西澤 晋 の 映画日記

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タグ:女優が愛らしい映画 ( 76 ) タグの人気記事


2011年 09月 19日

泥の河(1981) ☆☆☆☆☆

f0009381_319460.jpg監督:小栗康平
原作:宮本輝 『泥の河』
脚本:重森孝子
撮影:安藤庄平
音楽:毛利蔵人

出演:
朝原靖貴 (板倉信雄)
田村高廣 (板倉晋平)
藤田弓子 (板倉貞子)
桜井稔 (松本喜一)
柴田真生子 (松本銀子)
加賀まりこ (松本笙子)

       *        *        *

この映画の銀子ちゃん以上に憧れを抱ける女性キャラなんてそういないでしょう。

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のサガちゃん(メリンダ・キンナマン)と双璧をなす美少女キャラといえばこの『泥の河』の銀子ちゃん(柴田真生子)しかいないでしょう。
こんな女の子がいたらそりゃもう、一生のマドンナになってしまいますよ。この物語の主人公の信雄は、一生彼女以上の女性にはめぐり合えないでしょう。彼は銀子ちゃんを理想の女性として心のそこに定着させ、この物語のあとに続く人生のなかでも、彼女を投影できる女性を追い求めることでしょう。しかし、「この子はあの銀子ちゃんじゃない!」って現実を認識すると、その時点で恋はさめちゃうのでしょう。まさに少年の日の憧れどこまでも・・て感じです。

この映画をみたのは20年前で、当時はその昭和30年初頭という世界をよくこれだけ再現できたものだと感心できないくらい感動しました。それは昭和30年を再現した画面ではなく、昭和30年に撮ったような世界観、空気感そのまんまなのです。この空気を再現しただけでもこの映画はスゴイ。
しかし、そんなことをスゴイっていうのはチキンでしょう。それ以上にすごいのがこの映画が描き出す少年時代のみずみずしいメンタリティ。そして大人の世界の片鱗を垣間見る時のトキメキと嫌悪感。そして自分の無力さと、甘ったれ具合に対する罪悪感。

結局「人生」というのは麻雀のようなものであり、自分のどんな牌が回ってくるかなんてのは選べないのである。そしてそのまわってきた牌で戦うしかないのである。そこにはラッキーな奴もいればドツボの牌が回って来た奴もいるだろう。そして残念なことに、麻雀のように何回も繰り返されるわけではない。ドツボな牌がまわってきても人生は1回しかないのだ。

<あらすじ>
この物語の信雄は小学3年生、家は川辺でうどん屋をやっていた。時代は戦後復興まっさかりで、どんどん経済成長が加速していくなか、取り残されたような環境だといっていい。ある日のこと、信雄が気づくと、反対側の岸に一隻の舟がいつからか停泊ている。
ある雨の日、信雄は喜一という少年と知り合う。喜一の家はその舟らしい。その舟に遊びにいき、喜一の姉の銀子(柴田真生子)とであう。岸でころんで泥だらけんなった足を、銀子は丁寧に洗ってくれる。

--いきなりの色気にトキメイてしまう。と同時に、ある種のいかがわしさを感じてしまう。銀子は11歳なのだが、すでに「女」の立ち振る舞いが身についているのである。
信雄がうちに帰り、「今度キっちゃんを家に呼んでもいいか」と父親(田村高廣)にたずねると、1秒間をおいてから「ああ、いいよ」と答える。しかしその後「夜はあの舟に遊びにいったらいかんぞ」と理不尽な言葉が付け加えられる。やがて彼女の母(加賀まりこ)は、その舟で男に抱かれ生活をしていることが判って来る。この物語は、まだオネショもやまない小学生が、大人の世界を徐々に垣間見始める物語なのだ。

f0009381_3154863.jpg食事にまねかられキッちゃんと銀子は信雄の両親に手厚いもてなしをうけるのだが、信雄の母(藤田弓子)に「べっぴんさんやなあ」と言われると、一瞬表情をこわばらせる。きっと母を抱きにきた男達に同じ言葉をなんども言われているのだろうと推測する。
食事のあと母が、自分のお古を銀子に着せてみる。あまりの可愛さに、弟の喜一も、信雄もまともに見ることが出来ない。きっと一緒にくらしている喜一でさえ、姉に対してあまずっぱい性の香りを感じてしまうのだろう。11歳という年齢ながら、あまりにも「女」としてその立ち振る舞いが完成されすぎているが、2~3つ年上で子供として接することもできる女の子。
のちに、店が忙しい時に銀子が手伝ってくれるようなエピソードがある。仕事のあとなのだろう、銀子が信雄の母とお風呂にはいっているシーンがある。そこで藤田弓子の背中を流しながら「内風呂にはいったのはこれが2回目だ」という話をする。船上をオシッコをするときどうやってするのか・・ということをなんのくったくもなく話す銀子ちゃん。外で信雄の父親の手品にみとれていたキッちゃんが「姉ちゃんが笑ろてる」ってぼそと言う。

祭りに日、親にお小遣いをもらってキッちゃんと一緒にいく信雄だが、「一緒にもっといて」とキッちゃんにわたした50円玉ふたつは、キッちゃんのポケットにあいた穴からいつの間にか落ちてなくなっていたりする。悪いとおもったのだろうキっちゃんは「いいもの見せたるわ」と信雄を舟に招く。舟につくとキッちゃんは河につけた竹ボウキを引き上げる。そこにはカニがいっぱい張り付いていた。「これ全部おまえにやる」というキッちゃん。
やるといわれてもまったく欲しいとも思えない信雄。
「こうすると面白いで」と、そのカニをアルコールランプのアルコールに漬けて、舟の窓辺をあつせつつ、キッちゃんはそのカニにマッチで火をつける。燃えながら移動するカニ。信雄にとっては面白いどころか恐ろしいだけだった。その火のついたカニがいっぴき舟の後方に張っていく。家事になってはと思い這い出て燃えてるカニを追う信雄。そして信雄はそこで、男に抱かれている信雄の母を見る。

