西澤 晋 の 映画日記

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2010年 06月 23日

朝やけの詩(1973) ☆

f0009381_19264677.jpg監督:熊井啓
脚本:山内久/桂明子/熊井啓
撮影:岡崎宏三
音楽:松村禎三

出演:
関根恵子(春子)/仲代達矢(作蔵)/北大路欣也(朝夫)

       *        *        *

うむむむむ、申し訳ないがかなり退屈。その退屈な映画のなかで関根恵子だけがまばゆいまかりに美しい。

しかし、やっぱり都会生活の関根恵子というイメージがあり、この映画だとちょっと場違いなきがしないでもない。そうはいっても、ジーパン姿で、ノーブラでシャツを着てる関根恵子は他のどの作品よりも健康的で美しい。映画の冒頭、森の湖での水浴シーンも美しく撮られていて画面はとても綺麗だ。

物語は、日本アルプスの大自然を背景にして、破壊されてゆく原生林、緑の広野、離散する開拓村の人々を描いている。開発が進むにつれて、そちらに加担する村人もでてきて、村の中は分裂状態。結局開発業者が自然を犯してくという流れの話だが、村の人たちにも、映画の趣旨にもあまり賛同できないかな。たんに開発業者を敵にまわしたやっかみ映画にしてしまった感がぬぐえない。仲代達也の演じる作蔵も、村に残ろうとする人たちも、見ていてほとんど共感できない。カメラはいいのだけど、熊井啓の見せ方は実にたいくつで、関根恵子がでてなければ誰も最後までみないんじゃないだろうか。

<あらすじ>
日本アルプスを展望する信濃高原。春子(関根恵子)は、この開拓村で牧場を夢みる一徹な父親・作蔵(仲代達矢)を手伝い、貧困に負けて逃げた母親・八重子に代り、二人の弟妹の面倒をみていた。
アポロ観光社長・神山は、地元の有力者稲城と結託し、この高原地帯にレジャーランドの建設を奨めていく。春子の恋人・朝夫(北大路欣也)は、稲城に反感を抱いたが、自分の父が稲城の死んだ兄であるということを知り、「開拓村に手をつけない」という条件でアポロ観光の現場主任を引き受けた。しかし朝雄の言葉など無視され、アポロ観光の測量が開始された。激怒した作蔵は測量を妨害したため、警察に逮捕された。この事件を契機に村は、開発賛成派と反対派の二つに分断されていった。
数百万円の立退き料が村人に渡された。ただ一人作蔵だけが頑なに、アポロ側との交渉を拒否していた。そんなある日、作蔵の馬を初め、他の家の家畜も原因不明のまま死んでしまった。アポロ観光の現場事務所が何者かに放火され、その嫌疑が作蔵にかかった。しかし事務所に放火したのは、神山たちで、作蔵をおとししれる謀略だった。作蔵は証拠不充分で釈放されたが、村を出る決心をする。
幼ない弟妹は八重子が引きとることになった。作蔵は春子を朝夫のもとに送ると、村の最後を見届けるために森にもどっていく。作蔵のまえで轟音をたててダイナマイトが爆発、山の自然が汚されていく。

by ssm2438 | 2010-06-23 19:23
2010年 06月 14日

おさな妻(1970) ☆☆

f0009381_2331271.jpg監督:臼坂礼次郎
脚本:白坂依志夫/安本莞二
撮影:上原明
音楽:北村和夫

出演:関根恵子(黛玲子)/新克利(吉川)

       *        *        *

「逃げちゃおっか」「うん」・・・・くあわいいぞ、関根恵子!

いやいや、なかなか予想よりも面白かった。やっぱり関根恵子がいい。わかいい。ミニスカートも素敵。私が関根恵子をみたのは『DOOR』『次郎物語』、そして『動脈列島』くらい。吉永小百合的な面影があるが、それよりもどこかクールな感じの彼女。若い頃はいろいろ社会にいいように扱われ脱がされてしまった女優さんという印象で、ある種の哀れさを感じる女優さんだった。1977年、睡眠薬自殺未遂、1979年、河村季里との海外雲隠れ騒動などで再びマスコミを騒がせたりもした。そんな彼女が高橋伴明と結婚、その後『次郎物語』彼女を見たときは、ほっとした。やっと定住することができたね・・って感じ。

そんな彼女をいいように食い物にしたのが晩年の大映。その映画の一つがこの『おさな妻』。こういう映画を楽しんでみてしまうのは、当時の彼女の心情を考えるとやはり罪悪感を感じてしまう。でもやっぱりみておきたかった作品。

