2010年 01月 23日
![]() 脚本:ジム・キャッシュ/ジャック・エップス・Jr 撮影:ジェフリー・キンボール 音楽:ハロルド・フォルターメイヤー/ジョルジオ・モロダー 出演: トム・クルーズ (マーヴェリック) ケリー・マクギリス (チャーリー) ヴァル・キルマー (アイスマン) アンソニー・エドワーズ (グース) トム・スケリット (ヴァイパー) メグ・ライアン (キャロル) * * * 実はこの映画でメグ・ライアンはじめてみました。当時はあまりパットしなかったのに、このあと『恋人たちの予感』でブレイクしてしまいましたね。 80年代めっちゃひっとした映画のひとつ。ロックのリズムをバックに大空を飛ぶF-14はカッコいい。ケリー・マックギリスも素敵にみえるし、トム・クルーズも若くてぴちぴちしてる。なにより女教師に惚れるストーリーは大好きだ(笑)。でも、プロデュースはジェリー・ブラッカイマーだし、ドラマとしてはかなりこてこてに浅い。しかし、このときトム・クルーズ24歳、ケリー・マックギリス29歳である。トム・クルーズとは同い年誕生日は6日ちがい(私のほうが若い!)、そしてケリー・マックギリスとは同じ誕生日で私のほうが5歳若い。妙なところできわめて親近感のもてる二人が出ているので、忘れがたい映画ではある。 ドッグファイトシーンは実物飛ばしているので、実は贅沢なつくり。今だったらCGで出来ちゃうけど、本物感はいいものだ。ただソ連のミグ28はどうなん? ソビエト連邦製の戦闘機を調達できるわけがないのでまあ、しかたがないのだけど、ノースロップ・F-5タイガーではちとショボかないか・・。空軍からイーグル借りてこられなかったのだろうか。そういうショボさは、今となってはCGで作ったほうが良く見えるのかもしれない。いまだったら、F-14だけは本物とばしても、相手のミグ28はCGで作ることもできたのだろうしね・・。 ![]() 「トップガン (Top Gun)」とは、アメリカ海軍戦闘機兵器学校のことで、選抜されたエリート戦闘機パイロットのみが空中戦技学ぶために造られた、カリフォルニア州サンディエゴ近郊のミラマー海軍航空基地にある養成機関である。そのトップガンに仲間入りしたマーヴェリック(トム・クルーズ)はブロンド美人教官チャーリー(ケリー・マクギリス)と恋に落ちる。 トップガンのスケジュールも半分を消化したころ、アイスマン(ヴァル・キルマー)はマーヴェリックの無謀さを批難し忠告した。そんな矢先、マーヴェリック組が事故を起こしグースが死んだ。ショックを受けたマーヴェリックは、トップガンを去ろうとする。 卒業式の祝賀パーティの最中、突如、出動命令が下った。米国の情報収集船が危機にさらされているという。トップガンのパイロットたちはマーヴェリックも含めてインド洋上へ向かう指令を受ける。ウルフマン機がやられ、アイスマン機が孤立した。ミグを相手に本領を発揮するマーヴェリック。数日後、ミラマー基地に戻ったマーヴェリックを、チャーリーがやさしく迎えるのだった。 ▲
by ssm2438
| 2010-01-23 02:45
2010年 01月 22日
![]() 脚本:ダニエル・ブーランジェ/フィリップ・ド・ブロカ 撮影:ピエール・ロム 音楽:ジョルジュ・ドルリュー 出演: アラン・ベイツ (プランピック二等兵) ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド (コクリコ) * * * 現実逃避肯定映画。ゆえに私は全然受け付けなかった。 まだ私が20代のころ、年配のアニメーターにこの映画のことを教えられ、見てみようとレンタルビデオ屋にいったがおいてない。仕方がないのでレーザーディスクまで買ってしまった。・・・で、見た見たのだが・・・うむむむ、個人的には受け付けなかった。とにかく反戦思考映画と現実逃避肯定映画は大嫌いな私なので、この両方の価値観をあわせもつこの映画はどうにもいただけない。ただ、こっち系の映画が好きな人にはいいかもしれない。それにジュヌヴィエーブ・ビジョルドはキュートだった。 ・・しかし、なんでこう現実逃避の人たちはコスチュームプレイが好きなんだろう。 <あらすじ> 1918年10月、第一次世界大戦末期の北フランスのある街。