西澤 晋 の 映画日記

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2013年 01月 12日

フェア・ゲーム(1995) ☆☆☆

f0009381_22535373.jpg原題:FAIR GAME

監督:アンドリュー・サイプス
脚本:チャーリー・フレッチャー
撮影:リチャード・ボーウェン
音楽:マーク・マンシーナ

出演:
ウィリアム・ボールドウィン (マット)
シンディ・クロフォード (ケイト)

     ×   ×   ×

お約束過ぎて素敵!

お約束連打で、それもドンパチをつなげるためにあるだけのようなストーリーなのだけど、ここまで徹底されるとすがすがしささえ感じてしまう。
女優さんは言わずとしてたスーパーモデルのシンディ・クロフォード。80年代~90年代にかけてスーパーモデルの黄金時代があり、その中核に居たのがこの人。他の面子だと、ナオミ・キャンベルクリスティー・ターリントンリンダ・エヴァンジェリスタクラウディア・シファーなど。そのシンディ・クロフォードが91年にリチャード・ギアと結婚、この映画が後悔された95年に離婚している。
そんなシンディ・クロフォードの貴重なオッパイがみえる(見えづらいけど一応サービスしてるみたい)な映画というのもこの映画の希少価値を高めている要因のひとつだ。
特にいいのがライティング。シンディ・クロフォードなので、脱いではいてもそれほどはっきり見せない見せ方を作り手がやってるわけですが、これが良い感じのじてったさで実によいのである。見る側にしてみればもっとはっきりみせろ!と無粋なことをいいたくなるのもわかるのだが、作り手としてみた場合、実に絶妙の見えなさ加減をコントロールしてる。貨物列車のなかでのウィリアム・ボールドウィンとの“H”のシーンのライティングなどはすばらしいです。

主役はアレック・ボールドウィンの弟、ウィリアム・ボールドウィン『バックドラフト』とか『硝子の塔』とか、そこそこメジャー作品にも出てるし、とりあえず成功したほうだと思うが、この『フェアゲーム』あたりで人気作品あkらお呼びがかからなくなったかな・・・。もうひとり末っ子でしたっけ、スティーブン・ボールドウィンってのがいたけど、こっちは全然だめでしたね。

ストーリー展開もあんちょくでいい。
シンディ・クロフォードを狙う犯罪者集団は、彼女がクレジットカードを使うたびに、その情報を引き出しどこに居るのかをさがしだしてしまう。というわけで、途中からクレジットカードがない逃亡にになるわけだ。一文無しの男女2人の逃亡ゲキというのは映画のなかではよくあるシチュエーションで、実にお約束なのだけど、そのお約束がこの映画のうりである。ただ、監督のアンドリュー・サイプスはお約束のシーンをしっかり勉強してるようで、実にきちんととってある。新鮮さはないが、質の高いお約束シーンを撮っているといっていいだろう。ただ、強引にそのシーンを撮るために作られたシナリオっぽいのがやや興ざめを誘導するのだけどね・・・。

<あらすじ>
ジョギング中の弁護士ケイト(シンディ・クロフォード)が何者かに銃撃される事件がおきた。事情聴取に当たったのは、マックス刑事(ウィリアム・ボールドウィン)。なにかとそりか合わない二人は皮肉を言って別れたが、供述調書に彼女のサインを貰い忘れたマックスは上司の命令でサインを貰いに行く羽目に。その夜、彼女の豪邸が爆破されるのを目の当たりにした。
ベランダにいた彼女は爆風で飛ばされたが、したのプールにおちて命は助かった。そんな彼女にマシンガンを浴びせる謎の男。この事件を皮切りにケイトとマックスの逃亡劇がはじまる。

by ssm2438 | 2013-01-12 22:54
2012年 09月 26日

ザ・レイプ(1982) ☆☆☆

f0009381_2254369.jpg監督:東陽一
原作:落合恵子「ザ・レイプ」
脚本:東陽一/篠崎好
撮影:川上皓市
音楽:田中未知

出演:
田中裕子 (矢萩路子)
風間杜夫 (恋人・植田章吾)
伊藤敏八 (レイプ犯・谷口明)
津川雅彦 (高木三郎)
後藤孝典 (弁護人・黒瀬勇一郎)

     ×   ×   ×

そのむかし文化放送で「セイ!ヤング」というラジオ番組がありました。落合恵子はそのパーソナリティの一人でときおり聴いておりました。そのラジオ番組だったかどうかは覚えてないのですが、自分の小説が映画になるって話を聞いた覚えがあります。しゃべり方も穏やかな人で、雑誌なんかにのっていた写真も拝見したことがあるのですが、とっても綺麗なひとでした。ただ・・・、不思議と価値観を共有できる言葉がなかったな・・という印象がある人でした。

この映画は当時一度見たことがあって、その時の印象は「まあまあよく出来てたな」というものでした。今見返してみると・・・・、実に女性の感性でつくられたお話だという印象でした。レイプとその裁判というイベントを果実にして客を惹き、種の部分は「女って男が夢見ているような生きものじゃないのよ」という、決して男と女が相容れない部分を提示していっているような話。
物語の構成的には、裁判モノというのは本性暴きモノにしやすいのですが、まさにそんな感じ。で、男が観ていてみていて気持ちの良いものではないのです。それもかなり意図的ですね。「ほおおおら、男がみたいのはこうなんでしょ、でも、気持ちよくみせてあげないもんね~~~」っていう、ある種の敵対心すら感じます。

田中裕子演じる主人公・路子は、会社のあと彼氏のところで“H”をして、終電(かそのあたりの電車)で返ってきて駅からアパートまでの帰り道でレイプされてしまいます。今時のお下劣なバイオレンスもののようなガシガシのレイプシーンではなくかなりおとなしい感じです。が、ま、それはよいのです。
そのあと憔悴した彼女が家に帰ってくると、彼氏からの電話(当時携帯はない)。ずっとかけてたのに何故でないんだ??と質問責め。とにかく今はほっといてよって時の男からの電話が超ウザい。それでも男にしてみれば、電話の向こうの様子が明らかに変なので心配でしようがない。女の心配ではなく、自分の幸せな時間が崩壊するかもしれない危機感。もしかしたら別の男と・・・いう不安。それを払拭したいがための質問責め。
男という生きモノの精神的虚弱体質な部分をぐさりと突き刺してきます。

