監督:ラッセ・ハルストレム
脚本:マーク・スプラッグ、ヴァージニア・コラス・スプラッグ
撮影:オリヴァー・ステイプルトン
音楽:デボラ・ルーリー
出演:
ロバート・レッドフォード (アイナー)
ジェニファー・ロペス (ジーン)
ベッカ・ガードナー (グリフ)
モーガン・フリーマン (ミッチ)
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『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の
ラッセ・ハルストレム。この人、田舎を撮らせたら上手いなあ。スウェーデンの田舎も上手いけど、ワイオミングの田舎も上手いなあ。
ロバート・レッドフォード自身が監督やってもこれはなかなかいい作品だと思うが、きっとラッセ・ハルストレムがやったほうがもっと自然だろうなあ。この人の見せ方は、演出してないのにふりして、じわ~~~~~~~としみてくる演出。上手いなあって感心してしまう。
同棲相手に暴力をふるわれ、家をでるジーン(
ジェニファー・ロペス)と娘のグリフ(
ベッカ・ガードナー)。行く宛てのないジーンは最後の場所として亡くなった夫の父親アイナーの住むワイオミングの実家に向かう。
「何しにきた?」とつめたく迎えるアイナー(
ロバート・レッドフォード)。
「来たくて来たわけじゃないわ」とジーン。
ジーンは以前、居眠り運転で事故を引き起こし、隣にいた夫を死なせてしまった。そのことが許せないアイナーは、ジーンと娘(アイナーにとっては孫)に冷たくあたってしまう。
そんなアイナーの隣人のミッチ(
モーガン・フリーマン)は熊に襲われて歩けない状態。そんなミッチを世話するのは、ミッチが熊に襲われていた時、酔って何も出来なかった責任からだった。そしてその熊が町の自衛団に捕獲され、動物園に入れられた。
それぞれが心の中に後悔するなにかを持ち、罪の意識を感じながら生きている。ミッチは、死んだらそんな罪の意識は消えるという。つまり、生きている間は持ち続けるしかない・・・ということらしい。ミッチは熊を許し、アイナーに、その熊を檻から出して森に返してやってくれと頼む。この物語は、不幸を誰かのせいにするこを辞め、それを身の上に起きたイベントとして受け入れ、そこから先に人生をつむいでいくことを語っている。
その不幸を誰かのせいにして、その誰かを責めている間は、人は前に進めない。その誰かを責めることに仕手人生に立ち止まっている。それは<おしまいの人>の人生。「アンフィニッシュト・ライフ」というのは、そこで<おしまいにしない人生>のこと。
いい映画をみせていただきました。