西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

タグ:女優が色っぽい映画 ( 78 ) タグの人気記事


2013年 05月 03日

透光の樹(2004) ☆☆☆

f0009381_2019999.jpg監督:根岸吉太郎
原作:高樹のぶ子『透光の樹』(文藝春秋刊)
脚本:田中陽造
撮影:川上皓市
音楽:日野皓正

出演:
秋吉久美子 (山崎千桐)
永島敏行 (今井郷)

    ×     ×     ×

よかった。。。

最近はずっと長年あまり見てこなかった邦画をすこしずつ掘り返そうかとおもい、ちょっと邦画をみるようにしてます。で、なにみようかと思って借りたのが、根岸吉太郎のこの映画。

根岸吉太郎の映画だと『遠雷』でぼろ泣きしたのがもう25年以上もまえか。根岸吉太郎の画面というのは、画面作りにカッコよさはなく、絵的にはそれほど燃えないのです。これは日活あがりのひとって皆さんそういう傾向があるようなきがします。滝田洋二郎なんかも画面はまったくもえない。お金をかけてセットをくめないなかでハンディカメラ的な撮り方しかしてないからかもしれない。木村大作のどっかああああああって望遠でカッコよく見せるような画面にはならない。そこはやっぱり残念なところ。でも、根岸吉太郎の映画な物語の染み込ませ方がいいんだよな。
展開のさせかたが自然。見せ方が自然。奇をてらった見せ方はほとんどしないで自然に物語を展開していく。でも見てるうちについつい見てしまうような感じ。ただ・・・、感性が鈍い人には刺激がなさ過ぎるかもしれない部分はある。

今回も主人公は『遠雷』のときと同じ永島敏行。ほんとは萩原健一だっそうですが代わって正解でしょう。でもあのほそかった永島敏行がかなりデブになっております。
ヒロインの女性の方は秋吉久美子。この映画が撮られたのが2004年(実際の撮影はほとんど10年前なのかな)ということで、当時お二人は46と48くらいかな。 秋吉久美子さん、相変わらずおきれいですが、やっぱり永島とならぶと彼女の方が年とって見える。
そういうことかと後で分かった。
実は、原作では秋吉久美子演じる千桐が42~43で、相手の男が45~46という設定のようだ。なので脚本の段階は千桐が年下だったのだけど、年上の秋吉久美子さんがきまっても、台詞をそのままやってしまったのでそうなっちゃったんですね。

ま、それはさておき、映画は面白くみさせていただきました。
やってることは渡辺淳一ワールドで40代の男女の恋愛劇なのです。
普通なのです。普通なのですが、突然めの前に匂いたつような女性が現れ、なんだかエッチしてしまえる状況になってしまった。それは女性にしても同じだったのでしょう。そこからほんのちょっとずつ、自分の背中を無理して推して、少しづつ逢瀬を重ねて行く・・・。その普通な感じが実にしっぽりとしてよかった。

その魅力はやっぱり秋吉久美子の天性の魔性にあるようなきがする。彼女の場合はある種の女のだらしなさ的なものをもってるですよ。もちろん人間なのでプライドとか理性とかがあってそれが前面にでることはほとんどないのですが、演技でも素でも、おそらく彼女はそうなのでしょう、まじめで清楚な感じの役どころでも、どこかオンなの娼婦性をかもしだしてしまう。その相反する二つの要素が同居してる独特の危なさ、不安定さ、浮遊感がとってもすばらしいのだと思いますね。

<あらすじ>
テレビの作品制作会社を経営する今井郷(永島敏行)は、今作っているドキュメンタリー番組の仕事で金沢を訪れたのをついでに、25年前に取材した刀鍛冶、山崎火峯のもとをたずねてみて。そして当時高校生だった娘の千桐(秋吉久美子)に出会えた。男にはずっと心にのこっている面影が突然気になりだすこともあるものだ。
千桐はすでに40を越えていた。離婚し娘をつれて父の元にもどってきたが、その父も寝たきり状態。働こうと思えば父を施設に入れなければならないし、そうしたら金がいる。自分で面倒みてると結局働きにいけない・・・、そんなこんなで借金もかさんでいた。そんな千桐に対し、郷は金銭の支援を申し出る。

この微妙なニュアンスがよいのである。
男にはとりあえず出そうと思えば出せるお金はあるので援助したい。もし出来るなら、25年思っていた夢を見させて欲しい。
女は・・・、お金を出してもらえる。そして体を求められた。女は思っていた。彼の女になりたいと25年思っていた。いいことずくしではないか・・・。でもいいのかこの申し出をうけて??? 世間の目は??
そんな思いが交錯したのだろう。しかし、男も女も一歩づつ「やってしまう」ということで一歩を踏み出すことにする。

その後の関係も微妙なのである。
「お金ではじめた関係」というブレーキにしがみつきたい想いと、所詮それは、一見不幸に見えるお互いにとっての都合の良い言い訳で、実は、「追い詰められたり、追い詰めたりする関係になりたい」という願望が女のなかにくすぶって時々爆発しそうになる。

そんなこんなと何回かの逢瀬を繰り返す二人。
しかし、そんな今井を癌が蝕んでいた。大腸癌であった・・・・。
いか、ああだこうだあって、今井は死に、千桐は年を取り、自分の娘すら分からなくなるくらいにボケて、昔の男だけは覚えている・・・というところで映画は終わるのでした。

男が監督してるからバランスとれてるけど、とどのつまりは、女の願望ストーリーだったのだろうな。

by ssm2438 | 2013-05-03 20:23
2013年 04月 30日

アンフェア the answer(2011) ☆☆

f0009381_094166.jpg監督:佐藤嗣麻子
原作:秦建日子
脚本:佐藤嗣麻子
撮影:佐光朗
音楽:住友紀人

出演:
篠原涼子 (雪平夏見)
佐藤浩市 (一条道孝)
山田孝之 (村上克明)

