西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

タグ:女優が愛らしい映画 ( 76 ) タグの人気記事


2010年 11月 09日

アンカーウーマン(1996) ☆☆

f0009381_9373494.jpg監督:ジョン・アヴネット
脚本:ジョーン・ディディオン/ジョン・グレゴリー・ダン
撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ
音楽:トーマス・ニューマン

出演:
ミシェル・ファイファー (タリー)
ロバート・レッドフォード (ウォーレン)

       *        *        *

配役はいいのに話はかなり古臭い・・の謎

ニュース番組制作をテーマにした映画はいろいろあるが、基本的にはどれも面白い。ジェームス・L・ブルックス『ブロードキャスト・ニュース』は、小気味のいい会話がとても素敵だし、テッド・コチェフ『スイッチング・チャンネル』も楽しい。この手の映画というのはどうしてもこういう言葉のやりとりの上手さを感じさせてくれるものを期待してしまう。しかし、この映画はそっち路線では全然なかった・・。

古いのが悪いとはいないが、これでいいのだろうか??って思うところもちらほら。
主人公の女性のメンタリティの基本が「私はあなたがいないとダメなのよ」が前面に出てる感じなのだ。一応最後は、ロバート・レッドフォードが死んじゃって、ひとり立ちをするしかない状態なのだが、全編をとおして描かれている物語のスタンスは、「彼がいてはじめて輝く私」というコンセプトを否定することなく描いている点なのだ。これをみて、今の女性たちがいい気持ちがするかどうか・・・という疑問がわいた。

そんなことからちょっと脚本を書いた二人の経歴をチェックしてみた。・・・なんと、この二人は夫婦だった!?  その経歴をみると、いつもほとんど二人で仕事をしている。夫婦間の間柄が物語のなかの二人ににていたのかもしれない・・とふと思った。さらに調べてみると、この物語の主人公のタリーというは、70年代に実在したアメリカ初の女性アンカー、ジェシカ・サヴィッチの実話を基にしたロマンチックラブストーリーであることがわかった。つまりウーマン・リブ以前の女性観で書かれたドラマだったのだろう。
今のアメリカをみるとあまり考え付かないことだが、70年代のアメリカ女性というのは、男性への依頼心が強かったのかもしれない。マーティン・スコセッシィ『アリスの恋』などをみても、そんな部分がちらほらみられる。

<あらすじ>
マイアミの小さなローカル局に拾われたタリー(ミシェル・ファイファー)。彼女の上司であるプロデューサーのウォーレン(ロバート・レッドフォード)は、かつて全国ネットのアンカーだった経歴をもつ。
最初はお天気お姉さんさからはじめ、現場のレポーターを経験、ウォーレンのさりげない誘導のもとに人気レポーターとして頭角を現していく。
やがて、フィラデルフィアのTV局から報道記者としての仕事が舞い込んでくるまになったが、ウォーレンへの尊敬の気持ちがいつしか愛に変わっていたタリーは、彼と離れることに躊躇するが、そんな彼女の背中をウォーレンは押してあげる。しかし、フィラデルフィアでの仕事はあまり楽しいものではなかった。人気アンカーウーマンのマーシャは、事あるごとに目の仇にされ意気消沈。輝きを失った彼女はついついウォーレンに電話をかけてしまう。電話ではそのことは話さなかったが、タリーのへこみ具合をただ事ではないと感じたウォーレンはマイアミからフィラデルフィアに来てくれる。
心のささえを得たタリーは再び活き活きと輝き始め、人気・実力共にマーシャを超えた彼女は、ついにアンカーウーマンの座を掴んでしまう。そしてウォーレンとの結婚も。さらに全米ネットのアンカーウーマンに抜擢されるのだった。

by ssm2438 | 2010-11-09 09:39
2010年 10月 24日

ターミナル・ベロシティ(1994) ☆☆

f0009381_9403591.jpg監督:デラン・サラフィアン
脚本:デヴィッド・トゥーヒー
撮影:オリヴァー・ウッド
音楽:ジョエル・マクニーリイ

出演:
チャーリー・シーン (ディッチ)
ナスターシャ・キンスキー (クリス)

       *        *        *

スカイダイビングのインストラクターを主人公にした、巻き込まれがたのサスペンス。金塊の狙うロシア・マフィアとそれを追う元KGBの女性工作員に協力するはめになった主人公が、アバウトなタフさで敵を撃退していくアクション映画。
ヒロインは『キャット・ピープル』ナスターシャ・キンスキー。いやああ、びっくり。アクション映画のヒロインもとっても素敵にこなしてます。綺麗な人は何やっても綺麗ですね。

おなじスカイダイビングをテーマにした映画としてはジョン・バダム『ドロップゾーン』がある。こちらはとにかくダイビングのシーンを多く入れ込むということを念頭の置いて作られたのだろう、飛ぶ回数はやたらとおおい。ただ、それがきちんと物語と融合しているかというとちょっと無理やり感があった。
その点この『ターミナル・ベロシティ』は飛ぶ回数は少ないが、飛ぶことをしっかりとお話のなかに組み込んでいた。私はジョン・バダムのファンだが、この映画に関してはこちらの『ターミナル・ベロシティ』の方に軍配をあげるかな。どちらもむちゃくちゃ傑出したわけではない普通のアクション映画だが、スカイダイビングとストーリーをむりくり一緒にしてないだけお話が素直だ。

