2010年 11月 09日
![]() 脚本:ジョーン・ディディオン/ジョン・グレゴリー・ダン 撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ 音楽:トーマス・ニューマン 出演: ミシェル・ファイファー (タリー) ロバート・レッドフォード (ウォーレン) * * * 配役はいいのに話はかなり古臭い・・の謎 ニュース番組制作をテーマにした映画はいろいろあるが、基本的にはどれも面白い。ジェームス・L・ブルックスの『ブロードキャスト・ニュース』は、小気味のいい会話がとても素敵だし、テッド・コチェフの『スイッチング・チャンネル』も楽しい。この手の映画というのはどうしてもこういう言葉のやりとりの上手さを感じさせてくれるものを期待してしまう。しかし、この映画はそっち路線では全然なかった・・。 古いのが悪いとはいないが、これでいいのだろうか??って思うところもちらほら。 主人公の女性のメンタリティの基本が「私はあなたがいないとダメなのよ」が前面に出てる感じなのだ。一応最後は、ロバート・レッドフォードが死んじゃって、ひとり立ちをするしかない状態なのだが、全編をとおして描かれている物語のスタンスは、「彼がいてはじめて輝く私」というコンセプトを否定することなく描いている点なのだ。これをみて、今の女性たちがいい気持ちがするかどうか・・・という疑問がわいた。 そんなことからちょっと脚本を書いた二人の経歴をチェックしてみた。・・・なんと、この二人は夫婦だった!? その経歴をみると、いつもほとんど二人で仕事をしている。夫婦間の間柄が物語のなかの二人ににていたのかもしれない・・とふと思った。さらに調べてみると、この物語の主人公のタリーというは、70年代に実在したアメリカ初の女性アンカー、ジェシカ・サヴィッチの実話を基にしたロマンチックラブストーリーであることがわかった。つまりウーマン・リブ以前の女性観で書かれたドラマだったのだろう。 今のアメリカをみるとあまり考え付かないことだが、70年代のアメリカ女性というのは、男性への依頼心が強かったのかもしれない。マーティン・スコセッシィの『アリスの恋』などをみても、そんな部分がちらほらみられる。 <あらすじ> マイアミの小さなローカル局に拾われたタリー(ミシェル・ファイファー)。彼女の上司であるプロデューサーのウォーレン(ロバート・レッドフォード)は、かつて全国ネットのアンカーだった経歴をもつ。 最初はお天気お姉さんさからはじめ、現場のレポーターを経験、ウォーレンのさりげない誘導のもとに人気レポーターとして頭角を現していく。 やがて、フィラデルフィアのTV局から報道記者としての仕事が舞い込んでくるまになったが、ウォーレンへの尊敬の気持ちがいつしか愛に変わっていたタリーは、彼と離れることに躊躇するが、そんな彼女の背中をウォーレンは押してあげる。しかし、フィラデルフィアでの仕事はあまり楽しいものではなかった。人気アンカーウーマンのマーシャは、事あるごとに目の仇にされ意気消沈。輝きを失った彼女はついついウォーレンに電話をかけてしまう。電話ではそのことは話さなかったが、タリーのへこみ具合をただ事ではないと感じたウォーレンはマイアミからフィラデルフィアに来てくれる。 心のささえを得たタリーは再び活き活きと輝き始め、人気・実力共にマーシャを超えた彼女は、ついにアンカーウーマンの座を掴んでしまう。そしてウォーレンとの結婚も。さらに全米ネットのアンカーウーマンに抜擢されるのだった。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-09 09:39
2010年 11月 08日
![]() 脚本:ピエル・ジュゼッペ・ムルジア 撮影:ローサー・エリアス・スティッケルブル ックス 音楽:ピッポ・カルーソ 出演: ララ・ウェンデル (ラウラ) エヴァ・イオネスコ (ファブリツィオ) マルタン・ローブ (シルヴィア) * * * 思っていたより全然良い・・・。 この映画が公開された当時映画少年だった私は『スクリーン』という映画雑誌を毎月買っていて、双葉十三郎さんの「ボクの採点表」というコラムが大好きだった。☆=20点、★=5点で、映画の評価をしつつ、双葉さんがコメントをかいていたのだが、ほとんどの映画は☆☆☆(60点)以上で、たまにそれを下回るものもあったが、せいぜい☆☆★★★=55点くらいのもだった。そのなかでこの映画は☆☆=40点という見たこともない最低の点がついていた(苦笑)。 実際みてみると・・・、そんなでもない。人間性を分かっている上で作られて映画だなあと正直関心する部分や、どき!っとするような残虐性を発揮するシーンもあり、決してそれほど悪くない。子供の持つ残虐性を描いた映画なら最近の『隣の家の少女』のほうが突き抜けてしまっていっている感があり、かなりみてて不愉快。