    ×     ×     ×

面白かった。
『羊たちの沈黙』みてるようで、日本の猟奇殺人映画がきちんと出来てるなって感じがした。それ以上のときめきはなかったが、それだけあるだけでも、前作よりは良かった。

今回はシリーズ構成からやってたシナリオライターの佐藤嗣麻子が監督という立場になっております。ただ、だからといって映像のつくりがわかってるとはおもわないのです。音の入れ方とか、望遠~広角の使い方といか、編集のポイントとか、そんなことはシナリオ書いてるだけでは絶対わかりません。でも、おそらく、おそらくですよ、お話作りの面ではかなり自己の主張をとおされたのだと思います。
私もまがりなりにも何回か監督なることをやったので判るのですが、一般受けユーザーへの迎合する流れの中で、いかにしてきちんと、こだわりを見せるかといういはかなりのエネルギーを必要とします。しっかりお仕事されたのだと思います。結果として、物語のつくりはしっかりして「猟奇殺人」という基本路線にもどされているようです。
なんでもかんでもスケーるを大きくしたらおもしろくなるわけではなく、それぞれのスケールに応じてきちんと出来てれば「あ、これいいじゃん」っておもえるわけですよ。それに画面とか録音とかいう部分はその担当の撮影監督とか録音監督とかがしっかりてればおまかせしていいわけですしね・・・。

ただ・・・・、これがこの物語の最後の映画/エピソードになるのだとしたら、あるいはそうなるかもしれないという懸念があったのなら、もうちょっと局部の物語にとどまらず、全体的に納得させてもらえる話でみたかったな・・という気持ちもあります。部分の話だからこれでいけたのだろうけど、もうちょっと全体系の話だったらどうだったのだろう・・って思うところは否定できないな。

もう一がんばり欲しいところです!
でも、どっちが好き?ってきかれた、こっちの方がすきだな。前の映画よりは・・・。

by ssm2438 | 2013-04-30 00:10
2013年 04月 29日

アンフェア the movie(2007) ☆☆

f0009381_23511660.jpg監督:小林義則
原作:秦建日子
脚本:佐藤嗣麻子
撮影:大石弘宜
音楽:住友紀人

出演:
篠原涼子 (雪平夏見)
椎名桔平 (後藤国明)
江口洋介 (斉木陣)

    ×     ×     ×

実はテレビシリーズは見てないのだけど、映画だけ見ました。
ネットの反響を読むと、次の映画の方が好感はもたれているような気はする。

しかし・・・、篠原涼子はいいやね。
顔のパーツ、パーツを部分的にみると決して美人ではないのだけど、それがひとつになるとなんかいいムードなんだけど、あの鼻のかっこわるさも、整形してないって思えば板野・プラスティックサージュリ・友子よりもすがすがしくみえる。なにより全体の雰囲気がよい。でも、どっちかいというと、この映画の篠原涼子よりも、次の映画の彼女の方が色っぽくていいやね。

で、内容的には・・・『アンフェア』で『ダイハード』やってみました・・みたいな感じというのが的を得てるだろう。
個人的には大どんでん返しものは嫌いで、2度見て楽しめない物語なんてのはつまらないと思ってるのです。

たとえば、あなたがシナリオライターの養成学校の講師で、テレビドラマのシリーズ構成やってるとしよう。そこに、とんでもない発想の物語と書く人と、ありきたりのシチュエーションを思いっきり繊細な心理描写で書ける新人さんがいたとする。シリーズ構成やってる立場から、どっちか一人を使いたいっていったら、そら後者だよね。
この映画は、前者をとって話をつくったような感じ。
売りが篠原涼子ちゃんの雰囲気のかっこよさだけで、あとはどんでんがえしでとりあえず観客ごまかしました・・って感じの話。

きちんと作ろう、ドラマ!

by ssm2438 | 2013-04-29 23:52
2013年 01月 05日

ザ・オーディション(1984) ☆☆☆☆

f0009381_1113110.jpg監督:新城卓
脚本:中岡京平/川村俊明
撮影:栃沢正夫
音楽:馬飼野康二

出演:
世良公則 (北森修平)
浜田範子 (小早川範子)
鈴木幸恵 (三枝幸恵)
岩間さおり (風間沙織)
板谷裕三子  (兵藤裕三子)
志穂美悦子 (七瀬玲子)
平田満 (間宮秀丸)
中尾彬 (矢島)
池部良 (伍代章造)

     ×   ×   ×

健全な80年代ここに在り!!

80年代のアイドルグループ、セイント・フォーを主演にすえた青春サクセス芸能界モノ。久々にみましたこの映画、泣けますね~~~~。こてこてのセオリーどおりなんですけど、王道の素晴らしさを真正面からぶっつけてきますね。そして、あれだけ良い素材4人(浜田載子岩間さおり鈴木幸恵板谷裕三子 )のユニットを組みながらヒットさせられなかったプロデュースのへぼさ・・・。なぜ、この4人がメジャーになりきれなかったのか不思議で仕方がなかった。
当時この映画のプレビューが流れてる時は、もうときめいてときめいて、「日本にも健全さサクセスストーリーができたぞ、絶対見に行く!!」って思わせてくれた作品。で行きました。最後のもって行き方はもっと盛り上げれらたと思うのだけど・・・、これでも充分感動できた。
みてみるとキャラクターの書き分けもすばらしい。4人のなかでは一番ビジュアル的にうけなさそうな板谷裕三子の使い方が上手かった。それぞれのなかのドラマもけっこう味付けがバランスよく分散しててよかった。適役となるライバルプロデューサーの妾の娘役が範子・・というのもいい刺激剤。この関係が物語をやや複雑なものにしていて、途中解散してからの展開はどうなるのか見ているほうが心配してしまった。ただ・・・、あんまり気持ちよい方向には流れなかったので、あそこをもうちょっとなんとかしてほしかったかな・・・。
しかし、大筋では基本構成がすばらしく誰がとっても燃える話になってた、。・・・なのに、最後の「アンコール、アンコール」の大合唱のあと一気に「不思議東京シンデレラ」に行けばよかったのに・・・、どうせ新人賞の大会はジャックしちゃったようなものなのだから。あそこで次元変えられるのがちょっと悲しかったかな・・・。

