2010年 06月 11日
![]() 脚本:J・D・ザイク 撮影:リチャード・クルード 音楽:ジェラルド・ブランスキル 出演: ティーヴン・セィーガル (マット) レネー・エリス・ゴールズベリー (ドレア) ブランチャード・ライアン (リズ) ポール・カルデロン (ブルー) ランス・ヘンリクセン (老人) * * * 最近のスティーブン・セィーガル物の中では、これ、意外といいんじゃないか! このての話ではありがちなのだけど、全体的にとても高揚感を感じる映画になってる。もと特殊部隊の特殊鋼索引で、その後刑事となった男が、諸事情があり免職、その後酒とギャンブルにおぼれてる。そんなスティーブン・セィーガルのもとに怪しいご老人が接触、法では裁けない悪を闇の世界で葬る仕事を依頼するようになる。まあ、洋物の必殺仕掛人のようなものだ。 しかしセィーガル、ちょっとデブ。もうちょっとやせたほうがいんじゃないか? もうさすがに革ジャンは脱げないだろうなあ。“H”シーンも代役立てないと腹が出てて出来ないだろう。本編のなかにも一応それらしいシーンはあったが、見事に窓越しで抱き合っているだけにしてあった。ありゃあそうとうお腹がたるんでいるとみた。 しかし女性人もとてもいい。エクス・ワイフ役のブランチャード・ライアン(←)はシャーリズ・セロンとキャサリン・ハイグルを足して2で割ったような風貌でもんくなく美しい。これからブレイクしてくれれば幸いである。それにパートナーの一人の女性ドレアを演じているレネー・エリス・ゴールズベリーもとても好感がもてる。主人公マット(スティーブン・セィーガル)の娘を演じるリディア・ジョーダンは、実の娘・藤谷文子(『ガメラ 大怪獣空中決戦』の草薙浅黄)に似ているから、ちょっと意識して選んでるのかもしれない。 <あらすじ> コネティカット州ブリッジポート。今は酒とギャンブルにおぼれる元刑事マシュー・コナー(スティーブン・セィーガル)はギャンブルで多額の借金ってしまい、その借金をかたがわりしてくれた素性不明の老人(ランス・ヘンリクセン)と会うことになる。老人はマットがかつて特殊部隊の暗殺チームに所属した伝説の暗殺者である過去を知っており、彼に法で裁けぬ犯罪者の暗殺の仕事を持ちかける。 マットはその老人からの依頼をうけ、北朝鮮の工作員と組んで偽ドル札製造で荒稼ぎするイタリアン・マフィアのブルーノと、その取引相手であるチャイニーズ・マフィアのリンを首尾よく抹殺する。だが、3人目の標的は別れた妻リズ(ブランチャード・ライアン↓)の再婚相手であり、娘(リディア・ジョーダン)の新しい父親で、マットのかつての同僚で親友でもあるスティーヴだった。 マットは、親友であり、娘の育ての親であるスティーブは殺せないと組織を抜けようとするが、スティーブの正体ははやり犯罪者だった。娘を人質にとったスティーブだが、組織の仲間、ドレア(レネー・エリス・ゴールズベリー)や、ブルー(ポール・カルデロン)のサポートもある、彼を始末する。 ![]() ![]() ▲
by ssm2438
| 2010-06-11 00:09
2010年 06月 09日
![]() 脚本:ジム・トーマス/ジョン・C・トーマス 撮影:アレックス・トムソン 音楽:ジェリー・ゴールドスミス 出演: カート・ラッセル (デイヴィッド・グラント博士) ハリー・ベリー (キャビンアテンダントのジーン) ケイヒル (オリヴァー・プラット) * * * あざといはらはらどきどきだけなので、けっこう退屈だったりする。 あんまりあざといはらはらどきどきばっかりだと、作為性を感じてしまいすっごくさめてみてしまう。おかげでふ~~~~んな映画だった。私なんか、貨物室は氷点下以下にさがるとか。一昔前に貨物室にもぐりこんだお子様が凍傷にかかったがなんとか一命をとりとめて救出されたという事件があった。それを知ってたので皆さん凍死するんじゃないかと心配してたけど、平気だったね(苦笑)。 <あらすじ> ワシントンDC行きの747型ジャンボ・ジェット機がハイジャックされた。テロリストの主犯格ハッサン(デイヴィッド・スーシェ)は、組織のリーダーの釈放を要求する。緊急会議の席上、米陸軍情報部顧問のデイヴィッド・グラント博士(カート・ラッセル)は「世界一殺傷力の強いソ連製の毒ガスDZ-5を盗んだ彼らは、ワシントン攻撃を狙っている」と、驚くべき仮説を立てる。 輸送機は無事、ジャンボ機との接続に成功し、メンバーは次々と乗り込んでいく。6人のチームは、限られた時間内で、テロリストたちに見つかることなく、機内の狭い空間を移動しながら、毒ガスと起爆装置を発見しなければならない。しかも、グラントは起爆装置を持つ人間(=スリーパー)は、武装したメンバーの中ではなく、一般の乗客に紛れ込んで乗っている。グラントは、勇敢なスチュワーデスのジーン(ハル・ベリー)と連絡を取り、彼女の強力を得て、一歩一歩作戦を進めていく。 ▲
by ssm2438
| 2010-06-09 23:58
2010年 06月 07日
![]() 原作:マルグリット・デュラス 脚本:マルグリット・デュラス 撮影:サッシャ・ヴィエルニ/高橋通子 音楽:ジョヴァンニ・フスコ/ジョルジュ・ドルリュー 出演:エマニュエル・リヴァ/岡田英次 * * * 引き出しの奥に入れてそっと隠しておいた記憶。忘れているわけではないのだが、日常生活の中ではそれを忘れたように振舞っている。そのまま忘れてしまうこともあるだろう。しかし、新しい出会いあったとき、それは捨てられるために思い出される。でもそれが捨てられないことだってある。その場合は今のある可能性を捨てることになる。 ほとばしる熱いパトスで、思い出を裏切るなら・・ってすごい歌詞だなあってつくづく思った。 この映画の前作と脚本はマルグリット・デュラス。私は彼女が描いた原作の映画jは『愛人/ラマン』と『かくも長き不在』、そしてこの『二十四時間の情事』しかみてないのだが、たぶんこれが一番いいのではないか。ストーリーもそうだが、アラン・レネの怪しい演習もこの映画に関しては成功していると思う。原題は『ヒロシマ・モナムール』。この作品は1959 年度カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞と1960年度ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞を受賞している。 女は女優で、ロレーヌ川沿いにあるヌヴェールという街で生まれ、戦争が終わるとパリにでて女優になり、今(戦後14年がたっている)、原爆をテーマに反戦映画を撮りにきている。男は原爆で家族のすべてを失った建築技師。どういういきさつでこの二人が知り合い、情事にいったのかは語られていない。さほど重要な要素ではないのだろう。さらに男と女の名も紹介されていない。しかし最後のシーンで、男の名前は「広島」、女の名前は「ヌヴェール」と言っている。それぞれの街を象徴化、人物にそのキャラクターを投影して描かれているということなのだろう。 以下、本ブログでは男を「広島」、女の「ヌヴェール」という名前として書いてみることにする。 映画の冒頭、抱き合った男女の部分を移しながら、「私、広島で何もかも見たわ」というヌヴェール(エマニュエル・リヴァ)の声がはいる。「君は何も見ちゃいない」という広島(岡田英次)。画面には原爆の資料映像やら原爆博物館の展示品やら、それをみてまわる人たちが映し出される。そんな画面をながされるなか、ヌヴェールは「広島の総てを知ってる」と繰り返し広島は「君は何も見ちゃいない」と繰り返す。やがて朝になり、ホテルから出て別れる時に、ヌヴェールの「知る」には「感情移入」がないことを指摘する。 翌日にはフランスにたつヌヴェールにしてみれば。朝の別れが最後だったつもりなのだが、広島が彼女を探し当ててしまう。ヌヴェールは誘われるままに広島の家を訪れる。