2009年 03月 11日
![]() 脚本:ナオミ・フォナー 撮影:ジェリー・フィッシャー 音楽:トニー・モットーラ 出演:リヴァー・フェニックス ジャド・ハーシュ クリスティーン・ラーチ マーサ・プリンプトン * * * 好きな映画だけど、いい映画かといわれるとちょっと疑問。映画的にはもうちょっと見栄え良くできんたんじゃないのかな? ヒロインもマーサ・プリンプトンじゃなくて誰か他のにしてほしかった。当時りヴァー・フェニックスと付き合ってたということで話題性をねらったのかもしれない。もうちょっと可愛い娘だったらよかったのに・・・。あと、ルメット作品で撮影に多くを期待するべきではないのだが、これがアラン・J・パクラみたいにゴードン・ウィリスの画面力持っていたらなあっていつも思う。きっと『プリンス・オブ・シティ』なんかゴードン・ウィリスで撮れたら最高だっただろうに・・。 しかしシドニー・ルメットの映画で唯一泣けた映画かもしれない。ルメットといえば社会派の巨匠、頭で感動する映画であって涙をさそう感動ではない。そんなシドニー・ルメットだが、この映画だけは観ててほろほろ来てしまった。 アーサー(ジャド・ハーシュ)とアニー(クリスティン・ラーティ)の夫婦は、60年代の反資本主義闘争に参加・反戦運動に加担し抗議行動として銀行を爆破、その時依頼テロリストとして指名されている。日本でいう赤軍派みたいなもの。それ以来当時の仲間などの支援もあり、年に1~2度引越しをくりかえしつつ、そのつど名前も職業もかえて逃走してい。しかし彼らには二人の子供があり兄のダニー(リヴァー・フェニックス)はそろそろ大学進学の時期。いつもキーボードを叩きながら練習しているダニーは、新しく引っ越した高校で音楽教師のめにとまり、有名音楽大学への進学を勧められる。 ダニーに音楽の道を進ませてあげたいアニーだが、アーサーは家族はいつも一緒であるべきだという。すこしづつ家族のあり方がギクシャクしてくるなか、アーサーの昔の同士ガスがたずねてくる。ガスは闘争の意義など無縁の人物となっていた。彼の車のなかに隠した銃をみつけたアーサーは 「これは我々とは無縁のものだ」と二人の子供にみせ、ガスを追い返した。 それでも息子を自分たちの犠牲にはしたくないアニーは、20年まえに捨てた父に会い、なんとかダニーの面倒をみてもらえないかと申し出る。 「お前はわしを資本主義の犬とののしり出て行ったんだぞ。そのわしに頼むのか・・」と厳しい態度の父。 娘を許すつもりはない父だが最後に、何かあったときは彼の面倒をみることをぼそっと告げる。 しばらくしてガスが銀行強盗で警察に逮捕されたとの報が届きアーサーは即刻引越しを決め各人へ連絡。どさくさな状態で事が起きてしまい、自己主張もする間もないダニー。まえもって決めてあった集合場所へと集まる。最後に自転車でその場に来るダニーは、ピックアップトラックの荷台に自転車をのせ車内にのりこもうとすると、 「バイクをおろせ」というアーサー。 あっという間のそれぞれの決断の時。ここの見せ方は良かったね。 考える暇も与えない、それぞれは何が大事なのか直感で思ったらそれを決断していくしかない状態。 もう息子とは二度と会えないだろうことも分っていて、彼を残すことを決意する父。 ドラマチックでもなんでもない、なんの変哲もない道路わき、一人の立ちずさむダニーのまわりを家族がのるピックアップトラックがぐるぐる回ってから去っていく。それを見送るダニー。 実に突然の終劇。 現代は『ラニング・オン・エンプティ』。アーサーとアニーにとってはの逃走は自分たちの決断の結果だからつづけるしかないのだけど、それを息子たちにはエンプティな逃走。 大儀を捨てても息子の未来をとりたい母が父に会いに行くところでぼろぼろ泣けて、「バイクをおろせ」からあダニーのまわりぐるぐるでまた泣けてきて、・・・エンディングの曲がながれてくるころにはじわじわ来てほろほろしてた。 ルメット、泣ける映画とれるじゃん! でもやっぱり社会派ルメットな映画でいした。 ▲
by ssm2438
| 2009-03-11 23:53
| シドニー・ルメット(1924)
2009年 03月 11日