<あらすじ>
病気の母とふたりで暮らしていた黛玲子(関根恵子)だったが、その母も病死し、伯母静江の家に引き取られることになった。静江は優しく今まで通り高校に通わせてくれたが、静江の息子淳一は、玲子に欲望を感じていた。静江の留守中、淳一が学校から帰った玲子に乱暴しようとしたため、玲子はこの家を出る決心をする。静江の反対を押し切ってアパートでの一人暮しを始めた玲子は、再会した幼稚園時代の先生の紹介で通学のかたわら保育園で子供たちの面倒をみるアルバイトを始めた。そして吉川(新克利)との出会い。
男で一つで娘まゆみを育てている吉川退かれていく玲子。食事をしたり、買い物をしたりする、楽しい時間を持つようになった玲子は、まだ高校生だというのに吉川からプロポーズされてしまう。年齢の開きに躊躇しながらも結婚に合意する。幸せな結婚生活が始まったと思ったが、吉川が昔の女と切れず、ワイシャツに口紅をつけてかえってきてしまったことから家を飛び出す玲子。自暴自棄になって結婚を後悔し、家庭を棄てようとする玲子だが、吉川の強い愛情ををうけて再び彼の家庭へと戻っていくのであった。

話はいまひとつ抑揚のないものだったが、それもまた良し。ほほえましくなるような映画だった。
・・・しかし、結婚を決意する時は、旦那が浮気したらどうするか・・くらいのオプションは考えておくものだとおもうけど。浮気しないってことを前提に結婚するのは甘すぎる。

by ssm2438 | 2010-06-14 23:31
2010年 05月 20日

マンハッタン(1979) ☆☆☆☆☆

f0009381_23345362.jpg監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン/マーシャル・ブリックマン
撮影:ゴードン・ウィリス
音楽:ジョージ・ガーシュウィン

出演:
ウディ・アレン (アイザック)
ダイアン・キートン (メリー)
マリエル・ヘミングウェイ (トレイシー)

        *        *        *

ダイアン・キートンと付き合ってた頃のウディ・アレン作品は素晴らしい。

ウディ・アレンの画面をきちんと作る才能はほんとに素晴らしいと思う。もちろんこの映画の撮影監督はゴードン・ウィリスなので、誰が監督でもきちんとした絵にはなるのだけど、それでもゴードン・ウィリスが撮影監督でないときも、きちんとした画面構成をいつも構築している。もっともこれは撮影監督の力がかなりあるのだろうが、その撮影監督を見抜くちからもすばらしい。もっとも、このゴードン・ウィリスに撮ってもらってた時代が一番好きだけど、そのあとはカロル・デ・パルマと一緒に仕事をしている。この人はミケランジェロ・アントニオーニの映画をよく撮っていた人だ。そしてゴードン・ウィリスの前の時代で、画面にひきつけられたのは『ウディ・アレンの愛と死』だった。予備知識のないままたまたまテレビをつけたらやってて、「うわあああ、なんかきっちりした画面とってるなあ、誰だ?」っておもったらギスラン・クロケだった。納得。彼は『テス』アカデミー撮影賞をとっている。
ウディ・アレン自身が画面構成能力が恐ろしくしっかりしているので、それが上手い撮影監督が誰なのかも知っているのだろう。

この『マンハッタン』はウディ・アレンが一番輝いていたダイアン・キートン時代の代表作のひとつ。世間では『アニー・ホール』が有名かもしれないが、個人的にはこちらのほうが好きだ。もっとも一番好きなのは『インテリア』だけど。
このころのウディ・アレンの作品には不思議と人を引き込む力がある。それは「ああ、これ分る分る」の要素がいっぱい詰まっているからだろう。確かにアレン自身が主役をやっているので、会話はウディ・アレンのいつもの会話で、本心を隠すための象徴過ぎ的トークがやたらとおおい。固有名詞連打も、その作家たちがもつものを象徴しているのだろう。判る人だけ判ってください的なインテリぶりだが、これも嫌いではない。そしてこの頃の言葉や、しぐさや、ドラマ展開は、胸に沁み込む度合いが80年代からの作品にくらべてディープだ。勝手な想像だが、これってダイアン・キートンを愛していたのだと思う。そのとき入れ込んだ女が彼女だったから、彼女を想った時の心情がおおいに反映されているのだと思う。ウディ・アレンって思いっきり「認められたい人」なので、そのエネルギーが高ければ高いほど、作品もよくなるのだろう。この映画では、男の恋愛のなかでよくあるケースが切実に展開されている。
そんな良くある男の心理描写を、ゴードン・ウィリスの力をかりて、マンハッタンの風景のなかで展開している。ごちゃごちゃっとした都会(ニューヨーク)の雑踏といい、いろいろアイテムがある部屋のなかといい、そして霧にけむるクイーンズボロ・ブリッジをみる二人のシルエットといい、天文ミュージアムのなかの絵作りといい、総てが確かな絵になっている。白黒画面というのはちょっと卑怯かとも思うが、ゴードン・ウィリスのモノクロ映画というのはけっこう珍しいので、そういう意味では貴重な映画でもなる。ま、ゴードン・ウィリルならカラーでもモノクロでもどうとってもカッコいいのだけど。

