西澤 晋 の 映画日記

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2009年 10月 07日

ガメラ3 邪神<イリス>覚醒(1999) ☆

f0009381_12142257.jpg監督:金子修介
脚本:伊藤和典、金子修介
撮影:戸澤潤一
音楽:大谷幸
特技監督:樋口真嗣

出演
中山忍 (長峰真弓)
前田愛 (比良坂綾奈)
藤谷文子 (草薙浅黄)
山咲千里 (朝倉美都)

        *        *        *

ついにご都合主義のファンタジーアニメの実射版になりさがった『ガメラ』、もはや修復不可能。この話、伊藤和典が書いたものとはとても思えないおそまつさ。きっと制作委員会のなかで受け入れられない折衝があったのだろう。それを金子修介がとりあえずまとめたという感ではなかろうかと予想する。無理やりガメラを敵視する構成と中盤からの無理やりファンタジー理論構築はもううんざり。渋谷と京都のCGだけはすごい。

<あらすじ>
4年前の東京でのガメラとギャオスの戦いの巻き添えで家と両親を失った比良坂綾奈(前田愛)と弟の悟は、奈良県高市郡南明日香村(架空の地名)に住む親戚の日野原家に引き取られていた。綾奈の心はガメラへの憎悪の念に満ちていた。
ある週末の夜、東京渋谷上空に2体のギャオスが出現、それを追ってガメラも飛来し市街戦が展開される。激闘の末ギャオスは撃滅されるが、戦場となった渋谷はほぼ壊滅し1万人を超える多大な犠牲者と甚大な被害が出てしまう。ガメラが渋谷でギャオスを圧殺した同時刻、その断末魔の叫びに応えるかの様に綾奈が洞窟で見つけた卵状の物体から奇妙な生物が生まれた。綾奈に想いをよせる同級生・守部龍成の心配をよそに、その生物をかつて飼っていた愛猫の名前であるイリスと名付け、いつか両親の仇ガメラを殺してくれることを願って密かに育て始める。
成熟したイリスは綾奈の存在を感知し、彼女との完全な融合を求めて京都に降り立つ。やがて追ってきたガメラも京都の地に舞い降りる。ガメラの放った火球はイリスの触手に跳ね返され、夜の京都は火の海と化す。嵐と紅蓮の炎に包まれながら遥か古の罪が産み落とした二神による終末の闘いが始まった。

by ssm2438 | 2009-10-07 05:53
2009年 10月 01日

キスへのプレリュード(1992) ☆

f0009381_19184274.jpg監督:ノーマン・ルネ
脚本:クレイグ・ルーカス
撮影:ステファン・チャプスキー
音楽:ハワード・ショア

出演:アレック・ボールドウィン
    メグ・ライアン
    ネッド・ビーティ

        *        *        *

結婚式を迎えた日、花嫁の魂が、式にまよい込んだある老人と超次元すり替わってしまった。花嫁の体を通じて男と男がすごしある結婚生活。やがてなぞがとけていき、夫は花嫁が摩り替ったさきの老人をさがし、一緒に住み始める。魂が男と女だが外見は男同士の生活。最後は都合よくもとにもどる・・・。


実にホモ性を感じる映画だった。

脚本・原作のクレイグ・ルーカスと監督のノーマン・ネルはいつも一緒に仕事をしている。といってもいままでの3本しかないのだが。これ以前の仕事が『ロングタイム・コンパニオン』という映画で、これもゲイのグループはエイズにおかされだんだんと死んでいく9年間の話。このグレイグ・ルーカスとノーマン・ネル、実はホモ達ではないかとにらんでいる。

ホモの書くドラマにはある種の異臭がある。個人的にはだい嫌いな臭いだ。その臭とは「進化をあきらめた人の消費性」という臭。別な言い方をすると「進化に向かわない精神」とでもいえる。とにかく「いまある状態を保持していくこと」がかれらにとっては大事なのだ。がんばって努力して何かになるなんてことはない。