![]() 脚本:ギルバート・ラルストン 撮影:ロバート・B・ハウザー 音楽:アレックス・ノース 出演:ブルース・デイヴィソン エルザ・ランチェスター アーネスト・ボーグナイン ソンドラ・ロック * * * 70年代にはやった動物パニックもののひとつ。ねずみは後ろむいて飛んでくるぞ! まるでADさんにほうりなげられたみたいに・・(苦笑)。 『コレクター』のテレンス・スタンプをみると、なんとなくこの『ウイラード』を思い描いてしまうのは私だけだろうか。「ウイラード」というのは主人公のちょっと気弱な青年の名前。友達がいなくてねずみと仲良くなって、そしたらそのねずみがけっこう集まってきて、いままで自分をいじめてきた連中をねずみを使って襲わせるという話。いじめられっ子の復習モノです。 <あらすじ> 自閉症ぎみの青年ウイラード(ブルース・デイヴィソン)は、ひとつ屋根の下で暮らしている老母ヘンリエッタ (エルザ・ランチェスター)と、会社の上司で、父の事業を乗っ取ったアル(アーネスト・ボーグナイン)を特に嫌っていた。そしてヘンリエッタは裏庭に出てくるネズミを退治しろとうるい。ウイラードににやさしくしてくれるのはジョーン(ソンドラ・ロック)だけだった。 ある日、ネズミ退治をはじめたウイラードは、調教すれば自分の意志通りに動くことを発見した。ウイラードは1匹のメスのネズミに「ソクラテス」という名をつけ可愛がる。ソクラテスはすっかり彼の指示に従うようになり、ほかのネズミたちもそれに従って行動した。そのネズミの中にはもう一匹特徴的なネズミがいて、それは体も大きくあたまも良い。ウイラードは彼を「ベン」と名づけた。 ウイラードはネズミたちを使って悪戯を始めだした。まずアルが開いた夕食パーティにネズミを送り込み、会場を大混乱させた。その中でソクラテスはアルに殺されてしまった。怒ったウイラードはネズミたちをカバンに入れ会社に出かけた。そしてアルをネズミたちに襲わせた。アルは無残に食い殺されてしまった。ウイラードはその悪魔のような惨劇を見て戦慄した。ウイラードはネズミたちを会社の一室に閉じ込めて帰ってしまった。恐怖を感じたウイラードは、家で飼っていたすべてのネズミを網にいれたまま水につけておぼれさせていく。その様子をみている闇のなかでみているベンの不気味な目。すべてを終わらせたと思いジョーンを食事をして帰ってきたウイラードはベンの気配を感じた。ベンが鋭い鳴き声をあげると、地下室から無数のネズミがウイラードに襲い掛かった。 ▲
by ssm2438
| 2009-03-11 11:52
2009年 03月 11日
![]() 原作:小池一雄 神田たけ志 脚本:増村保造 撮影:宮川一夫 音楽:富田勲 出演:勝新太郎 西村晃 小松方正 黒沢年男 稲野和子 相川圭子 * * * いやはや、痛快娯楽時代劇とはこのことだ。このくらいやってしまうと楽しいだろうなあ。実に突き抜けてる。勝新太郎演じる半蔵、悪人を捕らえるためなら武家社会の上下関係などお構いなし。御用のためにひたすら突っ走る。オープニングでは自分の一物をこん棒で叩いて鍛えてるし、そのあと米俵にその一物を突っ込みエッチの練習(?)・・、いやはやどこまでやるの、この映画は??って感じ。 江戸北町奉行所同心・板見半蔵(勝新太郎)は、水車小屋上半身裸の女性の死体を発見する。膣に指をいれてみると血がべっとり、どうやら“子おろし”をしたあと出血多量で死んだらしい。その女は駿河屋の娘お町で身持ちの硬い娘だったが、海山寺という尼寺にお茶、お花を習いに通っていたという。尼寺は寺社奉行の管轄、町奉行所の管轄ではないがそんなことはおかまいなし、半蔵はお町の棺おけに代わりに忍び込み、夜になると墓の中から白装束で現れる。 その茶室では、住職の如海尼(相川圭子)が豪商たちを集め、全裸の女を囲んでせりを行っている。せりに勝った男はその女を柱にしばりつけ、鞭打ってサディスティックな欲望を満たす。その現場に踏み込む半蔵。 逃げ回る豪商たち。半蔵は壁の向こうでそれを楽しんでいた男をみつけるが取り逃す。 捕えた如海尼を拷問部屋に連れ帰ると裸にして縛り上げ石を抱かせる。それでも口をわらない如海尼。ならばと天井からつるし上げ、自分の一物のうえに上げたり下ろしたり、 「あの頭巾の男は誰なのか言え、言わねばやめるぞ」と陵辱責め、「ああやめないで」と口をわる女(苦笑)。 ・・・・万事がこの調子。 悪党は女を裸にし、犯し、男を殺す。勝新太郎も女を裸にし、犯し、悪人を捕らえる。まさに勝新太郎のおれ様映画である。・・でもそこそこ面白い。 ▲
by ssm2438
| 2009-03-11 10:13
| 増村保造(1924)
2009年 03月 10日
