎の場合は、本来具体的にみせてほしいところを、雰囲気の描写に逃げてしまう傾向があり、それがちと困ったチャンなのだが、少なくとも当時の監督でこの映画をころがせたのは彼しかいなかったかもしれない。
なお、撮影には『神田川』『優駿』原一民が参加している。第一希望は木村大作だが、彼が出来ないのならこの人しかいないだろう。

<あらすじ>
西暦2125年、マイクロブラックホールが、太陽に衝突するコースをとっている事が判明する。太陽系を救う方法はただ一つ、木星を爆発させてブラックホールに衝突させ、そのコースを変更する事だった。
太陽系外縁の開発に着手していた太陽系開発機構は、計画主任・本田英二(三浦友和)を中心2140年の実現へ向けて「木星太陽化計画」を進めていたが、そのプロセスを応用して木星を爆発させプロジェクトに変更される。
木星爆破計画を進める英二だが、彼の恋人のマリアは、過激な環境保護団体「ジュピター教団」の破壊工作グループのメンバーとなっていた。英二らと銃撃戦となり、マリアは英二の腕の中で死亡。傷ついた本田は木星の爆発とともに死亡。ブラックホールは進路を変えて太陽系外に去っていった。

物語には木星に存在する未確認生命体の存在の手がかりなどがあって、上手に作ればかなり感動する話になっていたとは思うのだが、出来上がった映画はかなり散々な出来になってしまった。
なんでここまでダメだったのか検証してみた。

1、社会性がまるでない。
地球上の人間社会がまるで描かれていないのである。
ブラックホールが太陽の軌道上に飛び込んでくると、人類はおろか地球上の総ての生き物が死に絶える・・という危機をどう乗り切るか・・という話なのに、人類社会が登場しない。原作では木星をある志向性をつけて爆破させ突進してくるブラックホールにぶつけるという計画以外に、わずかでも人類を脱出させようと宇宙船をつくり抽選であたったものだけをその船にのせ外宇宙におくる計画も進行する。2つの巨大なプロジェクトを同時進行させるために、物資がおもいように手に入らずそんな中で、主人公たちは木星爆破計画を実行していくプロセスがおもしろいのに・・。
この物語が面白いのは先の『日本沈没』のように人間が組織としてどうこの危機を乗り越えようとしたかであって、スペクタクルはどうでもいいのである。
それをあの大バカ監督の橋本幸治は・・・。こいつはまったくわかっていない。

2、宇宙に星がある。
『スターウォーズ』のみすぎではないのか? スペースシャトルの写真などをみたら宇宙は漆黒の闇であるのは当然のこと。小学生でも星は昼は見えないことは知っている。宇宙はいつも昼である。なら宇宙で星がみえないのは当たり前である。『2001年宇宙の旅』ではきちんと漆黒の闇として描いていた。あの映画から既に15年くらいたっているかと思うが、いまだにそんな低次元のアニメ的価値観しかいようではどうしようもない。

3、なすかの地上絵や木星の中のジュピターゴーストをまったく生かせていない。
生かせないなら斬るべきだったのでは? じつはこのコンセプトは原作でもあまり上手い具合に機能してないところで、わざわざそれを入れ込む必要はなかったのではないのか? この話なら古代地球におりたった異星人のことなどリアリティを阻害するだけなので排除すべきだった。

4、本田英二とマリアの関係があまりに理解不能。
原作ではかなり無理があるところなで、削除しても良かったのでは? 昔は幼馴染で恋人だった二人が時がたち、マリアはジュピター教団の過激派に属し、英二はJS計画の主任になっている。でもお互いが顔をあわせば恋人同士という、説明して出来ないわけではないがやっかいになりすぎる。

5、ジュピター教団をどうとらえていいのか判らない。
教祖のピーターは原作では良い人で(それはこの映画でもそうなのだが)、そこに集まってきた人が集団心理の中で自然保護とかを謳いあげ過激派になっているという、これも複雑な構造。これをきちんと説明するのはかなり難しいと思われる。