やがて裁判になり、路子の男性関係が暴かれていきます。
「自分だけの女」だと思って女には、過去において複数の男性関係があり、そこには娼婦性がかいまみえたりします。それは既に過去のことなのか・・・、それとも自分と付き合っていた時も平行しておこなわれていたものなのか・・・。男にとっては事実がどうかということよりも、そう想像できてしまう次点でもう大問題なのです。男の弱点をグサリとグサリと突いてくるのです。
だいたい、男という生きものは、実際に在る物がどうのこうのではなく、その上にどれだけ夢を投影できるか否かが重要な生きものなのです。女にとって、夢が破れて妄想することができなかうなった男ほど使い物にならないものはないのでしょう。もっとも、妄想しかしてない男も使い物にはならないのですが・・・。

とどのつまり、落合恵子という人は、男に対して醒めた感情しかもってないのだなあ・・と改めて認識したのでした。
そういう意味では東陽一の演出は、物語と波調があってたのかもしれません。個人的にはこの人の演出は、気持ちよく観ていたいシーンなのにあえて興醒めするようなカットをいれこんでくるので、どうも好きになれない・・・。

しかし、最後の判決が出た後の描写は素晴らしかった。
自分のことを執拗にせめたてた相手の弁護士に「いろいろ勉強させてもらいました」とクールに言葉をかけ、立ち去っていく田中裕子。このシーンのカッコよさが絶大である。

<あらすじ>
恋人・植田(風間杜夫)と情事の後、家路についた路子(田中裕子)は、駅からの帰り道に中古車販売店の店員・谷口(伊藤敏八)にレイプされてしまう。裁判になるとかつての男性関係も明らかにされていくと、恋人の植田がショボく見えてくる。かつての不倫相手だった高木(津川雅彦)に再会してみる。<女の現実>と<男の夢>、<女の夢>と<男の現実>がつねにネジレの位置にしかないことに気づいた路子は・・・・おそらく、期待する振りをするのを辞めた・・・・・のだろう。

・・・そんな話でした。。。

悪くはないけど・・・、楽しめる映画ではないな・・・。

見て損はない映画だと思うけど・・・・、なんでだろう、
やっぱり「期待するのをやめた人」が作る話には魅力を感じないのでした。

そりゃあ、期待したら裏切られるのは判ってるけどさ、それでも期待してしまうのが人生ってもんでしょう。
裏切られて傷つくのが怖いから期待しなくなり、期待する能力がのこってるひとをアザけるのはあまり感心しないなあ。それってラース(・フォン・トリア)な精神だと思うが。
この映画も、そこに向かいつつある要素が内在してるきがする。

by ssm2438 | 2012-09-26 22:55
2012年 04月 08日

丑三つの村(1983) ☆☆☆

f0009381_0171250.jpg監督:田中登
脚本:西岡琢也
撮影:丸山恵司
音楽:笹路正徳

出演:
古尾谷雅人 (犬丸継男)
田中美佐子 (やすよ)
池波志乃 (えり子)
夏八木勲 (赤木勇造)
五月みどり (赤木ミオコ)
大場久美子 (竹中和子)

     ×   ×   ×

池波志乃さん体ってほんと昭和ですね。

津山事件をモチーフした映画といえば、1977年に製作された『八つ墓村』がある。もっとも『八つ墓村』の場合は、津山事件の物語のネタにつかっただけで、そのものを描いたわけではない。それにくらべてこの『丑三つの村』は津山事件を再現しようとしている映画にあたる。

見終わった感想は・・・、思った以上悪くない。
つまり、主人公がそこにいたる気持ちもわからんではないな・・と思わせてくれるから、遊び半分でスプラッタやってみました・・というのとは違うなと思えるからである。この映画の中の主人公は、おそらくかなりの理想主義者だったのだと思う。そして、やらなければ自分がやられるとう状況でもあった。ただ・・・、もうすこし追いつめてもよかったかな。あそこまでみんなを撃ち殺していくモチベーションとしてはやや緩かったような気がする。
残虐シーンが話題になった映画だが、今見るとそれほど残虐というものではなかったような気がする。もっとも、最近はお下劣なスプラッターどろどろモノが反乱しているので、それになれてしまった部分はあるかもしれない。
以下、その事件を起こすにいたる要因を整理してみよう。

時代背景は、大陸ではそろそろ日中戦争が勃発しはじめている昭和12年。村の男達は、徴兵検査に合格して戦場に行くことを誇りに思っていた時代。もっとも、本心ではそうではないかもしれないが、若い頃からお利口さんとして育った主人公・犬丸継男(古尾谷雅人)にとっては、学校で教えられた規則や理想をそのまま受け取っていたのだろう。
しかし彼は理想はもろくもう打ち砕かれる。彼は父と母を結核でなくし、自らも結核もちであり、徴兵検査では「丙種合格」(早い話が不合格)となる。「兵隊に行かなくてもよい」という状況はいろいんな意味で村の者から忌み嫌われることになる。

この村には「夜這い」という週間がある。家の男が、仕事や兵隊で外に出ているときに、その女の家を男達がたずね、“H”をしていくのである。ある夜、散歩をしていると、人妻のえり子(池波志乃)と村の有力者、赤木勇造(夏八木勲)が絡み合っているのを目撃する。赤木は夜這いの取り締りを提案した張本人で、彼のことを汚いと思うが、同時に自身の性のうずきも強く感じるのだった。
ただ、この「夜這い」の取り締まりというのも、村の業がかなり反映されている。そのころ村には、他の土地から来たごろつきの若者がいて、自分大が「夜這い」をするのはいいが、彼等が村の女たちを抱きまくるのは許さん!ということだったのだろう。

数日後、継男はえり子の所を訪ね、赤木のことを話すが逆に床に誘われてしまう。抵抗できない継男。あえなくしごかれて即発射。「えろう早撃ちなんじゃなあ」とあしらわれる。
えり子を演じた池波志乃さんのからだが素晴らしいです。実に昭和女の体。
また、継男の家にお金をかりにきた親戚にあたるみや子(五月みどり)にも、「今お父ちゃんが外にでていないの・・」と夜這いを誘われる。無事初体験を済ませる継男。
しかし、彼女等も、継男が結核もちであり、徴兵検査に合格しなかったことから毛嫌いをし始める。

そんな中で、和子(大場久美子)は親切にしてくれたが、それは継男の結核を知らなかっただけで、病気のことをしると他の村人以上に冷たくなった。継男は腹いせに和子に夜這いをかけるが、間違えて母の常代の布団に入ってしまい、母娘二人からなじられる。これはかなりみっともない・・・。

