西澤 晋 の 映画日記

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2010年 03月 16日

パトリオット・ゲーム(1992) ☆☆☆

f0009381_1475510.jpg監督:フィリップ・ノイス
原作:トム・クランシー
脚本:W・ピーター・イリフ/ドナルド・スチュワート
撮影:ドナルド・マカルパイン
音楽:ジェームズ・ホーナー

出演:
ハリソン・フォード (ジャック・ライアン)
アン・アーチャー (キャシー・ミュラー・ライアン)
ショーン・ビーン (ショーン・ミラー)

        *        *        *

軍事作戦を衛星からのサーモグラフ画像だけで処理するとは・・スゴイ!

これは画期的だった。兵士たちの作戦行動を、衛星からの赤外線サーモグラフ画像で見ているCIA。それでことが終了。命の重さがこれほど軽く描かれた演出はかつてなかった。衝撃的だった。政治の上層部が思っている戦争というのは、このくらいドライなものなのかとおもわせる、衝撃映像だった。かつれこれだけ、戦場をアイコン的に処理した映画があっただろうか。この映画はこの演出だけで、映画史上に残る特質すべき映画になったと思っている。なので☆ひとつおまけ。

・・・しかし、すごいのはその演出だけで、あとはそれほどでもないかな。特にストーリーの体温がやたらと変わるのがきになる。たまたま出くわしたテロ襲撃事件で、IRAのテロリストの一人をころしてしまうことになったジャック・ライアン。その敵を討つために殺されたテロリストの兄がジャック・ライアンに復讐するという話。やりたいことは理解できる。どんなに高度な情報システムにまもられている世界でも、結局は男と男の戦いであるってことのだろうだろう。ただ、事件が風呂敷を広げている割には、個人的なうらみつらり、ライアンにしてみれば逆恨みなので、どうにも理不尽なだけ。それを映画にされてもちょっとスケール的に小粒だったかな・・という印象。前作のレッドオクトーバーというソ連の原潜を拿捕する話くらいのスケールはほしいものだ。

しかし、トム・クランシーの話というのは、この話にかぎらず凝っているえらく専門的に凝っているのだけど、そんなプロなのにかなりマヌケなことも平気で起きる。プロフェッショナリズムとヘボ凡人性がみょうに交錯するのはなんとかならんかなあ。

<あらすじ>
CIAを辞め、海軍学校の教官となったジャック・ライアン(ハリソン・フォード)は、英国海軍大学でのスピーチを終え、妻キャシー(アン・アーチャー)が待つバッキンガム宮殿へ向かっていた。その時テロリストが1台の車を襲撃するところに出くわ、ドサクサの戦闘のなかで銃をとり、本能的にテロリストに立ち向かい負傷しながらもひとりを射殺した。生き残ったテロリスト、ショーン・ミラー(ショーン・ビーン)は駆けつけた警察に逮捕されたが、ジャック・ライアンの顔をにらみつづけていた。に彼に殺されたのがミラーの弟だったのだ。
1カ月あまりのイギリス滞在を終え、自宅に戻ったライアン一家。その頃、テロリスト集団のリーダー、ケヴィン・オドンネル(パトリック・バーギン)と、赤毛の美人アネット(ポーリー・ウォーカー)らは別の警察署へ護送中のショーンを奪還。ある日授業を終えたジャックは不審な男に襲われ、危機一髪で海軍兵に助けられるが、その頃サリーをつれたキャシーはハイウェイ上で襲撃され、車はコンクリート壁に激突してしまう。一命はとりとめたが娘サリーは重体だった。
CIAではテロリスト担当の専門家がショーンたちの行方を追い、衛星などの情報や「一味に女が絡んでいる」とのジャックの証言から北アフリカにテロリスト訓練キャンプを割り出す。CIAの特殊工作員たちが、深夜かれらを強襲、殲滅した。しかし、ケヴィンらは一足早く脱出、再びアメリカへと向かっていたのだ。嵐の中、ジャックらは命からがら海へ逃げ出す。弟の復讐に怒り狂うショーンはケヴィンとアネットを射殺、ジャックに襲いかかるが、海上での死闘の末ジャックはケヴィンを倒すのだった。