各地でドイツ軍は敗走していがこの街も例外ではない。イギリス軍に追いたてたれたドイツ軍は、この街から撤退する際に大型の時限爆弾を仕掛けていった。伝書鳩の飼育係であるプランピック二等兵(アラン・ベイツ)はフランス語が話せるというだけの理由で爆弾解除の命令をうけてこの街に向かうはめになる。 ![]() やがてイギリス軍が町に入城、さらに逃走したはずのドイツ軍も退路を絶たれ戻ってきてしまい、街の中で銃撃戦となる。双方全滅。街の中には兵士たちの死体が散乱していた。遅れてきたイギリス軍の本隊が街にはいろうとすると、患者たちは、自分たちの安心できる場所、精神病院に戻っていく。 プランピックは、軍とともに次の任務地に向うが、ユーターン。軍服を脱ぎ捨てて病院の門を叩くのだった。 ▲
by ssm2438
| 2010-01-22 16:58
2010年 01月 22日
![]() 脚本:パトリス・ルコント/ジェローム・トネール 撮影:ジャン=マリー・ドルージュ 音楽:グザヴィエ・ドゥメルリアック 出演: ダニエル・オートゥイユ (フランソワ) ダニー・ブーン (ブリューノ) ジュリー・ガイエ (共同経営者カトリーヌ) * * * 久々のルコント映画。まあ、そこそこかな。『髪結いの亭主』のときはとっても感動したのにそれ以降はいまいちこれはって言うのがないというか・・・、いや、胆に私があまりフォローしてなかったっだけか・・。『イヴォンヌの香り』ではずして以来、ちと敬遠気味でそのあとみたのが『橋の上の娘』だった。悪くは無いけど・・・かといっておおおって感動も無かった。で、この映画。これもやっぱり悪くはないし、そこそこいいけど・・、それ以上でもない。ただ、多分フランス人の監督のなかでは日本人には見やすい映画を撮る人だと思う。個人的にはパトリス・ルコントとロベール・アンリコがフランスの監督のなかでは見やすいかな。 この映画のなかで、ダニエル・オートゥイユが「あなたには友達がいない」と言い切られ「いる」って意地を張って賭けをしてしまったことから物語が始まる。「じゃあ、あと10日間のうちに、その友達とやらをつれてきてよ」って展開になりる。しかし、性格のよくない彼にはだれも友達と呼べる人はいない。仕事仲間をあたってみても、旧友のリストをあたってみても、だれも相手にしてくれない。そればかりか、誰もが自分を嫌っていたことが判って来る。 で、ふとこの問題に自問自答してみる。 「友達はいるのか?」 友達は・・・やっぱり自分の場合は小学校、中学、高校の時の友達というのが一番初めに頭にうかぶ。ただ、じゃあ今の仕事場でいるのか?って言われるとどうなのだろう・・?? 彼らは仕事でつきあいのある人たち・・ということになりそうだ。でも、仕事の場での友達というのは・・意外と友達カテゴリーにはいりづらい部分はある。だいたい友達というのは利害関係を抜きにした部分で付き合える人たちのことで、やっぱり仕事上ではなかなか成立しづらいし、まして異性間ではむりだろう。結局昔の旧友ということになるような気がするのだけど・・・あるいは趣味の仲間か・・。 ・・いや、それ以前にこの質問自体がご法度だな。 だいたい「お前が俺の友達だ」・・・なんて恥ずかしすぎて言えなるわけがない・・・。 ▲
by ssm2438
| 2010-01-22 05:13
| パトリス・ルコント(1947)
2010年 01月 22日
![]() 脚本:ヘイウッド・グールド 撮影:アンリ・ドカエ 音楽:ジェリー・ゴールドスミス 出演: ローレンス・オリヴィエ (リーバーマン) グレゴリー・ペック (Dr. メンゲル) * * * 『サロゲイト』なんぞが上映されている今日この頃、ついでにこの映画を紹介するような企画はなかったんですかね? 最初にクローンを映画のネタにした貴重なSF映画(?)かな・・・。監督は『猿の惑星』のフランクリン・J・シャフナー。音楽は怒涛のジェリー・ゴールドスミス。 ナチを再興するために、ヒットラーを今一度クローンで作り出すぞ!という映画。しかし、そのプロセスがなかなかすごい。 <あらすじ> オーストリアのウィーン。長年にわたりナチスの残党を追いかけてきたリーバーマン(ローレンス・オリヴィエ)の所へある男の写真がおくられてくる。