その夜、闇の中でよそ者のごろつき男をみんなで袋叩きにしているところを目撃してしまう。翌日首をつったその男の姿があった。駐在さんに真実を話そうとする継男だが、赤木勇造らに封じ込められてしまう。
「村のことはわし等で決める、お前のこともな。みんなでどうするか決めるけん、結果がでたらあとでおばばのところに話しにいく。まっとれ」とすごまれる。

これらの要素が融合して狂気に発展していったというわけだ。

そしてその狂気に発展していく継男を正常にたもっていたのが幼馴染のやすよ(田中美佐子)の存在。しかし、彼女とは遠縁の親戚にあたり、結婚は出来ない。やがてやすよは親が決めた結婚相手のものにとついで行く。しかし、そのやすよが離縁されてもどってくる。継男と付き合っていたのが原因という。やすよの風呂場をのぞいていた継男は風呂場に侵入、彼女をおしたおしてしまう。継男には抱かれてもいいとおもっているやすよだが、突然発作を起こし湯船のなかに吐血してしまう。なせけない継男。
「わしゃあなんにも出来んなさけない男じゃあ」と、その血でそまった湯船の湯を桶ですくって頭からかぶる継男。
「べつのあなたの血なら平気よ」って感じでやすよも桶ですくって自分であたまからかぶる。
この一連の動作が2~3回繰り返されるのだが、ひたすら田中美佐子が可憐である。
どろどろした世界のなかで、この田中美佐子だけがひたすら美しいのである。この田中美佐子が描けただけでこの映画には意味がある。すばらしいです。

結局この場は逃げ出してしまう継男ですが、のちに草むらのなかで2人は“H”することになる。
よかったねー継男君!
しかし、そんなやすよも再び嫁に出て行く。
よりどころを失った継男はかねてから計画していた浄化のための戦いに出て行く。


陰惨なドラマだが、とにかく田中美佐子だけは傑出して美しい。心も身体も・・・。
この美しさがあるからか、悪趣味なだけの映画には見えなかった。
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by ssm2438 | 2012-04-08 00:17
2012年 03月 29日

鑓の権三(1986) ☆☆☆☆☆

f0009381_12503788.jpg監督:篠田正浩
原作:近松門左衛門・『鑓の権三重帷子』
脚色:富岡多恵子
撮影:宮川一夫
音楽:武満徹

出演:
岩下志麻 (市之進女房・おさゐ)
郷ひろみ (笹野権三)
火野正平 (川側伴之丞)
田中美佐子 (伴之丞妹・お雪)
津村隆 (浅香市之進)
水島かおり (市之進娘・お菊)
嶋英二 (市之進伜・虎次郎)
大滝秀治 (おさゐの父・岩木忠太兵衛)
河原崎長一郎 (おさゐの弟・甚平)

     ×   ×   ×

恐るべし、近松門左衛門。

この物語は、不義密通の疑いをかけられた権三とおさゐが逃避行の末、女仇討ちの末命を落とすというもの。1986年のベルリン映画祭銀熊賞を獲得している。

近松門左衛門の原作作品は増村保造『曽根崎心中』につづいて2本目。ひとことで言うなら全てが「潔い」のである。そこには「武士の面子」、堅持しなければならない武士のプライドという基本コンセプトがある。そして感情がどう訴えかけようが、決められたルールは守らねばならないという、武家社会の制約がある。この物語の「潔さ」というのは、感情よりも理性を重んじる美学だといっていい。
しかし、だからといって感情を否定しているものでもない。
物語というのは、「作者が訴えかけたいものを犠牲者とする」というのは基本法則である。このドラマのなかでの犠牲者は「感情」のほうである。理性に縛られている感情があばれだしたくて仕方がないのに、それを意地で封印している人間の哀れさがとても切ないのである。

監督は『瀬戸内少年野球団』『少年時代』『スパイ・ゾルゲ』篠田正浩。嘗ては大島渚吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれたが、先の二人ほどわけの分からない映画を撮る人ではなかった。世間的には評価されているのかもしれないが、個人的にはカッティングや画面構成の感性が合わない監督さんの一人である。魅せたい画面なのに説明的に撮ったり、説明でいい画面なのに、意味なくカッコいい画面になってたり・・と、気持ちのズレを感じてしまう。「なにか・・、もっといい画面が出来そうなのにその画面でいっちゃったの???」という感じがする撮り方なのだ。しかし、それをまあまあ見られる画面にしてあるので、どこかごまかされたようなきになってしまう。

撮影監督は往年の巨匠・宮川一夫。良くも悪くもスタンダード。見せるべきことをきちんと説明する画面を基本にしている。今だからこういう言い方が出来るのだろうが、「誰が見ても誤解のないような絵作り」を提供してくれる人である。しかし我々の世代からみると、映画の画面というよりも、テレビの時代劇の画面、色使いだな・・という印象がつよい。
ただ、この人が開発した「銀残し」という撮影スタイルは今でも使われている、デビット・フィンチャーの『セブン』ではこの方法が使われている。再度を落とし、白と黒のコントラストをする撮影方法である。残念ながら『鑓の権三』では使われていなかったのだが、この「銀残し」の画面はかっこいいのは確かである。

この映画をみて最初に思い浮かんだ映画は、デビット・リンチ『マルホランド・ドライブ』だった。その映画のなかでは、主人公のナオミ・ワッツの妄想が前半部で描かれ、後半で現実が描かれる構成になっている。そこの映画がすごいのは妄想部のリアリティだった。妄想というのは、自分の全部都合のいいモノにするのではなく、それなりに自虐的な設定にしながらも、自分の都合のいい展開を思い描くものなのである。
この妄想=「自虐的な設定にしながらも、自分に都合のいい展開」を現実の進行にして、見事のドラマの中に落とし込んでいるのがこの『鑓の権三』なのだ。

おそらく近松門左衛門はホモである。出なければ性同一障害者であろう。普通男がドラマを作る時には、ドラマの中に登場する男が「人間」だが、女性は「記号」になるものだ。反対に女性が書くドラマというのは、女性が「人間」になり、男性は「記号」になりがちである。感情移入がそういうように出来ているのだがそれは仕方がない。
この物語では、権三はあくまで記号なのである。そして「人間」なのは、権三と逃避行をすることになる浅香市之進の妻おさゐ(岩下志麻)であり、権三の婚約者であったお雪(田中美佐子)であり、母に旦那を奪われた娘のお菊(水島かおり)だろう。この構成をみると、間違いなく近松門左衛門はホモだ。
そしてこの物語は、ホモである近松門左衛門が切に妄想したその結果なのだだろう。