個人的な恨みつらみの話に、CIAが手助けする展開であり、子供のけんかに親がでてきた・・みたいな印象、あんまり気持ちよくない展開の話だった。

by ssm2438 | 2010-03-16 01:47
2010年 01月 30日

ホワイト・ドッグ(1981) ☆☆

f0009381_212772.jpg監督:サミュエル・フラー
脚本:サミュエル・フラー/カーティス・ハンソン
撮影:ブルース・サーティース
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:クリスティ・マクニコル

        *        *        *

知る人ぞ知る隠れて名作(?)。ホワイトドックというのは、白人至上主義者が黒人を襲わせるために育てた攻撃犬。子供の頃から黒人に対する悪意を植え付けるために、黒人にお金をはらい、その子犬を散々いじめたおす。そうして育てたれ犬は、知らず知らずのうちに黒人と見ると憎しみをぶつけるようになるという・・。

監督はサミュエル・フラー、脚本はフラーと一緒にカーティス・ハンソンが書いているという、何かあってもおかしくないラインアップである。
サムミュエル・フラーは、アメリカではB級映画監督と見なされていたが(実際そうだと思うが)、ヨーロッパ、特にフランスなどでは高く評価された監督さん。ジャン=リュック・ゴダール監督の作品『気狂いピエロ』に出演、その中で<インタビューされるサミュエルフラー>といいうシーンがあり、そのシーンのなかで、「映画とは何か?」との質問に「映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。要するに、エモーションだ」と答えたこという。ありきたりすぎて詰まらない。

ちなみにこの映画、制作されたのは80年代の初めだったが、二本公開はそれから10年もたった90年だった。渋谷の映画館で単館上映されていて、しかたがないので、わざわざ渋谷まで見に行ってしまった。

<あらすじ>
新人女優のジュリー(クリスティ・マクニコル)は帰宅途中に白いシェパードを車で轢いてしまう。近くの獣医に連れていき、持ち主が分るまで自宅で世話をすることにする。
日ごろおとなしい犬だが、仕事現場にその犬を連れていくと、共演相手の黒人女優に襲いかかる。その頃から、よなよな黒人が襲われる事件がおきる。帰ってきたその犬の口の周りには赤黒い血がついていた。そうこうしていると飼い主が名乗り出てくる。やさしい叔父さんであった。しかし、かれが人種差別主義者であり、この犬をホワイトドッグに仕立て上げたとわかると、ジュリーは返却を拒否、犬の調教師のところに預けるのだった。
黒人の調教師のキーズ(ポール・ウィンフィールド)は、かつてホワイト・ドッグの調教を試みたことがあったが、その矯正に成功したことは一度もない。しかし、かれはこのホワイドッグの魂の矯正に挑戦していく。

by ssm2438 | 2010-01-30 02:12
2010年 01月 22日

まぼろしの市街戦(1967) ☆

f0009381_16551716.jpg監督:フィリップ・ド・ブロカ
脚本:ダニエル・ブーランジェ/フィリップ・ド・ブロカ
撮影:ピエール・ロム
音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:
アラン・ベイツ (プランピック二等兵)
ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド (コクリコ)

        *        *        *

現実逃避肯定映画。ゆえに私は全然受け付けなかった。

まだ私が20代のころ、年配のアニメーターにこの映画のことを教えられ、見てみようとレンタルビデオ屋にいったがおいてない。仕方がないのでレーザーディスクまで買ってしまった。・・・で、見た見たのだが・・・うむむむ、個人的には受け付けなかった。とにかく反戦思考映画と現実逃避肯定映画は大嫌いな私なので、この両方の価値観をあわせもつこの映画はどうにもいただけない。ただ、こっち系の映画が好きな人にはいいかもしれない。それにジュヌヴィエーブ・ビジョルドはキュートだった。
・・しかし、なんでこう現実逃避の人たちはコスチュームプレイが好きなんだろう。