結局森谷司郎に出来て無能橋本幸治に出来ないこととは、組織の描写なのだ!
もっとも、橋本幸治には人間個人の描写もできないが・・。このバカのバカさ加減は絶大なるものだ。そこにそのイベントが起きるなら、その必然性を語らないといけないだろうに、その必然性が語られないのだから「なんでこの二人は無常力で“H”してるん??」って疑問をもってしまう。頭の悪い監督というのは結果だけを書いてしまうものだが・・・。

しかし、愛すべき失敗作であることには替わりはない。
「作り直せ!」と声を大にして言いたい。

by ssm2438 | 2010-08-25 11:15
2010年 08月 18日

007/カジノ・ロワイヤル(1967) ☆

f0009381_12543118.jpg監督:ジョン・ヒューストン他
原作:イアン・フレミング
脚本:ウォルフ・マンキウィッツ
    ジョン・ロウ
    マイケル・セイヤーズ
撮影:ジャック・ヒルデヤード
音楽:バート・バカラック

出演:
デヴィッド・ニーヴン (ジェームズ・ボンド卿)
ピーター・セラーズ (イヴリン・トレンブル)
オーソン・ウェルズ (ル・シフル)
ウディ・アレン (ジミー・ボンド=ドクター・ノア)

       *        *        *

はああああああ、私はダメでした。。。

007シリーズをつくっていたイオン・プロだが、一本だけ映画権をとりそこねたエピソードがあった。それがこの『007/カジノ・ロワイヤル』である。その映画権を一足早くさらっていたのが『欲望という名の電車』や『7年目の浮気』などのプロデューサー、チャールズ・K・フェルドマン。その彼によってつくられたのがこの映画だが、007のパロディ映画であり、正式なシリーズとは言いがたいもの。でも一応原作表記はイアン・フレミングである。
当時の豪華な俳優達が数多く出ているのだが、内容は脈絡のない乱痴気騒ぎをくりひろげるだけで、どんなストーリーなのかも判らない。ダニエル・クレイグの『007/カジノ・ロワイヤル』をみても、これが同じ原作から出来たとは到底おもえない。

<あらすじ>
各国の情報部員が次々に行方不明になる事件が起きる。イギリス秘密情報部のMは、CIA、KGB、フランス情報部の代表団とともに、既に現役を退いた嘗ての名スパイ、ジェームズ・ボンド卿(デヴィッド・ニーヴン)を訪ねるが、ボンド卿はこれを断る。しかしその直後彼の屋敷が何者かの攻撃を受けてMも死んでしまう。Mに替わって情報部のトップに就いたジェームズ卿は、敵を混乱させるため、全ての情報部員にジェームズ・ボンドと名乗らせることにする。
謎の組織スメルシュの幹部ル・シフル(オーソン・ウェルズ)は、使い込んだ組織の金の穴埋めのためにカジノでイカサマ・ギャンブルをして金を稼ごうとする。ジェームズ卿はバカラの名手イーブリン・トレンブル(ピーター・セラーズ)をスカウトしており、彼もまたジェームズ・ボンドを名乗ってル・シフルと勝負することになった。
・・・しかしラスボスは、女にもてないことに劣等感を感じるジミー・ボンド=ドクター・ノア(ウディ・アレン)。笑気ガスをあびてみんなが笑い転げながら戦うクライマックスが・・・イタい。

・・・とにかく総てがイタくて、総てがすべる脈絡のない映画だった。

by ssm2438 | 2010-08-18 12:59
2010年 07月 10日

首都消失(1987) ☆

f0009381_9483652.jpg監督:舛田利雄
原作:小松左京
脚本:山浦弘靖/舛田利雄
撮影:飯村雅彦
音楽:モーリス・ジャール
特技監督:中野昭慶

出演:
渡瀬恒彦 (北斗電機技術開発部長・朝倉達也)
名取裕子 (キャスター・小出まり子)
山下真司 (KSテレビ局員・田宮洋介)

       *        *        *

発想は良かったのに、それを具現化する技術力がなかった・・・残念。

原作は、日本SF大賞を受賞した小松左京の同名小説。技術力はとぼしくても、個人的には小松左京の原作を映画化したほかの作品はかなり好きなのだ。『日本沈没』にせよ>『復活の日』にせよ、『さよならジュミター』でさえけっこう好きである。しかし、この映画だけはいただけない。『天国の大罪』でも思ったが舛田利雄が監督すると作品は壊れる。この人に映画を撮る才能はない。