で、観ているとスーパーヒットに繋がらなかったのもなんとなく判る気がする。まともすぎた。健全すぎて時代がスルーしてしまったのかもしれない。ダンスというより体操が出来るユニットで、当時はあれだけ動きながら生歌があたりまえの時代。浜田範子はかわいかったし、岩間沙織もすてがたい魅力があった。みなさんパーツ的にはどこか不細工なところがあるのですが、それでも4人が一緒にいると輝いちゃうんだ。この映画もかなりのお金をかけてプロモーションしたのだろう。あの映画のころのセイント・フォーはよかったねえ。写真集は2冊しかなかったような・・・。一冊は今ももってます『抱きしめてセイントフォー』、もうひとつはCDがついてるような写真集で写真のページが薄かった。買いましたよ。ただ、そのつくりが今ひとつ中途半端で、そんな作りするんじゃなくて、もうちょっとひとりひとりの綺麗な時代をもっときちんと写真集のなかに入れ込んで欲しかったなあ・・・。
なのにブレイクしなかった・・・。そして、解散。浜田範子と岩間さおりはヌードの写真集をだすことになった・・・。芸能界が売れなかった怨念を彼女達にむけてリベンジしてるようで哀しくなった。

<あらすじ>
かつて芸能界を席捲したロックグループ“レイカース"のリーダー・北森修平(世良公則)。しかし、スキャンダルに巻き込まれテ失墜、サンライズ・プロの社長伍代章造(池部良)に拾われてマネージャーとしてタレントのタマゴ祐三子(板谷裕三子)を売り出そうと懸命だった。しかしそんな伍代ともつまらないことからケンカをし会社をやめてしまう。
プータローとなった北森だが、彼を慕っていた祐三子も会社を辞め、2人だけで再出発することになる。原宿で踊っていた範子(浜田範子)をみつけたのをきっかけに、分かれた妻の友人の女性レーサーの妹・風間沙織(岩間さおり)、三枝幸恵(鈴木幸恵)を発掘、4人で新たなレイカーズを結成する。
自費でだしたレコードは2000枚。これだけではどうにもならない。北森は4人を音楽番組のオーディションへ参加させる。しかし、音楽業界を支配する矢島オフィスの社長、矢島(中尾彬)の防害はつづく。ある日、のり子の妹が彼女を訪ねてくる。母が死んだのだ。実はのり子の母は矢島の愛人だった。憎しみを矢島にぶつけるのり子。
ある新人発掘番組のオーディションをめざして死に物狂いで自分達の歌を仕上げていく4人。目には目をと審査員に裏金を配る北森だが、それでも矢島のほうが一枚上手だった。結果、優勝は別の新人にもっていかれる。矢島になんくせつける北森だが、ボディーガードにぼこぼこにされる。
さらに沙織の姉がサーキット場で事故死。憔悴の沙織は田舎に帰ってしまう。どうしてもスターになりたいのり子は幸恵と一緒ならという条件で矢島オフィスに引きとられ、コンビでデビューすることになる。祐三子はサンライズライズ・プロに出戻り。北森は行方知れず。
大晦日の新人賞めざす新人賞レースは矢島の推す森あかねが一歩リードしていたが、のり子と幸恵のファニーズも人気がでてくる。しかしそのころヒットチャートでは奇妙な現象がおきていた。たった2000枚しか出されなかったレイカーズのデビュー曲がラジオ番組などではトップテンにはいってきていた。
そして迎えた大晦日、新人賞の発表の日。ファニーズとしてはもう歌えないというのり子は、デビューまでのプロセスを涙を流しながら訴え、会場にきていた沙織と、おなじ新人歌手としてその場にいた祐三子をステージに呼び、レイカースとしてここで歌いたいと申し出た。ファニーズとして歌えないのならと一旦は会場から下ろされる人だが、観客のレイカース・コールが会場にとどろきわたった。
矢島の圧力もあったが、番組プロデューサーの決断でステージにあげられた4人はレイカーズとして歌った。

正直なところ、オーディションで優勝できなかったあと、みんながばらばらになり、なおかつ、のり子が矢島のもとにいく流れがみていてあまりに気持ちよくないのである。ちょっとそれまでのメンタルではそうなりそうにない展開なのに・・・と心が違和感を覚え、あそこでかなり冷めてしまうのだ。あそこをもう少し嫌悪感を感じないくらいのエピソードにできなかったものか・・と思う。
物語では、北森と離婚した玲子(志穂美悦子)が再びひっつく話も平行して描かれ、最後は路頭にまよっていた北森が、巷でながれているレイカーズの歌を聞いてるうちに思い出の場所にいきつき玲子と再会というハッピーエンドになっている。