妻は雲仙に行き留守だ。それまでお互いが結婚している事実は語られていなかったようだが、ここでそれが語られる。しかし抱き合う二人。ヌヴェールが故郷の町のことを少し筒語り始める。 場所移動があり、大田川沿いにある『どーむ』という名のカフェバー。そこでヌヴェールは彼女のひめたる過去を少しづつ語り始める。ドイツ占領下の故郷で、当時19歳の彼女は23歳のドイツ兵の若者と恋におち、人目を忍んでお互いの体を求め合った。二人は終戦が近づいてくる中、彼女は故郷を捨てそのドイツ兵と駆け落ちする決心をしていた。しかし待ち合わせの場所にいってみるとそこには撃たれて死にかけている彼がいた。一晩彼に寄り添っていたがそのドイツ兵は死に、ヌヴェールは売国奴と非難され、リンチにあい、髪をきられて丸坊主にされた。フランス国民として、娘の裏切りを許せなかったヌヴェールの父は彼女を地下室に閉じこめた。彼女は地下室で二十の誕生日を迎えた。髪も伸びたある日、母が彼女を夜のうちパリへ発たせてくれた。 (彼女の故郷の町ヌヴェールでのドイツ人兵士とのやりとりは望遠レンズで撮られており、画面が美しい。それに大して現代の広島の画面は標準で、しかも被写体に近いところから撮られている。このあたりの使い分けもさりげなく気を使っているようだ。 大事なことでも人は忘れていく。しかし、もし忘れることがなかったとしても、未来を生きるためには忘れたことにして生きてかないといけないことが多い。それはヌヴェールの戦争の痛みも、広島の痛みも一緒である。この映画は、ヌヴェールが広島の戦争の痛みに触れることで、自ら封印していた過去に再会する話なのだろう。 ▲
by ssm2438
| 2010-06-07 12:35
2010年 06月 06日
![]() 脚本:ティモシー・プラガー 撮影:ウォルター・マッギル 音楽:ハル・リンデス/アンソニー・マリネリ 出演: マイケル・キートン (マーティン・レイクス) ジュディット・ゴドレーシュ (レイラ・フォーリン) マイケル・ケイン (ジェイク・メローズ) * * * マイケル・キートンも老けたなあ・・ 話はそこそこ飽きさせないでみさせてくれるのだが、ストーリーをひねりすぎてて、リアリティにかけてしまったような気がした。もうちょっとシンプルにつくればそこそこ面白かったのではないかと思うのだが・・。 これをみて思ったのだが、インターネットとかデジタル機器で撮られたビデオ映像とかって、証拠として通用するんだろうか? そのむかし、ネットを通じて撮られた画像がニュース映像と流されるようになり始めたころ、どこかの新聞社がうちの写真はアナログデータで記録されたものしかニュース商品として認めていない・・ってコメントしてたのを記憶している。デジタル映像というのは改ざんの可能性があるのでそんな姿勢を貫いていたのだろう。もっとも今、そのコメントをした会社がそのスタンスを貫いているかどうかは怪しいが・・。 ただ、この映画をみて思ったのは、とにかくデジタル機器を使って入手した映像への信頼感はきわめて証拠として低いということだ。 この物語では、主人公のマイケル・キートンが、彼の銀行に送金されてきたお金が怪しいとにらみ、マネーロンダリングではないかと調査に行くところから始まる。その後事件に巻き込まれて、南仏のどこかの年の警察署長が殺される事件がおき、その犯人にしたてあげられてしまう。なんとか警察の手を逃れて真実を突き止めていくのだが、最後は結局どうしてこうなったのか・・とう真犯人の証言をビデオ撮影することによって無実を証明するのだが、見終わった後の感想が「・・・これでほんとに解決されたことになるのかなあ・・???」だった。 確かに物語の中ではそれなりに物語りは解決してるのだけど、あれだけ解決のなかにネットやデジタル機器が介入してるとそこで行われたことが正しくても、信憑性にかけてくるような気になる。 ・・・やっかいな時代だ。 <あらすじ> ニューヨークのシティ・信託銀行の監査責任者レイクス(マイケル・キートン)は仕事一筋の人間で社内での人望は厚いが、その仕事一筋の姿勢のために家族は離婚、元妻と娘はイギリスに移住している。ある日米国司法省に「シティ・信託銀行がフランス映画スタジオのマネー・ロンダリングに関与している」と書かれたファックスが送信されてくる。レイクスも巨額の不明送金が行われたことを確認、送り主はルミエール・グループが関与する映画スタジオだった。ヨーロッパに飛び調査を開始するレイクス。 レイクスが訪れたスタジオでは、落ち目のアクションスター、ジェイク・マロウズ(ケイケル・ケイン)の映画を撮っている最中だった。ルミエールに対して「投資家のリストが見たい」と要求するレイクス。しかし彼のホテルに送られてきたのは札束の入ったスーツケースだった。ルミエールはロシア系のマフィアで、その会社を通じてマネー・ロンダリングしていたのだ。その受け取りを拒否したことから彼は殺人犯の濡れ衣のをかぶせられ、警察に追われる羽目になる。一方アメリカ司法相にファックスを送った財務責任者であるレイラ(ジュディット・ゴドレーシュ)も命をねられわる。 ルミエールはイギリスにいるレイクスの娘を人質にとり、レイラを渡すように要求してくる。映画スタジオでの人質交換に応じたレイクスはジェイクと組、映画撮影のトリックを使い娘を救出、犯人の自白シーンをビデオに収めることに成功するのだった。 ▲
by ssm2438
| 2010-06-06 19:49
2010年 06月 04日
![]() 脚本:ジョン・ヒューズ 撮影:ドン・ピーターマン 音楽:スチュワート・コープランド 出演: ケヴィン・ベーコン (ジェイク) エリザベス・マクガヴァン (クリスティ) * * * ジョン・ヒューズなのに全然面白くない、なぜだ!? 『ブレックファスト・クラブ』と『フェリスはある朝突然に』の二本で、私の中ではジョン・ヒューズはあがめるべき監督さんになったはずなのに、この映画だけはなんだか全然面白くなかった。実に安直な展開。主演の二人(特にエリザベス・マクガヴァンは大ファンなので)はとても好感がもてたのだが、この映画はエリザベス・マクガヴァンのファンかケヴィン・ベーコンのファンでないとダメだと思う。ちなみに当時のケヴィン・ベーコンはまだ青春真っ盛りの好青年の役もおおかった(今ではホモか怪しい犯人のやくばっかりだけど)。 いまとなっては、洗面所で飲もうとしてたピルを落っことし、決心のすえそのまま流してしまうシーンがやたらとインパクトある演出だったことだけは鮮明に覚えている。いやあ・・・、女は怖い生き物である。 ちなみに撮影は『フラッシュダンス』のドン・ピーターマンである。この人好きだ。でも、この映画には彼のよさもさほど反映されてなかったりする。 <あらすじ> お互い一目ぼれのジェイク(ケヴィン・ベーコン)とクリスティ(エリザベス・マクガヴァン)は、またたくまに結婚する流れとなってしまった。しかしジェイクは式を直前にして迷う。作家になりたいが家庭も持ちたい、理性はあるが感情に素直でいたいと。しかしとりあえず2人の結婚生活はスタートした。広告会社に就職したジェイクはローンで新居を購入するが、このころから二人の関係がギクシャクしはじめる。そんなある日のこと、妊娠を願うクリスティがこっそりとピルを飲むのをやめてしまう・・・。 ・・しかし、映画はこのあと妊娠、方向性が固まった二人はそのまま幸せになってしまうという話。なんかなあ・・もうちょっとひねりがあってもよかったのに・・とおもった映画であった。 ▲
by ssm2438
| 2010-06-04 20:57
2010年 06月 04日