『隣の家の少女』では、14歳の少女を地下室に監禁して縛り上げ、裸にして、殺人暴行~殺人まで言ってしまっている。こちらは子供の遊びに親が出てきて、その親が指揮って少女メグをいたぶり倒していてるのだが、それにくらべたらこちらままだ子供の遊びの範囲にとどまっている。この子供の遊びの範囲で残虐性ってのが表現されているのでいいのだろうなあって思った。 児童ポルノということで世間がやたらと敏感になっているが、少なくともララ・ウェンデル(ラウラ)とエヴァ・イオネスコ(ファブリツィオ)に関してはかなり年が上だと思う。 ウィキペディアでララ・ウェンデルの生年月日をチェックすると、1965年3月29日生まれとなっている。この映画が公開されたのは77年だが制作されたのは76年。もしこの数字が正しいとしたら、当時11歳ということになる(苦笑)。ありえない。画面から見た印象ではどうみても15歳前後に見える。男の子もそのくらいか、ちょっと上か・・。ただ、シルヴィアを演じたエヴァ・イオネスコのデータは1965年7月18日生まれであり、これは本当かもしれない。 エヴァ・イオネスコは、女流写真家のイリナ・イオネスコの娘であり、5歳の頃から母親の撮影する写真のモデルをつとめたという。1977年にイリナ・イオネスコの写真集「鏡の神殿」(Temple aux miroirs)が出版された事により、ヨーロッパを代表するロリータ・スターになった。ほとんどお父ちゃんのヌードモデルを務める『エスパー魔美』状態だったのだろう。 ただ・・、エヴァ・イオネスコの裸のシーンはあるり、彼女のロリータヌードを売り出すというプロモーションとしては一役かった映画ではあるが、内容的にはさほど重要ではない。やはりこの映画のポイントは子供のもつ残虐性なのだ。そしてその残虐性をも「遊戯」として取り込んでしまえる子供の感性の柔軟さというか、プライドの未成熟さ。それがこの映画の魅力だろう。 <あらすじ> 少女ラウラ(ララ・ウェンデル)は家族とともに、夏になると避暑地としてその山の別荘を訪れていた。そしてその村で知り合った少年ファブリツィオ(エヴァ・イオネスコ)と山で遊んでいた。そんな二人も成長して性への感心を持つ年頃になった。そんな夏のお話。 夏の間だけそこを訪れるラウラにとって森は未知の世界(アウェイ)だが、ファブリツィオにとっては庭(ホーム)なのだ。そしてラウラはファブリツィオにかまってもらいたいという欲求がある。精神的にファブリツィオが強者なのである。森の中でかくれんぼをして、そのままいなくなったりして、ラウラを不安がらせ愉しんでいる。そんなイジメにあってもラウラはやっぱりファブリツィオにに触ってもらいたい、キスしてもらいたい、相手してもらいたいという願望をつねにもっている。そして“H”もしてしまう。 ただ、自分のことを想ってはくれるが、突き抜けてくれないラウラにストレスを感じるファブリツィオは、別の別荘に滞在する金髪の少女シルヴィア(イリナ・イオネスコ)に惹かれていく。彼女はファブリツィオの想いのとおり突き抜けてくれるのだ。かまってほしいラウラは、二人の付き人的立場を受け入れ。 これが、子供の世界というものなのか・・・、彼女はそれをままごとのように受け入れられるのである。 二人は弓矢で鳥を射て遊ぶ。絶えられないラウラはその場から立ち去ろうとするが、今度はラウラを獲物として追ってくる二人。彼女の足元や、倒れた彼女の股間に向けて矢を射る。間違って彼女にささったらどうするんだ??って思ってしまう。「あそび」といえどもほとんど死と隣り合わせの遊びなので観ている私としては怖くてたまらない。それを子供のあそびだとして、どこか許しているラウラという少女はあまりにも健気で愛らしいのである。 その後の二人のまえで放尿を強要されるラウラ。でも、あそびという範囲でそれを受け入れてしまう。かくれんぼをして、鬼になったラウラが二人を探していると、ファブリツィオとシルヴィアはセックスをしている。「あら、みつかっちゃったわね、あなたはそこでみてなさい」と二人はセックスをするのを、そばで見せ付ける。そんなこんなも全部遊戯としてうけいれるラウラなのである。 最終的には、夏が終わると帰っていくしかないシルヴィアだが、彼女を返したくないとおもいはじめたファブリツィオは、そんな彼女を山奥の移籍跡に連れて行く。帰りたいのに帰れないシルヴィアはそれまで傲慢な態度は何処へやら、不安に泣け叫ぶ女の子になり、ラウラがそれをよしよしよしよしってして上げる。それで『かえる、かえる」ともうるさいシルヴィアを最後はファブリツィオがプスってナイフで刺し殺してしまう。 そんなファブリツィオに「一緒に帰りましょう」とやさしく言うラウラ。でも残るというファブリツィオ。 ・・・・ドラマとしては決して悪くない。低予算ならがら、コンセプトはかなりきちんとしてる映画の部類だ。すっごく良いわけではないが、ぼろくそに言うほどの作品では決してない。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-08 22:23