![]() 脚本:ウォルド・ソルト ロバート・C・ジョーンズ 撮影:ハスケル・ウェクスラー 出演:ジェーン・フォンダ ジョン・ヴォイト ブルース・ダーン * * * 初めてジェーン・フォンダを劇場でみたのがこの映画、初めての彼女の乳房をみたのもこの映画。当時40歳のおばさんだというのに少年の日の男の子にはとてもまぶしくみえました。実際それよりも若く見えるしまだまだ綺麗でした。しかし当時のジェーン・フォンダですから露骨に反戦映画です。個人的には露骨な反戦映画というのは好きではないのだが、この映画はやはり心に沁み込む悲壮感が間接的につかわってきて印象深い作品。この映画で彼女は『コールガール』(1971)についで2度目のオスカーを獲得してます。 実は男優賞もこのジョン・ヴォイドがとったと思ったのですが、この映画で一番痛さをふりまいていたのがジェーン・フォンダの夫役のブルース・ダーン。彼の惨めさがやりきれない。この1年前に『ブラックサンデー』もベトナムで捕虜になった帰還兵のをやってましたが、この2本でブルース・ダーン=心に傷があるベトナム帰還兵というイメージが私のなかで定着。 その後『サイレントランニング』で船内の同僚を殺すブルース・ダーンをみると、“ああ、まだベトナムの傷がいえてないんだ”って思ってました(苦笑)。もっとも『サイレント・ランニング』はこの二本よりもかなり前に作られた映画なのだけど、私がみたのは後だったので・・。 この年は映画のあたり年で、アカデミー作品賞とったマイケル・チミノの『ディア・ハンター』、ウディ・アレンの『インテリア』、ウォーレン・ベイテイの『天国から来たチャンピオン』、アラン・パーカーの『ミッドナイト・エクスプレス』、ポール・マザースキーの『結婚しない女』などそうそうたる映画がノミネート、どれをとっても一級品の映画ばっかりの大豊作。 本作品の監督ハル・アシュビーもこの『帰郷』、翌年の『チャンス』と良い仕事をしてました。この年にかぎらず、この頃というのが映画の当たり年だったのでしょう。 <あらすじ> 夫の海兵隊大尉ボブ(ブルース・ダーン)をベトナム最前線へ送り出した後、サリー(ジェーン・フォンダ)はボランティア活動の一環として基地の付属病院で働くことにした。初めて病院へ出向いた日、サリーはハイスクール時代の同級生だったルーク(ジョン・ヴォイト)と会う。ルークはベトナム戦争で傷つき下半身麻痺となった彼は毎日のように荒れていた。退院したルークは軍関係の建物にゲートに鎖で縛りつけ封鎖する。これが原因でのちのちCIAにモニターされるようになっていた。ルークの精力的な反戦活動に感化されていくサリー。ルークはサリーと出逢ってからは穏やかになっていった。そしてベッドに・・。下半身が麻痺している男とのセックスにとまどうサリーだが、それでも彼と肌を合わせることで充足感をえるのだった。 休暇を過ごすボブ似合いに香港に出かけるサリーだが、どこか戦争の狂気にとり憑かれているように見えるボブ。やがて帰還したボブは人が変わったように同僚の帰還兵と毎日酒びたりの生活。戦場での彼に誇れるものはなにもなく、シャワーを浴びているときに誤って自分の銃で足を撃ち、そのために本国へ送還されたた惨めさ、それを忘れてしまいたいボブ。そんな彼をCIAは呼び出し、反戦活動家と情事をしてい時の盗聴テープを聞かせ、サリーに反社会的行動の予兆はないかとたずねる。 妻の浮気を知ったボブはサリーに銃をつきつ怒りを爆発させる。その場にかけつけるルーク。いつ怒りで引き金を引くかもわからないボブに「我々が苦しんでいるのは戦争のせいだ」ととく。 戦場そのものを描くのではなく、本国での帰還兵とその家族の苦悩をとおして間接的に反戦思考を提示している作品。ゆえに実に心に沁み込む。 そしてこの映画を撮影したのが名匠ハスケル・ウェクスラー。『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(1976)でアカデミー撮影賞を受賞して以来、この映画で2度目の受賞。清潔感のある白くにじんだ画面がとても印象的。 ▲
by ssm2438
| 2009-03-10 13:00
| H・ウェクスラー(1926)
2009年 03月 10日
![]() 脚本:舟橋和郎 撮影:小原譲治 音楽:塚原哲夫 出演:川口浩 野添ひとみ * * * 記念すべき増村保造の監督デビュー作。増村保造はこの映画の中で近代的な普通っぽさを、それも私もまだ生まれてなかった50年代にすでにやってしまっている。この爽快感はすばらしい。 主人公の宮本欽一(川口浩)と白川章子(野添ひとみ)の出会いは拘置所。そこに欽一の父親は選挙違反で捕まり、章子の父親は汚職事件で逮捕されている。彼女は美大とかでヌードモデルの仕事をしてなんとか生計をたてているが、母親は病気もち(結核だったかな)で入院費もままならない。仕方がないので、言い寄って来ている男と寝てその入院代を払おうかとしている。 普通に考えればこんな話、どうみたってぐじゅぐじゅになりそうなのだが、増村保造にかかるとまさに生ごみ処理機的演出で、からからさわやかになって出てくる。 なんとか彼女のためにお金を都合つけたい欽一は、父と別れた母へおねだりしにいく。 我々が見ても「この甲斐性なし!」といいたくなるのだが、それをこの映画の主人公は何の抵抗もなくこなしてしまう。生きてる人種が違う。 しかしこれも増村保造なりの<いさぎよさ>がコアにあるのだろう。