![]() 脚本:ブライアン・ホールフェルド 撮影:スティーヴン・H・ブラム 音楽:マイルズ・グッドマン 出演: ケヴィン・ベーコン (ダン) エリザベス・パーキンス (ローリー) シャロン・ストーン (リンダ) * * * おおおお、シャロン・ストーンが健全(?)に綺麗だ。 この映画で珍しくヒロインしてたのがエリザベス・パーキンス。この人、今ひとつビッグに当たらなかったなあ。それも理解できるけど、けっこう私は好きな役者さんなんだけど。 この人をはじめてみたのは『きのうの夜は・・・』のデミー・ムーアとルームシェアしてた女の子。けっこう辛らつなことをいってたけど、なかなか可愛いと思った。そのあと見たのが『ビッグ』。なんとここではトム・ハンクスの相手役。それも恋人役である。どっちかというと二枚目半的な女優さんなんだけど、この映画ではいけてるクールなキャリアウーマンという役柄。ま、そのうちトム・ハンクスに影響されてだんたんと人間が丸くなってくるんだけど、この役は良かった。あと印象にのこってるのは・・・あんまりないか。アラン・ルドルフの『探偵より愛をこめて』、これはトム・ベレンジャーの相手役立ったけど、なかなかチャーミグングだった。あとは・・・『わが心のボルチモア』かな・・・。これ見たときは一気に老けたなって思った(苦笑)。服装のせいか、おそろしいほどあの年代に似合っていた。でも年代的には、この『ヒー・セッド、シー・セッド』の前に撮られた映画なのだけど。そんなわけで、この映画は私の中ではエリザベス・パーキンスの輝いた最後の映画・・という位置づけになっている(苦笑)。 下にもひとつ写真を張り付けておいたが、この映画のエリザベス・パーキンスのスチール写真は妙にクラシックな女優っぽくていい感じなのである。 制作スタンスとしては、男性側の言い分を描くときは男性監督が撮り、女性側の言い分を描くときは女性監督が撮ったとうこの映画・・、どうなんですかね? あんまり機能してたとはおもわなかったけど。話題づくりだけだったのかも。 ![]() 物語はそんな番組のあとの控え室から、ダンの回想として二人のドラマが語られていく。映画の前半はダン(ケヴィン・ベーコン)からみた二人のドラマ、後半はローリー(エリザベス・パーキンス)からみた二人とドラマ、双方の視点から、まったく同じシーンで展開させていく構成。かし初デートの記憶は、ダンから見ればときめくデートでも、ローリーにはとってはダンが強引な男だったとしか残っていなかったりする。男と女の価値観の違いなのか、同じことなのだけど、それぞれの解釈がまったくちがってたりする。そう、男と女の話す言葉は同じ言葉でも違うのである。 ちなみにダンの不倫相手、というか、セックスも出来る気楽な女友達の役がシャロン・ストーン。ドラマの最後では、このシャロン・ストーンとのもっとのいごこちのいい関係を捨てて、ダンはローリーを選ぶのであった。 ▲
by ssm2438
| 2010-06-04 20:27
2010年 06月 03日
![]() 脚本:ジャック・リヴェット パスカル・ボニツェール クリスティ・ローレン 撮影:ウィリアム・ルプシャンスキー 音楽:イゴール・ストラヴィンスキー 出演:ミシェル・ピッコリ エマニュエル・ベアール ジェーン・バーキン * * * この映画は、オレノ・ド・バルザックの短編『知られざる傑作』をベースにして作られている。 まず、モデルを前にして絵を描くということは、描き手にとってはプレッシャーのかかる作業である。自分が描いているものはモデルの人もあとで見るだろうし、そこで認められるかどうかという恐怖があり、それをねじ伏せても自己満足できるだけの魂の張りがなければなかなか描けないものだ。きわめてデリケートなのだ。 そして、出来る限り魂を内側を象徴するポーズを求めたい。指を伸ばす方向、腕をひねる方向、体のひねりも、屈伸も、すべてが筋肉の線として浮き上がる。しかしほしい絵はつねに一杯一杯の稼動限界の絵であったりする。その状態ではじめて筋肉は一杯に伸び、あるいは縮んでいることになる。しかし、稼動限界の位置でポーズを固定することはモデルにとってもかなりエネルギーを必要とする作業だ。