監督:ウィリアム・フリードキン
脚本:スティーヴン・ギャガン
撮影:ウィリアム・A・フレイカー、ニコラ・ペコリーニ
音楽:マーク・アイシャム
出演:トミー・リー・ジョーンズ
サミュエル・L・ジャクソン
ガイ・ピアース
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かつての栄光
ウィリアム・フリードキンはほんとにもう復活しないのでしょうか・・。話は全然つまらない。フリードキンも雇われ監督なので、出来上がったシナリオを映像化しているだけ。話自体をどうしよう、こうしようという意志はまったく見えない。
根本的な問題は、制作サイドが、確固たるポリシーのないまま物語をつくるところだろう。最近の映画はマーケティング・リサーチで観客の好みにあわせてころころ内容を変られるので、ストーリーの見えないところイあるはずの思想的統一がなされてないまま、ストーリーだけが展開される映画になてきてる。おかげでこんな、どこにポイントがあるのか全然わからない映画になる。
イエメンで米国大使館包囲デモ事件が発生する。大使館員救出に向かった海兵隊は、大使やその家族を大使館の屋上に移動させヘリに乗せ脱出する作戦にでる。しかし、屋上に出るとどこからか狙撃兵に狙撃される。しかたなくビルの壁面に張り付く兵士たち。ヘリが降下しようとしても下から銃撃があり、ヘリもうかつに近づけない。下のいる攻撃者にたいして撃ち返そうとすれば狙撃兵に撃たれる。そんななかチルダーズ大佐(
サミュエル・L・ジャクソン)は下にいるだろう攻撃者にむかって無差別に発砲する指示をだす。的が明確に確認できぬまま撃つ兵士たち。
そかしそこには暴徒化した民衆が石を投げているだけだった。結果として一般市民百数十人の死傷者を出した。発砲を命令した軍法会議にかけられる。チルダーズ大佐は確かにそのなかに銃をもって攻撃しているものが一般人の中にいたと証言。そんな彼に対し、嘗て命を救われた戦友(
トミー・リー・ジョーンズ)が弁護を引き受ける。大使館大壁のカメラが民衆の中にひそんで銃撃している映像がうっていた。裁判の結果は被告チルダーズ大佐の勝訴となる。
サミュエル・L・ジャクソンはどうみても脇役の顔だよ。この人を主役にすえることにかなり無理があると思う。なんで世間はこの人に主役級の仕事をふるのだろうか?