ジャニーズのようにまぶしく輝く美青年の権三。そして、彼のことを想いながらも、既に結婚している身のおさゐ。いくら妄想してもそれ以上にはならない権三とのなれあい。そかし、ささやかな誤解から不義モノの汚名をきせられ逃避行の旅に出る。
それは、傍目には理不尽で不幸な出来事だったかもしれない。しかし、おさゐにとっては至福の時間だったにちがいない。近松門左衛門は、この自虐的なシチュエーションを構築しそのなかで、自分の妄想をあますところなく愉しんみ、酔いしれたのだろう。

<あらすじ>
出雲の国、松江藩。笹野権三(郷ひろみ)は器量はよく、槍さばさのみごとさでは右に出る者もなく、「鑓の権三」と呼ばれていた。藩の女たちはみな権三に憧れをいだいていた。しかし権三には既に契りをかわした女性がいた。権三の茶道仲間の川側伴之丞の妹・お雪(田中美佐子)である。彼女は権三に契り証として、権三の家の紋章と自分の家の紋章を縫い付けた帯をプレゼントする。
そんなある日、御世継が誕生したと吉報が出雲に届けられる。国許では近隣の諸国一門を招き、茶の湯がひらかれることになった。しかし、藩を茶道を預かる浅香市之進(津村隆)は1年の江戸詰めに出ており、弟子の川側伴之丞(火野正平)、笹野権三のうち一人がその大役をつとめることになった。
権三は、茶道の師匠・浅香市之進の妻・おさゐ(岩下志麻)をたずね、師匠がもつ茶道の巻物を見せて欲しいと申し出る。その巻物は一子相伝、見せることは出来ないと断るおさゐだったが、娘のお菊(水島かおり)を嫁としてもらってもらえるのであれば息子同然、巻物をお見せしようと言う。同意する権三。

おい! そんなにあっさり合意するのかい???
そう、この物語のなかで権三は、武士のたしなみをしっかりしているものの、女性関係には執着心が乏しいキャラクターなのである。男にはこんな男は描けない!!

おさゐはかねてから権三に想いをよせていたが、すでに浅香と結婚したみ、せめて娘の婿に権三をと願っていた。しかし、そんなおさゐをお雪の母がたずねてくる。なんでも権三とお雪は既に婚約をしており、その仲人を師匠である浅香にして欲しいというのだ。なにもかもが悔しいおさゐ。
その夜お忍びで浅香の家を訪ねる権三だが、権三の節操のない態度に怒りを覚えたおさいは感情を爆発させる。そして権三の帯に権三とお雪の家の紋章が縫い付けてあるのをみると、その帯を強引にほどいてポイと庭にすててしまうおさい。「なにをする」という権三に、そんなに帯が必要ななら私のものをお使いくださいと、自分の帯をといて権三に渡すおさゐ。「女の帯が使えるか!」と権三もポイとそれを庭に捨ててしまう。
しかしそこに、お雪の兄川側伴之丞が登場。彼はかねてからおさゐに恋心を抱き、夜這いの隙をうかがっていたのであった。嫉妬に狂った伴之丞は二人を帯を証拠として持ち去り、二人の不義密通を越えたからかに、深夜の街にふれまわって歩くのだった。
もはやこれまで、と切腹しようとする権三に泣きすがるおさゐ。このままでは夫に申し訳わけがない、せめて夫に討たれてくれと懇願するおさゐ。ともかくも二人はあてもなく逃れていくのだった。

二人の旅は、不義モノとして市之進に討たれるためしばらくの間、世間の目から逃れるためのものであった。市之進の面子を考えると、権三はそうするしかないと考えていた。しかしその逃亡の旅の間に、おさゐの感情があふれ出してくる。出来るならこのまま二人で生き延びたい。しかし頑として市之進に討たれることをゆずらない権三。どうせ死ぬ身なら、せめて自分のことを妻と呼んで欲しいと懇願するおさゐ。そして二人は肌をかさねる・・・・。

一方、事件を知ったおさゐの弟・甚平(河原崎長一郎)は、自分の家の名誉を汚した伴之丞を追い、その首を討つ。帰国した浅香市之進は、義弟の甚平をともない、女仇討ちの旅に出る。。宇治の川岸にかかる橋の上で、市之進は権三とおさゐに出会う。既に刀を売り竹光しか持ち合わせていない権三は短刀で戦うも、市之進に討たれて壮絶な最後をとげる。その一部始終をみていたおさゐも市之進に討たれて息絶える。

最後のカットがなかなかにくい。
事件が一件落着したあと、おさゐの息子・虎次郎が母の父・岩木忠太兵衛(大滝秀治)と、姐のお菊にお茶をたてている。最後はそのお茶を飲むお菊のアップ。
女仇討ちに出て行く父に「せめてかか様はつれて帰ってきて欲しい」というお菊だが、真意はどこにあったのだろうか? 自分が結婚するはずだった、藩内きっての美青年を、トンビにあぶらげを盗まれるように母に盗まれてしまったお菊。彼女の最後のすました表情の中に、なにか満足げなものを感じるたのは私だけだろうか・・・。

by ssm2438 | 2012-03-29 12:51
2012年 03月 11日

序の舞(1984) ☆☆☆☆

f0009381_1233265.jpg監督:中島貞夫
原作:宮尾登美子
脚本:松田寛夫
撮影:森田富士郎
音楽:黛敏郎

出演:
名取裕子 (島村津也)
風間杜夫 (西内太鳳)
三田村邦彦  (村上徳二)
佐藤慶  (高木松溪)
岡田茉莉子 (島村勢以)
水沢アキ  (島村志満)

     ×   ×   ×

ベスト・オブ・名取裕子はこの映画では?

