西澤 晋 の 映画日記

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2012年 03月 29日

鑓の権三(1986) ☆☆☆☆☆

鑓の権三(1986) ☆☆☆☆☆_f0009381_12503788.jpg監督:篠田正浩
原作:近松門左衛門・『鑓の権三重帷子』
脚色:富岡多恵子
撮影:宮川一夫
音楽:武満徹

出演:
岩下志麻 (市之進女房・おさゐ)
郷ひろみ (笹野権三)
火野正平 (川側伴之丞)
田中美佐子 (伴之丞妹・お雪)
津村隆 (浅香市之進)
水島かおり (市之進娘・お菊)
嶋英二 (市之進伜・虎次郎)
大滝秀治 (おさゐの父・岩木忠太兵衛)
河原崎長一郎 (おさゐの弟・甚平)

     ×   ×   ×

恐るべし、近松門左衛門。

この物語は、不義密通の疑いをかけられた権三とおさゐが逃避行の末、女仇討ちの末命を落とすというもの。1986年のベルリン映画祭銀熊賞を獲得している。

近松門左衛門の原作作品は増村保造『曽根崎心中』につづいて2本目。ひとことで言うなら全てが「潔い」のである。そこには「武士の面子」、堅持しなければならない武士のプライドという基本コンセプトがある。そして感情がどう訴えかけようが、決められたルールは守らねばならないという、武家社会の制約がある。この物語の「潔さ」というのは、感情よりも理性を重んじる美学だといっていい。
しかし、だからといって感情を否定しているものでもない。
物語というのは、「作者が訴えかけたいものを犠牲者とする」というのは基本法則である。このドラマのなかでの犠牲者は「感情」のほうである。理性に縛られている感情があばれだしたくて仕方がないのに、それを意地で封印している人間の哀れさがとても切ないのである。

監督は『瀬戸内少年野球団』『少年時代』『スパイ・ゾルゲ』篠田正浩。嘗ては大島渚吉田喜重とともに松竹ヌーベルバーグの旗手と呼ばれたが、先の二人ほどわけの分からない映画を撮る人ではなかった。世間的には評価されているのかもしれないが、個人的にはカッティングや画面構成の感性が合わない監督さんの一人である。魅せたい画面なのに説明的に撮ったり、説明でいい画面なのに、意味なくカッコいい画面になってたり・・と、気持ちのズレを感じてしまう。「なにか・・、もっといい画面が出来そうなのにその画面でいっちゃったの???」という感じがする撮り方なのだ。しかし、それをまあまあ見られる画面にしてあるので、どこかごまかされたようなきになってしまう。

撮影監督は往年の巨匠・宮川一夫。良くも悪くもスタンダード。見せるべきことをきちんと説明する画面を基本にしている。今だからこういう言い方が出来るのだろうが、「誰が見ても誤解のないような絵作り」を提供してくれる人である。しかし我々の世代からみると、映画の画面というよりも、テレビの時代劇の画面、色使いだな・・という印象がつよい。
ただ、この人が開発した「銀残し」という撮影スタイルは今でも使われている、デビット・フィンチャーの『セブン』ではこの方法が使われている。再度を落とし、白と黒のコントラストをする撮影方法である。残念ながら『鑓の権三』では使われていなかったのだが、この「銀残し」の画面はかっこいいのは確かである。

この映画をみて最初に思い浮かんだ映画は、デビット・リンチ『マルホランド・ドライブ』だった。その映画のなかでは、主人公のナオミ・ワッツの妄想が前半部で描かれ、後半で現実が描かれる構成になっている。そこの映画がすごいのは妄想部のリアリティだった。妄想というのは、自分の全部都合のいいモノにするのではなく、それなりに自虐的な設定にしながらも、自分の都合のいい展開を思い描くものなのである。
この妄想=「自虐的な設定にしながらも、自分に都合のいい展開」を現実の進行にして、見事のドラマの中に落とし込んでいるのがこの『鑓の権三』なのだ。

おそらく近松門左衛門はホモである。出なければ性同一障害者であろう。普通男がドラマを作る時には、ドラマの中に登場する男が「人間」だが、女性は「記号」になるものだ。反対に女性が書くドラマというのは、女性が「人間」になり、男性は「記号」になりがちである。感情移入がそういうように出来ているのだがそれは仕方がない。
この物語では、権三はあくまで記号なのである。そして「人間」なのは、権三と逃避行をすることになる浅香市之進の妻おさゐ(岩下志麻)であり、権三の婚約者であったお雪(田中美佐子)であり、母に旦那を奪われた娘のお菊(水島かおり)だろう。この構成をみると、間違いなく近松門左衛門はホモだ。
そしてこの物語は、ホモである近松門左衛門が切に妄想したその結果なのだだろう。