射撃やビリヤード、弓道などの筋肉は動きを固定するために使われるが、同じような疲労感を感じる作業となる。 二人で絵を作っていくというのは、精神的にも体力的にもかなり大変な作業であり、どちらかが折れたらそれで終了する。あんたがやめない限り私はつづけるわよ!っていうカッコたる意思が必要になる。と同時にそれは成し遂げなければあんたはクズよ!という軽蔑を意味する無言の脅迫にもなる。納得するものが出来上がるまでには、お互いの意地の張り合いが延々と続く。そしてその間は納得するものが出来ないことを許さない精神状態に達している。 描く側にしてみれば、アバウトなイメージのなかから求める線を見つけ続けなければならない。もしかしたらそこにはないかもしれない。あるのならそのまま続ければいいが、ないのならポーズを変えなければいけない。それはモデルの今までのがんばりを無駄にすることになる。そのポーズをつづけてもプレッシャー、やめるのもプレシャー。生き地獄である。 これはその生き地獄を戦い抜いた画家とモデルの話である。この映画は渋谷の文化村で見たのだが、見終わったときの疲労感と満足感はとても気持ちがいいものだった。 ▲
by ssm2438
| 2010-06-03 12:24
2010年 06月 03日
![]() 脚本:マーティン・ホイーラー 音楽:デヴィッド・ワースト/エリック・ワースト 出演: スティーブン・セィーガル (ジョナサン・コールド) タマラ・デイビス (アマンダ・スチュワート) * * * 弾があたらないのが不思議。もうちょっとカッティング考えてほしいものだ。 一応劇場公開された『撃鉄 GEKITETZ ワルシャワの標的』の続編。ヨーロッパを部隊にしたクールなCIA諜報員のスパイ・アクションだがいつものセィーガル映画の派手さはなく、地味にまとめてる感じ。一応映画会社は映画として作ったのだろうけど、前作があまりに地味だったのでこの2本目は日本では公開はされず、ビデオ発売のみとなったみたい。各方面チェックすると1作目よりは評判はいい感じ。・・・しかし、演出・編集はかなりおそまつ。 どうみて撃たれるだろうといようなシチュエーションでその弾があたらない。おまけにはずれた描写でもあればすこしは納得できるのだけど、それもないので、かなり間の抜けた銃撃戦がちらほら。下手な演出の見本だが、いわゆる「ショッカーの戦闘員は仮面ライダーが変身するまで待っているべし」の法則。主人公が事をなすまで敵側が待っている印象を与えてるようではダメ。撮影時はある程度の尺でとってるのだろうけど、編集する時はそこは考えないと。 スタントマンを使ったところも、もうとっと短いカットにしてやればそれほど不自然でもないのに、わざとスタントマンを使ってるシーンを見せようとしてるのか、あきらかに本人がやってないのばばればれ。おまけにセィーガルのスタントマンやるんだったらお腹に座布団くらいまきつけていかないと、スタントマンのところだけスマートにみえる! 体格くらいあわせておこう。 ただ、低予算ながら諜報員としての活動を描いた映画のシナリオとしては、一応の完成度には到達している。監督のアレクサンダー・グラジンスキーは撮影監督さんだが、今回はこれで初監督。どういう経路でそうなったかは分らないが(きっと監督が決まらず、おまえやってみるか」みたな安易な決定だったのだろう)、見せ方はもうちょっと勉強してほしいかな。 <あらすじ> 物語は二つの犯罪グループが絡み合って進行していく。 その一つは東ヨーロッパで暗躍するチェチェン過激派グループ。その指導者がCIAによって暗殺されたことから同士ニコライはロサンゼルスで核爆弾を爆発させるというもの。彼らはヨーロッパ各地で強盗を行い資金をあつめていく。 彼らが核爆弾を入手する相手が武器商人ジェームズ。こちらの組織にもぐりこんでいたのがジョナサン・コールド(スティーブン・セィーガル)。そして彼らの動きを関していたのがCIAの捜査官アマンダ・スチュワート(タマラ・デイビス)。 物語はアマンダがジェームスたちに捕まってしまったところから、ジョナサン・コールドが行動するはめになり、彼女を救出し脱出。一方ニコライはプルトニウムを手に入れ、計画に着手するのだった。 二つのグループが緊張感をもって接触しているのは悪くない。予算と監督がよければそこそこ良い出来のものになっていたような話なのだ。できるならこういう話はジョン・フランケンハイマーにとってほしいものだ。 ▲
