2016年 05月 06日
監督:池広一夫 原作:横溝正史 脚本:廣澤榮 出演: 古谷一行 (金田一耕助) 荻島真一 (寺田辰弥) 鰐淵晴子 (森美也子) 中村敦夫 (多治見要蔵 / 久弥) 松尾嘉代 (春代) 毛利菊枝 (小竹) 新海なつ (小梅) 永井智雄 (久野医師) 草薙幸二郎 (里村慎太郎) 神崎愛 (井川鶴子) 長門勇 (日和警部) × × × 長尺だから、てっきり原作をフォローしてると思いきや・・・ たまたまつけた夜中のケーブルテレビで、このシリーズやってたので、ついつい朝までかけてみてしまいました(笑)。で、ついにで原作もこのさい読んでしまえ!とばかりにKindleFireで購入、読み終えました。 本来この原作はあまりに長尺で、登場人物も、殺される人数も多いのでまとめるのが大変。なので二時間ドラマや映画の尺に納めるにはかなりあっちこっち省いて、のこりのパートでなんとか組み上げるしかないしろものです。その結果、過去にいろんな八つ墓村が出来てますが今ひとつどれもしっくり来ない。なぜでしょう??ってのが長年の謎でしたが、原作全部読んでなんとなく分かりました。 この話は「たたりじゃあああああ、八つ墓明神のたたりやじゃああああああああああ」の最初の八つ墓村のキャッチコピーがみなさんのイメージの中に深く浸透しすぎてて、世間が『八つ墓村』=怨念系ドロドロ話だとすでに認識してしまい、それでなくては許さなくなってしまった。しかし、原作はそれほど怨念どろどろのはなしではなく、殺人事件のモチベーションも女の恋愛事情であしかない。 なので、原作においては殺す手段はほとんど毒殺とクビをロープで絞めるパターンのみ。 さらに殺しにいたるトリック・謎解きもかなり軽いものなのです。原作においてはですが(この部分はほとんどの映像化された『八つ墓村』では採用されていない)、殺しの計画書が存在します。この殺人計画書は久野医師によって書かれたものですが、この計画書自体ただの妄想的でそれをちゃらちゃらとメモに書いてたら、そのメモが濃茶の尼に盗まれ、最終的に犯人の手に渡ってしまい、それを実行にうつされていく・・・というもの。 これもモチベーションがきわめて幼稚なところにあるのです。 久野医師は八つ墓村に昔から居る内科医。そこに都会から疎開してき別の医者が登場。この疎開医師が人気者になってしまい、久野医師はこれをやっかみ、妄想のなかで殺人計画を描いて自分の憤懣をおさめていた。その計画とは、二人の医師のうちひとりが殺される、二人の尼さんのうち一人が殺される、多治見家の双子のばあさんのうち一人が殺される。二人の出戻り女のうち一人が殺される・・・というふうに対になっているもののうち一人が殺されていくといういうシナリオを思い描いたのである。これは、多治見家の上にあるやつ墓明神の二本ある大杉のうち一本が雷をうけて倒されたことにかこつけて、八つ墓明神は同様の生贄をもとめている・・・という社会的意識誘導を生み出し、本人にその疑いがかからないように・・・と考えたもの。しかしこれは所詮妄想であって、本気でそんなことしようとは久野医師も思っていなかった。 しかし、その殺人妄想メモを記した手帳が盗まれ、その通りに殺人が起きていく・・・、久野さんびっくり!って話です。 なので、殺人連鎖の法則というのもきわめて軽いものなのです。 この軽さが、世間の人が観たいと思っている『八つ墓村』ではないのです。なので製作者一同はいろいろ悩んで、世間様の欲求にこたえるにはどうしたらいいかって迷いつついろいろ試みた結果がそれぞれの作品になってるわけです。 さらに犯人の殺人の動機は、男と女の恋愛感情のもつれから発生してます。これも、これも死せる尼子の落ち武者たちの怨念とはまったく関係ないものです。 渥美清/野村芳太郎の『八つ墓村』ではその辺りが完全に省かれてしまってます。なのでむりやりそれを怨念とリンクさせようとして、美也子の出生を尼子の武士達がいた出雲の国あたりに設定して悪あがきをしてたりしてます(苦笑)。 トヨエツ/市川昆の『八つ墓村』では殺人の基点である恋愛事情は汲んであります。・・が、どこか幼稚なもの、可愛らしげなものになってしまってるのでちょっと、さらに軽さがましてる感があります。 原作における犯人視点の<あらすじ> 八つ墓村の資産の7割は「東屋」とよばれる多治見家が有しているが、第二の資産家といえば「西屋」といわれる野村家である。その野村家に嫁いだのが美也子。美也子は結婚した当時は東京にいた。 時を同じくして、海軍の軍人として東京にいたのが里村慎太郎。彼は、多治見要蔵の弟の息子である。ゆえに多治見家の財産がその家のもので想像されない場合、彼のところに相続権がうつることになる人物でもある。 