
監督:ジャン=ピエール・リモザン
脚本:ジャン=ピエール・リモザン
クリストフ・オノレ
撮影:ジュリアン・イルシュ
出演:エドゥアルド・ノリエガ
アナ・ムグラリス
* * *
これも
『そして、デブノーの森へ』同様
アナ・ムグラリスの肢体をみるための映画。ただ、私の好みとしてはまだ『そして、デブノーの森へ』のほうが好きだ。
主人公の設定に無理がありすぎる。この主人公、記憶が5分しか持たないという重い障害をもっているのだが、それが物語の都合のいいところだけにつかわれている感じがいなめない。そんな人間の一人暮らしが常時サポートしてくれる人がいない状態でほんとに可能なのか疑問。この物語では影ながらサポートしてる人はいたのだが・・。いちどそういうところに疑問をもつと物語のすべてがご都合主義にみえてくる。そこで開き直り「いいんだ、この映画はアナ・ムグラシルの裸を撮れれば!」っていう思考に走ればそれでゆるされるのだろうけど、なんだか話をこねくってる。
5分しか記憶がもたないというグラハム(エドゥアルド・ノリエガ)と付き合うようになったイレーヌ(アナ・ムグラリス)、つねにメモ帳を持ち歩く彼は寝ておきてみれば「あなた誰?」の反応。????・・だったが、事の次第が分ってくると、毎日あたらしい恋ができるという解釈もできると自分をなっとくさせる。しかし周りの人はそんなグラハムのメモ帳を書き換えながら彼をあやつっていたりもする。さらに、彼の周りには常に姿をあらわすなぞの少年と合気道をやっている友達らしき人物がいる。やがてグラハムはパブロという人物であり、彼には妻もいるし、いつも電車で出会うあの子供が彼の子供だということがわかってくる。
ドラマ構成はサスペンスだが、血なまぐさい事件とかがあるわけでじはなく、イレーヌの付き合い始めた男の人生背景とその周りの人をの関係を、イレーヌの視点で徐々に見せていくというだけの話。
この映画のもっとも出来てない点は、設定に無理があることが分っているから、見てる人が話を追う意欲がなくなってしまう。そこで
アナ・ムグラリスの裸だけがサービスカットとして存在するので、彼女が出ないかっとを見る気がしなくなる。多少なりともお話を見せようとこねくったことにしてるは、それがうっとおしく感じる。そんな悪循環がみてとれる。もし、監督きどって話がみせたいのならムグラリス使わなければいい。でもそうしたら誰もみない映画だろう。ムグラリスだけみて、良しとしましょう。