悩んだって仕方がないことを悩んでも無駄・・というきわめてドライな価値観。 “その人に一晩自分をだかせてあげれば、それで問題はかいけつするし、それ以外の解決策がないならそうするしかないじゃない”というのを実にあっさりと、悲壮感もなく決断できる章子いさぎよさ感。 欽一も総。お金絵がいるけど、自分は持ってない。けど母親におねだりすればそのくらい都合つけてくれそう。だったらそうするよ、そんなんでカッコつけていられない・・みたいな。 悩むというのは、選択肢がいくつかある人間にいえることで、この二人の場合はそんなものはない状態。だから悩む必要はない。・・これが他の日本映画だったら既存の価値観に照らし合わせて悩むこともあるのだろうけど、増村保造はそんなもん持ってない。 すごい・・・。こんな映画が50年代の日本でとられていたなんて信じられん。まさに奇跡だ。 この物語をフランスにもっていってジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグでやっても前々違和感ないくらい日本映画っぽくなく、今のトレンディドラマとしても十分通じる演出をしている。今見ても古さがないのだ。 確かに周りの看板やらバイクやらは確かに昭和30年なのだが、そのシーンそのシーンで行われているイベントは今とまったく違和感ないのだ。天才といいのはこういう人のことを言うんだなあっと思った。 余談だが野添ひとみさんはとてもチャーミングですてきだ。この人が昭和の女性っぽくないというのも大きな原因のひとるだろう。本人は小柄な人だったようだが、めちぇめちゃ頭の小さい人で、等身的には現代のお嬢さんがたとほとんどかわない。これも奇跡だ。腰は草薙ジュンのようにくびれていて、お知りはポンと張っている。胸はそんなにないけど、プロポーションはまさに現代の女性にちかい。 ▲
by ssm2438
| 2009-03-10 05:24
| 増村保造(1924)
2009年 03月 09日
![]() 原作:有馬頼義 脚本:笠原良三 撮影:小林節雄 音楽:池野成 出演:若尾文子 芦田伸介 * * * 日本の映画監督のなかで誰が好きかときかれたらこの増村保造をあげる。東京大学法学部を卒業後大映の助監督になるが、東京大学文学部哲学科に再入学。その後イタリア留学、フェデリコ・フェリーニやルキノ・ヴィスコンティらに学ぶ。帰国後、溝口健二や市川崑の助監督として参加。1957年、『くちづけ』で監督デビュー。おそろしくインテリである。生き方も素敵だが撮る映画も素敵だ。 増村保造のすごいところはいろいろあるのだが、そのひとつは<突き抜けているところ>。 普通の人ならそこでブレーキをかけるのだが、この人は突き抜けているのだ。常人が持つ心の壁や既製概念を突破してしまっている。その突き抜け感が爽快感になるのだ。 もうひとつは<いさぎよさ>。増村保造の映画にでてくる登場人物はとにかくいさぎよい。それがまた気持ちがいい。潔さ=覚悟といってもいいかもしれない。 この『赤い天使』という映画は、まさにその<つきぬけ感>と<いさぎよさ>が存分に発揮された映画といえるだろう。 日本映画というとどうしても人情じめじめというイメージがあるが、この映画にはそれがない。いさぎよさとかっこよさ。いさぎよさ=かっこよさかもしれない。日本人の男がかっこいいと思える映画というのはあまりないのだが、この映画の主人公の若尾文子も芦田伸介も実にカッコいいのである。 <あらすじ> 昭和14年、西さくら(若尾文子)は従軍看護婦として中国天津の陸軍病院に赴任した。内科病棟の担当になった彼女はその数日後、消灯の後の巡回中、坂本一等兵(千波丈太郎)に犯されてしまう。翌日そのことを婦長に話すと「これで3人目よ」と言われる。それを機に坂本一等兵は戦地に戻される。 ・・・すごい。レイプされたことはそのままさらりと報告され、さらりと処理される。そんなことで文句もいわない。覚悟が出来ているのだろう。一般的価値観で動くのではなく、自分のなかであるべき姿がすでに構築されていて、その価値観で彼女は動いている。それがカッコいいのだ。 二カ月後、西さくらは前線後方の分院に転属となった。そこでは軍医の岡部(芦田伸介)の指揮の下で寝る間のなく手足の切断手術が行われていた。輸血用の血液も不足しており、特別な状況でなければ許可されていない。麻酔も十分ではない。そんな状態で負傷した兵を破傷風から守るには負傷箇所の切断しかない。樽に何本もの足の裏が詰まっている絵。 「出血がひどい、たすからん。つぎ」といい見捨てる岡部、その患者はかつて西さくらを天津の病院で犯した坂本だった。助けてくれとすがりつく坂本、「あの時は悪かった」とさくらに懇願した。 無理を承知で輸血をしてやってくれ岡部に申し出るさくら。 