当時、篠山紀信がとった文庫本サイズの『名取裕子―明日(あした)嵐がくる』という写真集があったのですが、この映画をみて買いました(笑)。もう一冊、この映画のタイトルをつけた写真集もあるのですが、このちっちゃいほうが断然よいです。

原作は『寒椿』『夜汽車』宮尾登美子。はっきりいって男が面白いと思うものは書かない人です。なのでこれが面白いかというと、少なくとも私は思えないのだけど、しかし、いくつかみた宮尾登美子の映画の中では一番好きです。宮尾登美子のいつもの女の情念どろどろ節も、画家を主人公に据えたお話となるとなぜか受け入れてしまう。

この映画の主人公は日本画家の上村松園。明治時代の女性の画家で、コントラストが素晴らしい美人画を描かれます。色使いはかなり好み。一番下に彼女の画を列挙しておきました。

この物語は彼女の独身時代(苗字が島津時代)の話であり、絵の修行とともに彼女が人生で合う男達との恋愛劇が描かれてます。しかし、最後にたどりつくのは母の愛・・・。
子供の頃の絵の師匠である西内太鳳(風間杜夫)、そして小学校を出ると西内の勧めで入った松溪画塾の師匠・高木松溪(佐藤慶)、そこでであった若き塾生・村上徳二(三田村邦彦)。
師匠2号・高木松溪に抱かれて子供を生み、親に勘当され、自分を好きになってくれた若造・三田村邦彦(それも妹が好きだった人)の世話になっておきながら、子供のころの師匠1号・風間杜夫に会うとこれを捨て、そのもとに走る。しかし、師匠2号に出会うと再び抱かれまたまた妊娠・・・。強烈にどろどろです。
やさしいだけの三田村邦彦、かなり悲惨・・・。

頑張りやさんなのだけど、依頼心もかなり強い女性です。おかげでまわりの男はかなりたいへん。自分だけの女かと思えば、するっと他の男に抱かれてしまう。しかしそのバックボーンには、彼女の芸術活動をささえた彼女の母、島村勢以の女のしぶとさをうけついでいる。

なんちゅうか・・・、女にしか描けない話ですね。

<あらすじ>
江戸時代末期、貧しい農家の娘に生まれた勢以(小林綾子)は、京都の島村の葉茶屋に養女に出された。養父母が相次いで世を去ったあと婿養子をとったが勢以(岡田茉莉子)だが、5年後には夫もとも死に別れた。それからの勢以は、長女・志満と次女・津也を女手ひとつで育てていく。
やがて時は流れ、絵に熱中しはじめた津也は、図画の西内先生(風間杜夫)のすすめもあって、京でも有数の松溪画塾へ通うことになった。明治23年、第3回内国観業博覧会に津也(名取裕子)が出品した「四季美人図」が一等褒状を射とめた。その頃、西内先生がヨーロッパへ留学することになり、津也にとって大きな悲しみとなる。また、村上徳二(三田村邦彦)という青年が松溪塾に入塾し、彼は津也に好意を抱くようになった。師匠松溪(佐藤慶)の千枚描きに立会った日の夜、津也は師の誘いのままに、料亭へ出向き、抱かれる。月日が流れ、津也は妊娠した。それに気づいた勢以は、娘を激しく責め、相手が松溪と知り、津也に絵を禁じた。
見知らぬ土地の農家で女児を出産した津也は京には帰らず、東京にいる徳二のもとに身を寄せる。二人の生活がはじまる。しかし絵への想いは捨てきれない津也は、新聞で見かけた“西内太鳳ヨーロッパ帰朝展”の報にこころを揺さぶられ、徳二に置手紙を残し西内のもとに走った。
西内は津也に一軒の家を与えて絵の修業を続けさせた。明治29年、津也の「人生の春」が第5回日本美術院展の第一等に輝いた。光彩堂の招きでとある割烹に出向いた津也は、その席で松溪と再会する。かたくなな態度をとっていた津也も、老いた旧師が涙を流すのを見て、再び彼の腕の中に沈んで行った。再び妊娠。
津也と松溪の関係が続いていたことを知って激怒した太鳳は、津也に破門を言い渡す。
おろし薬を飲んだ津也のもとにかけつけたのは母の勢以だった・・・。

以下、上村松園の画。すばらしいです。一番上が『序の舞』の画。
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by ssm2438 | 2012-03-11 12:09
2012年 02月 05日

煉獄エロイカ(1970) ☆☆

f0009381_2126767.jpg監督:吉田喜重
脚本:山田正弘/吉田喜重
撮影:長谷川元吉
音楽:一柳慧

出演:
岡田茉莉 (夏那子)
木村菜穂 (浄子)
岩崎加根子 (温子)
筒井和美 (アユ)

     ×   ×   ×

ATG作品に当たりなし!

「今までにないようなことをやろう」といってやった誰かの真似をしたかったのね・・・。
それってカッコいいんですか??


本質を追っていたら同じところにたどり着くってことはよくあること。・・・でも、それとこの映画は根本的にちがう。本質を追わずにカッコつける形だけフォローするのはカッコ悪すぎです。

本人の中で自己解決し、「これが分らないのなら、分らなくていい」という映画。
それが高尚なことで、分らないならまだいいのだけど、ただ、当時はやりのカッコ付けだけで終始してるのであほらしい。『秋津温泉』はよかったのになあ・・・。時代の流行に流させる程度のものだったのか・・・。悲しい。

やりたかったのは、あの時代のゴダール『アルファビル』とかアラン・レネ『去年マリエンバートで』の吉田版。あの時代がもとめていたものがくらだらないので、それをもとめられてもちっとも感動しない。世間的にはカッコイイといわれる画面も、かっこつけだけなので寒い。そうする意味が某ヌーベルバーグの真似のためとか、それまでの日本でとられていた画面とちがうというだけで採用されてるレイアウト。「これが良いんだ」ってレイアウトではないので、正直みててだんだん底の浅さに飽きてくる。

才能ない人が、同じように帳面的なちゃらちゃらした画面を作る時には参考になるかもしれないけど、才能がるひとは「そこになんの意味があるの?」って思うでしょう。

<あらすじ>
よーわかりません。

よく分からないものでも、その気になれば分かるものですが、わざわざ分かってあげようという気にならないところが問題。分って欲しいとおもってないものを、無理してわかってあげる必要はないでしょう。さらに、分ってあげる価値がないって思えちゃうのがもうダメでしょう。難解な映画は嫌いじゃないが、分ってもそこに糞しかないと思うと理解したいとも思わない。
彼らの組織がやってるのはオウム真理教と同じ次元で、共闘・闘争当時の価値観と秘密組織の管理体制を散々提示しているのだけど、私にはうんざり。せめて「ここには何かある」って思わせてほしいけど、みつかってもくだらないものでしかないって思えちゃうのは最低です。オウム真理教と同じスピリットを持つ人は、意外とノスタルジーを感じるのかも。


