西澤 晋 の 映画日記

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2011年 03月 25日

男はつらいよ22/噂の寅次郎/大原麗子(1978) ☆☆

f0009381_10394576.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
大原麗子 (荒川早苗/水野早苗)
志村喬 (博の父・一郎)

       *        *        *

大原麗子シリーズ第1弾
いやああああ、大原麗子がものごっつうう可愛い!


この映画の大原麗子は実ににかわいい。可憐だ。美しい。この人のすごいところは、美しいのに可愛らしいってとこなのだ。この二つの相容れない要素を持っている人など、ほかには思いつかない。

誰しも大好き過ぎて「この漫画だけはアニメ化してほしくない」とか、「この小説だけは映画化してほしくない」というものがあるだろう。私の場合は大原麗子。大原麗子にの出演した映画をみていない。見たくない。イメージがこわれるのがいや。私のなかで、素敵な日本人女性ナンバーワンなのである。
そうはいっても、物心つく前はなんどかテレビなどで大原麗子をみていたし、たまたま不幸にしてつけたテレビで大原麗子がでている『獄門島』をみてしまったりとか・・・、しかし実際ほとんど彼女の映画テレビドラマは見たことがなかった。そんな重い腰をあげて『男はつらいよ』のなかで大原麗子の出ている話をなんとなく見てみようと思った。

映画のなかの大原麗子はよかった。
ただ・・・、実は大原麗子がでるまでにかなり時間かかるのはいただけない(苦笑)。

物語は諏訪から始まる。
温泉にきていたらしい博の父・一郎(志村喬)とあった寅次郎は、その晩一緒にとまることになる。その後一郎は死に、32作では寅次郎が一郎の墓参りに岡山県高梁市を訪れるエピソードとなる。先にこちらをみておくと、その墓参りのシーンもなんだかちがった感動になっていたかもしれない。ちょっと残念。私は先に32作目をみてしまっていたので、この志村喬を見たとき、「ああ、これが博のとうちゃんだったんだ」と妙に感動した。時間前後もわるくない。
その晩、一郎から『今昔物語』の一節を引き合いにだされ、妙に人生のはかなさを知る寅次郎、翌日その金色物語の本をもって柴又に帰るのであった。そのまえに恋人にふられた泉ピン子に会うエピソードがるのだが、ま、これはよかろう。

そのころ《とらや》では店のパートを募集していた。そして職業安定所からの紹介できたというのが荒川早苗(大原麗子)というが店にやってくる。その夜帰ってきた寅次郎は、翌日すぐに出かけようとするが腹痛になる寅次郎。そこに出社してきた早苗が手際よく救急車を呼んでしまう。しかし「単なる栄養失調」と診断されけろっとして帰ってくる寅次郎。だいたいこんな腹痛くらいで誰が救急車なんか呼ぶんだ!と悪態をつく寅次郎に「私です。ごめんなさい」という早苗。そんな早苗に一気に心を奪われる寅次郎。

このあとの寅次郎の描写はまるで中学生の初恋のようなもので、ちらっと彼女の姿をみられるだけでもうれしい、声をかけてもらえるだけでもうれしい、彼女を手伝うことができただけでもうれしい。食事は弁当を持参できているのだが、食べるところを見られるのも恥ずかしいらしく「見ちゃイヤ」という早苗。くぁわいいい!!
いまどきごお弁当たべてるところを見られるのが恥ずかしいなんて、今どきいないですよ。
しかし、彼女は訳ありで、今夫と別居中で離婚も秒読み段階。たぶん姉妹のだれかのうちにしばらくおいてもらっているようすだ。そんなわけで贅沢な弁当もつくることがきず「見ちゃいや」だったのかもしれない・・とあとあと思ったりした。

結局旦那は一度も出てこない。夫の義兄・添田(室田日出男)が夫、待ち合わせの喫茶店に離婚届けをもってくる。すでに名前の書かれた横に、自分の名前を書き、判子を押し、市役所に出して離婚成立。結論からいえば、この義兄がずっと早苗のことが好きで、最後は一緒になるのだけど、実にこのあたりからその雰囲気を匂わせている。上手いなあって思った。

午後から《とらや》にやってきて仕事をはじめる早苗に何も知らずに声をかける寅次郎。「もう荒川さんじゃないの。今日から水野なの」という早苗。ことのしだいを理解してない寅次郎だが、さくらたちはその意味を理解した。そのあと急に孤独におそわれた早苗は「寅さん、私、泣いてもいい」といって一人二階に上がっていく。おっていくさくら。
離婚するまでは、これがおわればさっぱりする・・と思っていたが、終わってみると・・・とても空虚でたまらない心情をさくらに語る早苗。あああ、なかなか涙涙である。

離婚が成立し、新しくアパートをかりた早苗の引越しを手伝いにでかけてみるとそこには添田がすでにきていた。添田は学校の先生なのだが、非番の時に高校生たちを連れて手伝いにきてくれていたのだ。やがて、そんな添田が、《とらや》に早苗を訪ねて来る。あいにく早苗は外出していたのだが、手紙と預金通帳を早苗に渡すように、寅に託して立ち去るのだった。添田が出て行くと、入れちがいに早苗が戻って来た。その手紙は、「僕は学校を辞めて、故郷の小樽に帰る」という内容が書かれてあり、通帳には100万円がはいっていた。

最後に添田をおって小樽に帰った早苗から年賀状が届けられるのであった。


物語はたいしたことはないのだが、ひたすら大原麗子がそのまんま美しく、可愛い。彼女を見ているだけで幸せになれる映画である。

by SSM2438 | 2011-03-25 10:40 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 21日

男はつらいよ26/寅次郎かもめ歌/伊藤蘭(1980) ☆☆

f0009381_21313214.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:渥美清(車寅次郎)/伊藤蘭(すみれ)

       *        *        *

恐るべし、山田脚本!!!!
JR職員が書いたというトイレ掃除の作文で涙。


実はトータルな作品としてみると、「え、これだけ??」とかなり物足りなさを感じてしまう話であることは否定出来ない。しかしそれでもなお、この映画は見る価値が充分にある。一つはキャンディーズ伊藤蘭の圧倒的な可愛らしさ。そしてもう一つは定時制高校での先生が読んで聞かせるトイレの詩の作文が圧倒的な感動。『トイレの神様』ファン必見である(笑)。このパートだけ見るだけでも充分感動させられるだろう。