原作のお話は、東京を中心とする半径約30km圏が正体不明の「雲」に覆われ、「雲」の外部との連絡が途絶してしまうというもの。統治機構が機能不全になった日本がどう対処するのか、それに対する外国はどう対処するのか・・というシュミレーション小説だった。全国知事会を基礎とした暫定統治機構(臨時国政代行組織)が樹立されるが、財政・外交を中心に問題は山積する。一方で「雲」の軍事的利用を巡って、アメリカとソ連(作品の年代設定は1980年代のため、東西冷戦の真っ只中である)の激しいつばぜり合いが演じられる。その後、最終的に「雲」は国際的な研究コンソーシアムにより調査が進められ、地球外生命体によって送り込まれた一種の観測機器である可能性が高いという結論に達し、継続的なモニターを行うこととなったのだが、ある日突然「雲」は消失する。

映画では、前半のイベントの設定自体は原作をフォローしているのだが、そのあとは、首都にいる人々をどうやって救出する・・というパニック&レスキュー映画になっている。もっとも人間の力ではどうすることも出来ないのでレスキュー映画にもなってない。ただ何をやってもダメでした・・という話なので達成感もなにもない。ストーリーの基本構成からして大失敗してる。
物語を見やすくするために、恋愛劇を含めたレスキューミッション的なものになっているが、これは本来、首都を失った日本がどう対処していくのかという、政治的群像劇にすべきもので、その一つの手ごまとしてこの映画の主人公となっている電気関連の会社の技術者や報道関係者を使うべきだったのだろう。『日本沈没』のような方向性で作ってほしかった。

さらにレコード業界とのタイアップなのか、下手な歌を歌う歌手とか登場、一人でらりって歌ってるし・・、散々である。この歌がチョー下手。商売に使うな!!といいたい。
この映画に、映画をきちんと作ろうというスピリットはまったく感じることは出来ない。ただただ営業のためにこんな映画になりました・・という原作をだめにする以外のなにものでもない、商業ベース思考だけの映画になっている。

ちなみに音楽はなんと『アラビアのロレンス』『ライアンの娘』を手がけたモーリス・ジャールである。

<あらすじ>
突如、深い霧に覆われた東京は外部からの通信が遮断されてしまう。
大阪に来ていたTVリポーターの小出まり子(名取裕子)は、関西放送の報道マンの田宮洋介(山下真司)に見送れて東京行きの新幹線に乗り込んだ。名古屋で北斗電機の技術開発部・長朝倉達也(渡瀬恒彦)も乗り込む。仕事にかまけて家庭を省りみない彼は、妻との間に溝が生じていた。
東京に入る寸前で列車は止まってしまう。列車からおりた朝倉は厚木にある北斗電機の研究所に向かう。まり子も便乗する。そこで『物体○』と名づけられた東京を覆った雲の研究に当ることになった。一方KSテレビの田宮は報道部長に尻をたたかれカメラマンとともにヘリで東京へ向かう。上空からみると、東京は白く丸いドームのような巨大な雲に覆われている。
田宮はまり子と合流して取材に当ることになった。しかし朝倉になんとなく惹かれていくまり子に、つい憎まれ口をきく田宮。
東京上空に調査にとんだ朝倉は、稲妻が機を襲い重傷を負う。うわ言に妻子のことをつぶやくのを聞き、彼のことをあきらめるまり子。雲に電磁気エネルギーを与えればすき間ができるのではという朝倉の提案で、電磁気砲が作られた。負傷した朝倉に代り田宮がまり子と一緒に雲のトンネルの中へはいっていく。

by ssm2438 | 2010-07-10 10:01
2010年 06月 25日

漂流教室(1987) ☆

f0009381_2115593.jpg監督:大林宣彦
原作:楳図かずお
脚本:橋本以蔵
撮影:志満義之/宝田武久
音楽:久石譲

出演:
林泰文 (高松翔)
浅野愛子 (あゆみ)