素材がよかっただけに、その後の芸能活動をみると、プロデュースサイドがもうちょっとなんとかできなかったものか・・と残念におもってしまう。

by ssm2438 | 2013-01-05 11:20
2012年 07月 21日

恋の7つの副作用(2005) ☆☆

f0009381_149494.jpg原題:SIDE EFFECTS

制作総指揮:キャサリン・ハイグル
監督:キャスリーン・スラタリー=モシュカウ
脚本:キャスリーン・スラタリー=モシュカウ
音楽:ラルフ・ブルーナー

出演:
キャサリン・ハイグル (カーリー・ハート)
ルシアン・マカフィー (恋人のザック)
ドリアン・デミッシェル (上司のジャクリーン)

     ×   ×   ×

脚本はいいけど、演出と撮影はぼろぼろ・・・、
・・・しかし、キャサリン・ハイグルは素晴らしい。役者としても素晴らしいけど、それ以上にプロデューサーとして大変素晴らしい仕事をしたと思う。大絶賛に値する。


撮影が並みのレベルなら☆3つはあげられたのに・・・。実にもったいない作品。
とにかく喰い合わせが実に悪い。
ドラマのカテゴリーは、どちらかというと『プラダを着た悪魔』で、あののりで作ってくれたらこの映画はかなり傑作になっていたかもしれない。しかし・・・・、演出にかなり不備が目立つので興ざめする。もうすこしシーンのつなぎをしっかりしてほしいなあ。このしーん、あと2~3カットつんでから終わって欲しいとか思うことろがけっこうある。ラブシーンでハンディカメラを使うのはやめてほしい。ハンディカメラってのは、手ブレがどうしても生じ、そのシーンにカメラがあることをわからせてしまう。カメラの存在を見ている人に感知させたらそれは映画の画面ではなくなる。低予算なので、レールを敷くことすら出来ないのかもしれないが、そこは演出でカバーしてほしいものだ。いちいち、歩いてムードをたかめている会話をハンディで、歩きの上下動のあるなかで撮られる興覚めもいいところえある。せめて撮影だけでもまともな人を使ってたらかなりすくわれた映画になっていたのに・・・。

物語の冒頭はロマンチック・コメディ系のノリではいっていくのだけど、だんだん社会問題を取り扱う物語になってくる。トータルすると、DVDの表紙からうける印象ではなく、かなりシリアスは医療機関の告発社会派サスペンス(?)もので、まさに『プラダを着た悪魔』をフェルナンド・メイレレス『ナイロビの蜂』テイストで料理しているのである。おそらく監督は、表面にはでてないけど、『ナイロビの蜂』をかなり意識したと思う。ただ、融合のさせ方があまりに素人的で悲しくなる。
しかし、この人のシナリオは素晴らしいと思う。
プロデューサーはキャサリン・ハイグルなのだが、彼女は実に素晴らしい仕事をしたと思った。おそらく、誰も目をつけない名もなき脚本家の脚本を読んで「この人にこの映画を作らせてあげたい!」って思ったのだろう。演出的な才能なないにしろ、それでも作らせてあげたかったのだろう。それはあたかも、ブルース・ウィリスが無名だったM・ナイト・シャマラン『シックスセンス』をつくらせてあげたいと思ったのおなじ衝動だったにちがいない。

この映画で彼女は私にディーバになりました。
今のハリウッドでもっとも見るに値する作品をつくるプロデューサーはキャサイン・ハイグルです!
もちろん彼女の下着姿が素晴らしいのはいうまでもないことですが・・・。

<あらすじ>
MRとは、メディカル・リプレゼンタティブ(劇中では「ファーマスーティカル・レプリゼンタティブ」と呼ばれている)の略で、製薬会社のロビーイストである。製薬会社が大金を投じて開発した薬を医者と病院に売り込むのが彼女の仕事。ワーキング・プアーだったカーリー(キャサリン・ハイグル)は、見てくれのよさだけで、この蝕につくことが出来た。さらに会社からは新車も貸し与えられた。しかし、やっていることといえば、ドクターへのゴマスリばかりで、売上成績もひとりだけ足を引っ張っている始末。そんなときにザック(ルシアン・マカフィー)と出会う。彼もMRの仕事についていたが、こんなおべんちゃらだけの世界では生きていけないと、1週間でやめることを決意したという。その話を聞いたカーリーもあと半年間だけこの仕事をつづけ、それできっぱりやめることを決意した。すると心が軽くなる。
いままでおべんちゃらだけを言っていたのを止め、、ほんとのことを話しはじめる。薬に関しては、良いことも悪いことも全部包み隠さず話す。会社の利益やなんやかや・・・。するといままでほとんど相手にしてくれなかったドクターたちがカーリーの話を聞き、彼女のうる薬を買うようになり、売上は急上昇、上司のジャクリーン(ドリアン・デミッシェル)にも認められていく。

そこからは、『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイのようにどんどん服装がキャリア・ウーマンしていく。しかし、ザックとの間には隙間風が吹くようになる。さらに、自分が売り込む薬には副作用があり、臨床実験では死者もでていことを知ってしまう・・・。

by ssm2438 | 2012-07-21 01:53
2012年 03月 11日

序の舞(1984) ☆☆☆☆

f0009381_1233265.jpg監督:中島貞夫
原作:宮尾登美子
脚本:松田寛夫
撮影:森田富士郎
音楽:黛敏郎

出演:
名取裕子 (島村津也)
風間杜夫 (西内太鳳)
三田村邦彦  (村上徳二)
佐藤慶  (高木松溪)
岡田茉莉子 (島村勢以)
水沢アキ  (島村志満)

     ×   ×   ×

ベスト・オブ・名取裕子はこの映画では?