<あらすじ>
さくらと博が家を買い、その家を訪れてみると自分の部屋もあるという。感動した寅次郎(渥美清)はちょっと無理して祝いに2万円(当時としては高かった)を渡したが、その額があまりに多かったために、博は受け取れない、じゃあ、気持ちだけと言い、5千円だけ受け取ってお釣りを返そうとするとこれが寅次郎のゲキリンに触れてしまう。
f0009381_2262573.jpgそんなことで再び旅に出る寅次郎だったが、北海道の江差で同じテキヤ仲間の一人が死んだことを知らされ彼の家がある奥尻島に向かう。そこで一人娘のすみれ(伊藤蘭)を探し出し、墓を案内してもらい線香をあげる寅次郎。そんなすみれの母はすみれが3歳の時に出て行ったきり戻ってこない。父はのん兵衛ですみれに苦労ばかりかけており、高校も1年で退学している。そんなすみれは東京に出て定時制の高校に通いたいという。

寅次郎はすみれを東京に呼び寄せ、《とらや》に下宿させ、セブンイレブンでパートの仕事をみつけてやり、定時制の高校入学させるてやる。すみれのことが心配でしょうがない寅次郎はすみれの学校までついていき回りの人を困らせる・・と思いきや、生徒達の間でなにやら人気者になってしまう。実は寅次郎も中学3年の時に退学しており、高校にはいっていなかったのだ。そんな寅次郎の姿をみて先生たちも、寅次郎を教室内に入れてやる。
やがてすみれの母親が会いに来る。さらに函館時代の友人となのる男から電話が入る。電話をうけたさくらはどうしたものかと思いながらもすみれのバイト先のセブンイレブンの電話番号をおしえる。そしてその晩、すみれは帰ってこなかった・・・。

この物語の失敗ポイントは、すみれの恋愛模様があまりにもあっさりしていたことだろう。感情が解放されるまでのタメがほしかった。おかげで他のところはけっこういい描写があるにもかかわらず、見終わった後にかなり物足りなさを感じてしまう。
「葛飾」も読めない女の子(でも二十歳は過ぎているようだ)で頭もよさそうでないが健気に頑張る女の子というすみれの設定。そこにもう一つミステリーな部分を加味できなかったものか・・。
たとえば・・・、恋愛事に関してはほとんど口を閉ざしている。男から手紙や電話がかかってくる。なんか理由ありじゃないのか? よくよく聞いてみるとどうも函館にいるときに付き合っていた人がいたが暴力を振るわれそれからは相手にしていない。その男がついに東京に現れた。みんなですみれを守らなければ! しかし、すみれも実は彼が好きだった・・みたいな。
そんな展開を面白おかしく、時に理不尽に描いてやり散々みんなを心配させつつ、すがすがしい顔で朝帰りのすみれの潔さに持っていけばとっても良かったのに。そして、こんなあどけない娘でも、既に女であり、結婚を考えており、その相手はやっぱり貧乏そうな大工の見習いだけど、その人を選んだすみれちゃんを信じてあげるしかないよ・・という展開にしてほしかったかな。

やがて正月になり、その男もスーツ姿で《とらや》に登場、結婚の段取りなどをきめていく。しかし寅次郎はどこにいるのやら。一方さくらは、すみれの結婚が定時制高校で問題にならないかどうか確かめにいく。学校の方針は既婚者でも何も問題はないということだった。ただし、やめないでほしいと優しい言葉をかける。しかしほっとしたさくらに、残念だがこれは受け取れないという入学願書がもどされる。それは寅次郎の入学願書だった。彼は記録上中学校を卒業してないので現時点では願書は受け取れない。資格試験をうけてもらわないといけないというのだ。

車寅次郎
生年月日:1940年(昭和15年)11月29日
好きな学科:音楽と国語、
得意なスポーツ:競馬、競輪

願書に張られたきりりとした目つきの寅次郎の写真をみると、これが泣けてくるんだ。まるで『グレート・ギャッツビー』の、彼が紳士になるために自分に課した、勉強時間割を見せられ時の感動と同じであった。音楽の使い方もきわめて効果的なのだが、こんなんで泣きに誘導するか!!っと山田洋次演出の職人芸を見せ付けられるのであった。

by ssm2438 | 2011-03-21 21:51 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 18日

男はつらいよ30/花も嵐も寅次郎/田中裕子(1982) ☆☆☆☆

f0009381_11593746.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
田中裕子 (小川螢子)
沢田研二 (三郎青年)

       *        *        *

個人的には寅さんシリーズベスト1である。
きっと反対意見は多いだろう(苦笑)。

見た目はハンサムだが、自分に自信がなく対女性関係はまるで駄目な男が、寅さんのプッシュもあってめでたく好きな女性と結婚するというお話。
そのハンサムだが自信のない男を沢田研二が演じ、彼が恋する女性を田中裕子が演じている。実生活でもこの映画がきかけとなって付き合い始め(当時沢田研二は既婚)、7年後に周囲の反対を甘んじて受けながら結婚することになる。

とにかく田中裕子がめっちゃかわいい。『夜叉』のときの田中裕子もかわいいが、この映画の田中裕子もそれに勝るともおとらないくらいかわいい。おまけに「螢子」という名前がいい。今回は和服ではない現代風の女性。白いセーターにジーパン、黒い髪を長く伸ばして遠くから見るとむちゃくちゃエレガント。しかし近づいてみるとこれが恐ろしいほどのあどけなさがあり、なおかつそこに大人の色気があるという魔性を感じるかわいさです。この人のかもし出すあの空気感はすばらしい。日本映画の至宝のひとつですね。

