
監督:ドゥシャン・マカヴェイエフ
脚本:ドゥシャン・マカヴェイエフ
撮影:ペガ・ポポヴィッチ/アレクサンダル・ペトコヴィッチ
音楽:ボヤナ・マカヴェイエフ
出演:
ミナレ・トラビッチ (ミレーナ)
ヤゴダ・カロペル (ウラジミール・イルイッチ)
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ドゥシャン・マカヴェイエフは『コカコーラ・キッド』しかないのか・・と思った。
まるで、
ウディ・アレンのダメなモキュメンタリーものを見ているような感じだった。
タイトルの「WR」は
ウィルヘルム・ライヒのこと。映画は、「性の革命」を説き、ドイツ共産党を追われアメリカで獄死したオーストリア生まれの異端の思想家ウィルヘルム・ライヒに関する世界を、ドキュメンタリーを挿入しつつ(ほとんどとっかかりだけだったが)、物語としてのフィクション(ストーリー)の部分では大胆な性表現とブラック・ユーモアをまじえ、体制主義への諷刺している。
・・・しかし、私思うに、体制批判をおおっぴらに語る人ほど、自分が自分を管理しなくてはなくなると何も出来ない。さらに思うのだが、消費者魂の人が管理批判をすると、結局アナーキズムにいってしまう。自己管理が出来るか出来ないかは、自己の中に生産性が在るか否かによって決まるのかもしれない。すくなくともドゥシャン・マカヴェイエフには、演出家としての才能はあっても、それはなさそう。
なのである程度管理下におかれたハリウッドで仕事したときは
『コカコーラ・キッド』みたいな出来も良い、しかも本人の主張もきちんとはいっている作品になるのだけど、そうでない時につくった映画というのはどれもただのゲテモノ映画でしかない。映像センスがとびきりすごいのに、その才能の無駄遣いぶりは残念でしかたがない。
個人的にはこの映画で唯一感動したのチン型を取るときにお姉ーちゃんがおちんちんをヘルス嬢のごとく愛撫してくれるシーンがあるのだが、ここで「モルダウ」がBGMで使われている。これはよかった。自己管理できないドゥシャン・マカヴェイエフであるが、演出のセンスと絵作りのセンスだけはとてもよいのである(ただ、本作では、画面のセンスのよさはあまり出ていないのだけど・・)。
あと・・最後はやっぱり死人が目覚める。これは
『スウィート・ムービー』でもそうなのだが、殺しても最後はおちゃらけてしまうマカヴェイエフのいつもの手段である。