当時、篠山紀信がとった文庫本サイズの『名取裕子―明日(あした)嵐がくる』という写真集があったのですが、この映画をみて買いました(笑)。もう一冊、この映画のタイトルをつけた写真集もあるのですが、このちっちゃいほうが断然よいです。

原作は『寒椿』『夜汽車』宮尾登美子。はっきりいって男が面白いと思うものは書かない人です。なのでこれが面白いかというと、少なくとも私は思えないのだけど、しかし、いくつかみた宮尾登美子の映画の中では一番好きです。宮尾登美子のいつもの女の情念どろどろ節も、画家を主人公に据えたお話となるとなぜか受け入れてしまう。

この映画の主人公は日本画家の上村松園。明治時代の女性の画家で、コントラストが素晴らしい美人画を描かれます。色使いはかなり好み。一番下に彼女の画を列挙しておきました。

この物語は彼女の独身時代(苗字が島津時代)の話であり、絵の修行とともに彼女が人生で合う男達との恋愛劇が描かれてます。しかし、最後にたどりつくのは母の愛・・・。
子供の頃の絵の師匠である西内太鳳(風間杜夫)、そして小学校を出ると西内の勧めで入った松溪画塾の師匠・高木松溪(佐藤慶)、そこでであった若き塾生・村上徳二(三田村邦彦)。
師匠2号・高木松溪に抱かれて子供を生み、親に勘当され、自分を好きになってくれた若造・三田村邦彦(それも妹が好きだった人)の世話になっておきながら、子供のころの師匠1号・風間杜夫に会うとこれを捨て、そのもとに走る。しかし、師匠2号に出会うと再び抱かれまたまた妊娠・・・。強烈にどろどろです。
やさしいだけの三田村邦彦、かなり悲惨・・・。

頑張りやさんなのだけど、依頼心もかなり強い女性です。おかげでまわりの男はかなりたいへん。自分だけの女かと思えば、するっと他の男に抱かれてしまう。しかしそのバックボーンには、彼女の芸術活動をささえた彼女の母、島村勢以の女のしぶとさをうけついでいる。

なんちゅうか・・・、女にしか描けない話ですね。

<あらすじ>
江戸時代末期、貧しい農家の娘に生まれた勢以(小林綾子)は、京都の島村の葉茶屋に養女に出された。養父母が相次いで世を去ったあと婿養子をとったが勢以(岡田茉莉子)だが、5年後には夫もとも死に別れた。それからの勢以は、長女・志満と次女・津也を女手ひとつで育てていく。
やがて時は流れ、絵に熱中しはじめた津也は、図画の西内先生(風間杜夫)のすすめもあって、京でも有数の松溪画塾へ通うことになった。明治23年、第3回内国観業博覧会に津也(名取裕子)が出品した「四季美人図」が一等褒状を射とめた。その頃、西内先生がヨーロッパへ留学することになり、津也にとって大きな悲しみとなる。また、村上徳二(三田村邦彦)という青年が松溪塾に入塾し、彼は津也に好意を抱くようになった。師匠松溪(佐藤慶)の千枚描きに立会った日の夜、津也は師の誘いのままに、料亭へ出向き、抱かれる。月日が流れ、津也は妊娠した。それに気づいた勢以は、娘を激しく責め、相手が松溪と知り、津也に絵を禁じた。
見知らぬ土地の農家で女児を出産した津也は京には帰らず、東京にいる徳二のもとに身を寄せる。二人の生活がはじまる。しかし絵への想いは捨てきれない津也は、新聞で見かけた“西内太鳳ヨーロッパ帰朝展”の報にこころを揺さぶられ、徳二に置手紙を残し西内のもとに走った。
西内は津也に一軒の家を与えて絵の修業を続けさせた。明治29年、津也の「人生の春」が第5回日本美術院展の第一等に輝いた。光彩堂の招きでとある割烹に出向いた津也は、その席で松溪と再会する。かたくなな態度をとっていた津也も、老いた旧師が涙を流すのを見て、再び彼の腕の中に沈んで行った。再び妊娠。
津也と松溪の関係が続いていたことを知って激怒した太鳳は、津也に破門を言い渡す。
おろし薬を飲んだ津也のもとにかけつけたのは母の勢以だった・・・。

以下、上村松園の画。すばらしいです。一番上が『序の舞』の画。
f0009381_1252651.jpg
f0009381_1243337.jpg
f0009381_124103.jpg
f0009381_1242110.jpg
f0009381_1244341.jpg
f0009381_1245246.jpg
f0009381_1245941.jpg
f0009381_125132.jpg


by ssm2438 | 2012-03-11 12:09
2012年 01月 31日

女のみづうみ(1966) ☆☆☆

f0009381_0505598.jpg監督:吉田喜重
原作:川端康成
脚本:石堂淑朗/大野靖子/吉田喜重
撮影:鈴木達夫
音楽:池野成

出演:
岡田茉莉子 (水木宮子)
芦田伸介 (夫・水木有造)
早川保 (宮子の愛人・北野)
露口茂 (桜井銀平)

     ×   ×   ×

露口茂って絶対モロボシ・ダンに似てると思う。

『太陽に吠えろ!』のヤマさん以外にほとんど知らない露口茂の若かりし頃の映画。『ウルトラセブン』のモロボシダンを演じた森次浩司をもうちょっと図太くした感じ。良い役者だとおもうのだけど。個人的にはかなり好きな日本人の役者さんの一人である。

石堂淑朗がシナリオを書いている以上、たとえ原作が川端康成でも、観念論的なものになるのは仕方がない。本人は面白いつもりで書いているが、実は傍から見ると面白くないという典型的な作品。ただ、どうも我々からすこしい上の世代だと、こういう作品が好きらしい(苦笑)。
ただ、「何をもって良しとするのか」・・というビジョンが実は見えてこないので、見終わった後に「だから何?」といいたくなる。ま、これは石堂さんの場合はほとんどそうだといえるのだけど。
おそらく、これは私の勝手な推測なのだが、時代的には左派的話がおおい時期で、どこか作品のコアなる部分がそうなっているのだけど、石堂さん自身が保守派だったこともあり、作品で描かれそうになっている左派的観念をどこか否定して書いてしまうがゆえに、「結局なに?」になってしまうのではないだろうか?