そして夜中の3時、その写真をおくってきたコーラ(スティーブン・グッテンバーグ)が電話をかけてきて、盗聴したテープを聞かせる 「今後2年半の間に94人の人間を殺す。殺す相手は世界各地の65歳の公務員である・・」 しかし、電話の向こうでコーラは何者かにころされたようだ。 その盗聴テープは南米パラグァイでメンゲレ博士(グレゴリー・ペック)が主催した密会のテープだった。彼はアウシュビッツの主任医師で250万人を殺し、子供の生体実験をしたことで知られていた。 ナチス残党は世界各地のあらかじめ決められた65歳の公務員を殺していく。やがて、リーバーマンは調査に乗り出した。65歳の公務員が事故死、変死した遺族を訪ねて周った。ある郵便局長の家では、若い未亡人が出てきた。暴力をふるう亭主だったらしく、むしろ亭主の事故死を喜んでいた。出てきた少年は色白でブルーの目をした可愛げのない少年だった。さらに、別の家を訪問した時、リーバーマンは目を疑った。出てきた少年は先日の郵便局長の家の少年に瓜二つではないか。それは双子よりも似ている可愛げのない少年だった。 生物学研究所を訪れたリーバーマンは、そこの教授から信じ難い話を聞く。植物の細胞の一部を切り取って培養するとまったく同じ植物が出来るという。エビ、カエルはもちろん、ウサギでも実験は成功していた。人間でも理論上可能だという。リーバーマンはメンゲルがヒトラーを再製造しようと企てていることにきづく。 ヒトラーは税官吏の父親が52歳の時誕生。母親は若く29歳で、甘やかされて育った。そして、父親は65歳で死亡、その時ヒトラー14歳だ。ヒトラーのクローン人間を大量に作り、ヒトラーと同じ環境に置けば、第二、第三のヒトラーが必ず出現する。それが悪魔メンゲルの壮大な計画だった。 ▲
by ssm2438
| 2010-01-22 01:13
2010年 01月 22日
![]() 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 音楽:木下忠司 出演:高峰秀子 (大石久子先生) * * * なんども映画化されたスタンダード。やっぱりウルウル来る。ただ、個人的には反戦映画としてはみておらず(もっとも反戦映画というのは嫌いなので)、人類の生命力をみせられた感じがとても良いのだ。どんな逆境でも、自覚崩壊しそうになったときでも、人にはその悲劇をさらりと受け流す柳の枝のようなしなやかなしたたかさをもっているように思う。悲劇を無感知する機能なのかもしれない。たぶんこの映画の戦時中の状況というのは、そんな感じなのではないかと思う。旦那や、教え子たちが出兵していき、死亡が伝えられる。たぶん心の準備はしているのだろう。そしてそのときには無感動になるようにあらかじめ既にセッティングされているのだろう。 ふと思い出すが、私の父が癌になり、あと半年はもたんじゃろうと電話が来た時、あの時は一番ショックだった。ぞわぞわっとする寒気が背筋を走った。そのとき、いつか父が死ぬのだろうというっ心の準備が出来ていたのだろう。いざ父が死んだ時はそれほど悲しいという感情は不思議なくらいわいて来なかった。 この映画を見ると、そういう人間の悲劇に対するショックアブソーバー的な感性を垣間見ることが出来る。そしてさらり、戦後再び集まった教え子の息子や娘たちの顔。それでも人は命をつむいでいるのだなあと、その秘められた生命力に感動した。悲しみというのはその世代でおしまいなのだ。そして次の世代はそんな悲劇すら体感せずに健やかにそだっていく。 なかなか感慨深い映画だった。 <あらすじ> 1928年の4月、大石久子(高峰秀子)は新任教師として瀬戸内海小豆島の分校へ赴任してきた。彼女が担当したのは一年生で、12人の生徒がいた。しかし自転車に乗り洋服姿で毎日登校するおなご先生は「ハイカラ」であり、当初は村の人達から敬遠されることも多かった。そんな排他的な環境のなかでめげずに教壇にたつ大石先生。そんな折、大石先生は子供たちの作った落とし穴に落ちてしばし自転車にのれなくなってしまう。分教場への通勤ができない先生は、本校へ転任することになるが、子供たちは二里も歩いて訪れてきてくれた。大石先生が子供たちにとってかけがえのない存在である周りの人たちも少しずつ理解していくのだった。 