人間社会では、<支配><被支配>という概念からは逃れられない。何処に言ってもこの概念はついてまわる。家庭でも、社会でも、二人の間柄でも、グループにおいても・・。しかし、どちらかが一方的に支配することはなく、片方が物質的に支配するなら、もう片方は精神的に支配りているとか・・、それは複雑に構成されており、だからこそ人間としてのつながりが出来ている。
男と女の間では、基本的には男は女を支配することで女に支配され、女は男に支配されることにより、支配してきた。長い歴史をみればそのことは確認できるだろう。なので異性どおしの間では<支配><被支配>という関係は成り立ち易い。
しかし同性同士では少し無理がある。圧倒的に力のあるものと、そうでない物との関係においてはそれは成り立つが、基本的に精神がどこかで反発している。なので「社会」という場においては、それを制度化し、安定したものにしてきたのが人間社会の歴史だろう。しかし・・・、ちから拮抗したもの同士の間では・・・?
普通、もう一人の同性がいれば、彼はライバルとなる。そこには「あいつよりは上にいきたい」「あいつよりは優位性を持ちたい」という衝動がうまれる。それが進化を生み出すひとつの大事な要素になる。特に男性は劣等感に敏感な生き物で、だからこそ、それが生産的にモチベーションとなれば進化力は大きくなる。しかし、戦う以上は負けることも当然ありうる。それは怖い。なので戦う前からそれを放棄するものも現れる。その結果、彼らはつねに相手よりも下にいたいと臨む。戦って負けるよりは、戦わずに支配されているほうがましだ・・と考える。ホモというのはその概念から生まれている。

そんなわけでホモの作家がドラマをつくると、そのなかには生産性がない。この<戦うことを放棄した生産性のなさ>というののが実に私にとっては悪臭なのだ。


グレイグ・ルーカスノーマン・ネル以外にもホモの作家はいる。二ール・ジョーダンもそうだろう、まだ表面化してないが、キャメロン・クロウもそうかもしれない。
どうも、彼らが書くドラマは、まったく相容れないものがある。ジョン・アービングもその臭いをもっている。かれはホモというよりも性同一障害のほうかもしれないが・・・。

by ssm2438 | 2009-10-01 19:32
2009年 08月 20日

あの胸にもういちど(1968) ☆

f0009381_2282213.jpg監督:ジャック・カーディフ
脚本:ジャック・カーディフ
    ロナルド・ダンカン
撮影:ジャック・カーディフ
音楽:レス・リード

出演:マリアンヌ・フェイスフル
    アラン・ドロン
    ロジャー・マットン

     *     *     *

いやああああ、実につまらん映画でした。

先ごろ『やわらかい手』で人気再燃(?)のマリアンヌ・フェイスフル。彼女の若い頃の映画がこれ。いや~~チャーミングです。不二子のイメージベースでもある彼女。目元はダイアン・キートンを思わせるよな大きなたれ眼で、めちゃめちゃかわいい。
そんな彼女のよこには旦那の寝ている。ちらっと彼をみると裸のままベッドを抜け出し、皮の黒いライダースーツを体にあててみる。そして足をとおし、ファスナーをとじていくとおへそが隠れ、乳房が中央により、そして黒の皮のしたに隠れて、最後は首まで覆い隠します。素足にブーツを履いて納屋にむかうとそこにはどでかいハーレ・ダビットソンがおいてある。道まで押して出ると彼女のモノローグ
「エンジンをかけたら彼は気づくだろうか・・、いや、かまやしない」といってブロロロロン。
そして霧のなかに走りさっていくのでした。そんなオープニング。

