西澤 晋 の 映画日記

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2012年 02月 04日

ラルジャン(1983) ☆☆☆

ラルジャン(1983) ☆☆☆_f0009381_14223996.jpg原題:L' ARGENT

監督:ロベール・ブレッソン
原作:L・N・トルストイ
脚本:ロベール・ブレッソン
撮影:エマニュエル・マシュエル
   パスクァリーノ・デ・サンティス

出演:
クリスチャン・パティ (イヴォン)
カロリーヌ・ラング (妻エリーズ)

     ×   ×   ×

コストパフォーマンス最大級の演出映画。

この映画は、当時公開されたときに見逃した映画のひとつで、公開からほとんど30年たとうかという昨日、早稲田松竹で見ることが出来た。当時、「素晴らしい」という人と「つまらない」という人の賛否両論あった映画で、私自身は、玄人好みする映画が好きなので、おそらくみたら面白いと感じるのだろうが、話自体に生産性がなさそうだったパスしたのだ。しかし、長年気にはなっていた作品であり、このたび早稲田松竹さんがロベールブレッソン週間を組んでくれたことで、見ることが出来た。こういう映画館は貴重である!

このロベール・ブレッソンという監督、彼を一言で表現するなら、「演出道を極める修行者」だろう。

撮影監督の中には、人工照明やら、フィルターやら、画面分割やらという小細工をやたら使って画面をつくる人もいるが、可能な限りそういったものはつかわず、自然の色だけで画面をつくろうとする撮影監督さんがいる。『天国の日々』のネストール・アルメンドロスがその人だ。
この映画のロベール・ブレッソンは演出という分野において、同じような方向性で物語とつむいでいく玄人好みの監督さんといって良いだろう。かっこつけるだけの演出など一切しない。才能のない人が多用するクイックTBやクイックTUも一切しない。状況説明のためのPANすらない。BGMもない。変化つけるだけの糞口角レンズや、糞手ブレハンディカメラなども一切使わない。ほとんどがFIX(カメラ固定)の画面であり、ときおり必要におおじてカメラを振っているくらいだ。可能な限りの最低限度の情報提供だけでドラマをつくっていく。
その昔、『抵抗』という映画をとっていた。すこぶるストイックな映画で感情的にならずに淡々とそれぞれのシーンを積み重ねていくだけなのだが、見終わってみるとそのリアリティが、妙にこころに染み込んでいるのである。

FIX画面といえば、小津安二郎を思い出すひともおおいだろう。ブレッソンもFIXが多い監督さんだが、小津ほどカメラをふることを嫌っているわけではなく、必要であれば、役者の動きに合わせてカメラを振っていく。そのあたりは多少柔軟だろう。しかし、基本はFIXであり、小津よりも若干画角が狭いレンズを使っていると思われる。

そして、この映画においては「音」の使い方がすばらしい。この映画においてはBMGが使われていない。BGMがない作品というのは演出する側にはかなりしんどい。それがあれば、「ロッキーのテーマ」でも、「ニューシネマ・パラダイス愛のテーマ」でも、『ゴッドファーザー、愛のテーマ」でも流せておけば、見ている人はそれだけで、気持ちがハイになったり、感動したり、みょうにしんみりしたりするものだが、それがこの映画にはないのである。
ウディ・アレン『インテリア』でもBGMを使わないという意図で作られたが、よほど演出力がない人でないと、一般の観客に、そのまま映画を見続けさせることは困難である。『インテリア』の場合は、ゴードン・ウィリスの画面と、ウディ・アレンのシナリオがものをいって緊張感を保っていたが、本作では、環境音を効果的に扱うことでそれをこなしていた。
それまで物静かだった空間が、ドアをあけると急に外部の騒音が入ってくる。
地下鉄の階段を下りていく男達がみえなくなってもカメラは回りづづけ、遠くで列車の発射音がきこえてくる。
ドアの下だけを撮った画面で、足音がひびき、明かりがちかづいてくる。
・・など、音で想像させる演出が多用されている。演出においての最大のポイントは「見せないで魅せる」ことだと、私が主催する演出講座ではよく言っているだが、そのお手本のような演出である。

話は、トルストイの原作を基にしているようだが、ほとんどブレッソンの焼き回しであろう。物語自体も、一人の主人公に感情移入して描くようなエンタメ映画ではなく、一つの理不尽な出来事が、どんどん理不尽さをうみ、その理不尽さを被った主人公が、社会に対してやり返すという話。まさに拡大する理不尽さのデス・スパイラルである。なので、面白くはない。エンタメ映画ファンは避けて通ったほうがいいだろう。しかし、ドラマ産業にかかわる人がみれば、ついついみてしまう話であろう。

<あらすじ>
パリの高校生が友達に借りた借金を返すために、ある写真屋で偽札を使いお釣りの分だけ利益を獲得した。偽札をつかまされたと後に気づいた店の主人だが、そこに着た燃料配給職員のイヴォン(クリスチャン・パティ)に、代金としてその偽札を渡してしまう。そんなこととは知らないイヴォンは食事をとるためにカフェでその札を出してしまうのだが、そこで偽札と見破られてしまう。そこからイヴォンの人生は地獄へと転がり始める。
先の写真屋さんに行けば、「そんな奴は知らない」と嘘をつかれ、執行猶予付きの有罪。会社はクビになる。じ
銀行強盗に加わり再び逮捕され、3年の宣告で獄に入れられてしまう。外の世界にのこしてきた子供は病気のために死に、妻は新しい人生を始めると、彼から去っていった。絶望したイヴォンは自殺を試みたが、なんとか一命を取り留めた。そのころ、偽札の件で偽証をした当時の店の店員が入所してくる。彼は脱獄を計画してた。「お前はオレに借りがある」と、脱獄計画に参加することを強要。しかしいざその時になると、同室の聖人囚人に説き伏せられ脱獄は中止。しかし、あの男は脱出したようだった。
つねに自分だけが損なくじをひくイヴォン。

刑務所を出たイヴォンは、世の中に復讐を誓い、夜泊ったホテルの主人と妻を殺し金を奪った。町でふと目のあった老婦人の後をつけ、婦人の世話をうけるイヴォン。殺人を告白するイヴォンに驚きの表情一つ見せない婦人。彼女は家族の面倒を一手に引き受け一人で働いている。夜、一家を次々に惨殺したイヴォンは、斧を手に婦人の室に入った。
その後カフェにはいって酒を一杯飲むイヴォン。彼は居あわせた警察官達にホテルの殺人と今までの犯行を自白するのだった。

by ssm2438 | 2012-02-04 14:24


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