       *        *        *

浅野愛子以外は全部ダメ。。。

これは人材不足もいいところでしょう。特撮の技術がまるで幼稚。救いようのない学芸会上映映画になりさがっている。大林宣彦の映画には特に感心があるわけでhないが、これだけはいただけない。

浅野愛子はなかなかかわいくて、当時『夏の妹』というヌードの写真集をだしてたい。実は今も持っている(苦笑)。まだ16~17歳くらいだったと思う。おっとりとしたもちもち感はとてもいい感じ。彼女脱いでもらえば少しはこの映画も見るべきところがあったのに・・。

楳図かずおの原作は、絵は怖いが当時なかなかコアな人気があった作品で、未来にとばされた子供たちのサバイバル物語だった。けっこう救いようのないような現実を受け入れていかなければならないような話だったが、物語の本質は、滅んでしまった未来の世界を復活させるために、過去から未来にまかれた種という設定だった。

by ssm2438 | 2010-06-25 21:15
2010年 06月 24日

マルタの鷹(1941) ☆

f0009381_10482593.jpg監督:ジョン・ヒューストン
原作:ダシール・ハメット
脚本:ジョン・ヒューストン
撮影:アーサー・エディソン
音楽:アドルフ・ドイッチ

出演:
ハンフリー・ボガート (探偵サム・スペード)
メアリー・アスター (依頼人ブリジット・オーショネイ)

       *        *        *

秘書のおねーちゃんだけは良いんだけど・・・

世間でときどきとりだたされるハードボイルドのスタンダードがこの映画『マルタの鷹』。しかし全く面白くない。私も若い頃に一度勉強がてに見たのだが、ひたすらたいくつ・・という印象で、ほとんど内容も覚えていなかった。なので今一度見直してみたのだが・・やっぱつまらない。

ハンフリー・ボガート演じるサム・スペードにまったく魅力がない。カッコつけてるようだが、まったくそう見えないのが悲しい。ボギー自体背は低いし、頭はでかいし、顔のアイテムはひろがってしまりがないし、肩幅せまいし、魅力らしい魅力はまるでない。このサム・スペードという探偵も、何をやりたい人なのかわからない。依頼人のオーショネイにキスをしてみたりもするが、その必要性を全く感じない。それは彼女もそうだし、ボギーもそうで、なんでここでこんなシーンがはいるの??って疑問にもつようなとことだけど、でも原作でそうなってるからとりあえずいれてみました・・みたいな感じ。そういうシーンがやたらと多い。

さらにオチもひどい。みんなが寄ってたかって追いかけている“マルタの鷹”は、16世紀にマルタ騎士団がスペイン王に献上するために作った純金の像で莫大な値打ちのあることという置物、しかし、それもふたを開けてみれば贋作だったという悲しいオチ。
そのオチで、なにか面白味が増すのかといえばまったくそんなことはなく、ただただとういうことにしたらいがいなんじゃないかないうていどのもの。このオチもなかったほうが作品をみてきた人になっとくできるのではないだろうか。

唯一みていて気持ちが良いのが、サム・スペードの秘書さん。この人はなにからなにまでてきぱきこなし、その有能さと潔さがとっても素敵だ。他は見るとこないなあ・・。残念な一本だった。

フレッド・ジンネマンが監督した『ジュリア』という映画の主人公戯曲作家のリリアン・へルマンが永きにわたり友好をかわしていたのがダシール・ハメット。この原作者である。

<あらすじ>
オーショネイ(メアリー・アスター)とサースビーは二人で黒い鷹の置物を追っていたが、彼女はサースビーが自分を裏切ろうとしているのではないかと感じ、サム・スペード(ハンフリー・ボガート)探偵事務所を訪れ彼の尾行を依頼する。そしてその仕事についたスペードの同僚アーチャーが殺される。
さらにカイロという怪しい小男が現れ、黒い鷹の置物を探してくれたら5000ドルの謝礼を出すという。
彼らが探していた鷹の置物は16世紀にマルタ騎士団がスペイン王に献上するために作った純金の像で莫大な値打ちのある。オーショネイとカイロは、イスタンブールに送られたガットマンという男の手先だったが、それぞれがこの宝物を独占しようとしていたのだ。
香港から入港したパロマ号の船長は重傷を負いながら、鷹の包をスペードの事務所に持ちこんで息絶える。スペードはガットマン、彼の用心棒ウィルマ、オーショネイ、カイロと事務所で会い、鷹の処分と殺人事件の犯人の処理について話をする。そこにダンディ警部補とパウルハウス刑事が登場。スペードはアーチャー殺害の犯人がオーショネイであり、サースビーと船長はウィルマに殺されたことを指摘する。そして、鷹の置物は鉛製の贋物にしかすぎなかった。