初めてのこの映画の劇場予告で見たときは、いったいどういうシチュエーションであの飛行機から車がおっこちるの??って思ったよ。あまりにストーリーが読めなかったのでしばらく放置プレー。それから10年くらいしてたまたま観たら面白かった(苦笑)。あの車のトランクの中にはナスターシャ・キンスキーが押し込められていて、ロシア・マフィアから逃げるために空中で車をおっことし、スカイダイビングのインストラクターである主人公のチャーリー・シーンが空中で運転席からトランクに移動、なんとかトランクを開けてナスターシャ・キンスキーを助け出し、一緒に地上に降下するという流れ。ああ、納得・・・。

しかし、それが売りの映画だったのだろうが、あんまりストーリーが読めないと、見る気にならないものだね(苦笑)。

<あらすじ>
アリゾナ州フェニックスでスカイダイビングのインストラクターをやっている、ディッチ・ブロディ(チャーリー・シーン)は、初心者の金髪美女クリス(ナスターシャ・キンスキー)の指導に当たる。だが、彼が目を離した隙に、飛行機からクリスが飛び出し地面に叩きつけられ、その後死んでしまう。不審な状況に納得できないディッチは真相を探るべく彼女の部屋を訪ねると、そこで暴漢の襲撃を受ける。事故の瞬間を撮影したビデオを検証すると、落下するクリスの上空に別の機体が映っていた。
その飛行機を捜索するディッチは、死んだはずのクリスにあう。彼女は自分がCIAの工作員で、事故は偽装だったと打ち明ける。事故が自分の責任ではないことを彼女に証明してもうらうために、ディッチは彼女の任務に協力するはめになる。しかし彼女はCIAでもなかった。彼女の正体は旧KGBの工作員。金塊の密輸をたくらむロシアの犯罪組織=ロシア・マフィアの密輸を追っていることを明かす。
金塊を盗み、クリスを拉致して軍用機で離陸するロシアマフィア。彼女は軍用機のなかのキャデラックのトランクに閉じ込められる。複葉機をチャーターしたディッチは軍用機の後部格納口へ飛び移る。敵との戦いのさなか、2人を乗せたキャデラックは空中に飛び出し、高空から落下する。空中でトランクのキーを開けて彼女を救出したディッチは彼女とともに着陸。墜落した軍用機から生き残った最後の一人と対決、これを倒して、モスクワでクリスと勲章を授かる。

by ssm2438 | 2010-10-24 09:42
2010年 08月 28日

忘れられない人(1993) ☆☆☆☆

f0009381_515024.jpg監督:トニー・ビル
脚本:トム・シエルチオ
撮影:ヨスト・ヴァカーノ
音楽:クリフ・エデルマン

出演:
クリスチャン・スレイター (アダム)
マリサ・トメイ (キャロライン)
ロージー・ペレス (シンディ)

       *        *        *

せつなく必死な「好き」が、実にリアルだ。

心臓に欠陥をもっている男の子が、憧れていた女の子との恋愛をまっとうする話・・といえばシンプルにまとめすぎかもしれないが、シンプルなストーリーのディテールを繊細に描いた映画といえるだろう。とにかく男性心理としては実にリアルだ。

男になかには<軽薄な好き>と<必死な好き>がある。不思議なもので<軽薄な好き>でないと女にはもてない。「それを失っては生きていけない」と思ってしまうと、男はチキンになり、余裕がなくなってしまう。その反対に「好きだけど失ってもいいや・・」くらいの好きの場合は男が余裕をもてる。女性にしてみれば、相手の男が自信をもっているように見える。その安心感が女性にとっては大事なのだろうが、男にとっては<軽薄な好き>からの発展でしかない。そして実際問題、男の恋愛が成就されるのはこの<軽薄な好き>からの発展系でしかなが普通である。

しかし、この映画は<必死の好き>からの発展系なのだ。
若き日の男はみんなそうだ。自分に自信がもてなくて、そんな自分だから「好き」といえなくて、それでも想いだけは無限に膨張していく。現実世界でもとめることは恐ろしくて、妄想だけがその想いをかなえてくれる空間となる。これはほとんどドストエフスキー『白夜』に出てくる主人公のようなものだ。重厚な人間の憎悪の愛欲のドラマを描くドストエフスキーが、その反面『白夜』のような人間的に弱さに純粋な部分も描く。ドストエフスキーだからできることなんだろうなっておもう。<必死の好き>が現実でなしとげられることはほとんどありえない。女性にとって<必死の好き>はキモいだけなのだ。この映画は本来ありえないはずの<必死の好き>が成就する話なのだ。
そんな男の純粋な夢を、過剰なドラマチックさを排除し、リアルに、繊細に、地味に映画にしてくれた。
傑作である。