<あらすじ>
1918年10月、第一次世界大戦末期の北フランスのある街。各地でドイツ軍は敗走していがこの街も例外ではない。イギリス軍に追いたてたれたドイツ軍は、この街から撤退する際に大型の時限爆弾を仕掛けていった。伝書鳩の飼育係であるプランピック二等兵(アラン・ベイツ)はフランス語が話せるというだけの理由で爆弾解除の命令をうけてこの街に向かうはめになる。

f0009381_1741235.jpg町の人々は逃亡し、ドイツ兵も撤退し、もぬけのからになった町に繰り出す精神病院の患者たち。あるものは司祭を服を身にまとい、またあるものは軍服をみにまとい、またあるものは貴族や娼館の経営者の衣装をみにまとい、誰もいない街の中でコスチュームプレイを謳歌する。プランピックも「ハートのキング」と祭り上げられる。戦争の恐怖、これから爆発するであろう爆弾の恐怖、彼らにはそれを感知する能力がない。プランピックは善良な狂人たちを避難させようとしたが、誰も動かなかったが、コクリコ(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)から時限爆弾の隠し場所を聞き、無事撤去することが出来た。

やがてイギリス軍が町に入城、さらに逃走したはずのドイツ軍も退路を絶たれ戻ってきてしまい、街の中で銃撃戦となる。双方全滅。街の中には兵士たちの死体が散乱していた。遅れてきたイギリス軍の本隊が街にはいろうとすると、患者たちは、自分たちの安心できる場所、精神病院に戻っていく。
プランピックは、軍とともに次の任務地に向うが、ユーターン。軍服を脱ぎ捨てて病院の門を叩くのだった。

by ssm2438 | 2010-01-22 16:58
2010年 01月 17日

ドッグヴィル(2003) ☆

f0009381_1958297.jpg監督:ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー
撮影:アンソニー・ドッド・マントル

出演:ニコール・キッドマン他

        *        *        *

だめだ・・・。
私は舞台劇にはまったく興味がない人間。
映画という、世界観自体を構築した中でのドラマがあって初めて見る気が起きるので、こんな舞台セット組まれても全然見る気がしない。なのではじまってすぐすっとばし。どんなにすごいことしてるのか知らないが、観てもらう人に見る気を起こさせないのはお話がどうこう以前に失敗してる。少なくとも私相手には失敗してる。実験映画かなんかしらないが、相手してあげられる人はさぞかし寛大な心の持ち主なのだろう。・・私は寛大じゃないから即効リタイヤ。
寛大な心の持ち主方は、頑張ってみてあげてください。

このセットのなかで舞台劇がはじめから終わりまで続けられる。
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by ssm2438 | 2010-01-17 19:59
2009年 12月 18日

スレッズ(1984) ☆☆☆☆

f0009381_60597.jpg監督:ミック・ジャクソン
脚本:バリー・ハインズ
撮影:アンドリュー・ダン、ポール・モリス

出演
カレン・ミーガー(ルース・ベケット)
リース・ディンズデール(ジミー・ケンプ)

        *        *        *

ビデオ発売時は『SF核戦争後の未来・スレッズ』のタイトル。監督は後に『ボディガード』『ボルケーノ』をとるミック・ジャクソン
当時アメリカは『ザ・デイ・アフター』というかなり子供じみた核戦争映画が撮られて話題にはなったが、あまりにゆるい描写に日本ではこけた。まあ、アメリカ人にはあの程度にしか描けない事情があるのだろう。それに対してこのBBC制作の『スレッズ』は、軍事専門家やアナリストなどを集め、もしどこかの国が核を使用し、その報復として核での報復が行われた場合、どのようなことになるかを徹底的にシュミレートし、作り上げたのがこのテレビ映画。さすがにテレビ映画だけに予算もなく派手なものは出来なかったが、その内容の衝撃度は世界を震撼し、当時高校生以上だった人は、『核の冬』というものがどういうものなのかをこの映画から学んだにちがいない。
当時彼らが出した統計によると(イギリス製作なので、数字はイギリス国内でのシュミレーション)、核戦争が起きた場合、2千900万人(半分のイギリス国民)が死亡し、その後数ヶ月で死者の数はさらに700万人に増えると予想した。