慎太郎は、美也子の夫が病気で亡くなった後も彼女と彼女の事業を支え、資産管理などのアドバイスをしていた。その結果戦争という状況下でも資産を失うことなく生き延びた。 一方慎太郎は戦争で地位も名誉も財産も総てを失い、八つ墓村に帰えり、小さな家を与えられそこで妹と一緒に野良仕事をしていた。 そんな時多治見家で遺産相続の問題がおきあがる。 要蔵の息子で長男の久弥は肺病で長くない。長女の春代も腎臓を病んでおり、その結果心臓に負担をおっていきている。多治見家の実権をにぎっている双子のバーちゃん小梅・小竹は要蔵が妾に産ませた息子・寺田辰弥を呼び寄せ、多治見家を告がせようとしていた。 多治見家のものは不遇者ばかりなのだ。ふたりのバーちゃんは猿のように小さく、白く、不気味な容姿である。要蔵は傲慢にして気が触れ村人32人を殺した狂人。その子供二人は二人とも身体にどこか不具合をもている。しかし里村家に養子にでた要蔵の弟、そしてその息子の慎太郎はリンとして養子も人格もしっかりしていた。慎太郎だけには財産をつがせたくない。それは多治見家の不遇者のふかいねたみから発生していた。 慎太郎は美也子を愛していた。しかし、総てを失った今、美也子に求婚はできない。なので、今かに帰って野良仕事をしながら、夜になると尼子の落ち武者が隠したといわれる埋蔵金をさがしていた。 美也子も慎太郎を愛していた。美也子は慎太郎に嘗ての凛々しさを取り戻して欲しかった。そうすれば自分に求婚してくれる。そうして美也子は多治見家の遺産相続の権利者を久野医師の殺人妄想計画書に基づいてころしていった。 実は美也子の夫が病死したのも美也子が毒をもったからであった。息子の死に不信感をもった美也子の義父が、その調査を金田一耕助に依頼した・・・というのが、じつは原作における金田一耕助の本作への絡みの出発点である。 原作では、この慎太郎の妹・典子が、本来のヒロインとなり主人公・寺田辰弥がピンチになればこれをサポートし恋におち、“H”までしてしまう。・・・が、渥美・野村芳太郎バージョンといい、この古谷一行テレビシリーズといい里村典子というキャラが削除され、かわりに美也子がその役目をになってしまっている。とすると当然慎太郎の存在はひつようなくなり削除されてしまう。いちどコアな部分を製作者の都合で変更するとあとはもうぐちゃぐちゃになり、最後はどういうわけか辰弥を殺そうとまでする。しかし、その動機づけがかなり強引でどれも理不尽なものになってしまっているが現状だ。そこを「じつは美也子の出身は出雲、出雲といえば尼子の落ち武者のいた・・・」みたいに強引に怨念ネタでしめくくるという暴挙にでてる。 この古谷一行テレビシリーズ『八つ墓村』では、「あなたを殺そうとおもったけど、あなたを愛してしまったの、だから一緒に死んで」てな展開で辰弥を追まわし、最後は辰弥危機一髪ってところで、実は仮面をかぶって村に潜伏していた辰弥の父亀井洋一が辰弥を救う!という展開に。えええええええええええ!! そこでほんものの父ちゃん登場!? 実は原作でも辰弥の父は生きているのだけど、そこまでアクティブには行動しない。ま、これはエンタメのための改稿箇所でもある。 というわけで、原作を知ればしるほど、どの作品も「派ああああああ~~~~~~~~」ってため息がでる。 もうちょっとなんとか出来なかったものか? なので、自分でもどうすればいいのか、考えてみた。 映像化されたどの『八つ墓村』も最後、洞窟のなかでうだうだするからなんかつまらないのである。 原作では最後、狂信的な村人(さきの32人殺し事件の時に親族をころされている)が辰弥を鍾乳洞なかで辰弥を追い回す。そこを映像化された作品では美也子におきかえたりしてるのでなんか訳が分からない事に成っているのだと思う。 で、私は考えた。 やっぱり殺人の動機は、森美也子の恋愛話で行くべきだ。 で、それによって扇動された村人達は嘗ての復讐心を爆発させた。 達也を釜やクワをもって追い回す。 「おまえがきたからじゃ、お前を殺さにゃあ八墓明神のお怒りはおさまらんんんん」 結局鍾乳洞から辰弥と典子をあぶりだす村人たち。それを守ろうとするモノ、それが春代だったり、典子だったり、警官の数人、多治見家の使用人、郵便局のおじちゃんとおばちゃん、そのへんをばったばったと切り裂き殺して収集がつかなくなる。 「ぎゃあああああ」 「うわあああああ」 「助けてくれえええええ。どおおおおおお」 ブシュウ! バッシュ! グシャ!! 君は・・・、君はなんてことをしたんだ」と慎太郎。 呆然の美也子。 「私は・・・私は・・・、アナタに愛されたかっただけなの・・・。