子供たちは5年生になり、本校に通うようになると大石先生と再会、しかし、子供たちのなかには家庭の事情や、病気などでで学校に行けなくなる子供でててくる。子供たちと修学旅行でいった金毘羅さんの思い出は子供たちにも、大石先生にふかく心に刻まれるものとなった。そのころには戦争の足音が聞こえてきていた。子供たちを天皇陛下のために戦う兵士として教育する当時の風潮には従えなかった大石先生は、翌年彼らの卒業とともに、大石先生は結婚して退職する。 そして開戦。夫も出兵し、子供たちも兵隊になると嬉々として語る。 「戦争なんてどうでもえんじゃ、お前たちさえ無事ならな」と言う久子に、子供たちは「そんなんじゃ靖国の母になれんぞ」という。「靖国の母なんかならんでええんじゃ」と無感動にいう久子。しばらくして夫の死亡通知がとどくことになる。 1946年、戦争が終わった。新しい教育が始まる。大石先生はふたたび教壇に復帰する。教壇にたった大石先生が出席をとると子供たちが返事を返してくる。その中に思い出深い生徒たちの子供が何人もいた。子供たちの名前を呼んでいると、懐かしいあの二十四の瞳を思い出す、そして、引き継がれる命の営みを感じる感動があふれてくるのであった。 ・・・・引き継がれる命、引き継がれる魂、引き継がれる想い・・・、この手のネタには弱いらしい。 ぼろぼろきてしまう。 ▲
by ssm2438
| 2010-01-22 00:17
2010年 01月 21日
![]() 脚本:ヤッホー・シリアス/デヴィッド・ローチ 撮影:ジェフ・ダーリング 音楽:ウィリアム・モツィング マーティン・アーマイガー トミー・タイチョ 出演:ヤッホー・シリアス * * * なぜかタスマニアにうまれたアインシュタインが相対性理論を発見する話・・・。 この手の話を作る時にときにはあるていど、相対性理論を、一般人にわかりやすく説明できるか否かが根本的な鍵となる。それが出来ないで雰囲気だけで持っていこうとしても、見てる人はついていかない。一見面白そうに見えるが、実は表面的なにぎやかさだけに終始している映画。 これ、アインシュタインという人物にしなければ、それはそれで見られたかもしれないのに・・、タスマニアのりんご園でそだった〇〇は自家製ビールに泡を立てる方法を思案中に相対性理論の公式「E=mC2」を発見する・・みたいな話だったら・・・。この映画の問題は、アインシュタインがあのアインシュタインだと考えられないところがかなり感情移入をはばんでいるようなきがした。 ▲
by ssm2438
| 2010-01-21 05:18
2010年 01月 21日
![]() 脚本:アンディ・ブレックマン/マイケル・リーソン 撮影:イアン・ベイカー 音楽:ジェリー・ゴールドスミス 出演: メグ・ライアン (キャサリン・ボイド) ティム・ロビンス (エド・ウォルターズ) ウォルター・マッソー (アインシュタイン) * * * 『ミスター・ベースボール』や『愛しのロクサーヌ』などでさりげなく良作をつくってくれるフレッド・スケピシ。『愛しのロクサーヌ』では鼻のでかいスティーブ・マーティンに恋のキューピット役をやらせた(もっとも途中からやっぱり自分が主役になるのだが)スケピシが、今度はアインシュタインを恋のキューピットに設定、劇中姪にあたるメグ・ライアンと彼女の恋するティム・ロビンスの仲をとりもつのにアインシュタインの人生の法則が一役も二役もかっている。 アインシュタインを演じるのはウォルター・マッソー、これがまさにアインシュタインそのもの。もっともアインシュタインがほんとに発言したり行動をとったりするところをみたわけではないのだが、ウォルター・マッソーのアインシュタインにはなぜだか真実味があるから不思議だ。 <あらすじ> エド・ウォルターズ(ティム・ロビンス)が働く自動車整備工場を、イギリス人科学者の婚約者に伴われてキャサリン・ボイド(メグ・ライアン)が訪れる。彼女はプリンストン大学の数学者だった。そんなキャサリンに一目ぼれのエド。運良く工場に置き忘れた懐中時計を見つけると、それを返しに彼女の住所へいってみた。するとそこで、かの有名はアインシュタイン博士(ウォルター・マッソー)とであったのだ。