by ssm2438
| 2010-06-03 09:33
2010年 06月 02日
![]() 脚本:ロバート・ガーランド 撮影:ジョン・オルコット 音楽:モーリス・ジャール 出演: ケヴィン・コスナー (トム・ファレル海軍将校) ジーン・ハックマン (デビット・ブライス国防長官) ショーン・ヤング (ブライスの愛人) * * * 全く落ちも読めないし、先も読めない計画性を欠いたシナリオが・・・良いのか悪いのか(苦笑)。 とにかくストーリーがまったく予期しない方向にすすんでいく映画。この映画は「良い映画」なんかを作ることをはなっから放棄し、ひたすら観客に先をよませないだけの映画を作ったんじゃないかと思うくらい、先が読めない。さらにその展開が主人公のケビン・コスナーにしてみれば理不尽そのもの。さらにヌードをサービスしてくれたショーン・ヤングもあっというまに死んでしまい消化不良。 意図してこういう話をつくったとしたら、この監督はよっぽど自分の映画を作る能力に自身がなかったんだね。ひたすら見る人の裏をかくことだけを提示してくる映画になってる。もし、この人が少しでもドラマ的になにかを提示したいとおもってたらこんな映画は絶対つくらないはず。 <あらすじ> 海軍将校トム・ファレル(ケヴィン・コスナー)は、国防長官デイヴィッド・ブライス(ジーン・ハックマン)の就任舞踏会でスーザン・アットウェル(ショーン・ヤング)と出逢い、恋に落ちる。しかしスーザンはブライスの愛人だった。ある週末ドライヴに出かけた2人がスーザンの部屋に戻ると、ブライスが現れる。あわてて身を隠すフェレル。しかし事の次第を知ったブライスは嫉妬に狂いスーザンを2階から突き落としてしまう。 混乱するブライスは、秘書・プリチャードに助けを求めた。プリチャードはブライスを助けるために巧妙なストーリーを作り上げる。「スーザンはもう1人の恋人に殺された、その男はソ連のスパイであり、国家安全のため48時間以内に彼を抹殺する」、という筋書きを考え出す。翌朝、ブライスとプリチャードは犯人の調査をこともあろうにファレルに依頼した。 ブライスとブリチャーズが仕立て上げた架空の犯人とはフェレルのことであり、フェレルが調査をすればするほど、自分が犯人として誤解されていく。 ・・・しかし、その彼はほんとにソ連のスパイだった(笑)。 なんちゅう話だ。見終わったら気疲ればかりする映画だった。 ▲
by ssm2438
| 2010-06-02 21:08
2010年 06月 02日
![]() 脚本:マイケル・ブレイク 撮影:ディーン・セムラー 音楽:ジョン・バリー 出演: ケヴィン・コスナー (ジョン・ダンバー/狼と踊る男) メアリー・マクドネル (拳を握って立つ女) グレアム・グリーン (蹴る鳥) * * * 滅んでいくものの哀愁を見よ、怒涛のタタンカ狩りは最後の神聖な祭りか・・・。 きわめて良心的な異文化交流ものである。ただ、インディアンたちの文化力が、西洋文明には及ばなかったこもの事実であり、力ないものは敗走していくしかないのも事実。古の文化と共に滅びるも一つの選択しだし、西洋文明の中に溶け込むのも生きるための選択だし、非情だが本人たちの納得のいくように終わったのだろう。 この映画を見てつくづく感心するのが、アメリカ人のコミュニケーション能力。