ウディ・アレンの映画というのは、なかなかストーリーにはいりこめないものが多いのだが、それはウディ・アレン自身が主役を演じ、それもモテる男を演じているからだ。本人はもてるとおもってるのかもしれないが、やっぱりあまりビジュアル的にもてるとは思えない。なので映画のなかでウディ・アレンがもててると、そこで「なんか違う・・」って思ってしまうのだ。しかし、これは仕方がないので、「この映画の主人公は見た目はウディ・アレンなのだが、実はもてる男優さんのだれかなんだ」と思ってみることにしよう。
そしてウディ・アレンの映画のなかで役者さん的にみて一番すきなのはこの映画だ。ダイアン・キートンは昔からのファンなのだが、マリエル・ヘミングウェイも実にいい。
f0009381_932670.jpg
<あらすじ>
ニューヨーク、マンハッタン。コメディ番組の放送作家、アイザック・デイビス(ウッディ・アレン)はトレーシー(マリエル・ヘミングウェイ)という17歳の女子学生と同棲中だった。どちらかというとトレイシーの方が積極的だった。二度の離婚経験があるアイザックは、彼女と付き合いながらも、どこか距離を置こうとしていた。
近代美術館を見物中のアイザックとトレーシーは、アイザックの友人エール会うが、彼は女を連れていた。彼女の名はメリー・ウィルキー(ダイアン・キートン)、雑誌ジャーナリストだ。ベルイマンを表面的にしか理解しない“えせインテリ”ぶりにウンザリだったが、偶然あるパーティでメリーと再会し、意気投合してしまったアイザックは、2人で夜のマンハッタンを長々と散歩することになる。

思えば、ダイアン・キートンとデートするシーンをゴードン・ウィリスにとってもらい、その映画が世に残るなんてうらやましことだ。

結局“H”にいったったアイザックとメリー。トレーシーに別れを告げ、彼女にロンドン留学の話を勧めるアイザック。しかしメリーはやはりアイザックの友人エールを愛しているという。おい! これだから女は困るんだ。男はつかの間の夢見て、期待して、そして裏切られるとやっぱり居心地のいい女のところにもどっていくのである。

「マンハッタンの人々に関する短編のアイデア・・、
 彼らはいつも不必要な精神的問題をつねに想像している。
 なぜならそれらの問題が、さらに解決不可能でさらに恐ろしい宇宙の諸問題から逃れるための
 有効な手段だからだ。
 ふむう・・、楽天的であるべきだ。・・そうだ、人生はなぜ生きる価値があるのか?
 うん、これがいい質問だ。確かに人生を価値のあるものにしてくれるものがいくつかある。
 たとえばどんな? うむむ、そうだなあ、ボクにとっては・・
 グルーチョ・マルクス、ウィリー・メイズ、
 ジュピターの第二楽章、ルイ・アームストロングの『ポテトヘッドブルース』、
 フロベールの『感情教育』というスウェーデン映画、マーロン・ブランド、フランク・シナトラ
 セザンヌの『林檎と梨』、中華料理店のカニ料理・・・・・
 ・・・・・トレーシーの顔」

電話をかけても話中でつながらない。トレーシーのアパートに走るアイザック。しかし彼女は既にロンドン行きを決めており、荷造りを終えてこれから空港に向かうところだった。よりを戻したいアイザックは、今までのお飾りトークではなく、わがままきわまりない本心を彼女につたえていく。彼女のロンドン行きの決意は変わらない。「半年したら帰ってくるから。変わらない人もいるわ」といい、旅立っていくトレーシーだった。
「二兎を追うものは一兎もえず」ストーリーと言われるが、この最後からはトレーシーはロンドンに短期間留学するだけで、トレーシーを失ったわけではないと思う。ただ・・、夢の狩人たる男の性はトレーシーも理解しただろうし、一時の冷めた感情のままロンドンなんかにいくと、ふらっと別の男になびきかねなくもない(彼女は「代わらない人もいるわ」と言っているが)。この一連の別れ話騒動で、トレーシーのアイザックに対する憧れは消失しただろうし・・。
それでも、これで許されるならそれは男の夢だろう。そしてそれを暗示しているエンディングが実に素直でよい。ここでおわらせるのがなかなかおつな展開だなと思った。

by ssm2438 | 2010-05-20 23:35 | ゴードン・ウィリス(1931)
2010年 05月 03日

クライムエイリアン/何かがあなたを狙ってる(1988) ☆

f0009381_1020827.jpg監督:リチャード・A・コーラ
脚本:フランク・ルポ
撮影:ラズロ・ジョージ/ジェフ・バートン
音楽:シルヴェスター・リヴェイ