<あらすじ>
コーヒーショップで働くキャロライン(マリサ・トメイ)は、彼から突然別れを告げられ傷心状態。、さらに帰宅途中の二人組の男にレイプされかる。その時、同じ店で働くアダム(クリスチャン・スレイター)が救われる。
孤児院で育ち、心臓を患っていたアダムはほとんど周囲の人と会話を交わすことがなかった彼だが、キャロラインを想っていた。そして毎晩彼女が無事に帰宅するのを密かに見届けていたのだ。いまでいうならストーカーである。キャロラインは、純粋で優しい心の持ち主であるアダムが以前から自分を真剣に愛してくれていたことを知り、彼に心ひかれていく。だがアダムの心臓はすぐにでも移植が必要なほど危険な状態だった。
キャロラインはアダムに手術を勧めるが、彼は昔孤児院でシスターから聞かされた物語を信じ、自分の心臓が特別なものと思い込んでいた。そして、もし心臓が奪われたら、もう君を愛せなくなると言う。アダムの27歳の誕生日に、キャロラインはアイスホッケーの試合に連れて行く。喜ぶアダムの姿を見ながら幸せをみしめるキャロラインだったが、帰りの車中でアダムは息を引き取るのだった。

by ssm2438 | 2010-08-28 05:15
2010年 08月 27日

オンリー・ユー(1994) ☆☆

f0009381_11275236.jpg監督:ノーマン・ジュイソン
脚本:ダイアナ・ドレイク
撮影:スヴェン・ニクヴィスト
音楽:レイチェル・ポートマン

出演:
マリサ・トメイ (フェイス)
ロバート・ダウニー・Jr (ピーター)

       *        *        *

このころのマリサ・トメイが一番よかった。

普通のラブコメといえばたしかにそうだが、『ローマの休日』の思い出深いシーンがちらほら登場するのがオールドファンにとってみればちと嬉しい。監督は『夜の大捜査線』ノーマン・ジュイソン。手堅い監督である。『月の輝く夜に』以外はすきだ。

しかしこの映画の魅力はなんといっても主演のマリサ・トメイ。1992年のアカデミー賞で、助演女優賞(『いとこのビニー』)をとってから一気に彼女の魅力が花開いた感がある。そのあとの『忘れられない人』、そしてこの『オンリー・ユー』。とにかくコケティッシュでキュートでくぁわいい。好きな女優さんのひとりである。
しかし・・・『いとこのビニー』と『忘れなれない人』のマリサ・トメイはとてもよかったのだが、ちょっとこの映画のマリサ演じる主人公の好感度は高くなかった。この映画の彼女は、子供の頃の占い師に告げられ、おとなになってもその迷信を信じている女の話。男の立場からすると「おまえなあ・・」といいたくなる女性の役どころなのだが、まあ、そこはそれ、マリサ・トメイを見る映画なんだとわりきって楽しむしかない(苦笑)。

<あらすじ>
結婚をひかえたフェイス(マリサ・トメイ)だが、子供の頃占い師に告げられた“運命の人、彼らの名はデイモン・ブラッドリー”の言葉がいまだに心のそこにのこっている。しかし結婚の日はちかづいてくる。もちろん彼の名前は「デイモン・ブラッドリー」ではない。現実的に考えればそんな占い師の言葉などとるにたらないものなのだが、婚約者の友人から電話がはいり、その彼がこともあろうに「デイモン・ブラッドリー」だった。

彼はイタリアにいる。衝動的にイタリアへ旅立つフェイス。ローマでフェイスはデイモンと名乗る男性とついに対面しかし、彼の本当の名はピーター(ロバート・ダウニー・ジュニア)だと告白。ボストンの靴セールスマンでフェイスへの一目惚れし、嘘をついてしまったという。傷心の彼女は帰国を決意する。今や彼女のことが好きでたまらないピーターはあちこち尽力をつくし、本物のデイモンがいる場所を捜し当てたと言う。しかしその男(ビリー・ゼイン)はピーターが仕組んだ偽物だった。フェイスがずっと信じていた「デイモン・ブラッドリー」も、フ彼女の兄の友達の名をかたったものだと分かる。
帰路につく空港ロビーで、フェイスの耳に、「デイモン・ブラッドリー」という男を呼び出すアナウンスがきこえてくる。しかし、自分の本当の“運命の人”はピーターであると気づいた彼女はボストン行きの飛行機に乗り込むのであった。

by ssm2438 | 2010-08-27 11:33
2010年 08月 23日

クレイジー・ハート(2009) ☆☆

f0009381_7582334.jpg監督:スコット・クーパー
脚本:スコット・クーパー
撮影:バリー・マーコウィッツ
音楽:T=ボーン・バーネット/スティーヴン・ブルトン

出演:
ジェフ・ブリッジス (バッド・ブレイク)
マギー・ギレンホール (ジーン・クラドック)
ロバート・デュヴァル (バッドの旧友・ウェイン)
コリン・ファレル (人気歌手トミー・スウィート)

       *        *        *

マギー・ギレンホールの<居心地のいい女>オーラが絶品。

『セクレタリー』以来マギー・ギレンホールのファンなのですが、この映画でも彼女の持つまろやかさが存分に発揮されてます。
この映画の彼女の演じる役どころは、主人公の落ちぶれてカントリー歌手バッド・ブレイクに忌んだビューする地方紙の記者。離婚経験があり、一人で子供をやしなっているお母さん。バッドとの接点は、彼がサンタフェに地方巡業に来たときにインタビューさせてもらった時。それまではさんざんぐーたらなジェフ・ブリッジズをみせられていてけっこう退屈だった映画が一気に楽しくなる。彼女をみたくてしょうがなくなる。彼女のもつ居心地のいい雰囲気が画面から噴出してくる。あんな女が現れたらそらあ誰だって癒されたいと思ってしまうだろう。

しかし不思議なもので、圧倒的な居心地の良さのなかでも、「ここに長くとどまっていはいけない」と思う、ブレーキシグナルが男の脳内のどこかから出てくるようになっているらしい。これは好きな女にフェラチオをしてもらっている時の感覚に似ている。男はその時間が永遠に続けばいいと思う。しかし、それがしばらく続いていると次第に罪悪感に囚われてくる。「自分だけが気持ちよくなっていいのか」「男には男の仕事があるだろう」っと、脳内から人間の本能に基づいた、しかも説明できそうもない本能の叫びだ。そして男は遺伝子を残す作業へ取り掛かることになる。