3人の出会いはこのようにして始まる。
東京の同じデパートの同僚・小川螢子(田中裕子)と一緒に九州を旅行中のゆかり(児島美ゆき)は、大分の温泉町・湯平でハンサムな男を発見、その男(沢田研二)の入っていった旅館にその日は泊まることにする。実はその旅館、寅次郎(渥美清)のなじみの場所であり、寅次郎もその旅館に泊まることにする。夜は宿の主人と晩酌を楽しんでいた寅次郎。そこにさっきの二枚目青年が現れる。彼は三郎といい、昔ここで女中をしていた女の息子だという。生前三郎のははこの旅館の思い出をかたっていたため、納骨のまえに母のゆかりの旅館に足を運んできたのだ。その話に感動した寅次郎は彼女の知り合いの人をあつめ、坊さんを呼び供養をしてあげることにする。そこにたまたまひっぱりだされたゆかりと螢子。
そんなことがこの物語の始まりだった。

初登場のシーンではメガネをかけてあまり顔がみえない田中裕子だが、そのかもし出す雰囲気はとても素敵。めだたせないように演出されていてもやっぱり彼女を見てしまう。ぜいたく温泉につかるシーンもあるがヌードはみせてくれない。残念。一緒にはいっている児島美ゆきも『ハレンチ学園』などで有名でありヌードも疲労しているので、めずらしく二人で温泉につかるシーンくらいはいれたのだろう。
美保純のときもそんなもんだし。ま、彼女の場合はとりあえず後姿のヌードはみせてくれたけど。このシリーズではこのくらいのサービスが限界だろう。

翌日旅館を出るゆかりと螢子は寅次郎と一緒に駅までいくことになる。それこに納骨をすませた三郎がいっしょになり、しばし大分のサファリパークなどの観光地めぐりで楽しい時間をすごす。先に航路で東京にかえる二人を見おくる寅次郎と三郎。螢子は寅次郎との楽しい時間に去りがたい思いを残すが、三郎もまた螢子に一目ぼれしてしまい、別れぎわに「ぼくとつきおうてください」とぶっきらぼうに言ってしまう。戸惑う螢子はそのままホバークラフトにのり去っていってしまう。
「そんないきなりじゃだめだ」と恋の手ほどきをする寅次郎。あいもかわらず他人の恋愛には強気発言連発なのである。

今回《とらや》で家族団らんにひたるのはマドンナではなく沢田研二。いつも死んだ母とふたりでの食事だったので、《とらや》のにぎやかな団らんに幸せを感じる。彼はやがて帰り際に、螢子との出会いをなんとかセッティングしてくれないかとお願いする。
そんなわけで、珍しく自分から螢子の職場に電話をかけた寅次郎は、螢子とちょっとおしゃれなバーで飲むことに。再開をよろこぶ螢子。飲み屋の席での田中裕子もまためっちゃかわいい。この人の動きをみているだけで魅了されてしまう。しがし話が三郎のことになるとちょっと・・・・、「だって・・・二枚目過ぎない?」という螢子。

今回の寅次郎はアドバイザーとう立場なので決して降られることのない安全地帯の恋愛(←あえて恋愛と書く)なのである。三郎は螢子のこごが好きすぎてなにも言えない。そんな三郎が嫌いではないが、一緒にいてもチンパンジー(三郎は動物園の飼育係)の話しかしない三郎を見ているとどうしていいのかわらない螢子。そんな螢子は三郎よりも自分と一緒のときのほうが楽しく見える。それが寅次郎にとってはとても優越感を感じる幸せな時間でもある。
世間でもよく発生する状況である。付き合っている同世代の男女だが、いまひとつギクシャクして一緒にいてきもちよくない。そんな彼女にとっては、あまりがつがつしていない年上の男のほうがいっしょにいて居心地のいい。そんな男の心裏がとても素敵な映画なのだ。

そんな決して振られることのな安全地帯の恋愛スタンス、それがこの映画の寅次郎の立ち居地なのだ。しかし、それでも最後は沢田研二と田中裕子はひっつくのが物語の定め。絶対に切られないはずの立ち居地なのに切られる寅次郎。今回、ふたりがひっついたという話をきいて再び旅にでる寅次郎の姿には涙がでた。たぶんそれまでの話のなかでは一番ダメージでかかったんじゃないだろうか。他の話ではマドンナのほうから好意的に想われていても、結局最後はチキンで自分で降りてしまうパターンがほとんどだが、今回の話では自分のほうがナンバーワンだと思っていたのに、実はそうじゃなかったという圧倒的な優越感からの喪失感なのだ。

この映画はライト感覚な映画ではあるが、恋愛映画の超スタンダードであり、男心を繊細に謳った傑作だと思う。すばらしい!!!

by SSM2438 | 2011-03-18 23:28 | 男はつらいよ(1969)
2011年 03月 14日

男はつらいよ34/寅次郎真実一路/大原麗子(1984) ☆☆

f0009381_063278.jpg監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
撮影:高羽哲夫
音楽:山本直純

出演:
渥美清 (車寅次郎)
大原麗子 (富永ふじ子)

       *        *        *

大原麗子シリーズ第2弾!
今回のモチーフは『無法松の一生』!


この次の次の『柴又より愛をこめて』『二十四の瞳』をモチーフにつくられていたが、これは『無法松の一生』でした。私が見たのは三船敏郎高峰秀子のほうで、板妻の『無法松の一生』ではみていないだけど・・、どちらも良い出来だと聞きます。恩義のある吉岡大尉の妻(高峰秀子)に惚れてしまう松五郎(三船敏郎)。しかし吉岡大尉は病気をこじらせて死んでしまう。のこされた未亡人を世話することに必要とされることに充実感を覚える松五郎が発した言葉がこれ、

「オレの心は汚い!」

・・・・よくこんな台詞かけたものだ。すごい!
それを今回は寅次郎が言っている。ずるい!