by ssm2438 | 2010-06-24 11:00
2010年 05月 15日

地震列島(1980) ☆

f0009381_2335864.jpg監督:大森健次郎
脚本:新藤兼人
撮影:西垣六郎
音楽:津島利章
特技監督:中野昭慶

出演:
勝野洋 (地球物理学者・川津陽一)
永島敏行 (ルポライター・橋詰雅之)
多岐川裕美 (川津地震研究所員・芦田富子)
松尾嘉代 (川津裕子)

        *        *        *

もしこの映画に<地震>というコンセプトがなかったら結構面白いドラマになっていたかもしれない。

この映画の問題点は、大地震が来て、そのあとのイベントがまるで関連性が寸断されてしまったことだ、その場その場の人情劇になってしまい、複雑にからみあっていた問題点が、地震がくることによって考えなくてもいい問題になってしまった。問題提示をしたにもかかわらず、その問題への回答を放棄し、別の問題に知りかえられたようなものだ。だったら「前の問題」はなくてもいいんじゃない?って思う。でも、後ろの問題のほうがつまらないので、これなら「後ろの問題」はなくてもいいんじゃない?ってことになる。その「後ろの問題」とは、地震以降のサバイバルである。
監督の大森健次郎はこれが最後の映画監督の仕事だったみたいですが、ま、才能ない人は去るべきですね。なんでこんなコンセプトで映画をつくったのは理解できない。また新藤兼人が脚本を書いているのだけど、これも完全に人選ミス。二人して映画をとんちんかんな方向にみちびいてしまった。

この手の映画は危機管理ものだとおもって見るものだけど、この映画にかんしてはさにあらず。不倫ドラマを関東大震災を背景にしてやっただけ。で主人公のテキサス・勝野洋も、やってることは『ポセイドンアドベンチャー』ジーン・ハックマン。最後は自己犠牲の自爆で水没した地下鉄の壁を爆破し水を抜き、被害者を助けるというもの。
しかし、ドラマのはじめでは、勝野洋の心は多岐川裕美に向かっており、ドラマのセオリーとしてはそこに向かうことで映画が完結することを誰もが期待するような展開だったにもかかわらず、彼の行いはそこにとじこめられた人を救うというもの。心の欲求に反して、理性がそうさせることをやってしまったためにドラマ自体がしらけまくる。これが、多岐川裕美のもとにどうしても行きたいと念じ、そのために閉じ込められた人たちと一緒に絶対そこから脱出するんだぞ!という強い意志力の話にすればこの物語はまだなんとかなっていたのに、それもできていない・・。

この映画を、表面的な道徳正義感話にしてしまい・・、理性のきいた危機管理物に出来なかった監督と脚本の才能のなさはひどい。新藤兼人にしてもこの映画じゃなかったら才能は発揮できただろうが、この映画をそんな方向性で描くというのは、きちんとした危機管理の人間のあり方を想像できなかったということ以外のなにものでもない。
勝野洋の不倫相手・多岐川裕美と、勝野洋の地下鉄での頑張りは完全に関連性がなく、物語の構成もひどい。ドラマ的になにも当初の問題点はなにも達成されることがなく(途中ですりかえられた問題点は解決されたが)、かなり消化不良のただただひどい脚本。だったらせめて多岐川裕美だけでもきれいにとってほしいのだが、ビジュアル的にはやたらとよごしまくり、ドラマ的にも煮え切らない不倫相手という立場で美しくない。