その燃えない映画のなかでやたら萌えるのが木村菜穂さん。こういう雰囲気好きなんだなあ。
調べてみたら、現存する映画のなかで彼女をみられるのはこの映画しかないくなっているではないか!!
仕方がないので☆ひとつおまけした。
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by ssm2438 | 2012-02-05 21:29
2011年 09月 19日

泥の河(1981) ☆☆☆☆☆

f0009381_319460.jpg監督:小栗康平
原作:宮本輝 『泥の河』
脚本:重森孝子
撮影:安藤庄平
音楽:毛利蔵人

出演:
朝原靖貴 (板倉信雄)
田村高廣 (板倉晋平)
藤田弓子 (板倉貞子)
桜井稔 (松本喜一)
柴田真生子 (松本銀子)
加賀まりこ (松本笙子)

       *        *        *

この映画の銀子ちゃん以上に憧れを抱ける女性キャラなんてそういないでしょう。

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のサガちゃん(メリンダ・キンナマン)と双璧をなす美少女キャラといえばこの『泥の河』の銀子ちゃん(柴田真生子)しかいないでしょう。
こんな女の子がいたらそりゃもう、一生のマドンナになってしまいますよ。この物語の主人公の信雄は、一生彼女以上の女性にはめぐり合えないでしょう。彼は銀子ちゃんを理想の女性として心のそこに定着させ、この物語のあとに続く人生のなかでも、彼女を投影できる女性を追い求めることでしょう。しかし、「この子はあの銀子ちゃんじゃない!」って現実を認識すると、その時点で恋はさめちゃうのでしょう。まさに少年の日の憧れどこまでも・・て感じです。

この映画をみたのは20年前で、当時はその昭和30年初頭という世界をよくこれだけ再現できたものだと感心できないくらい感動しました。それは昭和30年を再現した画面ではなく、昭和30年に撮ったような世界観、空気感そのまんまなのです。この空気を再現しただけでもこの映画はスゴイ。
しかし、そんなことをスゴイっていうのはチキンでしょう。それ以上にすごいのがこの映画が描き出す少年時代のみずみずしいメンタリティ。そして大人の世界の片鱗を垣間見る時のトキメキと嫌悪感。そして自分の無力さと、甘ったれ具合に対する罪悪感。

結局「人生」というのは麻雀のようなものであり、自分のどんな牌が回ってくるかなんてのは選べないのである。そしてそのまわってきた牌で戦うしかないのである。そこにはラッキーな奴もいればドツボの牌が回って来た奴もいるだろう。そして残念なことに、麻雀のように何回も繰り返されるわけではない。ドツボな牌がまわってきても人生は1回しかないのだ。

<あらすじ>
この物語の信雄は小学3年生、家は川辺でうどん屋をやっていた。時代は戦後復興まっさかりで、どんどん経済成長が加速していくなか、取り残されたような環境だといっていい。ある日のこと、信雄が気づくと、反対側の岸に一隻の舟がいつからか停泊ている。
ある雨の日、信雄は喜一という少年と知り合う。喜一の家はその舟らしい。その舟に遊びにいき、喜一の姉の銀子(柴田真生子)とであう。岸でころんで泥だらけんなった足を、銀子は丁寧に洗ってくれる。

--いきなりの色気にトキメイてしまう。と同時に、ある種のいかがわしさを感じてしまう。銀子は11歳なのだが、すでに「女」の立ち振る舞いが身についているのである。
信雄がうちに帰り、「今度キっちゃんを家に呼んでもいいか」と父親(田村高廣)にたずねると、1秒間をおいてから「ああ、いいよ」と答える。しかしその後「夜はあの舟に遊びにいったらいかんぞ」と理不尽な言葉が付け加えられる。やがて彼女の母(加賀まりこ)は、その舟で男に抱かれ生活をしていることが判って来る。この物語は、まだオネショもやまない小学生が、大人の世界を徐々に垣間見始める物語なのだ。

f0009381_3154863.jpg食事にまねかられキッちゃんと銀子は信雄の両親に手厚いもてなしをうけるのだが、信雄の母(藤田弓子)に「べっぴんさんやなあ」と言われると、一瞬表情をこわばらせる。きっと母を抱きにきた男達に同じ言葉をなんども言われているのだろうと推測する。
食事のあと母が、自分のお古を銀子に着せてみる。あまりの可愛さに、弟の喜一も、信雄もまともに見ることが出来ない。きっと一緒にくらしている喜一でさえ、姉に対してあまずっぱい性の香りを感じてしまうのだろう。11歳という年齢ながら、あまりにも「女」としてその立ち振る舞いが完成されすぎているが、2~3つ年上で子供として接することもできる女の子。
のちに、店が忙しい時に銀子が手伝ってくれるようなエピソードがある。仕事のあとなのだろう、銀子が信雄の母とお風呂にはいっているシーンがある。そこで藤田弓子の背中を流しながら「内風呂にはいったのはこれが2回目だ」という話をする。船上をオシッコをするときどうやってするのか・・ということをなんのくったくもなく話す銀子ちゃん。外で信雄の父親の手品にみとれていたキッちゃんが「姉ちゃんが笑ろてる」ってぼそと言う。

祭りに日、親にお小遣いをもらってキッちゃんと一緒にいく信雄だが、「一緒にもっといて」とキッちゃんにわたした50円玉ふたつは、キッちゃんのポケットにあいた穴からいつの間にか落ちてなくなっていたりする。悪いとおもったのだろうキっちゃんは「いいもの見せたるわ」と信雄を舟に招く。舟につくとキッちゃんは河につけた竹ボウキを引き上げる。そこにはカニがいっぱい張り付いていた。「これ全部おまえにやる」というキッちゃん。
やるといわれてもまったく欲しいとも思えない信雄。
「こうすると面白いで」と、そのカニをアルコールランプのアルコールに漬けて、舟の窓辺をあつせつつ、キッちゃんはそのカニにマッチで火をつける。燃えながら移動するカニ。信雄にとっては面白いどころか恐ろしいだけだった。その火のついたカニがいっぴき舟の後方に張っていく。家事になってはと思い這い出て燃えてるカニを追う信雄。そして信雄はそこで、男に抱かれている信雄の母を見る。