自分が無力で幸せなことに無性に罪悪感を覚える信雄。悲しくなって家に帰ろうとすると、橋の上で銀子に出会う。きっとうどん屋の手伝いにいっていたのだろう。そしてその銀子に「ああ、この人も大人になったらああなるのかな」と想う信雄。なんだか生き急げていない自分が悲しくなるのであった・・・。キッちゃんと銀子が生活している世界は、信雄にしてみれば、明らかに大人の世界なのである。

実は劇中もう一つ、平凡にみえていた自分の父と母にも過去に男と女の出来事があったことを知るエピソードがある。どうやら父と母の結婚は略奪愛だったようだ。なにげない一言一言、その立ち振る舞いのなかに、その背景にある不幸や劣等感、そしてそれを感じなくて良い瞬間の描写が丁寧に塗りこめられている。それがこの映画なのだ。

80年代の日本映画のなかでも傑作の一つだろう。

by ssm2438 | 2011-09-19 03:19
2011年 08月 18日

昼下りの情事(1957) ☆☆☆☆☆

f0009381_17582057.jpg監督:ビリー・ワイルダー
脚本:ビリー・ワイルダー
    I・A・L・ダイアモンド
撮影:ウィリアム・C・メラー
音楽:フランツ・ワックスマン

出演:オードリー・ヘプバーン
    ゲイリー・クーパー

        *        *        *

オードリー・ヘプバーンといえば『ローマの休日』って言う人もおおいかもしれないが、私個人的にはこの『昼下りの情事』ほうが好き。なぜかって云えば、シンプルのこっちのラストシーンにつづくシークエンスはオードリーがけなげで泣けたから。実はオードリー・へプバーンの映画で泣ける映画はほとんどないんだけど、最後の汽車をけなげにおいかけるオードリー・ヘプバーン、どうするんだクープ!おいおいおいおい、まだまだおっかけてきてるぞ、クープ!って、あの健気なオードリーに泣けるんだ。この映画だけはちょっとやられたかなって感じでした。

これは別のところにも書いたのだけど、そのドラマのなかで女優さんがいかに輝くかは、その女優さんが恋している相手次第だと思うんだよね。そういう観点から好くとグレゴリー・だいこん・ペックじゃないんだなあ。どうも彼は私の中では政治くさい顔してて、ほんとの笑顔をださないというか・・、ロボットっぽいというか、弱みをみせないというか、エイハブ船長ならいいんだけど、ああいう新聞記者はちょっとだめだなあ。そのてんこの映画のフラナガン・クープのほうがなんか人間くさくていいんだよね。

f0009381_1858143.jpg<あらすじ>
パリの私立探偵クロード・シャヴァッス(モーリス・シュヴァリエ)の娘アリアーヌ(オードリー・ヘップバーン)は父の扱う事件記録を読むのを楽しみにしていた。そのなかでもっとも興味をしめしていたのがアメリカの億万長者フラナガン(ゲイリー・クーパー)に関する資料。ある依頼人から彼の妻とフラナガンの情事の証拠写真とるように要請されていた。その依頼人が写真を見ると「フラナガンを殺す」といきまく。それを聞いてしまうアリアーヌ。翌日この事件が気になってフラナガンの泊まっているホテルへ行くアリアーヌ、彼女の機転で夫人は逃れ、危ういところを助かったフラナガンは、彼女と明日の午後を約束する。
翌日、あんな浮気男とデートなどすまいと思ったものの、アリアーヌは結局ホテルを訪れる。この映画のなかではちょっと背伸びをしようとするオードリーが実にかわいいのだ。食事と美しいムードミュージック、しかしやがてフラナガンがパリを出発する時刻が来て、2人はいかにも世慣れた遊び人同士の如くあっさり別れるのだった。
f0009381_18581077.jpg数ヵ月後、再びパリを訪れたフラナガンはアリアーヌに会うことになる。皮肉にも今度はフラナガンがアリアーヌに参ってしまう。偶然出会った婦人の走行調査を依頼した男にあい、「ある女のことを調べたいのだが、誰かいないか?」と相談すると、私立探偵のクロード・シャヴァッスをすすめた。アリアーヌの父である。
シャヴァッスが調査してるとそれが自分の娘であることが判明。シャヴァッスはフラナガンに「あの婦人は箱入り娘で当人の言ったことは全部作り話、あの娘を愛しいと思ったら、パリを離れることだ」と報告する。
世慣れた風を装い、アリアーヌはリオン駅ホームまで見送るが、お互いに別れがたい。やがて発車の時、フラナガンの乗った列車をおって走るアリアーヌ。精一杯つよがっているオードリーが健気で健気で・・。
さあ、どうするんだクープ!!

by ssm2438 | 2011-08-18 17:36 | ビリー・ワイルダー(1906)
2011年 07月 07日

ジュリエットからの手紙(2010) ☆☆☆☆

f0009381_20194372.jpg監督:ゲイリー・ウィニック
脚本:ホセ・リベーラ/ティム・サリヴァン
撮影:マルコ・ポンテコルヴォ
音楽:アンドレア・グエラ

出演:
アマンダ・サイフリッド (ソフィ)
ヴァネッサ・レッドグレーヴ (クレア)
ガエル・ガルシア・ベルナル (ソフィの恋人・ヴィクター)
クリストファー・イーガン (クレアの甥・チャーリー)
フランコ・ネロ (ロレンツォ)