アナタに愛されたかったの・・・・」 村人達に追い詰められる辰弥、われを忘れた村人達のまえに飛び出して達也をかばう慎太郎だがぶすぶすぶすと竹やりで刺される。最後はカマでクビを跳ねられ、宙をまった慎太郎の首が美也子の足元にころがる。 理性をうしなった村人たちは辰弥と美也子を取り迫ってくる。 「よそ者はこの村にはいらん。災いのもとじゃ、お前も・・・、お前も・・・。よそ者はみんな死ねばええんじゃ」 とそのとき、落雷とどろき、もう一本の大杉におちる。さらに大地震。 以下、特撮よろしく。陥没する村の田畑。多治見家の家屋も崩壊していく。辰弥の母が監禁されていた部屋がくずれる。壁のお面がおちる。屏風がおしつぶされる。隣の納屋の天井がくずれる。鍾乳洞への階段もくずれる。地下のよろいミイラの上にも岩盤がおちてくる。崩壊していく鍾乳洞。 地上では田畑に地割れがおきいたるところで陥没がおきる。八墓明神の墓石もくずれる。崩壊しているくカルスト台地。 天災がおさまったあと、八墓明神の墓石のあたりに虫にたかられたしゃれこうべが笑ったように地上に顔をだしている。 ・・・・以下、新聞報道か何かで適当におわらせてください。 もちろんこの事件、災害の死者は64人でしょう。 ・・・ってのはどうでしょう? 次回の『八つ墓村』はこれでよろしく。 #
by ssm2438
| 2016-05-06 21:44
2013年 12月 15日
監督:崔洋一 原作:高村薫 脚本:丸山昇一 崔洋一 撮影:浜田毅 音楽:ティム・ドナヒュー 出演: 中井貴一 (合田刑事) 萩原聖人 (犯人・水沢裕之) 名取裕子 (高木真知子) 小林稔侍 (林原雄三) × × × はっきり言って、よう判らんぞ! 原作の『マークスの山』は高村薫の小説で直木賞を受賞している。しかし原作自体も単行本から文庫本になる間に改稿されており、どれが原作なんだか・・・(苦笑)。。。 話としてははっきり言って面白くないんだ。賞をとったのは高村薫の浪々とした筆力のたまものだろう。 その原作を2時間半にまとめるには土台無理な話なのだが、その原作を無理してなんとかまとめて、失敗した作品。WOWOWでやったやつを先にみていたのでなんとかお話の概略はわかったが、これをいきなり見せられても「なにかようわからん」という印象しかもたないだろう。 そんなわけで、この映画の話は原作とも多少ちがい、WOWOWで放送したもののほうが原作らしいものに近いだろう。 この映画の物語の背景をまとめると・・・ 修学院大学は国家の根幹に主要人物を数多く送り出している大学である。その山岳部に所属していた5人(木原郁夫、松井浩司、林原雄三 、浅野剛、佐伯正一)は、左翼の野村という学生とともに運動に参加していたが、仲間内紛争の時に一人の男を撲殺してしまった。彼ら6人はその記憶を忘れることにした。卒業しそれぞれが各分野で大物になっていこうとしていたある日、左翼運動に没頭していた野村が再び5人の前に姿を現した。5人は秘密を知る野村を山に誘い雪山で殺した。 マークス(MARKS)とはその5人のイニシャルである。Rは林原であり「りんばら」と読む。 映画ではこの5人がある男に命を奪われていく。 その犯人が水沢という男(萩原聖人)。彼は子供の頃、その殺人が行われた同じ山のなかをさまよっていた。両親が車のなかで排気ガスをゴム管で引き込み一家心中しようとしていたが、一人だけ生き残ったのだ。しかし一酸化炭素障害により精神に異常きたしてた。 でも、なぜ連続殺人事件がおきたのか? 実はそこのところが今ひとつ説明不足なのだ(苦笑)。これ見た人は判ったのだろうか? このあたりも尺を短くするために原作の内容を変えているのだが・・・、一応この映画のストーリーにそって話を進めると・・・、 水沢が精神障害をもってい入院していたと病棟に、精神を病んだマークスの一人浅野(原作では、医者になっていたが癌をわずらい罪の意識から、嘗ての事件を日記にしており、それを水沢が奪ったという普通の展開)が、毎晩水沢のカマを掘っていた仲であり、浅野の残した日記を拝借してマークス5人の悪行をしっていたという基本設定。(おい、いつからBL物に変わった??) 過去を封印したい林葉らが、退院した水沢をヤクザを雇って殺そうとしたら、そのヤクザのほうが返り討ちにあってしまう。それを機に、水沢が林原にことをばらされたくなかったら金をよこせと脅し、またひとり、またひとりと殺されていく・・という流れだったようだ(正直なところ、この映画だけで理解しようとすると無理がある)。 私が思うに、崔洋一ってホモだと思う。作品のそこはかにホモパルスがでまくってる。 ホモ監督が撮る映画ってとにかく生産性がないんだ。