<あらすじ>
証券会社に勤める富永健吉(米倉斉加年)と飲み屋で知り合った寅次郎(渥美清)はすっかり意気投合、目が覚めた時には富永の家にやっかいになっていた。しかし富永はいない。彼は茨城県に家を建て、東京に1時間半もかけて通勤しているサラリーマンだった。株の売買がはじまる9時の1時間半前にはその日の方向性を決めるミーティングがあり、富永は6時半には家を出なければならい。
やさしくしてくれる富永の妻・ふじ子(大原麗子)の優しさに感動しながらも葛飾にかえる寅次郎。そんなふじ子から寅次郎に電話がかかってくる。富永が金曜に家を出たっきり帰ってこないと言うのだ。再び茨城の富永の家に行く寅次郎。「もしかして富永に別の女がいるのでは・・?」と聞きづらいことを聞くふじ子に対して「あの人はそんなひとじゃない」ときっぱり言う寅次郎。その一言でふじ子の心が癒されていく。それから数日がたち、寅次郎はふじ子とその子供・隆を《とらや》にまねいて食事をご馳走する。いつも隆とふたりっきりの食事しかしてなかったふじ子は、《とらや》の人々にかこまれたその時間にこみ上げるものを感じる。
数日がたちふじ子のもとに「彼の故郷・鹿児島で健吉を見た」という人がいるという電話を富永の実家からうけて、鹿児島に飛ぶふじ子。そのふじ子に同行する寅次郎。

鹿児島についた二人はまず富永の実家に行き、健吉のいきそうな場所の心当たりを聞いく。夫の思い出の地を巡りながら夫の心のコアをみた気持ちになるふじ子。夫の思い出の場所めぐりの旅は、寅次郎といるととても親近感のあるものに感じられるふじ子。こんな風景のなかでそだった彼が自殺なんかしない・・、そう確信できるようになる。
そんなふじ子に必要にされている自分に幸せ感じる寅次郎。

結局富永は見つからなかったが、ふじ子は安心して帰ることが出来た。しかし柴又に帰った寅次郎はふさぎこんでいる。

「おれは醜い」


この後がち超無粋。
博(前田吟)がそれを解説するんだ。
そんな解説するなよ! そのまんまの言葉だけで充分だろう! 判らんやつなどほっとけ!!!!!

しかし、あの言葉はいかにも説明的だったなあ。さすがの山田洋次もこの話でそれを言っても判ってもらえないと判断したのだろうか・・・。私が観たこのシリーズのなかでもっとも意気でない、最低の台詞だった。あそこだけ編集でカットできなかったものか・・・。

そんな《とらや》にひょっこり現れる富永。そのままタクシーを飛ばし、ふじ子のもとに彼をとどける。帰ってきた富永にしがみついて泣く大原麗子のシーンはじいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃんと来る。

by ssm2438 | 2011-03-14 00:07 | 男はつらいよ(1969)
2011年 02月 28日

恋とニュースのつくり方(2010) ☆☆

f0009381_21201516.jpg監督:ロジャー・ミッシェル
脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
撮影:アルヴィン・クーフラー
音楽:デヴィッド・アーノルド

出演:
レイチェル・マクアダムス (ベッキー・フラー)
ハリソン・フォード (マイク・ポメロイ)
ダイアン・キートン (コリーン・ペック)

       *        *        *

キャスティングは素敵なのだがが・・・。

他の映画を見たときにこの映画の予告をみたらやらたと見たくなったのだが、期待が大きすぎた・・・。

監督は『ノッティングヒルの恋人』ロジャー・ミッシェル。シナリオは『プラダを着た悪魔』アライン・ブロッシュ・マッケンナ。どうみても面白そうなものが出来るとおもうじゃないですか。それに主役は可愛くて若さがはじけているレイチェル・マクアダムス。それに私が『ミスター・グッドバーを探して』以来大好きのダイアン・キートン。これで面白くないわけがない。・・・でも、いまひとつだったかな。

やっぱりニュース系ラブコメものは、ジェームス・L・ブルックス『ブロードキャスト・ニュース』があり、あれを期待してしまうので、それ以下だとどうしても・・・・・・・・・・・・・・・・・。この映画ははっきりいってそれ以下でした。まあ、あれ以上のものがそうたやすく作れるとも思わないけど。

まずいいとこ。レイチェル・マクアダムスが可愛い! パンツいちまいで歩き回るお尻はついつい見とれてしまいます。許されるならそのお尻に頬ずりしたいです。ほかにいいところは・・・・・・・・・、実はあまりない。

面白いほうにいかなくって不満たらたらなのは、ハリスン・フォードダイアン・キートンとのやりとり。この使い方が非常になってない! 個人的は『ヒーセッド・シーセッド』のような二人のがちがち対立トークを期待したら番組上はまるでそんなのなし。ニュース番組のプロデューサーとニュースキャスターとのやりとりを『ブロードキャスト・ニュース』を期待したらそんな会話術も無し。ニュースよりもおちゃらけにスポットあてた番組構成も個人的ににはかなり気に入らない。才能の生産性がまるでない映画といっていいだろう。どうして『プラダを着た悪魔』のシナリオがかけたアライン・ブロッシュ・マッケンナ<がこんな話で終わってしまったのかかなり疑問。よっぽど回りのバインディングが最悪だったのではないかとかんぐってしまう。とにかく才能のないひとが、とりあえず受けることをめざした映画で、どこにライターさんの才能を発揮させる場所がない。おざなりのちょっと良い感じのシーンだけを提示してくれた映画になってしまった。

<あらすじ>
地方のテレビ局をクビになったニュース番組のプロデューサー、ベッキー・フラー(レイチェル・マクアダムス)が、ガッツ大盤振る舞いで可能な限りあっちこっちに就職希望をだした結果、キー局なれど視聴率は万最下位の朝のニュース番組のプロデューサーとして雇われた。とわいえ、前任者も、そのまえの前任者も、どうあがいても視聴率が伸びずあっというまに切られて、雇うてがなく彼女にきまっただけなのだ。
セクハラ発言の看板ニュースキャスターをさっそく首にし、ほされているマイク・ポメロイ(ハリスン・フォード)をメインキャスターにする。しかし彼は報道一筋の男でちゃらちゃらした番組にはでたくないといい、自分で報道するニュースはほとんどない。おまけにこの番組をずっと支えてリるコリーン・ペック(ダイアン・キートン)とはいがみ合いばかり。雰囲気はわりままで視聴率は上がるそぶりは一向にない。そんなとき、番組終了をいいわたされるベッキー。番組存続のためには、ある一定の視聴率にたっすることが条件とされる。
なりふりかまっていられないベッキーは、ニュースキャスターをジェットコースターにのせるなどの起こされ演出でとりあえず人気取りにはげみ、コリーンとマイクのいがみ合いトークをなんとか視聴率に反映させ、最後は、マイクが放送したスクープ映像のおかげで目標の視聴率を達成する。
しかしベッキーの生活は、ニュース報道のための人生であり、恋人との時間などは犠牲にしていた。そうなったらなにものこらないというマイクのアドバイスをうけるベッキー。そんなベッキーに人気キー局からニュースプロデューサーとしてこないかというオファーをうける。
仲間との別れはつらいが、マイクの意固地さに嫌気をさしたベッキーはその面接をうける。そんなさなか、マイクは、報道一筋の生き方をやめ、バラエティキャスターとしてカメラの前に立つ決意をし、カメラの前で料理をしながら視聴者との親近感をたかめようとする。その姿をみていたベッキーが、オファーをことわり、みなの待つスタジオに返るのだった。