お前が私情をはさむなら俺もはさむぞとばかり「判った、輸血はしてやる。そのかわり今晩俺の部屋に来い」、「判りました」・・のやりとり。 結局輸血はしても坂本は死に、他の衛生兵には「大切な血が無駄になったな」と嫌味も言われるさくら。 その夜「坂本一等兵は死にました」と岡部の部屋を訪れる西さくら。 「もし生きていたらそのほうが不思議だ」と言い放つ岡部。 死ぬと判っていてなぜ手術をしたのか?とたずねるさくらに、 「たまに医者をやってみたくなった」と答える岡部、 「ここではカタワにするか、見殺しにする、その線引きしかできない俺が医者といえるか」と。 「服を脱いでこっちへ来い」とベットにさそう岡部。 看護婦の制服をぬぎ、スリップ姿になってベットに座ると「名前はなんという?」と岡部。 「西さくらです」と答えるさくら。 「もし長生きをしたら、妙な名前だな」と冗談にもならない冗談をいう岡部。 「好きな名前です。名前にふさわしい生き方をしたいと思います」と答えるさくら。 ・・このあたりでもうぞわぞわっときてる自分がいる。 「もうすぐ朝だ、モルヒネをうってくれ」と注射を頼まれる。 「眠るまでそばにいてくれ」といって眠りにつく岡部。さくらもベットのわきの机につっぷして寝てしまう。 いい台詞、いいシーンなのだ。「たまに医者をやってみたくなった」というのも素敵だし、 「好きな名前です。名前にふさわしい生き方をしたいと思います」も素敵だ。 「眠るまでそばにいてくれ」とわがままをいってしまうのも素敵だ。 さくらが目を覚ますと、自分が岡部のベッドで裸で寝ていて、岡部は仕事をしている。 「もう10時間も眠っていた。医局には、今日の西は体調がわるので休むと伝えてある」と岡部。 「私に何かなさったのですか?」と毛布で胸をかくしながら言うさくら。 「何かしようにも出来るわけがないだろう」とはき捨てる岡部。 なぜ裸だったのか・・という答えはここでは出されていない。私個人の考えではやはり岡部がさくらの裸をみたかったから脱がせた・・のだと認識している。彼はストレスとモルヒネの常用でもう起たないことになっているのだけど、でも見たかったのだと思う。 そのあともドラマはどんどん悲惨な状況におちいっていくのだが、それぞれの状況下で西さくらと岡部は自分の価値観を貫き通していく。 ・・・とにかく全編とおしてカッコいい映画だ。 自分には自分の価値観がある。自分には自分の使命がある。自分には自分の欲望がある。自分には自分の弱さがある。これらをきちんと認識して、そのなかでどうするべきなのかをきちんと判断し実行していく。その姿が実に誇らしく、カッコいいのだ。 ▲
by ssm2438
| 2009-03-09 12:55
| 増村保造(1924)
2009年 03月 09日
![]() 脚本:ドン・ジャコビー ダン・オバノン ディーン・リーズナー 撮影:ジョン・A・アロンゾ 編集:エドワード・M・エイブロムス フランク・モリス 音楽:アーサー・B・ルビンスタイン 出演:ロイ・シャイダー マルコム・マクダウェル キャンディ・クラーク × × × ジョンバダムはいい。とくに80年代にはいってからというもの、ジョン・バダムはじつにそのらしさを発揮しはじめている。もっともメジャーなのは『サタデーナイトフィーバー』かもしれないが、個人的にはいまいちで、彼のよさが発揮され始めたのがこの『ブルーサンダー』あたりから。 ジョン・バダムが監督をやると、プロフェッショナリズムを見やすく映画にしてしまう。決して敷居がたかくなく、かといって低すぎもしない。ちょうどいいころあいの見心地のよいあたりの映画に仕上げてしまう。 ブルーサンダーはテロ対策につくられて戦闘ヘリ。どこでどうこのブルーサンダーを活躍させるのか?というのがこの映画の見せ場になる。 前半では普通の警察ヘリの仕事振りをみせつつ、今回の主役のブルーサンダーとの比較をしっかりさせている。凡人を描かなければ超人も超人として描けないのと同じである。 そしてブルーサンダーのもうひとつの魅力、コンピューターとの連携。今では当たり前になった構成だか、当時としてはかなりすごいもののように思えた。 そして具体的にブルーサンダーの活躍。これも2つのイベントを設定。 ひとつはヒロインが重要機密をもっと車で運ぶシーンを設定し、上空からまもるブルーサンダーが追っ手を撃破していくシチュエーション。 もうひとつは、別の戦闘ヘリとの対決。 今となっては当たり前の見せ方だが、当時ととしてはそれぞれの要素をきっちりみせつつ、それを無駄なく、効率よく、効果的に本編のなかに組み込んでいる。 撮影監督にもけっこうめぐまれてて、 『ブルーサンダー』はジョン・Aアロンゾが担当。この人は『未来警察』などもとっているのだけど、黒のしぼりと赤&青のネオン光がとても印象的な絵作りをする。個人的は好きな撮影監督さんですね。 このヘリアクションの『ブルーサンダー』 (1983)のあと パソコンオタクの『ウォーゲーム』(1983) 自転車レースの『アメリカン・フライヤーズ』 (1985) キュートなロボット『ショートサーキット』 (1986) この4本はジョンバダム黄金時代だね。 そのあとはいまいち低迷してたんだけど『迷宮のレンブラント』(1997)はちょっと復活。 ▲
