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  <title> 西澤 晋 の 映画日記:Ｒ・レッドフォード（1936）</title>
  <category scheme="http://ssm2438.exblog.jp/i25/" term="Ｒ・レッドフォード（1936）" label="Ｒ・レッドフォード（1936）"></category>
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  <modified>2012-11-20T22:29:52+09:00</modified>
  <author><name>ssm2438</name></author>
  <tabline>主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆＝普通の出来だと思ってください。</tabline>
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    <title>声をかくす人(2011)　☆☆</title>
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    <issued>2012-10-29T06:44:00+09:00</issued>
    <modified>2012-11-20T22:29:52+09:00</modified>
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    <author><name>ssm2438</name></author>
    <dc:subject>Ｒ・レッドフォード（1936）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201210/29/81/f0009381_6395474.jpg" alt="_f0009381_6395474.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="317" width="227" />原題：THE CONSPIRATOR<br />
<br />
監督：ロバート・レッドフォード<br />
脚本：ジェームズ・ソロモン<br />
撮影：ニュートン・トーマス・サイジェル<br />
音楽：マーク・アイシャム<br />
<br />
出演：<br />
ジェームズ・マカヴォイ　（フレデリック・エイキン）<br />
ロビン・ライト　（メアリー・サラット）<br />
ケヴィン・クライン　（エドウィン・Ｍ・スタントン陸軍長官）<br />
<br />
　　　　　×　　　×　　　×<br />
<br />
さて・・・どう語ろう。<br />
大好きなロバート・レッドフォード監督作品なれど、『大いなる陰謀』といいこの『声をかくす人』といい、政治色がだんだんと出てきているような気がしてあまり楽しめない。レッドフォード自身がもっている弱者擁護の徹底した姿勢はそれでいいとしても、「強者批判」に傾いてくるとちょっといやあ～～～～なきがしてくるのです。<br />
<br />
で、自己分析したのですが、レッドフォードの作品がどうのこうのというよりも、私の趣味として、＜感情＞が正義と同調する話は好きなのですが、＜理性＞が正義と同調する話には嫌悪感を感じるように出来ているらしいのです。<br />
『普通の人々』は大好きな映画ですが、そのなかでひとつどうしても気持ち悪くて仕方がないシーンがあります。それは心が健全化してきたコンラッドが、クリスマス休暇から帰ってきたおかあさんにハグハグするところ。あそこはきもい！　あれはレッドフォードの映画の中でも、どうしても受け入れがたいシーンでした。この映画は全体をとおしてそれを感じてしまうというか・・・。<br />
<br />
＜あらすじ＞<br />
新しいアメリカの象徴だったリンカーンが南部の残党によって暗殺される事件がおきた。主犯のブースは逃亡中に射殺され、共犯の８人は捕らえられた。彼らのために下宿を提供したとして共謀の罪によりメアリー・サラット(ロビン・ライト)も捕らえられた。<br />
フレデリック・エイキン (ジェームズ・マカヴォイ)は、元司法長官のジョンソン上院議員(トム・ウィルキンソン)から彼女の弁護を頼まれる。被告たちは民間人でありながら、陸軍省が仕切る軍法会議にかけられた。スタントン陸軍長官(ケヴィン・クライン)は、、国を建て直すために、暗殺に関わった全員を容赦なく裁くつもりなのだ。審理が進むにつれ検察側の強引な手法が目立ち、弁護士として憤りを感じ始めていたフレデリックだが、判決は死刑が決まる。刑が執行されるまであと１２時間。フレデリックは最後の手段として最高裁判事に会いに行く。<br />
<br />
「偏見の中で被告を弁護するはめになった弁護士モノ」というジャンルの映画の一本。映画としては丁寧につくられているが、それ以上ではないというところに物足りなさを感じる。レッドフォード監督作品の気持ちよさがどんどん失われていく気がしてなんだか悲しい。それ以前の作品というのは、「自然の調和と人間」というテーマで描かれているものがおおく、それはすこぶる気持ちがいい。<br />
しかし、近年の２本をみると『人間のつくった真理』について語り始められるような気がする。これだとなにか胡散臭いものを感じてしまう。それななんだろう？で考えてみた。その結果は・・・、自然原理より、人間原理を優先させ始めた・・ということなのかもしれない。<br />
では自然原理とはなにか？　「弱肉強食」の原理である。これに対する人間原理とは「弱者を助ける」である。<br />
おそらくそれまでの作品では、自然原理のなかで、「弱者を助ける」行いが機能してたからきもちよかったのだと思う。ところが、ここ数作品においては自然原理を批難してるような気がする。<br />
<br />