2010年 11月 06日
![]() 脚本:デリック・ウォッシュバーン 撮影:ヴィルモス・ジグモンド 音楽:スタンリー・マイヤーズ 出演: ロバート・デ・ニーロ (マイケル) クリストファー・ウォーケン (ニック) ジョン・サヴェージ (スティーヴン) メリル・ストリープ (リンダ) * * * ディア・ハンターのディアは、DEER=鹿である。 もっとも、『Dear Hunter』 でも 『Deer Hunter』 でも、“なんのこちゃ・・・?”のタイトルだけど(笑)。 やはり記憶に残る映画の一本だろう・・。映画としては好きな映画ではないのだけど、やはり頭の中にこびりついてはなれない恐ろしい映画である。 あのロシアン・ルーレットの恐ろしさと緊迫感は目を背けたくなる。でもホントに目を背けたいことは、自分をその立場を置き換えた場合、それが出来ない自分がいることの自覚させられることなのだ。そして、それが出来るかもしれない人がいるかもしれないという劣等感。感情移入を途中で放棄し、傍観者としてみる立場に移行するしかない自分の卑怯さを実感させられる。それを無理やり感じさせられるからこそ、この映画は恐ろしいのである。 ヴェトナム戦争なか、同郷の幼馴染であるマイケル(ロバート・デ・ニーロ)、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スチーブン(ジョン・サヴェージ)の3人は捕虜になってしまう。その小屋は川の上に立てられており、床下が牢になっている。捕虜達は首まで水に浸かった牢のなかでロシアンルーレットのネタにされる時を待っていた。弾丸を一発だけ込めたリボルバーを捕虜が交互にこめかみに当てて撃ち合い、それにベトコンたちが金を賭けるというものだった。拒否すれば足をAK47で砕かれ、再び水牢に沈められ、出血多量で死ぬことになる。スチーブンが恐怖のために発狂し、撃たれて水牢に戻される。 マイケルは恐ろしさに怯えるニックを叱咤してテーブルに着く。何度かの撃鉄の音が響き、運良く生き延びているマイケルは「3発だ、おれは3発でやる!」と気狂いじみた要求をヴェトコンにする。どういう意味か分らないヴェトコンは、マイケルの銃に2発の銃弾を追加しその銃を渡す。覚悟をきめて、絶叫しながら自分のこめかみを撃つ。ハズレ。生き延びたマイケル。次はニックの番。恐ろしくて出来ないニックの顔をヴェトコンが何度かひっぱたく。「やるんだ」と叱咤するマイケル。最後の勇気を振り絞って撃鉄をひくニック。ハズレ。生き延びた。つづいてマイケルの番。ははは・・と嘲り笑うヴェトコンたちに、負けるもはははと笑い返す。一瞬の隙をついてその銃で彼らを撃つマイケル。そのための3発の銃弾だった。 倒したヴェトコンのAK47で全員を撃ち殺したマイケルは、負傷して意識のもうろうとしているスチーブンを水牢から助けだし、憔悴したニックとともに逃走する。丸太にしがみついて濁流を下り、間もなく友軍ヘリコプターが飛来したが、マイケルとスチーブンは力尽き、ニックだけが救出される。 ニックは、自分だけが生き残ってしまい、重い十字架を背負うことになる。 3時間をこえる大作で、正直前半部はかなりだるい。それが必要だという人もいるだろうが、私が思うに、マイケル・チミノは単に構成が下手なだけだと思う(苦笑)。少なくともあと30分は切れたはずだ。 この人の作りは、作るだけ作って、撮れるだけ撮って、それをつないで完成!・・みたいなノリで、多分ハリウッドの映画関係者みんなは「作る前にもっと効果的なストーリーラインを考えて無駄をしない作り方をしろよ!」と思っているだろう。出来たものに対して「良いの悪いの」いうことは誰でも出来ることで、それを作る前に予測して、無駄な部分を排除し、予算をすくなくし、質の高いものを作るのが才能ってモノだろうっておもうのだが・・。この映画でアカデミー賞は取ったマイケル・チミノだが、その後の『天国の門』では大金を使うだけ使って映画は大失敗、制作会社ユナイテッド・アーティスツは倒産。ハリウッドを一時期追放されてしまう。その後『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』で復活するも、その後は・・・・、沈黙の人である。 ちなみに私は『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』、大好きです。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-06 11:30
2010年 11月 06日