画面はときおりオプチカルのサイケな色使いがあったりしてじつにうざい。あれは普通にとられてたどんだけきちんと見る気になれるだろうって思いながらうっとおしい画面はとっとと早送り。すぐ古くなる新しいものなんて興味もなんにもない私にとってはこの手の小細工な色づかいは大嫌い。
エッチのシーンにもそれをかけてるからうざいうざい。あれがなければもっとみんながみただろうに、とにかくひたするら邪魔くさいオプチカル・サイケ・最低演出なのです。所詮才能のない人はこういった子供だましに頼るしかないのかなって感じ・・・、ま、それは今も昔もかわらんですな。
それでもハーレーにのってフランスからドイツへ疾走するその絵は爽快感があります。

彼女の行動がなにを目的にしてるのか、なんでこういう行動にでたのか?という目的と原因はそのあと徐々に妄想と回想という形でかたられていくのでした。

まあ、その原因というのは、冬のバカンス中に旦那といった山小屋で別の男(アラン・ドロン)が気になりかけ、その男が夜中に忍び込んできて寝込みを襲われてしまうが、それで彼のとりことなりそのご何度かあったりしつつモーターサイクルの乗り方を教わたりもする。
そんな彼女にアラン・ドロンがプレゼントしたのがあのどでかいハーレ。
そして彼に再び抱かれる夢をみながら彼女はひたすらドイツの彼のもとにひた走る・・って話。

しかし・・・・今見るとどうしても彼女はジャンキーに見えてしまう。バイクにのっているときの陶酔感といい・・、なにより歯が・・・なんか弱そうで・・・。
なんでも酒井法子も薬のやりすぎで歯がぼろぼろだとか・・。マリアンヌ・フェイスフルもなんか歯の根元というか、歯茎が虫魔ばれている感じがするのは気のせい? ミック・ジャガーが元彼ということですが、やっぱりドラッグがあのころ万延してたんじゃないのかなあって思ってしまったのは、どうも酒井法子のせいですね・・(苦笑)。
何年かごにこのブログを読むことがあったら
「ああ、あのころ酒井法子が薬で捕まって世間がさわいでたんだ」って思い出しそう。

by ssm2438 | 2009-08-20 23:41
2009年 08月 10日

パシフィック通り(1990) ☆

f0009381_19371926.jpg監督:ベルナール・シュミット
脚本:マリオン・ヴェルヌー
撮影:マルシア・バロー
音楽:ジャン=ジャック・コールドマン、ロラン・ロマネッリ

出演:ソフィー・マルソー、アダム・コールマン・ハワード

        *        *        *

ソフィー・マルソーって作品に恵まれてないひとだよね。フランス人は彼女のよさを無駄使いしすぎる。この映画も、いったいなにがよくってこんなしょうもない映画にしたんだ???

パリの退屈な日々に飽き飽きしていたベルナデット(ソフィー・マルソー)は、「うちの店で働けば良い」という客のアメリカ人青年の誘いに乗ってアメリカへ旅立つ決心をする。ロサンゼルスに着いても、迎えに来るはずのベン(アダム・コールマン・ハワード)の姿はなかった。仕方なく母の友人シャーリーのリッチな豪邸に泊まることになる。しかし彼女は翌日入院することになっており、ベルナデットはペットの犬2匹の世話を頼まれ広い屋敷に一人ぼっちにされる。それからは、自分の存在意義がまったく見つからない生活がつづく。
そんななかベンにプロポーズされ、パリに帰るか、ベンと一緒になるかの選択を迫られる。結局ベンをとる。

・・・しかし、どうにも説得力のない話だ。

by ssm2438 | 2009-08-10 19:22
2009年 08月 05日

月の輝く夜に(1987) ☆

f0009381_75212100.jpg監督:ノーマン・ジュイソン
脚本:ジョン・パトリック・シャンリー
撮影:デヴィッド・ワトキン
音楽:ディック・ハイマン

出演:シェール
    ニコラス・ケイジ
    オリンピア・デュカキス
    ヴィンセント・ガーディニア

        *        *        *

もうイタリア人は理解できん、なんでこんなことになるんだ? で、これのどこがいいんだ???