by ssm2438
| 2009-03-09 09:56
| ジョン・バダム(1939)
2009年 03月 08日
![]() 脚本:ジェームズ・L・ブルックス 撮影:ミヒャエル・バルハウス 音楽:ビル・コンティ 出演:ホリー・ハンター ウィリアム・ハート アルバート・ブルックス × × × 『ブロードキャスト・ニュース』はウィットにとんだドラマ、 その年のアカデミー賞にも、主要部門でほとんどノミネートされましたがオスカーにはとどかず‥‥残念。 しかしNY批評家協会賞では 作品賞 『ブロードキャスト・ニュース』 男優賞 ジャック・ニコルソン 女優賞 ホリー・ハンター 監督賞 ジェームズ・L・ブルックス 脚本賞 ジェームズ・L・ブルックス とゲット!(すばらしい!) 男優賞でジャック・ニコルソンってのは個人的に‥‥ん?って感じなのですが(だいたい、これ、出てるだけで主演してるわけでもなんでもないんだから・・)、ミーハー的なアカデミー賞より、大人の判断ができてるNY批評家協会賞のほうを評価してる私にとっては嬉しいことです。 監督のジェームズ・L・ブルックスは、『愛と追憶の日々』(1983)でアカデミー賞、作品賞、監督賞、脚本賞をもってった実力派。でも、重厚な話をつくるというよりはナイーブな感性のドラマを作る人ですね。私の大好きな監督さんの一人です。近年では『恋愛小説家』でやはらいい味をだしてました。 あと、音楽もうれしい、ビル・コンティ。 『ロッキー』、『ライトスタッフ』が有名ですね。 登場人物は‥‥、小さい時は複数のペンパルを持ち文才を鍛え、とにかく負けず嫌いな仕切りや、ホリー・ハンター。上司だろうと自分が正しいと思えば、がんがん意見するばりばりのニュース番組プロデューサー。そんな彼女に恋心を抱きつつもとってもいいパートナーとしてたちまわってる、ニュースレポーター&ライターのアルバート・ブルックス。彼も勉強もりもりモードの人なんだけど基本的に上がり性であまり人前でま力を発揮出来ないタイプ。ただ裏方さんとしてはスーパー切れ者。そんな二人の職場にウィリアム・ハートがやってくる。 彼はスポーツ番組上がりで、ちょっとお利口さん度にはかけるが、ニュースキャスターとしてはみてくれもよく、視聴者にも受けがいい。 そんな3人を中心にした恋愛模様がきもちよく描かれている。 とにく、ホリー・ハンターとアルバート・ブルックスの仕事場での信頼関係の描写 は素晴らしい。 突貫作業でつくりあげたアーロン(アルバート・ブルックス)のニカラグアの戦場のレポート、それに感心するメインキャスターのジャック・ニコルソン、「グッドジョッブだ!」とジェーン(ホリー・ハンター)を褒めるが、ジェーンが「アーロンのおかげよ‥‥」といいかけると回線を切ってしまう。バツの悪い空気がながれるなか、アーロンはジェーンに耳打ちする「笑えよ。おれが落ち込んでるようにみれらる」。バカ笑いをかますジェーン、アーロンはその場を出て行く。みんなは「どうしたの?」ときくと「ううん、なんでもないのよ」とはにかみながら答えるジェーン。 それでその場は和んでしまう。。。突如飛び込みではいってきたシシリー島のアメリカ群基地が空爆されたとのニュース。 局の上司連中はトム(ウィリアム・ハート)をキャスターに番組を組む事を命令する。 「かれにはまだ無理だ!」とつっぱねるホリーであったが、権力ちからには勝てずそのフォーメーションでやる事に。 とりあえずニュース放送をはじめるジェーン達、それをみたアーロンが電話をかけてくる。 海軍の主力戦闘機F14に関する情報、カダフィー大佐に関する情報、必要だとおもわれる情報を電話でジェーンに流してくる。 それを聞きつつ、本番中のトムのイヤホンに次に言うべきセリフを伝えるジェーン。情報として与えられる言葉を見事にニュース番組の言葉として放送していくトム、 「おれの言葉がテレビからながれてくる」と複雑な思いのアーロン、 「ずごいよ、君は(ジェーン)。まるで言葉のセックスをしてるみたいだった」とトム、 このへんのスリリングな演出はほんとにすごいです。 どんなにジェーンを求めても、友人としては認められてても、男としてみとめられないアーロンの刹那さ。 ジェーンに男としては自分が求められてるはずなのに、信頼関係ではアーロンにはとうてい及ばないことにいらだつトム。 