監督:石井隆
脚本:石井隆
撮影:佐々木原保志/寺田緑郎
音楽:安川午朗
出演:喜多嶋舞 (土屋名美)
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才能のない人が映画を作るというどうしようもなさ・・。
エロをアトラクションモノとしてせいか撮れないのは困ったものだ。
たとえば、やはりの歌にしてもしんみり心を歌いこんだ歌はいいものだ。その反対にテーマパークモノのうた、たとえば昔いたピンクレディものなどはカラオケソングにはいいかもしれないがこころにのこらない。この映画は、すべてがテーマパークであり、アトラクション・ムービーなのだ。で、ここで何が問題かといと、アトラクションムービーというのは、あくまで作り手がショーアップしたもの、その映画の向こうに作り手が見えてしまうのである。これが興ざめのおおいなる元凶である。
やっぱりエロというのは、陰湿なシチュエーションがあってのことで、それはたとえ誰かの手によってつくられた架空のものがたちだったとしても映画としてみている以上、脳は事実として理解したいと思っていいるのだけど、そのショーアップされた作成が興ざめお促してしまう。
どっかのアイドルをつかったお祭りえいがならそれはそれで納得できるのだけど、やっぱりエロを基本とした映画はきちんと作ってほしいものだ。
この映画のように現実のリアリティとかけ離れたセットだけの空間で、ごまかすための照明だけをいれまくってつくった画面では、お子様の学芸会レベルtの映像哲学としかいえない。小手先だけでごまかすのもいい加減にしてほしいものだ。
とはいえ、
喜多嶋舞の体はエッチでよいです。もっといい映画にとれるスタッフと一緒に仕事できたらよかったのになあ。杉本彩どうよう勿体ない使われ方をしてしまったな・・という印象だ。
ただ、
石井隆の脚本でつくられた
『沙耶のいる透視図』はすきなのである。
大いに奮起を促したい!