吉田喜重の画面もあいかわらずシュールなのにしっかりしているのでここちよい。この人の画面をみるだけでも、みる価値はある。とくに後半の浜辺での難破船(壊れて放棄された船)のあたりの望遠画面はそれだけで絵になる。しかし、物語は生産性というものがない。ま、これはヌーベルバーグや、アメリカン・ニューシネマの特徴のひとつで、この時代の病気みたいなものなので仕方がないともいえる。なので一般的に楽しめるかといえば疑問である。しかし、映像業界に入る人にとっては、見ておかなければならない人の一人だと思う。

<あらすじ>
某一流デパートの営業課長・水木有造(芦田伸介)と結婚して8年になる妻・宮子(岡田茉莉子)は、彼女の家のリフォーム担当のデザイナーの北野(早川保)と不倫関係にある。しかし、何かにつけて感情を投資しようとしない宮子とのセックスに情熱を感じない北野は、「せめてあなたとの思い出がほしい」という。宮子のヌードを撮らせて欲しいというのだ。特に拒否するわけでもなく、「いいわよ」と答える宮子。
しかしネガが出来ると、自分の裸は最初は自分で見たいとと言い、そのフィルムをバックにしまって返って行く。事件が起きたのはその帰り道だった。何者かにつけられた宮子は、迫ってくる男にそのハンドバッグをたたきつけてなんとか逃げて返った。しかし、そのバックは男の手に渡った。やがて男から電話があった。
宮子は、ネガを取り戻すために、その男と会うことにする。彼は桜井(露口茂)という男だった。
宮子はすでに、男に身体を与えるつもりで来ていた。しかし、厄介なことに、愛人の北野が愛なのか正義感なのかわからないが、追いかけてきてしまった。このあたりから物語がこじれてくる。

物語のポイントは、意外と簡単なのである。
開き直ってしまえば、総てはどうでもいいこと。感情を投資しなければ、どうでもいいこと。それに徹しようとする宮子だが、ぎりぎりのところでその決心はいつも出来ない。それが出来なければ弱みをにぎられてしまう。そうすれば、自分はその男(運命といったほうがいいかもしれない)に支配されてしまう。
そのせめぎあいが何度が物語のなかで繰り返される。

f0009381_050092.jpg

その後、浜辺を歩いていると、映画を撮影している一団のシーンが入る。でも、あれはないほうが良かったなあ。絵もよくなかったし、ちと押し付けがましかったかも。
どこぞの映画スタッフが恋人同士が浜辺で戯れるシーンを撮っているのだけど、主演の女優さんが裸になるシーンでは吹き替え役の人がいて、その人が裸になって海へはいっていく。「あなたは所詮誰かの、何かの代役なのよ」ってことなのだろう。
自分がいなくなれば、世間は困るのではなく、ほとんどの場合は他の代役がいつでもいるものだ。自分がそこにいるのは、そこにいて、自分が居たいからなのだ。しかし、自分をそこに存在させれば、感情も伴う。痛みも屈辱感も伴うことになる。それでもあなたは存在することを選びますか?

あそこの映画撮影スタッフのシーンがなくても、もう一つか二つあとのシーンで、露口茂の台詞にこういうのがある。
「結局、ボクが惚れてたのは、この写真の中の女だった。あなたじゃない」
男が愛するの女というのは、代用可能なのだ。理想の女は常に男の中に在り、実在する女は、その理想の女を投影するための題材でしかない。彼にとって実存する女であることを選ぶなら、彼の求める女になるしかない。代用品の女になるなら、今までのように感情を投資なければいい。
物語のなかで、彼女の旦那にとっても、愛人の北野にとっても、宮子は代用可能な女だったのでしょう。おそらく、代用不可能な女になるために、彼女は桜井に抱かれたのでしょう。

でも最後は断崖から落っことしてしまう。結局総てを捨てるということは出来なかったらしい。そのために殺人を犯してしまった。ホテルに帰ってみると、東京から夫が迎えに来ている。結局ばれちゃったのに・・・。そして帰りの列車にのると・・・、あらら、あんたは生きてたのね・・・ちゃんちゃん。

一応物語のポイントはあるのだ、結局どっちつかずの展開に、波の間でゆらゆらゆらめいただけ・・みたいな話でした。

by ssm2438 | 2012-01-31 01:04
2012年 01月 22日

内海の輪(1971) ☆☆

f0009381_513832.jpg監督:斎藤耕一
原作:松本清張
脚本:山田信夫/宮内婦貴子
撮影:竹村博
音楽:服部克久

出演:
岩下志麻 (西田美奈子)
中尾彬 (江村宗三)
三国連太郎 (西田慶太郎)

       *        *        *

蓬莱峡の撮り方に無理がある。その撮り方では見てる人は誰も納得しないぞ・・・。

しかしまずい・・・、松本清張のパターンが見えてきてしまった・・・。パターンが見えてくると神通力が失われ来る・・・。

基本的には『危険な斜面』と同じ構造である。立場のある男が、不義密通をしている間に、女性の側の求めが強くなり、子供が出来てしまい、男は社会的な立場をとるか女を殺すか・・という選択をせまられる。しかし、殺される女は運命をもう悟っていて、「殺されてもいいわよ」って覚悟が出来てるっていうことで感動を呼ぶ・・というパターン。