キャサリンはアインシュタインの姪だったのだ。 アインシュタインは、エドを自分の仲間の科学者たちに紹介すると、彼はたちまに人気者になった。しかしキャサリンに対しては劣等感を感じるばかり、そんなエドをアインシュタインと仲間の科学者たちは、エドを天才物理学者のように仕立て上げ、気に入らない今の婚約者と別れさせようとたくらむ。しかし付け焼刃の知識などいつかわばれるもの。だまされたことに怒った彼女は、エドに別れを宣言。そんなキャサリンには、人生が数字だけで割り切れるものでなく、心で感じるものでもあるのだと教えるのだった・・。 ティム・ロビンス演じるエドがほんとに薄っぺらな人間に見えてしまってるので、もうちょっとなんとか立たせてあげられなかったものか・・。彼自身が頑張ってどうのこうのとう話ではなく、周りにいじくられているだけっていう感じがいないめないのが残念だ。もうちょっとなにかが違っていたら、気持ちのいいロマンチック・コメディになっていたのに・・。もったいない。 ▲
by ssm2438
| 2010-01-21 04:50
2010年 01月 20日
![]() 脚本:エドワード・ボンド 撮影:ニコラス・ローグ 音楽:ジョン・バリー 出演: ジェニー・アガター (姉) リュシアン・ジョン (弟) デヴィッド・ガルピリル (アボリジニの少年) * * * はじめの公開時のタイトルは『美しき冒険旅行』。私はリバイバルでみたので『WALKABOUT 美しき冒険旅行』のタイトルでした。 「ウォークァバウト」(原題)というのは、オーストラリアの原住民アボリジニにふるくから伝わる風習の一つで、男子が十六歳になると、文明のほとんどない原野で一年間独力で暮らしていかなければならない。その修行の放浪生活を「WALKABOUT」と呼ぶ。 この映画はジェニー・アガターだろう。『2300年未来への旅』で魅了されてしまった私は、彼女のほかの映画をみたくてしょうがなかったのだがなかなかおめにはかかれない。そんなとき子の映画は新宿高島屋のなかのミニシアターでリバイバルされるときいて見に行った。劇場でみる初ジェニー・アガター(当時16歳)はみずみずしてく素晴らしいのひとこと。私にとっては「彼女が出てるなら見る!」という数少ない女優さんのひとり。 監督のニコラス・ローグはもともと撮影監督だった人で、『華氏451』や『アラビアのロレンス』などを撮っている。本作では広角レンズを使った画面をポイントポイントでけっこう使っている。しかしこの人の広角レンズは嫌味がなく美しいので、けっこう好きだ。反対に実相寺昭雄の『曼陀羅』の広角レンズの画面などはみてて不愉快きわまりない。そういう意味では広角レンズの使い方の手本となるべき作品かもしれない。 <あらすじ> 父の車でオーストラリアの砂漠の奥地までつれてこられた14歳の少女(J・アガター)と六歳の息子(L・ジョン)。しかしそこで父は唐突に自殺してしまう。車も炎上し、途方に暮れた少女は弟を連れて砂漠をさまよった。そんな二人を助けたのが、アボリジニの少年(D・ガルピリル)。彼はアボリジニ男子が16歳になると、一人荒野で1年間サバイバル放浪をしなければいけない「ウォークァバウト」の最中だった。 警戒心のある姉をさしおいて、無邪気な弟は次第に彼と打ち解けるようになり、姉も警戒心を解いていった。彼らは一緒に狩りをし、泳ぎ、原始的な生活を楽しんだ。三人は砂漠を越え、小さな空家にたどりついた。三人はその家に住むようになり、男は食物を探すために表にでて、女の子は家を守った。ある日少女が、上着を洗濯していると、突然少年が現われ、彼は踊りだした。それは性欲をしめす踊りだった。少年は愛が受け入れられるまで飲まず食わずで踊り続ける。もし受け入れられなければ・・・。姉は許さなかった。その少年は死んだ。姉弟は無事人がいる町にたどりつき救助された。数年後、成長した少女は平凡な主婦として生活していた。しかし彼女の脳裏には、あのアボリジニの少年とすごし美しい日々が心のなかに焼きついていた。 ![]() ▲
by ssm2438
| 2010-01-20 23:25
2010年 01月 20日