       *        *        *

原題は『ジュルエットへの手紙』(LETTERS TO JULIET)なんだけど・・・。

でも、この日本語タイトルのほうがセンスを感じる。『LETTERS TO JULIET』というタイトルはの由来は、 『ロミオとジュリエット』の舞台としてして知られるイタリア、ヴェローナの街を訪れた世界中の恋に悩める女達が、そのバルコニーの下の壁に思いを寄せて書いた手紙を貼り付けて帰っていくのである。その手紙が「ジュリエットへの手紙」。この映画のタイトルの『ジュリエットからの手紙』は、ちとややこしい。
本編中、その世界中から寄せられるジュリエットへの手紙に返事を書く女性ボランティア=自称く《ジュルエットの秘書》の仕事に魅了されたジャーナリスト志望の主人公が、その手紙の主クレア(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)に送った手紙が『ジュリエットからの手紙』。この流れでは主人公が書いた手紙のことになる。このほうが素晴らしい!

この物語の主人公を演じるのは、このところ飛ぶ取り落とす勢いのアマンダ・サイフリッド。世間ではセイフライドと表記されることが多いが、発音表記をみてみるとサイフリドである。ウィキペディアからリンクした正しい発音サイトにいってみると確かに「サイフリッド」と発音しているように聞こえる。
まず、この映画の魅力はなんといってもそのアマンダ・サイフリッド嬢の美貌だろう。先の『クロエ』で娼婦を演じ、『赤ずきん』ではグリム童話の伝説のヒロインを演じ、そしてこの映画では一番マトモな爽やかなヒロインを演じてる。特に彼女のファンというわけではないだが、やはり魅力的な女優さんである。

物語の流れでは、彼女は既に婚約していて、その婚前旅行でイタリアのヴェローナに行くという設定。その婚約している相手というのがガエル・ガルシア・ベルナル演じる「パスタ命!」のシェフ、ヴィクター。はっきり言ってこの物語のなかで一番自分に近いキャラは誰かなって思ったらこのヴィクターだ。アマンダのようなベッピンサンの恋人がいても、彼のなかではパスタが好き、料理が好き、根っからの職人なのである。女のおこって「仕事と私とどっちを取るの?」ってきくと、なんの迷いもなく「そんなの仕事にきまってるじゃん!おまえはパスタよりも愛されていると思ってるの?」というであろう男である。女にとってはけしからん相手かもしれないが、私にしてみれば、この男がアマンダ嬢にフラれるのは悲しい・・・。

ま、それはさておき、そんなしがらみがありながら訪れるヴェローナ。その値でジュリエットの秘書達の仕事をかいまみたソフィはトランズレイターと間違われて仲間に引き入れられる。彼氏がワイン選びや新しいレシピの創造で躍起になってるなか、ソフィはジュリエットの秘書たちの仕事に魅了されていく。そして、その壁の中から偶然みつけた50年まえのふるい手紙。ヴェローナを訪れ、その土地の男に恋をしたが、その恋をあきらめてイギリスに帰った女性からの手紙だった。ソフィー(アマンダ・サイフリッド)はその手がに返事を書く。

その手紙の主はヴァネッサ・レッドグレープ。知る人ぞしる『ジュリア』の彼女である。そしてミケランジェロ・アントニオーニ『欲望』でオッパイを披露したあのヴァネッサ・レッドグレープである。おおおおおお。見ている間は気づかなかった。この人は、昔は荘でもないけど、歳取ってからはとっても素敵である。

<あらすじ>
ジャーナリスト志望のソフィ(アマンダ・サイフリッド)は、婚前旅行で婚約者のヴィクター(ガエル・ガルシア・ベルナル)とともに『ロミオとジュリエット』の舞台であるヴェローナを訪れる。新装開店するレストランにおくワインさがしに夢中の恋人をおいておいて、ソフィは、ジュリエットへの手紙に返事を出すジュリエットの秘書達の仕事に魅了されていく。そしてソフィが返事をかいた手紙に勇気をもらったクレア(ヴァネッサ・レッドグレープ)という女性が甥のチャーリー(クリストファー・イーガン)をつれてヴェローナに訪れる。奇蹟的な出会いにときめくソフィ。そしてソフィの言葉に背中をおされて50年前の思い人を探すことにしたクレア。悲劇的な結末を想像するあまりあまり乗り気でないチャーリーのとげとげしい態度を気にしながらもクレアとソフィ、そしてチャーリーの旅はつづく。

この映画の素晴らしいところは、とにかく期待の持たせ方が非常おおおおおおおおおおおぬに上手い! 来るぞ来るぞ来るぞ来るぞと期待させといて、もちろんそうじゃろう!そうこなくっちゃ!!って結果をを与えてくれる。期待通りに展開してくれて、きもちがいい。この奇をてらわない演出に好感度アップ! 
期待をさせるということは、はっきりいって演出の仕事の総てだといっていいだろう。これが上手い。クレアの探す「ロレンツォという男、。この人かもしれない、この人かもしれない・・とおもわせつつはずしていく。でこのはずし方も素敵なのだ。ここでこの人だったらダメでしょうって思いながらみてるのだけど、ほらやっぱりちがったって結果をだしてくれる。しかし、その結果の出し方がとっても素敵。残念というよりも、次のロレンツォを見つける楽しさを引き出してくれる。さらにソフィのこころも、だんだんとチャーリーに傾いていく。はたしてロレンツォは見つかるのか? チャーリーの思いはどうなるのか? そしてソフィの想いは・・・。ついつい見入ってしまう。さのおかげでこの映画最初から最後までわくわくしながら見られるのである。