突然物理の話に飛ぶのだが、量子論が生まれたとき、人はその特異性に拒否感をあらわした。あのアインシュタインまでも、信じようとはしなかった。しかし、今では量子論こそが物理学の根幹にあるようにも解釈され始めた。今回のレッドフォードは、量子論を拒んでいるように見えるのだ。つまり、時代おくれに見えてしまうのだ。<br />
物理学の歴史をひもとくと、それは個の絶対性の否定、あるいは個の特殊性の否定といっていいのかもしれない。古代のギリシャ人たちは、地球が宇宙の中心だと考えた。しかし、コペルニクスがその特殊性を打ち破る。地球が宇宙の中心ではなく、地球が太陽の周りを回っているのだ！と。これによって、神によって作られたと解釈されていた人間の世界が絶対的に特殊なものではない、その他大勢のなかの一つに過ぎないことがわかった。絶対性の崩壊はさらに続く。<br />
ニュートンは、絶対的位置の概念を破壊した。総ては相対的な位置関係にあり、絶対的な位置グリッドなど宇宙には存在しないというのだ。絶対性の破壊はまだまだ続く。アインシュタインは、絶対的時間の概念を破壊する。全宇宙が共有できる時間などはなく、時間はそれぞれの固体がもっている概念である。それはその重力場に依存する。誰もがそれで絶対性の破壊は終わったと考えた。しかしまだ先があった。<br />
量子論の登場により、粒子の基本概念「一個であること」とうい、個体性がが破壊された。１個の固体を、１個の固体として考えることはもはや無用で、それは総合的にいう量子のなかに一部だと考える思考である。<br />
判り易く言ってしまえば、土星の輪をズームアップすれば岩や氷の塊で出来ているが、エアブラシで描いた土星の輪の描写のように、びやあああああああっとした実態のあやふやな霞のようなもので、その動きは、波動の流れとして理解しようと・・というものだ。<br />
<br />
量子論における [Sum over histories] の概念（粒子は考えられる総てのパースをとるという概念）。仮にその一部をズームアップしたとしても「たまたまその部分を特定したら、その位置に居た」というだけのことだ。じつは、人間の歴史もまた量子として解釈するのが正しいと思っている。個々のイベントはその人に起きた特殊事情だと考えるのは私の中では終わっている。過去において起こったことの総ては人類のだれもが経験しうることで、それを特定して「誰が悪い」ということ事態が古臭い。いまだに「固体」の絶対性を信じているのか？と思ってしまう。<br />
<br />
思い立ったことを文章にしてるとこんな風になった。さて・・・私はなにを言いたいのだろう？？<br />
要は・・・「加害者否定をする人間が嫌いだ」ってことかもしれない。<br />
ははは・・・・まったく説明になってないな。<br />
しかし・・・・、こう書けば、判る人には判るだろうって文章の書き方は、いい加減やめないといけないな・・・。<br />
もちろんそんなつもりは全くないが・・・。<br />
<br />
あ、それでも、ロバート・レッドフォードは好きです。この人の映画をみると、自分の中で理解しておきたいいろんな感情のよどみが具現化され、自分なりの答えを見出したくなってしまう。いつも自分をみつめるきっかけを与えてくれる。それだけで素晴らしい。<br />
次になにかを作ってくれたらやっぱり見に行きます。<br />
]]></content>
  </entry>
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    <title>リバー・ランズ・スルー・イット(1992)　☆☆☆☆☆</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ssm2438.exblog.jp/12493189/" />
    <id>http://ssm2438.exblog.jp/12493189/</id>
    <issued>2010-11-15T04:17:00+09:00</issued>
    <modified>2010-12-03T15:20:57+09:00</modified>
    <created>2009-12-15T04:41:18+09:00</created>
    <author><name>ssm2438</name></author>
    <dc:subject>Ｒ・レッドフォード（1936）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200912/15/81/f0009381_4401697.jpg" alt="_f0009381_4401697.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="306" width="227" />監督：ロバート・レッドフォード<br />
脚本：リチャード・フリーデンバーグ<br />
撮影：フィリップ・ルースロ<br />
音楽：マーク・アイシャム<br />
<br />
出演<br />
ブラッド・ピット　（ポール・マクリーン）<br />
クレイグ・シェイファー　（ノーマン・マクリーン）<br />
トム・スケリット　（マクリーン牧師）<br />
ブレンダ・ブレシン　（マクリーン夫人）<br />
エミリー・ロイド　（ジェシー・バーンズ）<br />
<br />
　　　　　　　　＊　　　　　　　　＊　　　　　　　　＊<br />
<br />
この手の映画には弱いんだ。<br />
<br />
ロバート・レッドフォードがブラッド・ピットを主演に据えて描いた自然との調和。私のなかでの“自然との一体感映画”は『リバー・ランズ・スルー・イット』『レジェンド・オブ・フォール』『バガーヴァンスの伝説』の三本かな・・。そのうち２本はブラッド・ピット、そのうち２本はロバート・レッドフォード。この二人は貴重な人々だ。<br />
レッドフォードがやってるのは「魂のヒーリング」と「自然との調和」、このふたつ。どの映画においてもそう。この映画は「自然との調和」がメインになってる。<br />
<br />