この時期、確かクリントンとデュカキスの間で大統領選挙があったような。で、共和党のマイケル・デュカキス候補のいとこにあたるのがこの一家の母親役をやったオリンピア・デュカキス。あと覚えているのが、この映画で主演女優賞にノミネートされたシェールが、ネイキッドにシースルーのドレスでアカデミー賞の会場に登場したのはやけに覚えてる。女優ってのは人まで露出したいものなのだなあって思った。

しかし、そんなことはおいといて、この映画のストーリーはひどい。というかイタリア人ひどいというか、あれでいいのかイタリア人!?

<あらすじ>
夫を亡くしてから独身をつづけているロレッタ(シェール)は37歳。友人のジョニー(ダニー・アイエロ)から結婚を申し込まれ、ロレッタはプロポーズを受け入れた。式まで一ヶ月。
ジョニーは危篤の母に報告すべく故郷のシシリーへと飛んだのだが、その間にロレッタ彼の弟ロニー(ニコラス・ケイジ)と出来てしまいさあ大変。
彼女と2人でオペラを見ることができれば諦めると、ラスト・デートを申し込むロニー。美しくドレスアップしたロレッタとロニーは、メトロポリタン・オペラ劇場に出かける。ところがそこで父の浮気現場にでくわす。一方夫の浮気にうすうす気付いていた母(オリンピア・デュカキス)も、大学教授のペリー(ジョン・マホーニー)と意気投合。結局オペラのあとロレッタとロニーは酒をくみかわすうちに2人の愛は甦り、再びロニーのアパートデ一夜をすごすことに。月の輝く夜はあやしいことが起きるものだ・・。
ロレッタが家に帰ってロニーが尋ねて来る。しかもそこへ、ジョニーがシシリーから帰って来た。実は兄ジョニーと弟ロニーは絶縁状態の不仲、一触即発の雰囲気の中、ジョニーは、「母が結婚の話を聞いた途端に元気になったので結婚はやめだ」と意外なことを言いはじめる。それを聞いたロニーはロレッタにプロポーズ。全員で2人の愛を祝福するのだった。

いいんかイタリア人!!!!
もうあまりに感情がついていかずに苦笑するのみの映画だった。。。

by ssm2438 | 2009-08-05 07:33
2009年 08月 04日

氷の挑発2(2006) ☆

f0009381_1738155.jpg監督:ロベルタ・トーレ
脚本:ロベルタ・トーレ
    マッシモ・D・アーノルフィ
音楽:梅林茂

出演:ルイジ・ロ・カーショ
    アナ・ムグラリス

        *        *        *

アナ・ムグラリスの肢体だけを見たい人だけ(それだけでもかなりの人数だとは思うし、私もその一人だが・・)の映画。タイトルも、シャロン・ストーン『氷の微笑2』とかんちがいさせることをいとしてるようなそれだなあ。ちなみこの映画のタイトルの『・・・2』にも意味はない。『氷の挑発』という映画はあるみたいだが、まったく関連性もなにもない。だいたいあれはアメリカ映画だし、こっちはイタリア・アホ・映画だ。
なのでこの映画の発見は、アナ・ムグラリス嬢、フランス語だけじゃなくてイタリア語も出来るんだってことに感心した。というか、多分英語もできるのだろう。きっとあのへんの言語は、文法はそのままで、発音の法則を変えればほぼ成立しまうのだろう。うらやましい話だ。日本語って発音変えただけじゃ、他の言語に転換きかないからこまったもんだ。


しかし、この映画、まったくひどい。作ってる本人もわかってないのでは?