こればっかりは全世界共通だね。やたらと血が出る、それもゴシックホラー的な血。男と男がもみ合っているシーンがやたらと多い。打突系の戦いではなく、ぐにょぐにょ絡み合うのである。痛みに耐えられないといより悶えるシーンにしてしまう。意味なく男の裸とかおおい。タランティーノもホモだと思う。同質のホモパルスを感じるんだよなあ。本作でも、なんで中井貴一が上半身裸でスニーカーを風呂場で洗ってるのだろう??って思う。 一番のネックは期待させる見せ方が出来ない。その状況をグロく、ねちっこく描く。普通の人が見たいシーンとホモ洋一が描きたいシーンとは違うのである。ホモは未来に期待することなく、今を消費する。これってホモ監督がもつ共通項だね。 メグ・ライアンが絶好調のとき『キスへのプレリュード』という映画がある。現実逃避で変身願望があり、いつも現実から逃げ出したいとおもっている。主人公の男と結婚しようしたとき、彼女の魂がそこに迷い込んだ老人の男と入れ替わってしまうという話し。彼女の魂をもった老人を探し出して結婚生活をするという話。主人公はアレック・ボールドウィンだったが、爺さん役の男とキスなんてよくしたものだ・・・ああ、キモい。 その脚本家、絶対ホモだなって思ったらあんのじょう『ロングタイム・コンパニオン』ってホモ映画の脚本も書いてる。 ちなみに変身願望というのもホモ要素の一つである。現実の中で生きていかなければならないことを悟った男は、どうあがいたって自分を鍛えて強くするしか生き延びる方法はないのである。しかし、ホモは自分を強くすることをあきらめ他人になることを望む。中性的である子供の頃の男の子にはその願望は確かにあり、それがウルトラマンやら仮面ライダーを夢見る根源でもあるのだが、大人になるとそんなことはどうでもよくなる。男は現実のなかで生き残るために他にやらなければならないことがいっぱいあるからだ。 本作でも変身願望というのはささやかに息づいている。一酸化炭素中毒になった少年水沢は、統合失調症になっており、ときおり自信のなかに凶暴な人格が生まれる。水沢はその人格を『マークス』と呼んでいた。 ・・・・ほかにもいろいろあるのだけど、ホモテイストがあまりにも多くて、おそらく一般人がみたいと思うようなシーンはほとんどないと思う。不思議なのが、「なぜこのシーンはこのように撮られたのか?」って疑問がけっこう多いのだが、「崔洋一がホモである」と定義すればそのなぞがすべて解ける。 一般人がみてうわああああ~~っと思うのは、名取裕子の数少ない“H”シーンだろうが、それとてホモ洋一にしてみれば、自分がホモであることのカモフラージュだと思う。 ホモ、嫌い。 きっとこの映画が面白いと思ってる人はホモだけだね。 #
by ssm2438
| 2013-12-15 10:42
2013年 12月 15日
監督:堀切園健太郎 原案:麻生幾 『外事警察 CODE:ジャスミン』(NHK出版刊) 脚本:古沢良太 撮影:相馬和典 音楽:梅林茂 出演: 渡部篤郎 (住本健司) 尾野真千子 (松澤陽菜) 真木よう子 (奥田果織) イム・ヒョンジュン(工作員・奥田正秀) × × × 韓国では濃縮ウランの流出という事件がおき、日本では東日本大震災の混乱の中で、被災地の大学の一室から原子力関係の部品データが盗まれる。核によるテロが起きるかもしれない。それは日本なのか、韓国なのか・・・?? その危機に立ち向かう外事4課の<公安の魔物>と呼ばれる主人公・・・。 NHKで作られたTVドラマ『外事警察』からの映画化で、基になっているのは『外事警察 CODE:ジャスミン』。ただオリジナル要素がかなり強い。 原作は『宣戦布告』などの著者である麻生幾。まるで公安にいたんじゃないかと思うくらいやりとりはいい感じ。とりあえずNHKでやってたTVシリーズ、レンタルしてみてみようかと思ってしまった。 ウィキペディアによると、もともと週刊文春の事件記者だった著者は、それまでの経験をもとにノンフィクションの『情報、官邸に達せず』を発表、その後フィクションのほうにも手を出し、『宣戦布告』を執筆し映画化もされたそうな。そのときの映画はけっこうたたかれたようだが、今回の『外事警察 その男に騙されるな』はけっこう映画的にみられるレベルのものになっている。このくらいのレベルで日本映画のポリティカルサスペンスもやってくれれば及第点だなあと思わせてくれるレベル。 どうでもいいことだけど、原作のタイトルのままだったらもう1億円くらいは興行収益がふえたかもしれないのに・・(苦笑)。日本映画のタイトルつけかたって超下手だと思う。 作品の質はおいといて『海猿』とかも、内容を知らない人にとってはタイトルだけで見る気にならないとおもうのだけど・・・。 