この映画もその流れで構成されている。落ちぶれたカントリー歌手が、居心地のいい女に出会う。彼はそこに長く留まりたいと思ったに違いない。それはこの物語をつくった監督スコット・クーパーの想いも同じなのだろう。しかし、スコット・クーパーは彼をそのまま居心地の良さの中に留まらせることに罪悪感を覚える。そして彼を強制的に追いたて、彼がもつ文化的な遺伝子を蒔く作業へ従事させていく・・・。

映画の方向性としてはきわめて理性のきいた作りである。なので地味でありきたりといわれても仕方がないだろう。もし、この映画で、<居心地の良さに対する罪悪感>を突き抜けることが出来たら、そしたパトリス・スコントの『髪結いの亭主』みたいなガツンなインパクトをもった映画になっていたのかもしれない。ただ、この映画がそうなるべき映画だとは思わないが・・。

・・・しかし、ドラマの作り手たる者は、<罪悪感を突き抜ける>才能を有してないといかんのだろうな。でないと、お行儀のいいだけの映画になってしまう・・・。

<あらすじ>
落ちぶれたカントリー歌手のバッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジズ)は、巡業の一環としてサンタフェを訪れる。そこのバンドのピアニストから、地方紙の記者をやっている姪のインタビューをうけてくれないかと申し出があった。彼女はジーン・クラドック(マギー・ギレンホール)といい、離婚経験があり、女手一つで4歳の子供を養っていた。彼女の居心地の良さが、いこじになっていたバッドの心を癒していく。
そんなおり、いまや人気カントリー歌手となったトミー・スウィート(コリン・ファレル)のコンサートの前座をやらないかという話が来る。彼は、バッドの教え子にあたる存在だったので、彼の前座をやることにはプライドが傷つけられる。トミーはとてもいい人で、バッドのプライドを傷つけずに、なんとか彼に仕事をまわそうとしている大人の配慮を感じるバッド。「若い者に保護されている自分」・・それは受け入れるしかない現実だった。
悔しさを忘れるためにいつも飲んでいる酒。その酒のおかげで失態を犯したバッドからジーンは離れて行く。彼女を失って初めてアルコールを断つ決意をするバッド。施設に入りアルコール依存症を克服して再びジーンを訪れるが、既に彼女には男がいる様子だった。
そして時がたち、ジーンへの思いをつづったバッドの思いを歌にしたその歌が、トミーによって歌われていく。


※この映画の劇中歌われる歌詞の字幕制作は最低である。

この映画、ジェフ・ブリッジズやコリン・ファレル、そしてロバート・デュバルが口ずさむ歌詞に多大な意味があるのにもかかわらず、それをきちんと画面に出さない。超不満である。それがなされていたらこの映画の感動は少し違ったものになっていたに違いないのだが。
劇中、傷ついたバッド・ブレイクと一緒に釣りをするシーンがあるが、そのなかでロバート・デュバルがくちずさむように歌う詩があるのだが、これが実に素晴らしい。そしてこれがエンディングの一番最後に流れるのだが、ここは歌詞に字幕をつけてほしかった。たぶんあれがこの映画の総てだったと思うのだが・・。

映画の構成をまったく理解してないアホ字幕制作者に天誅を下したい。DVDが発売されるときには、もうすこしきちんと字幕をつけてほしいものだ。

by ssm2438 | 2010-08-23 08:47
2010年 07月 16日

パラダイス(1982) ☆☆

f0009381_21342031.jpg監督:スチュアート・ジラード
脚本:スチュアート・ジラード
撮影:アダム・グリーンバーグ
音楽:ポール・ホファート

出演:フィービー・ケイツ

       *        *        *

今日はフィービー・ケイツの誕生日(7月16日)!

フィービー・ケイツもついに47歳(1963年生まれ)になてしまわれました。そんな彼女のデビュー作がこれ。いやああああああああ、チャーミングでした。スレンダーなヌードはみずみずしくてまぶしくて・・。これほどまでに健康的で美しいヌードだと、モザイクやぼかしをかけることも犯罪のような気がする。彼女を堪能するだけの映画でしかないのですが、それだけの価値で充分満足という映画。

物語は『青い珊瑚礁』みたいなものです。男のことと女の子があまずっぱいふたりっきりの青春ラブラブ生活。しかし舞台は中東。中東と聴くとどうしても砂漠をイメージしてしまうが、彼らがたどり着いたのはその砂漠のまんなかにあるオアシスで、水もたっぷりあるパラダイス。
砂漠の部族に襲われてみんなが殺されたりするが、それは物語の段取り上しかたないことと思って血なまぐさいところはさくっと飛ばし、気持ちの良いところだけみよう。