しかし、『リバー・ランズ・スルー・イット』に関しては判る人にしかわからない映画だと思う。判らない人には全然チャンネルが合わない。ほとんどのエンタな監督さんは、シナリオ上で、「こうなって、こうなって、ここでこれを終わらせて、残ってる問題はこれで、こうなってるから、ここでこうしたら物語りは完結する」って物語を閉じるのだけど、レッドフォードが魅せるのはシナリオに書かれている台詞やイベントじゃなくて、その文字と文字の間にある行間。イベントを見せるのではなく、伝えるものを感じさせる演出。伝えるものは劇中で語られない。スピリバーグの映画みたいに、伝えるもを見せてしまう映画に慣れさせられていると、こういう映画は「なにこれ？」ってなる。イベント映画専門の人はパスしたほうがいいだろう。<br />
<br />
役者としてはいまいち作品には恵まれなかったほうだとおもう・・。印象にのこるは候補者ビル・マッケイとギャッツビーとサンダンスだけだし・・・でも美貌も図抜けてるし、監督としのて才能は天才的に図抜けてるし。<br />
<br />
＜あらすじ＞<br />
かわらぬ大自然のなかで、あるときは父と息子二人で、あるときは息子二人だけで、そして最後は息子一人だけで釣り（フライフィッシング）をするだけ。。。<br />
<br />
なんとすばらしい映画だ。。。]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>ミラグロ／奇跡の地(1988)　☆☆</title>
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    <id>http://ssm2438.exblog.jp/13322457/</id>
    <issued>2010-04-06T08:28:00+09:00</issued>
    <modified>2010-04-06T08:37:30+09:00</modified>
    <created>2010-04-06T08:28:08+09:00</created>
    <author><name>ssm2438</name></author>
    <dc:subject>Ｒ・レッドフォード（1936）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201004/06/81/f0009381_8264675.jpg" alt="_f0009381_8264675.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="320" width="227" />監督：ロバート・レッドフォード<br />
脚本：ジョン・ニコルズ／デヴィッド・Ｓ・ウォード<br />
撮影：ロビー・グリーンバーグ<br />
音楽：デイヴ・グルーシン<br />
<br />
出演：<br />
チック・ヴェネ一ラ　（ホセ）<br />
ルーベン・ブラデス  （保安官ベルナール）<br />
ソニア・ブラガ  （自動車修理店の女主人ルビー）<br />
リチャード・ブラッドフォード  （ラッド・ディヴァイン）<br />
クリストファー・ウォーケン  （州警察官キリル） <br />
<br />
自然との一体化を説くレッドフォード節元年の映画<br />
<br />
１９８０年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞、助演男優賞に輝いた『普通の人々』以来、８年間の沈黙を破って公開されたロバート・レッドフォードの監督２作目。『普通の人々』でその繊細な演出に見せられてしまい、今度レッドフォードの監督作品があったらかならず見に行くぞ！と意気込んでいて、念願かなってやっとこさ見に行ったのがこの『ミラグロ』。・・・しかし、これは・・・まったくつまんないわけではないが、地味にいただけなかったなあ。<br />
のちの作品にみるレッドフォードの「自然との一体」スピリットが描かれていたが・・、そこそこ感動はしたものの、理性で感動したことにした映画だったかな。なんといいましょうか・・、感動するつもりになってみたら、なんとか頑張って感動したことにした・・というような感じ。今にしておもえば、この映画に関してはレッドフォードのごり押しがつよかったのかもしれない。<br />
映画監督ロバート・レッドフォードファンの私としては、ちょっと残念な一作だった。<br />
<br />
ただ、描こうとしていることはきわめてまっとうで、人間社会のルールに従って行われたことでも、それが自然の成り行きに対して違和感がある場合は、このミラグルという土地はささやかんミラクルを起こして、自然の成り行きを優先させていく・・、そんなお話だと解釈していいんじゃないかな。<br />
<br />
＜あらすじ＞<br />
ディヴァイン(リチャード・ブラッドフォード)率いる土地開発業者がレジャーランド建設のためにのりこんできたニューメキシコ州の小さな町ミラグロ。仕事の口が見つからないホセ(チック・ヴェネ一ラ)が、ディヴァイン社の許可なく小川の水を無断で自分の土地に引き込み、畑を耕し始めたことから村はちょっとした騒ぎになる。<br />
長年荒れ果てていたその土地だが、水を引き込んだことによって生き返った。これは明らかに法律上は違法なのだが、土地が潤っていくことが悪なのか？　そういったところがこの映画のポイントになってい来る。<br />
<br />
ホセの従兄で保安官のベルナール(ルーベン・ブラデス)や自動車修理店の女主人ルビー(ソニア・ブラガ)は彼をサポートしていく。しかし冷酷無比に開発を進める企業は州警察官キリル・モンタナ(クリストファー・ウォーケン)を町にむかわせ、住民の反対運動や人種問題を考慮しつつも、次第にホセを窮地に追い込んでゆ。そんなある日、隣に住む老人アマランテ(カルロス・リケルメ)の飼っているブタが細を荒らしているのを見て、ホセは思わずそのブタを撃ってしまう。それを怒ったアマランテが発砲しながらホセに近づくと、ホセは恐怖と驚きのあまりアマランテを撃ってしまう。周囲にいた人々は、彼を病院に運ぶとともにホセに逃げるよう言う。山岳地帯に逃げ込むホセを追いつめるキリル。幸いアマランテも一命をとりとめ、弁護士チャーリー・ブルーム(ジョン・ハード)の尽力により、ホセの身にも安全が保障される。]]></content>