画面はポール・糞手ブレ・グリーングラスの『ボーン・スプレマシー』とかのあの感じ。まあ、そこまで手ブレは気にならなかったが、手ぶれというのはそこにカメラがあることを見てる人に認識させてしまうので、意味をわかってないと<映画を撮ってる撮影現場>を撮ってるような画面になる。ただこの映画はそれの手ブレのあざおさを最低限度に抑えて、ぎりぎり我慢できる範囲におさめてある。 色合いも地味~~~に彩度を落とし黒にザラつきを出してる。嘗ての栄光<銀残し>と呼ばれる手法である。昔の映画を見てる人にとっては<銀残し>画面みせられるととうれしい。 ただ、これに関しては撮影でそれをやっているというよりも、アフターエフェクトかなにかで、あとから画面処理してる感じはいなめない。CGでの画像加工がどこか画面的にチャラく感じてしまう。『300』みたいになっちゃうともう見る気も起きないからあんなのはやめてほしい・・・(苦笑)。この映画はその点でも節度が効いていて、我慢できる範囲におさまっている。 お話の展開は「公安のダークな感じ」がけっこう雰囲気あります。いろいろネットに転がっているコメントみると、テレビシリーズのほうがよかったという意見が多いようですが、ま、物語のスケールを広げすぎると描写が大雑把になることがほとんどなので、ある程度の狭い範囲の出来事にまとめて物語をつくったほうが無難なのだろうが、映画ということもあってちょっと風呂敷ひろげちゃったのかなって気がします。とりあえずそのあたりはテレビシリーズをみてみないことにはなんとも言えない。 主人公は渡辺篤郎扮する住本健司で、警視庁警備部に属する公安外事外第4課の班長。テロリストを逮捕するためならどんな冷酷な手段でも行うことから「公安が生んだ魔物」と畏怖されている。どうやらこれはテレビシリーズをみないことにはぴんと来ないらしいが、でも、いい感じの役どころをもらったな・・という感じである。 ちなみに公安の外事は、中国・北朝鮮などのアジア圏の事案を担当する外事2課、それ以外を管轄する外事1課、国際テロに関する事案を処理する外事3課がある。本作で出てくる<外事4課>は架空の部所である。 <あらすじ> 朝鮮半島で濃縮ウランの流出という事件がおきた。日本では、東日本大震災の中、被災地の某大学からの原子力技術に関するデータが盗まれていた。どうやら核爆弾がつかれているようである。そのターゲットはソウルなのか日本なのか・・??? 一方、住本健司(渡辺篤郎は、ソウルで物理学者・徐昌義(田中泯)を捕獲した。彼は在日朝鮮人で日本で原子力を学んだ権威だった。20年前、祖国に原発の日を灯すことを夢見て家族を捨て北朝鮮に渡っていたのだ。その環境は劣悪なもので、彼の体はすでに癌に侵されていた。彼こそが核爆弾の製造者だったのだ。しかし、それだけでは爆発しない。起爆装置が必要なのだ。その起爆装置は日本の技術がつかわれていた。外事四課は奥田という男を工作員ではないかと睨み、その妻・果織(真木よう子)を協力者という名のスパイにするべく近づく。 果織は家族がなく施設で育てられた女で、一度結婚をし娘を出産したが夫とはすぐに死にわかれ、そのショックで言葉が話せなくなった娘を一人でやしなっていかねばならなかった。多額の借金ももかかえていた。工作員の奥田はそんな果織と偽装結婚するかわりに金銭的援助をおこなっていた。 そんな果織に女性の友達ができた。公園で子供が遊んでいるとき知り合った女性で、彼女もシングルマザーだった。シンパシーを感じる果織。彼女の招きに彼女のマンションにいってみるとそこには住本がいた。 このシチュエーションが公安らしいのです。同じ境遇を装いそれとなく親しくなる・・・。 同じように公安経験者の濱義之が書いた『ハニー・トラップ』のなかに同じ手法が書かれていた。そのときは中国人の女スパイが、自分の息子を病気で失った捜査官に近づくときに、「実は私も息子を失ったの・・・」といって近づき、親しい関係になっていく・・・という流れがあった。 こんな共通項を見出すと、「あ、らしいぞ!」って思えるのである。 住本は、果織をなんとか協力者にしたて自分の夫を調べさせる。どうやら原爆の起爆装置らしいものを持っているらしい。 その一方で徐昌義には、捨てていった家族に合わせるといい、爆弾のありかをしゃべらせようとする。しかし彼の妻はすでに自殺し、娘は幼い頃に施設に預けられてから消息を絶っていた。見つかるはずがない・・・。必ず娘に合わせると約束するという住本のブラフを見抜いた徐昌義はがんとしてしゃべろうとしない。住本は自白剤の投与を医者たちに指示する。 