<あらすじ>
物語は、シェフィールド郊外に住む二十歳代の女性ルース・ベケット(カレン・ミーガー)を中心にすえて展開される。シェフィールドには、NATOの空軍基地があり、ソ連のICBMの標的となる都市のひとつだった。彼女は既に妊娠しており、未来の旦那になるべき、ジミー・ケンプ(リース・ディンズデール)と結婚したのち住む新居を一緒にさがしている。車のラジオからときおりニュースでイランとアメリカの関係が悪化、そんなアメリカをけん制するソ連の軍事行動などは報じられていた。イランに兵を送り、アメリカに侵略される前に、イランを自分たちの衛星国にしてしまえと考えたのである。これをアメリカ、イギリス、そして国連加盟国が非難、ソ連はアメリカの脅威からイランを守るためだと主張する。徐々に小出しにされる世界状況の悪化や、それと同時に上空を飛ぶ戦闘機など、さりげなく緊張感をたかめている。この時点では「戦争になったらこれが必要だよ」と街角でカン切りを売るバイヤーも無視されていた。

海上ではソ連船籍の船がアメリカの駆逐艦とせっしょくするという事故が発生し、緊張感を増大させていく。アメリカはソ連にイランからの撤退を最後通告。ソ連はこれを無視。アメリカがB52でモサドのソ連基地を空爆、それに報復してソ連が核ミサイルを米空軍基地に撃ち込む。アメリカも報復。
そんな国際情勢をうけて英国政府は、中央政府が崩壊した場合、地方が独自に自治権をもてるようにマニュアルを配布する。主要道路は政府機関のために封鎖され、ガソリンも政府公共機関以外の車には販売禁止‥などもおりこまれていた。

May 26, 0800: ソ連が、アメリカのペンタゴンやパールハーバー、ノーフォーク空軍基地などをターゲットにして核ミサイルの先制攻撃をかける。イギリス国内のNATO空軍基地や軍司令部、通信施設などもこのターゲットにはいっており、シェフィールドもその中に含まれていた。NASAのスペースコマンドがソ連のミサイル発射を確認、各国へ通達する。
0830: シェリールドでサイレンが鳴り響くが迎撃機が飛び立っていく。
0837:ICBMがシェフィールドに落下する。ロンドン、マンチェスター、エジンバラ、グラスゴーなどもターゲットにされた。

2発目のICBMがシェフィールドにおちると街は炎にやかれた。朝の通勤ラッシュの中にあったジミーや、彼の兄弟は死んだ。ルースと彼女の家族は、地下室に避難してなんとか生き延びた。地下室からでるとそこは地獄絵図のようだった。生き延びたルースの母は火事場泥棒によって殺される。父も飢えと放射能汚染によって死ぬ。火事場泥棒をなどを拘置しておく拘置所がつくられ、彼らは後に軍によって射殺される。飢えと寒さに苦しむ人々。
f0009381_6132453.jpgやっとみつけた缶詰はカン切りがないから開けられない。地方政府は地下に非難してなんとか食料と燃料を管理していたが、成人男性の1日に摂取するカロリーを500Kカロリー(通常2000~2400Kカロリー)に制限しなければならなかった。
・・・そんな状況下でルースは女の子を出産した。

農薬も肥料もない状況で、なんとか成長した作物は、これもなんとか生き残った害虫に食べられてしまう。飢えと寒さがつづく核の冬。13年後、ルースもガンにかかり死んでしまう。ルースの娘同様、戦後生まれた子供たちは十分な教育もうけられず、情緒も不安定で、精神的発達も不完全なまま成長していた。荒廃した建物に中に無表情な子供たちが火を囲んで、テレビをみている。そこにはカートゥーンが流されている。(あの食入るような目が、我々アニメーターの本来の存在意義なのかもしれないと思った。)

そんななか、ルースの娘も犯される。彼女にはそれが犯されているのかどうかも分らない。たぶん彼女にとっては、そういうものなのだろう。やがてつわりがおこり、産気づく。その頃にはそのような施設があるのだが、苦しんで生んだ子は死産だった。