<あらすじ>
地震学者の川津陽一(勝野洋)は、近い将来、大地震が東京を襲うと直感する。陽一は観測データの異常性を訴えるが、学者たちは消極的で、防火対策は政府の仕事で、学者の職域ではないと取り合わない。そんな陽一の心を癒してくれるのは、研究所の所員、芦田富子(多岐川裕美)だけだった。
陽一は地震の権威、故川津宗近の娘、裕子(松尾嘉代)と結婚していたが、二人の間はすでに冷えていた。ある夜、陽一は別れを告げる富子に、逆に結婚を申し込む。熱いキスを交す二人。数日後、渋谷の料亭で陽一と裕子の離婚の話し合いが行なわれることになった。地下鉄で料亭に向かう陽一と裕子。部屋で仕度する富子。そこへ、震度七の地震が襲ってきた。陽一と裕子ののった地下鉄は脱線、地下水があふれてくる。一方富子のマンションは崩壊し、部屋に閉じ込められてしまう。富子を助けたのは、かねてから彼女のことを思い続けていた橋詰雅之(永島敏行)だった。一方水かさの上昇する地下鉄に閉じ込められた乗客たちは、陽一の自己犠牲により脱出することが出来た。

by ssm2438 | 2010-05-15 02:34
2010年 05月 08日

不思議惑星キン・ザ・ザ(1986) ☆

f0009381_2343234.jpg監督:ゲオルギー・ダネリア
脚本:レヴァス・カブリアゼ/ゲオルギー・ダネリア
撮影:パーヴェル・レーベシェフ
音楽:ギア・カンチュリ

出演:スタニスラフ・リュブシン/エフゲニー・レオーノフ

        *        *        *

くううううううううう、どこをどうみてもつまらん・・・

どのシーンみても「くだらねええ~~~」としか思えない。一見かくれヒット映画のようみ見て取れる映画だがさにあらず、ただのつまらない映画。ノリがまったくよくないというか(私だけかもしれないが)、この映画の世界観を楽しめない。本人はユニークな映画を作っているつもりなのかもしれないが、私にしてみれば楽しめる要素がまるでない映画。ソ連の人はこれをみて面白いとおもったのだろうか? 笑いのツボが全然違う感じがする。これで笑える人はかなり幸せなひとかもしれないが・・、普通の日本人には笑えないとおもうなあ。まだ見たことのないようなコンセプトのメカデザインを試みてる人は一度くらいはみてもいいかもしれないが、そのての資料映像として以外に楽しめる要素はなかった。
ただテリ・ギリアムの映画が好きな人にはうけいれられるかもしれない。

妻に頼まれ夕飯の買い物に街へ出た建築技師マシコフ(ヴォーヴァおじさん)と学生ゲデヴァン(ヴァイオリン弾き)の二人は、浮浪者のような怪しい男がもっていたテレポート装置によってキン・ザ・ザ星雲の砂漠の惑星プリュクに飛ばされてしまう。星の住民は地球人と同じ姿をしており、ハイテク技術と、地球人類を風刺したかの様な野蛮な文化を持っていた。彼らはテレパシーが使え、通常の話し言葉は「クー」と「キュー」のみで、後者は罵倒語、前者がそれ以外を表わす。

by ssm2438 | 2010-05-08 23:49
2010年 05月 03日

エクストロ(1983) ☆

f0009381_9144819.jpg監督:ハリー・ブロムリー・ダヴェンポート
脚本:ロバート・スミス/イアイン・キャシー
撮影:ジョン・メトカーフ
音楽:ハリー・ブロムリー・ダヴェンポート

出演:
フィリップ・セイヤー (サム・フィリップス)
バーニス・ステジャース (レイチェル・フェイリップス)
マリアム・ダボ (アナリス)

        *        *        *

マリアム・ダボのヌード以外は見るところなし!