![]() 脚本:スティーヴン・ソマーズ 撮影:ハワード・アサートン 音楽:ジェリー・ゴールドスミス 出演: トリート・ウィリアムズ (フィネガン) ファムケ・ヤンセン (トリリアン) * * * 来るようでこないファムケ・ヤンセン・・・。 『00/ゴールデンアイ』のオナトップ嬢である。本作ではヒロイン役で、それなりにいいと思うのだけど、どうも売れ線に乗ってこない不思議な人。そういう私も『X-MEN』にしてもこの『ザ・グリード』にしても、見たときは「あ、この人、いいかもしれない」って思うのだけど、いつの間にか忘れてる女優さん(苦笑)。どこかでブレイクしてほしいものです。 映画はどこかでみたような映画の寄せ集めで、新鮮さはまるでない。おまけにモンスターも特定の生物といいうよりも、どうにもでも変形しそうなご都合主義的なモンスター。<足し算>で出来上がった映画というのは面白くないって典型。 ノンストップのハラハラ・ドキドキの連続なので、ぼおおおおおおって観るには悪くはないが、コレ観るんならほかに見るべき映画あるんじゃないか??って思ってしまう。なにかにつけ一生懸命にならない人向けの時間つぶし映画である。 <あらすじ> 南シナ海。フィネガン(トリート・ウィリアムズ)が船長をする密輸船サイパン号は、傭兵たちを海図にないる島まで届ける仕事を請け負っていた。しかし、モーターボートと衝突。船は沈没しそうになる。その時近くを航行していた豪華客船アルゴノーティカ号を発見避難するが、客船内には不気味なほど人気がない。唯一の息の頃は女スリ、トリリアン(ファムケ・ヤンセン)。彼女は船長に捕まり食糧庫に監禁されていたから助かったのだ。その船は謎の生物に載ったられ、乗客は既そのモンスターの餌食になっていた。 かくしてどこかで観たようなドンパチがつづき、船の爆破で怪物を倒したフィネガンとトリリアンは危機一髪で脱出する。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-06 07:33
2010年 11月 05日
![]() 原作:ウィリアム・シェイクスピア 脚本:ケネス・ブラナー 撮影:ロジャー・ランサー 音楽:パトリック・ドイル 出演: ケネス・ブラナー (ベネディック) エマ・トンプソン (ベアトリス) デンゼル・ワシントン (アラゴンの領主ドン・ペドロ) ロバート・ショーン・レナード (クローディオ) キアヌ・リーヴス (ペドロの異母弟ドン・ジョン) ケイト・ベッキンセイル (レオナート娘・ヒーロー) マイケル・キートン (警保官ドグベリー) * * * 面子だけはすごいけど・・・。 監督をやったケネス・ブラナーという人は、現代におけるシェークスピア再現のリードオフマン的人物だと言っていいとだろう。王立演劇学校を首席で卒業した後、23歳でロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに参加し、最年少のヘンリー五世を演じるなど、舞台俳優として輝かしいキャリアをもっている。しかし既存の劇団の限界を感じ、自身で「ルネサンス・シアター・カンパニー」を仲間と共に設立、現代にいたる。映画人というよりも舞台の人なのだけど、映画にもちょこちょこ顔を出しているし、出演だけでなく監督もやってる人。 90年代の前半あたりからちょとちょこケネス・ブラナーの名前を映画雑誌でみかけるようになり、評論家方の評判もわるくないのでいうちおう勉強のためにみておこうかと、当時劇場に足を運んでみた映画。ただ・・私的にはどうも合わない。興味を引くものが何もない。なにもかにもが面白くない。ひたすらコスチューム・プレイの空騒ぎが続くだけ・・という、はあ~~~~。。。ため息な映画でした。 どうもケネス・ブラナーの顔が生理的にダメな部分もあるが、それにもめげず、何度かこの人の作品をみたのだが・・・どれもダメだった。たぶん合わない人には「この人のなにが面白いん・・??」で終わる映画なのだろう。 この人・・・ホモ? 理由がわからず、生理的に嫌いな人ってのはどうもホモだったことが多い。 なんかそんな気がしてきたぞ・・・。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-05 09:28
2010年 11月 05日
![]() 脚本:スコット・フランク 撮影:マシュー・F・レオネッティ 音楽:パトリック・ドイル 出演: ケネス・ブラナー(ローマン/マイク) エマ・トンプソン (マーガレット/グレース) * * * 経歴だけでやたらとヨイショされるケネス・ブラナーだが映画は凡作ばかり・・。 ・・・しかし、今回は『から騒ぎ』とちがってとってもやや見る気になれる。それはきっとプロデュースがシドニー・ポラックで、アメリカ資本で作られたからであろう。でもやってることはヒッチコックもどきなのでそれほど心に響かないし、ありきたりにみえる。この作品でちょっとだけ目新しいのは輪廻転生がややからんでいるというところなのだが・・、サスペンスベースでつくたらているので、それはインチキだろうって思うのだけど。 