やがて現場では観てくれがいいが頭のほうは‥‥といわれてるトムが、自分で取材し報道文を書き上げたレイプされた女性のレポートを作り上げる。テープにはトムを前に事件の時の様子をかたる女生をそれを聞き、思わず涙をながしてしまうトムの映像があった。感動するスタッフたち。ひとりだけ向かっ腹をたててるアーロン。 トムの立場も確立されはじめてきていた。 やがて局は人員整理、ジェーンは支局長に昇進。トムはロンドン支局に栄転。アーロンはポートランドのニュース局へ移る決心をする。スタッフが職場を去って行く中、トムは、ロンドン行きの前に南の島で休暇を過ごそうとジェーンに提案。 心の整理のためにOKするジェーン。しかし旅立つ前日、ジェーンはアーロンからトムの作ったレイプ関連のニュース映像に関する不審点をきかされる。「カメラは1台据え置きだったんだろう? なぜ、そのカメラで泣いてるトムの顔が撮れるんだ?」 ジェーンは局にもどり、そのときの取材テープを探し出してみてみる。 そこには‥‥。 ほんとに、シナリオ廻しがとっても素晴らしいロマンチックコメディの秀作です。是非一度見てやってください。 私がこれを劇場でみたときは、 “ああ~~~~、これはデブラ・ウィンガー(『愛と追憶の日々』の主演)でやってほしかったなあ”って思ってしまったら、パンフレット読むと、やっぱりジェームズ・L・ブルックスも、シナリオ書いてる時はデブラ・ウィンガーをイメージしてこのドラムを書いてたそうです。でも、デブラ・ウィンガーが出産とかちあってしまって出れなくなって、でホリー・ハンターになったとか、うむむむ~~~~~、これはほんとにデブラ・ウィンガーでみたかったなあ~~~~~~~。 そしたらデブラ・ウィンガーの最高傑作になってたとおもうんだけど‥‥ この点に関してはちょっと残念無念って感じがしました。。 PS:余談ですが、ジェーンの同僚でトムにいいよる美人のスタッフのひとりでロイス・チャイルズがでてます。 この人、美しいですね。『007/ムーンレカー』のボンドガールだったんですけど、 彼女の美貌をもうちょっとつかえる場が与えられればなあっとおもってしまいます‥‥。 ▲
by ssm2438
| 2009-03-08 08:33
| J・L・ブルックス(1940)
2009年 03月 07日
![]() 脚本:ハーマン・ローチャー 撮影:ロバート・サーティース 音楽:ミシェル・ルグラン デヴィッド・シャイア 出演:ジェニファー・オニール ゲイリー・グライムズ * * * この映画、一言でいうと画面 がやたら美しい映画です。 あとジニファー・オニールがやたら綺麗。 音楽も綺麗。 ただ‥‥映画としてのバランスが非常によくない。 悲しいまでに良くない。これってカテゴリーに無理矢理当てはめるとすると、『青い体験』とか『課外授業』とか『個人教授』とかいったいわゆる少年の初体験ものにあたるんだろうけど、美しい部分があまりに美しく描かれていて、男の子の初体験を迎えるまでの“H”なことにかんするお子さまモードのドキドキわくわくドタバタ感が実に邪魔。ムードぶち壊し。これだけ美しい画面じゃなかったら、ほかのイタリア性の初体験ものと同じレベルで扱えるんだけど、あまりにその部分が美しい部分が美しすぎるのでまったくもって合わないんですよ。 戦死した夫の知らせが届いた夜、ハーミ-を抱く事になるんですが、ここの演出はなんかとっても切なくて素敵。 そして“H”が終った後のドロシーの描き方がまたいいんだ。 “女っていうのは男が憧れるようなものじゃないんですよ‥”っていう、男の夢をぶち壊すような残酷さ。 事態の進行は決して残酷でもなんでもないんだけど、演出が冴えてる。 この絵は、男の夢ぶち壊すよ~~~~!!って、男の真心が悲鳴あげちゃいましたね。 それが実に効果的。 ここの演出はほんとに素敵。 そう、あれだけ痺れるような画面 がつくれるのに、 なんで、あのドタバタつくるん?? 初体験的ドタバタ部をなんとかできなかったものかと、実にもったいない思いがするお話です。 あと、強いて言うならジェニファー演じるドロシーをたんなる偶像じゃなくって、 もうちょっと人間っぽい描き方にできなかったのかなあって思うかな。 それがないぶん、ちょっとキャラクターとしてよかったかなあって思った。 話の大筋は‥‥、この映画に関してはどうでもいいかなって思うので省きますね(苦笑)。 ただ、ほんとの画面は圧倒的に美しいのです。紗のかかった(白がにじんだ)画面 、技術的には卑怯とも言えなくはないが、とにかく美しい。 この撮影監督ロバート・サーティース、実はこのまえこの映画みるまでノーチェックだったという失敬そのもの。 での過去の作品群しらべてみてびっくり、おお、すごい!! 