by ssm2438 | 2011-02-28 21:21
2011年 02月 03日

おかあさん(1952) ☆☆☆

f0009381_14371559.jpg監督:成瀬巳喜男
脚本:水木洋子
撮影:鈴木博
音楽:斎藤一郎

出演:
田中絹代 (福原正子)
香川京子 (長女・年子)
岡田英次 (平井信二郎)
加東大介 (木村庄吉)

        *        *        *

どおおおおおおおおおおおお、香川京子が可愛い!!

びっくりしてしまった。こんなに可愛い人だったとは!? 花嫁姿、美しいです。文金高島田姿で肩をすくめてちょろっと舌出して・・、でふすまに隠れられたら可愛すぎです。そのあと、恋人の岡田英次のパン屋さんにいって顔合わせそうになるとこそっと隠れて、出てきてウインク。だああああああああああああああ、めっちゃ可愛い。にわか香川京子ファンになってしまった。いやあああ、いまさらながら気付きました、『赤ひげ』で狂人女を演じてたのが香川さんだったなんて。おお、狂わしいまでび妖艶で恐ろしく美しかった。ああ、思い出した思い出した。そうでした、『悪い奴ほど良く眠る』の三船敏郎が結婚した娘さんが香川京子でした。おおおおおおおお。『まあだだよ』もそうでしたか。今まで気付きませんでした。なんという愚かさ。全然修行がたりないですね。『モスラ』借りてきて見ないといけないか・・(笑)。

昨日に引き続き、朝から日本映画専門チャンネルの成瀬特集見てました。今日は『おかあさん』。なんでも松竹の黄金時代を築き上げた城戸四郎(1954年、松竹の社長に就任)は、成瀬巳喜男を称して「小津はふたりもいらない」と言ったそうだが、この映画はたしかに小津的な要素で構成されている。さすがに『浮雲』のあとだとインパクトは弱いかな。ただ、『浮雲』自体が成瀬巳喜男の中では特殊なほうであり、これを基準に考えるのはどうかと思うが・・・。

50年代の映画なので(私もまだ生れていない)、さすがに東京も田舎っぽい。こういう映画をみていると、松本清張の小説の中の状況描写が「ああ、こんなんだったんだ」と思えてくる。・・・しかし、よくこんな東京から今のような東京に変わったものだと、人間の力に関心してしまう。
この映画はクリーニング店を営む福原一家の物語。早くに長男を亡くし、そのあとすぐ夫を亡くした田中絹代とその長女を香川京子を中心に、悲喜こもごもの人生をつづっている映画。劇中、夫の亡き後クリーニング店をてつだってくれた加東大介と田中絹代が再婚するのでは・・?ということにささやかに心をいためる香川京子が描かれている。これは『晩春』みたいに、香川京子が結婚するか、田中絹代が再婚するかで終わるのかな?ってみてたら、どっちもないまま終了。そういうイベント性で物語をつづるよりも、普通の日常性の描いた映画になっている。

<あらすじ>
戦後の東京。父・福原良作(三島雅夫)は工場の守衛、母・正子(田中絹代)は露店の飴売り、長女の年子(香川京子)は今川焼きを売り、妹・久子と母の妹・栗原則子(中北千枝子)の子・哲夫を預かってそだてていた。そして戦前にやっていたクリーニング屋を再び開くことができた。そんななか長男は病死する。店は父の弟子であるシベリア帰りの木村のおじさん(加東大介)が手伝ってくれることになり、順調なスタートを切った。しかし、父も病気に亡くなり、店は木村の手ほどきをうけながら、母が切り回すことになった。木村と母の間についてあらぬ噂が立っていることに年子は娘心をいためるが、年子の恋人である信二郎(岡田英次)は、「お母さんの幸せも考えてあげないといけない」」とさとす。妹の久子を親戚の養子だすことになる。

f0009381_143982.jpg母の妹は美容師になるために住み込みで見習いをしているが、コンテストに出るとかで、年子に着付けのモデルを頼みに来る。母も一人立ちできるようになり、木村は自分で店を出すために去っていった。母と年子と哲夫だけがのこされた福原家に、新しい書生さんがはいることになる。彼は16歳。クリーニングの仕事をやりながら勉学に励むのだろう。最初の晩、彼は与えられた机にすわり手紙を書きかけたまま眠ってしまった。「母上様・・・・・」。

最後の一行にはなかなか感動させられた。
それまで一度も出てこなかった登場人物の、その青年が書いている手紙に「母上様・・・」って書かれてるだけ。それだけなのにぞわぞわぞわ・・と感動するものがあった。まさに「おかあさん」という普遍性を描いたからこそ、その感動が湧き上がってきたのだろう。
ささやかな感動がなかなかちりばめられている映画だ。母が再婚するのではないかと心配していた、父の弟子の加東大介が、店をでて行くシーン。このまま行かせてしまっていいの・・?という疑問を持ちながら、結局なにもしない香川京子の複雑な感情がとっても素敵だった。
そのほかにも、養子にもらわれている妹の久子と、哲夫のさりげない別れのシーンとか・・、久子が養子にだされることを決意した晩のエピソードとか・・、ささやかに感動するシーンがかなり連打される。

by ssm2438 | 2011-02-03 14:40
2011年 01月 26日

ジェレミー(1973) ☆☆☆☆

f0009381_14542893.jpg監督:アーサー・R・バロン
脚本:アーサー・R・バロン
撮影:ポール・ゴールドスミス
音楽:リー・ホルドリッジ
    ジョセフ・ブルックス

出演:
ロビー・ベンソン (ジェレミー)
グリニス・オコナー (スーザン)

     *      *      *

This is the wispiest movie I've ever seen!