<あらすじ>
19世紀末、バグダッドで医師をしていた父が死んだため、故郷のイギリスに帰ることになった15歳の少女サラ(フィービー・ケイツ)しかし、途中、サラたちのキャラバンは、砂漠の部族に襲われ、生き残ったのはサラと従者のジェフリー、そして16歳のアメリカ人、デビッド(ウィリー・エイムス)の3人だけだった。しかもジェフリーも殺されてしまう。途方にくれた二人は砂漠を歩いていると清水が滝となって噴き出しているオアシスにたどりつく。歓声をあげて二人は水に飛び込んだ。水の洞穴を抜けると、向こうは海だった。その夜、デビッドが弓矢で取った肉を、サラはキャンプ・ファイアでむさぼり食べた。空には星、地上には静かな波の星。二人にとって正にパラダイスだった。家を作り、魚もとった。デビッドがサソリに刺された。サラは一晩中、介抱した。彼が意識を取り戻した時、サラは涙ぐんだ。二人ははじめてキスした。横になり、もつれあい、互いを感じあう。幼くも、情熱的なセックス。来る日も来る日も二人は愛しあった。
再びあの部族が襲ってきた。今や男となったデビッドは勇敢に戦い彼らを撃退した。再び旅に出た二人は再び文明社会にもどっていった。

f0009381_21344835.jpg
f0009381_2135457.jpg


by ssm2438 | 2010-07-16 21:36
2010年 07月 04日

高校生心中 純愛(1971) ☆☆

f0009381_2205278.jpg監督:帯盛迪彦
脚本:柴田久恵
撮影:喜多崎晃
音楽:伊部晴美

出演:
関根恵子 (宇野洋子)
篠田三郎 (丘谷由夫)

       *        *        *

前半の同棲時代の楽しいそうなこと・・、うらやましいかぎりだ。

監督は『高校生ブルース』帯盛迪彦。しかし原作があるわけではなく、あれほどのインパクトはない。関根恵子篠田三郎で倒産間近の大映を乗り切ろうといしてとりあえず作った感じの映画だが、のちのそのテイストが引き継がれる大映テレビのコアな部分が全部この映画にはつまっていた(苦笑)。どこをとっても大映という映画であった。

ただ、シナリオはぬるく、物語の展開的に「それはないだろう」ってところが一杯ある。その展開にしたいのはわかるが、そうならもっと観客を納得する説明をしてほしいものだ。これは物語作りをしているとよくあるのだけど、映画会社やプロデューサーサイドは「無理やりにでもこんなシーンをいれたい」と要求し、展開的に不自然な流れを強請してくる。それが実力のある人が脚本を書いていると、ある程度はつじつまをあわせられるのだけど、ほとんどの人はできないものである。というよりも、きちんと書ける人のほうが苦手かもしれない。上手い書き手は総てが整合するようにドラマを組み立てているものであり、そこに無理な展開を入れるとそこで書けなくなるもである。ふと『ガメラ3』があたまをよぎった。
で、そのまま、無理やりな展開がシナリオとなり、それを撮ってしまうとこのような映画になる。最後も、二人が心中する必要性がないのでいまひとつぴんとこない。あと“H”シーンもなくても良かったのに。むりやり宣伝効果としていれこんだようだが、どうせ撮るならきちんとした物語の風景のなかでとってほしかった。夢でもないのに、いきなりそこだけイメージシーンなのはしらける。

しかしこの映画の関根恵子はとても天真爛漫で可愛い。彼女の若さと明るさが全面に出た映画だろう。

<あらすじ>
高校2年生の丘谷由夫(篠田三郎)と宇野洋子(関根恵子)は、夢と希望を語り合う爽やかなカップルだった。しかしある日、赤軍派とつながりを持ち始めた由夫の兄が、日ごろから思想的に対立のあった刑事の父親を殺し警察に逮捕される事件がおきた。さらに母も急死した由夫は学校をやめて兄の裁判費用のためにはたらくという。洋子は、「殺人犯の家族」という理由で由夫との交際を禁じたられた。
由夫が両親のお骨を持って郷里の信州に帰ると聞いた洋子は駅にかけつけ、そのまま乗り込んでしまう。それから二人は兄妹ということで、信州に部屋を借り暮らし始める。なにからなにまで幸せな日々だった。しかし、宇野家からの捜査願いによって由夫は誘拐犯人として逮捕され、洋子は家に連れもどされる。
兄の裁判の日、傍聴席で再会した二人は、洋子の家族に会い、交際の許可を求めるが、洋子は部屋に軟禁され、追いかえされてしまう。
親が勧める交際相手の仲本は洋子をドライブに誘うが、このチャンスに由夫のもとに行こうとする洋子を見て嫉妬、「自分と付き合えないなら、このまま崖から落ちて死ぬ」と車を猛スピードで走らせる。車内でもみあいになり間一髪車から飛びだす洋子だが、仲本の車はガードレールを突っ切ってがけ下に落ちてしまう。仲本は死亡。伊豆あたりの作業現場で働いていた由夫がそのニュースをラジオから聴く。そこに洋子が現れる。
「私も仲本君を殺してしまった」という洋子。自首するという洋子。
「神さはま、オレから愛する人を総て奪っていく。父も、母も、兄も・・。そして今度は洋子まで・・。もう誰にも奪わせない」と覚悟をきめる由夫。二人は思い出の信州を訪れ、「もうさよならは云わなくていいのね」と、降りしきる雪の中を山奥深く消えていった。

by ssm2438 | 2010-07-04 22:10
2010年 07月 01日

成熟(1971) ☆☆☆

f0009381_23132560.jpg監督:湯浅憲明
脚本:高橋二三
撮影:喜多崎晃
音楽:菊池俊輔

出演:
関根恵子 (加納ゆう子)
篠田三郎 (笹尾隆二)
菅野直行 (坂井正夫)
八並映子 (小谷ミキ)
伴淳三郎 (笹尾吾助)