私にとっては、怒涛の絶望感のなかでアニメーターの存在意義を見せつけられた貴重な映画だった。

by ssm2438 | 2009-12-18 06:14
2009年 12月 11日

迷子の警察音楽隊(2007) ☆☆☆

f0009381_110938.jpg督:エラン・コリリン
脚本:エラン・コリリン
撮影:シャイ・ゴールドマン
音楽:ハビブ・シェハーデ・ハンナ

出演
サッソン・ガーベイ (隊長トゥフィーク)
ロニ・エルカベッツ (マダム・ディナ)
サーレフ・バクリ (楽団員カーレド)

        *        *        *

エンディングで語りますね~~~。なにもなような話なんですが、エンディングで総ての思いを開放してるような、本来あるべきエンディングのあり方を再認識させられた映画。

イスラエルの映画なので、映画的にはとても出来が良い。カメラも選択も適切でみていてとてもなじんでくる。
これが、映画をしらない世界の国の映画だと、アホなアニメーター以上にあほなレンズ選択になっているのでそれだけ見る気がなくなることもあるが、このイスラエル映画は実にはまっていてみごここちがいい。

この映画は、平和交流の一環としてイスラエルに招かれた、エジプトの警察音楽隊が、迎えのバスがこないことから自力でそのコンサート会場まで行こうとした結果、迷子になり、食事によったレストランの主人とその客の家に別れて泊まる事になる。その一晩の出来事をさりげなくさらりと描いている映画。
イスラエルとエジプトは、イスラエル建国以来中東戦争してる関係であり、ま、そのなかでもエジプトはまだ穏健派ではあるが、ま、いごこちはよくないだろうな。
そんななかで、くしくもエジプト人と一晩を過ごすことになったイスラエル人の<沈黙が怖い>シチュエーションでのなんとか友好的に間を持たせようとする努力が、実にこれわかるわかる状態。英会話学校で飲み会があり、みなさん日本語で話してるなかで、日本語がまだわからない外国人教師になんとなく気を使い、何とか淋しい思いをさせないように努力していた時間を思い出した。

ほとんど権威のない東京国際映画祭2007年グンランプリ受賞作品。悪くない選択だと思う。

<あらすじ>
水色の制服に身を包み、イスラエルの空港に降り立ったエジプトのアレキサンドリア警察音楽隊。イスラエルに新しくできたアラブ文化センターでの演奏を頼まれてやってきたのだが、空港に彼らを出迎えに来ている人は誰もいなかった。仕方なく団長トゥフィーク(サッソン・ガーベイ)は、公共機関のバスを使って目的地へ行こうと、若手団員カーレド(サーレフ・バクリ)に行き方を調べるよう言い付ける。しかし言葉の微妙なニュアンスがつたわらない。「ペタハ・ティクバ」に行くはずが、「ベイト・ティクバ」についてしまった。
お金もなく腹をすかせた一行は、とりあえず見つけた食堂の女主人ディナ(ロニ・エルカベッツ)の好意で食事をさせてもらうことになる。その地区を出るためのバスはすでになく、面倒見のいい彼女は、みんなを泊めようと申し出るのだった。団員は 3つのグループに分かれ、食堂、ディナの家、そして食堂の常連イツィクの家で1泊することになる。ディナの家に泊まることになったトゥフィークは、自由奔放な彼女と話が噛み合わず、イツィクの家に泊まることになった3人の団員は、話を盛り上げることもできずに食卓を囲んでいた。そんな彼らの間にあった壁を取り払ってくれたのは、国境を越えて愛される音楽だった。

共通の話題の土壌がない人たちが、なんとか共通言語をみつけて、「敵意はないんだよ」ってことを示すのに、精一杯の努力をする映画。もちろんそれは見た目にはまったく地味でなんでもないことなのだけど、精神活動としてはかなりエネルギーをすり減らすことであることは疑う余地もない。

そしてエンディングにながれる歌詞のなかに総ての想いが昇華させる。
なかなか素晴らしい映画をみせてもらった。

by ssm2438 | 2009-12-11 03:00
2009年 11月 26日

欲望(1966) ☆☆☆☆

f0009381_1455317.jpg監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ
    トニーノ・グエッラ
    エドワード・ボンド
撮影:カルロ・ディ・パルマ
音楽:ハービー・ハンコック