自分が無力で幸せなことに無性に罪悪感を覚える信雄。悲しくなって家に帰ろうとすると、橋の上で銀子に出会う。きっとうどん屋の手伝いにいっていたのだろう。そしてその銀子に「ああ、この人も大人になったらああなるのかな」と想う信雄。なんだか生き急げていない自分が悲しくなるのであった・・・。キッちゃんと銀子が生活している世界は、信雄にしてみれば、明らかに大人の世界なのである。

実は劇中もう一つ、平凡にみえていた自分の父と母にも過去に男と女の出来事があったことを知るエピソードがある。どうやら父と母の結婚は略奪愛だったようだ。なにげない一言一言、その立ち振る舞いのなかに、その背景にある不幸や劣等感、そしてそれを感じなくて良い瞬間の描写が丁寧に塗りこめられている。それがこの映画なのだ。

80年代の日本映画のなかでも傑作の一つだろう。

by ssm2438 | 2011-09-19 03:19
2011年 08月 22日

サンシャイン・クリーニング(2008) ☆☆

f0009381_20563769.jpg監督:クリスティン・ジェフズ
脚本:ミーガン・ホリー
撮影:ジョン・トゥーン

出演:
エイミー・アダムス (ローズ・ローコウスキ)
エミリー・ブラント (ノラ・ローコウスキ)
アラン・アーキン (ジョー・ローコウスキ)

       *        *        *

負け組み人生の奮闘記ふたたび!

『リトル・ミス・サンシャイン』の制作スタッフが2匹目のドジョウをねらってつくった映画がこれ。2006年アカデミー賞で、 作品賞、脚本賞(マイケル・アーント)、助演男優賞(アラン・アーキン)、助演女優賞(アビゲイル・ブレスリン)にノミネートされ、脚本賞と助演男優賞ととってしまったのがかつての栄光。あの栄光を再びと2年の月日を経てだしてきたのがこの『サンシャイン・クリーニング』。
先のアカデミー賞受賞者のアラン・アーキンを再び起用し、美人姉妹のお姉さんには『魔法にかけられて』でキュートなプリンセスを演じたエイミー・アダムスを主演に抜擢。彼女の役どころは、かつてはチアリーダーとして人気者だったが、今はダメダメ人生をもがいてる子もちのお母さん。おまけにかつての恋人ともまだ不倫がつづいてるという厄介な環境で、妹はやっぱりなにをやってもやり遂げられないクソキャラクター。父親は時代錯誤で空回りばかりしてる。そんな劣悪な負け組人生のなかで、起死回生一発逆転をめざしてはじめたのは殺人事件とか自殺現場のハウス・クリーニングを始めることにした。

結果的には全部ダメダメで終わってしまう。妹のノーラは、自殺したある人の家をクリーニング中に、その人の娘らしい写真を発見、せめて娘にそのことを知らせてあげようとおもって接近するも、そのことがわかるとその娘からは写真を着き返され、二度と私の前に現れないで!と厳しくしっぺ返し。彼女にもいろいろあったのだろう。
なんだかんだと頑張りながらこの仕事が順調にこなせはじめた矢先、嘗ての見栄のためにチアガールたちの同窓会に強引に出てしまう。その間ノラはひとりである自殺者の部屋を掃除しなければならくなったのだが、ベッドのしたから飛び出してきた猫を追っていってる間に、ロウソク倒してしまい、依頼人の家を全焼させしまう。
最初は妹を責めるローズだが、とどのつまり、見栄のために自分がいかなかったから起きた事故でもありやりきれない。多額な賠償金を抱え込むことになるのだが、それまでダメオヤジだった父親が自分のうちを売ってなんとかお金をつくってくれて、のこったお金で再び父と一緒にハウスクリーニングビジネスを始めるところで物語りは終わる。
そんな話なのですが、この映画の基本は総てこの一言で集約される。
「大切なことは、その人は何を成し遂げたかではなく、どういう人なのかだ」・・という『アリーmy Love』のなかのあの言葉。

f0009381_2103719.jpg結果的には全部裏目にでたことだけど、
だからどうだというの? 

この物語はそう語りかけてる。これを肯定的にとれるかどうかが問題。
私なんかは、それでは甘いなって思ってしまう。やっぱり結果を出さないと人間はダメだ。でも、コレは多分男の原理だ。なのでこの映画は女性がみてナンボ・・の映画のような気がする。

ちなみに一瞬の輝きをみせる彼女等ふたりのお母さんの若かりし日々。彼女の美しさはこの映画においてはとても重要な意味をもっている。その母を演じた女優さんの写真はこちら(→)。美しい。

by ssm2438 | 2011-08-22 20:57
2011年 08月 07日

皆月(1999) ☆☆

f0009381_985152.jpg監督:望月六郎
原作:花村萬月
脚本:荒井晴彦
撮影:石井浩一
音楽:遠藤浩二

出演:
奥田瑛二 (諏訪憲雄)
北村一輝 (アキラ)
吉本多香美 (由美)
荻野目慶子 (沙夜子)

       *        *        *

『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞受賞した花村萬月。その満月原作の『皆月』を映画化したこの映画。この『皆月』は小説を読むのがめんどくさかったので、映画でいいやっておもって見たのでした(苦笑)。

この映画に先立ってその『ゲルマニウムの夜』を読んでみた。読んでみた感想はかなりお・げ・れ・つ。
花村満月の世界は<ホモ・マゾ系バイオレンス>のカテゴリーに入る(このまえちょろっとやった『ヘルシング』という漫画のアニメもこの系統だろう)。ホモ・マゾ系バイオレンスでは、ホモ・マゾ特有の、現実の世界では決して実行できないバイオレンスがある。ヴァンパイア物などものファンタジック・ホラーなどもホモ・マゾ特有の世界観だ。満月の物語では、そこをファンタジーに逃げずにホモ・マゾ系バイオレンスをやってるところがあるので、まだ読む気/見る気にさせてくれる。
個人的には相容れない方向性で、とにかく生産性がないのがダメで、好きか嫌いかといわれたら嫌いな分野にはいる。しかしそこに描かれる人間力の強いキャラクターには確かに魅力があるのも事実だ。