       *        *        *

関根恵子のオッパイは出ない。でも十分見る価値ある。

もしかしたら関根恵子の映画のなかでは一番みていて楽しい映画かもしれない。いろんな意味で勘違いしてるのだが、それがすべて幸せ方面にむかっているという、まるで『ボギー!俺も男だ』の逆バージョンのような映画。世間にころがっているあらすじだけをみるといたって普通の青春映画にみえるが、この映画の魅力ははかりしれないものがある。

山形県庄内平野の鼠ケ関は、古くからみこし流しという行事が行われており、「みこしを担いで海に入る男たちの濡れた体は将来を誓い合った娘以外は拭いてはならない」という言い伝えがる。万一、体を拭いた娘と拭かれた若者が結婚しないと竜神の崇りで二人とも必ず不幸になるというものだった。そんな言い伝えのある中、水産高校の笹尾隆二(篠田三郎)の濡れた背中を農業高校の加納ゆう子(関根恵子)がふいてしまう。二人にしてみれば、伝説などどうでもいいことだったのだが、それがどんどん波紋をひろげていく。

普通の映画は、二人の感情は求め合う。理性ははなれるべきだと考える。環境は二人を引っ付かないようにうごく。そのなかで二人はやっぱり求め合う・・ってのが映画だし、それが盛り上がる普通の流れなのだ。この映画が可笑しいのは、二人の感情は求め合ってて、二人の理性は否定しあって・・ここまでセオリーどおりなのだが、環境が二人を引っ付けるようにながれていくのだ。これが実に可笑しい。二人は理性的に「この恋はあきらめるべきだ」とかんがえているにもかかわらず、周りがふたりがひっつくほうに、ひっつくほうにながしていくのである。そんな環境のなかで、ふたりだけは、深刻ぶってるが、よくよく考えると二人ともとっても幸せな方向にながされているとしか思えないという・・、すべてが幸せ映画なのだ。
初期の関根恵子映画というのは、関根恵子に不幸はふりかかることばっかりだが、この映画に関しては彼女に幸福ばかりがふりかかっていく、なんともおかしな、たぶん作り手としてはかなりとんちんかんな作りの映画ににしてしまったことは確かなのだが、このとんちんかん振りがすべてにおいてさわやかで幸せいっぱいな映画がこの『成熟』なのである。

f0009381_2313587.jpg<あらすじ>
農業高校の写真部に属するゆう子(関根恵子)は「みこし流し」のイベントを撮るために、気軽に見知らぬ青年笹尾隆二(篠田三郎)の体を拭いたことから騒動が持ち上ってしまった。隆二の父親(伴淳三郎)はどうしてもその女をみつけだして息子の嫁にすると言い出し、ゆう子の家まで押しかける。しかし、ゆう子には既にきまった相手がいた。加納ゆう子は農家の一人娘であり、田んぼを続けるためには婿養子をもらわなければならなかった。さいわい、加納の家にはいってもいいという坂井正夫(菅野直行)という男がいて、既に二人の家ではその話はまとまっていた。ゆう子も特にそれに反発するわけでもなく、そうなる人生を普通に受け止めていた。
そんな二人だが徐々にお互いに惹かれて行く。隆二が漁師になって外洋にでるようになると田んぼの世話は出来ない。そうなるとゆう子一人では田んぼば無理だ。そんな二人だが、思い出作りのために二人で過ごす1日デートを楽しむ。

鶴岡市の天神祭り、別名お化け祭りの日がきた。お化け祭りと顔を布で隠した女たちが、徳利と盃を持って見物人に酒を飲ませるという祭りである。昼間から酒を飲まされた正夫は、その女がゆう子だと勘違いして押し倒してしまう。女は素直に抱かれた。しかしこの女は小谷ミキ(八並映子)であり、ひそかに正夫を想っていた。この正夫の行動がどこでどう誤謬されたのか、ゆう子が隆二の子を妊娠したという噂となって広まっていく。追いつめられた二人は、故郷をすて東京へ出ていく決心をする。
翌朝、駅に急ぐゆう子は、田んぼに稲の伝染病が発生しているのを知りそのまま放置することができず、町の人々に知らせに戻ってしまう。ゆう子の一報で農家の人々は農薬を散布し事なきをえるが、隆二との駆け落ちは中止になってしまう。
しかし、水産高校と農業高校の対抗意識は頂点にたっし乱闘寸前、そんななか、ゆう子のクラスメイト小谷ミキが真相を告白する。正夫に想いをよせていたミキは、隆二とゆう子をひっつくように仕向け、正夫には酒をもり自分を抱かせたというのだ。

結局正夫とミキは仲良くなってしまい、ゆう子と隆二も立場をこえて結ばれることを助言する。隆二が外洋に出るときは、俺たちがゆう子の田んぼを手伝うというのだ。ふるい因習を乗り越えて二人は結ばれるのだった。

おおおおおおおお、なんというさわやかな青春勘違い映画だろう。素晴らしすぎて感動してしまった。
監督・湯浅憲明、脚本・高橋二三八並映子主演(?)で作られた『ガメラ対深海怪獣ジグラ』を見直してみたくなった(苦笑)。

by ssm2438 | 2010-07-01 23:14
2010年 06月 25日

ウォー・ゲーム(1983) ☆☆☆☆☆

f0009381_3413661.jpg監督:ジョン・バダム
脚本:ローレンス・ラスカー
    ウォルター・F・パークス
撮影:ウィリアム・A・フレイカー
音楽:アーサー・B・ルビンスタイン