パターンが見えすぎているのでちとつらい。

逆にこの物語で新鮮なところは、女を殺すつもりで蓬莱峡の昇ったが、出来ないままそこを去った男。しかし、高所恐怖症の彼女はそこから転落してしまい死体として発見された。結果として殺してない男が犯人として警察におわれ、身を滅ぼしていく・・という流れ。不憫だ・・・(苦笑)。

実は、この映画では描かれていないのだが、そこから犯人は誰だったかという犯人探しの展開もある。この物語の場合は、助教授になった江村宗三を愛する女子学生がいて、彼女が江村宗三を愛しているがゆえに行った好意が、犯人が誰であるかというヒントに繋がっていく。
さらに、財産目当てで嫁いだのかどうなのかは不明だが、西田美奈子がと嫁いだ四国松山の呉服の老舗伊予屋の当主慶太郎の、愛の深さもドラマになっている。残念ながらこの部分もこの映画では割愛されてしまっている。
なので、物語は、不倫旅行でた2人が、その旅行の日程を延ばしているうちにどんどんほころびがでてきてしまい、残してきた人たちにバレたり、ばれる可能性におちいったりした結果、殺人を計画してしまう・・というところまで追いつめられる過程の話に終始してしまった。

f0009381_11282972.jpg斎藤耕一の撮り方はすっごく安定しててよかった。さすがに「映画」という画面を提供してくれている。ほんとに最後のクライマックスに至るまでの出来は素晴らしい。
ただ、クライマックスになるはずの蓬莱峡(→)でのやりとりはかなりマヌケに見える。

下からザイルもなしに適当な高さまで(地上から20~30メートルくらい)上がれるところまで上がってきていて、結局ビビって殺人をあきらめて、すべるように下っていく中尾彬。そのあと高さに目がくらんで落ちる岩下志麻の人形。・・・でも、30メートルかそこらの高さの斜面をずりおちたからといって死ぬかい?って思ってしまう。
一番高いところまで別のルートで行ったことにして、最後の摂政はその頂でやってもらって、「やっぱりボク殺せません。返ります」って返って行く中尾彬、でめまいで落ちる岩下志麻の人形・・ならまだことの成り行きを納得できたのに・・・。

他にも何回かドラマ化されたこのシーンだけど、どれもこのシーンを説得できる演出にできないままにおわってしまっているので、しいて言うなら、松本清張サスペンスの『内海の輪/大学助教授の不倫の決算・蓬莱峡に消えた死体』のほうがこのシーンの描写もよかったし、物語構成としても全部こみこみで原作の全体構成に近いと思われる。
しかし、岩下志麻の色っぽさはやっぱり見るに足る妖艶さである。
全体のカメラや演出は良いのだがクライマックスが最低なの☆ひとつでもいいかと思ったのだけど、志麻姐さんの色気に免じて☆ひとつおまけ。

<あらすじ>
四国松山の呉服の老舗伊予屋の当主慶太郎の西田美奈子(岩下志麻)は29歳。親子ほどもはなれた西田の家に嫁いだのは財産目当てだろうと地元の人たちはみていた。そんな彼女は、東京3ヶ月に一度反物の買い付けにきていた。しかし彼女には男がいた。大学で考古学を専攻し、まもなく助教授の椅子につく江村宗三(中尾彬)である。
やがて宗三は岡山大学との共同調査のために、瀬戸内海に来ることになる。美奈子は姫路で同窓会があるといって2人の時間を愉しむ。そんな2人の姿を伊予屋の家政婦の政代に見られて西田慶太郎に報告されてしまう。さらに2人は共通の知人である長谷川とばったり伊丹空港で鉢合わせしまい、江村側の人たちにもことの次第が知られそうになる。
既に美奈子は離婚の覚悟をきめていた。西田と分かれて江村宗三の子供を生もう。
しかし宗三の心はそこまでのものではなかった。この不倫が暴露されたら、宗三の輝ける将来も崩れ去るにちがいなかった。しかし、彼女から逃れることも出来そうになかった。宗三は、蓬莱峡にのぼり、事故にみせかけて美奈子を殺そう心に決めた・・・。そして運命の朝が来る・・・。一度は断ったものの、宗三の意図を悟った美奈子は愛した男に殺されるために蓬莱峡に昇っていく。

by ssm2438 | 2012-01-22 05:14 | 松本清張(1909)
2011年 11月 13日

PLANET OF THE APES 猿の惑星(2001) ☆☆

f0009381_23592379.jpg原題:PLANET OF THE APES

監督:ティム・バートン
脚本:ウィリアム・ブロイルズ・Jr
    ローレンス・コナー
    マーク・ローゼンタール
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:ダニー・エルフマン

出演:
マーク・ウォールバーグ (レオ・デイヴィッドソン大尉)
ティム・ロス (セード)
ヘレナ・ボナム=カーター (アリ)
エステラ・ウォーレン (デイナ)

       *        *        *

いてもいなくてもまったく話に関係のないエステラ・ウォーレンだけを目で追ってた・・はは。

私の大嫌いなティム・バートンが監督で、私の大嫌いなロープアクション使った映画なんて、テレビで放映しないとみないのですが、たまたまテレビつけたらやってたのでやっぱりエステラ・ウォーレン見たさに最後までみてしまった(苦笑)。別に好みというわけではないのだけど、やっぱり彼女が画面の中に居るとうれしい。彼女には、☆ひとつの映画を☆☆にするちからがあるのです。