出演
デヴィッド・ヘミングス (写真家)
ヴァネッサ・レッドグレーヴ (公園の女)
ジェーン・バーキン (モデル志望のヤンキー娘)

        *        *        *

映画を見る人には、<サッカー観戦型><野球観戦型>とがある。
サッカー観戦型>というのは、流れるゲームのなかでひたすら「どうなるんだ、どうなるんだ」とか「いけいけいけいけ」とか「わうわううわうわ」とか、映画から与えられる情報をひたすら受け入れる受動的見方の人。スピルバーグの『ジョーズ』やコッポラの『ゴッドファーザー』が好きな人はこのタイプだろう。
<野球観戦型>というのは、ゲームの展開にあわせて自分の考えを参加させていくタイプ。「このあとは〇〇だからピッチャーは変えたほうがいいな」・・とか、「まだそのまま引っ張ったほうがいいな」とか「ここは代打だろう」とか、「あのときの自分はこんなんことを考えていた、きっとあのピッチャーもそんな感じなのだろうな」とか・・。見ている映画と同時に見ている自分が存在し、それを観戦しながら、自分で自分なりの考えをまとめていくタイプ。アントニオーニの映画はこちらのタイプでないと楽しめないだろう。

1967年のカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝いたこの作品、これは演出志望の人にとってはマストシーな映画だろう。ミケランジェロ・アントニオーニの演出技の宝庫だといっても過言ではない。

● 期待させておいて裏切る。そして別の形で与える。
● 通常空間に異物を侵入させる。異物を無視する人々/それに対応する人々。
● 動いているものと止まっているもののコントラストをつける。
● アップビートの曲をバックにスローで動かす。
● 空間に段差をつける→演出の下手な人はつねに一平面上でイベントを展開する。
● 手前にドアや何かの格子、枠などを配置し、被写体への意識を絞り込む。
● 透明なものの表現。後ろが透き通って見えるが、その表面には映りこみもある。
● 演出の基本は<答え>を与えるのではなく、<答え>を想像させる。

上手い演出家というのは、演出して内容に演出するものである。この映画も、なにが演出されてるのかもはっきりわからないのだが、ついつい画面を見てしまう。なにかが起こることを期待してみている。それが何かは分らないが、きっとそれが見つかれば「あ、これだ!」って納得できるものを探している感じ。そんな何かを潜在意識の中で刺激しているのだろう。


ちなみにこの映画の原題は「BLOW-UP」=写真を「引き伸ばし」すること。
写真家の主人公が公園で何気ないスナップショットを撮っていると、林の中にはいっていく男女をみかける。興味本位で彼らのシーンをカメラに収めるのだが、それに気付いた女は主人公に駆け寄りフィルムを返してという。拒否する主人公。そうこうしていると相手の男はいなくなっており、女もその場をさる。その走り去る女をまたカメラに収める。
そのフィルムを引き伸ばししてみると、女の不自然な目線が気になる。その方向をの一部をまた引き伸ばしすると、茂みの中にから銃で狙っている別の男の手が映っている。さらに女が走り去る写真の奥のほうに何かが映っている。引き伸ばしてみると、女と一緒にいた男が倒れているらしかった。
後にその夜その場にいってみる主人公は、殺された男を公園のその場所で発見する。
その後の展開は『アイズ・ワイド・シャット』のような感じ。自宅/撮影スタジオに帰ってみると、その引き伸ばした写真はすべて消えうせ、他のフィルムも盗まれていた。公園に行っても死体はない。

しかしこの映画、サスペンス性はまったくどうでもよくって、何かを期待して見る人間性を描くこと、刺激することがメインなのだろう。
たとえば哲学書を読む時でも、そこに書かれていることを読みたいわけではなく、自分の思っているがそこに書かれているのを発見したいから読むのだ。カメラもそう。そこに自然と存在する風景を撮りたいのではなく、自分の中にある何か得体のしれない何かの具現化したものを、それに近いものを捜し求めて、それを見つけたの時にフィルムに定着させたいのだ。

人間の好奇心とは、見えるものを見るものではなく、見たいものを探す。そして、見たいように見るも性格のものなのだ。それを題して『欲望』とつけたのこの邦題はけっこういけてるかもしれない。

余談ではあるが、若き日のジェーン・バーキンがなかなか美しく、彼女の貧乳も素敵だ!