出演:
ジョー・コーテス (ジャック・ブレスリン刑事)
マリアム・ダボ (ターラ)

        *        *        *

コーヒーを飲むと酔ってしまうエイリアンの美女ターラ=マリアム・ダボが可愛い。

テレビ放映時のタイトルは『スペースウォリアーズ/宇宙からの侵略』、私がみたのはこれだった。
アヴォリアッツでグランプリをとった『ヒドゥン』を、男と女にしてお手軽に作り直した感じ。でも、そこそこたのしめる。しかし、マリアム・ダボがエイリアンをやるのでとてもみていてほほえましい。
『007/リビング・デイライツ』のあとマリアム・ダボの可憐さに惚れてしまい、何本か彼女の作品をあさったことがあったのだが、この映画もそのひとつ。MTVなのでなにかとショボイのは仕方がないが、トータルで180分もあり(2時間枠で前後編だったのだろう)、そんなことなら二時間スペシャルにしてもっと良質なものができなかったものか・・??と思ってしまう。

<あらすじ>
ジャック・ブレスリン刑事(ジョー・コーテス)はある異様な猟奇的殺人事件をおっていた。その事件の被害者は内臓をぬきとられているのである。そしてその現場で目撃したブロンドの女性。やがて彼女はターラ(マリアム・ダボ)、囚人船から逃亡した凶悪なエイリアンを追っていた善玉エイリアンだった。そしてブレスリン刑事が追っていた猟奇殺人の犯人こそターラの居っていた悪玉エイリアンだったのだ。姿を変え、サイコキネシスを使う凶暴なエイリアンを二人が追う。

by ssm2438 | 2010-05-03 10:21
2010年 02月 21日

ターミナル(2004) ☆☆☆

f0009381_2341519.jpg監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:サーシャ・ガヴァシ/ジェフ・ナサンソン
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
トム・ハンクス (ビクター・ナボルスキー)
キャサリン・ゼタ=ジョーンズ (アメリア・ウォーレン)
スタンリー・トゥッチ (フランク・ディクソン)

        *        *        *

ゼタ姐さんがメグ・ライアンみたいに可愛い!!

東欧のある小国でクーデターが勃発、その政府が発行したパスポートが無効になってしまう。その国からニューヨークにやってきたビクター・ナボルスキー(トム・ハンクス)は、アメリカへの入国許可が下りず、空港で足止めされてしまう。管理局のフランク・ディクソン(スタンリー・トゥッチ)は、わずかな食品権と呼び出しベルと空港内限定の自由を与える。それからというもの、自国の戦争が終わって、政府が機能するまでナボルスキーの空港ビル内でのサバイバル生活が続く。

はじめのうちには、ろくに言葉も勉強せずにアメリカにきたノボルスキー=トム・ハンクスは言葉もほとんどわからない状態にかなりイライラ。そんなあほな状態でアメリカなんか来るなよって思ってしまう。
とりあえずお金の問題は、放置されたカートを指定の場所に戻すと25セントバックさせるようになっている仕組みを発見、空港内に放置されたカートを集めてきては小銭を集めてくることで解決。それでマクドナルドのハンバーガーを食べる。空港内の本屋で母国語の本と、英語の本を買い、照らし合わせながら言葉の勉強。夜は改修工事中で使われてないゲートで寝泊り。そんなこんなでなんとかサバイバルはできてしまう。しかし、あまりにイライラするので早期退散しようかともってたら、なにやらめっちゃかわいいキャサリン・ゼタ=ジョーンズ登場。

f0009381_23413470.jpg空港で転んでヒールのかかとが取れてしまうゼタ姐さん。そのかかとをトム・ハンクスが拾ったことでとりあえずその後発展のきっかけになる。いやいやしかし、このゼタ姐さんはそれまでのゼタ姐さんとは全然違う、まるでメグ・ライアンみたいなゼタ姐さん。でもあっという間に彼女は場外に・・(苦笑)。
しかし、それからなんとかモチベーションが続いたかな。ゼタ姐さんとトム・ハンクスとのやり取りが少しづつ増えていくとなんとか見る続けようという気になった。空港内で起きるヒューマンドラマを描きつつ、ずっとある男と結ばれることを7年間もまちづづけているゼタ姐さんと、父との思い出をコンプリートするためにニューヨークのダウンタウンに出なければならないトム・ハンクス。待ち続ける者同士が本のひと時心を通わせる。数ヶ月もこの空港で寝泊りして、そのうち何回はゼタ姐さんとのコンタクトもあり、お互い気持ちが惹かれあってくるのだが・・、ゼタ姐さんのところにその男からついに電話がかかってくる。結局ゼタ姐さんはトム・ハンクスと切って彼のもとに走る。
トム・ハンクスも、戦争が終わりニューヨークの街に出ると、死んだ父が集めていたジャズのミュージシャンのサインを手に入れてコレクションをコンプリート。母国へ帰っていく・・。