・・・しかし、宇宙空間の描写はあまりにちゃち過ぎないか?? 
だいたいマーク・ウォールバーグがどこか猿っぽいので、いまひとつヒーローとして見られなかった。どうもケヴィン・ベーコンとかマーク・ウォールバーグってあんまり主人公してほしくないんだよなあ・・・。顔がスマートじゃない。
一番のネックは、猿のデザインが前作よりインパクトがない。こっちはスマートにしすぎてつまらないデザインになってしまったような気がする・・・・。

<あらすじ>
時は2029年。宇宙をいく調査船オベロン号は奇妙な磁気嵐に遭遇。 この宇宙船には遺伝子操作と高度な訓練で高知能化した猿達も乗せられていた。 まず、チンパンジーのペリグリースが操縦するポッドを調査に向かわせるが、たちまち磁気嵐に吸い込まれ、通信が途絶えてしまう。 宇宙飛行士のレオ(マーク・ウォールバーグ)もポッドで船を飛び出し、ペリグリースを追うが、やはり磁気嵐に吸い込まれ、ある惑星に不時着する。 そこはセード将軍(ティム・ロス)が支配する猿の惑星だった。
猿達に捕らえられたレオだが、人間に好意的なチンパンジーの学者アリ(ヘレナ・ボナム=カーター)の助けを得て身近な人間ともども脱走する。 不時着したポッドから回収した携帯端末でレオは母船もこの惑星に到着したことを知り、地球へ帰る為に禁断の地域へと足を踏み入れる。しかしそこにあったのは数千年前に不時着して遺跡と化した母船オベロンの残骸だった。 その船に積まれていた知能向上したサル達が反乱をおこし、この星を支配したのがこの惑星のはじまりだった・・・。

by ssm2438 | 2011-11-13 23:59
2011年 10月 12日

ブルックリン最終出口(1989) ☆☆

f0009381_10335743.jpg原題:LAST EXIT TO BROOKLYN

監督:ウーリー・エデル
脚本:デズモンド・ナカノ
撮影:シュテファン・チャプスキー
音楽:マーク・ノップラー

出演:
ジェニファー・ジェイソン・リー (トララ)
スティーブン・ラング (ハリー・ブラック)
キャメロン・ジョアン (スプーク)

       *        *        *

生けるゾンビの街=ブルックリン。
てめーら勝手に腐って映画の代表作の一つ!


この映画は、私の中ではゾンビ映画なのです。ただ、そこにいるのが死人ではなく、生きてる人間なだけ。
映画においての「ゾンビ」というのは、死人なんだけど、動いてて、それを継続するためにもっとも純粋な欲望(食欲)だけがのこってるというコンセプトになっているのだが、この『ブルックリン最終出口』においては、掃き溜めの労働者階級の人々が、本能のままに生きている状態に陥ってしまう、社会的ホラー映画。・・・と私は理解している。

舞台になっているのは、不況の続く1952年のニューヨーク州ブルックリン85番街。街の住民に労働を提供する鉄鋼所はストライキで町には労働者と浮浪者があふれている。そんな状況下で、誰が主人公なのかもあんまり定かではないまま、どろどろの集団社会崩壊崩壊が地道に進行していく。

一応主人公らしいのが鉄鋼所の労働組合の現場責任者であるハリー・ブラック(スティーブン・ラング)。毎日の生活に精神をすり減らしているのだが、組合ではそれなりに地位があり、スト期間中である現在、自分が無制限に経費を使えるというある種のステイタスをもっている。しかし、後に経費の使いこみが発覚し、ハリーは要職を失うことになる。
ヒロインらしき人物がトララ(ジェニファー・ジェイソン・リー)。彼女は色仕掛けで男を拾い、金を巻きあげる毎日を送っている。いわゆるまちの娼婦ではあるが、彼女が視界にはいるとみんなが彼女を見る。トララはカモにスティーヴ中尉を選ぶ。やがてトララは彼に惚れていることに気づくが、中尉は朝鮮に旅立ってゆく。酒に溺れるトララは自暴自棄になり、自分を抱きたいなら好きにすればと自らのブラウスの前を開き、自分の胸をさらけだす。酒場の男たちは憧れの娼婦がただで抱けるとばかりに、彼女にたかってくる。廃車になった車のバックシートで何人もの男達が代わる代わるトララのなかで射精していく。
他にも、恋に破れたゲイが車にはねれらて死んでしまうやら、なにやら生産性も脈絡もない混沌とした状態が延々描かれる。最後は突拍子も無くストがおわり、妥結した鉄鋼所に労働者が出社してゆき、ブルックリンの街に再び活気が戻るのだった。

ドラマ自体に確固たる方向性があるわけではないので、みているときでも話がどうなるのか全く予測がつかない。ひたすらドツボの精神状態をみせられるだけで、精神衛生上よくない映画である(苦笑)。
そんなネガティブ要素充満の映画なのだが、せめてもの光明は、そんなどうしようもない娼婦のトララだが、彼女に憧れ、彼女の痛みに涙をながしてくれるスプークという男の子がいること。・・・にしてもドツボな人間=ゾンビ映画である。

後にマドンナが、『BODY/ボディ』という映画をつくることになるのだが、『ブルックリン最終出口』をみて、このウリ・エデルをを監督に抜擢したらしい。高尚なものをつくれる人だとは思わないが、クソをクソとして描くことだけは出来る監督さんである。
・・・しかし、ドイツの監督ってみんな腐ってるなあ。まともな映画を撮れる監督さんなんていないんじゃないかな・・・。みんながみんな健全でない。
f0009381_10581727.jpg
f0009381_10582428.jpg
f0009381_10583136.jpg


by ssm2438 | 2011-10-12 10:42