物語は1949年から始まる。妻殺しの罪で死刑を宣告された主人公ローマン・ストラウス(ケネス・ブラナー)がは、執行の日、新聞記者グレイ・ベーカー(アンディ・ガルシア)を呼びだして、「妻を愛していた。永遠に愛し続ける」と告げる。 ・・・それから40年後の話。 <あらすじ> 修道院に世話になっている記憶喪失の女性(エマ・トンプソン)がその夢をみる。院長から調査を依頼される修道院育ちの私立探偵マイク・チャーチ(ケネス・ブラナー)。催眠療法により、彼女は前世の自分のことを語り始める。交響楽団の指揮者とピアニストとして出会ったローマン(ケネス・ブラナー)とマーガレット(エマ・トンプソン)。幸せな結婚。 そして現世でも彼女とマイクの間にも恋が芽生えていく。マイクは好きだった修道女の名を採り、彼女をグレースと名付けた。しかし、グレースはやがてマイクが自分を殺したローマンの生まれ変わりであることにきづく。一方、催眠療法を受けたマイクは、実は自分がマーガレットの生まれ変わりで荒い、そしてグレースはローマンの生まれ変わりだと知る。 ・・・・そうそうそうそう、そうなんよ。 「自分(男)が女性の生まれ変わりだ」・・とかいう発想はホモでないと考え付かない。『マルコビッチの穴』をみたとき思ったが、ホモの人ってこのような変身願望とか、女装願望とか、生まれ変わるとか・・、人格が入れ替わるとか・・この手の発想が多いんだ。 マーガレットを殺したのはローマンではなく、憎しみを募らせた幼いマドソンだった。マイクはマドソンにとびかかり、グレースの銃が火を吹いた。そして、マイクとグレースはしっかりと抱き合うのだった。 ・・・ああ、やっぱりケネス・ブラナーはホモだったか・・・。納得。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-05 06:49
2010年 11月 04日
![]() 脚本:ウィリアム・ゴールドマン 撮影:コンラッド・L・ホール 音楽:マイケル・スモール 出演: ダスティン・ホフマン (ベーブ) ローレンス・オリヴィエ (クリスチャン・ゼル) ロイ・シャイダー (ドク) マルト・ケラー (エルザ) * * * シナリオ段階で失敗しているような気がするのだが・・。 ナチ戦犯が画策する事件をめぐって、たまたま、ニューヨークである交通事故をみてしまった男(ダスティン・ホフマン)のまきこまれ型のサスペンス。監督は『真夜中のカーボーイ』のジョン・シュレシンジャー。全体のムードは悪くない。しかし、映画が主人公の主観で展開されないので「結局なにがいいたかったのだ??」で終わってしまっている。いくつかのイベントがパズル的に語られつつ、出来上がって絵をみると一つの絵に成っているというような構成なのだが、その出来上がった絵をみても、「それがどうしたの?」って感じなのだ(苦笑)。 最近読んだ『深海のyrr(イール)』という小説があるが、なんでもこれがハリウッドで映画化されるそうな。この小説というのが、境各地で点在する謎の生命体が起こした事件の遭遇しながら最後はインディペンデンスにあるめられ、未知の生命体との接触に挑む話になっていく。この小説を読んで、それが映画化されるときいたtき、この話は主人公目線に絞り込まないと、物語の求心力がなくなるなあって気がした。 そしてこの『マラソンマン』が、その求心力がなくなった映画のよい例なのだ。 物語の主人公、ダスティン・ホフマンは、マラソンのトレーニング中にある交通事故を目撃する、それがきっかけとなり、ナチ戦犯連中が画策しているダイヤのダイヤ密輸事件に巻き込まれる。しかし、物語は世界各地で小粒に展開され、映画が始まった当初はなにが起きつつあるのかよくわからない。たしかに小説としてはよくあるタイプだが、原作者が脚本を書いているのだが、映画としては失敗してるとしか言いようがない。誰が主人公なのか分らないまま、誰に感情移入していいのか定まらないまま物語が展開するのである。 やっかいなのは、ナチの戦犯グループに拉致されて拷問をうけるダスティン・ホフマンが主人公っぽくみえてしまうのだ。しかし彼にしても、小説のなかではそれほど重要な主人公としては存在してないのではないだろうか。ひとつの物語の登場人物Aでしかないのである。それをなんとなく主人公っぽくなってしまっているので、一応そのつもりになって見るのだが、やっぱり総合的にみると登場人物Aでしかないのだ(苦笑)。 おかげで悪人達がみんなやられても高揚感もなく、「だからなんだったの?」って感じだけがのこる。 で、あらためて冷静になってこの映画をフカンから眺めてみると、結局この物語は、 ナチの戦犯グループが行おうとしていたダイヤ密輸を、たまたまそこ絡んできてしまったマラソンのトレーニングをしている青年のおかげで、おじゃんになった・・って話。イベントを客観的にみるお話でした。 