出演:マシュー・ブロデリック
    アリー・シーディ

       *       *       *

80年代の映像クリエイターたちはリドリー・スコット『エイリアン』『ブレードランナー』をさまざまな分野でコピーしまくったのだが、実はそれ以上に彼らにインパクトを与えた映画がある。それがこの『ウォー・ゲーム』だ。
この映画はリドリー・スコットの先にあげた2本の映画のようにヘビーテイストではないので軽んじられてるが、この映画のなかで提示されたことは、それ以降の映画やアニメに多大な影響を与えている。大パネルがある司令室も、結局この映画からほとんど進化してないし、パソコンオタクの描写も結局この当時のままだ。もちろん今ではもっと部品が少なくなっている分、昔のほうが専門的にみせやすいという部分もあるだろうし。

そして監督がジョン・バダム。専門分野の小技をきちんとみせつつ、誰にでも分かるように見せてしまう。この専門分野の理解し易さこそがこの人の持ち味なのだ。そして物語りもヘビーすぎる、軽すぎず、ころあいのいいところできちんと料理されている。たしかにアカデミー賞には程遠い人だが、庶民がなにを見たがっているのか、その欲求をきちんと理解し、それを提示してくれる。よくもわるくも職人なのだ。

<あらすじ>
吹雪の中1台の車が人気のない山間の小屋に到着する。車からおりたふたりの男は家に中に入り、鏡に向かってなにやらIDらしいものをみせるとドアがひらく。その山小屋はミサイル発射のコントロール室の入り口なのだ。そして中にいた二人と交代。その直後に緊急信号がはいってくる。二人は命令書で暗号を確認、ミサイル発射命令だと認識しる。核ミサイルはコントロールルームの二人が一緒にキーをまわさなければ発射されない。一人は「何かの間違いだ、センターに確認する」といい、もう一人は「そのような肯定はない」と銃を向ける。カウントダウンがゼロにちかづいていく。前者の隊員は「私には出来ない」とキーから手を離す。
後にわかるのだがこれはミサイル発射の模擬訓練だった。この結果22%の兵士は命令にしたがわなかったことが判明。マッキントリック博士はコンピュータWOPRに総ての工程をまかせ、発射までのプロセスから人間を取り除くことを提案する。

シアトルの高校生デビッド・ライトマン(マシュー・ブロデリック)は、学業の方はたいしたことはないがパソコンに関しては天才少年だった。授業態度を注意され校長室に呼ばれると、学校のコンピューターの今月のパスワードを盗み見、自宅にかえると自分のパソコンを学校のパソコンにログオンして生物の成績をF(落第)からC(水準)に変えてしまう。
電話代はどこぞの電話会社のコンピュータに進入していじくったらしく常時接続も可能にしているし、飛行機のチケットもパソコンで予約をいれほうだい。海外のホテルだって予約しほうだい。
なにせ25年まえにこれを見せられた私にしてみれば「コンピュータというのは何でも出来るんだ!」と感動したものだ。
たしかに今となってはコンピュータといういいわけをすれば何でも出来るという約束事になってしまい<パソコン使って何でも出来る>というコンセプトは、ダサいストーリーの典型になってしまってはいるが、当時ではまさにカルチャーショックだった。

そんな彼がどっかのメーカーが出す最新の戦略ゲームを先取りしたいと思い、片っ端からそれらしい電話を掛け捲り、偶然国防省の戦略コンピュータWOPRにアクセスしてしまう。いくつかのゲームがリストにならんでいるがログオンの仕方が分からない。大学のパソコンオタクたちに知恵をかりるデビッドは「製作者は自分だけはすぐプログラムに入れるように裏口を作っているはずだ。そこから入れるかも」とアドバイス。
「でも製作者がだれかもわからない」と聞くと
「ゲームリストのなかに<フォルケンの迷宮>というのがある。それが製作者じゃないか?」

デビッドは1週間も学校を休んでフォルケンという人物を調べ始める。裏口があったとして、そこをくぐるにはパスワードが必要になってくる。そのパスワードになりそうな言葉を捜しているのだ。全然学校にあらわれないので女友達のジェニファー(アリー・シーディ)が心配して彼を訪ねてくる。散らかっている書類のなかからフォルケンの事故で死んだ子供の記事をみつけるが、デビッドはその子の名前がパスワードではないかと思いつく。<ジョシュア>といれてエンターキーをたたくと見事にログオン。
そしてオンラインで全面核戦争ゲームを開始、デイヴィッドはソ連側をせんたく、ためしにラスベガスを攻撃するように設定する。

しかし国防省ではいきなりモニター画面にミサイルの軌道が提示され、その先にラスベガスがある。緊急事態を宣言するが、そのミサイルの予測軌道はぷつっと途切れる。l狐につままれたような一同。

FBIはそれがデビットの仕業であることを突き止め彼を北米防空司令部に連行する。
「アクシデントでそうなっただけだ」と主張するデビッドだが信じてもらえない。その間にもWOPRはさらなるシュミレーションをしている。メインスクリーンにはソ連のミサイル原子力潜水艦がそれぞれの攻撃ポイントに終結していく様子が映し出されている。それを信じている国防省は迎撃体制をとるが、ソ連からは大統領あてに「無意味な挑発はするな」と連絡がはいっているらしい。