正直「・・・・え????」って感じでした。もしゼタ姐さんとトム・ハンクスを引っ付けないのなら、空港から開放されたときに終わらせれば良かったのに。そのあとダウンタウンに行って最後のミュージシャンにサインをもらって終わりってのはどうなん???? 

トム・ハンクスが欲していたそのミュージシャンのサインは、あくまで父の想いを継いだもので、トム・ハンクスのものじゃあないだろう。一度フライトにでたら2週間はもどらないゼタ姐さん待って空港で過ごしてて、そんな生活を数ヶ月もしてて、で最後は「ボクが待ってたのは君だ」って言ったのに・・それで終わるんかい? それだったら空港出た時、最後にまたゼタ姐さんにあった時、奪って逃げるとか・・。
それがダメなら・・・、ここでも伝家の宝刀「そして・・年後」を使ってほしかったなあ。

・・・そして15年後。
ゼタ姐さんのダンナは死にました。葬式でたちつくすゼタ姐さん54歳。みんなが埋葬された後から帰るがゼタ姐さんだけはしばし思い出に浸っている。やっと納得できたのか、帰ろうとする何かに躓いて転ぶ。ヒールのかかとがとれてしまった。そのヒールをひろって差し出す男あり、トム・ハンクスであった。見つめあう二人・・・・ってエンディングが良かったなあ。

もうちょっとなんとかならんかったかなあって映画でした。

by ssm2438 | 2010-02-21 23:45 | S・スピルバーグ(1946)
2010年 02月 19日

男と女の不都合な真実(2009) ☆☆☆

f0009381_6522375.jpg監督:ロバート・ルケティック
脚本:ニコール・イーストマン
    カレン・マックラー・ラッツ
    キルステン・スミス
撮影:ラッセル・カーペンター
音楽:アーロン・ジグマン

出演:
キャサリン・ハイグル (アビー)
ジェラルド・バトラー (マイク)

        *        *        *

キャサリン・ハイグルは、『グレイズ・アナトミー/恋の解剖学』を見たとき「なんちゅう可愛い子が出てきたもんだ」って思ったが、とってもいい感じで進化してますな。風貌的には私の好きなシャーリーズ・セロンアシュレイ・ジャッドを足して2で割った様なかんじ。どこからどうみても典型的な美人です。あんまり美人過ぎるのでけっこう使いづらいかもしれないんじゃないかと思うくらいだが、これがどうして、どんな下世話ねたでも嬉々としてしゃきしゃきこなす。

しばし“H”のご無沙汰がつづいてるからということで、ジェラルド・バトラーから送られてきた感度回復パンティ(パンティにバイブがついている)を試しにさくっとはいてしまうキャサリン。そんな時にお迎えきがて結局そのまま、上司たちがあつまるレストランにいく。バイブのリモコン落とすとどこかの子供が拾ってなにやらがちゃがちゃとスイッチを押すとバイブの振動音とともにもだえだしたり・・、まあ、なんといいましょうか、まるでカトリーヌ・スパーク嬢(古過ぎる?)の映画ででてきそうなシチュエーション(苦笑)、あるいはかつての栄光日活ロマンポルノか・・。そんなシーンも明るくロマンチックコメディになしてしまうキャサリン・ハイグルに魅力は全開。

物語は『マイフェアレディ』のアンチ・フェニシストバージョンのような展開。自立してても彼氏がいないキャサリン・ハイグル。そんなキャサリンのお向かいさんに越してきた素敵な男、しかも医者。彼に持てるために、男の本音トーク(かなりステレオタイプな意見だったが)のジェラルド・バトラーの指南により、<男にもてる女>へと変貌していくキャサリン・ハイグル。
結局のところ、素敵なお医者さんはやめにして、ジェラルド・バトラーと引っ付くスタンダードなロマコメストーリーー。楽しく見させてもらった。