やはりこの映画の語り草は、ダスティン・ホフマンの拷問シーン。歯科医であるローレンス・オリビエがダスティン・ホフマンを椅子にしばりつけて、口をあけさせ、歯と歯の神経をうぐりぐりがりがりいじめるのだが、見てる間に手に汗を握ってしまう。 その昔御茶ノ水の医科歯科大学で、根っこがかぎ状になっている親知らずの抜歯し手術をうけたのだが、2時間以上も視察台にのせられて格闘。終わったときには背中はもちろん、足のうらにじっとりと汗をかいていた。あの悲惨な2時間とイメージがダブルが、それでもあの時は麻酔があったから良かった。でもほとんどきかなかったけど。おかげで何本もうたれて次の日まで口の感覚がへんだった。 もうひとつ、この映画で忘れられないシーンは、ダイヤをもったローレンス・オリビエが待ちの中で戦犯と知られてしまい、老婆に追われるシーン。ダイヤを持ち逃げしようとしていた彼が、街中でユダヤ人の老婆に観止められる。「あなたはあの時の・・・ナチの将校・・・」って。そしたら周りの人たち(多分ユダヤ人が多いのだろう)が、彼を復讐の目で観始める。周りの人みんなから復讐の憎悪がたちこめるなか、なんとか逃亡するローレンス・オリビエというシーン。あの恐怖感はなかなか良かった。 全然関係ないが、マルト・ケラーが見られたのは嬉しい。『ブラック・サンデー』のお姉ーちゃんであり、『ボビー・ディアフィールド』のヒロインでもある。マイナーだが忘れがたい女優さんのひとりだ。 物語をマラソンマンの立ち位置から主観的にまとめてみると・・・、 ニューヨーク。マラソン・トレーニング中のベーブ(ダスティン・ホフマン)はある交通事故を目撃する。その後、ベーブは図書館でエルザ(マルト・ケラー)と知り合うが、公園でデート中2人の男に襲われる。ベーブがこの事件を手紙で兄のドク(ロイ・シャイダー)にしらせる。ドクはアメリカ政府機関の男だった。数日後、ベーブは、ドクを交えてエルザを交えた3 人は食事をするドクは何者かに殺された。そして、ドクの同僚ジェニウェイ(ウィリアム・ディベイン)に兄の正体を知らされ再び驚かされる。やがて公園で拉致されたベーブはどこかの地下室に連れこまれ、ナチの残党ゼル(ローレンス・オリヴィエ)から拷問をうける。銀行の貸金庫にゼル自身が宝石を受け取りに行っても安全かどうか、ベーブから聞き出そうとしたのだ。 あまりの苦痛に気を失ったベーブをジェニウェイは助け出すが、それもベーブから秘密を聞き出そうとするワナ。ジェニウェイも敵なのだ。やっとの思いで逃げ出し、エルザの協力で郊外の家に隠れるが、そこはゼルの兄の家。エルザも一味だった。再び現われたジェニウェイの一味どたばたあり、なんとか生き残ったベーブは、貸金庫からナチ時代の遺物のダイヤを持ち出したゼルと対峙する。 歯科医であるゼルに拷問の時にさんざん歯の神経をいたぶられて失神したベーブは、彼に銃つきつけて、持ちだしたダイヤを「呑め」という。ダイヤを断腸のおもいで呑むゼル。その後てきとうに格闘などあって最後は階段からころげおち、自らのナイフで命をおとすゼル。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-04 09:35
2010年 11月 01日
![]() 脚本:ウォーレン・ベイティ/トレヴァー・グリフィス 撮影:ヴィットリオ・ストラーロ 音楽:スティーヴン・ソンドハイム/デイヴ・グルーシン 出演: ウォーレン・ベイティ (ジョン・リード) ダイアン・キートン (ルイーズ・ブライアント) * * * エナジー全開だが、空回り。実にウォーレン・ベイティらしいのだが・・・。 ウォーレン・ベイティがアカデミー監督賞を撮った作品。私の大好きな役者さんでもあり監督さんでもあるウォーレン・ベイティ、さらにダイアン・キートンも好きだし、ダイアン・キートンが好きななった男も好きなので、あんまり悪くはいいたくないのだけど・・・でも、この映画をみるのはしんどかった。方向性自体にあまり共感がもてず、さらに主人公の情熱も空回りしているだけに、みててつらいものがある。 この物語の主人公ジョン・リードは労働者びいきの人でメキシコ革命のルポルタージュで有名になり、その後第一次世界大戦中のボルシェビキ革命の始まりを聞き、1917年にロシアへ渡り、その革命の様子を描いた『世界を揺るがした十日間(Ten Days that Shook the World)』(ロシア革命のルポルタージュ)を世に出した。労働者による革命に歓喜したリードは、本国アメリカで共産党を組織し、その活動のために社会的地位も失うことになる。さらに彼の作った党をロシアの共産党に承認してもらおうと(ここが気に入らない)渡航禁止のロシアに向かうのだけど・・・じつはそこでも足蹴にされてしまう。最終的にはモスクワで死去し、赤の広場のクレムリン壁に埋葬された唯一のアメリカ人となったのだけど・・。 ただ・・・作品的にはうむむむ・・な映画なのだけど、やっぱりウォーレン・ベイティは好きだ。