  </entry>
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    <title>クイズ・ショウ(1994)　☆☆☆</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://ssm2438.exblog.jp/12481675/" />
    <id>http://ssm2438.exblog.jp/12481675/</id>
    <issued>2009-10-13T04:14:00+09:00</issued>
    <modified>2011-04-14T06:14:07+09:00</modified>
    <created>2009-12-13T04:34:09+09:00</created>
    <author><name>ssm2438</name></author>
    <dc:subject>Ｒ・レッドフォード（1936）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201104/14/81/f0009381_614530.jpg" alt="_f0009381_614530.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="322" width="227" />監督：ロバート・レッドフォード<br />
脚本：ポール・アタナシオ<br />
撮影：ミヒャエル・バルハウス<br />
音楽：マーク・アイシャム<br />
<br />
出演<br />
レイフ・ファインズ　（チャーリー・ヴァン・ドーレン）<br />
ジョン・タートゥーロ　（ハーヴィー・ステンプル）<br />
ロブ・モロー　（ディック・グッドウィン）<br />
<br />
　　　　　　　　＊　　　　　　　　＊　　　　　　　　＊<br />
<br />
監督としては絶対的に支持するロバート・レッドフォードなれど、この作品はそれほどあたりというわけではなかったかな。いつものヒーリング・モードはかなり薄かったし・・。しかし、この人の繊細な演出にはついつい見とれてしまう。<br />
『真実』というものを、テレビの番組のウケの為に汚してしまった伝説のクイズ王の後悔の念が染み込む映画・・・。善良は市民だった主人公のチャーリーが、クイズ王にしたれられ、自責の念にとらわれ、それを告発。そして謝罪。しかしテレビはチャーリーの態度は「潔いもの」として称賛する。クイズ王になる前も、なってからも、引き際も、本来彼自身はとても高潔で心の清潔な人だったのに、テレビが介入することで、それが欺瞞になっていくメディアの不思議。しかし、彼と直接触れ合えば、その人の良さが実感できてしまう・・という、イベントを描くのではなく、ニュアンスを描くレッドフォード演出はいつもすばらしい。<br />
しかしイベントしか追わない人にはこの映画はつまらないものになるだろう。<br />
<br />
レッドフォードの映画では痛みとか、悔しさとか、後悔が見ている人に染み込むのである。この繊細な染み込ませ方がレッドフォードは上手すぎるのだ。<br />
<br />
＜あらすじ＞<br />
56年、アメリカ中がテレビのクイズ番組に熱中していた。中でもその秋にスタートした『21(トゥエンティ・ワン)』の人気は、社会現象にまでなっていた。番組で無敵を誇るチャンピオン、ハーヴィー・ステンプル(ジョン・タトゥーロ)が勝ち進んでいたが視聴率の伸び悩みから、スポンサーは、もっと見栄えのする人物に変更しろと指示する。そんな折り、番組のオーディションを受けにきたコロンビア大学講師で、著名な詩人を父に持つチャーリー・ヴァン・ドーレン(レイフ・ファインズ)をひと目見たプロデューサーのダン・エンライト(デイヴィッド・ペイマー)は彼に白羽の矢を立てる。<br />
ダンはハーヴィーに別のクイズ番組への出演をちらつかせ、悩み抜いた末にハーヴィーは本番で間違った答えを口にして、劇的な負け方をした。一方、チャーリーにはオーディションの際に出された問題が出され、彼は仕組まれた勝利に気がつくが、脚光を浴びる気分の良さと高額の賞金を前に理性をなくしていく。ダンの目論見どおり、チャーリーは名門出で若くハンサムなクイズ王として『タイム』や『ライフ』の表紙を飾り、テレビ界の寵児となった。だが、その裏には番組をよりドラマチックに演出し、高い視聴率を稼ぐために勝敗の不正な操作が行われていた。<br />
ハーヴィーはついに、地方検事局に訴えを起こす。やがて立法管理委員会が調査を開始、新人調査官のディック・グッドウィン(ロブ・モロウ)が関係者への聞き込みを開始する。彼は調査を続けるうちに番組で不正が行われたことを確信するが、チャーリーには不思議な好感を持ち、友情さえ感じ始める。彼はついに決定的な証拠を掴み、事件は全米放送史上空前の一大スキャンダルへと発展。一方、チャーリーは15週目の対戦でわざと不正解してチャンピオンの座を降りた。立法委員会が開催され、ハーヴィーが証人喚問された。全米のマスコミが注目する中、チャーリーは聴問会に証人として出席して不正の事実を認める声明を発表した。ダンら製作陣は解雇されたが、チャーリーの態度は潔いものとして称賛される。テレビという巨大なメディアは何も変わらないことに気づいたディックは、暗然たる思いに包まれた。]]></content>
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    <title>普通の人々(1980)　☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆</title>
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    <issued>2009-07-15T21:13:00+09:00</issued>
    <modified>2010-01-15T22:08:14+09:00</modified>