ちなみに、この物語のモチベーションとなるクレアが捜し求めるロレンツォはなんと、フランコ・ジャンゴ・ネロである。ちょっとデブだったのでわかりづらかったが「あれ、これもしかして・・」って思ったらやっぱりそうだった。

なにはともかく2011年ナンバーワンの可能性がある映画である。見るべし!
ちなみにこの映画はこの監督ゲイリー・ウィニックの遺作となってしまった。
脳腫瘍だったそうな・・・。

by ssm2438 | 2011-07-07 20:20
2011年 06月 30日

四月物語(1998) ☆☆☆☆

f0009381_2316565.jpg監督:岩井俊二
脚本:岩井俊二
撮影:篠田昇
音楽:CLASSIC

出演:松たか子(楡野卯月)/田辺誠一(山崎先輩)

何もかもが新しくなる月、それが4月。

       *        *        *

物語は、大学に通うために北海道から上京して女の子の話。普通の家庭で育った彼女が、一人暮らしを始める4月。そこで体験する社会というもの。大人になって思えばなにもかも、取るに足らないエピソードなのだけど、それがあの時代だからこそ、とっても新鮮だったと思い起こさせてくれる映画。

監督は『Love Letter』岩井俊二。小作品なれど、どうも私はこういう話は好きらしく、ついつい嬉しくなってしまう。特にすっごいイベントがあるわけでもないのだけど、さりげないシーンにポイントポイントを絞り込んでそれを丹念に、繊細に岩井俊二が描いてくれる。そしてそのシーンを見終わるとおおおおおおって思ってしまう。

たとえば冒頭のシーン。
映画が始まると主人公の家族達が、カメラを見送りに駅にきている。普通にそだった家庭らしくいさまが演出される。もちろん、そこで育った主人公がはじめて家をでるのだがらそれなりのイベントであはあるのだけど、普通はそれほど深刻でもないものだ。出発まであと何分あるのか判らないのだけど、それまでの時間をどう埋めていいのかわからず、みんながさしあたりのない意味のない言葉でなんと時間を埋めていると、顔見知りの駅員さんやってきて会話にはいってくれることで、ちょっと間がもつ。しかし、その駅員さんがだらだら話している間に列車の窓が閉まり、本来その瞬間に言うはずだった「じゃあね」とか「気をつけてね」とか、そういった締めの言葉が交わせないまま列車は走り出してしまい、硝子の向こうでは、なにやら家族の人たちがそんな言葉を言っているらしいが聞こえない。
寂しいというわけではないのだが、照れてきちんと別れの言葉を交わさなかったことにささやかな後悔を感じさせる。
うむむむむむ、上手い! と思ってしまう。
ただ、絵はハンディカメラで撮られた映像でかなり画角が広く、気持ち悪い。

やがて東京の自分のこれから住むことになっているアパートの一室に入ってみると、まだ荷物はとどいてないらしく、なにもない畳の部屋があるだけ。窓をみながらその部屋の真ん中にぺたんと座り込み、こて~~~んと横になる主人公の後ろ姿。「とりあえずここまでやりとげたぞ」っていうささやかな安堵感。お茶漬けが食べたい気分だっただろう。

やがて引越し屋さんがちょっと遅れて彼女の荷物をもってくる。この「ちょっと遅れて」っていうのがまたポイント。なにもかもが新しい時には、ちょっと予定が狂うだけでも不安が2倍にも3倍にも膨れ上がるものだ。荷物は実家の親が用意してくれたものらしく、部屋にいれてみると全部が入らないというトラブル発生。どうしていいのかわからない主人公は、ただただ引越し屋さんの言いなりになるしかない。とりあえず必要なものだけのこしてあとは持ち帰るということになるのだが、なにが必要かどうかも引越し屋さんが勝手に判断して作業が行われる。たぶん出かけるときに親が「これももっていけば、あれももっていけば」と言ってくれた結果運ばれたものや、自分がどうしてもこれは欲しいって言って運んできてもらったもたち。それが来客用の布団やソファだったのだろう。それらが無常にも彼らの勝手な判断で運び出される。自分が無力で世間知らずなことも理解している彼女は、なるようになったあと一人でどうするか考えようと思ったのだろう。
さんざんそんなシーンを描いておいて、最後に「これどうする?」って差し出される小さなスチール製の椅子。それを抱きかかえる主人公。唯一自分の選択が許されたもの。それを彼女は、自分の判断で残すことにする。今自分に出来ることがこれだけなのか・・という、自分の小ささを表現するにがあまりある素敵な演出だ。
う~~~ま~~~~い~~~~ぞ~~~~~~。

そういうさりげないやりとりがただただ描かれていく。
それでも、新鮮で素敵な映画なのだが、後半にはいってから主人公がこの大学にはいった動機がすこしづつ明らかにされていく。それはお・と・こ。
実は、彼女には高校時代に憧れていたひとつ上の先輩がいて、彼がこの大学に入ったからというもの。やがて彼がバイトしている本屋をみつけ、少しづつ時間を持っている間に、彼も彼女の存在を認知し始める・・というもの。

最後も彼女の想いいが通じ、付き合い始めるとかいうようなドラマチックなものではない。彼の中で、その他大勢の一人でしかなかった存在の自分が、彼の中に楡野卯月という存在を芽生えさせたぞ!というところで終わる。

はずす時はとことんはずす岩井俊二なれど、この『四月物語』と『Love Letter』は好きである。

by ssm2438 | 2011-06-30 23:14
2011年 06月 13日

U.M.A レイク・プラシッド3(2010) ☆☆

f0009381_2195057.jpg監督:G・E・ファースト
脚本:デヴィッド・リード
撮影:アントン・バカースキー
音楽:ネイサン・ファースト

出演:
ロクサーヌ・パレット (オッパイ提供部隊ワニの餌1号)
コリン・ファーガソン (ネイサン・ビッカーマン)
カースティ・ミッチェル (スーザン・ビッカーマン)
ヤンシー・バトラー (ワニハンター・リーバ)
マイケル・アイアンサイド (トニー・ウィリンガー保安官)
ケイシー・バーンフィールド (エリー)