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by ssm2438 | 2009-11-26 15:03 | M・アントニオーニ(1912)
2009年 11月 11日

ブラック・レイン(1989) ☆☆

f0009381_2174991.jpg監督:リドリー・スコット
脚本:クレイグ・ボロティン、ウォーレン・ルイス
撮影:ヤン・デ・ボン
音楽:ハンス・ジマー

出演
マイケル・ダグラス (ニック・コンクリン)
松田優作 (佐藤浩史)
高倉健 (松本正博)
アンディ・ガルシア (チャーリー・ヴィンセント)
ケイト・キャプショー (ジョイス)
若山富三郎 (ヤクザのドン菅井)

        *        *        *

公開当時、思いっきり期待して見に行ったら・・・けっこう期待はずれだった。個人的にはもっと大阪の街を『ブレード・ランナー』みたいにセットでぎんぎん創造してほしかったのに・・・。最後の桑畑?はカリフォルニアだとか。日本とは明らかに空気が違うな。映画を見てるとき「あれ、いつアメリカに帰国したんだ??」って勘違いしてしまった。へたに大阪なんかロケせずに、全部セットでつくってやる!!くらいのガッツをみせてほしかったな。
撮影もヤン・デ・ボンで、分り易い照明はいいんだけど、ちょっと渋みがないというか・・。あと主役のマイケル・ダグラスがどうにも正義の刑事役にはなりづらい気がしていやだ。アンディ・ガルシアもそんなに好きじゃないし・・、高倉健の描写もいまいちなんのウエイトもないし、唯一松田勇作だけがはじけていた。これが遺作になってしまいましたね。

<あらすじ>
ニューヨーク市警のニック・コンクリン部長刑事(マイケル・ダグラス)とチャーリー・ヴィンセント(アンディ・ガルシア)が昼食をとっている時に、そのレストランで、マフィアのボスが日本人の2人組に襲撃される事件に直面した。激しい格闘の末に、その佐藤(松田優作)という男を逮捕したニックとチャーリーは、彼を護送するために日本へと向かう。ところが大阪空港での犯人引き渡しの際に、偽装警察に佐藤を奪回させてしまった。
日本では銃を所持することは禁止され、大阪府警の松本正博警部補 (高倉健)の監視下に置かれるニックとチャーリー。
ニックとチャーリーが捜査をすると、ジョイス(ケイト・キャプショー)というアメリカ人ホステスから、佐藤が大阪の夜の街のボス菅井(若山富三郎)と抗争を続けていたことを知らされる。ところがホテルに帰ろうとする夜、佐藤を始めとするライダーたちに取り囲まれ、チャーリーが切り殺されてしまう。
松本とニックは、大きな製鉄所で佐藤と菅井が対峙している現場にたどりつくが、激しい銃撃戦の末、彼を取り逃してしまう。国外退去を命じられたニックだが監視の目を盗んで飛行機から脱出し、単独で菅井と接触、佐藤が来るという農家に身を潜めて彼を待ち伏せする。松本の援護のもと佐藤を追いつめ、畑での激しい格闘の末、彼を逮捕することに成功するのだった。

by ssm2438 | 2009-11-11 02:19 | リドリー・スコット(1937)
2009年 11月 11日

フラッド(1998) ☆☆

f0009381_16142.jpg監督:ミカエル・サロモン
脚本:グレアム・ヨスト
撮影:ピーター・メンジース・Jr
音楽:クリストファー・ヤング

出演
クリスチャン・スレイター (ガードマン・トム)
モーガン・フリーマン (強盗団のボスジム)