自分の言葉を信じてもらえないデビッドは、フォルケン教授をつれてきて説明してもらうしかないと判断、北米防空司令部からの逃亡をはかるのだが・・・。


とにかくパソコンオタクの専門的知識とテクを披露するマシュー・ブロデリックがすごいすごい。それが実際可能なことなのかどうかは疑問だけど、それでもそれを納得させるだけのジョン・バダム小技演出が洒落ている。

そしてジョン・バダムの要求する画面を実にテクノな照明でたたせるウィリアム・A・フレイカー。この人の使う赤や青のネオン光の照明はじつにかっこいい。そしてそれを引き締める露出アンダーの黒。スピルバーグの『未知との遭遇』もこの人の撮影だが、巨大スクリーンが並ぶ北米防空司令部のライティング、ミサイルの軌道は迎撃する戦闘機をあらわすモニターの色づかい、フォルケン教授の家の中の映写機をまわしながらのライティングやそのあとのヘリコプターの照明。そしてきわめつけのモニター上だけの戦争。この人の重厚でメリハリの効いた派手なライティングはこういったドラマには実に合う。

そしてヒロインのアリー・シーディ。この3年あとに『ショートサーキット』でもジョン・バダムの作品に出ているが、彼もアリー・シーディのことを気に入っていたのだろう。こおころの彼女はホントに元気娘でみていて実にきもちがいい。

by ssm2438 | 2010-06-25 01:48 | ジョン・バダム(1939)
2010年 06月 24日

野ゆき山ゆき海べゆき(1986) ☆☆☆

f0009381_1312111.jpg監督:大林宣彦
原作:佐藤春夫
脚本:山田信夫
撮影:阪本善尚
音楽:大林宣彦

出演:
鷲尾いさ子 (お昌ちゃん)
林泰文 (須藤総太郎)
片桐順一郎 (大杉栄)

       *        *        *

鉄骨娘の乳房が世に出た唯一の作品!そういう意味では超貴重。

最初この映画をみたときは「ええっ、鷲尾いさ子って脱いでたんだ!!!??」ってちょっと感動。それまではおもわせ振りのセミヌードはあってもきちんと乳房が見られるような写真はなかったのだが、この映画ではきっちり披露してくれている。

映画の全体的印象はとてもいい。いいシーンを一杯ある。しかしダサい演出も一杯あってそのたびに一気に興ざめさせられる。この混在ぶりはどう解釈していいモノかと悩ましい。しかし鷲尾いさ子演じるお昌ちゃんはおそろしくまぶしい。彼女がでてくるシーンだけのパーソナル編集版をつくっておきたい気分だ。
映画はカラー版と白黒版があるのだが、カラー版だとダサい演出のときにダメージがおおきいので、あるていど白飛ばしがきいている白黒版のほうがトータル印象としてはいいかな。

鷲尾いさ子演じるお昌ちゃんを想っている男はかずかずいる。そのひとりは片桐順一郎。しかし彼は同じ父をもつ弟(母はちがう)。どんなに結婚したいとおもっていても叶わぬ夢。もうひとりの少年須藤総太郎は、学年的にもなるかに子供で「総太郎は好きよ。でも、いつまでたっても私より大きくなってくれないでしょ」と決定的な言葉を受ける。あと10年もすれば違ったことになってるかもしれないが、さすがに少年時代なのでそれはなかなか越えられない壁である。
この二人が正直に「お昌ちゃんが好きだ」という意思表示の元、お昌ちゃんを奪い合うわんぱく戦争はじつにみていてうらやましいかぎりだ。男がほんとに大事なものをもとめて戦うというのは、それを失った時に恐ろしさで本来出来ないものだが、この二人はそれを子供時代に実行できているのである。・・・ただ、これはあくまで、本来子供たちが持つ感受性の繊細さを作り手が封印しているからこそ出来る話であり、無条件にすばらしいともいえないのだが・・・。

<あらすじ>
尾道の第一尋常小学校に第二尋常小学校から大杉栄(片桐順一郎)が転校してきた。須藤総太郎(林泰文)はその姉、お昌ちゃん(鷲尾いさ子)に恋心を抱く。しかし彼女には筏乗りの早見勇太(尾美としのり)という恋人がいた。
やがて大杉栄とクラスのガキ大将と覇権を争うようになり、それはエスカレートして遂には第一小学校側と、第二小学校側の大喧嘩となる。お昌ちゃんから相談された総太郎は、一定のルールに従い武器を使用禁止の戦争ごっこを提案した。夏休みに入り、戦争ごっこが始まった(この戦争ごっこはなかなか楽しい)。
最後は、栄と総太郎は一対一の勝負で、タライ舟から先に川に落ちた方が負けという決闘をした。お昌ちゃんが審判だったが、勇太の姿を見て役目を放棄してしまう(ああ、女は残酷ないきものだ)。
ある日、総太郎と栄は栄の母、里が夫の繁太郎の借金のためにお昌ちゃんを四国の遊郭に身売りしようとしていることを知った。また勇太にも赤紙が来る。彼はお昌ちゃんと駆け落ちすることを決心するのだが、仲間の戦死を知り、その遺骨を抱く老婆の姿を見て軍隊にはいる決意をする。しかし、お昌ちゃんが売られるのを知った勇太は脱走し、お昌ちゃんを連れ戻す。しかし(尾美としのり)やはり彼女に恋心をいだく青木中尉(佐藤浩市)が燈台から勇太を狙撃。お昌ちゃんは小舟に火をつけ、二人は小舟と共に水没していくのだった。

by ssm2438 | 2010-06-24 13:17