ジャニーズのようにまぶしく輝く美青年の権三。そして、彼のことを想いながらも、既に結婚している身のおさゐ。いくら妄想してもそれ以上にはならない権三とのなれあい。そかし、ささやかな誤解から不義モノの汚名をきせられ逃避行の旅に出る。
それは、傍目には理不尽で不幸な出来事だったかもしれない。しかし、おさゐにとっては至福の時間だったにちがいない。近松門左衛門は、この自虐的なシチュエーションを構築しそのなかで、自分の妄想をあますところなく愉しんみ、酔いしれたのだろう。

<あらすじ>
出雲の国、松江藩。笹野権三(郷ひろみ)は器量はよく、槍さばさのみごとさでは右に出る者もなく、「鑓の権三」と呼ばれていた。藩の女たちはみな権三に憧れをいだいていた。しかし権三には既に契りをかわした女性がいた。権三の茶道仲間の川側伴之丞の妹・お雪(田中美佐子)である。彼女は権三に契り証として、権三の家の紋章と自分の家の紋章を縫い付けた帯をプレゼントする。
そんなある日、御世継が誕生したと吉報が出雲に届けられる。国許では近隣の諸国一門を招き、茶の湯がひらかれることになった。しかし、藩を茶道を預かる浅香市之進(津村隆)は1年の江戸詰めに出ており、弟子の川側伴之丞(火野正平)、笹野権三のうち一人がその大役をつとめることになった。
権三は、茶道の師匠・浅香市之進の妻・おさゐ(岩下志麻)をたずね、師匠がもつ茶道の巻物を見せて欲しいと申し出る。その巻物は一子相伝、見せることは出来ないと断るおさゐだったが、娘のお菊(水島かおり)を嫁としてもらってもらえるのであれば息子同然、巻物をお見せしようと言う。同意する権三。

おい! そんなにあっさり合意するのかい???
そう、この物語のなかで権三は、武士のたしなみをしっかりしているものの、女性関係には執着心が乏しいキャラクターなのである。男にはこんな男は描けない!!

おさゐはかねてから権三に想いをよせていたが、すでに浅香と結婚したみ、せめて娘の婿に権三をと願っていた。しかし、そんなおさゐをお雪の母がたずねてくる。なんでも権三とお雪は既に婚約をしており、その仲人を師匠である浅香にして欲しいというのだ。なにもかもが悔しいおさゐ。
その夜お忍びで浅香の家を訪ねる権三だが、権三の節操のない態度に怒りを覚えたおさいは感情を爆発させる。そして権三の帯に権三とお雪の家の紋章が縫い付けてあるのをみると、その帯を強引にほどいてポイと庭にすててしまうおさい。「なにをする」という権三に、そんなに帯が必要ななら私のものをお使いくださいと、自分の帯をといて権三に渡すおさゐ。「女の帯が使えるか!」と権三もポイとそれを庭に捨ててしまう。
しかしそこに、お雪の兄川側伴之丞が登場。彼はかねてからおさゐに恋心を抱き、夜這いの隙をうかがっていたのであった。嫉妬に狂った伴之丞は二人を帯を証拠として持ち去り、二人の不義密通を越えたからかに、深夜の街にふれまわって歩くのだった。
もはやこれまで、と切腹しようとする権三に泣きすがるおさゐ。このままでは夫に申し訳わけがない、せめて夫に討たれてくれと懇願するおさゐ。ともかくも二人はあてもなく逃れていくのだった。

二人の旅は、不義モノとして市之進に討たれるためしばらくの間、世間の目から逃れるためのものであった。市之進の面子を考えると、権三はそうするしかないと考えていた。しかしその逃亡の旅の間に、おさゐの感情があふれ出してくる。出来るならこのまま二人で生き延びたい。しかし頑として市之進に討たれることをゆずらない権三。どうせ死ぬ身なら、せめて自分のことを妻と呼んで欲しいと懇願するおさゐ。そして二人は肌をかさねる・・・・。

一方、事件を知ったおさゐの弟・甚平(河原崎長一郎)は、自分の家の名誉を汚した伴之丞を追い、その首を討つ。帰国した浅香市之進は、義弟の甚平をともない、女仇討ちの旅に出る。。宇治の川岸にかかる橋の上で、市之進は権三とおさゐに出会う。既に刀を売り竹光しか持ち合わせていない権三は短刀で戦うも、市之進に討たれて壮絶な最後をとげる。その一部始終をみていたおさゐも市之進に討たれて息絶える。

最後のカットがなかなかにくい。
事件が一件落着したあと、おさゐの息子・虎次郎が母の父・岩木忠太兵衛(大滝秀治)と、姐のお菊にお茶をたてている。最後はそのお茶を飲むお菊のアップ。
女仇討ちに出て行く父に「せめてかか様はつれて帰ってきて欲しい」というお菊だが、真意はどこにあったのだろうか? 自分が結婚するはずだった、藩内きっての美青年を、トンビにあぶらげを盗まれるように母に盗まれてしまったお菊。彼女の最後のすました表情の中に、なにか満足げなものを感じるたのは私だけだろうか・・・。

by ssm2438 | 2012-03-29 12:51


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