![]() 脚本:ハーレイ・ペイトン 撮影:ダンテ・スピノッティ 音楽:クリストファー・ヤング 出演: ブルース・ウィリス (ジョー・ブレーク) ビリー・ボブ・ソーントン (テリー・コリンズ) ケイト・ブランシェット (ケイト・ウィーラー) トロイ・ギャリティ (ハーヴィー・ポラード) * * * 原題の「バンディッツ」っていうのは「強盗」「追剥ぎ」のこと。どこかアメリカン・ニューシネマのにおいがする、銀行強盗をエンジョイしながららやる映画。ただ、子の映画はアメリカン・ニューシネマというよりも、普通の掛け合いコメディの映画だろう。ふたりの強盗団のなかにケイト・ブランシェットが介入、最初はブルース・ウィリスと仲良くなり、そのあとビリー・ボブ・ソートンとも仲良くなってしまうから話がこじれてくる。 監督は『レインマン』、『グッドモーニング、ベトナム』などのバリー・レビンソン。手堅い監督さんだが、スーパーヒットにもなりにくい感じの人。5ミリくらいツボをはずすんだよな・・(苦笑)。もうちょっと何かが良かったらめちゃめちゃ感動するかもしれないのに、いつもそこまで行き着かない不満感をつねに感じさせる不思議な監督さん。 ケイト・ブランシェットの、ボニータイラーの『HERO』をBGMに料理をするシーンはなかなかいかす! ビリー・ボブ・ソートンが誰かしらの車を奪って帰ろうとして彼女の車の前に飛び出したら、そのままヒット。たいしたことはなさそうで、そのまま車にのせて病院に運ぼうとするケイトを銃でおどすビリー・ボブ・ソートンだが、まったく相手にされない。「絶望ってのは、毎日朝起きて車にのったら、このままどっかの電柱につっこんでしまおうかって思っているような精神状態のことよ」と過激運転。このへんのくだりは実に楽しい。 <あらすじ> タフガイのジョー(ブルース・ウィリス)と心気症に悩まされるテリー(ビリー・ボブ・ソーントン)は、オレゴン州立刑務所を脱獄すると、ジョーの従兄弟ハーヴィー(トロイ・ガリティ)を仲間に加え銀行強盗を続けていく。彼らの手法は、前日にその銀行の責任者宅に押入り、そこで一晩お泊りし、翌日銀行が開業する前に責任者とその家族をつれて銀行にいき、まだ誰もいないうちにお金を盗んでしまうというもの。 そんなある日、彼らの前に愛されていない主婦生活に飽き飽きしていたケイト(ケイト・ブランシェット)が現われ仲間入り。その夜ケイトはジョーと仲良くなってしまうが、ある銀行を襲った後のトラブルで、ケイトはテリーと、ジョーはハーヴィーと別れて逃げることになり、その逃避行の間にケイトはテリーとも仲良くなってしまう。数日後4人は合流するのだが、そのことで2人の友情は揺らぎはじめ。どりらも選べないというケイト、結局どちらもお預けの日がつづけ、二人は取っ組み合いのけんかになる。そんな二人をみてケイトは、もうやっていけないと出て行く。 「これが最後だ」と決めたジョーとテリーは白昼強盗に入るが、ケイトのたれこみもあり銀行は警察に包囲される。緊張の中観念したテリーはジョーに銃を向け人質を解放、自らも投降するという。頭にきたジョーがテリーに威嚇発砲。二人は銀行で互いを撃ち合い息絶える。しかし・・・。 ▲
by ssm2438
| 2010-01-20 20:11
2010年 01月 19日
![]() 脚本:ジェラルド・ディペゴ 撮影:ピョートル・ソボチンスキー 音楽:マルコ・ベルトラミ 出演: ジェニファー・ロペス (シャロン) ジム・カヴィーゼル (キャッチ) * * * 個人的にジェニファー・ロペスはあまり好みではないのだけど、『アンフィニッシュ・ライフ』といいこの映画といい、いい感じで描かれている。大昔『ザ・セル』を見たときは、もうジェニファー・ロペスはいいやって思ったものだが、いい役をこなすようになってきましたな。 監督は『男が女を愛する時』、『メッセージ・イン・ア・ボトル』などのルイス・マンドーキ。『男が女を愛する時』はあんまりよくなかった・・。『メッセージ・イン・ア・ボトル』はまともに全部みたことがないのでちょっとコメントできないが、どちらかというとちょっと苦手なタイプかなって思っていたが、シーンごとに「あ、これわかる、わかる」がけっこうちりばめられているのです。もしかしたら脚本のジェラルド・ディペゴの力かもしれない。これはもうちょっと二人の作品をみてみたないとなんともいえないので今後の宿題ということに・・。 