主人公はアナ・ムグラリスと同棲している刑事。殺人事件がおきそのホテルに急行すると、女子大生が後ろで二縛られ、首にロープを巻かれ、頭を壁になんどもうちつけられたらしい傷をのこして死んでいる。猟奇殺人としてはきわめておとなしいほうだろうが、この主人公の刑事はこれに感化されたらしく、自分の中にひそむサディズムをすこしずつ覚えてる。
「小学生じゃあるまいし、アホかこいつ」・・と見てる人は思うだろう(苦笑)。
さらに調べていくと、彼女はとある倉庫で週末行われている売春クラブに関与していたことがわかる。
そんなことを事件に感化され「もしかしたらうちのアナ・ムグラリスもそうじゃないか」と勝手に妄想を抱き始める。この映画はひどいのは、こたが単なる妄想で終わること。ふつうこいう映画は、それが実は彼女もそうだったってことで終わるだろうけど、この映画はそれすらない。

一応最後のシーンはそのつもりで描かれていたのかもしれないが、その明確な定義づけがどこにも見当たらないので、そのシーンは妄想としかとれない。ほかにも、殺人事件の犯人らしき男が自首してくるのだが、どうもそれが犯人だったらし。普通それが真犯人だなんて誰も思わないから、実に以外。でも、問題なのは、それがほんとの犯人だってきちんと分らせてあげるように演出できない監督のアホさ。

サスペンス物は<かくれんぼ>と一緒で、見つけてほしいがために隠れるもの。見つけてくれるための工夫がなければ鬼さんはほっといて帰ってしまう。そのくらいわきまえて演出してほしいものだ。

結局この映画のながれだと、あるSM的殺人をみて初めてみた小学生なみの精神構造をした男が、自分にもその趣味があるのではと感化され、と同時に自分の彼女にも殺された女のような娼婦性があるのではと妄想して、職務に支障をきたすという・・・主人公刑事が精神的に幼稚すぎて職務に支障をきたすというだけの映画になってしまってる。・・・ひどい。

アナ・ムグラリス嬢の映画だと『そして、デブノーの森へ』が一番いいなあ。

by ssm2438 | 2009-08-04 17:03
2009年 08月 04日

ニック・オブ・タイム(1995) ☆

f0009381_1375867.jpg監督:ジョン・バダム
脚本:パトリック・シーン・ダンカン
撮影:ロイ・H・ワグナー
音楽:アーサー・B・ルビンスタイン

出演:ジョニー・デップ
    クリストファー・ウォーケン
    チャールズ・S・ダットン
    マーシャ・メイソン

        *        *        *

もしかしてジョン・バダムって、この映画を境に仕事がこなくなったんじゃないだろうか・・。全然面白くなかった。バダムの映画でこれくらいつまんないのはそうない。
小細工としては<映画の中のタイムリミットと映画の長さが同じ>というリアルタイム・ムービー。90分のなかで監督も、映画の中の主人公も物語を解決しないといけないわけだ。一足先に『24』やってたわけですね。ジョニー・デップがそれほど好きではないのであんまりみるきがしてなかったのだけど、そでもジョン・バダムなので一応見ておこうかとおもってみたら・・・こけた。

<あらすじ>
LA、正午。妻を亡くした税理士のジーン・ワトソン(ジョニー・デップ)一人娘リン(コートニー・チェイス)は駅に降り立った。警察を装ったスミス(クリストファー・ウォーケン)とパートナーの女ジョーンズ(ローマ・マーフィア)は二人を車につめこみ、「午後1時30分までにある人物を殺せ。失敗すれば娘の命はない」とワトソンを脅迫する。指定された標的はなんと女性州知事のグラント(マーシャ・メイソン)だった。
ワトソンはなんとかこの事実を誰かに知らせようと試みるが、スミスとその仲間たちの監視の目が光っていた。ワトソンは知事直属の女性スタッフ、クリスタ(グロリア・ルーベン)と選挙参謀を務める彼女の夫ブレンダン(ピーター・ストラウス)に会うことができ、そのことをひそかにつたえた。だがスミスが現れクリスタを射殺した。八方塞がりとなったワトソンは、ホテルの靴磨き職人ヒューイ(チャールズ・S・ダットン)の協力を得て、敵の監視をくぐり抜け、知事に直接会って状況を話すが、信じてくれたかどうかは分からない。
演説が行われる午後 1時30分がやって来た。ワトソンはそこではじめて、自分は囮に使われただけだとを悟る。ワトソンは意を決しスミスに向かって発砲、混乱の中、娘のもとへ走る。ワトソンはヒューイの助けを借りて、バンに閉じ込められていたリンを救い、スミスとジョーンズを倒した。