役者というよりも、生き方が好きだ。『俺達に明日はない』でヒットを飛ばすと、そこで稼いだお金を全部つぎ込んで次の作品をつくる。後先考えないで、その時その時で全力投球。どこでヘタるかなんて考えない。実際私がウォーレン・ベイティの映画で好きなのは『天国から来たチャンピオン』だけかもしれない。『イシュタール』とか『ディック・トレイシー』とか、数々のハズレ映画もよく作ってる。それでも、勢いのあるウォーレン・ベイティの生き方は大好きだ。 <あらすじ> 第1次世界大戦のさなかヨーロッパで火の手が上がった国際労働者同盟の闘争に接して、初めて政治運動に目覚めたジャーナリストの道に入ったジョン・リード(ウォーレン・ベイティ)は、人妻のルイズ・ブライアント(ダイアン・キートン)と知り合い、彼女とともにロシアに渡り、ロシア全土を揺り動かしている労働革命のルポを書いた。その体験記『世界をゆるがした十日間』はセンセーショナルな話題となった。 本国に戻ったジョンはその勢いで社会党の革新化に着手するが、右派抵抗は厳しく、彼が率いる左派も分裂してしまった。ジョンは、彼が作ったアメリカ共産労働党をロシアの共産党に公認してもらうために渡航禁止のロシアに旅立つ。しかし反共闘争をくりひろげるフィンランド当局に捕えられ、投獄されてしまう。ジョン逮捕の知らせを受けたルイズは、フィンランドに旅立ったが、到着したとき既にジョンは釈放され、再びロシアに戻ったあとだった。だが、長い別離の末の再会も空しく、ジョンは病に倒れ、生まれ故郷のアメリカを見ることもなく世を去った。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-01 21:56
2010年 11月 01日
![]() 脚本:エドワード・ルゴフ/マイケル・ゴットリーブ 撮影:ティム・サーステッド 音楽:シルヴェスター・リヴェイ 出演: アンドリュー・マッカーシー (ジョナサン) キム・キャトラル (マネキン=エミー) ジェームズ・スペイダー (リチャード) * * * 今をときめく『SEX AND THE CITY』のサマンサ=キム・キャトラル登場! 愛情を注いで作ったマネキンが人間の姿になり、創造主とらぶらぶするというファンタジー。 当時はそれほど話題にならなかった映画だが、あのサマンサ役のキム・キャトラルがってことなら見る人がふえるかもしれない作品。ただ、きわめてオタク思考で、一人遊びにトリップしたい欲望を満たしてくれる引き篭り系のユートピア映画。そんなわけで主人公に人間力をあまり感じられず、根底にながれるスピリットに嫌悪感を感じる部分がある。 この映画を観て思ったのは、「恋愛」というのは社会性があって初めて満足感が得られるものなのだ・・とということ。ここで展開させる人間と、人間化したマネキンとの戯れは、やっぱり一人遊びで、社会とシェアできないものなのだ。安心できる恋愛ともいえる。ただ、それだけだと張り合いも乏しい。普通の恋愛というのは、「これだけ大勢のなかから、自分が選ばれた/自分を選ばせた」という自己満足、自己肯定欲、自己顕示欲などが得られる。ゆえに少し人間として自信もついてくる。人として成長するには絶対不可欠な要素なのだ。 しかし、この映画では、自分しか選ばれないなかで、自分が選ばれている。だれも彼女を選ばないのに、自分だけが彼女を選んでいる・・。安心感がある恋愛なのだが、これでいいのだろうか・・? 人間の心は安心をもとめるものだが、不安の中にあって安心できる環境を作り上げていくことがその人の成長であり人生だろう。そこでこういうファンタジーを愛するようになったら、それが出来なくなっくなっている危険信号なのだろう。社会のなかで生き抜く能力に乏しい人たちが憧れるファンタジーの世界だった。 キム・キャトラルはけっこう好きである。もしアメリカで『ふたりだけの恋の島』をリメイクするとしたら、若い頃の彼女にやってほしいと思うのは私だけだろうか(笑)。オルネラ・ムーティ系のビジュアルというはどうもそそられる。 <あらすじ> フィラデルフィアのマネキン工場で働く青年ジョナサン(アンドリュー・マッカーシー)にとって、マネキン作りは商業活動というよりもアートだった。自分がもっとも美しいと思うマネキンをつくりたい!・・それが彼のモチベーションだった。しかし、普通の人なら1日に3~4体は作るところ、ジョナサンは1ヶ月もかけてしまう。あえなくクビ。その後もあっちこっちの仕事に着くが、ハングリーさがない彼は長続きしない。そんなある日デパートのオーナーを救ったことからそのデパートで雑用係りとして雇われることになる。 そのデパートで自分の創ったマネキンに再会。閉店後、自分のアートに見とれていたジョナサンに、そのマネキンが語りかけた。彼女はエミー(キム・キャトラル)と名のった。朝ウィンドーを見ると、エミーはマネキンに戻っていたが、素晴らしいディスプレイが施されてあった。