この映画のベストショットは、あのエレベーターの中のジェラルド・バトラーの根性なさ振りだろう。
男という生き物は、ほんとに好きな人の前ではチキンなものです。それは求めて拒絶される怖さからくるもので、そうなるのは仕方がないもの。つまり男は、ほんとに好きでない相手とは穏やかに自然に付き合えるものです。そして女が付き合いやすいと思うのは、こういう男だったりするのです。で、その女のことをホントい好きな男は「私に憧れているだけ」と整理をつける。
女が付き合うことになる男は、その女のことを深刻に好きではないので、結局他の女になびくのは当たり前。じゃあ、真剣に好きだった男のほうがいいのかというとそうでもない。彼はやはり女に対して理想を投影しているだけであり、ほんとに“H”をしようものなら理想像が崩れ去り、これはこれで幻滅するものだったりする。

・・・どっちにしても女の都合のいい男はいないようだ。男に都合のいい女もいるわけないし・・。
男と女の不都合な真実でしたとさ・・・。

by ssm2438 | 2010-02-19 06:52
2010年 02月 19日

プラダを着た悪魔(2006) ☆☆☆

f0009381_541624.jpg監督:デヴィッド・フランケル
脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
撮影:フロリアン・バルハウス
音楽:セオドア・シャピロ

出演:
アン・ハサウェイ (アンドレア・サックス)
メリル・ストリープ (ミランダ・プリーストリー)
エミリー・ブラント(エミリー)
スタンリー・トゥッチ (ナイジェル)

        *        *        *

スタンリー・トゥッチの説教とアン・ハサウェイのファッション・ショー

キャリアウーマンのサクセス物といえば、一昔前なら『ワーキング・ガール』なのかもしれいなが、今の時代はこれ、『プラダを着た悪魔』。もっとも、この映画の最後ではやっぱりやめて当初からの志望だったジャーナリズムに進むのだけど、これはこれでよいかな。
「ファッションなんて所詮は外観をかざるも。大切なのは内面だ」と私を含めたオヤジどもは思うだろうが、そこには絶えず変化する需要がある以上、競争力も激しい世界があり、それを提供する側にはその需要競争のなかで至上に受け入れられるものを提供していかなければならない。ファッション界とは人と同じなのも嫌、でも人と違いすぎるのも嫌・・という虚栄心と協調性のはざまで揺れ動く世界。そんな世界で絶えず一級品を提示していくひとたちの世界にはいりこんだ、普通の女の子の物語。

面接の日、普通におしゃれして行ったつもりが「ださい」と言われ、その世界に反感をもつアンディ(アン・ハサウェイ)。プロの目から見た凡人のお洒落は、本人が思ってる範囲の一番よさげなものを提示したとしても、大したものではないことは良くあることだ。そして見下されたものが、プロにたちに対しては反感をもつことも良くあることだ。彼女もそんな感じでそこの仕事に着いたのだが、徐々にプロの仕事振りをみせれられていく。

そしてこの映画の最大のポイントがやってくる。ファッション界のカリスマ・コーディネイター、ミランダ(メリル・ストリープ)に「失望したわ」と言われたアンディが半べそかきナイジェル(スタンリー・トゥッチ)のところへ行き「私は一生懸命努力しているのに認められない」と嘆く。しかしナイジェルは、「いや、君は努力していない」と言ってのける。それまでのアンディのしていたことは、ミランダの言葉を自分の解釈の一番都合のいい部分で解釈し、それを実践していただけで、上司の意図を汲み取り、上司の望むものを提示していたわけではない。ミランダを理解する気すらなかったのだ。
そのときからアンディが変わる。ミランダの言葉をただ実行するのではなく、その言葉の向こうにあるミランダの欲求を汲み取りそれを実行する、「ホントの秘書」としての仕事をし始める。服もナイジェルに見立ててもらい、プロとしてのとりあえず最初のうちは<見てくれ>だけでも取り入れていく。そこには働く人たちのプロとしてのソウルを受け入れる。
そのあとのアン・ハサウェイのファンション・ショーは実に心地のいいものだった。一連の動きのなかで、手間をささっと何かがよぎると別の衣装になっている。テンポよく次から次へと服装が変わっていく。個人的にはこういう演出はあまり好きではないが、それでも見ていて快適な気分になれる演出だった。

最後のエンディングにはいろいろ意見があるようだが、まあ、あれはあれで悪くはないかなと思う。あそこで一旦流れをきって、アンディは当初の志望どおりジャーナリズムの道へ向かわせないと、ミランダからの「一番認めていたのはアンディだった」という趣旨のメッセージを入れられそうにない。あのままの仕事してたら一生いわなさそうだしね・・(苦笑)。
しかし確かに、古き男は捨てて、同僚の秘書も乗り越えて、自分の新たな可能性を見出していくのもよかったかもって思ったりもするが・・。でも、これをするにはもう少し時間がいるのかもしれないなあ。いや・・出来るか・・。伝家の宝刀「そして3年後・・」って技もある。