       *        *        *

不覚・・・・・、この映画を愉しんで見てしまった(苦笑)。

一作目でワニに餌付けをしていたビッカーマン夫人、2作目はその姉、そして今回は甥が、妻と息子を連れて湖畔の家に住むことになる。ワニを餌付けしたい魂は受け継がれるのか、その息子がやっぱりワニに興味をしめし、岸辺にちょろちょろいるワニに餌付けをはじめる。それから2年後の話。

演出的には完全に正統アニマルパニック映画です。第一作目のコメディパッケージとは全然別。でもCGはしょぼいけど。使えるところは着包みのほうがいいのに。どうしてもライティングとはあわせづらいものがあって、それが合わないまま使ってるから興冷めするこころがある。ま、これは2作目からのショボイCGでも我慢してみようという、見る側と、製作者との暗黙の了解みたいなものです。
しかし、今回はそれなりにCGとの合成をきちんとやろうとしてるのです。作り手が、まがりなりにも頑張ってるのです。CGで売ろうしてるのではなく、きちんと演出で見せようとしているのです。なのでついつい愛してしまう(笑)。

その作り手の心意気もすばらしいのですが、登場するお姉ーちゃん方がみなさん良い。
冒頭でオッパイ提供部隊1号のロクサーヌ・パレット。スレンダーな美人といいというわけではないのだけど、彼女のムチムチ感はとってもよいのです。それに笑顔が可愛いくとても健康的。彼女が岸から湖へ引き込まれるシーンは、裸で足から引き込まれちゃうんだけど、かなりどろどろした土の上を引きずられていくので、性器にドロがはいちゃんじゃないかと心配しちゃいました(笑)。
そしてケイシー・バーンフィールド。この娘はオッパイ提供してくれなかったのですが、でも、綺麗。乳房も豊満。ただ、こちらのひとはいろいろ改造手術をうけている気がして個人的にはそれほど燃えなかったけど。

他にも何人かワニさんがお持ち帰りするトラッシーな女優さん方もいるのですが、平均的にレベル高いです。あと今回のワニハンターはヤンシー・バトラー。ワニと戦う美しき人妻がカースティ・ミッチェル。お金がないなか、女優陣はかなり頑張ってあつめられてます。一番メジャーな役者さんといえば『トータル・リコール』などのポール・バーホーベンもので有名な悪役のマイケル・アイアンサイド。今回はやたらと太っていたので最初わからなかった。ほとんどロバート・デュバルかと思ったよ(苦笑)。。

ロクサーヌ・パレット
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本編中に提供されたオッパイはこちら
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by ssm2438 | 2011-06-13 21:10
2011年 05月 15日

美女&野獣(2009) ☆☆

f0009381_9514870.jpg監督:デヴィッド・リスター
脚本:ギャヴィン・スコット
撮影:ニーノ・マルティネッティ

出演:エステラ・ウォーレン (ベル)

       *        *        *

エステラ・ウォーレンの乳房をむりやり中央に寄せるコスチュームがすばらしい!

『美女野獣』ではなく、『美女野獣』なのがみそ(苦笑)。

何度も映画化され、ディズニーのアニメがもっとも有名なのではないかと思われるこの題材を、エステラ・ウォーレン(←彼女の写真をあつめてるサイトのひとつ)を主役に、アクションファンタジーとしてつくられたのがテレビ映画。なので予算もなく、CGもしょぼい。はっきりいってできばえは☆ひとつなのだが、エステラ・ウォーレンがかわいいというだけで、見る気になってしまうけしからん映画(苦笑)。

その昔、ある女性に恋していた王子だが、彼女の正体が魔女だと判ると決別、別の女性と結婚し王位を継いだ。その魔女は嫉妬に狂い、魔法で生まれた子を野獣の姿に変えてしまう。そして王妃は出産のさいに死亡。絶望した王は生まれた醜い子供を処分するように従士のひとりオットー(トニー・べレット)に頼む。しかしオットーは彼を殺すことが出来ず、人里はなれた山のなかでひそかに育てていた。そんな彼が成長してベル(エステラ・ウォーレン)と出会う。彼女の愛に支えら、次期王位を狙う悪代官ルドルフ(レット・ガイルズ)と魔女(ヴァネッサ・グレイ)を倒し、王位に着く。

王国といってもほとんど村であり、予算のカンケイでそうなってしまったのだろうが、そこは妙にリアリティを感じた。ただ、こういうものはどうしてもマトモに石で作られたお城とか、石詰めの街並とかないと、どうしてもそれらしい雰囲気にはならないものだ(苦笑)。
野獣のデザインもただ醜いだけでディズニーアニメのあのビーストを見てるとどうしてもインパクトが弱い。ただ残虐描写はそこそこがんばっており、けっこうクビをはねられている魔女が描かれていた、魔女の操る怪物にクビを噛み切られる男の描写など、とりあえず普通に描かれている。ただ、CGがしょぼいのでただただチープにみえるのだけど(苦笑)。
しかし、それよりもなりにより、エステラ・ウォーレンがいい。