    <created>2006-05-08T21:13:44+09:00</created>
    <author><name>ssm2438</name></author>
    <dc:subject>Ｒ・レッドフォード（1936）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200908/17/81/f0009381_305453.jpg" alt="_f0009381_305453.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="381" width="269" />監督：ロバート・レッドフォード<br />
脚本：アルヴィン・サージェント<br />
撮影：ジョン・ベイリー<br />
音楽：マーヴィン・ハムリッシュ<br />
<br />
出演：ティモシー・ハットン<br />
　　　　ドナルド・サザーランド<br />
　　　　メアリー・タイラー・ムーア<br />
　　　　ジャド・ハーシュ<br />
　　　　エリザベス・マクガヴァン<br />
<br />
　　　　　×　　　　　×　　　　　×<br />
<br />
私の大好きな映画です。でも、なにを勘違いしてかアカデミー賞はとってますけど、 私の信頼するニューヨーク批評家賞もとってますので、ぜんぜんミーハー系ではないのです。 しかし、よくアカデミー賞とれたなあ（苦笑）。これを選んだやつらは偉いよ。<br />
<br />
映画のジャンル分けにもいろいろありますけど、 もし＜ベルイマンもの＞というジャンルがあるとしたら、この『普通 の人々』はそれは入るでしょうね。 映画監督の巨匠といえばいろいろいますけど、北欧の巨匠といえばこの人イングマル・ベルイマンでしょう。<br />
ニシザワの大好きな映画監督さんです。 メンタル描写にたけていて、メンタルスプラッタと言ってもいいそのグロさは天下一品。口のなかに手をつっこんで、内臓を内側からつかみ、ひっくり返して引き出したように出てくる出てくる人間の愛憎。かなり鑑賞力のある人でないと観られない映画です。<br />
ベルイマンの映画では、もっとも愛すべき人なの憎しみの対象にもなってしまうものたちの愛憎劇、親と子、姉妹、妻と夫、といった人間関係の支配、非支配、独立、などがテーマになってます。すくなからず身近に想うことがありすぎて心が痛いんです。その痛みを受け止める事ができる人だけが観られる、見る人を選ぶ作品群です。 ロバート・レッドフォードの『普通 の人々』は、そのジャンルにはいると思うんだけど、でも、もっとクールに見易く仕上がってます。ベルイマンほどのグロさはないですね。でも、そのメンタル描写 はほんとに繊細で痛みがトクホンチールのように冷たく染込んでくるのです。<br />
<br />
兄をボートの事故で失ったことで責任を感じて自殺未遂をおこしたコンラッド（ティモシー・ハットン）、やがて退院して普段の生活にもどってはいるがどうにもさえない。そんなコンラッドがまわりからの勧めでサラピストに行く。なかなかそのビルにはいりづらくてしばら道のむこうからそのビルをながめてる。なんとか意を決してビルはいってエレベーターのむかうと、おりてきたエレベーターのなかから男の人がでてくる。妙に意識してしまうコンラッド。入れ違いでエレベーターのなかに入り、落ち着き払ってすっくとたっているが、ドアは開いたままで、ちょっとあわてて＜閉＞のボタンを押す。エレベーターが上昇するあいだ、「ハーイ、ハウアユー」とかひとりでぼそぼそ言いながらこれから起きるファースコンタクトのシーンをシュミレートしてみたりする。落ち着き払った様子ドアベルをおしてまってると、後ろのドアがあき「あ、こっちからだ」って見事に出ばなをくじかれる。なかに入ると適当にちらかってて、普通におちつける空間、カウンセラーのバーガーがレコードプレーヤーの配線をいじくってＢＧＭ用のクラシックのレコードに針をおとしてコンラッドをイスにむかわせると、いきなりボリュームいっぱいの音。ビクンとするコンラッド。<br />
不安が一杯のときのあの感じが実によく描けてて、それだけで十分すぎる程感情移入してしまう。 この映画にはほとんどＢＧＭはなく、こういう繊細で丹念な感情表現のつみかさねの映画なんですね。 ほんと、すごいです。いまの映像世界にＢＧＭなしで画面 をもたせてしまえ監督さんが何人いるんだろうかって思ってしまいます。<br />
<br />
物語は、虚栄心の権化的な母親と、つねに批判されない役所を演じてしまう父親という、実にどこに在りそうな状況において、 自分のなかにある消せない過去の過ちにたえられない息子のコンラッドが、徐々に回復していくことをめざし、それを成し遂げて行くさまをクールに描いていきます。 ＜成し遂げモノ＞の大好きなニシザワにとっては、「なんかの大会で優勝するんだ！！」っていうスポ根的なものも好きなのですが、この映画みたいに「暗い自分はイヤだ。明るい自分になりたいだ！！」っていう、もっとも根源的な目標をかかげてそれを成し遂げて行くさまを描いてしまったこの作品、地味だけど、めちゃめちゃすごい作品だと思ってます。 役者時代にはそれほど魅力を感じなかったロバート・レッドフォード、 監督としての仕事はほんとにいいですね～～。<br />
彼のその後の監督作品はすべて劇場でみてますけど、どれも素晴らしいです。<br />
基本的には「癒し」が彼の全ての根源にあるように思えます。<br />
ロバート・レッドフォードの監督作品は 『普通の人々』 『ミラグロ』 『リバー・ランズ・スルー・イット』 『クイズショウ』 『モンタナの風に抱かれて』 『バガー・ヴァンスの伝説』 どれも、最高級に洗練された穏やかなじつにいい映画です。 ただ誤解のないようにもうひとこと描いておきますが、 ＜ベルイマンもの＞とかぶっているのは『普通 の人々』くらいで、 あとは＜ロバート・レッドフォードもの＞といっていいかと思います。 『クイズショウ』はちょっとニュアンスがちがいますけど、他は基本的にはハートフルな＜癒しもの＞だと思います。 『普通の人々』だけがクールな＜癒しもの＞になりそうですね。<br />
<br />
