西澤 晋 の 映画日記

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2012年 10月 29日

声をかくす人(2011) ☆☆

声をかくす人(2011) ☆☆_f0009381_6395474.jpg原題:THE CONSPIRATOR

監督:ロバート・レッドフォード
脚本:ジェームズ・ソロモン
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
音楽:マーク・アイシャム

出演:
ジェームズ・マカヴォイ (フレデリック・エイキン)
ロビン・ライト (メアリー・サラット)
ケヴィン・クライン (エドウィン・M・スタントン陸軍長官)

     ×   ×   ×

さて・・・どう語ろう。
大好きなロバート・レッドフォード監督作品なれど、『大いなる陰謀』といいこの『声をかくす人』といい、政治色がだんだんと出てきているような気がしてあまり楽しめない。レッドフォード自身がもっている弱者擁護の徹底した姿勢はそれでいいとしても、「強者批判」に傾いてくるとちょっといやあ~~~~なきがしてくるのです。

で、自己分析したのですが、レッドフォードの作品がどうのこうのというよりも、私の趣味として、<感情>が正義と同調する話は好きなのですが、<理性>が正義と同調する話には嫌悪感を感じるように出来ているらしいのです。
『普通の人々』は大好きな映画ですが、そのなかでひとつどうしても気持ち悪くて仕方がないシーンがあります。それは心が健全化してきたコンラッドが、クリスマス休暇から帰ってきたおかあさんにハグハグするところ。あそこはきもい! あれはレッドフォードの映画の中でも、どうしても受け入れがたいシーンでした。この映画は全体をとおしてそれを感じてしまうというか・・・。

<あらすじ>
新しいアメリカの象徴だったリンカーンが南部の残党によって暗殺される事件がおきた。主犯のブースは逃亡中に射殺され、共犯の8人は捕らえられた。彼らのために下宿を提供したとして共謀の罪によりメアリー・サラット(ロビン・ライト)も捕らえられた。
フレデリック・エイキン (ジェームズ・マカヴォイ)は、元司法長官のジョンソン上院議員(トム・ウィルキンソン)から彼女の弁護を頼まれる。被告たちは民間人でありながら、陸軍省が仕切る軍法会議にかけられた。スタントン陸軍長官(ケヴィン・クライン)は、、国を建て直すために、暗殺に関わった全員を容赦なく裁くつもりなのだ。審理が進むにつれ検察側の強引な手法が目立ち、弁護士として憤りを感じ始めていたフレデリックだが、判決は死刑が決まる。刑が執行されるまであと12時間。フレデリックは最後の手段として最高裁判事に会いに行く。

「偏見の中で被告を弁護するはめになった弁護士モノ」というジャンルの映画の一本。映画としては丁寧につくられているが、それ以上ではないというところに物足りなさを感じる。レッドフォード監督作品の気持ちよさがどんどん失われていく気がしてなんだか悲しい。それ以前の作品というのは、「自然の調和と人間」というテーマで描かれているものがおおく、それはすこぶる気持ちがいい。
しかし、近年の2本をみると『人間のつくった真理』について語り始められるような気がする。これだとなにか胡散臭いものを感じてしまう。それななんだろう?で考えてみた。その結果は・・・、自然原理より、人間原理を優先させ始めた・・ということなのかもしれない。
では自然原理とはなにか? 「弱肉強食」の原理である。これに対する人間原理とは「弱者を助ける」である。
おそらくそれまでの作品では、自然原理のなかで、「弱者を助ける」行いが機能してたからきもちよかったのだと思う。ところが、ここ数作品においては自然原理を批難してるような気がする。

突然物理の話に飛ぶのだが、量子論が生まれたとき、人はその特異性に拒否感をあらわした。あのアインシュタインまでも、信じようとはしなかった。しかし、今では量子論こそが物理学の根幹にあるようにも解釈され始めた。今回のレッドフォードは、量子論を拒んでいるように見えるのだ。つまり、時代おくれに見えてしまうのだ。
物理学の歴史をひもとくと、それは個の絶対性の否定、あるいは個の特殊性の否定といっていいのかもしれない。古代のギリシャ人たちは、地球が宇宙の中心だと考えた。しかし、コペルニクスがその特殊性を打ち破る。地球が宇宙の中心ではなく、地球が太陽の周りを回っているのだ!と。これによって、神によって作られたと解釈されていた人間の世界が絶対的に特殊なものではない、その他大勢のなかの一つに過ぎないことがわかった。絶対性の崩壊はさらに続く。
ニュートンは、絶対的位置の概念を破壊した。総ては相対的な位置関係にあり、絶対的な位置グリッドなど宇宙には存在しないというのだ。絶対性の破壊はまだまだ続く。アインシュタインは、絶対的時間の概念を破壊する。全宇宙が共有できる時間などはなく、時間はそれぞれの固体がもっている概念である。それはその重力場に依存する。誰もがそれで絶対性の破壊は終わったと考えた。しかしまだ先があった。
量子論の登場により、粒子の基本概念「一個であること」とうい、個体性がが破壊された。1個の固体を、1個の固体として考えることはもはや無用で、それは総合的にいう量子のなかに一部だと考える思考である。
判り易く言ってしまえば、土星の輪をズームアップすれば岩や氷の塊で出来ているが、エアブラシで描いた土星の輪の描写のように、びやあああああああっとした実態のあやふやな霞のようなもので、その動きは、波動の流れとして理解しようと・・というものだ。

量子論における [Sum over histories] の概念(粒子は考えられる総てのパースをとるという概念)。仮にその一部をズームアップしたとしても「たまたまその部分を特定したら、その位置に居た」というだけのことだ。じつは、人間の歴史もまた量子として解釈するのが正しいと思っている。個々のイベントはその人に起きた特殊事情だと考えるのは私の中では終わっている。過去において起こったことの総ては人類のだれもが経験しうることで、それを特定して「誰が悪い」ということ事態が古臭い。いまだに「固体」の絶対性を信じているのか?と思ってしまう。

思い立ったことを文章にしてるとこんな風になった。さて・・・私はなにを言いたいのだろう??
要は・・・「加害者否定をする人間が嫌いだ」ってことかもしれない。
ははは・・・・まったく説明になってないな。
しかし・・・・、こう書けば、判る人には判るだろうって文章の書き方は、いい加減やめないといけないな・・・。
もちろんそんなつもりは全くないが・・・。

あ、それでも、ロバート・レッドフォードは好きです。この人の映画をみると、自分の中で理解しておきたいいろんな感情のよどみが具現化され、自分なりの答えを見出したくなってしまう。いつも自分をみつめるきっかけを与えてくれる。それだけで素晴らしい。
次になにかを作ってくれたらやっぱり見に行きます。

by ssm2438 | 2012-10-29 06:44 | R・レッドフォード(1936)


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