毎晩デートを重ねるうちに、毎回見事なディスプレイができあがりデパートは繁盛、ジョナサンは副社長の座を手にする。 ライバルデパートの社長B・J・ワートは、スパイとしてもぐりこませているリチャード(ジェームズ・スペイダー)にジョナサンの秘密を探るよう命じる。そしてマネキンをあやしいとにらんだB・J・ワートは、エミーを盗みだしてしまう。マネキンが盗まれたことを知らされたジョナサンは、B・J・ワートの元にエミーを奪回に向かう。ベルトコンベアーにのせられてゴミ処理機の中に落とされそうになっているエミーを見つけた。たくさんのマネキンの中からエミーだけを引き上げることに成功する。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-01 10:39
2010年 11月 01日
![]() 脚本:レアード・コーニッグ/ウィリアム・ロバーツ 撮影:アンリ・アルカン 音楽:モーリス・ジャール 出演: チャールズ・ブロンソン (リンク) 三船敏郎 (黒田重兵衛) アラン・ドロン (ゴーシュ) ウルスラ・アンドレス (クリスチーナ) * * * おい、テレンス・ヤング。侍は後ろから斬りかからないぞ! ありえないキャスティングが実現した映画。本来この手の映画はキャスティングで無理してるので、話が破綻しがちなのだけど、それぞれの立場をきちんと考えてそれなりに納得いくようなお話にまとめ上げてるのはなかなかすごい。 時代的には勝海舟や坂本竜馬の頃の話である。話のとっかかりはこんなかんじ・・、 江戸時代末期のアメリカ西部。日米修好の任務を帯びた日本国大使、坂口備前守(中村哲)と随行の武士、黒田重兵衛(三船敏郎)、名室源吾(田中悟)の一行は、列車でアメリカ西部を東に向っていた。この列車には、郵便列車も連結されており、その金貨を狙ってリンク(チャールズ・ブロンソン)と相棒のゴーシュ(アラン・ドロン)一味の強盗団が襲ってくる。 金貨を奪取に成功した彼らは、江戸幕府からの使節ののる特別列車に押し入り、アメリカ大統領に献上するはずの黄金に輝く太刀も持ち去る。名室源吾はゴーシュに斬りかかりるが逆に射殺される。さらにリンクもろとも、郵便車を爆破させたゴーシュは意気揚々とひきあげていった。 重兵衛は7日間の猶予を与えられた。爆破で負傷したリンクを手当し、彼を道案内役にたて、宝刀奪還のためにゴーシュを追う。 これによってチャールズ・ブロンソンと三船敏郎のロードムービーが始まる。相容れない価値観の二人が反目しながらも徐々に友情らしきものを深めていく。ゴーシュの情婦役でウルスラ・アンドレスがヒロインとして登場。ご存知『007/ドクター・ノオ』の白いビキニのお姉ーちゃんである。かくして日本、アメリカ、フランス、イタリアのトップスターがこの映画に集うことになる。 他の3人はそれなりに絡むことがありそうだが、そこに三船敏郎も絡むというのが物語を構築するにはネックな部分であったのだろうが、そこをなんとか上手くまとめあげている。 チャールズ・ブロンソンは金貨を奪い、自らを殺そうとしたアラン・ドロンに復習するために、三船敏郎は宝刀を奪回するためにアラン・ドロンを追う。途中姑息に逃げ出そうとするチャールズ・ブロンソンなんかと小洒落た会話などを展開しつつ、盗賊に襲われたメキシコ人一家を助けたりして、お互いの力を見せつつ、物語の序盤は展開する。 やがてアラン・ドロンの情婦であるウラウス・アンドレスを人質にとり、逃亡を許さない状況を作る。 さらに追加要素が加わる。インディアンのコマンチ族に襲われるくだりがあり、適役のアラン・ドロンもチャールズ・ブロンソン&三船敏郎と一丸となってこれらと戦うというシチュエーションが展開。立場的には敵味方なのだけど、それぞれおのキャラクターが一方的に適役にならないように配慮されている(笑)。 激闘の末、ようやくコマンチ族を蹴散らした三人は、再び対決の時を迎えた。コマンチ襲撃のときに宝刀を取り戻した重兵衛だが、源吾の復讐心に燃え、金貨の隠し場所を知るまではゴーシュを殺さないというリンクへの約束も忘れて斬りかかった。しかしゴーシュのピストルが一瞬速く火を吹き、重兵衛ほどうと倒れた。ゴーシュを倒したリンクは、宝刀を日本の使節団に返してひとり荒野に立ち去るのだった。 ▲
by ssm2438
| 2010-11-01 09:36
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![]() 主観重視で映画の感想を書いてます。ネタバレまったく考慮してません。☆の数はあくまで私個人の好みでかなり偏ってます。エンタメ系はポイント低いです。☆☆=普通の出来だと思ってください。 by ssm2438 リンク
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