『愛と喝采の日々』(1977)、 『スター誕生』(1976)、 『ヒンデンブルグ』(1975)、 『華麗なるヒコーキ野郎』(1975)、 『オクラホマ巨人』(1973)、 『スティング』(1973)、 『ラストショー』(1971)、 『卒業』(1967)、 『コレクター』(1965)‥‥ メジャーどころだけ書き出してみたんだけど、これ、けっこう凄いところを撮ってます。 びっくりしてしまいました。 文句無しの実力派じゃないですか、あらためて感動です。 あの『ラストショ-』の刹那さはこのロバート・サーティースの画面 だったのですね。 こんどサーティースつながりで、作品チェックしてみるのもありかなって思ってしまった。 ▲
by ssm2438
| 2009-03-07 00:27
2009年 03月 05日
![]() 脚本:ロベルト・アンド サルヴァトーレ・マルカレッリ 撮影:マウリツィオ・カルヴェージ 音楽:ルドヴィコ・エイナウディ 出演:アナ・ムグラリス ダニエル・オートゥイユ グレタ・スカッキ マグダレナ・ミェルツァシュ * * * 『NOVO/ノボ』(2002)でその肢体を十分に見せてくれたアナ・ムグラリス。この映画でも披露してくれてます。もっとも見ている私もそれを目当てに見ているわけですが・・。 でもよくよくみると彼女、それほど美人というわけでない。さらに真剣にみているとなんだかへんな顔にもみえてくる。それでも彼女が画面にいると彼女だけを見てしまい、ストーリーなどどうでもよくなってしまう。とにかく魅力はあるアナ・ムグラリスだ。 あと音楽はじつにきもちがいい。 <あらすじ> ダニエル・ポルタンスキー(ダニエル・オートゥイユ)は、執筆以外の活動は全て代理人に任せ、頑なに作家としての自分を隠し続けるていた。人前に決して姿を現さない謎のミリオンセラー作家=セルジュ・ノヴァク。 しかし彼の処女作だけは、彼の友人で自殺したポール・デンビンスキーが残した『冬の旅』だった。そのことを知るものは、ダニエルと彼の代理人以外だけだった。しかしポールには娘が存在し、その娘が復習のためにダニエルを落としいれようと近づいてくる。 その日はダニエルの義理の息子の結婚式の前日だった。彼のまえに現れた美しい女性ミラ(アナ・ムグラリス)。ダニエルはミラと一夜を共にする。翌朝おきてみると彼女の姿はない。しかし義理の息子の花嫁として現れたのはミラであった。 その後もミラはダニエルを誘惑し続ける。二人の常時は続いていく。そんな中、ダニエルの代理人のもとに、ミラとの関係を隠し撮りした写真と、ポール・デンビンスキーの写真が送られてくる。ポールの横には娘らしい女の姿があるが顔は塗りつぶされていた。ダニエルを脅迫したのはミラの友人のエヴァ(マグダレナ・ミェルツァシュ)だと判った。エヴァに要求された慰謝料を支払うダニエル。しかし彼の正体はマスコミによって暴かれ、ミラとの関係を察した妻ニコレッタ(グレタ・スカッキ)からは離婚を言い渡される。失意のダニエルのもとに私立探偵からの報告書がとどく。エヴァと明記された女性の報告書にはミラの写真がはりつけられたった。総てを失ったダニエルは、森のアトリエで最後の小説を書き上げる。『セルジュ・ノヴァックの生と死』。そんな彼の前にポール・デンビンスキーの娘が現れる。 ダニエルはミラに渡すためにミラの父ポール・デンビンスキーの『冬の旅』の原稿と、ポールが自殺する前にダニエルにあてた短い書簡が同封してある。そのメモの中には、 「この主人公は君(=ダニエル)をモデルとして書かかれている。君の人生を拝借してしまった。この物語を君のものにするか、他の形で出版するか・・、それは君にゆだねる」と書かれたあった。 アナ・ムグラリスだけに視線は言ってしまうが、ストーリーもけっこうきちんとしている。フランス映画によくあるふうにやたらと抽象的な言い回しのモノローグが多様されていて、ライターの人が酔って書いてる感はあるかな。ただ、もう少しポイントポイントを判り易くしたほうがよいかな。とにかくアナに目線がいってしまい、ストーリーを真剣に追うことを途中で放棄しがちになり、盗作だと思い込んでいたのは、父の承認のもとだったというあたりが、なかなか認識しづらい。 アナ・ムグラリス ![]() ▲
by ssm2438
| 2009-03-05 07:10
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![]() 主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。 by ssm2438 リンク
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