「wispy」というのは、ジェレミーとスーザンがはじめてエッチをしたあとの帰りのタクシーのなかで、今の気もをきかれて答えた形容詞。辞書でひいてしまいました。リーダーズの辞書が一番ロマンチクにこの意味をいいあててた。

wispy:
 小さく無造作に束ねた、ほっそりとして弱々しい(草など)、
 かぼそい、かすかな、わずかの、まばらな(髪などが)・・・・おい、それは余計だろう!、
 かすみのような、星雲状の、

いまが幸せすぎて不安になってる感じがじつにせつなくつたわてくる。。。

70年代の前半というのは、大人になりかけの青春物というのがやたらとはやっていた時期で、一番年端もいかないのは『小さな恋のメロディ』でしょう。それがイギリス。フランスは『フレンズ』(製作はイギリスだけど、舞台は南仏。そしてアメリカはこの『ジェレミー』でしょう。80年代になると『リトルロアンス』ってのがイタリア舞台にありました。コレもよかった。そのなかでもっとも切ない映画が『ジェレミー』。気分がグリニス・オコナー懐古にふれているので、ここはひとつ一番感動ものの『ジェレミー』に登場いただこうかなと。この切ない語り口がすばらしすぎて、監督のアーサー・R・バロンは73年のカンヌの映画祭で新人監督賞をとってしまった。でも、じつはこの映画だけ。恐ろしいまで一発やでした。

そのむかし、健さんが出ていたCMで、「男は男に生まれない、男になるんだ」ってせりふがありました。しかし、男になる前だって、自分にこれっぽっちの自信がなくったって、やっぱり女の子を好きになるのです。この自分に自信のないときに想う相手ほど心にのこる人はいないものです。そのころの想いがかなったらそれはもう幸せすぎておそろしいにちがいありません。このジェレミー(男の子です)は、そんな想いをいだいた女の子スーザンを想って想って、その結果エッチにいたってしまいます。超、超、超、超幸せすぎて怖いくらい・・、そんな感じが実にでてます。
もっとも、そのエッチのあとスーザンが家にかえると、父の引越し話がきまってて2日後には引っ越すという事実をきかされ、二人の恋愛はこの段階で一区切り、映画のなかでは唐突におわってしまいます。でも、追いかけていけない。高校生なんでしょうがないでしょう。このあたりが、まだ自分のちからではどうしよもない現実がある青春時代の恋愛物のせつないところでしょう。あの現実さが素敵なのです。しかし、その物語の何年後にはふたたびジェレミーはデトロイトまで会いにいってるでしょうね。別にこれが最終な別れではないのだけど、それほどに感じてしまうところが実にすばらしいんな。

f0009381_15181988.jpg<あらすじ>
チェロ演奏家になる夢をもつ15歳のジェレミー(ロビー・ベンソン)は、普段は黒ぶちおじさんメガネをかけていてる内気の少年。そんな彼が同じ音楽学校に通う、スーザン(グリニス・オコナー)のバレエの練習風景をちらっとみてしまう。(思えば『小さな恋のメロディ』のトレーシー・ハイドも黒のレオタードでバレエをやってましたね)。ジェレミーはそんな彼女に一目ぼれ。しかしスーザンには彼氏がいた。おちこむジェレミー。そんなジェレミーだが、演奏会のときスーザンの訪問をうけたりして二人の気持ちはさりげなく共鳴していく。

最初のデートのあと、スモークながれる通りをわたる二人のカットから、白桃いろの噴水のシーン。いいんだなあ。あ、その前に公園でワンちゃんたちに詩をきかせるジェレミーってカットってのもありましたね。あと、競馬場の望遠とか・・、二人がニューヨークの町並みを歩くシーンを望遠でとるだけでえになってしまう。
そこに切ない音楽、主題歌の「ブルー・バルーン」も「ジェレミー」これらの歌詞がながれてくるとそれだけでせつなくなってしまう。

雨の降るある夜に室内でチェスをしてるところから、視線がからみあってキスをかわし初めてのエッチ。ブラのホックをはずそうとしてもなかなか外れない。そうしてるとスーザンが体をはなす。あれ、ぐれちゃったかなっておもってるとおもむろにきていたセーターを脱いでブラも自分ではずして再びジェレミーの上に体をかさねる。

ストーリーはシンプルなのだけど、彼女の肌に触れるときジェレミーの手つきに愛を感じてしまう。それはもう、『未完交響楽』のシューベルトが質屋で自分のバイオリン手放すときにあの愛なのだ。

私の記憶だとエッチシーンは普通に演じているのだが、グリニス・オコナーがきちんと乳房をみせてくれたのは『カリフォルニア・ドリーミング』までなかったとおもう『ビリー・ジョー愛のかけ橋』で、川から上がったとすけたシャツのしたに乳首がみえたシーンあったかもしれないが、あれも直接的ではないし・・。なのでわれわれにとっては『カリフォルニア・ドリーミング』の彼女の乳房は待望のシーンだったのだが、いかせん映画がカス過ぎた。残念。

・・で、タクシーのなかの幸せすぎて・・・のシーン。そして帰ってみると案の定、まるで原作者がそうしたかったからそうしたかのように突然の別れ。おもいっきり唐突なわかれなのだが、こんな別れでもあのブルー・バルーンが流れてくるとせつなくなって胸がきゅうとなってしまう。
70年代の青春映画の傑作のひとつである。

by SSM2438 | 2011-01-26 14:58
2011年 01月 16日

星願 あなたにもういちど(1999) ☆☆☆☆☆

f0009381_8205641.jpg監督:ジングル・マ
脚本:ロー・チーリャン
    ヤン・シンリン
撮影:ジングル・マ
音楽:ピーター・カム

出演:リッチー・レン
    セシリア・チャン
    ウィリアム・ソー
    エリック・ツァン

        *        *        *

いやあああ、泣ける。この映画は泣ける。劇中で3~4回くらい泣いたおぼえがある。

この映画の監督シングル・マはその昔『ラブソング』を撮った時の撮影監督さんである。今回は監督もやってるようで・・。いやいやしいかし、『ラブソング』といいこの『星願、あなたにもういちど』といい香港のラブストーリーはすごいですね。きちんと一般のエンタテーメント作品とし成立してます。おまけに泣ける。あと人工照明がうざいけど美しい。たぶんあれがなかったらぜんぜん古臭い建物なのだろう。ぎんぎんにライトアップしてモダンにみせている。多少露骨過ぎるが、そんなことはこのさいどうでもいいだろう。『天国から来たチャンピオン』『ゴースト』などのシチュエーションも上手く使われている。しかし・・・おちついてみるとけっこうあらがあり、完成度としては高くない。それでもこの映画の勢いはすさまじいものだ。

