西澤 晋 の 映画日記

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2011年 04月 04日

フランケンシュタイン(1994) ☆☆

f0009381_13555011.jpg監督:ケネス・ブラナー
脚本:スティーヴン・レディ/フランク・ダラボン
撮影:ロジャー・プラット
音楽:パトリック・ドイル

出演:
ロバート・デ・ニーロ (人造人間)
ケネス・ブラナー(ヴィクター・フランケンシュタイン)
ヘレナ・ボナム=カーター (エリザベス)

       *        *        *

このころやたらとゴシックホラーを映画化してたフランシス・フォード・コッポラが、『ドラキュラ』につづいてつくったのがこの『フランケンシュタイン』。フランケンシュタインの怪物にロバート・デ・ニーロをつれてきて、、監督にシェークスピの舞台で名をはせた世間では天才といわれているケネス・ブラナーに託してつくったこの映画。でも私とは相性が悪いらしく、この人の作るものがちっても面白とは思えない。理由もなくただ感性があわない映画を作る人の場合は、ホントに才能がないか、その人がゲイの場合がおおい。なんとなくそれを感じつつ観た『愛と死の間で』それを実感した。この人は絶対ゲイだ! この映画でも意味なく服を脱ぎたがる。ゲイの特性のひとつである。
(詳しくは『愛と死の間で』のレビューで)

フランシス・フォード・コッポラがめざした方向性は、それまでのイメージの基本となる恐怖映画というのではなく、もっと人間味のある映画。ホラー映画ではないのです。フランケンシュタイン博士につくられてしまった名前もない人造人間の悲哀と、それを作ってしまった博士に悲劇。嫁さんの悲劇が一番の悲劇かもしれない。
f0009381_13564160.jpg一番インパクトあるのはその造形だろう。我々がすぐ思い浮かべるのはこの造形だろう(右)。しかし今回のロバート・デ・ニーロが演じたその人造人間はもっと人間なのだ。身体も大きくなく、ただロバート・デ・ニーロの顔に縫い目をつけただけのようなリアリティ。この造形だけで、「われわれはホラーをやろうとしてるんじゃないんだよ」とアピールしている(でも、私はやっぱり昔のフランケンシュタインの怪物のほうが好きだ)。
物語の展開や人工生命への執着心、それを成すまでの行程はけっこうしっかり描けている。自分のアイデアではなく、先にしれを研究していた某博士の研究結果に基づいてそれを行うあたり、なかなか姑息で良い。さらに最後は恋人エリザベスまで巻き込んだどろどろ劇はなかなか見ごたえがあり、スペクタクルや、オカルトとしてではなく、人間ドラマとして作られている愛憎劇として、原作のスピリットをしっかり描いている。

実はメアリー・シェリーの掻いたこの原作は読んだことがある。回想シーンから始まり、その回想シーンのなかにさらに回想シーンがあるという、構成的にはどうなん??と思う幼稚な構成で、行き当たりばったりで書いたような小説なのだが、面白いことは面白い。ただ・・・私個人としては思想的にあまり好きではない。とどのつまり、「与えられ方が気に入らないから、けしからん!」映画なのだ。甘えん坊思想の映画なのだ。自分が与える側にたつことのない、タイプの人間の思想の映画なのだ。そこが相容れない。

ちなみにその時代は、私の嫌いな松平定信は『寛政の改革』を行っていた頃のヨーロッパの話。日本では平賀源内さんがエレキテルを発明してたころ。

<あらすじ>
帆船で北極点を目指していた船長ウォルトン(アイダン・クイン)は、嵐の海で漂流するヴィクター・フランケンシュタイン(ケネス・ブラナー)博士を助けた。彼はそこまであらすじを語り始める。
何不自由ない生活をしていたヴィクターは、弟の出産の時に母親を失なった悲しみから、<死なない生命>の構築をめざし科学の道に進む。生命創造の研究に没頭する彼は危険思想として糾弾されたが、彼と同じく異端視されてきたウォルドマン教授に弟子入りする。街にはコレラが蔓延しており、教授も医者として診察に当たっていたが、治療に来た一本足の男(ロバート・デ・ニーロ)と口論となり、教授は刺殺される。ヴィクターは教授の残したノートを手掛かりに生命創造の実験にとりかかる。絞首刑に処せられた犯罪者の片足手に入れ、ほかの死体から切断した足と繋ぎ合わせ、稲妻を利用した電気ショックを与える。すると死体が動き始める。ヴィクターは実験が成功するや事の重大さに気づくが、結果的に彼を見捨てて逃げ出してしまう。
彼の元から逃亡した人造人間はその醜い姿ゆえ村人たちから追われ号泣する。言葉を覚えた彼は、コートにあったヴィクターのノートを読み、自分の出生の秘密を知る。
一方ヴィクターはエリザベスとの結婚の準備に忙しかった。そんな時弟ウィリアムが死体となって発見される。ヴィクターの幼なじみのジャスティスが犯人扱いされ、絞首刑に処せられた。その時、あの人造人間がヴィクターの前に現れる。彼は、自分の創造主たるヴィクターに「なぜ見捨てたのか」と問う。そして伴侶を作るよう要求した。不承不承要求を呑むヴィクター。
しかしヴィクターは事の次第をエリザベスに話し、その人造人間を抹殺する決意をするにいたるが、そのエリザベスも人造人間に殺されてしまう。悲嘆にくれるヴィクターに、人造人間は「約束だ」と迫り伴侶となる人造人間を作らされる。エリザベスの首とジャスティンの胴体を繋ぎ合わせた生命を生み出した。人造人間は伴侶の誕生を喜ぶが、彼女は自身の醜い傷痕を恥じて炎に身を投じ自殺する。

このあたりにくると、感情と行動の整合性があまりなく、かなり物語の本位で物語が展開するのだが、やっていることはどろどろして素敵だ。実は『フランケンシュタインの花嫁』という映画でこの話は既に作られていて、それも素晴らしい出来であり、この映画でもきちんとこのどろどろシーンをやってくれたのは嬉しい限りだ。

数年後、ヴィクターは自ら作った人造人間を追って北極海まできたという。語り終えたヴィクターが静かに息を引き取ると、いつしかウォルトンの前にあの人造人間が現れていた。彼は『父』の死に涙を流した。彼はヴィクターの遺骸を乗せた流氷に飛び乗ってそれに火をつけ、霧の彼方へと消えていった。

by ssm2438 | 2011-04-04 14:02


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