もうひとつ、 本家以外のベルイマンものといえばウディ・アレンの『インテリア』☆☆☆☆☆。 これも大好きな映画です。 ウディ・アレンとえばコメディ系だとおもわれてますけど、シリアスとらせても実に上手い。 ウディ・アレン自身が、けっこういろんな作品のなかで言っているのですが、彼は実はベルイマンの大ファンらしく、 どうしてもいちどベルイマンをしてみたかったのでしょう。でやってしまったのが『インテリア』、 たしかにマネっこと言ってしまえばそれまでなのですが、でも、これも本家ベルイマンの勝るとも劣らないクールなメンタル映画です。<br />
やはり『普通の人々』同様、ベルイマンほどのグロさはないのでとっても見易いです。<br />
ついでに、本家ベルイマンの中で、じつにらしい作品も紹介しときます。 『もだえ』 『野いちご』 『沈黙』 『仮面／ペルソナ』 『秋のソナタ』 『ある結婚の風景』 『叫びとささやき』 『ファニーとアレクサンデル』。‥‥ ほかにも、ベルイマンの作品の中で有名なものは『処女の泉』とか『第七の封印』『冬の光』『鏡の中に在るごとく』とかあるけど、そんなにいいとはおもわんかったなあ。<br />
ベルイマンのなかでは『沈黙』☆☆☆☆☆、 レッドフォードの中では『普通 の人々』、 ウディ・アレンのなかでは『インテリア』が一番すきですね。<br />
]]></content>
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    <title>モンタナの風に抱かれて(1998)　☆☆☆☆</title>
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    <issued>2009-05-18T20:45:00+09:00</issued>
    <modified>2009-09-23T16:32:57+09:00</modified>
    <created>2009-09-18T21:48:08+09:00</created>
    <author><name>ssm2438</name></author>
    <dc:subject>Ｒ・レッドフォード（1936）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200909/18/81/f0009381_21402922.jpg" alt="_f0009381_21402922.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="327" width="227" />監督：ロバート・レッドフォード<br />
脚本：エリック・ロス<br />
　　　　リチャード・ラグラヴェネーズ<br />
撮影：ロバート・リチャードソン<br />
音楽：トーマス・ニューマン<br />
<br />
出演：ロバート・レッドフォード<br />
　　　　クリスティン・スコット・トーマス<br />
　　　　サム・ニール<br />
　　　　ダイアン・ウィースト<br />
　　　　スカーレット・ヨハンソン<br />
<br />
　　　　　　　　＊　　　　　　　　＊　　　　　　　　＊<br />
<br />
はじめてスカーレット・ヨハンソンみた作品。いや～～、この子絶対いつかブレイクするって思ったけどブレイクしちゃいましたね。当時のスカーレットは雰囲気があり、目はきりりとして、唇は愛らしく、鼻も意思が強そうだった。彼女、ぜったい髪染めないほうがいいと思うのだけど。最近の彼女をみるとシャローな雰囲気にみえてあまり好きではないなあ。<br />
<br />
ロバート・レッドフォードの監督作品はどれも好きなのだけど、やっぱり本人が出ないほうがいいかな。この映画みたいに本人が顔出しちゃうと、自分に酔ってるのがなんとなく伝わってきてしまうのでそれがちょっと嫌な感じがした。でも、ドラマ的には文句なく一級品のヒーリングムービーに仕上がってます。この人の映画はほんとに繊細な感覚でつくられてるので感心してしまいます。<br />
<br />
<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200909/18/81/f0009381_21405075.jpg" alt="_f0009381_21405075.jpg" align="left" class="IMAGE_LEFT" height="227" width="351" />＜あらすじ＞<br />
13歳の少女グレース(スカーレット・ヨハンソン)は乗馬中に交通事故にあい、友人は死亡、愛馬のピウグリムは安楽死をもとめられるくらいの重態、本人も右足を切断という悲劇にみまわれる。いきなりの壮絶な展開なのでけっこうどぎもを抜かれた。<br />
<br />
ニューヨークで雑誌編集長として活躍しているグレースの母親アニー(クリスティン・スコット・トーマス)は、娘の心を回復させるにはピルグリムの全快が必要だと考え、モンタナで馬専門のクリニックを開業しているトム・ブッカー(ロバート・レッドフォード)の元へ馬をおくることにした。<br />
編集社でもいつもそうなのだろう、アニーの強引な態度に嫌気がさすトムだが、馬の主人であるグレースが協力するならばという条件つきでピルグリムの治療を引き受ける。「馬にささやく人」と呼ばれるトムの自然に逆らわない優しく誠実な治療法により、ピルグリムは徐々に回復し、グレースも少しずつ笑顔を取り戻していった。<br />
トムにかかるとすべての人が心穏やかにかわっていくらしい。馬も、少女も、アニーも。最初はかなり神経質で強引だったアニーもやさしさをとりもどしはじめている。<br />
レッドフォードの映画というのはこういうメンタルな部分の演出が恐ろしく繊細で上手い。<br />
<br />
弁護士の夫ロバートがニューヨークからやって来た。ロバートはすっかり元気になった娘の姿を見て、トムに心から感謝するが、アニーはそんな夫を見ているのがつらかった。やがてピルグリムはグレースを背に乗せ、歩けるまでに回復する。そろそろモンタナを去る時が来たようだ。ロバートはアニーのトムに対する感情に気づいており、すべてを彼女の決断にまかせることにした。アニーは夫と共にニューヨークに帰っていくのだった。<br />