目新しいことをしてみたかったのだろうが、計画は失敗におわったようだ。全然おもしろくないジョン・バダム映画だった。残念。。。

by ssm2438 | 2009-08-04 01:20 | ジョン・バダム(1939)
2009年 08月 02日

バニラ・フォグ(1999) ☆

f0009381_4434520.jpg監督:マーク・ターロフ
脚本:ジュディス・ロバーツ
撮影:ロバート・スティーヴンス
音楽:ギル・ゴールドスタイン

出演:サラ・ミシェル・ゲラー

        *        *        *

スーパー美少女サラ・ミシェル・ゲラーの無駄使い映画。

原題は「シンプリー・イレジスタブル」(抵抗できない、魅力的だ・・の意)。しかし・・、もうちょっとなんとかならんかったものか! 根拠のないファンタジーなので見ていてまったくつまらない。ファンタジーというのは、その世界の中でなんらかの制約があって面白いのだ。

この監督マーク・ターロフの経歴をしらべてみると、この作品以外はすべてプロデューサー。脚本のジュディス・ロバーツは一本だけで消えている。どうみてもシナリオ構成段階でトラブルが発生、当初請け負っていた監督が落りて、結果プロデューサーのターロフが監督をやって、とりあえず仕上げた映画というやっつけ仕事のにおいがする。シナリオひどすぎ。演出もひどい。セットもダサい。

<あらすじ>
いつまでも料理の腕は上がらないアマンダ(サラ・ミシェル・ゲラー)のレストランに客はほとんどいない。そんなアマンだが市場に買い物に行った時に、一匹のカニをひろってしまう。しかしどうやらそのカニが魔法をつかい(?)、アマンダは見違えるように料理の腕を上げ、レストランは大繁盛。アマンダはその腕を某デパートの責任者に認められ、高級レストランのシェフに抜擢される。

アマンダの努力はまったくなしに、ただただ魔法使いカニの力で料理がうまくなるとい、まるでカスな話。どこをどうやったらこんな素人でも作れないようなカスシナリオが映画化されたのか・・、まったく理解できない作品だ。しかしサラ・ミシェル・ゲラーだけはいい。彼女はいつでもどこでも可愛い。こんなカス映画でも彼女だけは素敵だ!!

みんなで見よう、サラ・ミシェル・ゲラー!! もちろん別の作品を!

by ssm2438 | 2009-08-02 04:44
2009年 07月 21日

メイフィールドの怪人たち(1989) ☆

f0009381_2242249.jpg監督:ジョー・ダンテ
脚本:ダナ・オルセン
撮影:ロバート・スティーヴンス
音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:
トム・ハンクス (レイ・ピーターソン)
キャリー・フィッシャー (レイの妻・キャロル)

       *        *        *

天下(当時)のトム・ハンクスなれどこれははずしたなあ・・。

全然おもしろくなかった。トム・ハンクスも全然たってないし・・なんですか、これは????
監督は『グレムリン』ジョー・ダンテ。まあ、あんまり才能ある人ではないので、この程度かもしれないなあ。
余談だが、トム・ハンクスでは『赤い靴をはいた男の子』という、これもあたりそうで実は大ハズレが映画もある。それにまさるともおとらない、ハズレ映画であった。