『007/リビング・デイライツ』で可憐なボンドガールを演じたマリアム・ダボ、そんな彼女のヌードが拝見できるというので当時とりあえずみてみた作品。しかし話は支離滅裂。どこをどうやったらこれだけ見ている人と離反した物語を作れるのか不思議なくらいだ。共感持てるところがまったく、どこにも、どんなにあらさがししても・・ない。多分監督・原案のハリー・ブロムリー・ダヴェンポートがかなり支離滅裂な人なんじゃないだろうか。当時はやっていたその辺にSF映画とオカルト映画を足しにごった煮にしたかんじの映画で、ダヴェンポートが無能な監督以外のなにものでもないことを世にしらしめた作品。といってもだれもこんなクソ監督の存在なんて気にしないとおもうが・・。

数年前に宇宙人にアブダクション(誘拐)された男が地球に帰ってくる話。しかし地球に帰ったときは怪物の姿になっており、マリアム・ダボを犯して妊娠させる。体内で一度人間の再構築した彼はすくすくと成長、成人男性となって誕生、マリアム・ダボは死んでしまう(もうこの時点で見る気はうせた)。
元の姿にもどった彼はわが子の元に戻るが、妻は新しい男とひっついていて「いまさら帰ってこられてもこまるよわよ」状態。しかし子供は義父が嫌いで、父親になついてしまう。男は子供に超能力を与えるのだが、この子が悪ガキで、ろくなことはしやしない。オモチャのピエロや兵隊、戦車を超能力で動かして近所の人々を殺しまくる。しかし、男の体は次第にくさりはじめており、わが子をつれて宇宙に帰っていく。しかし父子が宇宙に帰った後にはエイリアンの卵を残されていた・・・。
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by ssm2438 | 2010-05-03 09:16
2010年 05月 03日

ブロンドXX(1995) ☆

f0009381_3295586.jpg監督:マーク・エズラ
脚本:マーク・エズラ
撮影:ジェームズ・アスピナール
音楽:ドミニク・クロフォード=コリンズ

出演:
ジェイミー・ハリス (ジョニー)
マリアム・ダボ (ベアトリス・バクスター)

        *        *        *

なんだ、マリアム・ダボが主役じゃないのか・・

ここを勘違いすると最初から乗れない。まあ、そこを勘違いしなくてものれない映画だったけど。
マリアム・ダボが出てるというだけでみたが・・・、この人にはアクションは似合わない。本作ではなんと<非情の殺し屋>を演じているのだが、とにかく動きにキビキビ感がまるでない。どこをどうみてもプロの殺し屋には見えない。『ターミネーター』でいうならシュワちゃんの役どころである。しかし・・・マリアム・ダボじゃむりだ。。。
これは本人の資質によるものだろう。『007/リビング・デイライツ』では可憐なしぐさをしてみせた。彼女がうごくたびにその可憐さというか健気さがと画面から伝わってきた。これは吉永小百合のかもしだす匂いに似ている。
そういえば吉永小百合も刑事とかは出来ない人だった。『天国の大罪』という映画で刑事役をやっていたがどうにもきびきび感がなかった。それ自体はけっして悪いことだとは思わない。役者としてはどうなん??って思うけど、もうこういう存在はその人の本質がそういう風に出来上がっていて、そういう風にしか動けないものなのだろう。それは吉永小百合にしてもマリアム・ダボにしても、この人が動くときはどうしたって可愛くなる・・ということなので、結局こういう役者さんの場合はもう使う側が適材適所に配置するか否かが問題になってくる。この映画のマリアム・ダボも、彼女がどうのこうのというよりも配役をきめたプロデューサーサイドの失敗だろう。

キャスティングもひどいが話もひどい。とにかく誰に感情移入していいのかわからない。もっとも私の場合はマリアム・ダボみたさでみていたのだけど、どうやらこの人は主役ではないらしく、本来感情移入するべき人はべつにいるらしいのだが・・・・どうもみつからない。これはもうストーリー構成の問題だ。いやいや、それだけでもない。リチャード・ハリスのギャングのボス役もかなりひどい。このビジュアルを作った人は誰だ? ダサすぎる。やっぱり監督が無能なんだろうなあ・・・。

<あらすじ>
非情の女殺し屋ベアトリス(マリアム・ダボ)が、雇い主のギャングの金を横領する。途中知り合った頭のヨワい女を自分の身代わりに仕立てて殺し、追っ手から逃れようとするが、実は彼女が死んでなかった。その女の恋人の男が、彼女を救うためにギャングのボスに取引を申し出る。

by ssm2438 | 2010-05-03 03:58