しかし・・・そんな矢先、徐昌義はテロリストたちに取り返されてしまう。 ソウルにもどった徐昌義はテロリストたちと核爆弾をセットしようとしたが、工作員の奥田から得た起爆装置が偽物であることに気づく。奥田は、ほんとに果織のことを愛し始めており、計画を実行させないために起爆装置を摩り替えていたのだ。しかしその奥田もすでに殺んでいた。起爆装置を取り返すためにテロリストたちは果織の娘を人質にとり、果織に起爆装置をソウルまで持ってこさせるよう迫る。 舞台が韓国に移った以上、日本の外事警察の手をはなれる。住本は公安の身分を剥奪されながらも、果織とともにソウルに飛ぶ。そこにはもう一つ重大な事実が判明していた。奥田は、徐昌義を裏切らせないように、彼の娘をすでに身近に置きDNA鑑定していた。その書類をみつけた住本は、徐昌義の娘が誰であるか知っていた・・・。その娘そこそが最後の住本の切り札となる・・・。 ・・・・んが、しかし・・・・。 #
by ssm2438
| 2013-12-15 08:56
2013年 12月 02日
監督:山田洋次 原作:山田洋次 脚色:山田洋次/朝間義隆 撮影:長沼六男 音楽:山本直純 出演: 西田敏行 (白銀活男) 吉岡秀隆 (平山亮) 田中裕子 (十成八重子) 田中邦衛 (常さん) × × × 結局男って、好きな女に認められたいから生きてるんだろうなあ・・・。で、それができなくなると、どうでもよくなっちゃうんだろうなあ・・・ そのネタを失ったとき、ジョーはそういうしかなかったんだろうなあ。 丈「…じゃあどっからか連れてこいよ…もう一度力石徹よ…!」 葉子は連れてきたけど・・・、誰も代わりがいなかったらへたるよ、男は。あそこで田中裕子がいなくなったら、なんのために映画上映しつづけるんだ? 誰かが代わりを持ってこられるならいいけど、来なかったら続けられないよ。だってかっちゃんは映画を上映したあとに「この映画よかったね」って田中裕子に言ってもらいたいためにやってたわけだから・・・、しんどいよ、あのあと続けるのは・・・。 しっかし、男心を描かせるという事に関しては、今回ほど赤裸々な映画は山田洋二のなかではなかったかも。 かなり男の願望描いてます。 本来『男はつらいよ』の49作目として作られる予定だったお話だが、渥美清の死去によりタイトルをかえて別作品として作られた映画。なの寅さんコンセプトはそこかしこにあります。これは作り手の云々かんぬんよりもきっと映画の公開予定とか営業面とかいろいろな大人の都合があってそういうことになってしまったのだろうという気はします・・が、ある意味それが味だったり、別の意味ではそれが嫌味であったり、捉え方がなにかと複雑な映画です。 物語の冒頭、就職浪人の平山亮(吉岡秀隆)は親とけんかして家を飛び出し青春○○切符ていうのかなにかしらないが、そんなんで鈍行のりつぎ旅しています。そしてたどり着いた徳島のひかり町。そこにオデオン座という古びた映画館があり、そこに住み込みで働くようになったのでした。 映画館のオーナーは白銀活男(西田敏行)。寅さんのキャラをダブらしたようなこの男・・ってことは、これが寅さんがやる役だってことなのか? ということは、49作目では、田中裕子のほうが見せのオーナーで、寅さんがころがりこんで・・って展開だったのかなと思ってみたり。ま、それはいいや。 ヒロインになるのが田中裕子演じる十成八重子。活男を友人の妹で出戻り女で父の支援で喫茶店をやってる女性。オデオン座では毎週土曜日に名画の上映会をやっており、その選考委員をやってるといういつながり。 今週の映画はなんとあの『ニューシネマパラダイス』。 一番燃えるシーン見せないようについばんで見せているのだが、それでも思い出して泣けてしまう。だいたい、この映画を映画のなかでみせてしまうことじたいがずっこい! そしてオデオン座以外でおこなわれる上映会。 私が小さい頃は、地域の公民館に上映屋さんがきて上映された映画をみた覚えがかろうじてありました。まだ、そんなことやってるのか??と思いますが(この映画公開されたのが1996年、ちなみに劇中の田中裕子は40歳)、懐かしく思えてしまいます。今の人はそんなことが行われてたことなんて知らないでしょう。『恋々風塵』のなかでも地域での野外上映をやってましたが、昔はああいうこともあったのです。 その公民館で上映されたのが『野菊の如き君なりき』。おおおおお、実はこの映画私もまだみてません。 ここでのエピソードは、公民館の責任者である柄本明が「規則だから9時までに終わらせろ」というがそれでは途中できりあげなければいけなくなる。結局柄本も一緒にみることになり、はまってしまい、「9時ですがおわらせますか?」