<あらすじ>
子どもの頃の網膜剥離で視力を失い、脳に炎症をおこして話すことも出来なくなったオニオン。オニオン(リッチー・オニオン)。そんな彼だが持ち前の明るさと手話と点字で人々の役に立っている。病院のカフェではたらくジャンボ(エリック・ツァン)というおじさんがいる。彼のところで塩レモンソーダを飲むのが彼の日課になっていた。塩をいっぱいかけて飲むオニオンをみてジャンボは「そんなにいっぱいかけてると早死にするぞ」ってよくいっていた。
オニオンは、いつもやさしくしてくれる看護婦のオータム(セシリア・チャン)に密かに恋心をいだいていた。彼にとっての至福の時間はオータムが散発をしてくれる時間だった。あまり心を他人に話さないオータムだが、オニオンには気を許せてなんでも話せた。彼女が言うにはオニオンに話してもだれにも告げ口しないからだそうな。オニオンはそんな彼女を思いながら夜になるとサックス吹いていた。

しかしある日オニオンは交通事故で死んでしまう。しかし天使の計らいで、地上に5日間だけ戻れることになった。しかしもどれても姿かたちは違うし声も違う。本人であることを名乗ろうとすると発作をおこしてそれはいえない。オニオンは、とりあえずその5日間をオニオンが生前かけていた保険会社の社員チョク・チーマンと名乗ることにして、その保険金の受取人をオータムとして処理しようとする。なんとかオータムにちかづく口実を得たが、彼女しか知らないようなこと、たとえばチーズケーキは嫌いで、グミのキャンディが好きだとか、も知っているオニオンをオータムは不振に思い警戒し始める。手紙を書いて渡してもその文字はぼやけて読めない。テープに吹き込んでもその声は録音されていない。自分がオニオンだと言おうとすれば発作を起こしてはなせなくなる。

なとか彼女と接点をもちたいオニオンは「オニオンの日記をもっている」と嘘をついてしまう。夜に会いたい連絡があり、なんとか日記を一夜漬けで(点字で)書こうとする。しかし・・・大変なので一行書いただけでギブアップ。点字のよめないオータムはチョクに読んで聞かせてほしいと言う。
何も書いてない日記を指で触って読んでいる振りをしながら思いでも語るオニオン。はじめてオータムが病院にきたこと、はじめてオータムが髪を切ってくれたときのこと、髪を切ってくれてるとき間違って耳を切ってしまいなきじゃくってたオータムのこと・・・、聞いているうちにオータムは流れる涙をとめられない。
「やめて、その日記は燃やして」といって駆け出すオータム。
「さっきオニオンが近くにいたようなきがしたの」とオニオンとの連絡につかっていたポケベルにかぶせたねずみさんにむかって泣きじゃくるオータム。

オニオンは自分の死んだ場所にいってみると、彼をひいたカップルが花を供えにきていた。そこにジャンボおじさんが現れる。彼のうちにいくと死んだ娘の写真があった。薬のやりすぎでしんだそうな。
レモンソーダと塩をさしだすジャンボ。ひとつ肩をもんでくれないかと頼むと、生きていたときのように彼の肩をもむオニオン、何かをさとったかのように飛び上がるジャンボ・・・、
「いつか帰るんだ、台湾へ? また来るのか?」
「二日後、もう来ない」
「だったらもう何もするな。つらくなるだけだ」
その言葉をきくとポケットからいくつかある札束を差し出すオニオン、「向こうじゃつかえないから」
帰り際にぼそというジャンボ、
「バカ娘にあったらめんどうみてやってくれ」
「分かった・・」

その日からオータムのまわりで不思議なことがおきはじめる。あとでかたずけておこうとしたダンボールが既にかたずけてあったり、スーパーで買い物をしていると、グミのキャンディがかごのなかにはいっている・・。
そのキャンディを都会の駐車場に車をとめて一晩中かけて食べるオータム。

夜になるといつものサックスの音がきこえてくる。「オニオン!?」と駆け出すがそこでサックスをふいてたのはウー先生(ウィリアム・ソー)だった。彼の胸でなくオータム。もう自分はいられないと悟ったオニオンはオータムをウー先生にたくそうとしていた。しかし・・・嘘をつききれないマー先生「僕じゃない、サックスを吹いていたのはチョク・チーマン」だと告げる。
オニオンは近くにいる、「オニオン、オニオン」とかけだすオータム。

無数の星が降る夜・・・・オニオンは光につつまれて帰っていくのだった。

怒涛のぼろ泣き映画。すごいぞ、シングル・マー!!
アジア至上、最高に泣ける映画かもしれない。
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by ssm2438 | 2011-01-16 22:23
2011年 01月 15日

グレート・ブルー(1988) ☆☆

f0009381_1239428.jpg監督:リュック・ベッソン
脚本:リュック・ベッソン/ロバート・ガーランド
撮影:カルロ・ヴァリーニ
音楽:エリック・セラ
製作顧問:ジャック・マイヨール

出演:
ジャン=マルク・バール (ジャック・マイヨール)
ロザンナ・アークエット (ジョアンナ・ベイカー)
ジャン・レノ (エンゾ・モリナーリ)

       *        *        *

氷の下をアメーバのようにただよる気泡群の描写は名シーンのひとつだと思う。

実在の人物ジャック・マイヨールの自伝をもとに、リュック・ベッソンが映画化、公開当時はあまり人気の出なかった映画だが、一部の根狂的な信者を獲得した映画。その4年後、92年に完全版として『グラン・ブルー』として再び公開、このときにはすこぶる人気がでた。