・・・そして3年後、
アンディはミランダの引退した後コーディネーターのチーフになっていく。そのパーティの席上で、元彼氏に「当時は君が離れていったことは悲しかったが、今の成功が総てを物語っている。君はここに来るべきひとだったんだ」とかなんとか言わせて、華やかなパーティの途中で乗り越えられた第一秘書さんにプスっと背中から刺されるとか・・(苦笑)。『振り返れば奴がいる』パターンだね。
反対に第一秘書さんが「悔しいけど、あなたの才能は私たちを踏み台にして登りつめるに値するものだったわ」といって大団円にするか・・・。

ただ・・・こうしてしまうと、どうしても他人の価値観で成し遂げた勝利みたいでちょっと嫌かもね。はじめが「ジャーナリスト志望」で、腰掛的にはいったファッション業界って設定だったのだから、どんなにそこで認められても、自分の価値観が大事・・というは基本原則だし・・、<一番大切なもののために、二番目を捨てさせる>というのはシナリオ構成の基本テクだし、このエンディングで良かったのだろうな・・多分。

by ssm2438 | 2010-02-19 05:41
2010年 02月 02日

女性上位時代(1968) ☆☆

f0009381_7155024.jpg監督:パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
脚本:パオロ・フェラーリ
    オッタヴィオ・ジェンマ
撮影:アルフィオ・コンチーニ
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ

出演:
カトリーヌ・スパーク (未亡人ミミ)
ジャン=ルイ・トランティニャン (Dr.マルチ)

     *      *      *

若い人妻ミミ(カトリーヌ・スパーク)が夫を亡くし、それをきっかけに夫の別宅を発見。いってみるとガラス張りお洒落な部屋で、大きなベッドがあり、ビデオの上映のためのスクリーンまである。どんなビデオなのかとまわしてみれば知人の女とSMプレイ。それをみてからというもの、徐々にフロイト本を読みはじめ性欲にめざめていくというもの。

彼女の作品はちょっとエッチなロマンチック・ラブ・ロマンス(ややコメディ系)で、“H”を期待してはいけない。ちょっとエッチな振りってところが作品自体の可愛らしさを形成しているのだろう。ひとによって解釈は違うだろうが、コメディのジャンルではないと思う。『エマニエル夫人』からセックスシーンを抜いて、それにいたるまでのメンタルを可愛らしく描いた作品。しかし・・さすがに今見ると若干退屈ではある。ちなみに、この映画をまじめにやるとアンリ=ジョルジュ・クルーゾー『囚われの女』になるのだろう。

この映画はカトリーヌ・スパーク嬢をみる映画だけど、彼女はもっと若い頃の映画のほうが彼女のぴちぴち感があったような。さすがに大人になるとあのあっけらかんとしたところがちょっといやらしさに変わってて、ま、それはそれでいいのだけど・・・ちと残念かな。しかし、彼女の映画のなかでは見られるほうだろう。

f0009381_6463184.jpgしかしこの映画、当時としてはかなりお洒落感覚を画面に出してた映画だと思うな。トランティニャン先生にレントゲンとってもらうシーンはなかなか素敵。
自分の車のなかで助手席にすわるスパーク嬢を脱がせて、パンティ一枚になったところで、ガソリンスタンドに寄り、しばしコーヒーを飲みにおりるトランティニャン先生。いわゆる放置プレーである。ここの音楽の盛り上げ方なんてとってもすばらしい。車にもどってみるとまわりに人だかりが出来ていて、そのなかを悠然と車にのり去っていく・・。彼女のマンションにつくと、裸のまま階段をあがっていくスパーク嬢をほほえましく下から見上げてるトランティニャン先生。住人のひとりが階段ですれ違ってちょっとびっくりしてる。これをずっとトランティニャン先生のみためで追っている。
全面鏡張りの部屋はじつに素敵。そして最後にその部屋の鏡をがしがしわっていく演出もグッド!

いつもはクールなジャン=ルイ・トランティニャンが、ときおりにやけたり、ほほえましく微笑んだり、感情爆発させて鏡わりまくったりと・・、この映画のトランティニャンは妙によかった。

by ssm2438 | 2010-02-02 06:49
2010年 01月 26日

太陽の子 てだのふあ(1980) ☆☆

f0009381_15483740.jpg監督:浦山桐郎
原作:灰谷健次郎 『太陽の子 てだのふあ』
脚本:浦山桐郎
撮影:安藤庄平
音楽:真鍋理一郎

出演:
原田晴美 (芙由子=ふうちゃん)
河原崎長一郎 (おとうさん)
ひめゆり部隊の女子大生 (大竹しのぶ)

