西澤 晋 の 映画日記

ssm2438.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2010年 08月 03日

ファイブ・イージー・ピーセス(1970) ☆☆☆☆

ファイブ・イージー・ピーセス(1970) ☆☆☆☆_f0009381_23414172.jpg監督:ボブ・ラフェルソン
脚本:エイドリアン・ジョイス
撮影:ラズロ・コヴァックス
音楽:タミー・ウィネット

出演:
ジャック・ニコルソン (ボビー)
カレン・ブラック (レイ)

       *        *        *

ボブ・ラフェルソンの描く主人公って共感できないのだけど、まかり間違えば自分もそうなってたかもしれないという臨場感がある。不思議な部分を映画にしてくれる監督さんだ。

それは先の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』もそうだった。この『ファイブ・イージー・ピーセス』も同じジャック・ニコルソンで映画を撮ったのだが、主人公にはまったく共感できない。でも、判るのである。結局自分の人格はどこか自分で演じている部分がある。というかその部分がおおい。「もうこういう生き方をするんだぞ!」ってその法則性にもとづいていつのまにか行動なり発言をしている。しかし、その反面、「そうしないでおく」って決めた、ひめたる部分がある。それは表面的な人格としては出て来ない。しかし確かに水面下にある。それが本当の自分であるとはまったく言わない。が、「こういう部分も自分の中にはあるが、出してはいけないな」って思う部分なので封じ込めているといったほうがいいだろう。ボブ・ラフェルソンはそういう部分を映画に出来る人なのだよね。
そんなわけで、この人の作る映画はどれも面白くはないのだけど、でも監督としてはとても魅力のある人である。
1970年のNY批評家協会賞では作品賞監督賞(ボブ・ラフェルソン)、そして助演女優賞(カレン・ブラック)を獲得している。さすが見る眼が渋いNY批評家協会賞。ちなみにこの年のアカデミー賞は『パットン大戦車軍団』であった。

この映画の主人公のボビーは、はっきりって煮え切らない奴です。裕福な家に生まれ、家族は音楽家で、本人もピアニストとしての才能に恵まれていた。しかし、彼はそれを捨ててそのヒグラシの肉体労働者として生きる生活を選んでいた。
実はひねくれもとというよりも、甘えん坊です。彼が望んでいるのは完全なる愛され方。彼を愛してくれる人は周りにいるのだけど、どれも彼が思う完全な愛され方ではないのでしょう。だから結局捨ててしまう。
もしかしたらとても女性的な精神構造なのかもしれない。男というのは愛するために生まれてきてるし、女というのは愛されるために生まれてきてる。生物学的にはそういうコンセプトが根底にうめこまれている。しかし、このボビーは愛することよりも、愛されることのほうがとても重要なのである。
たしかに子供にとっては愛されることが重要だった。しかし、大人になっていくと愛する力と勇気も必要になってくる。かれは・・・・大人になってもずっと愛されることが重要だった人間なのだろうと思う。それも完ぺき主義者で、完全なる愛され方を永遠に追求しつづけて、寂しく独りでいるしかない男。
究極の甘えん坊、それがこの映画の主人公、ボビーなのだ。

撮影は『未知との遭遇』ラズロ・コヴァックス。実はこの人の画面もさりげなく好きなのであった。。。

<あらすじ>
ボビー(ジャック・ニコルソン)は、カリフォルニア南部の石油採掘現場で働く日雇い労働者。レイ(カレン・ブラック)というウェイトレスと同棲しているが結婚の約束をしているわけでもない。何に対しても積極的な姿勢を示さず、適当に拾った女といいかげんに遊んだり、仕事も適当に、といった怠惰な毎日を送っている。
ある日、クラシック・ピアニストである姉を訪ねると、父が卒中で倒れたから見舞いに家に帰ってきてほしいと告げる。家に帰って荷物をまとめていると、棄てられると思ったのかレイが泣き出した。ボビーはレイも連れていくことにする。
近くのモーテルにレイを下ろし、ボビーは1人で家に向かう。ボビーの家は裕福な音楽一家だった。ボビーは暖かく迎えられた。兄の妻キャサリン(スーザン・アンスパック)は、音楽的にも家庭的にも理想的な環境に恵まれ、さらにピアニストとして豊かな才能がありながら、定職をもたず怠惰な生活をしているボビーが理解できないと言うが、二人は数日過ごしているうちに肉体関係をもってしまう。ボビーにしてみれば、彼女こそが自分を理解してくれる可能性を感じた女だった。精神病院みたいなこの家から逃げ出そうというボビーに、「仕事にも自分にも、何に対しても尊敬も愛も持てないあなたが、私に愛を求める資格はないでしょう」と答えるキャサリン。
そのうち、1週間ほおっておかれたレイがやってくる。レイは下品な女だったが、それを隠すことさえしないおおらかさをもっていた。上品な家族たちは異物感のある彼女を普通に歓待する。そんな家族の態度にもなにかうそ臭いものを感じるボビー。
ボビーは何も喋れず、車椅子の生活を続ける父を散歩に連れ出す。海を見下ろしながら、ボビーは
「僕は本物を求めて何かを探しているんじゃない。ただ、僕がいるだけでそこが悪くなってくる。悪くなるものから逃げ出すだけなんだ。僕がいなくなると万事うまくいくんだろう」 と涙をまじえて父に話しかけた。

ボビーはまた家を出る。レイもついてくる。そんなレイも途中でおきざりにしてひとりでさっていくボビーであった。

by ssm2438 | 2010-08-03 23:44


<< ジュラシック・パーク III(...      郵便配達は二度ベルを鳴らす(1... >>