映像はとても気持ちのいいものなのだが、映画としてはかなり弱い・・というのが正直な感想。残念ながらドラマとしてはあまり見ごたえがある話ではない。
このジャック・マイヨールがやっているフリー・ダイビングというのは、素潜りのこと。アクアラングやなんやかやをつけないでそのまま錘をもって深海に潜っていく。この記録をどんどん塗り替えていくのはこのジャック・マイヨールなのだけど、この才能というのは人間が努力して勝ち取れるものではな。これはもうその人がうまれついてもっている特異体質で、たとえば、フリーダイビング中のマイヨールの脈拍が毎分26回になっていることや赤血球が著しく増加しているなど、通常の人間では考えられないこと。つまり、普通の人が努力しても、この分野においては勝ち目がない相手なのである。

「通常の人がどんなに努力しても勝ち目のない人間」というのは、映画にしてみると見ている人に疎外感をあたえてしまうので、ドラマになりづらい。この映画も、主人公の人間ドラマというようりも、主人公のありかたを多少デフォルメして描いている、自伝的映画で、そこになんとか映画的な要素をとりいれようと、ジャン・レノ扮するエンゾというフリーダイビングのライバル的存在の男と、ロザナ・アークエット扮するジョアンナ・ベイカーをからませている。エンゾに関しては、主人公のジャックが神がかり的にすごいので、どんなにがんばって努力しても勝てない悲哀を感じてしまう。過剰移入は主人公にするのではなく、彼にしてしまうのだ。この二人がきわめて人間なので、申し訳程度にドラマのような雰囲気

そして、このときのロザナ・アークエットは実にいい。この女優さん、『ロングウェイ・ホーム』のころから知っているのだけど、あるいみ変な顔なのだけど、とってもチャーミングなのだ。おまけに胸のけっこうある。大好きな女優さんのひとりだ。

<あらすじ>
保険調査員ジョアンナ・ベイカー(ロザンナ・アークエット)は、氷原で起きた事故調査のため、アンデス山脈にあるローランス博士の研究所を訪ねる。そこでボンベも背負わずに氷の下の深い湖に潜っていくダイバー、ジャックに出会う。彼は潜水中の人間生理を研究する博士に協力してダイビングを繰り返していた。
コート・ダジュールに戻ったジャックは、20年ぶりにエンゾ(ジャン・レノ)と再会、エンゾは10 日後にシチリアで開催されるフリーダイビングの大会に参加するよう告げ、ジャックの前に航空券を置いて去る。一方、アンナはローランス博士からジャックが大会に出場することを聞きつけ、上司を騙しシチリアへと向かう。いよいよ大会が始まり、ジャックは108メートルの潜水を成功させ、世界の頂点に立つ。その夜、ジャックとジョアンナは初めて愛を確かめ合うが、深夜ジョアンナが目を覚ますとジャックの姿はなく、海でイルカと泳いでいた。そんな彼を見てジョアンナはニューヨークに戻ることを決意する。
ジャックへの対抗心に燃えるエンゾは、無謀なダイビングに挑み、命を落としてしまう。その魂にひかれるかのように、ジャックもまた大海原に一人乗りだしていく。彼を愛し、彼の子を宿したジョアンナを残して。やがて、人間の限界を超える深海に達したジャックの目の前に一匹のイルカが現われ、彼を底知れぬ深淵へと連れ去っていくのだった。

※冬のアンデスの湖、氷のしたを進むジャック(↓)
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by SSM2438 | 2011-01-15 12:40
2011年 01月 14日

ヒットマン(2007) ☆☆☆

f0009381_0441139.jpg監督:グザヴィエ・ジャン
脚本:スキップ・ウッズ
撮影:ローラン・バレ
音楽:ジェフ・ザネリ

出演:
ティモシー・オリファント (エージェント47)
オルガ・キュリレンコ (ベリコフの情婦・ニカ)

       *        *        *

オルガ・キュリレンコ、無駄にサービスしまくりですな。。。

演出的には今風のちゃらちゃらした演出なのだが、面白かった。血しぶき演出は実にかっこいい。
できるならジョン・フランケンハイマー的に渋くとってほしいのだけど・・。こういう撮り方をされるとまるでゲーム原作の映画みたいで(実際そうなのだけど、せめてそう感じさせないような作りにしてほしいものだ)、存在感のないかっこつけ映画になってしまう。列車のなかでのあの4人の拳銃つきつけあって、そのあと短剣でのチャンバラ合戦は、しらけてしまう。ああいうところをもうちょっときちんと、ふつうに不器用に演出してほしいのだけど・・・、叶わぬ願いか・・・。

ヒロインのさきほど『007・・・』のボンドガールにもなったオルガ・キュリレンコ、この人いいですね。今回の映画では刺身のつまみみたいな役で、無駄にオッパイとだしてて、さらに鞭打たれるシーンいれられてましたけど、もうちょっと有効につかわれていい人だと思う。写真なんかのパッと観だとあまり良いなっておもわないのだけど、多分実物みても全然興味の沸かない顔だとも思うが、映画のなかではなんかいい雰囲気をもっているのだ。実に雰囲気がいい女優さんである。『薬指の標本』のときのような役回りがまわってくるといいのになあ。今回のとりあえずありきたりの添え物女のような存在だともったいなさすぎる。でも、彼女が全裸でムチ打たれているシーンはもっとみたかったけど(笑)。

<あらすじ>
“エージェント47”(ティモシー・オリファント)の新たな標的はロシアの政治家ベリコフ(ウルリク・トムセン)。その男をヒットするも、その現場を娼婦のニカ(オルガ・キュリレンコ)に目撃され、組織から彼女の暗殺を依頼される。暗殺を遂行しようとしたが、ニカは自分をみてもわからない様子。・・・何かがおいかしい。彼はニカの暗殺を中止する。ニカをつれだし彼女から理由を聞き出そうとするが、組織も“47”を狙っている。
実はベリコフには影武者が何人かいて、本人が殺されたあとも、その影武者が政権に着こうとしているのである。そしてその事実をしるもの、ニカと“47”を殺す指令をだしていたのだ。イスタンブールでベリコフの弟を抹殺。葬式の日にベリコフを殺す計画を立てる。そして事は遂行された。

by ssm2438 | 2011-01-14 00:44