西澤 晋 の 映画日記

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2012年 03月 03日

球形の荒野(1975) ☆

球形の荒野(1975) ☆_f0009381_116124.jpg監督:貞永方久
脚本:貞永方久・星川清司
撮影:坂本典隆
音楽:佐藤勝

出演:
島田陽子 (野上久美子)
竹脇無我 (添田彰一)
芦田伸介 (野上顕一郎)
乙羽信子 (野上孝子)
山形勲 (滝良精)
岡田英次 (村尾芳正)
藤岡琢也 (伊東忠介)
笠智衆 (福竜寺住職)
大滝秀治 (岡野)

     ×   ×   ×

すごいぞオレ、大人になってる!!

二十歳のころこれを見て、ちっとも面白くなかったのに、いまみたら面白い。
ただ、いただけないところはかなりあるので、若い頃の価値観はそれはそれで正しいと思う。

最後のシーンの音楽と撮り方がかなりぼろぼろなので、できれば他のモノもみてみたい。
しかし、前半の盛り上げ方は非常に面白い。おそらく、原作を読んだらわくわくするのではないだろうか。
もう一度作り直して欲しい素材ですね。映画的には構成で失敗してて音楽でも失敗してて、本来一本の映画としてみると☆ゼロで充分なのだけど、それでも「原作の心理描写恐ろしくおもしろいはず!」って思わせてくれるので☆ひとつおまけ。


まず、なぜ面白くなかったのか?>殺人がなかなか起きない!

この映画の失敗は、ひとことでいって構成の失敗だろう。松本清張ものなら、まず物語の初めに誰かの死体が発見されてから、その謎解きに流れるのが普通だが、この映画ではその殺人が起きない。なのでなにをモチベーションに物語を見て言ったら良いのか予測が出来ない。与えられる情報を延々つみかさねていくドラマなので、見ている側はひたすら受身になってしまう。思えばサスペンスもので、最初に死体が発見されれば否が応でも「その犯人は誰だ?」って興味をもってみてしまう。それが物語りを見続けるモチベーションになるということなのだろう。
しかし、この映画ではそれがない。その代わりに、既に死んだはずの父と同じ書体を主人公の久美子が発見するところからなぞが展開する。この展開は悪くないし、さらに説得力もあった。
父が好きだったという仏閣を回る久美子。その台帳に父と同じ書体の名前をみつける。普通は、そんな父親の書いた字だからってすぐそれが判るわけがない!と思うのだけどそこは松本清張、ぬかりがない。久美子とその父は、中国の○○という人の字をもとに書の練習をしていたので、その書体を見るとびびっときたのである。もしかしたら父がいきているのかもしれない・・・。その疑念がわいたところから、物語は転がり始める。
ところが、父がいきていたからといって何が問題なのか・・??というところが分からないまま物語が語られるので見ている観客としてはやはり心がちゅうぶりのままなのだ。

しかし見ていると、これは殺人事件が起きるようなサスペンスではなく、親子のドラマの話だったと気づいてくる。ただ、これも、この映画でそうしているだけであって、もしかしたら原作はきちんとサスペンスしながらそれをかたっているのかもしれない。ま、どちらにしても捕らえづらい映画ではあった。

画面はまずまず良い。特に前半の画面はいいのである。
だめなのは最後の親子が対面するところだけで・・・、もっともそこで一番感動させなければいけないところで、だっさい音楽延々ながされるので興ざめするのだけど、でも、物語はとてもいい。ホントに別の音楽監督と作曲家がこの映画にからんでいたらかなり傑作になったと思う。

<あらすじ>
昭和19年、日本の敗戦がのうこうとなっていたある日、スイスで戦争終結のための根回しをしていた外交官・野上顕一郎が死んだ。
それから16年後、野上の娘・久美子(島田陽子)が、父との思い出の場所、奈良・唐招提寺を訪れた時、その芳名帳に父に似た筆跡の「田上孝一」という名前を目にする。そして別の寺でも同じ筆跡をみた。その翌日、婚約者の添田彰一(竹脇無我)と合流した久美子は、再びその筆跡を確かめるために、昨日まわった寺を訪れるのだが、田上孝一の名前があったページだけが破かれている。
父、野上顕一郎は生きているのかもしれない・・・、添田は野上の過去の人間関係を調べてみる。

第二次大戦末期、サイパンが陥落した頃、日本の敗北は覆しようのないものになっていた。そんななか日本の内部では無謀にも本土決戦・民族総玉砕をめざし勢力と、余力を残した降伏の道を模索し勢力に分かれていた。日本をぼろぼろの敗戦へと導かないために、野上顕一郎は死亡したことにして身を隠し、早期降伏の段取りを模索していたのである。しかし、軍部にとって彼等の行為は売国奴であった。
やがて戦争は終結。16年の時が経ち、フランス国籍を入手した野上(芦田伸介)は日本を訪れた。そして懐かしい風景を回る位置に芳名帳に記帳してしまったのである。やがて、野上や、その仲間をを許せない伊東(藤岡琢也)は野上の同僚だった門田を殺した。しかし、その伊東もまた、闇のちからによって葬られる。
日本滞在の最後の日、野上は昔久美子といった海岸にきていた。そのころ歌った「ななつのこ」の唄をきちずさむ野上。ふりむくとそこには久美子が立っていた。


殺人事件ベースの話だとおもっていたらなかなかそういう方向で物語が展開せず、このドラマをどうとらえたらいいのか分らない状態に陥る。思念で野上をを追う伊東という男が、野上の同僚を殺すが、その伊東という男も、組織のものによって殺される。殺人事件はこのふたつだけで、警察が動いて謎解きに発展することもない。
おとーちゃん失踪の影にはとてつもない人脈のうねりがあったのだよってことだけは分るのだが、それと父と娘の再会の話とがうまくリンクしないまま物語が展開するので、全体的にみるととらえどころの無い作品になっているのは否めない。ムードはいいのだが、まとめからは弱かった。。。
しかし・・・、原作は相当おもしろそうである。ちょっと古本を買って読んでみようという気になる。

       *        *        *

原作読んでみての感想。
原作おもしろい。なんであの燃える話がこんなにまで糞になるんだ。とにかく構成がひどすぎる。
原作では、主人公たちが死んだはずの野上賢一郎と同じ筆跡の文字をみたことから疑問が膨張していき、それを追うかたちで読み進めたい衝動にどんどん駆られていく。そして最初の殺人事件。
しかし、殺されるのはこの映画で野上の殺害を企てて言た伊東という男。ここで物語のスケールが全然違う。映画では野上を許せんとおもっていた伊東を脅威として描かれていたが、原作ではそんな伊東が邪魔であるとおもったさらに大きな存在がこれを殺してしまう。そしてそのさらに大きな存在を暴いていくことがこの物語の面白さになっているのだが・・・。

申し訳ないけどこの監督さんは才能なさ過ぎ!
ヒドイ!

by ssm2438 | 2012-03-03 01:16 | 松本清張(1909)


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