西澤 晋 の 映画日記

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2011年 12月 19日

ゼロの焦点(2009) ☆☆

f0009381_0233332.jpg監督:犬童一心
原作:松本清張
脚本:犬童一心/中園健司
撮影:蔦井孝洋
音楽:上野耕路

出演:
広末涼子 (鵜原禎子)
中谷美紀 (室田佐知子)
木村多江 (田沼久子)
西島秀俊 (鵜原憲一)

       *        *        *

そのCG、糞おおおおおおおお!!!!!

前半中盤までは普通の出来だったのだけど、事件の真相が語られるところから一気に失速。日本海を行く記者の窓に低級なCGの海が張り込まれてからの、その後語られる糞CGの断崖のシーンは近年まれに見る全部ぶち壊しの悲しい出来。なんで一番たいせつなところを、糞CGの波なんかで描くかなあ。そこは何日待とうが、日本海の荒波が撮れるまでホントの日本海の荒波を撮って、そこで芝居するべきだろう。
あそこから一気に気抜けして、それで終わるのかなって思ったらそこから長い長い。。。あのあたり、まだ順番変えてたらもうちょっと良かったのかも・・・。

原作の松本清張は、戦後の日本の天才小説家でしょう。『影の車』(1970)、『砂の器』(1974)、『鬼畜』(1978)、『疑惑』(1982)、『天城越え』(1983)あたりは、松本清張の魅力をかなり映画に移し変えることに成功した映画です。それまでのサスペンス物ではなく、犯罪を起こしてしまう人の追いつめられた心理描写が素晴らしく、そのシーンを直接描かずに、そのシーンを想像させながら物語を進めていく、物語の展開力は図抜けています。この人の原作を生かすも殺すも、この間接描写にどれだけリアリティをもたせられるかが総てといっていいでしょう。

今回の映画は、1961年に作られた『ゼロの焦点』とくらべると、かなり万人に解りやすく作られてました。犬童一心の描き方はかなり直接的なので、松本清張の作品というよりも、そのへんにころがってる土曜ワイド劇場的な展開になってるといって過言ではないでしょう。昔の映画というのは、万人にわからせる必要をプライオリティにはしておらず、そこにいたる過程は見ている人の想像力にゆだねてる部分がかなりあります。しかしこの映画では、必要以上に詮索させるところや、夢を壊してしまう部分は削ってありました。ただ、入れなくてもいいエピソードもあり、レンガ造りの社長さんの暴君ぶりや、最後の自殺はまったく必要なかったでしょう。さらに最後のほうの中谷美紀の選挙本部でのスピーチシーンからの流れなどは、いかにも今風のよくある展開で、亜流感がひしひしと感じられて、感動すべきなのに妙にしらけたままエンディングに至ってしまいました。
嘗て60年から70年にかけて野村芳太郎監督で作られていた松本清張作品の質にくらべると、あまりにも演出コンセプトが幼稚になってしまったのが残念。

松本清張原作の物語は、普通にきちんと作ればかなり面白いものになるように出来ているし、この物語に関して言えば、昭和につくられた『ゼロの焦点』自体があまり良い出来でもなかったので、越えられる可能性は充分にあったのに・・・・、それでもこんなになっちゃいますか・・・。

<あらすじ>
そろそろ戦争の傷が癒えかけた日本。金沢と東京を行き来する鵜原憲一(西島秀俊)と結婚した禎子(広末涼子)は、その一週間後、仕事の引継ぎのため金沢に向った憲一を駅で見送る。しかし、憲一は予定の日を過ぎても帰ってこなかった。失踪の理由もさっぱり見当がつかない禎子は、単身金沢へ向かう。
そして連続殺人事件。どういうわけか金沢にきていた憲一の兄、鵜原宗太郎(杉本哲太)が青酸カリのウィスキーを飲まされて毒殺され、現地に残って憲一の失踪事件を背景を調べていた金沢支店の本多(野間口徹)も背中を刺されて殺される。さらに、憲一は曽根益三郎と名乗り、田沼久子(木村多江)という女と同棲していたことが判明、さらに憲一は東京に戻るといったその日に自殺していた。
夫の憲一と久子の接点は戦後から3年した憲一の立川勤務の警官時代にあった。米軍基地が近くにある立川ではパンパンとよばれる外国人相手の日本人娼婦がいた。田沼久子はパンパンだったのだ。そして彼女の女友達に今の室田耐火煉瓦会社で社長夫人・室田佐知子(中谷美紀)がいた。
総ての不幸は、佐知子夫人の過去を知る鵜原憲一と田沼久子が室田佐知子が出会ったことから始まったのだ・・。既に地位を手に入れていた佐知子にとって、それは暴かれてはいけない過去だった・・・。

by ssm2438 | 2011-12-19 00:27 | 松本清張(1909)


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