エステラ・オーレンは、子供の頃はシンクロ・ナイズド・スイミングをはじめ、17歳でカナダのチャンピオンになったのをかわきりに、通算3回のカナダチャンピオンになる。その後モデルとして活躍、『ドリヴン』や『PLANET OF THE APES/猿の惑星』に出演。ただ、映画のなかでの彼女の立場は添え物的な扱いであり、かなり残念は役柄だったことは間違いない。しかし、彼女の美貌と存在感はやはり圧倒的なものがあり、彼女が画面に出ているだけでついつい見てしまう。この映画では、ショートスカートから長い足をだして、旨の谷間を強調されたコスチュームで画面いっぱい動いてくれます。そう、ディズニーの映画のベルとは違い、アクション系のヒロインとして描かれているのです。ただ・・・、残念なことに撮り方があまりに悲惨でかっこ悪く、見栄えがする画面にはなってないのが残念。なかなか作品・監督さんに恵まれないエステラ嬢です。

by ssm2438 | 2011-05-15 09:56
2011年 05月 06日

幸せになるための27のドレス(2008) ☆☆

f0009381_10145797.jpg監督:アン・フレッチャー
脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
撮影:ピーター・ジェームズ
音楽:ランディ・エデルマン

出演:
キャサリン・ハイグル (ジェーン・ニコルズ)
ジェームズ・マースデン (ケビン・ドイル)

       *        *        *

幸せになるために耐える27分の冒頭シーン

始まってからの30分くらいはどうしようかと思った。にぎやかにしてるが歯切れが悪く、魅力的にみえるはずのキャサリン・ハイグルになんの魅力も感じない。あまりにサエない演出に途中リタイヤ。で、なんとか気を取り直して途中からみたら、後半はなんとかなかったかな・・。

脚本は『プラダを着た悪魔』アライン・ブロッシュ・マッケンナ。おもしろいです。ただ、『プラダを・・・』のほうが面白かったかったかな。でも、これは脚本といういよりも、演出のせいかな。『プラダを・・・』の演出はとってもお洒落で、アン・ハサウェイの着せ替えバービーちゃん演出は素晴らしかった。あれにくらべるとこの映画のキャサリン・ハイグル着せ替え演出はモタっとしてた印象。さらにドレス自体がイマイチ。モデルはキャサリン・ハイグルなので、もっとキレなドレスをきせてあげればよかったのに・・・。個人的にはアン・ハサウェイよりも好きなので、好い絵がとれそうなものになに・・・、コスチュームデザインの差で負けたかなって印象。

話は、、それまで頼めれると嫌と言えないで、人の世話ばかりやっていた主人公が、一度はきっぱり「いや」って言って、自分の気持ちを提示できるようになる話。しかし、結婚ネタというのはどうしても行き着くところが分ってしまっているし、あんまり多様性がない素材。『プラダを・・』のほうが、物語を楽しくアレンジできる幅があった。その点この映画のほうがちょっとハンデでこうむってた。最後の告白のシーンもそれほどのときめきはなかないし・・。もうちょっとなにか出来なかったものかと・・ちと残念。あ、でも、それまで好きだった上司に告白して、キスするところは良かった。
そのときはすでにいつも喧嘩ばかりしているケビンに気持ちが動いていた彼女だったが、それまで好きだった上司にその想いを告白、すると上司からキスされる展開になる。「この瞬間をずっとまってたはずなのに、なんにもときめかないわ」というキャサリン・ハイグル。「じゃあ、もう一回してみよう」とキスする二人。「・・だめ、やっぱりときめかない」っていって、さわやかに別れていく。このシーンはとってもいい。幸せに向かうキスシーンではないが、お互いに傷つけあうわけでもなく、主人公の気持ちを確実に整理するための、非常にすばらしいキスシーンだった。

この映画では、子供のころ従姉の結婚式で花嫁のピンチを救って以来、花嫁付添い人の役に生き甲斐を見出すようになってしまったキャサリン・ハイグル。この人をはじめて見たのは『グレイズ・アナトミー』で、なんか綺麗な人がいるなあって思ってた。その後、スティーブン・セィーガル『暴走特急』みて、おお、こんなところに出ていたのか!!とい感激。15~16歳くらいの彼女がとても素敵に見えた。その後は『男と女の不都合な真実』で楽しませてくれた。個人的にシャーリズ・セロンやアシュレイ・ジャッド系のお姉ーちゃんは好きなので、やっぱりキャサリン・ハイグルも好きなのである(笑)。

相手役のジェームズ・マースデン。トム・クルーズ系のあんまり背が高くない好青年という印象。この人をはじめてみたのは『アリーmy Love シーズン5』の時。セはあんまり高くないけど、さわやかな好青年でなかなか高感度高かったのだけど、さすがにガツンがインパクトはなかった(苦笑)。で、今回久々にみたのだが、でも、なかなか良い感じで仕上がってた。今後、この人も作品に恵まれるといいのになあ。充分開花する可能性を感じるのだけど。

<あらすじ>
花嫁付添い人の役に命を燃やすジェーン(キャサリン・ヘイグル)は、マンハッタンにあるアウトドア・ブランドの社長秘書。その日は二つの結婚式がブッキングしてしあい、こっちの結婚式からあっちの結婚式にタクシーのなかでドレスを替えながらあわただしく移動していた。そんなジェーンは、地元の新聞社で結婚式の記事を書いているケビン(ジェームズ・マースデン)と出会う。
ジェーンは会社の上司のジョージ(エドワード・バーンズ)にずっと好意を持っていたが、ジョージはパーティで知り合ったジェーンの妹テス(マリン・アッカーマン)に一目惚れ、あれよあれよという間に結婚することになってしまい、さらに自分がその結婚式の段取りをすることになってしまう。そしてその結婚をケビンも取材することになった。しかし、今回のケビンの目的は、結婚式の取材というよりも、他人のためにひたすら付添い人をやっている、そして今、自分の好きな男が、自分の妹と結婚するというのに、それを拒むこともできず付添い人をやることになっている哀れなひとりの女性を記事を書くこと。
かくして一つのイベントに、一同が絡んでくるのであった。

by SSM2438 | 2011-05-06 10:16
2011年 04月 16日

バーバレラ(1967) ☆☆

f0009381_14595162.jpg監督:ロジェ・ヴァディム
脚本:クロード・ブリュレ他
撮影:クロード・ルノワール
音楽:ミシェル・マーニュ/チャールズ・フォックス