これは英会話をやっててもおもうのだけど、彼らの世界ではヒスパニック系がいたり、イタリア系がいたりで、アメリカ社会のなかでも言葉が通じない人が社会の中にいる。それでもそこにコミュニケーションがある。言葉の壁がある人たちと話そうとする意志を感じてた。この映画も、そのコミュニケーション力を感じるんだなあ。 『愛と哀しみの旅路』とかでも、アメリカに移住した日本人のタムリン・トミタとデニス・クエイドのラブストーリーだが、やっぱりアメリカ人は積極的に日本人の家族とせっしようとしてくれる。反対に日本人をみると、そこまで「伝えたい」と思って行動するシーンはあまりない。「伝わらなければいいや」で終わってしまう。本作でも、タタンカが来ることを教えようとしてバッファローのまねをするケビン・コスナーがいるが、ああいう「カッコなんか考えない、伝えるんだ!」って意志力が実にいい。 ただ、これは日本人が分ってもらうことに貪欲ではないというわけではないと思う。多分、日本人は全部分ってほしい、それが完結してはじめて理解しあえると思っているのだろう。でもアメリカ人は、「そんなの他民族なんだから完全に分かり合えることはない。でも部分だけでも分り合おう」と考えるから、積極的にコミュニケーションができるのだろうって思った。 映画としてはそれほどインパクトのあったアカデミー賞受賞作品か・・?と問われれば、私にとってはどっちかというと印象の薄いほうの作品なのだけど、ケビン・コスナーいい仕事をしたなって思えた。個人的にはそのあとラジー賞を連打された『ポストマン』のほうが好きなのだけど(苦笑)。 <あらすじ> 1863年、南北戦争。やけくそな自殺劇から北軍を勝利にみちびいてしまった北軍中尉ジョン・ダンバー(ケヴィン・コスナー)は殊勲者として勤務地を選ぶ権利を与えられた。彼が選んだのはサウスダコタのセッジウィック砦。見渡す限りの荒野であり、砦とは名ばかりで、廃屋でぽつんとあるだけだった。 インディアンとコンタクトを取りたいと望んでいたダンバーは、軍服を来て星条旗を掲げてインディアンの集落をめざした。途中で1人の目の青いインディアン女性((メアリー・マクドネル))が倒れているのを助け、集落まで送り届けた。この事件がきっかけとなり、数日後数人のインディアンがダンバーの砦に返礼にやってきた。ダンバーは精一杯にもてなし、やがて、彼らは頻繁に行き来するようになる。 ダンバーが助けた“女拳を握って立つ女”(メアリー・マクドネル)は、幼い頃に拾われてスー族に育てられた白人女性だった。彼女を通訳に少しづつインディアンとのコミュニケーションをとっていくダンバー。ある夜、バッファローの大軍が砦の傍らを走り抜けてゆくのを目撃したダンバーは、シスコを駆って蹴る鳥たちにいちはやく知らせた。翌日、ダンバーも参加してバッファロー狩りが行われる。それは、毛皮目当ての白人の狩猟とは違い、神聖で心躍る儀式であり、ダンバーは、これまで味わったことのなかった調和と安らぎを覚える。 やがてダンバーは、“女拳を握って立つ女”と結婚、集落に自分のテントを持つようになり、“狼と踊る男”というインディアン名前をもらった。 冬が近づき、スー族とともに冬ごもりの土地へ移動する決意をしたダンバーだったが、克明に綴っていた日記が騎兵隊に見つかり、ダンバーは反逆罪に問われ、処刑を目前にした時。そんなダンバーを助けるためにスー族の勇者たちが急襲、彼は救われた。しかし、インディアンを追い立てる合衆国軍はそこまで迫っていた。インディアンたちは、ダンバーが同行しないことを提案、ダンバーは“拳を握って立つ女”とともに一族を離れ彼らを見送った。 ▲
by ssm2438
| 2010-06-02 20:39
|
アバウト
![]() 主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。 by ssm2438 リンク
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