        *        *        *

水没映画の決定版。・・というほどでもないけど、通常生活空間が水浸しになる状況下の描写がうれしい。話自体はどうでもいいんだけど、水没した街が実に良い。・・というほどよくないけど、それなりの参考映画としてはこれしかないので貴重。
水没した街ってのはそれだけで絵になるものだが、この映画では大雨(ハードレイン)で街がひとつ水没、ほとんど腰~胸の高さまで水没してると考えていいだろう。そんな街の中で水上バイクをのりまわしてボートチェイス。学校のなかまで水没してるので、そういう建物のなかも水上バイクではいれてしまう。シチュエーションがとてもドラマチックなのだ。撮影はほとんどセット撮影だと思われるが、かなり水をつかったのだろう、その撮影風景を想像するだけでも楽しい。ただ、シチュエーションに頼りすぎて映画としてはかなりおおざっぱ。

・・・お話は全然おもしろくもない。

<あらすじ>
洪水に襲われたミシシッピ川流域、インディアナ州ハンティングバーグ。町民が脱出し、無人になった町を後にした現金輸送車のガードマンのトム(クリスチャン・スレイター)とチャーリー(エド・アスナー)は川の氾濫で立往生。無線連絡で救助を待つが、やって来たのはジム(モーガン・フリーマン)率いる強盗一味。チャーリーは銃撃戦なのかで撃たれて死んでしまう。のこされたトムは、なんとか現金もちだし脱出、それを墓場に隠して身をひそめるが、強盗団に追われる。強盗団にしてみればトムを見つけないと現金が手に入らない。
折から上流のダムは決壊、大水が押し寄せる中、激闘の末トムは現金を死守する。

by ssm2438 | 2009-11-11 01:08
2009年 11月 03日

鬼戦車T-34(1964) ☆☆

f0009381_19352140.jpg監督:ニキータ・クリーヒン、レオニード・メナケル
脚本:ミハイル・ドウジン、セルゲイ・オルロフ
撮影:ニコライ・ジーリン、ウラジミール・カラセフ

出演:ヴヤチェスラフ・グレンコフ、ゲンナジー・ユフチン

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正直な話、前半はかなりかったるいのです。あと、うけないギャグもたまにあるし。しかし、戦車に乗り込むまでは我慢我慢。標的にされた戦車が脱走してからは面白い。
もちろん演習用の標的にされた戦車なのだから武装もしてなくて、ただ走ることしか出来ないのだけど、それでもそれがドイツの市街地や、野原を疾走し、それをドイツ軍がおっかけてる画面を想像するだけでも面白いものになるはずだけど、それと同時に実に牧歌的なのどかさがあるんだよね。このタイトルからするとあまり思い浮かばない風景かもしれないが、美しい麦畑のなかの一本道とかを戦車が走ってる。アクション映画というよりも、そのなかの人間ドラマというか、それは見方に対しても、敵に対してもなのだけど、ヒューマニズムがあるんだよね。もしこの映画をアニメ化するならぜひとも高畑勲さんにやってもらいたい。そんな雰囲気。

最後は逃亡して逃げて逃げて必死で逃げてるのに、戦車の前にドイツ人の少年が飛び出してきたら、ひき殺せなくてとまちゃう。で、やられてしまうという・・いかにも当時のソ連映画的。

<あらすじ>
第二次世界大戦さなかのドイツ東部。ナチス軍の新兵器の野外実験のためにソ連の戦車が標的されていた。戦車の操縦士はソ連軍捕虜の中から選ばれ、一斉射撃で火につつまれる戦車の乗員は市を待つことしか出来なかった。その日の実験では、イワン(V・グレンコフ)、ピョートル (G・ユフチン)、少年兵アリョーシャ(V・ポゴレリツェフ)らソ連軍捕虜とフランス兵捕虜ジャンが搭乗した。射撃実験が始ると。実彼らが乗った戦車T34は敵の砲車めがけて突進し、脱走を始めた。街を通り、森林をぬけ、ソ連領めざしてひた走った。脱走を続ける戦車をナチス軍が包囲し、まずフランス兵ジャンが倒れた。続く敵軍の猛烈な攻撃にピョートルとアリョーシャも死に、イワンだけが残った。頑固な意志と行動力を持つイワンは、ひとり戦車を疾駆させつづけた。その時ドイツの少年が道にとび出し、戦車の前に倒れた。少年を助けようとして戦車から下りたイワンは敵弾に射たれたのだった。

by ssm2438 | 2009-11-03 19:38