        *        *        *

浦山桐郎といえば『キューポラのある街』『暗室』しかみたことはない。『暗室』に関しては浦山桐郎が撮ったことすら知らなかった。たまたまテレビをつけたら、神戸の町を見下ろす高台に妙に可愛らしい子発見、しばらく見ていると、一緒にいるお父さんらしい人が近所の高校の女子高生の合唱の声ききパニックになる。・・・なんだこの映画は??ってみてたらタイトルが出てきた。まだ始まったばっかりだったのでもったいないのでそのまま見ることにした。その映画がこれ『太陽の子』、沖縄の言葉で「てだのふあ」と読ませるらしい。

とにかくふうちゃん演じる原田晴美が圧倒的に可愛い。潔い。可憐だ。

彼女みたさにこの映画をずっと最後までみていたようなものだ。データを調べてみたのだがこの映画にしかでていない。今はどこで何をされているのか・・。この映画が公開されたのが1980年、劇中の彼女は小学6年生~中学1年生なのだが、どうみても14~5歳に見える。ということは生まれたのは1965年前後か・・、私よりほんのすこし若いだけだ。年代的に親近感を覚えてしまった。しかし、『キューポラのある街』の吉永小百合といい、この映画のふうちゃんといい、浦山桐郎はこういう可憐で健気な女の子を演出するのが実は上手かったのかもしれない。ちょっと他の作品群もチェックしてみる必要があるかもしれないと思った。
さらにやたらと熱血漢の若造がいるなあっと思えば、なんと『アイアンキング』石橋正次ではないか!?なんだか懐かしい。

物語は、神戸で沖縄料理の店「てだのふあ」を営んでいるふうちゃん(原田晴美)の一家とその店に集う人たちの沖縄にまつわるエピソードを回想しつつ、沖縄戦の傷跡をさりげなく暴露していく。「沖縄の歴史を勉強しよう」映画。そのへんが押し付けがましいのだが、ふうちゃんの可愛さに免じて我慢して見るた。

<あらすじ>
戦後まもなく、芙由子の両親は沖縄から神戸に移民してきた。当時の沖縄はまだアメリカ占領下であり、日本に来るにはパスポートが必要だった時代のことだ。芙由子はそんな両親のもとに生まれた神戸っ子。
しかし彼女の父(河原崎長一郎)は、いまだに戦時中の記憶に悩まされていた。

彼は少年時代に沖縄戦を経験し、少年兵だった彼は負傷して動けなかったところをひめゆり隊の女学生(大竹しのぶ)に助けられる。戦火のなか、彼をおんぶして看護地まで走る女学生。看護地でぐったりしている彼に「私はひめゆり隊として死ぬ覚悟は出来ている。でも、あんたはまだ死んじゃだめよ。無駄に死ぬのだけはダメ」と力強く語る。
なんとか戦火の中を『戦場のピアニスト』のように逃げのびる少年も南部の海岸線に追い詰められたよる、女学生の合唱の声を聞く。明日は自爆して死ぬだろうという夜、月明かりの下でそれまで来ていた泥や血にまみれた服を脱いできれい学生服に着替えている女学生たちの集団であった。その中には、彼を助けてくれたあの女性もいた。
夜が明け、アメリカ軍が迫り「オジョウサン、シンデハダメ」と拡声器で呼びかけるが、手りゅう弾を手に崖から飛び降り爆死していく女子学生たち。それをいたたまれない思い出岩の陰からみている少年。自分の臆病さが許せないのだろう。でも出て行った戦う勇気もない、ひたすら隠れて逃げ続けるしかない・・そんな劣等感が彼を後々まで苦しめているのだ。
物語の最後に彼は自殺する。
父の遺骨をもって母と共に父の故郷である波照間島にもどる芙由子。葬儀のあと父が生前話してくれた波照間の青い海に向かって歩いていく芙由子の前に、やはり海へむかってあるいていく男の姿がみえる。かすかに振り向いたその顔はは父の顔であった。父の姿をおって海岸にでたふうちゃんは、日本領土をしめす国旗のもとにある記念碑に泣き崩れる。
「なんでほんとのことを話してくれないの・・」

・・・話せるわけないよね。人は誰も悔しすぎて、誰にも話さず墓場までもって行くべきことのひとつや二つはあるもの。

by ssm2438 | 2010-01-26 15:59
2009年 11月 01日

勝手にしやがれ(1959) ☆

f0009381_4595319.jpg監督:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:ジャン=リュック・ゴダール
台詞:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウール・クタール
音楽:マルシャル・ソラル

出演:ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ

        *        *        *

ジーン・セバーグがみられる貴重な映画だが、ジャン=リュック・ゴダールなので面白くもなんともない。よくこんな映画生涯に2回もみたもんだと、自分にあきれる。

一言、『気狂いピエロ』よりはいい。

by ssm2438 | 2009-11-01 00:54