と活男がいうが「あほ、ここで終わらせられるか」と自分がのめりこんでしまう・・という展開。ありきたりだがわくわくしてしまった。 その後も上映いろいろあり。『かくも長き不在』、『東京物語』、と昔の映画ファンなら誰でもみた映画が連打される。劇中「面白くて受ける映画を」って言ってたが、このラインアップでは倒産もやむなしだろう(苦笑)。。。このあたりになってくると、最後に上映される映画はなんだ??って疑問がわいてくる。 やがて地方の小学校での文化祭。生徒はひとり。この分校も今年が最後で、最後の文化祭に生徒一人のために活男が映画上映をすることになる。もっともその教室(ちいさな体育館かもしれない)には先生や父兄のや分校関係者のひとがいてけっしてさびしいわけではない。そこで上映される『禁じられた遊び』。この映画で果たして小学生が楽しんだかどうか・・・あ、でも私がこの映画を始めてみたときも中学生くらだったのでにたようなものか・・・と思った。でも、私が見たときは水曜ロードショーで吹き替えだった。ここで上映されたのは字幕スーパー。この子が読書障害でなかったことを祈ろう。 ポイントになるのはそのあとのシーン。上映が終わって学校関係者が活男に感謝して飲みの関をもうけてくれた。その席で夫婦だと間違われた八重子が挨拶することになる。夫婦に間違われるエピソードってのは妙にこそばゆく心地の良いものである。『男はつらいよ 寅次郎物語』でもこのコンセプトはやってたのだがやはりはにかんで見てしまう。 で、男の至福の時。好きな女が自分のことを「うちの主人が」といい、そんな主人を誇りに思うといってくれる。 男にとって好きな女に認められるのがなにより幸せなのである。だああああああああああああああああああああああ、あいかもかわらず泣いてしまった私。その音楽のつけ方も卑怯なのである。周りの人がのりのりで花笠音頭とかおどりだしコミカルでにぎやかしのシチュエーションを作りながら物悲しげな音楽を流すという卑怯音楽の付け片法。コミカルなシーンに切ない音楽を流すと超効果的だし、緊張感のあるシーンに牧歌的な音楽を流すとこれまた効果的という、一種のBGM付けの技のひとつなのだがここでやりやがった。 でも、だあだあ泣いてる私・・・ははは、ああ単純。 やがて八重子の父親が亡くなり葬式。あたふたしてるところに八重子をずっとおもいつづけていた男(旦那の友人)が現れる。このあたりは『続・男はつらいよ』(2作目)のでの展開と同じである。ヒロインはやっぱり、結婚するのはやっぱり他の人ね・・ということで寅さん、今回は活男のもとを去っていくのであった・・・。 「今日の映画もおもしろかったー」を言ってもらいたいがために上映していた映画。しかしその人はもういない。オデオン座を占めることを決意した活男が最後の上映に選んだものは・・・・。 ええええええええええ、そこでこれをもってくる!? できれば第8作目を選んで欲しかった。 ・・・・・しかし、男って好きな女に認められたい生き物なのです。 切ないなあ・・・男って・・・。 ちなみに、私は愛した女が結婚したとき、「おめでとう」なんていってません。「幸せになってください」なんてアホな言葉もはいててません。「いつか言うから」とはいいましたがうそです。 男ってのは好きな女が不幸なほど、幸せなのです。 ううううううむ、いい台詞だ。この映画の価値はこの台詞を言わせたことかもしれない。 ・・・・というわけで、いろいろごった煮の映画でしたが、まあまあ楽しませていただきました。 うん、面白かったよ。卑怯で、ずるくて、適当で、大人の都合で作られたかもしれない映画だけど・・・。 #
by ssm2438
| 2013-12-02 05:46
| 男はつらいよ(1969)
2013年 10月 09日
監督:長谷部安春 原作:西村寿行「化石の荒野」 脚本:丸山昇一 撮影:森勝 音楽:萩田光雄 出演: 渡瀬恒彦 (仁科草介) 夏八木勲 (中臣克明) 川津祐介 (峰島悟) 浅野温子 (雪江千沙) × × × クソだったなあ・・・。 とにかくストーリー構成ぼろぼろ、脚本ぼろぼろ、なにもかもがぼろぼろ・・・。まあ、監督が『あぶない刑事』の長谷部安春なのでだいたいぼろぼろになるのはわかっていたのだが、とにかくかっこつけてもすべるすべる。ヤマなし、オチなし、意味なしのヤオイ映画ですな・・・。ひどい。 あ、音楽も酷い。 原作の西村寿行は80年代を代表する作家で、エログロバイオレンスの小説家。そのエネルギーには感服させられるものがけっこうあるのですが、映画でそれをやるわけにもいかず、結局アウトラインだけどを映画にし、映像化できない部分をとりのぞき、のこりを才能のない脚本家と製作と監督とでダメにするという、西村寿行ものではよくあるパターンで、見事にそれにはまってます。