この物語には二人の孤独な男と女がでてきます。 1年前、交通事故で妻と子供を亡くしたキャッチ(ジム・カヴィーゼル)は、まだその現実が受け入れられない状態で、心のリハビリ中。仕事につくこともなく保険金ですごしている。そんな彼が街角のレストランの中に、みたことのあるような婦人警官を発見する。彼女こそ、事故のときに自分の手を握り、意識がもうろうとする自分にずっと声をかけ続けてくれた人(ただ、この時点では、それが彼女とはわからず、でも、どこかでみたことのあるような、親近感を覚える人・・くらいの感じだったんだろう)。彼女はシャロンという名だった。彼女といることで、すこしづつ人間味をとりもどしていくキャッチ。しかし、彼は彼女になかなか自分の本名も、過去も話そうとはしない。 シャロン(ジェニファー・ロペス)は、物事を正論で処理しようとするタイプ。一見理想主義者ですが、正論を論じ、正論のように行動しておけば、ホントの自分を表現する必要がないからで、これは自分をさらけ出すのが怖いからで、自己防衛本能が強すぎるのでしょう。子供の頃、父が母に暴力をふるうのを見て育ち、そのたびに兄が間にはいって殴られていたのを見て育ってきた女の子。それが成人し警官になり、そんな母に対して暴力をふるう父を逮捕してからというもの、家族間はギクシャク。母はそういう父の一面も含めて、共に生きる夫として認めているのであり、正論だけをふりかざすシャロンは、家族(父だけでなく、母や兄もふくめて)からも孤立していた。 そんな彼女にとって、キャッチは、得たいの知れないところは不安だが、心が休まる穏やかさをもっていた。自分の住所も教えてくれないキャッチをつけて彼のアパートにおしかけるシャロン。そこは殺風景でほとんど生活の臭いがしない部屋。台所の引き出しにはフィギュアが詰まっている(・・・怪しいオタク?)。 のにちキャッチがスティーブという男性で、1年前の交通事故の被害者であることがわかる。しかしここでもシャロンは正論をふりかざし、「現実を見つめない」とダメとキャッチを、妻と子供が眠る墓地に連れて行こうとするが、彼にとってはまだその心の準備は出来ていない。無理強いするシャロンを突き放してさっていってしまう。 一方シャロンの母は父と誓約の更新(銀婚式のようなもの?)なる儀式をするとうが、その式に招待されても本気では祝福できる気持ちにはなれないシャロン。式のあとのホームパーティでも、「今日は言い争わないで」と制する母をふりきって父に問いただす、「私はほんとにパパから愛されているのか? ほんとに招かれているか? 私がここにいてパパは嬉しいのか?」と。 父は冷たくこたえる、「私は、娘はいないものだと思っている・・・」。 怒涛のむなしさに襲われるシャロン。 そのころキャッチは、妻と息子の墓標のまえにたたずんでいた。大事にとっていた息子の玩具は、同じアパートにすむ男の子のすむ部屋のドアのまえに置かれていた。 ・・・これ痛いね。男にとって思い出の品を処分するというのは、あまりにも心に痛いこと。男ってコレクタースピリット多かれ少なかれもってるので、愛したしんだものってのを捨てられないんだよね。ただ、こういう思い出を未来にために裏切る映画ってのはどうも好きで・・・、これやられるとけっこう泣けちゃうんだよね。 シャロンはパーティの模様を記録している親戚の誰かのカメラで、父と過ごした楽しかった思い出のシーンを語る。階段でその言葉をきいている父もやや感動ふう。パーティを飛び出す時ちらっとシャロンと父は目をあわすが・・・たぶん伝わったのだろう。ささやかな今後の希望をのこしつつも、でもそこは無言でわかれていく。 表に出てみると、キャッチがすべてをふっきったような穏やかな顔でまっている・・・。 いやああ、多少のまどろっこしさはあるのだけど、なかなか染み込む映画でした。 ▲
by ssm2438
| 2010-01-19 19:50
|
アバウト
![]() 主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。 by ssm2438 リンク
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