監督:降旗康男
原作:浅田次郎
脚本:岩間芳樹、降旗康男
撮影:木村大作
音楽:国吉良一
出演:
高倉健 (駅長・佐藤乙松)
大竹しのぶ (佐藤の妻・静枝)
広末涼子 (駅を訪れた少女・雪子)
* * *
原作も
直木賞、映画も
日本アカデミー賞を数々の部門でとったこの映画なれど・・・、私はいただけなかったなあ。なんだか狙いすぎの感もあり、全然感動できなかった。
一番の問題は、この健さんのキャラに賛同出来るかどうかだったと思う。私は・・・ダメだった。過去のスタイルにこだわりすぎて新しいものに挑めないというのは、私の価値観ではNG。たしかに国鉄時代のその職業はある種のステイタスがあった。当時は親子代々国鉄って人も多く、国鉄で働く人は、みんな国鉄を愛していた。誇りがあった。
『海峡』で描かれた国鉄の男たちは、日本中に鉄道を敷くことに誇りをもって生きていた。それは分るのだけど、だからこそ、想い入れあるものを捨てられるだけの勇気もほしかった。それを捨てるべきものとして描いたらどれだけ納得できたことか・・・。
しかしそれでも、
木村大作の撮る雪景色バックの健さんはいい。
そして木村大作が撮る汽車の望遠はやっぱり心が躍る!
<あらすじ>
以前は炭鉱の町としてにぎわった北海道の幌舞線の終着駅幌舞。の駅長・佐藤乙松(
高倉健)は、鉄道員(ぽっぽや)一筋に人生を送ってきた男だ。幼い一人娘を亡くした日も、愛する妻(大竹しのぶ)を亡くした日も、彼はずっと駅に立ち続けてきた。だが、その幌舞線も今度の春で廃線になることが決まっていた。
そんな佐藤の前に、ひとりの幼女が現れる。正月の帰省で都会からやってきた子供らしい。その少女に死んだ一人娘・雪子の面影を重ねていた。その夜、昼間の少女が忘れていった人形を取りに来たと言って中学生の姉が駅舎を訪れた。佐藤は彼女をやさしくもてなすが、、彼女もまた人形を忘れて帰ってしまう。翌日、またしてもふたりの少女の姉と名乗る高校生(
広末涼子)がやってきた。17歳の彼女は鉄道が好きらしく、佐藤の話を聞いたりして楽しい時間を過ごした。だが、実は彼女は17年前に死んだ乙松の子供・雪子だったのである。彼女は、自分が成長する姿を父親に見せるために現れてくれたのだ。
翌朝、すっかり冷たくなった佐藤の亡骸が、幌舞駅のホームで発見された。国鉄と共に生きた男の一生であった。