アニーとトムの恋愛劇が多少あるのだが、これはどうだったのか・・。トムを仙人として描きたくなかったのか、観客へ対する媚だったのかわからないが、このあたりは削ってもうすこし短くまとめられたのではと思ったかな・・。]]></content>
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    <title>バガー・ヴァンスの伝説(2000)　☆☆☆☆☆</title>
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    <issued>2009-02-03T07:52:00+09:00</issued>
    <modified>2010-01-02T00:00:31+09:00</modified>
    <created>2009-09-03T08:32:47+09:00</created>
    <author><name>ssm2438</name></author>
    <dc:subject>Ｒ・レッドフォード（1936）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200909/03/81/f0009381_8303767.jpg" alt="_f0009381_8303767.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="318" width="227" />監督：ロバート・レッドフォード<br />
脚本：ジェレミー・レヴェン<br />
撮影：ミヒャエル・バルハウス<br />
音楽：レイチェル・ポートマン<br />
<br />
出演：ウィル・スミス<br />
　　　　マット・デイモン<br />
　　　　シャーリーズ・セロン<br />
<br />
　　　　　　　＊　　　　　　　＊　　　　　　　＊<br />
<br />
この人の映画だけは絶対劇場に見に行くという映画監督さんが何人かいる。そのなかの一人がロバート・レッドフォード。『普通の人々』でその技術力のたかさを見せ付けられて以来、この人のファンになってしまった。<br />
<br />
彼の映画の一貫したテーマは＜癒し＞。そして＜自然との一体感＞だろう。この映画にそれがもろにあらわれている。このひとつ前の作品『モンタナの風に抱かれて』もこのテーマだし、『リバー・ランズ・スルー・イット』もこのテーマだ。<br />
ただ・・、私自身が彼の哲学と同じかといえば、実は違う。私の場合は、自然と一体となるよりも、自然に意地をはって一歩踏み出そう、それが自然との調和を乱そうとも、そこから新しい新秩序が生まれる。それが自然と生命との共存しながら進化していく歴史だ！と思っているので、思想的にはまんま受け入れらるわけではないのだが・・・。<br />
<br />
＜あらすじ＞<br />
若き天才ゴルファージュナ(マット・デイモン)は出兵後、その悲痛な体験からか引きこもり生活をつづけ、ゴルフクラブを握ることも泣く、かつての恋人アデール(シャーリーズ・セロン)とも接触をたっている。そんなジュナをなんとかしたいアデールは町おこしのゴルフ・マッチを企画した。スターゴルファーを二人招き、地元出身ということでジュナもそのゲームに登場させることにした。<br />
その話をのりきではないまま受け入れたジュナ、しかし、かれのショットはぼろぼろだった。そんなジュナのまえにバガー・ヴァンス(ウィル・スミス)と名乗る不思議な男が現われる。彼は5ドルの報酬でジュナのキャディの仕事をもうしでる。<br />
バガー・ヴァンスのとくことといえば、自然と一体化すること。自然と調和すること。そしてもっとも調和したショットをイメージし、それを実行すること・・・。<br />
開始当初はぼろぼろだったジュナも、ラウンドが進むごとに自然と調和したしょっとが打てるようになり、昔の自分をとりもどしていく。そして、もう自分が不要だとさとったバガー・ヴァンスは、キャディの仕事を少年ハーディにたくし夕暮れの海岸に消えていくのであった。]]></content>
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    <title>大いなる陰謀(2007)　☆</title>
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    <issued>2009-01-27T04:18:00+09:00</issued>
    <modified>2009-09-20T14:07:54+09:00</modified>
    <created>2008-04-27T04:19:05+09:00</created>
    <author><name>ssm2438</name></author>
    <dc:subject>Ｒ・レッドフォード（1936）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200908/19/81/f0009381_192320100.jpg" alt="_f0009381_192320100.jpg" align="right" class="IMAGE_RIGHT" height="376" width="266" />監督：ロバート・レッドフォード<br />
脚本：マシュー・マイケル・カーナハン<br />
撮影：フィリップ・ルースロ<br />
音楽：マーク・アイシャム<br />
<br />
出演：ロバート・レッドフォード<br />
　　　　メリル・ストリープ<br />
　　　　トム・クルーズ<br />
　　　　マイケル・ペーニャ<br />
　　　　デレク・ルーク<br />
<br />
　　　　　×　　　　　×　　　　　×<br />
<br />
久しぶりのロバート・レッドフォード監督作品なのでメンタル自己啓発映画以外にはなりえないはずなのに、このタイトルはなんだ？？？って見る前は思ったのだが、実に的外れなタイトルだ。あまりに的外れなので今回だけはさすがにこのタイトルをつけたアホどもを呪ってやりたい。<br />