出演:ジェーン・フォンダ (バーバレラ)

        *        *        *

まったくのおバカ映画。しかし愛すべきおバカ映画

ひたすらジェーン・フォンダがさわやかに、いやらしく、エロティックに可愛らしい。
話はほとんどみるところないです。セットもださださです。でもジェーン・フォンダだけは素晴らしい。監督は女ったらしのロジェ・ヴァディムブリジット・バルドーカトリーヌ・ドヌーブときて、このころはジェーン・フォンダとつきあってたからこの映画をとったのでしょうが・・、演出的にはかなりダサいとおもう・・・というか、この映画にかぎらずヴァディムの映画は大した映画はない。でも、女にだけは持てる。まあ、ジェーンフォンダを見せる映画なので、ダサくてもいいといえばいいけど・・。

<あらすじ>
女宇宙士のバーバレラ(ジェーン・フォンダ)は、強力な宇宙破壊光線を完成したデュラン・デュランを探しだす使命をおび、リテオン惑星に向った。地下三千フィートに建設された巨大な夜の都市ソゴに行けばデュラン・デュランがいるという。地下の迷路にもぐったバーバレラは、黒い女王(A・バレンバーグ)が支配するソゴの国で犠牲となった盲目の天使パイガー(J・フィリップ・ロー)と出会い、ソゴに運んでもらう。だが二人はあっというまに捕えられてしまった。女王の前につきだされた二人はいたぶられるが革命グループのリーダーであるディルダノ(D・ヘミングス)が二人を救った。デュラン・デュラン(ミロ・オシー)はすでに彼は発狂しており、黒の女王をひきずりおろして自分が王位につくことを計画していた。デュラン・デュランと革命家グループの間に死闘が展開され、共倒れとなって地下都市ソゴは爆破し、潰滅した。
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by ssm2438 | 2011-04-16 15:02
2011年 03月 31日

男はつらいよ9/柴又慕情/吉永小百合(1972) ☆☆

f0009381_1084531.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:渥美清 (車寅次郎)
    吉永小百合 (歌子)
    宮口精二 (歌子の父・高見修吉)
    倍賞千恵子 (さくら)
    前田吟 (諏訪博)
    高橋基子 (みどり)
    泉洋子 (マリ)
    
       *        *        *

吉永小百合シリーズ第一弾!
なんと、今回は博(前田吟)が語ります!


幸薄そうな女性が寅次郎というときには笑顔をみせるという、『男はつらいよ』のシリーズではもっとも機能する設定なのだが、吉永小百合の従順で薄幸そうな可愛らしさにおんぶにだっこ、内容的にはシリーズのなかでもかなり薄手の話である。それでも吉永小百合の可憐さはそれだけで見る価値がある。この人の可憐さは恐ろしい魅力だ。

しかし、今回可憐なのは吉永小百合だけではない。さくら(倍賞千恵子)が良いのだ。そして博(前田吟)も良い。今回はこの二人がもっとも機能したエピソードといっていいだろう。

金沢を旅する寅次郎(渥美清)は、東京からきた三人の娘(みどり、マリ、歌子)と知り合った。彼女らは毎年3人で旅をしていたのだが、歳をとり結婚という現実が見え隠れするようになると、旅も以前のように楽しめなくなってきていた。そんな3人だが、寅次郎と知り合ってからは楽しい時間を過ごすことができた。
東京に戻った寅次郎は先に東京に戻っていたみどり(高橋基子)とマリ(泉洋子)と再会。旅の途中で「30年間故郷には帰ってない」といってしまったため、なかなか《とらや》に帰れない寅次郎。しかし嘘もばれてあとはいつもの通り。
《とらや》の縁側にすわって話すみどりとマリの二人の会話が、実に自然でいいんだ。その2人から、歌子(吉永小百合)があの旅でみせた笑顔は貴重なものだということを知らされ、自分の価値にすこし幸せを感じる寅次郎でった。
翌日には、みどりに聞いたという歌子がひとりで寅次郎を訪ねて来る。実は歌子にも想う人がいて結婚を考えていたのだが、父・修吉(宮口精二)がうんと言ってくれない。しかし父を世話してあげられるのは自分しかいないと思っている歌子は、父の許し無しでは結婚出来ないと考えていた。「もう一度あの人にあってくれない」という歌子だが、父しは相手にしてもらえない。
そんなやり取りがあったあと、歌子が再び《とらや》を尋ねてくる。楽しいだんらんを過ごした後「泊まっていったら」というさくら(倍賞千恵子)。遠慮がちに「じゃあそうしようかしら」という歌子。

ここの演出はとてもすばらしい。
普段の流れなら、薄幸そうなマドンナが《とらや》を訪れてその人情味あふれる空間でいやされるという流れで、帰る場所がないときは《とらや》の二階に泊まることも。しかし、このときはそれをほとんど感じさせなかった。先の父と歌子のやりとりも、多分いつもの会話だろうと思わせるもの程度のもの。それなのに、泊まっていったらと言われて、受ける歌子。え・・?と思った。話の流れをみる限り「泊まっていけば」というのは儀式的な言葉で、普通だったら帰るところなのである。
そのあとさくらと二人っきりになったとき、「実は今日は泊めてもうらうと思ってきたの」という歌子。「そんな気がしてたわ」とさくら。チェックのためにもう何度かみてみたのだが、ここでは臭わせる見せ方は一切していない。翌日庭先でタバコをすう修吉、その横に手紙があり、「お父さんと顔をあわせるのがつらい・・・」とかいてある。
ここの一連の見せ方で「さすが女同士! さくら、いい女」って思わせてしまった。