この脚本でどうすれば映画化しようという気になったのか不思議です。 まず主人公はへぼい。一応ハードボイルド路線をねらっているなら主人公の凄さをどこかみせといて、そんな主人公が巨悪とたたかってますってところを積み重ねれば普通は最低限度一般受けするものにはなるのですが、はなっから主人公がへぼい。 自室にかえってみるとどうやら何者かが侵入した気配あり。で進入した賊と下手なアクションをしてとりあえずタフガイなところをみせてるつもりなのかもしれないけど、多勢に無勢、あっけなく取り押さえられて麻酔をうたれ、おきてみたら拳銃をにぎらされ、そこに男の死体がある。どうやら犯人にしたてあげられたらしい。その後逃亡。警察は主人公を追う・・・という展開。 そのあとも、なにかにつけてやられっぱなしの主人公。なのになんだかカッコつけてるあほなやつ・・・。 いろいろクソなところがおおいのですが、意味のないアクションが多すぎ。 殴り合いのシーンでも、有効打って所詮最初の2~3発くらいです。これは銃撃戦でもおんなじですけど。そこで終わらないでのでアクションにきびきび感がまるでない。プロらしさって一撃必殺でだらだらしないこと。それをひたすら無駄にだらだらとっくみあってる。こんな演出する人がいたんだってびっくりします。 一事が万事でアクションシーンは無駄なアクションがおおすぎ。なんでわざわざそんなにやられにでていかにゃあならんの??って思うくらいアホばっかり。最後の雪山でのどんぱちもほんとに意味まったくないのになんでまとになりそうなアクションするんでしょうね。ひどすぎです。 寿行ものといえばエロも一つのうりですが、今回はまるでなし。おい! まあ、寿行もののエロはけっこういっちゃってる精神世界なのでなかなか映像化難しいとは思いますが、せっかくの浅野温子も無駄使い。だいたい何しにでてきたんでしょうね?? 物語的に意味がないのならせめてサービスヌードのひとつくらいとか思ってしまいます。 <あらすじ> 終戦間近のある日、厚木基地を飛びたったまま消息を絶った爆撃機連山には5000キロの金塊がつまれていた。それは政府が和解工作をするための資金だったが、その前に終戦を迎えてしまった。連山の搭乗員たちはオホーツクに不時着した際、主人公・仁科の生家で一夜を過ごしたこと、そして金塊の処分法をそこで話したというが、その後行方不明になったという。 その金塊をもとめて悪党どもがうごめいていた。それは当時事情をしる軍関係者で平井剛一と中臣晴義、そして坂本英夫。平井は日本ウラニウム鉱社社長になり爆撃機が金塊を投下させたと思われる山々を捜索していた。一方中臣は政治家になり次期総理候補にまでのぼりつめていた。坂本は警視庁の公安部長になっており情報操作していた。この3人は爆撃機の乗組員が一夜を過ごした民家をのちに訪れた。 その9ヵ月後、主人公は生まれていた。 主人公の仁科草介(渡瀬恒彦)は、連山の搭乗員がオホーツクで一夜を過ごした民家の女の息子だった。 そして、もしかしたら金塊のありかを知っている最後の生き残りの可能性がある草介にこの3人の魔の手が伸びる。しかし・・・殺すわけでもなく、けっこうゆるゆるな接し方が続き「こいつらいったいなにがやりたいんだ??」って物語の本筋がわからなくなるという困ったちゃん。 ここで本筋とはべつに「自分の父親は誰なのか?」という疑問点が物語のもうひとつの焦点となってくる。 連山の乗組員なのか、それとも当時の軍関係者の3人のうちの誰かなのか・・・。・・・が、このアホ脚本はそれがはっきり特定されないままおわらせてる。一応次期総理の中臣晴義ふうに聞こえる展開にはしているが、連山の搭乗員の最後の生き残り、吉宗大佐という読みスジものこしており、最後のどんでん返しはそこかなって思ったら・・・、あらららら??? なにもなし?? それで終わり?? ・・・おい! いい加減にしろ。たっぷり無駄な時間をすごさせていただいたではないか! おそらく原作を読んだらこの映画とは全然ちがう、それなりに面白いものになってるとおもうのだけど・・・。 #
by ssm2438
| 2013-10-09 03:47
|
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主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。 by ssm2438 リンク
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