<あらすじ>
レイ・ピーターソン(トム・ハンクス)は、妻のキャロル(キャリー・フィッシャー)と息子デイヴと共に郊外の住宅地メイフィールドに住むんでいた。しかし隣に引っ越してきたクロペック一家は1ケ月も経つというのに、全く姿を見せないそんなこんなで、近所に住むアート(リック・ダコマン)とリッキー(コリー・フェルドマン)と共に屋敷を監視する。そんなさ中、近所に住むウォルター(ゲール・ゴードン)が突然失踪する。意を決したレイは、キャロルや元軍人のマーク(ブルース・ダーン)らと共にクロペック家を訪ねるが、どうも彼らは怪しい。レイは屋敷に何か隠されていると信じ、クロペックが留守の間を見計らって隣人たちと共に屋敷を探る。

所詮、ジョー・ダンテって映画でした。ああ、時間の無駄。疑心暗鬼のどたばただけの映画。

by ssm2438 | 2009-07-21 22:42
2009年 07月 16日

エミリーの窓(1980) ☆

f0009381_1142718.jpg監督:ゴードン・ウィリス
脚本:バリー・シーゲル
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:タリア・シャイア
    エリザベス・アシュレイ
    ジョセフ・コーテス

     *     *     *     *

私の大好きな撮影監督といえばこのゴードン・ウィリスなのだけど、彼が唯一監督した作品がこれ。きっと二本目はないだろう。1980年のラジー賞も5部門(ワースト作品賞、ワースト主演女優賞、ワースト監督賞、ワースト助演女優賞、ワースト脚本賞)でノミネートされるというかなり厳しい世間の仕打ち。ゴードン・ウィリス信者の私がみても面白いとは決して思わない。これだけ面白くないのにラジー賞を免れたのは、ひとえにゴードン・ウィリスのそれまでの仕事振りが確かなもので、彼の名前に免じて免れたといえるだろう。

・・・しかし、だからといって映画が映画的にひどいわけではない。映画の基本演出はきちんとできているし。少なくとも『劔岳 点の記』木村大作よりはきちんと映画になっている(苦笑)。それにそこはそれ天下のゴードン・ウィリスが撮影しているのだからかっこいい画面に仕上がっている。つまりゴードン・ウィリスの画面だけをエンジョイしたければ、監督もかねたこの映画こそがもっともゴードン・ウィリスの本来の映像に近いということになる・・かもしれない。
そういうわけで、ゴードン・ウィリスファンにだけ勧める貴重な一本。

しかし・・・ドラマのなかでいじめられるのが『ロッキー』のエイドリアン=タリア・シャイアというのも引きが弱すぎる。もうすこし美人でだれから妄想の対象になる役者でなければなかなか成立しない話だと思うのだけど、よくこれで制作サイドはこれを映画にしようとしたものだと関心してしまう。ちょっと興味本位で、このプロデューサーの人は他になにをつくっているのだろうか?っておもって検索してみると・・・『エミリーの窓』だけ。同じくこの脚本家に関してもけんさくしてみるが、これも・・・『エミリーの窓』だけ。
どういうわけでこの映画が世に出たのか知りたいものだ。

<あらすじ>
ブルックリンの児童博物館に勤めるエミリー(タリア・シャイア)は、夫と別居し、今はひとりアパート暮らしをしていた。ある日、勤めから帰ったエミリーは、突然何者かに襲われ、ナイフで脅かされながら意のままにされてしまった。実はこのへんがポイントの一角だったりする。いわゆる最後まで犯されたのではなく、制的にいじめられた程度ということ。翌朝、近くに住む女流詩人アンドレア(エリザベス・アシュレー)は、落担しきっているエミリーを慰めに来た。
とどのつまり、このアンドレアという女流詩人がエミリーに対して愛欲をもっていて、男を使ってエミリーをいじめ、その反動で自分がエミリーの保護者になってしおうという段取り。

by ssm2438 | 2009-07-16 10:01 | ゴードン・ウィリス(1931)