あいもかわらず寅次郎は歌子が《とらや》にしばらくいてくれることが嬉しくてうきうき。しかし、今回はそのあと博(前田吟)とさくらのところに歌子が御呼ばれする展開に。そこでいつになくマトモなことを語る博。いつもだったら形式儀礼優先キャラなのだが、その博が「誰かが寂しい思いをしても、傷ついたとしても、仕方がないことってあるんじゃないかな」と言うのである。そしてさくらとの結婚をきめた勢いとかを語る。その会話をきいて歌子は心を決めるのである。

娘が出て行った後、《とらや》を訪れている歌子の父。これがまたいい。
そこに歌子からのはがきがきていて、吉永小百合の声で文面の朗読。なかなか美しい閉めである。

by ssm2438 | 2011-03-31 07:09 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 31日

男はつらいよ13/寅次郎恋やつれ/吉永小百合(1974) ☆☆

f0009381_8433961.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:渥美清 (車寅次郎)
    吉永小百合 (歌子)
    宮口精二 (歌子の父・高見修吉)

       *        *        *

吉永小百合シリーズ第二弾!

『柴又慕情』(シリーズ第9作)の最後で愛知の陶芸家と結婚した歌子(吉永小百合)の後日談。

この『寅次郎恋やつれ』では冒頭からいきなり寅さんが世帯を持つという話がもちあがっている。ある温泉旅館で働いていた寅次郎は、明るく気丈に働いている絹代という女性に出会い、世帯をもつことを決意する。彼女の夫は蒸発してもう長い間便りがないというのだ。この決意というもの、惚れた晴れたというよりも、《とらや》の面々をいい加減安心させてあげようかという気持ちからだった。その話を柴又にもどってみんなにすると、信じられないさくらとタコ社長が縁談をまとめに絹代に会いに行く。しかし、寅次郎が絹代に二人を紹介したとたんに「夫が戻って来たの」と嬉しそうにきりかえされ、この恋の病は即効に解消される(苦笑)。

いきなりの展開でちょっとびっくりしたのだが、そこからまた旅にでてあいかわらず幸薄そうな歌子(吉永小百合)に出会う。

この歌子という女性は、ほとんど星明子(『巨人の星』、星飛雄馬の姉)状態である。『柴又慕情』でも、父親の無言の高圧的支配の呪縛でなかで自己主張が出来ないでいた。彼女の父も、昔のドラマに登場する父親はこうだったという典型的なガンコ親父タイプで、娘の歌子は、その人を世話することで自分は必要とされていると実感しているという関係。嫌われるということが恐ろしい性格の人で、自己主張がなかなか出来ない人。だが、最後はそれを振り切って結婚することを選んだ。嫌われることよりも、自分が求めることを選ぶというのが、この歌子の話の基本路線であった。

今回は、その旦那が病気になり余命いくばくもないということで、彼のふるさと・津和野(森鴎外の出身地)に一緒に帰り、彼の面倒をみていたという設定。旦那が死んだ後も彼の実家に入り、肩身の狭い生活をしつつ、図書館勤めをしているという設定。
あいかわらず幸薄い、自己主張の乏しく、従順であることが好しとされた昔の典型的な日本女性のキャラクターである。ただ、現代においてはほとんどリアリティが感じられないず、ドラマの中だけに存在する記号的キャラクターという印象になってしまっている。当時の吉永小百合をそんなに見ているわけではないが、彼女のイメージが従順で可愛い女性というところだったのだろう。あまりに記号的すぎて彼女を取り巻く環境を想像すると、ちょっと可愛そうに思えてしまう。

そんな女性が寅さんといる時は、幸せそうに振舞えてしまう・・という寅さんキャラをシンプルに立たせてくれるキャラクターである。しかし、物語的にはちょっと薄味な感じがしてしまう吉永小百合の2本であった。
どちらかというと、この『寅次郎恋やつれ』のほうがいいかな。

<あらすじ>
山陰に城下町・津和野で図書館勤めをしている歌子(吉永小百合)に再会する寅次郎(渥美清)。結婚した男が病気になり、彼の実家で看病していたが死に別れ、そのまま孤独で肩身のせまい暮らしをしている。そんな歌子を不憫におもった寅次郎は別れ際に「困ったことがあったら、“とらや”を訪ねな」と言ってバスにのる。
それからしばらくして歌子が《とらや》を尋ねてくる。やがて旦那の実家をでて、東京で人生の再出発をするという。娘の夫の葬式にも顔をださない父・修吉(宮口精二)との確執はまだ残っており、しばらくの間《とらや》に住むことになる。
その旨知らせに行ったさくらは、ガンコで無口が、帰り際に「駅まで送ろう」といって着いてきて、別れ際に「娘のことをよろしく」といって頭をさげて帰るのを観る。

ああ、父親なんだなあと思わせるなかなか感動の1コマだった。

その後、寅次郎が単身修吉を訪ね、歌子の代りに言いたい放題を言って帰って来た。そのことを知って皆が蒼くなっているところへ修吉が現われ、歌子と二年ぶりの父娘の対面となった。一同の心配をよそに、お互の心情を語りあった修吉と歌子は和解するのだった。
やがて、歌子は伊豆大島にある心身障害児の施設で働くことを決心し、旅立っていく。

by ssm2438 | 2011-03-31 02:06 | 男はつらいよ(1969)