この映画『皆月』では北村一輝演じる主人公の義弟・アキラが強烈な印象を与えてくれる。実に花村満月の描くホモ・マゾ系バイオレンスを実行するキャラである。
その昔メル・ギブソン主演で『リーサル・ウェポン』という映画があったが、あの映画の主人公のリッグス刑事が、自殺願望のある刑事で死に場所を求めながら刑事をやっているというようなもともとの設定だったが、この映画のアキラこそがそんな感じ。こういう風に描けばもっとリアリティが出たのにって思う。
この映画に出てくる登場人物も、好きなキャラなどいないし、どちらかというと嫌悪感しか覚えないのだが、それでも、ある一線を越えて、止めようにないバイオレンスににいってしまうアキラ。しかし忠義心だけはしっかりある。そのアンバランスな総合性が見るものをひきつけることだけは確かだ。他のキャラクターたちが掃き溜めのなかでうごめいている凡人として描かれているがゆえに、このアキラというキャラクターがひときは際立ってグロテスクに輝いて見える。
ドラマ作りに携わる以上、こういう度を越えたキャラクターはきちんと描けないといけないのだろうな・・と思った。

ちなみに、この映画を見る動機となったのは『ウルトラマン・ティガ』のレナ隊員(吉本多香美)が脱いでるということを知ったから(苦笑)。男の子の映画を見る動機なんてこんなものです。
劇中でのサービスもかなりあるほうだと思う。ソープランドで、奥田瑛二にしてあげるフェラチオのシーンとか、サラダオイルを背中に垂らされて強要されるアナルセックスのシーンとか、花村満月の原作のシーンを具現化してると思われる。
吉本多香美は、初代の『ウルトラマン』のハヤタ隊員を演じた黒部進の娘さん。どこか面影があります。特撮物のヒロインが何かの機会に脱いだ!となると、ついつい見てみたくなるのが男の子の衝動です。もっとも、ここ30年くらいは特撮物なんてほとんどみてないのだけど、『ウルトラマン・ティガ』だけは見てました。これは面白かった。おかげで吉本多香美の存在も知ってました。ま、そうはいってもあまりスタイルが良いほうではないので、彼女が脱いでるって聞いたときは「あのスタイルの悪そうな彼女がヌードになったん???」ってかなりびっくり。ヌードの写真集なども出しているようですが、<くびれ>がないので前から撮る写真はちょっとつらい・・(苦笑)。

余談だな、この映画の主人公をやってる奥田瑛二のデビュー作は『円盤戦争バンキッド』だったと記憶している。あんまりおもしろい部類にはいるものではなかったけど、エンディングは妙にリリカルでよかった。

<あらすじ>
妻の沙夜子(荻野目慶子)に出て行かれたしがない橋梁設計士の諏訪憲雄(奥田瑛二)は、義弟(沙夜子の弟)でヤクザ者のアキラ(北村一輝)に気晴らしにソープランドへ連れていってもらう。そこで相手をしてもらったのが由美(吉本多香美)というソープ嬢。やがて、諏訪は由美と同棲。そんな時、由美から2千万円を騙し取った荻原の行方が判明し、ふたりはアキラと一緒に取立に行くのだが、そこでアキラの暴力性が爆発、荻原は殺してしまう。さらに沙夜子がアキラの組のヤクザ・高岡と共に駆け落ちしたことが分かり、全てのケリをつける為、3人は高岡の故郷である石川県皆月へ向かう・・・。

最後で、沙夜子とアキラの近親相姦ものの愛がベースにあったことが発覚。え、そんな話だったの???とちょっとびっくり。

by ssm2438 | 2011-08-07 09:46
2011年 06月 13日

U.M.A レイク・プラシッド3(2010) ☆☆

f0009381_2195057.jpg監督:G・E・ファースト
脚本:デヴィッド・リード
撮影:アントン・バカースキー
音楽:ネイサン・ファースト

出演:
ロクサーヌ・パレット (オッパイ提供部隊ワニの餌1号)
コリン・ファーガソン (ネイサン・ビッカーマン)
カースティ・ミッチェル (スーザン・ビッカーマン)
ヤンシー・バトラー (ワニハンター・リーバ)
マイケル・アイアンサイド (トニー・ウィリンガー保安官)
ケイシー・バーンフィールド (エリー)

       *        *        *

不覚・・・・・、この映画を愉しんで見てしまった(苦笑)。

一作目でワニに餌付けをしていたビッカーマン夫人、2作目はその姉、そして今回は甥が、妻と息子を連れて湖畔の家に住むことになる。ワニを餌付けしたい魂は受け継がれるのか、その息子がやっぱりワニに興味をしめし、岸辺にちょろちょろいるワニに餌付けをはじめる。それから2年後の話。

演出的には完全に正統アニマルパニック映画です。第一作目のコメディパッケージとは全然別。でもCGはしょぼいけど。使えるところは着包みのほうがいいのに。どうしてもライティングとはあわせづらいものがあって、それが合わないまま使ってるから興冷めするこころがある。ま、これは2作目からのショボイCGでも我慢してみようという、見る側と、製作者との暗黙の了解みたいなものです。
しかし、今回はそれなりにCGとの合成をきちんとやろうとしてるのです。作り手が、まがりなりにも頑張ってるのです。CGで売ろうしてるのではなく、きちんと演出で見せようとしているのです。なのでついつい愛してしまう(笑)。

その作り手の心意気もすばらしいのですが、登場するお姉ーちゃん方がみなさん良い。
冒頭でオッパイ提供部隊1号のロクサーヌ・パレット。スレンダーな美人といいというわけではないのだけど、彼女のムチムチ感はとってもよいのです。それに笑顔が可愛いくとても健康的。彼女が岸から湖へ引き込まれるシーンは、裸で足から引き込まれちゃうんだけど、かなりどろどろした土の上を引きずられていくので、性器にドロがはいちゃんじゃないかと心配しちゃいました(笑)。
そしてケイシー・バーンフィールド。この娘はオッパイ提供してくれなかったのですが、でも、綺麗。乳房も豊満。ただ、こちらのひとはいろいろ改造手術をうけている気がして個人的にはそれほど燃えなかったけど。

他にも何人かワニさんがお持ち帰りするトラッシーな女優さん方もいるのですが、平均的にレベル高いです。あと今回のワニハンターはヤンシー・バトラー。ワニと戦う美しき人妻がカースティ・ミッチェル。お金がないなか、女優陣はかなり頑張ってあつめられてます。一番メジャーな役者さんといえば『トータル・リコール』などのポール・バーホーベンもので有名な悪役のマイケル・アイアンサイド。今回はやたらと太っていたので最初わからなかった。ほとんどロバート・デュバルかと思ったよ(苦笑)。。

ロクサーヌ・パレット
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本編中に提供されたオッパイはこちら
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by ssm2438 | 2011-06-13 21:10