ちなみに原題は『羊たちのためのライオン』。<br />
<br />
レッドフォードの映画がどれも愛に満ちてるんだけど、今回のも凄く愛に満ちている。こんな優しいまなざし見られたらそらがんばっちゃおうかなって勘違いに一つもしてみたく成る。そんな映画。<br />
西澤用語で愛とは期待することである。ある特定のスポーツ選手が好きっていうのは、その選手になぜか特別に期待してしまうことだ。自分の子供を愛していると思うのは、実は自分の子供の一番期待している自分がいるからだ。プリーストの言葉ではなく、私の実感的言葉では「愛する」というのは「期待する」ということなのだ。そして人は期待されないと腐ってしまう生きものなのだ。「期待されるのがいや」といいながらそんな人ほどもっとも期待されたがっているのである。<br />
この映画は、レッドフォードがまだ記号かされてない人たちに期待しているのである。<br />
そのあたたかなまなざしがとてもやさしい。<br />
<br />
物語は人間原理によって語られている。ここでいう人間とはまだ記号化されてない人たちの事であり、その行動原理のことだ。例えばこんな構図。<br />
主人公は、Ａさんという劣等感を感じる女の子に憧れながらも、現実ではＢさんという居心地のいい劣等感を感じない女の子と一緒にいる。でもいつも想像しているのはＡさんのこと。しかしもしＡさんを求めて拒まれたら全ての夢が崩壊してしまう。おそろしくて夢にいどめない。ほとんどの場合はそれを実行出来る勇気を持ち合わせてる人はいない。夢に憧れながら、現実と一緒に居る、それが人間原理なのだ。それが普通の人々なのだ。<br />
<br />
一方で、在る種のひとは本命のＡさんに挑める勇気をもっている。偶然なのか、努力した結果なのか、とりあえず持っているのである。本命に挑むには圧倒的な努力と決意が必要なのだ。そしてそれに挑む為にはそれを失ったときの絶望感を打ち負かすだけの実行力とそれでもそこに挑む勇気を持っている。<br />
普通の人々はそういう人種に憧れる。そうなりたいと思う。何事も努力と根性でなしとげられると信じる事が出来る、そんな人間になりたいと思う。出来ないのならせめてその振りが出来ればと思う。実際そのふりが出来るだけでもかなりの勇気と努力が必要なのだ。<br />
<br />
しかしそうなったら最後、その人は社会のなかでは記号になってしまうのだ。二者選択で答えをだせる人たち。白か黒か。グレーがない人たち。結果を出す人というのはこういう人たちなのだ。いったん答えをだしてしまった彼らは突き進むしかない。そして彼らの哲学と心中するしかないのだ。<br />
アフガンの山のなかで玉砕した二人はかっこよく描かれているが、たぶんレドフォード自身は肯定的ではないはずだ。<br />
<br />
これは作品中からは読みとれない部分かもしれないが、レッドフォードの政治的なスタンスっていったらどうしてもアンチ・リパブリカン（アンチ共和党）だろうから、あのふたりのヒロイックさをまっこうから肯定することはない。ここを肯定してると見ると、たぶんこの映画のポイントが判らなく成ってくるのだろう。<br />
<br />
レッドフォードが擁護したいのは、「自分はこうなんだ！！」って決め込めない人間性。<br />
アメリカンドリームが肯定しているのあ、「自分はこうあるべきだ！」って在る種のビジョンに自分をはめこんで、そのキャラクターになりきっていくことで成長していくものだけど、感情をおしころして自分の覚悟・意思決定を優先する生き方を、多分真っ向から否定はしないけど、それがほんとに正しいのかい？って問うてる感じ。<br />
これが許せるレッドフォードってのはかなりの人格者だなあっておもってしまう。<br />
私にはむりだ。<br />
<br />
私は小さい頃は、好きな物が好きと言えなくて、つねに自分をごまかしてた。ほんとは欲しくてたまらないのに、そんな自分を押し殺してた。それは、理性からの行為じゃなくて、求めて与えられなかった時、手に入らなかった時に襲ってくるであろう絶望感の恐ろしさからの逃避。<br />
そんな自分が徹底的に嫌いで、その結果今の自分を構築して来た。<br />
だから「自分はこうありたい」って思ったら意地でそう在る自分が好き。<br />
なので、思想的にはレドフォードの基本姿勢は決して肯定はしない。<br />
<br />
ただ、人はみんな一つ堅固な意思の固まりになるのは無理な話で、とねにゆらいでいりものであり、そのなかには自分の弱さをゆるしてやる部分も当然あってしかるべきなのだ。なので世間のなかで、それをきちんと表現できる人がいることはとっても素敵だ。<br />
出来るなら『惑星ソラリス』をレッドフォードに今一度とってみてもらいたいものだ。。。<br />
<br />
この映画はかなりプロパガンダの要素をもっている。それは共和党とか民主党とか、そういうことじゃなくって、政治というのはどうしても強い自分だけを参加させる場のように思われるが、露骨な表現をすると、もっと弱い自分を参加させてもいいじゃないか？ってことなのかもしれない。<br />
レッドフォード映画の基本姿勢はつねに「自分の中の弱さを許してあげようよ」ってものだと思う。それは『普通の人々』からずっとかわらない。レッドフォードは「自分の中の弱さを許してあげようよ。それを含んだまま強くなっていいんじゃないか・・・」というのが基本スタンスなのだ。きっとレッドフォードはとてつもなく心が豊かなひとなのだ。<br />
<br />
私は共和党びいきなので、民主党よりの映画にはちょっといやな部分もあるのだけど、レッドフォードの分析力とやさしい愛には感服する。久しぶりに見る価値のある映画をみせてもらった気分だ。<br />
<br />
<br />
ＰＳ：『羊たちの沈黙』が商標登録されてなかったらこの題名を使ってほしかった。入れ替えて『沈黙の羊たち』でも良かったのに。で]]></content>
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